2024年12月31日火曜日

FACE THE SOUNDS (2024-12-23)

11月30日(土)の対バンで初めて観て以来、ほぼLiVSしか聴いていない。Spotifyによると私が2024年に最も長く聴いたアーティストであるBLUEGOATS(8,160分)を、この3週間強というもの殆ど聴いていない。由々しき事態である。生で聴いたときにもなんとなくいいなとは思っていたが、じっくり聴いてみると想像以上。まあ言うてもよくある地下アイドルの範疇やろ、BLUEGOATSのクオリティには及ばんやろ程度に高を括っていた。それが見事なまでにはまってしまった。また来てね! とミニ・マルコさんに手を振られたあの瞬間。それを最後にするという選択肢はもうなかった。(なおミニとマルコの間の点はどうやら幅の狭い点が正式なようである。ご本人のTwitterアカウントでの表記がそうなっている。このラップトップではその点を出せない。当ブログでは便宜上、全角の点「・」で表記する。)LiVSのコンサートには新規無料チケットがある。注意書きを読むと対バンで一度観た人も対象になるという。その制度を利用し、12月23日(月)に渋谷wwwxで行われるコンサートの無料チケットをゲトッた。どうやらツアー・ファイナルか何かで大切なコンサートらしい。Livepocketを見ると翌日12月24日(火)にも公演があるが23日(月)のチケットを提示するとメンバーからクリスマス・プレゼントをもらえるとかで、ちょっと内輪感がある。いきなり行くにはちょっと敷居が高い。大きめの会場での大事なコンサートである23日(月)の方に行き、24日(火)はパスすることにした。この年末の時期に二日連続で平日の夕方を空けるのは厳しいしね。

17時半開場、18時半開演。ちょっと厄介なことに月曜は出社日。一度家に帰って着替えたりしたかった。業務的にも落ち着いてはいたので午後休を取得。神保町のマンダラで平日Aランチ・セット JPY1,680。カレーはヌールジャハニ(鶏肉とレバー)を選択。『美味しんぼ』24巻の表紙に映っているのがこの店らしい。店の入り口付近に単行本を飾ってある。帰宅。ちょこざっぷで30分走る。池袋駅構内の大江戸そばでわかめそばとちくわ天 JPY590(だったかな?)。渋谷。新規無料チケットは入場の順番が最後。並んでもしょうがないので、列が落ち着いているであろう頃を見計らって会場へ。並びゼロで中へ。フロアに入る前に物販がある。チェキ券はいま買うんですか? とお姉さんに聞く。曰く、講演後にも販売するけど混むから今買った方がいい。いくらですか? JPY2,000なんですけど、アルバム(JPY3,300)を買うと特典券が3枚付いてきます。チェキは特典券2枚、1枚で握手が出来ます。あー、チェキ券を一枚とかじゃなくて、内容によって組み合わせて使うんですね。そうです。一度の会計でJPY6,000以上で写メ券が付いてくるので、アルバムを2枚買う人が多いですね。JPY6,000も使う気はない。アルバムはフィジカルで1枚持っていてもいいかな。アルバムを1枚購入。PayPayが使える。フロアに入った時点で18時10分くらいだったかな。その時点で後ろ半分は人がまばらだった。前の方に柵がある。VIPチケットを買った人は柵の前に入れるんだろうな。KissBeeでもそうだった。このシステムに私はあんまりいい印象がない。なぜならフロア内にヒエラルキーを作り出し、可視化し、固定化するからだ。高いチケットを買った人が先に入場できる。そのやり方は否定しない。問題は、この柵があるかどうか。文字通りのゲーテッド・コミュニティをフロア内に作り出すかどうか。それがBLUEGOATSとLiVSとの差だろう。BLUEGOATSのフロアでは前にいようと後ろにいようがヒエラルキーを感じることはほとんどない。なぜならBLUEGOATSのノリの中核を占めるのが一緒に歌うことだからだ。歌うことに関して前だったら偉いとか強いとか、そんなことはない。どこにいようと歌うことでBLUEGOATSの一部になれる。平等である。一緒に歌えば繋がれる。それは会場の大きさにも位置にも制約を受けない。可能性は無限大なのである。終演後に近くにいた紳士たちが、あの柵いらなかったよな。途中から蹴っ飛ばしてたよなぞと歓談していた。彼らの精神性に私は希望を見た。LiVS支持者たちも捨てたもんじゃないなって。

LiVSはコンサート中の撮影が静止画、動画ともに自由で、ソーシャル・メディアへのアップロードも奨励されている。YouTubeには有志の方々が撮影した高画質の動画が出回っている。それもおそらく全公演。最初から最後まで観ることが出来る。私は今日までにそれらをいくつか視聴した。それで知ったのだが、どうやらすべての公演ではじめまして、LiVSです! と言っているようである。今日もそうだった。11月30日(土)は対バンだったからはじめましてなのかと思ったらそうではなかった。いつでも初めてのお客さんに見せるつもりで、初心を忘れず、的なことなんだろうか。だとすると立派な心意気である。

最初にこの集団を観たときはとにかくミニ・マルコさんに目を奪われた。ミニ・マルコさんが可愛すぎるぞ以外のことがほとんど考えられなくなっていた。しかしあれから曲を聴き込み、動画を観て、生で観るのが二回目となる今回。見え方が変わった。見えるものが増えた。何といっても、ユニセックスさんのねっとりした歌声。けだるいフロウ。聴いていて心地よい。癖になる。ミニ・マルコさんのスッキリして清涼感のある歌声と、曲の中で引き立て合っている。もちろん他のメンバーさんの個性とも絡み合っている。現時点で私にとって歌が印象的なのがミニ・マルコさんとユニセックスさんである。

そういえば開演前、右後ろをふと見るとBLUEGOATS運営の某氏がいるではないか。思わず声をおかけする。
〇〇さんですよね?

BLUEGOATSの…
あー!
この間の対バンで初めて観て…
マジっすか。僕、曲が大好きでずっと聴いてるんですよ
あー、曲いいっすよね。僕もめっちゃ聴いてます
楽しみましょう!
的なやり取りをした。BLUEGOATSの運営さんも曲を気に入って観に来るLiVS。私の感性は間違っていなかったんだなと思った。

それぞれに異なった魅力のある、洗練された楽曲。その多彩さを、やや一辺倒な地下アイドルノリでヘッズがスポイルしている感は否めない。たとえば“MUSiC”の冒頭。ファイヤータイガーサイバーダイバー、ファイヤータイガーサイバーダイバーなぞと早口で捲し立てるヘッズ。音の隙間を全部埋めないと気が済まないかのように。なんでもかんでもマヨネーズをドバドバかけてグッチャグチャにして食ってるみたいな感覚。もちろん、これはLiVS現場が二回目の、ポッと出の傍観者による戯言に過ぎない。何度も観ていけば私の意見は変わるかもしれない。気を悪くしないでほしい。ただ、このときはこう思っていたという記録として残しておきたい。

途中から気持ちよくなってきた。開演前に飲んだお酒の影響だけではないはずだ。本当に心地よい音楽の空間で。ふわっとした気持ちになった。自分が立っているその持ち場にいなくちゃという精神が薄れて、前の空いているスペースにふらふらと進んでいった。左の人と何度も肩を組んだ。これはLiVSのコンサートではお決まりとなっているのだが、最後に近くの人と手をつなぎ、LiVS側が人間、と言い、サイコー! と全員で叫ぶ。サイコーですか? サイコーですというのに似ている。宗教っぽい。宗教という言葉を使ったのはあながち誇張ではない。こういう集まりって、世俗化した現代社会で、激化した資本主義の競争からの救いを提供するのが、究極的には果たすべき役割だと思う。その中で人と人の繋がりや精神的な健康に寄与する。週末の教会、礼拝の代わりにコンサート、特典会。

