2024年12月15日日曜日

かえってきたアイドルめいめい (2024-11-10)

隙あらばビリヤニを食している2024年4月以降の私だが、この米料理をカレーあるいはそれに類する何か(スープ等)と混ぜて(かけて)食べるという発想のファンではなかった。そこにハーモニーはない。味が強い同士で打ち消し合う。それぞれの個性が感じられなくなってしまう。カレーはナン、チャパティ、ライス、ドーサと食べるべき。ビリヤニは既に完成した料理。何かを足すべきではない。単独で味わうべき。(もちろんライタは別ね。)と思っていたが、再考を促された。東池袋エー・ラージ。マトン・ビリヤニ 海老サルナとトッピング・オムレツJPY2,300。サルナというのはグレイヴィー状のカレーのような何か。それがマトン・ビリヤニの上にかかっている。私のそれまでの感覚だとビリヤニとサルナが主張し合って互いに譲らない展開になるはずだった。ラージさんが作ったこの一皿では不思議とそれが起きていない。むしろお互いを引き立ててすらいる。

HIP HOPとは何ぞや? んなもん分かったとこでそれがナンボや?(Mummy-D)(『Rhymester曰く、』、Rhymester)

この日限定でめいめいがアイドルに戻る。そのような触れ込みで発表されたコンサート。アイドルに戻るとか、アイドルをやるとか、私はそういった言い回しを聞く度に引っ掛かる。アイドルという言葉が英単語のidolと同じだとするならばそれは偶像や憧れの存在といった意味を持つはずである。なろうとしてなれるものではない。自分から名乗るものでもない。職業ではない。ましてや歌う、踊る、チェキを撮るなどの具体的な活動テンプレートとも無関係だ。一日だけアイドルに戻る、というめいめいの声明。これはアイドルが職業や具体的な業務内容を指す言葉でないと成り立たない。アイドルとは何ぞや? めいめいに聞いてみたい。しかし、聞いてみたところでそんな質問には意味がないのかもしれない。なぜなら日本におけるアイドルはもはやidolとは直接の関係がない、aidoruという職業だからだ。当事者たちがそう捉えている以上、それが答えなのだ。Idolという英単語はこういう意味でなんていう蘊蓄を持ちだしたところで、んなもん分かったところでそれがナンボや? なのである。「この現場以外に本場なんてのは存在しない」(宇多丸)(『ウワサの真相』、Rhymester feat. F.O.H.)。ただ、それでも言っておきたい。かつてKRS-ONEは言った:Rap is something you do. Hip-Hop is something you live。同じように、歌ったり踊ったりすることはsomething you do。アイドルis something you liveのはずである。

以前、ミュージカルのチケット代の入金を忘れ、締め切り日の翌日にファンクラブの担当者からきつい口調のメールが来たことがある。その一件でファンクラブから目を付けられ今後の公演で割り当てられる席のランクを落とされてしまうのではないかという一抹の不安があった。幸いなことにそれはなさそうである。直筆サイン入チェキ付S席。各部JPY11,000。私に与えられた本日の席は昼が最前、夜が5列目。本当にいつもありがとうございます。イイノ・ホール。たぶん初めて。霞ヶ関駅。閑散とする駅直結の地下街。ほとんどの店が閉まっている。セブン・イレブンが唯一の希望。17時に閉店するカフェ・ド・クリエ。昼公演(14時~)と夜公演(18時~)の間に入ろうと思ったが17時閉店だとレジで店員氏に言われやめた。平日の近隣オフィス勤務者たちに最適化された駅。無機質。場所は違うけど去年の一人芝居コンサートのときもこんな感じだった。

