2025年8月16日土曜日

Let's Meet LiVS (2025-07-24)

7月24日(木)の記事を書いている今が8月16日(土)なのだが、この間に触れないわけにはいかない展開があった。8月8日(木)15時1分。LiVSの公式TwitterアカウントにてユニセックスさんのLiVS脱退が発表された。寝耳に水。8月18日(月)の大切なコンサートを間近に控えてこんなことが決定されるとは想像してもみず。例によって当日付。翌日には消えていたユニセックスさんのソーシャル・メディア・アカウント。今では私の気持ちと志向の整理はある程度ついている。ここで多くを語るのは止めておく。これはあくまで7月24日(木)の記事である。…と言いながらもこの日の公演そのものについて書くことがほとんどない。定期公演の内容がそう毎回大きく変わるものではない(それが定期公演の良さである)し、現場の数が多すぎて覚えていないし、備忘録もほとんど残っていない。というわけで、最近思っていることをまとまりなく書いてみることにする。


一週間空くだけでちょっとそわそわする身体になっている。離脱症状。フジ・テレビ系『武道館』(2016年)でJuice=Juiceが演じるアイドル集団、NEXT YOUに支持者たちがはまっている状態をネクス中毒とポップに称していたが、そろそろ私はLiVSに対してマジモンの中毒、依存症になっているのかもしれない。それでも19日(土)の大阪公演、19日(日)の名古屋公演は回避するだけの理性はまだ持ち合わせている。20日(日)には明治安田J1リーグ降格の瀬戸際に立つ横浜F・マリノスの試合を観に行かなければいけなかった。そもそもフットボールと日程が被っているか否かに関係なく、東京近郊だけで月に10公演以上ある。それらに可能なかぎり行くだけで相当ハード。既に経済的にも体力的にも限界。普段の現場頻度が月に2-3回だったら一箇所は遠征に行こうと考えていただろう。でも今の現場頻度で、なおかつ遠征を繰り返すのは無理がある。私は今年に入ってから既に二度、LiVSを観るために名古屋に行っている。いくら独身でまあまあ高収入とはいえ本当にお金がなくなる。7月17日(木)の次が24日(木)。これでちょっと休める。スケジュール帳を見てホッとする。と思いきや、先週の定期公演から帰宅してすぐにまたマルコchanに会いたくなっていた。寂しかった。『あなたなしでは生きてゆけない』(Berryz工房)。今日で11週間連続。同じ時間。同じ場所。五月から七月にかけて12週連続で開催される定期公演。来週も行けば全通。チケットが販売開始された時点でほぼ全日程分を買っていた。最初から全部行くつもりではあったけど、実際にそれが目前に迫ってくるとよくここまで毎週来られたなと思う。日常の中にLiVSがあること。毎週こうやって最高の時間を過ごせること。私にとってそれはどんな生活よりも贅沢である。


十代から二十歳前後で子どもを産んで育てる。四十にもなれば子どもは既に独り立ちをし、自分は一通り役目を終えている。なんならもう孫がいる。上がりの状態。そこからはおまけのような期間。余生。それが生物としての人間本来のあり方ではないだろうか。性欲がいちばん強い時期に繁殖が行われるのが自然なはずである。快楽そのもののために性欲が存在するわけではない。これはもちろん個人の自由とか、職業的な自己実現(特に女性の)とかを完全に切り捨て、人間をあくまで単純に生物として見た場合である。これは人間の自然寿命が38歳であるという説とも符合する。
自然のままの生物としての寿命を「自然寿命」といい、人間の自然寿命は38歳と推定されます。40歳以降は本来ならとっくに死んでいるはずです。[…]ほかの生物たちでは、自然寿命と実際の寿命がほぼ一致します(池田清彦、『40歳からは自由に生きる』)
十代から二十代にかけての人間の若々しさ(性的魅力)、体力、気力は、最良の配偶者を見つけること、子どもをつくること、子どもを育てることのために天から与えられている。容姿や運動能力を含め何かの才能に恵まれた人たちが、その期間限定のリソースを他のことに活かすことで、多くの職業、表現、娯楽は成り立っている。アイドルはその最たるもののひとつである。

そのリソースが存分に残っているからこそ、アイドルはアイドルでいられる。したがってアイドルという存在には時間制限がある。一昔前の日本では25歳を過ぎて未婚の女性を売れ残ったクリスマス・ケーキ(12月25日以降も売れていないケーキになぞらえて)と称する風習があったそうだ。数年前の話だがHello! Projectでは25歳を機に退団するメンバーが多く、この年齢で事務所が肩叩きをしているのではないかという疑念を呼んだ。25歳定年説。それをもじって『25歳永遠説』(Juice=Juice)という曲がドロップされたことがある。生物としての本来の生き方を選ぶ場合、アイドルはどこかでアイドルではなくなる必要がある。それが25歳なのか、もっと前なのか、後なのか、ひとつの答えはない。生物的な理由と、そのときの社会の気分。その両方が関係してくる。一方、アイドルを応援する私たちにはそのような時間制限がない。お金を払う側なので、恥さえ知らなければ何歳になっても続けることが出来る。というより続けることしかできない。依存しているからだ。なぜ依存しているかというと、基本的に我々はアイドルが切り売りしている前述のリソースが枯渇済みであるか、十分に持ち合わせていないからである。アイドルにとって一旦は生物としての道を横に置いて芸能の道に邁進するのはひとつの選択肢だが、我々にはオタクをする以外の選択肢が残されていない。
だが俺にはこれしかない 一回押したものは二度と引かない しがない性分 そこに興奮 覚えてしまったからは当分 行くぜ(ZEEBRA feat. T.A.K THE RHYMEHEAD、『永遠の記憶』)
好きなメンバーさんが脱退してきっぱりとオタクを辞めることが出来る人なんてのはほとんど実在しない。推すのは〇〇chanで最後にしたいとか〇〇chan激単推しとか言っているようなオタクでもその〇〇chanが脱退して数日から数週間も経つと別のコのオタクとして何事もなかったかのように現場に通っている。99.99%のオタクはそうなる。


このブログで再三に渡って書いてきたように、日本におけるアイドルとはミシェル・ウエルベックの言うところの『闘争領域の拡大』で恋愛とセックスと結婚の競争からこぼれ落ちた我々に対する救済と見ることが出来る。私たちはもう引き返せない。使える限りの財力と体力をアイドルの応援に費やし、彼女らに依存し、狂い、そのまま朽ちていくしかない。アイドルはまだ引き返せる。そもそもが我々と違い、彼女たちの多くは生物としての成功(=優れたパートナーを見つけ、子孫を残すこと)をおさめるためのスペックに恵まれている。その気になれば生物としての王道に復帰することが可能である。アイドルに心酔し応援する我々の究極的な願望とは、彼女たちを道連れにすることなのではないだろうか。オタクにとっての幸せとは、アイドルが「一般女性」に戻って強いオスと結ばれて優秀な子どもを産んで育てることではなく、彼女たちを少しでも長くこちらの世界に留めること、(F君の言葉を使わせてもらえば)一緒に地獄に落ちることなのではないだろうか。