20時ちょうどくらいに終演。なかなか始まらない特典会。始まらないな…と普段から来ているらしき人々も口々にぼやいている。20時37分にようやくVIPチケット購入者の全員チェキの案内が始まる。VIPの特典や公演の前に済ませておくべきではと思った。20時39分にメンバーさんがステージに現れ、フロアに下りてくる。そこから全員チェキとか、全員握手とかを経て、最終的に私がミニ・マルコさんに対面したのが21時頃。公演時間が90分、チェキまでの待ち時間が90分。
また来てくれてありがとー
BLUEGOATSのときの…
そうだよね
あの対バン以来、ずっとLiVSの曲を聴いてて、はまっちゃった
えー! 嬉しい
今日BLUEGOATSの運営さんが観に来てたんだけど、知ってる?
え? 知らなかった
そうなんだ。後ろの方にいたよ。その運営さんもLiVSの曲が好きでずっと聴いてるって言ってた
また対バンできるといいね! どの曲が好き?
えー全部好きだけど、“Shall Weeeee Dance???”とか。あの、こういう(この曲独特の動きを少し真似する)
これね(笑)今度やろうね。今日(のコンサートでは)やらなかったから。今ちょっと練習しよ(ステップを踏む)
(うまく出来ない)え、出来ない…
出来ない(笑)
的な感じで、最後は私のポンコツすぎる動きで終わった。初めてお会いしてから一ヶ月近く経つのに覚えてくれていたミニ・マルコさん。

前にF君が、オタクを舐め腐った特典会の運営方法などによるストレスもHello! Projectに必要な要素の一つであるという旨のことをおっしゃっていた。実はその考えは理にかなっている。『ドーパミン中毒』(アンナ・レンブケ)によると人間の脳は苦痛と快楽を同じ場所で処理している。片方が増えるともう一方を増やし、シーソーのようにバランスをとるように出来ている。快楽だけを与えられてもいずれ耐性がついて同じ刺激で得られる喜びが減ってしまう(麻薬などがそうであるように)。適度な(あくまでも適度な)苦痛やストレスがあることで、快楽も感じやすくなる。苦痛と快楽は両輪の関係であり、紙一重でもある。適度な苦痛が脳にもたらすよい影響の例は冷水浴だそうだ。これは同書と、『インターネットポルノ中毒』(ゲーリー・ウィルソン)にも書いてあった。チェキまで長時間待たされることで、いざミニ・マルコさんにお会いできたときの喜びが増大する。それはたしかにあったと思う。感情というのは落差なのだ。喜怒哀楽のすべては切り離せない関係にある。それぞれの感情が引き立て合うのである。キレイな、都合のいい感情だけを切り離してそれだけを味わい続けられるように人間は出来ていない。

2024年12月30日月曜日

Hiromi's Sonicwonder JAPAN TOUR 2024 (2024-12-21)

昨日は食いすぎた。夜に会社の忘年会があると分かっていたのに昼もしっかり食ってしまった。池袋の四季香で回鍋肉定食JPY980。取り放題の副菜セクションで煮卵を二つ。もたれ気味な胃。リカヴァリーのために朝食は食物繊維の多いものを軽く。ローソン・スリーエフ。たっぷり食物繊維が摂れる梅しそごはんおにぎり(国産もち麦入り)。食物繊維8.6g。最近amazonで箱買いしたIFココナッツ・ウォーターを手に、家を出る。新幹線。高い。池袋から名古屋。JPY10,560。行きはバスでもよかった。後から考えるとその方が賢明だった。だが私には昼時に名古屋に着きたい理由があった。気になっていた南インド料理店。マドライ・キッチン。なんとなく栄駅付近だと思っていたが思い違い。駅付近で起動したGoogle Mapによると徒歩49分。名鉄瀬戸線。栄町駅から森下駅。6分。駅から徒歩5分くらいかな。あった。ビリヤニ・プレート JPY1,300。チキン65 JPY1,000。今日のビリヤニは海老。人生で二度目の海鮮ビリヤニ。色んなスパイス。手の込んだ味。でもじゃあ結果としておいしいのかと言われるとなんとも言いがたい。分かる人にはたまらないのかもしれない。私にはピンと来ないタイプのビリヤニ。チキン65は分かりやすく濃い味付けの唐揚げ。こっちはおいしかった。客は女性中心。インド料理店らしからぬお洒落感。駅の周り。これといってなさそうな目ぼしい商業施設。南インド料理店とメンタル・クリニックはある。もしこの町に私が一人で住んだら精神を病むだろうか。きっと病むだろうな。そんな気がする。栄方面行きのプラットフォームから見える景色。眺めながら想像。この前、東京の船堀を歩いていたときにも何かゾワっと来た。自分はここに長く居ちゃいけないという感覚。土地土地に染み付いた何かがある。その何かとの相性が、たぶん人それぞれにある。

セブン・イレブン名古屋栄森の地下街店。チケットを発券。現地で発券することの利点。チケットを忘れるとかなくすとかのリスクがなくなる。生活の知恵。受け取ったチケットを確認。なんと、二列! 東京に続いて良席。いいこともあるもんだ。時間調整。名古屋でやたらと見るカフェ・ド・クリエは敬遠。イタリアン・トマト系列の、聞いたことがない店名のカフェ。レーコー JPY380。私が立ち上がって上着を着ている最中、まだ席を離れてもいないのに椅子にタオルか何かを置いてくるオジサン。間近で犬にションベンでマーキングされてる気分。きめえ。イラッとする。置かれたそれを投げ捨てたくなる。私はそれを実際にやりかねない人物。

愛知芸術劇場。栄駅から徒歩数分。好立地。Hello! Project支持者時代に身についた、良席のときは早く入場しすぎない癖。チーム友達が来るから。あのお、その席って連番ですか? もし一人だったら代わってくれませんか? 友達が近くにいてえ。ってやつ。もちろん上原ひろみさんのコンサートでその手合いは来ない。(今のHello! Projectでもそういうのが横行しているかどうかは知らない。)高齢男性の多さという点では客層は似通っているとも言えるが、現場におけるノリは大きく異なる。私は横浜F・マリノス、田村芽実さん、 #KTちゃん 、BLUEGOATS、LiVSなど異なる陣営の娯楽を横断的に見るようになって、最近確信した。ライヴ・エンターテインメントの現場における死活問題とは、どういうノリを作り上げるか。それがすべてと言ってもいい。ルールとかお作法のような堅苦しいものではない。楽しみ方、盛り上げ方、に近い。日本では上原ひろみさんのコンサートをどうやって楽しみ、盛り上げるのかのノウハウが根付いていない。1,500人~2,500人収容のホールは埋まった。埋めた人々の質はどうだったのか。このツアーに来場したヘッズの中に、Hiromi's Sonicwonderのアルバムを何十回、何百回と聴き込んだリスナーがどれだけいたのか。10年、20年と上原さんの音楽を聴き続けてきた人がどれだけいたのか。はっきり言ってしまうと、お金と時間があるからとりあえず来ましたって感じの人、セックスの前戯として来た男女、そういった人たちが何割もいたように思う。そして、もうひとつ大事な点として、ノリを作り上げるにはそのチームなりアーティストなりの興行が日常の中に存在しないといけない。定期的なイヴェントとして設定されていないといけない。そうしないとヘッズ側の練度が上がっていかない。仕上がっていかない。その現場ならではの暗黙の了解が出来上がっていかない。おまいつがノリを身につけ、全体を引っ張って盛り上げていくんだ。年に一回程度の日本ツアーがあるという現状の頻度では、観客がおまいつ化するのが難しい。もちろん、同じ頻度であったとしても他国の観客はもっと熱狂するのだろう。世界的に見ると大抵の国では日本よりもデフォルトのノリはいいだろう。日本人のデフォルトのノリには前に書いた儒教的な特質が大きく作用しているはず。

