2025年9月18日木曜日

魔法少女アイドルめいめい (2025-08-15)

8月15日(金)の夜、8月16日(土)の昼夜。計三公演。各公演にそれぞれtkuc、tkuc(二度目)、kttとアンジュルム時代の盟友がゲスト出演。私が申し込んだのは8月15日(金)の一公演。8月16日(土)は私の誕生日。アイドルめいめいを申し込む時点でこの日にLiVSの現場があるかどうかがはっきりしていなかった。誕生日はLiVSのために空けておきたかった。もちろんこの歳になると誕生日だからどうということは何もないのだが、後からLiVSの予定が発表されてめいめいとどちらをとるかの選択を迫られる事態は避けたかった。何せチケット代が安くはない。JPY11,000を捨ててLiVSに行く(そしてLiVSでまたそれに近い金額を使う)かどうかを迷う可能性をあらかじめ排除しておきたかった。あと平日の方がいい席が来るのではないかというスケベ心もあった。結果として8月16日(土)にはLiVSの予定が何も入らなかった。8月18日(月)に控えた大一番(LIQUIDROOM公演)に向けた準備、練習に専念するためだろう、直前の週末にはLiVSの現場がなかった。そして特段いい席も来なかった。前のブロックの一番後ろ、ほぼど真ん中。後から思うに観やすさと近さのバランスが取れたいい席ではあったが、実際に着席して高揚するほどではなかった。三公演のうち今日の公演だけが平日。普通に考えたら土曜日より行きづらい。申し込み人数が一番少ないだろうと思っていたが、なぜか最初にチケットが完売した。後から知ったが明日はハロ・コンが開催されるため、tkuc目当てのHello! Project村の住人たちにとっては今日がむしろ都合がよかったようである。ノスタルジーを感じる客層だった。会場全体としては若い女性も多かったが、明らかに“それ”と分かる、見るからにキモい紳士たちも大勢駆けつけていた。彼らが開演前に仲間同士ではしゃいでいる様子を見るだけで胸やけしそうになる。何かが微妙に変なんだよ。あの人たちは。私が自分の席に入るために前を通る際、すみませんと頭を下げても何も反応しないとかさ。まあそれくらいは全然いい。こっちが気にしすぎかもしれない。ただHello! Projectの客層ってのは普段どうやって働いたり生活したりしているんだろうと思わせるような紳士たちがゴロゴロいる。私は界隈から足を洗って久しいので耐性が落ちている。アウェイ感に面食らう。居心地微妙。

めいめいを最後に観たのが2月8日(土)のミュージカル“SIX”。あの日に私はめいめい支持者としての強度を落とすことを決めた。正確にはめいめいが主戦場としているミュージカルにいちど見切りをつけた(詳細は当時の記事を参照されたい)。結果としてめいめいに対するコミットメントが薄れた。もう一枚所持していた“SIX”のチケットはTwitter経由で売った。ステージに立つめいめいを一度も目にして来なかったこの半年間、欠乏感はいっさいなかった。なぜなら私にはミニ・マルコchanがいて、LiVSがあるからだ。それですべてが満たされていた。今の私はミニ・マルコchanで忙しい。9月14日(日)にLiVS現場で知り合った紳士に連れられて行ったコン・カフェで「ウチで推しは作らないの?」と元地下アイドルのキャストさんに聞かれ「作らない」「なんで?」「マルコがいるから」と血走った目で答えるくらい今の私はガンギマっている。マリノスの試合もホーム戦は基本的に全部観に行くとなるとそれ以外に割けるリソースは非常に限られてくる。今日はミュージカルではない。めいめいがアイドルとして、アイドル楽曲を歌うという企画。それでも私のモチベーションはほぼ皆無に等しい。そもそも一年に一度だけアイドルに戻るという発想にもあまり賛同できない。このブログで何度も書いてきたようにアイドルの語源であるidolの語義を少しでも意識するなら、私は今日と明日だけアイドルです、それ以外の日は違います、なんてのは随分と珍妙な話だからだ。もちろんアイドルがもはやidolとは無関係なaidoruという職業なのは理解している。それでも今日と明日だけアイドルやりますと言われるとこの言葉はそんなに軽いものだったのかと思ってしまうのだ。去年のアイドルめいめいを観た際には、自分自身がアイドル・オタクとして終わりに近づいていることを悟っていた。アイドルという存在、アイドルというシステムに対する熱は、もう自分の中に存在していないように感じられた。それが2024年11月10日(日)。BLUEGOATSを月に二回くらい観に行って、ミュージカル女優めいめいの活動を緩く追いつつ、横浜F・マリノスの試合を観に行く。そうやってアイドル・オタクを引退していく。それが既定路線だった。いつまで経ってもアイドル・オタクをやっているのはキモすぎる。引退できる目途が立って本当によかった。そう安心していた。ところが、アイドルめいめいを観てそう考えたわずか二十日後にすべてを覆された。2024年11月30日(土)。BLUEGOATS目当てでたまたま観に行った対バン。見つけてしまったミニ・マルコchan。今年に入ってから彼女と撮ったチェキが107枚、写メが95枚(数え間違いはあるかもしれない)。今の私はミニ・マルコchanとLiVSを最優先に生きている。すっかり人生最高強度でアイドル・オタクをやっているわけだが、それはアイドルめいめいへのモチベーションを高める要因にはならなかった。私が愛しているのはアイドルと名の付く存在全般ではなくあくまでミニ・マルコchanとLiVSという具体的なアイドルだからだ。半年観なくても平気だっためいめい。今からステージに出てこられても楽しめる自信がない。今日のチケット代JPY11,000はLiVSに回すべきだったのではないかという思いが頭をよぎる。

