2025年2月14日金曜日

SETSUBUN OF LiVS (2025-02-02)

カレンダー上の日にちには二種類しかない。働く日と、働かない日だ。平日、土日、祝日の三つに分ける必要すらない。なぜなら働かなくてよいという以上の意味が、祝日にはないからだ。その祝日が設けられた意味を考えることはない。何か特別なことをするわけでもない。だから土日と祝日は識別する必要がない。事実上、私の頭の中ではそうなっている。祝日にすらならない何とかの日についてはその存在を意識することさえほぼ皆無。セールの口実になる限りにおいて私の生活に意味をもたらす。欲しかったあの服が安くなるかどうか。その金銭的な価値だけに興味がある。セールに結びつかない何とかの日には一切の価値がない。季節の行事やら伝統やらが私に何をもたらしてくれるというのか? それよりブラック・フライデーの方がはるかに重要だ。会社勤めの労働者になって年月を経れば経るほど、生活とはすなわち労働と消費であるという思考が強くなっていく。

2月2日(日)は節分の日らしい。日曜日に被るからといって明日が休みになるわけでもない。何のための日なんだ。節分って何だ。記憶を遡る。言われてみると子供の頃、住んでいたアパートメントの窓から豆を投げていた場面が脳内で再生される。そのとき、家には母親がいた。母から豆を渡されたのだ。詳しいことは覚えていない。三十年以上前だ。その頃以来、豆をまいた記憶がない。節分という行事の当事者になった記憶がない。ある時期(少年期~青年期)においては、それは斜に構えていたということなのだろう。しかし今はもうそういう問題ではない。独居中年男性が何のために一人で部屋の中から外に向けて豆をまくというのか。これは家族があっての話である。ライフ・ステイジが年齢相応に進んでいれば、子どもに豆まきをさせる側に回っていたはずだ。こうやって独身独居を長く続けているから、労働と消費を繰り返すことに最適化された思考が加速していく一方なのである。もし今日、LiVSの公演がなければ、そして節分にちなんだ企画が行われていなければ、私は今日が節分の日だと知らずに過ごしていた可能性が高い。知る必要がなかったからだ。そういえば、豆まき以外に節分の風物詩があった。年に一度、意識の高いアイドルさんたちが何も知らないフリをして恵方巻をちょっとそれっぽく持ったり咥えたりしている画像をソーシャル・メディアに投稿する時期。そういえばあれが節分だったのか。(あれをやらなくなった時期からつばきファクトリーの凋落が始まった。)

労働者ではないときは消費者。消費者ではないときは労働者。労働を憎みつつもコインの裏表である消費を愛している。労働と消費の無限ループ。資本主義の回し車で死ぬまで走り続けるハムスター。振り返ると、歳をとればとるほど生活から文化が消失している気がする。そんな私が、LiVSなる集団に出会い、現場に足を運ぶようになることで、少しずつ文化を取り戻しつつある。正月の餅つきに続き、今日の豆まき。この歳になって、人生で一番楽しい豆まきの思い出が出来るとは思わなかった。もう何歳だったかも分からないあの頃、実家の窓から豆を投げたというおぼろげな記憶。私にとっての豆まきの思い出が、ここに来て更新された。

入場時にプロデューサーのSuzuki氏から配布される、小さな袋入りの豆。袋は開けないでくださいと念を押すSuzuki氏。袋に書いてあるチケットの整理番号。公演中、『RとC』と『始まりの歌』の二曲のフック中、ステージに置いてある小さな箱に向けて、フロアの我々が豆の入った袋を投げる。外れた袋はメンバーさんたちがフロアに投げ返す。それを我々がまた投げ返す。メンバーさんが投げ返す。我々が投げ返す。その繰り返し。一投目は自分の袋を箱に入れて景品を当てることしか頭になかったが、二回目以降はそもそも自分の袋ではないので自分に何かが当たるか当たらないかはどうでもよくなった。とにかく豆の袋がフロアとステージを行き来するこの状況が楽しくて。利害を捨てて無心に遊ぶ。この感覚を大人になって味わうことは稀である。LiVSの豆まきってどんな感じになるんだろうと開演前にワクワクはしていたものの、ここまで楽しくなるとは思っていなかった。たまに歌っている最中のメンバーさんに当たったときの反応が可笑しかった。メンバーに当てたら出禁だとミニ・マルコさんが言っていた。実際には誰も出禁にならなかった。

