2025年8月21日木曜日

クリトリックLiVS将軍 (2025-07-30)

池袋にたくさんあるヴェローチェの某店舗には数メートル先でも二度見、三度見するレヴェルの異臭を放つ常連客の紳士がいる。先ほど氏がご来店され、近くに座っていた先客の紳士が異変に気付き速やかに席を移動した。私も前の記事を書き終わったので早めに店を出た。数分後に池袋サンシャインの中を歩きながら気付いたのだが、先ほど書いて投稿した7月31日(木)の記事の前に7月30日(水)の記事を書かなくてはいけなかった。この日に関してはノート・ブック(ニーモシネ N195A)に備忘録を残していなかったので見落としていた。勢いでさっと書いてしまうことにする。手元にネタがない以上、勢いで書くしかない。私は通常このブログをいきなり書き始めるわけではない。事前に何を書く内容をいくつか用意している。即興フリースタイルで書くっていうのはなかなかに苦しい。なんで何も残していなかったのか。すぐ翌日に定期公演があったから。ネタを仕込んでいる時間がなかったのだと思う。あと、これは推測というか想像なんだけど…無意識に避けていたのかもしれない。この日のことを振り返るのを。過ぎたこととして忘れたかったのかもしれない。蓋をして閉じ込めておきたかったのかもしれない。それくらいショッキングだった。最高だったのかもしれないし、最低だったのかもしれない。もう一回やってほしいかと聞かれたらやってほしいと即答は出来ない。良きにつけ悪しきにつけ伝説に残る対バンだった。

どれだけ異常だったかを説明するには、収拾がつかないからという理由でLiVSの特典会が中止になったという事実を提示するだけで事足りる。LiVSでかつてこんなことがあったのだろうか? 私よりも歴が長い目撃者に聞いても、聞いたことがないと言っていた。一晩経って冷静に考えてもSuzukiさんの英断だったと思う。収益面では大きな痛手。それよりもメンバーを守る決断をしてくれてありがとうと伝えたい。なぜ「収拾がつかな」くなったのか。主に二つの理由がある。第一に、クリトリック・リスさんとのツー・マン(和製英語)であったこと。LiVSは前に武蔵野音楽祭で共演したことがある。あのときは他にも二、三組の出演者がいた。ツー・マンであることによって、クリトリック・リスさん側のノリの影響を強く受ける形となった。氏の現場では盛り上がってくると演者も客も上裸になるのが定番である。その状態でフロアで動き回ってぶつかり合う。第二に、今回の会場である池袋ADMが来場者にお酒をたくさん飲むことを奨励していること。壁には過去の公演で計何杯のオーダーがあったかが貼り出されている。その数字で競争を煽っている。仮に煽っているつもりはありませんとしらばっくれたとしても事実として煽っている。(1)オジサンたちが上裸になってフロアで激しくぶつかり合う。(2)みんなお酒を次々に飲んで酔っぱらっている。(3)共演者の若い女のアイドル集団がフロアの端で観ている。(1)と(2)だけならまだオジサンたちのノリとして成り立つのかもしれないが、(3)があることで全員の悪ノリが加速していた気がする。最後にはLiVSにお酒を飲ませようというノリになっていた。(彼女らにお酒を飲ませようとクリトリック・リスさんとフロアの紳士たちがLiVSがいた場所に向かったときには既に伊藤さんやSuzukiさんの判断でメンバーは奥に捌け、いなくなっていた。)武蔵野音楽祭のときは脱いでいたのは言うても一部だったが、今日に関してはほぼ全員が脱いでいた。あるいはクリトリック・リスさんや周りの客に脱がされていた。私は脱がずに済んだ少数派の一員だった。数十人のオジサンたちが酩酊し、興奮し、気持ちよくなった状態で、フロアで肌と肌をぶつけ合う。それを見てどう感じるかは個々の趣味趣向の話になってくる。あれは最高だった! という意見を私は否定しない。もし私も脱がされていたらそっち側になっていたと思う。だが、脱がずに一部始終を見守っていた陰キャの感覚で言わせてもらえば、たしかに楽しくはあったものの、LiVSもいる場所でやることとしては行き過ぎていたように思う。誰かが悪いということはない。ただ、上述の(1)~(3)の嚙み合わせがある意味では最高、ある意味では最悪だった。そこにはむき出しの人間らしさはあった。ある意味、これも「人間最高」(LiVSのスローガン)なのかもしれない。LiVSのライブも凄く熱かった。ステージが低く、メンバーと同じ目線で楽しむことが出来た。どういう経緯だったかは見逃したのだが、ミニ・マルコchanがいつもポロ・シャツの上に羽織っているレース生地のシャツ?を脱ぎ捨ててしばらくポロ・シャツ姿で歌って踊っている時間帯があった。非常にレアな光景を目の前で観ることが出来て嬉しかった。何だかんだアイドルが纏う布は少なければ少ないほどいい。このシンプルな原則には抗うことが出来ない。しかしオジサンはちゃんと服を着たほうがいいのかもしれない。