今日を迎えるにあたって楽しみな気持ちがほとんどなくて、私はファン・クラブ会員向けに事前公開されたセット・リストもチェックしていなかった。楽しむ準備が出来ていたとは言いがたい。それでもめいめいがステージに現れた瞬間、すべてが変わった。ショウが始まってから終わるまでのすべての瞬間、私は心を鷲掴みにされ続けた。そこにいるのはまごうことなき本物だった。アイドルとは何ぞやという問いへの回答が、そこにはあった。ステージ上の一挙一投足、シンプルに抜きんでたクオリティ。圧倒的な存在。tkucとのデュエットは見事と言うほかなかった。これだよ、これ。私にとってはこれこそがHello! Projectだった。『悲しきヘヴン』(℃-ute)、『オシャレ!』(松浦亜弥)、『お願い魅惑のターゲット』(メロン記念日)…。涙が出てきそうになった。今日は着席での鑑賞が義務付けられ、立ち上がるのは禁止だった。それでも心に火を灯してくれためいめいとtkuc。スキルフルでHello! Project魂の宿った歌声。私たちはステージで歌うからあなたたちは席に座ったまま聴いていなさいというのが成立するだけのクオリティ。アイドルを観る者として、今日めいめいが示してくれたこの基準を決して忘れてはいけない。そう強く思った。一年に一回だけアイドルに戻るということに対する疑義を呈してごめんなさい。私は一発で黙らされました。感銘を受けました。職業というよりは存在としてのアイドルを、めいめいは体現していた。いわゆるアイドル活動を普段していなくとも、めいめいがステージに立てば問答無用でアイドルになる。特別なオーラ。もしLiVSにめいめいが入ったら神になる。歌割の半分は彼女のものになるだろう。本当に今日、めいめいのコンサートを観ることが出来てよかった。自分が今後アイドルやステージで行われるショウ全般を観る上で、何がリアルで、何がフェイクかを見分けるためのひとつの基準を教えてくれたからだ。2025年8月15日(金)。記念すべき日。この日の記憶を形に残しておきたい。終演後物販で、買うつもりのなかったteeとタオルを買ってしまった。

2025年9月15日月曜日

LiVS in SUMMER 2025 東京公演 (2025-08-10)