コンサートの前半。私の右に座っていた老紳士が結構な割合を寝て過ごしていた(もちろんジロジロ見ないよ。すぐ隣だったので目に入った)。たしかに最近は寒い。季節の移り変わりを乗り切るだけで消耗する。彼を見て私は思った。いくら時間があってお金があったとしても、最終的に自分が何を楽しめるかは体力、気力に制約される。100の時間とお金が自由に使えたとしてもそれを受け止める自分の能力(体力、気力)が30であれば楽しめる上限が30なのだ。たとえそれまでの人生で色々聴いてきて、耳の肥えたリスナーになったとしても、その音楽の放つ熱量についていくだけの体力と気力が残っていなければその音楽の一部にはなれない。エンターテインメント全般に言える。要求される熱量がそれぞれにある。もちろん同じスタジアムでも席の種類が違ったり、同じフロアでも前方だったり後方だったりで異なるスタンスをとることは可能である。全員が一律で同じように振る舞わないといけないわけではない。それでも現場というものにはある程度の基準が存在する。ただ、後半ではその老紳士が目を瞑りながらも頭を揺らして音楽に浸っているようだった。もしかすると前半も実は寝ていなかったのか? 終盤には完全に起きて声も出していた。

私と同年代(40代前半)の知人、友人が異常な割合で腰をヘルニアなどで傷めている。長時間のイヴェントやコンサートなどでずっと立っていられないなど、人生を楽しむ上での分かりやすくて具体的な支障が同年代で出始めているのを見ると、いよいよ私も生物としてそういう段階に足を踏み入れつつあるんだなと実感する。立つ、歩く。人間として活動していく上での根幹。書店で健康本の題名を眺めると、我々が最終的に行き着く健康上の関心事は歩けなくなる(のを防ぎたい)、咀嚼できなくなる(のを防ぎたい)であることが分かる。自分で歩けない、自分で物を噛めない。自然に考えるとその先に待っているのが何かは言うまでもない。

20分の休憩中、ジーン・コイさんが数分間ステージに戻ってくる。ドラム・セットに何らかの不具合があるようでスタッフ4名と何かを話し合っている。解決したようでThank you!とスタッフに礼を言い、袖に捌けていった。コイさんといえば、このツアーで彼が来ているシャツが原宿の竹下通りで買ったものだと東京公演で上原さんが明かしていた(買った場所については東京公演のみで言及していた)。鯉の柄。ジーン・コイだから鯉。鯉のシャツを着始めてから鯉のグッズをたくさんもらうようになった。

上原ひろみさんの即興プレイを目を瞑って聞き入るトランペット担当のアダム・オファリルさん。そう来るか! という感じでアー! と声を出して笑みを浮かべるジーン・コイさん。お互いのプレイを楽しみ合っている。コンサート中、ステージにいる四人の間で何度もこういう場面が見られた。どこかジョイントを回し合ってハイになっているような、そういう雰囲気があった。そしてヘッズ側の拍手や声にうんうんと頷くメンバーさん。鍵盤から目を離し、嬉しそうに客席に振り返りニコッとする上原さん。本当は、ヘッズとメンバーさんの間のコミュニケーションをもっともっとやるべきだったし、メンバーさんたちもそれを望んでいたと思う。他の国ではもっとあるんだと思う。私を含め、まだまだシャイだった。それが残念だが、上に書いたように、日本でそのノリに到達するにはもっと公演を定常化しないと難しいというのが私の結論だ。複数年に渡って複数回、上原ひろみさんの日本公演を観た上でそう思う。ただ、私としては東京では会場と席に恵まれ、この名古屋でも席に恵まれ、心から幸せだと思える時間を過ごすことが出来た。

あの長いスピーチは何を言っているんだ? 昨日メンバーにそう聞かれたという上原さん。新曲“Yes, Ramen!(表記不明)”の前のトークを指している。ラーメンへの思いを語っていると答えると、あんなに長く? とメンバーさんたちが驚いたという。何十年と老舗の味を守るヴェテラン、それに挑む新進気鋭の若手という構図や、同じラーメンが好きな人たちが一杯のラーメンに向き合うというのが、ジャズ界やライヴに似ているという趣旨のことを上原さんは言っていた。彼女は本当にラーメンがお好きなようで、Instagramによくラーメンの画像を投稿している。それも普通、有名人って自分が食べているところを映すじゃん。彼女の場合、ラーメンだけを映してんの。オタクのInstagramみたいに。それだけガチってこと。

終演後にギャンブル依存症の中島さん(仮名)と合流。(なんと直前にチケジャムでチケットを入手し、コンサートに入っていたらしい! 高齢者の多い客層がSKE48と同じで安心感があったと言っていた。)名古屋駅まで移動。雨が降ってきたので地下街に避難。ヒモノ照ラス ユニモール店。彼が東京で家賃を踏み倒したまま(正確には毎月JPY1,000だけ振り込み続ける。更新料は満額払ったらしい)栄に引っ越してから会う頻度は落ちた。今年は二回目である。また、彼のTwitterが永久凍結(現在は解除されている模様)してから近況を知る機会は減った。会うのは3月30日(水)の2024明治安田J1リーグ、名古屋グランパス vs. 横浜F・マリノス(豊田スタジアム)のとき以来。サシでメシを食うとなると数年ぶりだろうか。久しぶりに色々と話せて嬉しかった。最近は日本酒を開拓しているらしい。それぞれが定食を頼み、彼の解説を聞きながら日本酒を色々と。田中六王、醸し人九平次、るみこの酒、黒龍、裏寒紅梅、裏半蔵。二人でJPY7,678。私が出した。奢った金額としては上原ひろみさんのツアーteeシャツ(JPY3,500)に近い。先日サファリ色を買えなかったからといってそれを買い足すよりは中島さんと歓談して飲食代を奢る方が、お金の使い方としては何十倍も有意義である。 

2024年12月27日金曜日

Hiromi's Sonicwonder JAPAN TOUR 2024 (2024-12-19)

前日にセブン・イレブン東池袋一丁目店で発券したチケット。五列という数字が私にもたらした高揚。一方、七日前に大宮ソニック・シティ大ホールで味わった煮え切らない時間。今日はどうなる。一抹の不安。そのせめぎ合い。すみだトリフォニー・ホール。最寄り駅は錦糸町。池袋からだと御茶ノ水乗り換え。御茶ノ水。近辺の駅に最近行っておいしかった店があった気がする。どこだっけ。マサラ・キングだったか? そうだ。平井駅。錦糸町から五分。一本。よし、そこにする。17時に平井駅。マサラ・キングに向かう商店街。途中にあるゴレル・シャッドというこれまたそっち系の店。ビリヤニはあるかと聞いたら首を横に振る店員氏(メニュウにはある)。コメはあると言って炊いていない状態のコメ数キロの袋を指さしてくる。今ビリヤニを食えないからって代わりに数キロ単位のコメを買わねえよ。そのまま直進。マサラ・キング。申し訳程度の店内飲食空間。二、三人で満員になる。運良く先客なし。マトン・ビリヤニ定食。カレーはマトンほうれん草を選択(+JPY100)。JPY1,540。大宮のときにギリギリになって焦った。今回は店を決め打ちしてテキパキ動いた。それでもゆっくり一息つくほどの余裕は生まれず。入場前に会場近くのコンヴィニエンス・ストアでホット・コーヒーを飲むのが精一杯。多くの人々が同じ方向にスマ・フォを向けて写真を撮っている。何だと思ったら東京スカイ・ツリー。