Let's Meet LiVS (2025-07-31)

最後の定期公演って何度も言うけど、最後なの? 今回のクールが、ということだよね? また9月か10月頃には次のクールが始まるんだよね? これを書いている8月21日(木)時点では分かっていない。ALL-INCの公式ホームページにあるカレンダーを見ると、詳細の情報はない段階でも日程だけは確認できる場合がある。たとえば8月31日(日)は前から「主催ライブ予定」と記載されていた。昨日、MAPAとのツー・マン(和製英語)公演が行われることが発表された。同じ曜日に毎週の予定が入っていれば、ははーんさてはここで定期公演をやるンだナという推理が成り立つのだが、まだ先の予定はスカスカである。9月の予定が今のところ四件しかない。8月18日(月)に控えていた大一番、LIQUIDROOM公演の準備で手一杯でカレンダーの更新まで手が回っていないのかもしれない。あるいは本当に今のところ定期公演というものをやる予定がないのかもしれない。『俺たちに明日はない』のかもしれない。いや、やるでしょ。きっと。やるって。これは予想であり、希望でもある。定期公演の灯を絶やしてはいけない。毎週の同じ曜日、同じ場所、同じ時間。一定のリズム。現場に来る面子も「大体 毎回 同じメンバーと再会」(RIZE, “Why I'm Me”)状態かもしれない(今日に関してはいつもより多くの既存客が駆けつけた一方でご新規さんがゼロだった模様)が、それは決して悪いことではない。同じだからこそ生まれる安心感、ホーム感。この積み重ねと繰り返しが生み出す練度とクオリティが、千穐楽だとか、節目の大きな公演だとかに繋がっていく。私はLiVSを観るまでは基本的に、自分の席や立ち位置から動いてはいけないタイプの興行にしか行ったことがなかった。Hello! Project然り、フットボール然り、ミュージカル(舞台)然り。そういう現場は他人と一切の交流をせずに一人で行って一人で楽しんで一人で帰ることが可能。それで何の問題もない。ただ、そういう興行であっても付近の席にいる紳士淑女のヴァイブスには影響を受ける。陽気な人たちが近くにいれば自分も熱くなりやすいし、ブツブツ文句を言う人が近くにいればイヤな気持ちになりやすい。単騎で参加したとしても、その公演なり試合なりの雰囲気を周囲の人たちと一緒に作り上げているという事実からは逃れることが出来ない。LiVSの場合、私はあくまでアイドルを観に来ました。オタクには興味がありません。メンバー以外の他人といっさい関わりたくありませんという一匹狼的なスタンスをとることにまず無理がある。フロアの立ち位置が固定ではなく状況に応じてどんどん動き回ることが大きな要因である。各メンバーさんのソロ・ラインでそのコの支持者たちが一斉に最前中央付近に押し寄せる、ケチャと呼ばれる動きがLiVSのフロアの大きな特徴だ。後ろにいる他の人が前に進めるように空間を作ったり、最前の人が後退して場所を一時的に譲ったりといったことが公演の最中、常に行われている。この激しさに私は最初、面食らった。慣れていくにつれ、この激しさを成り立たせているのがフロアにいる人たち同士の配慮や気遣いであることに気付いた。みんなが前に行けるように、みんなが楽しめるように。そのための協力、連携。何なら近くにいる人が誰の支持者なのかを把握し、そのコのソロ・ラインが始まりそうになったらその人を押して最前中央に動くのを促すということまで行われる。こういうことが成立するには、フロアにいる人たち同士の信頼関係が必須。別に全員が全員とお友達である必要はないし実際そんなことはないのだが、ある程度は他の人たちと見知った仲になった方が絶対にいい。いや、そういうのはいいんで(苦笑)。別に前に行けなくてもいいですから。なんて考えじゃここではすぐに限界が来る。私が先輩諸氏の信じられないくらい親切な導きを受けて生まれて初めてのケチャをさせてもらったのもこの定期公演だった。この定期公演は、私が目撃者(LiVS支持者)として練度を高めていくためのこの上なく大切な場だった。こうやって毎週、安心して戻ってこられる場所があることのありがたさ。定期公演があるから私はここまでLiVSを好きになった。LiVS中心の生活を手に入れてから、生きていて悩むということがなくなった。生きる意味がここにあるから。