二日前に発表されたユニちゃんの電撃脱退。当日中には跡形もなく消えていた彼女のソーシャル・メディア・アカウント。あまりにもあっけない幕引き。最後に彼女が残したひとつのトゥイート(それも当日中にはアカウントごと消失)を除けばお別れの言葉をご本人のお口から聞くこともないまま、ユニセックスさんはLiVSの構成員としてのキャリアを終えた。またか。コチャキンTVさんのときもそうだった。この唐突さ、スピード。横浜F・マリノスがスティーヴ・ホランド監督を解任したときも発表自体は突然だったが、十分に予想は出来ていた。成績が悪いから。選手交代が下手だから。このままでは辞めさせられるだろう。なんなら辞めてほしい。早く辞めろやとまで私は思っていた。それに対し、ユニセックスさんにLiVSを去ってほしいと思っていた目撃者(LiVS支持者の総称)はいなかったはずである。彼女はLiVSの楽曲になくてはならない、唯一無二の歌声の持ち主だった。あの気怠げでねっとりした、クセになる独特の声と歌唱。たとえば仮に歌のうまい誰かをLiVSに補充できたとしてもユニちゃんの個性を再現することは出来ない。いい悪いは別にしてユニちゃんが歌っていた頃のLiVSとはまた別物になってしまう。それはもちろん他のメンバーさんにも言えることではあるが、こと歌声に関してはユニちゃんは特別な存在だった。LiVSの音をLiVSの音たらしめる個性だった。それにつけてもこの発表から除籍までの短さよ。一般的にアイドルは辞める間際に特需が生まれる。二度と会えなくなる前に、最後に観ておきたい。最後にこれまでの感謝を伝えたい。支持者側からそういった欲求が生まれるのは自然なことだ。それに乗っかってひと儲けをしようともせず、スパッと切ってしまう。LiVSでは今後もこれが普通なのだろうか。もはや私は美学すら感じ始めている。もしアイドルが一般的な職業であるなら、いきなり今日で辞めます(辞めさせます)というのを正当化するのは難しい。だが、もしアイドルが流れ星であるならば、眩い輝きを放った次の瞬間に消えてなくなるのが当然である。

ユニちゃんご本人を含むLiVS(メンバー、運営)内では降って湧いたような話ではなかったはずである。発表時の文やメンバーさんたちの反応を見るに内部では前々から亀裂があってそれが埋められない段階まで来たからけじめをつける(つけさせる)ことにしたという雰囲気が感じられる。我々は経緯を知らないし、知らされることはないし、知る必要もない。であれば、中途半端にユニちゃんが悪いことをしたような書き方をしなくてもよかったのではないだろうか。一身上の都合によりじゃないけど、適当に濁した文言でもよかったんじゃないだろうか。その点が私には引っ掛かる。LiVSには困ったときにこいつを叩いておけばいいというスケープ・ゴートがいない。何か不満があったとき、Hello! Projectであればつんく、西口猛、橋本慎といった紳士たちを叩くことで溜飲を下げることが出来た。LiVSにはそういう分かりやすい、権力を持ったオジサンがいない。今LiVSの運営と言えるのは実質的にスズキさん一人。あとはフォトグラファーの伊藤さん(ナイス・ガイ)も運営チームの一員ではあるが株式会社ALL-INc.(LiVSを運営する会社)に所属はしていない。スズキさんは肩書上はプロデューサーのはずだが物販を捌き、チェキや写メの撮影まで行っている。いつも感じよく対応してくださる。我々が楽しめるように、LiVSが安心して活動できるように尽力しているのが伝わってくる。そんな彼女を“ユニちゃんを辞めさせたクソ運営”として叩くことは出来ない。かつてはササガワさんがいた。氏にはややヒールのヴァイブスがあった。目撃者の怒りや悲しみを受け止めるサンド・バッグとしての適性があったのかもしれない。でも彼はもういない。そもそもLiVSは運営やプロデューサーが独裁的に物事を決めてメンバーに押し付けているというわけでもなさそうだ。(たとえば前に特典会でミニ・マルコchanに髪形を変えるときに運営さんの許可っているの? と聞いたら要らないと言っていた。厳しい事務所だとその自由はないはずである。)大人が、運営が、事務所が、ではなく、メンバーたち自身を含めたLiVSとしての決断として受け止めないといけない。