大宮ソニック・シティ大ホールが日産スタジアムだとすると、このすみだトリフォニー・ホールはニッパツ三ツ沢球技場。それくらい違う。縦にも横にもコンパクトなつくり。物理的、視覚的な近さはもちろんのこと、いかにも音響がよさそう。いま検索したら収容人数が1,801人。一方、大宮ソニック・シティ大ホールは2,505。その数字以上に差がある。でっけえ箱って感じだった大宮に対し、こっちは音楽を聴かせるための空間として作られている感じがする。中に入って肌で感じると分かる。場として全然違うのよ。ヴァイブスからして。それで席は5列目のほぼ中央と来た。こりゃどう転がってもドープな時間になるでしょ。そりゃさ、たしかにヘッズの老紳士率は高かったよ。ステージに目を向けると否が応にも無数の老紳士たちの禿げ散らかしたが後頭部、頭頂部が視界に入るわけ。異常事態。Hello! Projectのバースデー・イヴェントと見紛うばかり。裁判の傍聴でもしているかのような仏頂面や腕組みでほとんど無反応のまま時間を過ごす謎の紳士たちもたくさん。コレが西洋社会で流行しているというrawdoggingですか? よくそんな無反応でいられるね。観に来ている人たちの大半は感情を消失したのだろうか、それともうつ状態なのだろうかと思うことがある。でもそんなことはどうでもよくなるくらいの臨場感と緊張感がある会場と席だった。コレだよコレ。ライヴで音楽を味わうってのは。そりゃ上原ひろみさんがSonicwonderで表現する音楽を体感するにはライブハウス(和製英語)で立って観るのが一番。だってコレはもはやダンス・ミュージック。本来、座ったままで聴くのに適した音楽ではない。だが、着席での鑑賞をさほどハンディキャップと感じさせないほどに素晴らしい会場。なおかつステージと自分との間に4列しかないから目に入る他人が物理的に少ない分まわりが気にならなかったというのはあったと思う。ジャップの国民性に文句をつけながら自分も神経質で、他人を気にしている。しっかり陰気なジャップの自分がイヤになる。

先週の大宮が、結果的にはいいウォーミング・アップになった。あの公演でこのツアーにおける会場や観客の熱量に対する私の期待値が下がった。一回下げて、今回こうやって上げることでなおさらよく感じたのだと思う。感情ってのはそういうもんよ。落差。喜怒哀楽はすべてが一式になっているわけで。キレイな感情だけを取り出して、好ましくない感情を排除するってわけにはいかない。悲しみ、怒りがあるから楽しさ、喜びが際立つわけ。

ステージで表現される自由、遊び心、逸脱。解き放たれる情熱。その世界に客席から入り込むことで、普段の生活で使わずにどこかに眠っていたいくつもの感情が引っ張り出され、鷲掴みにされ、刺激され続ける感覚。お前にはこんな感情もあるんだぜ、もっとそれを表現していいんだぜ、俺たちはこうやって表現してるんだぜ、ってステージから上原さん率いる四人のメンバーさんたちが語りかけてくるような感覚。整体マッサージが凝り固まった身体をほぐしてくれるように、音を通した感情のマッサージ。ある種のセラピー。贅沢な時間。幸せだった。至福の時間に浸りながら、一方ではこうも思った。本当の意味で自分の感情を表現するためには、やる側に行かないといけないんじゃないだろうか? いくら一緒に作り上げる要素があると言っても観客は観客。受け手は受け手。限界がある。作る側、表現する側。向こう側からしか見えない世界は確実にある。生産することでしか得られない喜び。音楽にしてもフットボールにしても、観客が一緒に作り上げている。それは間違いない。それでも我々はお金を払って、チケットを買って、割り当てられた席で観るという立場なのであって、ステージ側、ピッチ側とのあいだに厳然たる壁がある。生活の安定のため、一定以上の収入を得るための立ち回りとしての職選びと、本当に何らかのやりたいことを見つけた結果としての職選び。前者が無価値で後者こそが尊いと言い切るほど私は若くはないしロマンティストでもない。前者に振り切った人生を送ってきた私は、後者に属する人たちが放つまばゆい光に嫉妬することがある。じゃあやってみろと言われそうだが、私には当然そんな選択をする度胸もなく、それ以前に自分がやりたいこととか、なりたい者という概念そのものがとっくのとうに分からなくなっている。夢や希望(そんなものがあればの話だが)を犠牲にして比較的、安定した賃金労働生活を手にし、これまで生き延びてきた。それでも生活のどこかで、自分のことを表現する時間が必要。その意味で、こうやって文章を書くことは私にとって大切なのだ。なんだかんだ、このブログを書き始めてもうすぐで十年になる。

2024年12月26日木曜日

Hiromi's Sonicwonder JAPAN TOUR 2024 (2024-12-12)

大宮、東京、名古屋。申し込んだ3公演、すべて当選。ひとつ外れて2公演、あるいは最悪、名古屋だけ当たって残りは落選を想定していた。全当選はベスト・ケース・シナリオでありベスト・ケース・シナリオではなかった。大宮、東京、名古屋の順で12月12日(木)、12月19日(木)、12月21日(土)。自分から申し込んでおいて変な話だがこの短期間に3公演は多い。もしあらかじめ埼玉と東京の当選を確約してくれるなら名古屋は申し込まなかったかもしれない。だって往復の移動費だけで2万円以上かかる。とはいえ目先の費用をケチることで上原ひろみさんの音楽を生で体験する機会を逃すことは避けたい。氏の音楽にはそれだけの価値がある。もともと12月はほとんど予定がなく、予定が入る予定もなかった。後になってその名古屋公演の日にBLUEGOATSのrelease party(それもチャンチーさん作詞曲の)開催が発表された。その日に被せてくるとは。痛恨だった。結局それ以外にも12月23日(月)にLiVS、12月27日(金)に #KTちゃん 、12月28日(土)にLiVS、12月29日(日)にBLUEGOATSと、立て続けに年末の現場スケジュールが決まっていった。現場に不足することがない。むしろ消化しきれない。最初に分かっていれば申し込むのは埼玉と東京だけにしていたと思う。LiVSとの出会いは想定外だった。11月30日(土)の対バンチケットを買うまでこの集団の存在すら知らなかった。

在宅業務を早く切り上げ17時頃に大宮駅に到着。せっかく普段来ない場所に来たのだから何か食べよう。18時開演まで1時間半。たっぷり時間はあるはずが、思っていたより余裕がなかった。18時半より前には会場に入らないといけないし、そもそも店選びや徒歩の時間も加味すると食事というのは意外に時間を要する。考えてみると普段も飲食店への往復と店内の待ち時間、飲み食いする時間で昼休みの1時間は簡単に過ぎてしまう。駅の付近を軽く歩くが目ぼしい店がなく。飲み屋に入るほどの時間はなく。とはいえ軽く一杯は入れておきたい。なんてやってるうちに時間を使いすぎた。立ち飲み日高に入店。黒ホッピー、枝豆、イワシ・フライ、カシラ(塩)、レバー(タレ)。20分以上経っても来ないコロッケ。かといってもういい時間になってきた。今からコロッケが来たところで食っていたら開演時間ギリギリになってしまう。コロッケひとつのためにとるべきリスクではない。レジへ。会計のときにコロッケが来なかったですと言うとその分を金額から引いてくれた。店を出るのが18時15分すぎになった。会場の場所を調べたときに駅から直結していると書いてあったはず。なので安心していたのだが直結はしていなかった。開演まで15分を切っている中、会場の正確な場所がまだ分かっていない。足早にGoogle mapの示す方向に向かう。変な汗が出てくる。

