脳は快楽と苦痛を同じ場所で処理し、片方に寄るとシーソーのようにバランスをとるように出来ている。目先の快楽によるドーパミンで痛みから逃げてもそれは長続きしない。(参照:アンナ・レンブケ、『ドーパミン中毒』)。中毒一般が脳にもたらす変化には増感(渇望)、抜感(耐性がつき喜びに鈍感になる)、機能不全の前頭葉前部回路(衝動にブレーキが効かなくなる)、ストレス系の誤作動(ネタが切れると不安、鬱などメンタル不調)。(参照:ゲーリー・ウィルソン、『インターネットポルノ中毒』)。快楽だけを貪っていても、それはいずれ快楽ではなくなる。適度な苦痛、ストレス、痛みの存在が、長期的に持続可能な楽しさ、癒し、喜びを可能にする。おそらく人生とはそういうものである。立ち上がることを許された一部の時間を除きずっとフロアでひざまずいていないといけない本日の公演。やってみると分かるが、膝をついて座るというのは数分やるだけでもぞもぞしてくる。苦痛を伴う縛りを設けることで公演中の立っていられる時間帯、ひいてはずっと立っていられる普段の公演のありたがみを認識させるための試みなのだろう。私はそう解釈した。言うなればスイカに塩をかけるようなものではないか。甘さを楽しむにはちょっとのしょっぱさが必要なのである。
中年男性の多いLiVS支持者たちに一時間超の公演中フロアに直で膝をつかせるのはさすがに虐待になってしまうという運営からのお情けで、入場者にはクッションが配布された。今日の公演はチケットが想定よりも多く売れたそうで、運営の某氏によるとスタッフやメンバーに回す分は残らなかったという。ただ、思っていたのと違うというのがその“クッション”を手にしてすぐに浮かんだ率直な感想である。明治安田J1リーグ最下位の横浜F・マリノスがギリギリJ1を名乗れるのと同じように、クッションというカテゴリの中でこれ以上下がないくらいの代物だった。スニーカーのインソールに毛が生えたようなものだった。もちろんケチをつけるつもりはない。そりゃこんなところに無駄にお金をかけるわけにはいかないだろう。追加料金も取っていないんだし。膝を守る効果はあったと思う。
まあ膝というよりは足。問題は。私の場合。いつかの苦い思い出。誰かの葬式。ずっと正座。終盤、ご焼香のため一人ずつ呼び出される。私の順番。立ち上がろうとするも足がしびれて転げてしまう。その状態でもがきながら、また立ち上がろうとするも転げてしまう。それまでポンポンと進んでいたご焼香の流れが私のところで止まった。恥ずかしかった。記憶の奥底に眠っていたのに。特典会でマルコchanにこのことを話すと、今日の記憶で上書きできるんじゃないかと彼女は言っていた。そ、そうだね。きっと。そういうことにしておく。
あの日の記憶がよみがえる!! - #KTちゃん vs DOTAMA/戦極MC BATTLE 第30章 The 3on3 MATCH(2023.7.22)
下北沢251。The Pizzaのもっと先。前のツアー初日以来。最高チケットで入場したのが20人弱くらい。私はライト層なので通常のチケットを購入している。立ち見と比べて一人一人が使用する床の面積が普段よりも広い。私は7番だったがフロアの真ん中付近になった。結果としては最前とか二列目とかよりも良かったかもしれない。というのが『RとC』でマルコchanがすぐ目の前に来て歌ってくれる時間があったから。(我々がハイ・テンポで手拍子をするあの箇所。)その後にハイ・タッチもしてくれた。我々が膝をついて移動できない状態でメンバーさんがフロアに下りてくるのは面白かった。この曲でメンバーさんが下りてくるのは定期公演では恒例だが、同じ曲でも今日は見え方、感じ方が違った。ランルウさんがハイ・タッチをしてくれると思いきや頭をポンポンしてくれて危うく好きになりかけた。異常な頻度で公演が開催され、異常な頻度で通っている私にとって、たまに変則的なことをやってくれるのは嬉しいことである。前にあった撮影禁止とかさ。6月22日(日)の立ち位置固定公演も楽しみ。
我々サイドが立つことを許されていない状態でもメンバーさんはいつも通り曲中に「飛べー!」と無理難題を言ってきて、それをやったらもう某真理教の空中浮遊じゃんと思った。閉鎖された空間に数十人が集まって、大きな音を流しながら精神や身体に負荷をかける。だんだん新興宗教に近づいてくる。