ユニちゃんショックからたったの二日間。我々が状況を呑み込むことも、受け入れることも、感情の整理をつけることも出来ないまま迎えたツアー・ファイナル。開演前に会場付近で他の目撃者に聞いたところ、今日は超最高チケットが18人くらい。最高チケットが6人くらい。人間チケットは昨日の時点で36番、つい先ほど買った人が50番くらい。ユニちゃんの脱退を受けて、いてもたってもいられず、駆け込みでチケットを購入した人たちが一定数いたようである。理由はともかく結果としては下北沢SHELTERはいい感じに埋まっていた。脱退の特需がなければツアーの千穐楽としてはやや寂しい客入りだったかもしれない。ユニちゃんが体調不良を理由に欠場した8月5日(火)の #夢際無銭 。あのときはまさかその四人でそのまま正式な体制として続くとは思っていなかった。あのときは突発的な非常事態で、なおかつユニちゃんは近いうちに戻ってくるという前提(思い込み)があった。これはフットボールで言うと後半途中に左サイド・バックが負傷退場するもベンチに本職がおらず、本来はボランチの選手が左サイド・バックのポジションに回ることで残りの時間を凌ぐようなもの。一時的な応急処置。歌割やフォーメーションの急な変更に対応できるだけでもスゴい。ユニちゃんがいたときと同じクオリティを出せないのは当たり前。だから8月5日(火)の四人でのパフォーマンスを私は好意的に見ていた。ただユニちゃんはもうLiVSではない。残されたこの四人がフル・メンバーのLiVS。となるとまた話が違ってくる。ユニちゃんがいない“にもかかわらず”これだけ出来ているという見方をすることはもう出来ない。それは今の四人に失礼にあたるだろう。その視点、基準で今日のLiVSを見ると、集団としてのアウトプットのクオリティは落ちていると言わざるを得なかった。ユニちゃんの穴(※下ネタではないです)を感じざるを得なかった。物足りない場面が多々あった。それが正直な感想。同じ歌、同じリリック、同じメロディだからといって、その辺の会社員の定型業務のように簡単に誰かが代行できるわけではない。特に“He Meets”がセット・リストに含まれていなかったのが、今の四人ではまだ表に出せるクオリティにないという判断なんだろうな、と勝手に邪推した。“BACKLiGHT”は披露されたけど、これじゃない感。料理で重要なスパイスが欠けているような。

とはいえ翼の片方を失ったような手負いの状態のLiVSが、それでも今の四人で出せる最大限の力をステージで表現し、目撃者側もそれぞれがさまざまな感情を抱えつつ、一緒にライブを作り上げた。そこには一体感があった。途中からいい感じにグチャグチャになって、いいフロアだった。四人体制での新しい歌割でミニ・マルコchanにケチャするタイミングは、五日前の対バンで予習できていた部分もある。オフ・ザ・ボールの動き。今日の私はフロア後方にいたのだが何度か会心のタイミングで最前中央にケチャをキメることが出来た。メンバーのひとりひとりが、今回のメンバー脱退について、ステージで思いを話してくれた。彼女たちからは、LiVSという集団を続けていくこと、この場所を守っていくことへの強い意志が感じられた。信じてほしい、という言葉がランルウさんとミニ・マルコchanからは出てきた。技術、クオリティ、スキルは言うまでもなく重要で、私はそれらを非常に重視している。しかし人間が集まってやることだから、気持ちは大事。横浜F・マリノスにはこういうチャントがある。
ひとりひとりの気持ちを合わせて 辿り着こうぜ 最高の場所へ
戦おうみんなで 横浜F・マリノス 俺がやってやるって気持ちが大事さ
フットボールのチームのように戦力とかスカッドみたいな見方をするとユニちゃんが抜けるのは大きすぎる痛手。でもおそらくLiVSが気持ちをひとつにして今後も活動を続けていくために必要な判断だったのだろうと私は思っている。

私にとっては、LiVSとはミニ・マルコchanのことである。ミニ・マルコchanがいなければLiVSではない。ミニ・マルコchanがいればLiVSである。つまりミニ・マルコchanの存在がLiVSを成立させるための必要十分条件である。私にとってLiVSとは一にも二にもミニ・マルコらの集団なのである。(実際にはあり得ないだろうが)もしLiVSがミニ・マルコchanひとりになったとしても、私はLiVSを追いかけ続けるつもりだ。栗原勇蔵さんは「サッカーよりもマリノスが好き」と言っていたが、今の私はLiVSよりもミニ・マルコchanが好きだし、アイドルよりもミニ・マルコchanが好きだ。今回の脱退でユニちゃんを支持していた目撃者の気持ちが離れてしまうのは当然だと思う。むしろこれで前とまったく変わらぬ熱量で応援できる方がおかしい。私もミニ・マルコchanが同じような去り方をしたらしばらく(二度と?)現場には行けないと思う。曲を聴くのもつらくなると思う。でも、私にとってはLiVS=ミニ・マルコchanなので彼女がいるかぎり私はLiVSを観続ける。