見つけた。入館。お手洗いで陰茎から尿を放出。入場。急ぐ。Teeシャツ購入。欲しかったサファリ色のLは完売。じゃあ黒でいいや。凄く感じのいい売り場の婦人。JPY3,500。席に着いたのが開演5分前くらいだったと思う。真冬。バッチリ決まったコーディネート。古着フーディの上に大きめのネル・シャツ(SEDAN ALL-PURPOSE)、ダウン・ヴェスト(SEDAN ALL-PURPOSE)。クロークやロッカーがあるわけではない(もしあったとしても預ける時間的・精神的余裕はなかった)。左右の席に客がいる中、立ち上がってヴェストとシャツを脱ぐ。大事な服。雑には扱えない。狭い空間。なんとか足元に収める。軽く汗ばむ。左右の人たちからするとなんだこいつ落着きねえなという感じだったに違いない。呼吸を整える。

なんだか間延びした雰囲気。だったように感じる。ちょっと眠たい感じというか。私が眠かったという意味ではなく。大宮ソニック・シティ大ホール。特別、物理的に広いわけではないが、だだっ広く感じた。平日の18時半に、JPY8,500するチケットを購入して駆けつける。それだけの熱意がある人たちが集まったはず。なのに、なんかこう…ピリッとしない。よく理解が出来ない。上原ひろみさんを日本で観られる稀少な機会。ましてや埼玉でなんて年に一度あればいい方なのに。盛り上がりがいまいち。(いや、そんなことねえよ。十分、盛り上がってたよっていう人もいるかもしれない。そうだったのかもしれない。単に私の気持ちが高揚しなかっただけで、それを勝手に周りに投影し、周りのせいにしているだけなのかもしれない。分からない。)私の中ではふがいなさ、歯がゆさよりも諦めが強かった。まあこんなもんか。埼玉だし。埼玉に何を期待するってんだよ。元を辿ると儒教が諸悪の根源。予定調和を崩す、輪を乱す、流れを断つ、水を差す、周りに合わせない、お行儀よく静かにしない、そういう人をとことん白眼視して迫害する。ほかの人に迷惑をかけないこと、歯向かわないこと、従うこと、順番を守ること、そういった規範への過剰な適応。電車が人身事故で止まったら、電車を止めて世の中に迷惑をかけたかどで自殺者がソーシャル・メディアでなじられる。それが正論として通る社会。子どもの頃からずっとそうやって育てられてきて、そういう価値観で生きてきて、このコンサート中に限っては自由に、周りを気にせず、空気を読まず、それぞれが好きに声を出して、演奏に熱狂的に反応する、なんてのは難しいよね。とはいえ、それが実現したこともある。去年の渋谷がそうだった。あの公演が恋しい。アレをもっとやってくれよ。ライブハウス(和製英語)でさ。スタンディングでさ。着席のホールばっかじゃなくてさ。やっている音楽と、鑑賞形式(ホールでの着席)とのミスマッチ。やっている音楽と、客層(高い年齢層。音楽の一部になるのではなく、受け身で鑑賞しに来る人たち)とのミスマッチ。それが気になって楽しみきれない自分も周りに影響を受けすぎるジャップの一員。情けない。まあ、こういう日もある。私に関して言えば、11月30日(土)の対バン以来ずっとLiVSばかり聴いている。今日の公演は、自分の頭をジャズ、上原ひろみさんのモードに切り替えるためのウォーミング・アップのようになってしまった。東京と名古屋。残り2公演はもっと楽しめるだろうか? やや先が思いやられる。

2024年12月22日日曜日

ULTRA!! (2024-11-30)

体調不良で干した11月24日(日)の主催公演。発熱などの分かりやすい風邪症状はない。疲労。気力・体力の低下。コンサートを楽しめる心身状態にないと判断。平日の労働は気を張っているからまあ何とかなる。問題は余暇。最近は週末にサテンでブログを書こうとしても居眠りをしてしまう。読書もはかどらない。(最近このブログの更新が少し遅れていたのはそのためである。今ではほぼ復調している。)11月16日(土)のコンサートも十分に入り込むことが出来なかったが、それが更に悪化していた感じ。11月24日(日)を欠席すると次にBLUEGOATSを観るのが決まっているのが12月29日(日)。その前に可能性があるとすると12月15日(日)だがコレはコンサートではなく縁日イヴェントなのでたぶん行かない(結局、行かなかった)。となると年末までBLUEGOATS現場がないが、それでは物足りない。Twitterのタイムラインに流れてきた11月30日(土)の対バンの告知ツイート。急遽、チケットを購入したのが11月25日(月)22時58分。チケット番号はA90。

BLUEGOATSの出演する対バンに入るのを、私は頑なに避けていた。集団を問わず対バンというものに入ったことがない。お目当ての出演者以外には『マジ興味ねぇ』(DJ OASIS feat. K DUB SHINE)。なんで知りもしなかった集団を何十分も観なきゃいけないんだ。それに、普段は接点のない複数集団の支持者が同じフロアに密集することによるストレスは容易に想像できる。それぞれにお作法、文化が異なるからだ。BLUEGOATSを理解し愛する人たちが集まっているからBLUEGOATSのノリ、雰囲気が成立する。明文化されたルールだけでなくその現場ならではの不文律がある。ある意味その閉鎖性こそがBLUEGOATSの現場をBLUEGOATSの現場たらしめている。もちろんコレはBLUEGOATSに限った話ではなく他のあらゆる集団についても同じことが言える。何も知らない部外者によって普段の平和や秩序がぶち壊される可能性がある。それに対バンとなると今度は対バン特有のお作法もありそうでなんだか面倒くさそう。今回に関しては出演者がBLUEGOATSともう一組だけであること、BLUEGOATSのコンサートを30分×2セット(60分)観られること、対バン相手のLiVSが若い女の集団であることから私は参加を決意した。若い女の集団ならまあ見ても損はないかなと。コレが男のバンドだったらおそらく申し込んでいなかった。

11月26日(火)に三川さん(BLUEGOATS運営)がササガワ氏(LiVS運営)とツイキャスで対談していた。もう90枚くらい売れてるらしいっすよ。え、SOLD OUTにしないと。まだイケるよ。対バンをSOLD OUTにしても意味ないから。いや物理的に入れないから。的なやり取りを、そのちょうど90番を買ったのは私なんだよなと思いながら聞いていた。この対談を視聴することで私のLiVSへの興味が増した。若い女の集団という以外には何も知らなかったが、不登校だったメンバーさんが多いことや、運営が音楽を本気で作っていてアルバムという単位で聴かせることにこだわっていることなどを知った。アルバムのくだりにちくりと噛みつく三川さん。LiVSは色んな曲があるからこそ何をやりたいのか分からない。BLUEGOATSはアルバムではなく単発でポンポン出していくから同じ方向性の曲を出し続けても成り立つ。BLUEGOATSがやろうとしていることは宗教。というようなことを言っていた。面白かった。おそらく私の後にチケットを購入したのは数名、多くて10名くらいだろうか。最終的にはSOLD OUTになっていた。実のところ主催公演に比べ対バンはゆったり観られると耳にしていたので完売は想定外だった。