ファンクラブ会員向けにセット・リストが事前公開された。Hello! Projectだけかと思いきや、今流行っている陣営のも盛り込んである。一応、義務をこなすようにさらっと目は通した。このブログで何度も書いていたように、私がかつて抱いていたアイドル的なものに対する情熱はそのかなりの部分が消失している。だから、いくらゴリゴリにアイドル色の強いセット・リストを見せられたところで、そこまで掻き立てられる感情は持ち合わせていない。それがたとえめいめいであっても。もし私が今でもそんなにアイドルに夢中なら、そもそもめいめいの個人活動は追っていないと思う。“アイドルの応援”から半分降りたからこそ、めいめいを見るのに一定のお金と時間を割いているのだ。“アイドルの応援”を主軸に置いている人がめいめいの活動を追ってもあまり満たされないだろう。もちろん私は今でも大きな括り(ジャンル、カテゴリ)で言えばアイドルを追っている。しかしHello! Projectは見るのをやめ、その後しばらくKissBeeを見ていたがもうやめ、今ではBLUEGOATSに熱中している。私がアイドルというカテゴリ、ジャンルに求める要素やそのバランスの変容が、この変遷に隠されていると思う。アイドルに限った話というよりは、私が趣味や娯楽全般に求めるものを、フットボール観戦を中心とする他の手段と組み合わせながらどうやって埋めていくかという問題。

セット・リストをまともに予習しなかったのは『マジ興味ねぇ』(DJ OASIS feat. K DUB SHINE)のもあるし、労働のストレスで精神的な余裕がなかったのも大きい。頭の後ろに十円ハゲが出来ている。(鍼の先生曰くハゲた箇所に毎日ショウガを塗ると治りが早いらしい。)ただ、コールが出来るように準備してきてほしいという先方の狙いを完全に無視したところで自分が楽しめなくなるだけだ。だから当日、知らない曲を一度ずつ聴いてみた。Spotifyにあった。あと、一曲目の『ドキッ! こういうのが恋なの?』(キャナーリ倶楽部)が肝だろうなとは踏んでいた。幼女のメンバーさんと客席のオジサンたちのコール&レスポンスが地獄絵図で有名なやつ。免疫ない人が見たらドン引くぞ。これがノン・フィクション。ハイ、ハイ、ハイ! とかかーもね、ハイ! とかやけにオタク側がハキハキして統率がとれてキレがいいやつ。それを一曲目に持ってくるってことはめいめいとしてはのっけからぶち上げたいんだろうなと。だからあの有名な動画をYouTubeで観て、我々サイドがどこで何を発声するのか何となく把握しておいた。ところがその努力は無残にも水泡に帰した。昼公演。最前。数メートル先でぷるぷる震えるめいめいの生ふともも。コールどころではなかった。曲どころではなかった。最初の衣装。めいめい(26)が根本付近まで見せてくださるふともも。わずか3曲で衣装替え。減った肌面積。残念。束の間の夢。

夜公演。5列目のそれも横(左)のブロックだったので、ステージと客席を全体的に俯瞰するようにコンサートを味わうことが出来た。これはこれでよかった。(最前にいると全体としての盛り上がりは分からない。)コンサートの流れも把握済みなので、良くも悪くも身構えず、リラックスしていた。ちょっと疲れていたのもあって、ぼんやりしながら観ている時間が長かった。最後の方。『デモサヨナラ』(Dorothy Little Happy)。フックのリリックで、好きよの連呼。
めいめい:好きよ
ヘッズ:オレモー!
めいめい:好きよ
ヘッズ:オレモー!
オレモー! と迷いなく叫ぶ活力は私の内側から湧き出てこない。浮かべる苦笑い。ステージで輝く一人の美女と、お金を払って彼女を観に来ている不特定多数による、恋人同士で交わす言葉のようなコール&レスポンス。これで救われる人もいるのかもしれない。それを否定するわけではない。ただ、今の私にはどうしてもグロテスクに思えてしまう。ああ、俺には無理だなって思った。もうこのゲームに入れ込めない。たとえばフットボール・ファンが、なんでボールを蹴り合ってゴールに入れるだけでいい歳の大人同士がこんなにムキになっているんだと我に返ったような感覚。それ言っちゃお仕舞いじゃん。お仕舞いなんだろう。

めいめいの、リスクを取った人生。すべてをさらけ出して、何の保証もない。他方、リスクを避けながら、匿名の存在、群衆の一部として、めいめい側の人たち(アイドル、芸能人、音楽家、スポーツ選手、実業家、等々)の活動を娯楽として消費する我々。自分はやらないけどそれをやる人たちのことは安全な場所から見たい。めいめい側の人間と、我々側の人間。そこにはとてつもない断絶がある。夜公演のステージを眺めながら、なぜかそんな思考が頭をよぎった。