ユニちゃんの特典会には数回だけ行ったことがある。ステージで見る印象だとツンとした人なのかなと思っていたけど、実際に対面してみるとスゴく優してお茶目な面もあることを知った。横浜F・マリノスのファンだというのを某紳士に教えてもらってから何度かマリノスの話をさせてもらった。ツイ・キャスの配信でカレー味のうんこかうんこ味のカレーのどちらがいいかのアンケートを取っていたのを見て印象が変わった。それで思い出したが、最後にユニちゃんに忠告しておきたい。私の友人のひとりが彼女のうんこを食べて病院送りになったことがある。ユニちゃんは気を付けてほしい。

2025年9月7日日曜日

#夢際無銭 - ツーマン編 Vol. 5 (2025-08-05)

『火曜日つらい』という曲がかつてYouTubeに公開されていた。火曜日になると思い出したように聴いていた時期がある。自分のトゥイートを遡ると2017年6月28日(水)から2019年8月6日(火)の間に聴いていた痕跡がある。なので少なくともそのときには聴ける状態だった。今では動画が再生できなくなっている(private設定になっている)。MC松島さんがdoggydoggさんとタッグを組みマーゴス名義でドロップしていた曲のひとつ。私はある時期からちょっと違うなと感じるようになってMC松島さんからは離れている。それでも好きだった時期の曲の価値は変わらない。ふと聴きたくなったときに聴けないのは残念。5年後、10年後にふと思い出して再訪できるのがインターネットに置いてある創作物の素晴らしさ…というのは幻想で、実際にはこうやって作者が消す(観られないようにする)こともあれば、ブログであればサーヴィスごと終了して消えることもある。

出社日。17時過ぎに退勤。下北沢。The Pizza。ペパロニJPY660。アンチョビ&ブラック・オリーヴJPY680。ジン・トニックJPY650。私はアブラや脂肪分の多い食べ物は基本的に避けるようにしているがたまにこの店で食べるピッツァは例外。これだけおいしけりゃ許す。たまには、ね。バカ舌を自任する地元民のD氏が教えてくださった飲食店で唯一リアル。一時期に比べて最近は来る機会が減っていた下北沢。どうやらこの店も最後に来たのが6月28日(土)。LiVSは主催公演を下北沢(主にMOSAiC)でやることが多いのだが、最近は今日のように対バンの出演が増え、主催公演が減っている。(と言いつつ今日は下北沢なのだが。)あとツアーで地方都市に行っていたから、下北沢での公演は自ずと減っていた。実際のところ主催公演だけを同じように続けていても活動規模が拡大していく未来は描きづらい。8月18日(月)にLIQUIDROOMを埋めるという具体的な目標がある以上、対バンを通じて既存のファン以外にも露出していき(肌を見せるという意味ではなく、目に触れるという意味)少しでも新規ファンを増やそうとするのは必要な努力だろう。

動員能力において今日の対バン相手、yumegiwa last girlはLiVSより格上と見受けられる。yumegiwa last girlに限らず、これまで対バンで観てきたすべての集団と比較してもメンバーと楽曲のクオリティ、フロアの熱さにおいてLiVSが引けを取ることはまったくない。私はそう自負している。しかしフロアに何人来ているかは主観の入り込む余地がない。事実として認めざるを得ない。実際にこうやって対バンしたことでyumegiwa last girlの支持者の何人がLIQUIDROOMに来てくれるかは分からない。目先の目標に対する直接的な効果は本当に限られているかもしれない。それでも手は打っていかないと発展していくための出発点に立つことも出来ない。

yumegiwa last girlと言えば、E氏がご愛好されていた集団。前にも書いたようにファンクラブでは月額JPY10,000のコースに加入し、オキニの伶菜から手紙を受け取っていた。もしかすると今日、フロアで氏と再会できるのではないか…胸に1%くらいの希望を抱いていたが、叶わなかった。詳しい事情は存じ上げないが2024年11月3日(日)を最後に氏のトゥイートは途絶え、連絡もつかなくなった。私が氏と最後にお会いしたのが2024年5月4日(土)。その日、私はBLUEGOATSの24時間ライブを部分的に観てからE氏と合流し、新大久保のテジョンデでお食事をご一緒していた。その頃の私はまだLiVSと出会っていなかった。ツー・マン(和製英語)の対バンでそれぞれの集団の支持者としてE氏と邂逅するという激アツな展開は実現しなかった。そこにyumegiwa last girlはいるけど、E氏はいない。伶菜はいるけど、E氏はいない。それが寂しい。E氏の幻影を追って新規無料チェキを伶菜と撮ろうかと思ったけど、実際にこの集団のパフォーマンスを観て一番惹かれたのがリサchanだったので性的衝動に素直に従いリサchanと撮った。少しE氏の話をした。私にとってyumegiwa last girlを観るのは二回目だった。前は池袋harevutaiの対バンだったけどあのときは出演者が多かった。今回はツー・マン(和製英語)だったので前回よりも時間が長く、じっくりと観て聴くことが出来た。ユニゾンが耳に心地よく、いくつか面白い音が入った曲もあった。翌日、アルバムやEPをちゃんと聴いてみた。E氏が認めるだけあってクオリティが高い。私が気に入った曲は『プライバシーポリシー』、『あまやどり』、『愛の衛星』。