これからもLiVSと一緒に、目撃者の先輩方と一緒に、季節の移ろいとそれに伴う行事を楽しんでいきたい。冥土の土産になる。2月16日(日)にはヴァレンタインにちなんだ企画がある。チケットを買うとメンバーさんから義理チョコと、なぜ我々が本命チョコをもらえないのか指摘してもらえるフィードバック券がもらえるという非常に魅力的な公演である。残念ながら私は行くことが出来ない。めいめいが出演するミュージカル“SIX”の観劇と重なってしまったからだ。“SIX”に対する私のモチベーションはほぼゼロである。二公演のチケットが部屋にある。片方だけでも売却したい。手数料や送料を除いた純粋なチケット代だけで一公演JPY14,000もする。そのお金でLiVSの公演を観たい。ミニ・マルコさんとコンニチハクリニックさんとチェキと写メを撮りたい。11月30日(土)にBLUEGOATS目当てで行った対バンでLiVSに出会ってしまって以来、より正確にはあのときミニ・マルコさんを見つけてしまって以来、この集団に色々と持って行かれている。それはBLUEGOATSの曲を聴く時間であり、BLUEGOATSの公演に足を運ぶ機会であり、めいめいのミュージカルへの興味である。明治安田J1リーグもまだ開幕していない2月2日(日)時点において、私が生きていて一番楽しいのがLiVSの現場である。

コンニチハクリニックさんが声帯結節のため発声不可。歌を奪われているにもかかわらず氏のステージでの振る舞いには悲壮感がなく、いつにもまして明るかった。むしろ声が出せないのを表情、ダンス、立ち振る舞いの一つ一つに込めるんだという気持ちが伝わってきた。自己紹介がとても面白かった。スマート・フォンのテキスト読み上げアプリでいつもの挨拶。「はい、目撃者の皆さんこんにちは。ハロー? どるちぇーへいへい! LiVSの挨拶担当コンニチハクリニックです」。この手法を採用するというアイデア自体の可笑しさ、そして機械音声のイントネーションの可笑しさ。フロアだけでなくメンバーさんたちにも受けていた。次のミニ・マルコさんが笑いを堪えられず、始めかけた自己紹介を仕切り直したほどである。ちなみに本日の氏の自己紹介は「いつだって忘れない 節分の鬼はお父さん そんなの常識」だった。

開演前にササガワ氏より、アルバムが完売したのでレギュレーションを対バン仕様にするとの通達があった。対バン仕様と言われても私は分からなかったのだが、終演後の物販で若い男性係員に尋ねたところサイン入りチェキがJPY2,000、写メがJPY1,000で一枚から買えるという。明らかにこっちの方がいい。通常だとJPY3,300のアルバムを買わないといけない。しかも実質的には二枚単位で買わざるを得ないようなやくざな売り方をしている。かたやこの対バン仕様だと、お金がないから今日はチェキを一枚だけという買い方が出来る。しかも通常のチェキはサインがつかない。この違いはなぜ? 今日はチェキ券2枚と写メ券2枚を購入。JPY6,000以上の会計で写メ券1枚がおまけでついてくるので、手にしたのがチェキ券2枚と3枚。しーちゃんって呼んでいい? とマルchanに聞かれ、好きになった。そしてサインを書くとき、私の身体にチェキを押し当てながら書いてくれ、さらに好きになった。