11時開場、11時半開演という我々の昼食チャンスを完全に潰しに来る嫌がらせのような時程も、先日のツイキャスを聞いて理解した。この対バンがそうだとは言っていなかったが、一般的な話として昼の時間帯の方がライブハウス(和製英語)の使用料が安いのだ。仕方ない。昼食はスキップする。その代わり、朝食は池袋駅北口のコメダでゆで卵とトーストのモーニングにゆで卵をひとつ追加。最低限のたんぱく質を確保。卵二つで約12g。今日の会場、Flowers Loft Shimokitazawa。下北沢駅からすぐ。近隣のスーパー・マーケット、オオゼキで売っていた大ぶりな柿がおいしそう。カバンをコイン・ロッカーに預けているので公演後に買おうと思ったがもちろん公演後には忘れていた。会場前には人が溜まっても邪魔にならない空間があって、肩身の狭い思いをせずに入場待ちが出来た。記念撮影をするLiVS支持者たち。意外と女性もいる。まともな位置には行けないことが確定しているA90番の私。気楽に待ち、ほぼ最後の客として入場。フロアは思ったより混んでいない。段差のある後方二列目を確保。つくりが横に長い。だからステージは近い。覚悟していたよりも総じて良好な環境。開演前、各運営から注意事項のアナウンス。LiVSは静止画も動画も自由。どんどんSNSに上げてくれというスタンス。一方、BLUEGOATSは静止画のみOK。ミックス(ファイバー、サイバー、ジャージャー的なキモイ絶叫)が禁止。今回は出演集団が二つだからまだいいものの、コレが三つ、四つとなると訳が分からなくなるだろうな。あれ、今って何がよくて何がダメなんだっけって。

耳栓を忘れたことに、家を出てすぐに気付いた。まあいいやと思いそのまま駅に向かったが、結果としてよくはなかった。過剰な音量。大きすぎる耳へのダメージ。終演直後に近くの紳士が耳が死んだ…とお連れの紳士に言っていた。同感。明らかに耳に悪い。あのとき横着して家に戻らなかったのを悔やんだ。コンサート中、すぐ近くで誰かが思いっきり絶叫してもまったくうるさいと感じなかった。それくらいにコンサート自体の音が大きかった。ただその分、自分も叫びやすかった。いくら大声を出しても目立たない。埋もれる。その安心感。思う存分、私は大きな声でBLUEGOATSを歌い続けた。誰に配慮することもなく。それは快感だった。世界から自分の存在がなくなっているようで。もっと大きな何かの一部になっているようで。他人の目がいっさい気にならなくなって。自分がどんな大きな声を出しても周りに影響を与えることがない。この世界を変えることがない。だから好き放題に感情を爆発させていいんだって。フロアの前にいるか後ろにいるか。そんなことは関係ない。何度も息をすべて吐き切るまで叫び続けた。最初から最後までフロアのヴァイブスは満タンだった。BLUEGOATSとLiVSが入れ替わる30分の区切りごとにきつい…という声が聞こえてくるほどにヘッズがすべてを出し切っていた。今日に関しては対バンという形式がこれ以上ないほどバッチリとはまったように感じた。ステージ側もフロア側も互いの陣営同士がバチバチに勝負している感じもありつつ、お互いを尊重している。両方の支持者たちが相手の集団に敬意と興味を持ってコンサートを作り上げている。二組という少なさ。BLUEGOATSとLiVSの親和性。振り返ると今年でいちばん熱くて楽しい現場だったかもしれない。(まだ一年が終わっていないが。)

LiVSには好印象を抱いた。メンバーさんを順繰りに見ていくと一人の婦人に目が留まる。ショート? ボブ? の黒髪。Juice=Juice時代の宮本佳林さん感のあるパッと見の第一印象。しなやかな身のこなし。魅力的な歌声。可愛らしい。もし私がLiVSでいわゆる推しを決めるとするとこの淑女以外にあり得ない。お名前だけは覚えないと。後でチェキを撮りたい。お話をしてみたい。自己紹介でお名前が判明。「いーつだって 忘れなーい 自己紹介が思いつかない そーんなーのー常識ー はい、LiVSの著作権ギリギリ担当、ミニ・マルコです」。ちびまる子ちゃんの替え歌。それでミニ・マルコさん。覚えやすかった。どうやら今回でいうところの「自己紹介が思いつかない」の箇所を毎回変えているようだ。自己紹介がそれぞれにネタを仕込んでいて個性的だった。挨拶担当のコンニチハ・クリニックさん、略してコンクリ。あとびっくりしたのがユニセックスさん。その名前、なんで? ヘッズのノリはよくある地下アイドルのテンプレート(ミックスとか、曲中の然るべきタイミングでそのとき歌っているメンバーさんの名前を叫ぶとか)を基本としつつも、割と多彩だった。『RとC』だったかな、ではヘッズがみんな肩を組んで前後に身体を傾けているのが面白かった。

新規はLiVS公式アカウントをTwitterでフォローすれば写メ券が無料でもらえるというLiVS運営からのアナウンス。行くっきゃない。買うつもりだったので渡りに舟。どうやらBLUEGOATS支持者が入場者の多数を占めていたようで、物販列はBLUEGOATSが数倍長い。先にLiVSの列に並び、新規である旨を申告、LiVSをフォローする。ミニ・マルコさんはさっきフォローした。新規なんですけど、と言うと売り場の女性が非常に喜んでくれた。フロアの奥でLiVS、手前でBLUEGOATSの特典会が行われた。やはり参加人数はBLUEGOATSが数倍多い。先にLiVSの方に行っておかないと終わってしまう可能性がある。ミニ・マルコさんの列に並ぶ。撮影係の紳士に写メ券とiPhone SE (2nd generation) を渡す。私が被っていた帽子(W@NDERFABRIC)のつばを手でつまんでポーズをとるミニ・マルコさん。今日はじめてLiVSを観たんですけど、いちばん目を引きました。目で追っちゃいました。とお伝えする。あの辺にいたよねとか、目も合った気がする~なぞと分かりやすく模範的なアイドルの接客対応をしてくださるミニ・マルコさん。久しく味わっていなかったこの感じ。氏が私の服を褒めてくれた流れで、帽子(W@NDERFABRIC)の話をする。曰く、叔父さんが帽子を作っているので自身も帽子が好きなのだという。最後に名前を聞かれ、しいてきと答える。しいてきね。覚える! と言ってくださったが、覚えられるはずがない。なぜなら普通、しいてきという音ではctekiという表記にたどり着かないからだ。また来てね! と手を振ってくれるミニ・マルコさん。頷く私。その後、BLUEGOATS側に移動する。場所が狭すぎて列が混沌状態。並んでいる人に聞いても誰の列なのかが分からないという。チャンチーさんは喉を傷め直近のコンサートでは歌唱なしだった。今日から歌えるようになった。回復を祝いたいヘッズで長くなった列。人の多さを見た三川さんがうわっこんないるのかよという感じで顔をしかめていた。オシャレ! と服を褒めてくれるチャンチーさん。いつもと違う感じ。コレ(上着)最近買ったんだ。でもバッカ高いんでしょ、シュプ(Supreme)って。古着で5万くらいしたと答えると目を丸くして打撃でも食らったように少し後ろにのけぞるチャンチーさん。何がそうさせるの? というチャンチーさんの問いがこんな高い服を買ってしまう私のことを言っているのかと思い、まあオタクだからなぞと嚙み合わない回答をしてしまった(チャンチーさんが聞いていたのはSupremeの服が高価になる理由だった)。

2024年12月15日日曜日

3周年記念ワンマンライブ“一生青春” (2024-11-16)