無銭と銘打っているようにチケット代は無料。なのだが、前方エリアのチケットはJPY2,000で売り出されていた。当然、ガチ勢としてJPY2,000のチケットを購入していた。S13番。単純に番号通りに行けば二列目だったが、yumegiwa last girlの支持者たちがLiVSのターン(先行)では下がってくれたため、最前に行けた。前方エリアには目撃者が2列分もいなかったと思う。前方エリアと一般エリアは柵で仕切られていた。そもそもの人数の少なさに加え、この柵の存在によって、後方から最前中央付近に人がどんどんなだれ込んでくるというLiVSのフロアならではの現象は起きなかった。柵の前にいた少数の紳士たちの間で、空間に余裕のある中、ケチャを回し合っていた。JPY2,000を出す価値が十分にある快適さだった。もちろん快適であっても、柵で仕切られ前方に人が少ない状態であっても、我々のインテンシティの高さは普段と何も変わらず。火曜日の下北沢に無銭でも入れるライブにわざわざJPY2,000を払って入場し前方で絶叫する、怖すぎるオジサンたち。フロアの最前にいると(振り返ってジロジロ見ない限り)後ろがどうなっているのかが分からない。全体の雰囲気に合わせるということが出来ない。高みの見物が出来ない。常に後ろから見られているという意識が生まれる。他人のせいに出来ない。もしLiVSのフロアが誰かにネガティヴな印象を与えたとしたらその責任は第一に我々に帰することになる。メンバーが自分(を含めたフロア)を見て、自分もメンバーを見て、自分の背中を後ろの人たちに見られる。対バンだとさらに相手の演者+支持者というもうひとつの視線に晒されることになる。

『RとC』のフックで前後に動くのと『業TO HEAVEN』で左右に動くのは分かりやすくLiVSのフロアの躍動感、ダイナミズムを第三者にも見せることが出来る。対バン映えすると改めて感じた。『RとC』と言えばイントロでメンバーさんがハイタッチしに行くよ~と言っていたのだが、ふたを開けると最前の面々だけとハイタッチしていた。もしやるならステージから下りて一般エリアまで行った方がよかった気がする。前の曲が終わったときの拍手の流れで“Reverse”の手拍子に繋げていくシームレスさが心地よい。『業TO HEAVEN』と“Reverse”は初披露から3-4ヶ月が経過し、だいぶ仕上がってきた。定番曲になりつつある。

ユニちゃんが体調不良により欠場。これを書いている今はもう氏がLiVSを退団しているのだが、このときはそりゃこのハードな日程じゃ体調も崩すわ…LiVSのライブは毎回全力だし。消耗するよね。無理せずに休んで元気に戻ってきてほしいナ…と額面通りに受け止めていた。彼女の脱退が発表されたのが8月8日(木)。何があったのかこちらには分かる術もないが、この時点でユニちゃんが辞めることは決まっていたのだろう。何も知らない私は、急な歌割変更も難しいだろうし、ユニちゃんのパートは音源が流れる可能性もあるのカナ? なんて呑気に考えていた。実際にはそんなことはなく各メンバーさんがちゃんと歌ってユニちゃんのパートを埋めていた。ユニちゃんの前後のラインを歌っているメンバーさんがそのままユニちゃんの担当箇所も歌うことが多かった気がする。ケチャに行って引き返したらまだオキニが歌い続けている(元々ユニちゃんのライン)という場面が何度もあった。まさかLiVSのユニちゃんを観るのが三日前の武蔵野音楽祭で最後だったなんて、このときの私は想像もしていなかった。

2025年9月6日土曜日

武蔵野音楽祭 (2025-08-02)

