このフロアでLiVSを観たあの日。良くも悪くも忘れられない公演。嘘のように楽しかった。その一方で、フロアを埋められなかったことに悔しさを隠さなかったマルコchan。彼女が言ったごめんなさい。彼女が下げた頭。静まり返るフロア。あの光景。お通夜のような重苦しさ。しばらく私の頭にこびりついて離れなかった苦い記憶。何度も訪れていると会場がただの会場ではなくなってくる。自分がそこで味わってきたさまざまな感情に紐づいた特別な場所になってくる。Hello! Project支持者時代に通い詰めた中野サンプラザに至っては入場するまでもなくもはや中野駅で降りただけで思い出が蘇ってくる。
私がこれまで下北沢シャングリラに入ったのは上記のLiVS単独公演と、後日にLiVSが出演した対バン。パッと思い出せる範囲ではその二回だけである。人生の中ではそれ以外にも一、二回来ている可能性は否定できないが、そうだとしても合わせて数回の範囲に収まっている。LiVSが特大の楽しさと悔しさを与えてくれたこの場所を、BLUEGOATSがどのように塗り替えてくれるのか。私にとっての下北沢シャングリラを、どう再定義してくれるのか。BLUEGOATSならこの会場で自分たちをどう表現し、私たちと一緒にどういうフロアを作り上げるのか。それを直に目撃して体験するのを楽しみにしていた。
公演の題名にあるようにBLUEGOATSは青春という言葉を多用する。標榜している音楽ジャンルからして青春パンクである。壮年、中年の男性が多いファンたちに向かって、何歳になっても青春をやり直せるんだ的なことを言う。私はやや引っ掛かりを覚える。そもそも青春という言葉そのものに対して首を傾げている。BLUEGOATSはこの言葉にyouthという英単語をあてているが、青春とyouthは違う。部分的に意味は重なるかもしれないが、青春という言葉の核にあるニュアンスはyouthにはない。Youthが単に若さ(若い時期)を指すのに対し、青春には「情熱・切なさ・輝き・甘酸っぱさ・仲間との絆といった感情や雰囲気が強く込められている」(括弧内はGrok回答より引用)。それは煎じ詰めると充実した学生生活のことではないか。日本においては就職前が楽しさという点で人生のピークだから、学生の時期が輝かしい時期として強調されやすいのではないか。それに青春という名をつけているのではないか。だとすれば青春という概念を前面に押し出すのは、この世界を生きていく上でのつらさ、不満、ストレスの捌け口を青春という理想化された過去(BLUEGOATS支持者の大半にとっては遠い過去である)に求める行為である。何かに逃避するのではなく現実の敵と正面切って戦って、未来を作っていくのがBLUEGOATSのカッコよさだと私は前から思ってきた。青春というノスタルジアに訴えかけるとそのカッコよさから少しずれてしまうように感じる。
とはいえそれはあくまで大上段の概念的な話であって、それを実際に公演中に感じるわけではない。公演中のBLUEGOATSは細かい理屈抜きに熱く、楽しく、心を打つ。シャングリラのフロアを当たり前に掌握するBLUEGOATS。いい意味で特別感がない。新宿Marbleでやっているかのよう。いつものBLUEGOATSだった。一曲目でお約束のように(お約束と言えるほど私がたくさん行っているわけではないが)“GOOD LUCK!!”が流れて、みんなで歌いながらグワッと前に圧縮する。開演前よりもステージが数メートル近くなる。周りの紳士たちと密集するのが不思議と心地よい。その瞬間から一人で来ているのも関係なくなる。周りの紳士たちとひとつの塊になって、話したことがなくとも同じ目的で同じ場所にいる仲間のような感覚になってくる(実際そうなのだが)。人口密度の割には意外と安全で、フロア内には配慮と節度がある。拳を上げて一緒に歌うのが定番の乗り方だけど、誰かの肘が頭に入ってメガネが壊れるような危険を感じない。右端(その右に女限)の前から3-4列目(状況によって少し変わる)の位置をとる。端なのでモッシュに巻き込まれ過ぎない。チャンチーを近くで観ることができる。自分がBLUEGOATSを観るときはこの位置が合っている。盛り上がるのと近くで観るのとのバランスが取れる。ほんま・かなさんがさらっと発表するアルバムのリリース。「そういえばウチらアルバム出すじゃん?」みたいな感じで。12曲、それも全部新曲。
BLUEGOATSの心地よい余韻に包まれる帰り道。身体が軽くなったような。日常生活でため込んでいたモヤモヤが抜けてスッキリしたような。この感覚を味わえているひとつの要因は、私がBLUEGOATSから一定の距離を取っていることだと思う。私の中でBLUEGOATS熱、チャンチー熱が再燃してきている。それでも(単体での知り合いやその場でたまたま近くにいた初対面の紳士と話すことはあるが)支持者たちのコミュニティには入らず、グッズやオンライン・チェキなどをほとんど買わず(チャンチーさんのデコ・チェキはたまに買う)、高望み(整理番号とか、接触対応とか)をせず、自分の気が向いたときだけにふらっと、ほどほどの頻度で観に来る。チェキは1-2枚だけ、時には撮らずに帰る。無理なく、ゆるく。無責任に、深入りしすぎない。息抜き程度に追っているからこそ得られる恩恵がある。フットボールでいうとチームの調子がよくて好カードのときだけ年に数試合を観に行くような。投下する時間とお金に対する見返りはそれくらいがいちばん高い。チームや自分自身の状態に関係なく「どんなときでも俺たちがそばにいる」(マリノスのチャントより)というスタンスで目を血走らせながら現場に通っていると、チームの好不調や試合の結果に連動して自分の心身状態が影響を受ける。対象に入れ込み過ぎず、寄り添い過ぎず、無責任に追うのが、精神衛生上は圧倒的に正しい。そもそも趣味にせよ仕事にせよ何かを本気でやることは何かを犠牲にすることでもある。健康的ではない。それを分かった上でなお、自分の人生を削ってても情熱を注ぎたい対象が今の私にとってはミニ・マルコchanでありLiVSである。ことBLUEGOATSに関してはこれからも適度な冷静さを保ちながら付き合っていけそうである。