男なら二枚はイケる(D氏談)でお馴染みのThe Pizza下北沢店。食べログには土日祝日10時半開店と書いてあるが実際の開店時間は平日同様、11時だった。食べログの編集権限を持ってる奴、早く直せや。というか店側で直せや。仮に更新したのが客だったにしてもそれを放置すなや。今日も11時半開場、12時開演という例によって我々の昼食を完全無視した時程。とはいえこっちにも食い意地がある。せっかく下北沢に来たんだし、入場列に並ぶ前にちょっと食っておきたい。10時半の開店直後にThe Pizzaに入れば入場列にも支障なく並べるんじゃないか。と思っていたが確認のため中に入ると11時からですとお店の紳士に言われた。このためにわざわざ10時半前に下北沢駅に着くようにしたんだぞ。ふざけんな食べログ、と思いながら付近を歩いていたら偶然、今日の会場が見つかった。下北沢WAVER。10時半すぎの時点ですでに数十人が列を為している。これを見て少しでも前に行こうという私の思いは砕かれた。今日は彼らに委ねて、後方で観よう。たぶん今から急いで列に加わったところで大して変わらない。開場時間になったらまた来よう。ちょうど体調もさほど良くないし。今日は軽めに流す感じで。いやあなんかはっきりと風邪をひいているとかじゃないんだけど、何となく低調で。蓄積した疲れがある。11時ちょい過ぎにThe Pizzaに入店。ミックス・ピザ二枚を平らげて男であることを証明。あとバドワイザーを飲んだけど小瓶すぎて。11時半ちょうどくらいだったかな。再び会場の前へ。3周年という節目のコンサート。チケットは早い段階で完売。買いそびれたヘッズが続出したようで、一人でも多くヘッズを詰め込むために都合がつかなくなった人からのキャンセルを受け付けていた。事前にBLUEGOATS運営から混むので荷物を軽くするようにしてくれというメール、そしてかなり混むので覚悟してくれというツイートまであった。私が入場した時点では既に満員に近かった。近くにいた三川さん(事務所社長)が、俺が客だったらこんな混んでるのイヤだわなぞと言っているのが聞こえた。そして林田さん(事務所副社長)が、あと10人行けたな。もっと儲けれたなぞと冗談めかして言い、笑っていた。そんな喋りが聞こえるだけあって私が立っていたのはほぼ一番後ろ。ほぼ左端。結果的にはコンサートに乗り切れず、私としては不完全燃焼。だが場所が悪かったせいと一概には言えない。自分の体調の影響が7割くらい。声を出す元気が出てこない。仮に前の方に行っていたとしても熱量についていけていなかったと思う。だから今日は後ろでちょうどよかった。あと驚いたのが、近くにいた紳士が意識を失い、ヘッズ数名と林田さんによって外に運び出された。コンサート中、その紳士が壁際に移動していた。足でも悪くて壁に寄りかかりたいのかなと思っていたが、その後にドサッという音がして。数秒後にそっちを見ると、その紳士が床に倒れている。少し経つと苦しそうに早いテンポの呼吸を何度かしていた。私も氏を運び出すのに協力しようかと思ったが人手は足りているようだった。今日に関しては元からコンサートにあまり入り込めていなかったのに、さらに彼のことが気掛かりになってしばらくコンサートに集中できなかった。ちなみに数ヶ月前に近所の銭湯で気を失った紳士がいて、私はその人を脱衣所まで運ぶのに協力した。ライブ・ハウス(和製英語)にしても銭湯にしても、大勢の人が周りにいるから万一のことがあったときに何らかの処置には繋げてもらえる。その意味でも、我々のように身寄りのない独居中高年男性は人のいる場所で多くの時間を過ごすべきである。

この下北沢WAVERは、BLUEGOATSが3年前にデビュー公演を行ったのと同じ場所らしい。三年間で横浜アリーナを埋めるという結成当初の目標からすると、その約束の時期にまったく同じ会場でコンサートをやっているというのは穏やかな事態ではない。悔しくはないとダイナマイト・マリンさんは言った。曰く、大きな会場でライブをやれるのはもちろん素晴らしいこと。でもそれよりも目の前の一人一人と目を合わせてライブをやることが何よりも大事だとこの三年間で気付くことが出来た。チャンチーさんは、三年を経過しても集団を継続させることが決まってから、一ヶ月くらいは受け入れられなかったと吐露した。三年間という期限を決めてやってきたから。でもみんなの前に立ってライブをしていたら、これは続けないと後悔すると思った。アイドルを9年やってきて、こんなにライブをしていて幸せなのは初めて。朝10時からお客さんゼロのライブをやったこともある。人がパンパンに詰まった今日の景色を見られるのは幸せというようなことを言っていた。コンサート中に差し挟まれる各メンバーさんのコメントから、会場が三年前と同じだったとしても、三年前と同じBLUEGOATSでは決してないというのがひしひしと伝わってきた。

恒例となった、『東京タワー』の冒頭アカペラ合唱。こうやってBLUEGOATSのノリがどんどん積み上がっていく。既存の正解ではなく、地道にひとつひとつ自分たちで作り上げていくから価値がある。

ちょっと前の動画でチャンチーさんは、修学旅行でニュージーランドに行ったことがあると言っていた。ニュージーランドは私が子どもの頃に五年間住んでいた国なので、特典会でその話をした。そのときにモールに行ったとかスキーをしたとか、何かしら私と共通の経験を探ろうとしてくれたが、なかった。時代が違うからね、と私は言った。というかさ、普通、修学旅行でニュージーランドなんか行かないよね。結構、お嬢様学校だよね? そうなの、実は。あんまり言っちゃいけないんだけど…的なことを言っていた。

14時キックオフの、ジュビロ磐田対横浜F・マリノス。ササッとチェキを撮って会場を後にしたものの、サテンに入る前に試合が始まった。Fire HD 10を抱えながら歩いた。そしてサテンに入る前に失点。前半わずか四分。何やっとんねん。珈琲館に入って試合の残りを見届ける。そこからマリノスが四点を返し(含アンデルソン・ロペスさんのハット・トリック)、楽勝かと思いきや終盤にジャーメイン良さんにあっさり二点を決められ一点差まで詰め寄られる。結局、4-3で逃げ切った。エンタメとしてはハラハラして面白かったが、相変わらず守備に大きな問題を抱えているマリノス。この勝利が柏レイソルの明治安田J1リーグ残留に大きく貢献することになる。後で柏レイソル支持者である以前の勤め先の先輩から感謝のLINEメッセージが来た。

試合終了直後にD氏と合流。私と会うために2時間限定で仕事を抜け出してくださった。別のサテンでしばらく歓談。明治安田J1リーグの残留争いと明治安田J2リーグの昇格争いの話。17時になったらケバブ・シェフへ。数年前にKと来て気に入っていたトルコ料理店。ケバブ盛り合わせ、ナスのメゼとパン。久しぶりだが味がよく値段も手頃。あとピデを頼んだが、作れないことが18時間際に判明。時間もないので追加オーダーはせず。実はD氏も私と同様にピザなどの一部例外を除きチーズがお嫌いであることが判明。

かえってきたアイドルめいめい (2024-11-10)

隙あらばビリヤニを食している2024年4月以降の私だが、この米料理をカレーあるいはそれに類する何か(スープ等)と混ぜて(かけて)食べるという発想のファンではなかった。そこにハーモニーはない。味が強い同士で打ち消し合う。それぞれの個性が感じられなくなってしまう。カレーはナン、チャパティ、ライス、ドーサと食べるべき。ビリヤニは既に完成した料理。何かを足すべきではない。単独で味わうべき。(もちろんライタは別ね。)と思っていたが、再考を促された。東池袋エー・ラージ。マトン・ビリヤニ 海老サルナとトッピング・オムレツJPY2,300。サルナというのはグレイヴィー状のカレーのような何か。それがマトン・ビリヤニの上にかかっている。私のそれまでの感覚だとビリヤニとサルナが主張し合って互いに譲らない展開になるはずだった。ラージさんが作ったこの一皿では不思議とそれが起きていない。むしろお互いを引き立ててすらいる。