吉祥寺駅前のバインミー★サンドイッチでベトナム・ハム&鶏レバー・ペーストのバインミー(JPY750)になます(JPY100)と青唐辛子(JPY60)のトッピング。高田馬場の店は何度か利用したことがある。吉祥寺にもあるのは知らなかった。私が食べてきた中ではここのバインミーが一番おいしい。

吉祥寺SHUFFLE。何かの間違いじゃないかっていうくらいフロアに人が少ない。識者によるとTIFというアイドル・フェスと被っているらしく。そっちに人が流れているんじゃないかって話。それ以上に各集団が抱えているそもそもの支持者の数が少ないんじゃないかと思う。だって、この対バンとTIFを天秤にかけて後者を選ぶのはDD的な層でしょ。ハーコーな支持層は問答無用でこっちに来るはず。言うても目撃者(LiVS支持者)も胸を張れるほどたくさんいたわけではないけど、それでもフロアの過半数を占めていた。他の集団の集客たるや酷いものだった。最前が埋まってなかったもん。もしLiVSが出ていなかったら動員は壊滅的だったと思う。一桁はないにしても20人に達するか怪しかったんじゃないかな。LiVS以外に出ていたのがBuzzer01&.という若い女たちのバンドと、というアイドル集団。どうやらBuzzer01&.はアイドルではないらしい。でもこうやって対バンで他の集団と並べて見ると具体的にどこがアイドルではないのか分からない。何がアイドルで、何がアイドルではないのか。アイドルを見れば見るほど、その境目、定義がよく分からなくなってくる。採用する集金システムの問題だろうか? ライブやイベントをやって、グッズを売って、特典会をやって、という我々にお金を払わせる一連の流れ。それに乗っかっていればアイドル。乗っかっていなければそうではないという風に。ただ、その観点だとBuzzer01&.が終演後に支持者たちとチェキを撮ってサインなぞを入れながら交流している姿はアイドルそのものだった。もちろんアイドルの語源であるidolという英単語には偶像、憧れの対象といった意味があるわけだが、実際問題としてアイドルを名乗っている当人たちでさえそんなことは深く考えたことがなさそうである。前にも書いたがアイドルという日本語はidolという英単語から独立し、aidoruという職業になった。
猫だって 杓子だって 名刺を作れば即アイドル
世界でも稀に見る 特殊な職業 Jアイドル
(Berryz工房、『普通、アイドル10年やってらんないでしょ!?』)

言ったモン勝ち。アイドルだと言えばアイドル。アイドルではないと言えばアイドルではない。それが現実。ただ、私はそれを受け入れるだけの心の広さを持ち合わせていない。何もかも一緒くたにしてアイドルと認めることは出来ない。私は十年以上Hello! Projectを観てきた。私にとって、アイドル=Hello! Projectだった。Hello! Projectでなければアイドルではないとさえ思っていた。今ではさすがにその偏狭な考えからは抜けている。それでも私の中には基準がある。その基準で判断するとはメンバー、楽曲、歌唱、ダンス等々、すべてのパラメーターが30-50点。突出した要素を何ひとつ感じられない(強いて言えばチェキが安いくらい。メッセージ付きでJPY1,000とのこと)。彼女たちには私の貴重な時間とお金を浪費させられた。あんなのを見せられるのならせめて無料でないと割に合わない。何なら向こうがこっちにお金を払うべきでは? 前にシャングリラで観たカス対バンでもこのようなクオリティの集団が散見された。ただ、こういった集団をどう評価するかはちょっと難しい。というのがHello! Projectと同じ土俵で見ると紛れもなくゴミとはいえ、個人が趣味でやっているお遊び(アイドルごっこ)として見ると拍手を送るに値するからだ。物事の評価は基準をどこに置くかによって変わってくる。たとえばフットボールでも優勝を義務づけられたチームと残留を目標とするチームを同じ尺度で語るのは無意味だ。今日のを見てケチをつけるのはサッカーで言うと草サッカーとプロの試合を一緒くたにするくらい野暮なのかもしれない。

