2025年8月21日木曜日

クリトリックLiVS将軍 (2025-07-30)

池袋にたくさんあるヴェローチェの某店舗には数メートル先でも二度見、三度見するレヴェルの異臭を放つ常連客の紳士がいる。先ほど氏がご来店され、近くに座っていた先客の紳士が異変に気付き速やかに席を移動した。私も前の記事を書き終わったので早めに店を出た。数分後に池袋サンシャインの中を歩きながら気付いたのだが、先ほど書いて投稿した7月31日(木)の記事の前に7月30日(水)の記事を書かなくてはいけなかった。この日に関してはノート・ブック(ニーモシネ N195A)に備忘録を残していなかったので見落としていた。勢いでさっと書いてしまうことにする。手元にネタがない以上、勢いで書くしかない。私は通常このブログをいきなり書き始めるわけではない。事前に何を書く内容をいくつか用意している。即興フリースタイルで書くっていうのはなかなかに苦しい。なんで何も残していなかったのか。すぐ翌日に定期公演があったから。ネタを仕込んでいる時間がなかったのだと思う。あと、これは推測というか想像なんだけど…無意識に避けていたのかもしれない。この日のことを振り返るのを。過ぎたこととして忘れたかったのかもしれない。蓋をして閉じ込めておきたかったのかもしれない。それくらいショッキングだった。最高だったのかもしれないし、最低だったのかもしれない。もう一回やってほしいかと聞かれたらやってほしいと即答は出来ない。良きにつけ悪しきにつけ伝説に残る対バンだった。

どれだけ異常だったかを説明するには、収拾がつかないからという理由でLiVSの特典会が中止になったという事実を提示するだけで事足りる。LiVSでかつてこんなことがあったのだろうか? 私よりも歴が長い目撃者に聞いても、聞いたことがないと言っていた。一晩経って冷静に考えてもSuzukiさんの英断だったと思う。収益面では大きな痛手。それよりもメンバーを守る決断をしてくれてありがとうと伝えたい。なぜ「収拾がつかな」くなったのか。主に二つの理由がある。第一に、クリトリック・リスさんとのツー・マン(和製英語)であったこと。LiVSは前に武蔵野音楽祭で共演したことがある。あのときは他にも二、三組の出演者がいた。ツー・マンであることによって、クリトリック・リスさん側のノリの影響を強く受ける形となった。氏の現場では盛り上がってくると演者も客も上裸になるのが定番である。その状態でフロアで動き回ってぶつかり合う。第二に、今回の会場である池袋ADMが来場者にお酒をたくさん飲むことを奨励していること。壁には過去の公演で計何杯のオーダーがあったかが貼り出されている。その数字で競争を煽っている。仮に煽っているつもりはありませんとしらばっくれたとしても事実として煽っている。(1)オジサンたちが上裸になってフロアで激しくぶつかり合う。(2)みんなお酒を次々に飲んで酔っぱらっている。(3)共演者の若い女のアイドル集団がフロアの端で観ている。(1)と(2)だけならまだオジサンたちのノリとして成り立つのかもしれないが、(3)があることで全員の悪ノリが加速していた気がする。最後にはLiVSにお酒を飲ませようというノリになっていた。(彼女らにお酒を飲ませようとクリトリック・リスさんとフロアの紳士たちがLiVSがいた場所に向かったときには既に伊藤さんやSuzukiさんの判断でメンバーは奥に捌け、いなくなっていた。)武蔵野音楽祭のときは脱いでいたのは言うても一部だったが、今日に関してはほぼ全員が脱いでいた。あるいはクリトリック・リスさんや周りの客に脱がされていた。私は脱がずに済んだ少数派の一員だった。数十人のオジサンたちが酩酊し、興奮し、気持ちよくなった状態で、フロアで肌と肌をぶつけ合う。それを見てどう感じるかは個々の趣味趣向の話になってくる。あれは最高だった! という意見を私は否定しない。もし私も脱がされていたらそっち側になっていたと思う。だが、脱がずに一部始終を見守っていた陰キャの感覚で言わせてもらえば、たしかに楽しくはあったものの、LiVSもいる場所でやることとしては行き過ぎていたように思う。誰かが悪いということはない。ただ、上述の(1)~(3)の嚙み合わせがある意味では最高、ある意味では最悪だった。そこにはむき出しの人間らしさはあった。ある意味、これも「人間最高」(LiVSのスローガン)なのかもしれない。LiVSのライブも凄く熱かった。ステージが低く、メンバーと同じ目線で楽しむことが出来た。どういう経緯だったかは見逃したのだが、ミニ・マルコchanがいつもポロ・シャツの上に羽織っているレース生地のシャツ?を脱ぎ捨ててしばらくポロ・シャツ姿で歌って踊っている時間帯があった。非常にレアな光景を目の前で観ることが出来て嬉しかった。何だかんだアイドルが纏う布は少なければ少ないほどいい。このシンプルな原則には抗うことが出来ない。しかしオジサンはちゃんと服を着たほうがいいのかもしれない。