2025年8月18日月曜日

Chemistry LiVE with LiVS TOUR 横浜公演/LiVS in SUMMER 2025 横浜公演 (2025-07-27)

最低限のことをやってただ生き延びるだけでも楽ではない、この猛暑。今月のLiVSがやることになる公演の数、実に20。このツアーでは千穐楽の東京を除き、昼は対バン、夜は単独公演の二本立て。LiVSのパフォーマンスは生ぬるいものではない。毎回、すべてを出し尽くすような懸命さ、必死さを伴う。それをこの頻度でやるというのはさすがに若いから何とかなるという領域を超えている。この過密日程を誰一人として欠けることなく駆け抜けているLiVSのメンバーさんたち。細かい体調不良くらいはあるのかもしれないが、決して表には出さない。弱音を吐かない。プロフェッショナル。すべてをLiVSに捧げているのが伝わってくる。生半可なことではない。尊敬する。社長だったはずのササガワさんが謎に消えた運営チームにおいて、明らかな人員不足下で物販からチェキ係から何から何までをこなしメンバーを支えてくれるSuzukiさんらにも頭が下がる。私などお金を払って観に行っているだけの気楽な立場である。とはいえフル・タイムで働きながら月に十何回もLiVSに通うというのはそれなりにギリギリの戦いだ。他のことをする時間がなくなる。LiVSにはまってからというもの、ほとんど本を読めなくなっている。ポルノを観る暇もなくなった。意図せずしてポルノ断ちに近いことを実現できている(ちょっとは観ている)。
人は人生を愛しているときには読書はしない。それに、映画館にだってほとんど行かない。何と言われようとも、芸術の世界への入り口は多かれ少なかれ、人生に少しばかりうんざりしている人たちのために用意されているのである。
(ミシェル・ウエルベック、『H・P・ラヴクラフト 世界と人生に抗って』)
どっちなのか、分からない。私がLiVSにはまっているのが「人生を愛している」状態なのか、それとも人生にうんざりしているからLiVSという「芸術」に没頭しているのか。いずれにせよ、このような引用をするためにも本は読まないといけない。