水中エアー・タイト・サマディとは、空気を遮断した三メートル四方の箱に入り、五日間ものあいだ飲まず、食わず、排泄せず、呼吸や代謝などすべての肉体機能を停止させたサマディという仮死状態での瞑想をつづけるというものだ(高山文彦、『麻原彰晃の誕生』)我々が立つのが許された時間帯は中盤と終盤の二回あった。合わせて五曲くらいだったかな? 苦痛が過剰にならないようにいい具合に計算されていた。
“Reverse”の歌い出しのコール。マルコ、マルコ、マルコ、おーれーの、コンクリになっていた。聞き違えでなければ。なるほど、これはいい。というのがおーれーの、の後のタイミングでは既にコンニチハクリニックさんが歌っているからだ。コンクリさんの歌をマルコ・コールで被せるのはちょっと違うなと思っていた。(ただ、その後の公演を観るかぎりではマルコに戻っているようで、最後をコンクリにするのは定着していない様子である。)
Sara Suzukiさん(LiVS運営)接触レポ
S:PayPayの表示がいつも英語ですよね
私:あ、はい。(iPhoneの)言語設定を英語にしてあるんで…
S:英語だなーっていつも気になってました
お腹が空いた。早く会場を出たい。別のメンバさーんに並びな直す時間が惜しい。特典会はマルコchanの一本勝負にした。チェキ3枚と写メ1枚をまとめて出すとかなりの分量、お話をすることが出来る。いつもはコンパクト・ディスクを3枚買って、チェキ2枚と写メ1枚をマルコchan、残りのチェキ券1枚を主にコンニチハクリニックさんに使うことが多い。チェキを1枚増やすだけで対面できる体感時間がだいぶ伸びたように感じる。理性的に考えれば毎回JPY6,600(コンパクト・ディスク3枚)を使う必要はない。たまには1枚、2枚にしても何の問題もないはずだ。マルコchanにはまたすぐに会えるんだし。いや、それは錯覚に過ぎない。実際にはいつ会えなくなるか分からない。今日が最後かもしれない。目先のお金よりも大事なことが人生にはある。仮にLiVSに行く頻度や特典会で使うお金を減らして、その分のお金がそっくりそのまま貯金できたとして、それが何なんだ。そもそも節約志向は農業由来であり(加地伸行、『儒教とは何か』)、儒教の洗脳である。
The Pizza。下北沢の数少ないリアルな飲食店。ペパロニJPY660、ミックスJPY700、ジン・トニックJPY630(請求金額はJPY2,010だった。店員のお兄さんがまだ入ってから日が浅いようで金額を間違えている可能性がある。別の客にはオーダーと違うものを提供していた。私は細かいことは気にしないのでそのまま払った。)渋谷に移動。青山ブック・センター。 #KTCHAN の『飛んできたナイフは、プレゼントで返したい。』出版記念トーク・ショウ。本の代金JPY1,650を払うだけで目の前でサインを描いてもらえる。 #KTCHAN は対面するや否や、私が氏の公式teeを着ていることに言及し、黄色のシャツとの合わせを褒めてくれた(憂鬱になりそうな天気だけど明るい色の合わせでいいね的な感じで)。ポンポンと投げかけてくれる優しい言葉。バトルで相手をいじる言葉を即興で探していたときと働く脳の場所は同じなのだろうか。時間的にもう一言二言、やり取りする余地はあったが、私は「こんにちは」と「7月のライブ行きます(敬語)」しか言えなった。本当は他にも毎日曲を聴いていることや今日の #KTCHAN の黒コーデが素敵であることやYouTubeのぼっち飯シリーズが好きであることなど、いくつか話題の候補を考えていた。 #KTCHAN のすぐ隣にマネージャーがいて、それ以外にも必要以上に多くのスーツを着た係員がいてなんだか緊張してしまった。あとやっぱオーラがあるよ #KTCHAN には。渋谷eggmanで隣になって知り合った紳士と再会。偶然にもまた席が隣になるという奇跡。すみれ渋谷宮益坂店で歓談。彼には近いうちになんとかLiVSに来てもらいたい。ドル・オタでもある(これから地下の対バンを観に行くと言っていた)ため素養は十分にありそうである。マルコchanとの写メを見せたところ、好きな顔だと言っていた。