HIP HOPとは何ぞや? んなもん分かったとこでそれがナンボや?(Mummy-D)(『Rhymester曰く、』、Rhymester)

この日限定でめいめいがアイドルに戻る。そのような触れ込みで発表されたコンサート。アイドルに戻るとか、アイドルをやるとか、私はそういった言い回しを聞く度に引っ掛かる。アイドルという言葉が英単語のidolと同じだとするならばそれは偶像や憧れの存在といった意味を持つはずである。なろうとしてなれるものではない。自分から名乗るものでもない。職業ではない。ましてや歌う、踊る、チェキを撮るなどの具体的な活動テンプレートとも無関係だ。一日だけアイドルに戻る、というめいめいの声明。これはアイドルが職業や具体的な業務内容を指す言葉でないと成り立たない。アイドルとは何ぞや? めいめいに聞いてみたい。しかし、聞いてみたところでそんな質問には意味がないのかもしれない。なぜなら日本におけるアイドルはもはやidolとは直接の関係がない、aidoruという職業だからだ。当事者たちがそう捉えている以上、それが答えなのだ。Idolという英単語はこういう意味でなんていう蘊蓄を持ちだしたところで、んなもん分かったところでそれがナンボや? なのである。「この現場以外に本場なんてのは存在しない」(宇多丸)(『ウワサの真相』、Rhymester feat. F.O.H.)。ただ、それでも言っておきたい。かつてKRS-ONEは言った:Rap is something you do. Hip-Hop is something you live。同じように、歌ったり踊ったりすることはsomething you do。アイドルis something you liveのはずである。

以前、ミュージカルのチケット代の入金を忘れ、締め切り日の翌日にファンクラブの担当者からきつい口調のメールが来たことがある。その一件でファンクラブから目を付けられ今後の公演で割り当てられる席のランクを落とされてしまうのではないかという一抹の不安があった。幸いなことにそれはなさそうである。直筆サイン入チェキ付S席。各部JPY11,000。私に与えられた本日の席は昼が最前、夜が5列目。本当にいつもありがとうございます。イイノ・ホール。たぶん初めて。霞ヶ関駅。閑散とする駅直結の地下街。ほとんどの店が閉まっている。セブン・イレブンが唯一の希望。17時に閉店するカフェ・ド・クリエ。昼公演(14時~)と夜公演(18時~)の間に入ろうと思ったが17時閉店だとレジで店員氏に言われやめた。平日の近隣オフィス勤務者たちに最適化された駅。無機質。場所は違うけど去年の一人芝居コンサートのときもこんな感じだった。

ファンクラブ会員向けにセット・リストが事前公開された。Hello! Projectだけかと思いきや、今流行っている陣営のも盛り込んである。一応、義務をこなすようにさらっと目は通した。このブログで何度も書いていたように、私がかつて抱いていたアイドル的なものに対する情熱はそのかなりの部分が消失している。だから、いくらゴリゴリにアイドル色の強いセット・リストを見せられたところで、そこまで掻き立てられる感情は持ち合わせていない。それがたとえめいめいであっても。もし私が今でもそんなにアイドルに夢中なら、そもそもめいめいの個人活動は追っていないと思う。“アイドルの応援”から半分降りたからこそ、めいめいを見るのに一定のお金と時間を割いているのだ。“アイドルの応援”を主軸に置いている人がめいめいの活動を追ってもあまり満たされないだろう。もちろん私は今でも大きな括り(ジャンル、カテゴリ)で言えばアイドルを追っている。しかしHello! Projectは見るのをやめ、その後しばらくKissBeeを見ていたがもうやめ、今ではBLUEGOATSに熱中している。私がアイドルというカテゴリ、ジャンルに求める要素やそのバランスの変容が、この変遷に隠されていると思う。アイドルに限った話というよりは、私が趣味や娯楽全般に求めるものを、フットボール観戦を中心とする他の手段と組み合わせながらどうやって埋めていくかという問題。

セット・リストをまともに予習しなかったのは『マジ興味ねぇ』(DJ OASIS feat. K DUB SHINE)のもあるし、労働のストレスで精神的な余裕がなかったのも大きい。頭の後ろに十円ハゲが出来ている。(鍼の先生曰くハゲた箇所に毎日ショウガを塗ると治りが早いらしい。)ただ、コールが出来るように準備してきてほしいという先方の狙いを完全に無視したところで自分が楽しめなくなるだけだ。だから当日、知らない曲を一度ずつ聴いてみた。Spotifyにあった。あと、一曲目の『ドキッ! こういうのが恋なの?』(キャナーリ倶楽部)が肝だろうなとは踏んでいた。幼女のメンバーさんと客席のオジサンたちのコール&レスポンスが地獄絵図で有名なやつ。免疫ない人が見たらドン引くぞ。これがノン・フィクション。ハイ、ハイ、ハイ! とかかーもね、ハイ! とかやけにオタク側がハキハキして統率がとれてキレがいいやつ。それを一曲目に持ってくるってことはめいめいとしてはのっけからぶち上げたいんだろうなと。だからあの有名な動画をYouTubeで観て、我々サイドがどこで何を発声するのか何となく把握しておいた。ところがその努力は無残にも水泡に帰した。昼公演。最前。数メートル先でぷるぷる震えるめいめいの生ふともも。コールどころではなかった。曲どころではなかった。最初の衣装。めいめい(26)が根本付近まで見せてくださるふともも。わずか3曲で衣装替え。減った肌面積。残念。束の間の夢。

夜公演。5列目のそれも横(左)のブロックだったので、ステージと客席を全体的に俯瞰するようにコンサートを味わうことが出来た。これはこれでよかった。(最前にいると全体としての盛り上がりは分からない。)コンサートの流れも把握済みなので、良くも悪くも身構えず、リラックスしていた。ちょっと疲れていたのもあって、ぼんやりしながら観ている時間が長かった。最後の方。『デモサヨナラ』(Dorothy Little Happy)。フックのリリックで、好きよの連呼。
めいめい:好きよ
ヘッズ:オレモー!
めいめい:好きよ
ヘッズ:オレモー!
オレモー! と迷いなく叫ぶ活力は私の内側から湧き出てこない。浮かべる苦笑い。ステージで輝く一人の美女と、お金を払って彼女を観に来ている不特定多数による、恋人同士で交わす言葉のようなコール&レスポンス。これで救われる人もいるのかもしれない。それを否定するわけではない。ただ、今の私にはどうしてもグロテスクに思えてしまう。ああ、俺には無理だなって思った。もうこのゲームに入れ込めない。たとえばフットボール・ファンが、なんでボールを蹴り合ってゴールに入れるだけでいい歳の大人同士がこんなにムキになっているんだと我に返ったような感覚。それ言っちゃお仕舞いじゃん。お仕舞いなんだろう。

めいめいの、リスクを取った人生。すべてをさらけ出して、何の保証もない。他方、リスクを避けながら、匿名の存在、群衆の一部として、めいめい側の人たち(アイドル、芸能人、音楽家、スポーツ選手、実業家、等々)の活動を娯楽として消費する我々。自分はやらないけどそれをやる人たちのことは安全な場所から見たい。めいめい側の人間と、我々側の人間。そこにはとてつもない断絶がある。夜公演のステージを眺めながら、なぜかそんな思考が頭をよぎった。