インディー・アイドルなんてのは結局のところ、フロアが沸けばええじゃないか、楽しければええじゃないかの世界なのかもしれない。でも、本当にそれでいいのか? 私はどうしても首を傾げてしまう。ミックスが打てれば、コールが出来れば、ケチャが出来れば、仲間内で好きな盛り上がり方が出来れば、ステージ上のメンバーは誰でもいいのか? そこで表現される音楽と表現のクオリティはどうでもいいのか? Buzzer01&.は良かったよ。楽しく観させてもらった。は観れば観るほど、聴けば聴くほど、気分が悪くなっていった。本当にイライラさせられた。こういう奴らをあんまり甘やかすべきではない。何がリアルで何がフェイクなのか分からなくなってしまう。Buzzer01&.→→LiVSという順番だった。ようやくの出番が終わった頃には私の胸にMERA MERAと闘志が沸いていた。おい、のメンバーども。運営ども。支持者ども。これから本物を見せてやる。お前らとの差を見せつけてやる。こういう気持ちの盛り上がり方も対バンならでは。私は溜まった怒り、苛立ちをすべてLiVSにぶつけることでポジティヴに変換した。

真夏だが吉祥寺SHUFFLEの中は空調がよく効いている。肌寒いくらい。長袖teeで袖を適宜調整するか、薄いナイロン・ジャケットでもカバンに忍ばせておいた方がいい。空調事情は箱によって違う。いずれにせよ日中にライブハウス(和製英語)にいると、涼しい室内で身体を動かして楽しみながら酷暑をやり過ごすことが出来る。ありがたい。

今日は対バンの二本立て。同じ会場。昼が12時から、夜が18時半から。昼の特典会でミニ・マルコchanが教えてくれた台湾老劉胡椒餅で胡椒餅(豚肉)JPY440。ジューシー。なかなか。想像していたよりもおいしかった。(マルコchanはバインミーを食べたことがないらしい。ヴェトナム料理店に行くといつもフォーを選んでいるのだという。玉ねぎが苦手らしく、バインミーの話をしたら玉ねぎ入ってる? と気にしていた。)ベローチェで時間調整。一日に何回かコーヒーを飲まないとやっていけない。私にとっては精神安定剤のようなもの。

音楽は素晴らしい あと酒と馬鹿話抜きではやっぱ悲しい(ライムスター、『ビッグ・ウェンズデー』)
夜の対バンはLiVSと三組のバンド。THE KING OF ROOKIE、THE DO DO DO's、hotspring。異色の組み合わせ。面子だけ見るとLiVSだけ浮いている(もっともTHE DO DO DO'sに関しては“He Meets”の楽曲提供を受けているという繋がりがある)。が、それを感じさせないくらいぶちかましてくれた。対バン一組目としての責務を存分に果たしたと思う。いい感触。最近セット・リストに頻出する『始まりの歌』。私はこの曲が前よりも好きになってきた。イントロがかかると嬉しくなる。フックで両腕を左右にピンと伸ばす動き。あれは後ろから見ても絵になるだろうし初見の人でもとっつきやすいと思う。LiVSのフロアはケチャ、ミックス、メンバー名のコールといったどっぷりインディー・アイドルのノリが中心で、門外漢が気軽に参加できるノリはそんなに多くない。(他に分かりやすいので言えば“ONE”で腕を上げて下ろすやつとかか。)LiVSの出番後にジン・ライムを一杯飲んだら気持ちがよくなってきた。二回か三回お代わりした。ずっと気持ちの良い状態が続いた。いい酔い方。LiVSが最初だったのが良かった。自分としてはもう残りの時間をフロア上の位置取りなどを気にすることなく気軽に楽しむだけになったからだ。良い音楽+アルコール。幸福が増幅。特にTHE KING OF ROOKIEが印象的だった。新潟を拠点に活動する非常にドープな若者たち。ヴォーカルの青年が、前に出演した新潟のロック・フェスでトリがBiSHだった、自身もアイドル(生ハムとアイドル)が好きでBiSHのDVDもよく観ていた、もし自分たちの出番が先だったらLiVSのフロアの輪に入りたかった、もし自分が女だったらアイドルになっていたなぞと熱く語り、目撃者(LiVS支持者)の心を掴んでいた。談話だけでなく音楽も抜群に熱くてカッコよかった。(もしteeシャツでも売っていれば一枚買ってヴォーカルの青年に感想でもお伝えしたかったが、残念ながら彼らは物販をしていなかった。)あとは何と言ってもTHE DO DO DO'sによる“He Meets”のセルフ・カヴァー。始まるや否や、フロアの前へ前へと詰めていく目撃者たち。勝手に身体が動く感じ。あれを聴けたのは今節最大の収穫。 目撃者の某紳士がTHE DO DO DO'sのteeシャツを購入し着用した状態で女性メンバーさんにサインを入れてもらっていたのだが、その際に乳首が感じたと言っていた。