声量の不足した猫撫で声で『♡桃色片想い♡』を歌う何やらキモい集団の動画がTwitterで拡散され、Hello! Project支持者たちに袋叩きにされていた。テレヴィジョンの企画でカヴァーしていたらしい。番組の放送後には当該集団のメンバーさんが曲名を間違えてTwitterに投稿するという愚かな間違いを犯し、火に油を注いでいた。私も長らくHello! Projectという閉鎖的な村に住んでいたため外部の情報に疎かったのだが、どうやら人気のある集団らしい。たしかに私でも名前は聞いたことがあった。私にはちょっとした衝撃だった。アイドルとカテゴライズされる集団が数えきれないくらい乱立する中で売上、知名度、人気においておそらく相当な上澄みに属するであろう集団がステージで出すアウトプットがあれなのか。あれでいいのか。たまたま今回のが事故だったのか。もちろん私が目にしたのは彼女たちのごくごく断片的な一部分にすぎない。あれだけを材料に彼女たちを判断するのはフェアではない。しかし、考えてしまう。あれが「成功している」アイドルだとすると、あれが「売れる」ための基準だとすると、果たして「売れる」ことに意味などあるのだろうか? これが世に求められる「アイドル」だとすると、世に受けることにそこまでの価値はあるのだろうか?
私が人生で最も影響を受け、入れ込んできた音楽は日米のインディーズ・ヒップホップである。このジャンルに生息するアーティストたちは独特の誇りを持っていた。彼らは商業的な成功とヒップホップとしてのリアルさをまったく別物として捉えていた。セルアウトという言葉がある。これはメジャーのアーティストや、インディーからメジャーに転向するアーティストたちへの悪罵である。金に魂を売り渡した奴ら、という程度の意味である。お金のために作風を売れ線(=ポップ)に寄せるなどして自分を曲げること(人)という含意もある。そんなことをする奴らは最大限の言葉でディスられるのが普通だった。インディーにはインディーの誇りがあるのであって、決してメジャーの下の存在ではない。たとえばBinary Starに“Indy 500 (feat. Decompoze)”というインディー賛歌がある。(これは私が勝手に思っているだけで合っているかは分からないが、そもそも音楽で売れること自体がほぼ不可能になってきてからセルアウトという言葉も下火になった印象がある。)
メジャーなんて目じゃねえ 要点はリアル・ヒップホップが俺の条件
表面より当然内面を表現 意地でもイージーな路線は通れん
(ラッパ我リヤ、『邦楽界』)
LiVSには売れてほしい。最近、LiVSの支持者とそういうことを話し合うことがある。そりゃ応援している集団なんだから売れてほしい。だって、売れるっていいことじゃん。売れてほしくないと言う人はいないと思う。目撃者(LiVS支持者)の輪が広がって、もっと多くの人がLiVSの音楽に夢中になって、LiVSのメンバーさんたちのことを好きになって、もっと大きな会場でやれるようになったら素敵やん。絶対その方がメンバーさんも嬉しいやん。きっと彼女たちの給料も増えるやん(今いくら貰っているのか知らないけど。特典会の歩合はなく固定給だと有識者から聞いている)。遠征の度に彼女たちは新幹線で移動して、毎日ホテルに泊まれるやん。きっと衣装も増えるやん。コンサートの演出も豪華になるやん。でもその一方で私はこの言葉を使う度にちょっとモヤッとする。売れるって何なのだろうか? 我々がLiVSに売れてほしい、もしくはLiVS自身(運営さんを含め)が売れたいというときに、それは具体的に何がどうなることを指しているのだろうか? 何が達成できたら成功なんだろうか? そして、仮に「売れる」ことが成功で、今が「売れていない」状態だとすると、今は何なのだろうか? 失敗なのだろうか?
前からずっと思っていることなのだが、アイドル個人の選択として見た場合、「売れる」ための最善の手は大きな事務所に入ることである。実際のところ、九割方(もっと?)これで決まってしまうのではないだろうか? たとえばモーニング娘。に加入して活動を続けていればいずれ満員の日本武道館には確実に立てることが保証されている(私はHello! Projectのことしか知らないので他の陣営でたとえることが出来ない)。それは既にモーニング娘。がそれだけのファン・ベースを抱えているからだ。しかしそのまったく同じ人物がインディー集団に加入したら日本武道館に果たして立てるかどうか。いばらの道である。これはたとえば会社員の給料が業界と職種である程度決まってしまうのに似ている。
定期公演に特有の心地よさ。大体いつも25-30名程度の集客。空き過ぎず、混み過ぎない。多少は面子が変われど「大体 毎回 いつも同じメンバーと再会」(RIZE, “Why I'm Me”)状態のフロア。フロアとステージの間に信頼があるから、毎回メンバーさんステージからフロアに下りてくることが出来る。これは当たり前のことではない。アットホーム(和製英語)な雰囲気。「LiVSには売れてほしいと思いますけど、この心地良さが崩れてしまうのもイヤなんですよね」。「あー、分かります。僕も最初来たときはもっとパンパンになるのかと思ったんですけど、これくらいがちょうどいいですよね」。「でも売れないと彼女たちが(活動を)続けられないよ」。続けられないよ。その言葉が私の頭にこびりついて離れなかった。
「売れ」ようが「売れ」まいが、この奇跡のように幸せな空間、幸せな時間は、永遠に続かない。本当に何の予告もなく、二度とLiVSには会えなくなるかもしれない。彼女たちがステージで放つ眩い輝きは、いつ終わるか分からない。そう思いながら公演を観ていると切なくなって、胸を締め付けられる。明日のことは分からない。ひとつ言えるのは、LiVSと目撃者が共有している今この瞬間、それだけには嘘がない。私はその瞬間のひとつひとつを大切に噛みしめて、ひとつでも多く積み重ねたい。今日はとにかくLiVS全員から気持ちを感じた。ステージから伝わってくるものがあった。特にランルウさんの目つき、表情、動きの一つ一つに鬼気迫るものを感じた。全身全霊という言葉を体現しているかのよう。彼女は、彼女たちは、ここに懸けている。LiVSに懸けている。この一公演に懸けている。この一曲に懸けている。この一瞬に懸けている。人生すべてを懸けている。その姿に、私は心を打たれる。