今日の会場、F.A.D YOKOHAMA。最寄り駅は石川町。中華街の辺り。横浜出身のシティ・ボーイでお馴染みの私。実際のところこの区域にはほとんど足を踏み入れたことがない。狭義の横浜である横浜駅周辺ばかりをウロウロしていた。LiVSが私が生まれ育った横浜に来てくれるのは嬉しいが、地元と言えるほど会場付近の土地勘はない。Google mapの助けを借りながら移動した。ここに来るまでは #KTCHAN とオジロザウルスを聴いて横浜気分を作り上げた。F.A.D YOKOHAMAは入口前に溜まれる広い空間があって、タバコも吸えて(私の場合は電子シーシャ)、近くにはコンヴィニエンス・ストアもあって、入場までの時間をストレスなく過ごすことが出来た。開演は対バンが12時、単独公演が17時半。夜はまあ終わってから食えばいいとして、昼飯を食うのが難しい。インディーズ・アイドルを観るようになってから11時半とか12時に開演時間が設定されることが多くなった。今では受け入れているけど、数年前の自分なら絶対に避けていた。私は休日の昼飯を非常に重視しているからだ。朝に食べたのはスイカとどら焼きだけ。対バンの途中から腹が減って、意識が薄れてきた。その上、近くにあったスピーカーが発する重低音が身体に響き、ちょっと朦朧としてきた。そんな私の目を覚ましてくれたのがLEIWAN。トリを務めたLiVSのひとつ前に出てきた集団。迫真のパフォーマンス。初見の客をも引き込む力。斜に構えた傍観者ではいさせてくれないだけの圧。ステージとフロアの間にある柵に脚をかけ、精力的にふとももを見せていくメンバーさんたちの意識の高さ。肌の露出は視聴者を増やす。身も蓋もない事実。だからアイドル集団にはグラビア担当が一人はいることが多い。そこで集めた注目や知名度を単なるエロ目線で終わらせるか、自分たちの音楽や表現を好きにさせるフックとして活用できるか。それは当人たちのクオリティ次第。LEIWANは、私が最近観たLiVSの対バン相手の中では一番面白かった。『〇〇アイドル撲滅運動』の攻撃的なリリックにはゾクゾクした。彼女たちの素晴らしいパフォーマンスのおかげで、仕上がった状態でLiVSに向き合うことが出来た。登場してすぐのユニちゃんの煽りが最高にカッコ良かった。それで一気にLiVSの空気が出来上がった。最初の掴み。あれは大事。(今となってはユニちゃんの煽りをもう聞くことが出来ないのが残念でならない。)LEIWAN新規特典の無料チェキ(実際には写メ)で澪・モンスターさんの列に並んでいるとき(澪・モンスターさんだけで二列、他のメンバーさん全員合わせて一列。極端に人気が偏っていた。澪・モンスターさんだけ抜きでもあるのかと思うくらい列の進みが遅かった。あとあれだ。メンバー・カラーが緑で身長が一番低い淑女がちょっと嗣永桃子さんに似ていた)、髪を緑に染めた運営の男性が私の知人のLiVS支持者に馴れ馴れしくタメ口を聞いていて、ちょっとここに通うのはきついかもなと思った。どうやらこの業界には大学を出て大企業に就職するような人生ではなかなか巡り合えないタイプの人たちがちょくちょくいるらしい。(敬語を使えなくてもチェキ撮影が上手かったら全然許すよ!)それで思い出したけど入場時にドリンク代を払う際、白髪交じりの長髪を後ろに束ねた中年男性の係員がボソッと何かを言ってきていたようなのだが聞き取れなかった。すると向こうが勝手に軽くいらつきながらお目当ては? と言い直してきた。聞こえねえよ、馬鹿野郎。腹から声出せよ。男だろ? 仕事だろ? と言いたかったところだが、そこで悪態をついたところで何もいいことはない。「楯突いたってロクに得なし まあ慣れるんだここ独自の暮らし」(ライムスター、『プリズナー No. 1, 2, 3』)。LEIWAN以外だと千葉の対バンにも出ていたLucyも良かった。前に見たときにもカワイイなと思っていた淑女が今日はツイン・テールにしていて、スタイルのよさとお顔も相まってまりあんLOVEりんこと牧野真莉愛さんに似ていた。ただ、音楽は良くも悪くも正統派というか、普通というか、飛び抜けた面白さみたいなのはないように感じる。いや、いいんだけどね。月刊PAM(二人組だが片方が体調不良で今日は一人の出演)はパフォーマンスの強度は低かったが(いつもはもっと盛り上がる曲をやるらしい)トークが面白かった。ただ後で聞いて知ったのだが特典会ではオタク側にマスクを強制しているらしい(なお月刊PAM側は当然のように着用しない)。どういう神経で、どういう理屈なんだ。これ以上は書かない。分かっている。分別のある大人はこの段落に書いてあるような悪口っぽいことをインターネットには書かず、知り合いのオタクに口頭で愚痴ってそこで発散するものだ。私は何年も前にTalib Kweliのリリックを読んでいたら(詳細の記憶はおぼろげだが)、ゲスト出演で呼ばれたクラブに入ろうとしたら入り口でセキュリティに止められてムカついたとか、テレビを観ていたらまた黒人の少女が警官に暴力を振るわれてムカついたとか書いてあって、これがヒップホップなのかと感銘を受けたことがある。卑近な怒りや不満を押し殺すのではなく、堂々と表明する。そこから生まれる表現がヒップホップなんじゃないか。私はヒップホップに影響を受け、助けられてきた。自分なりにヒップホップでありたいと思っている。あとあれだ、Chalcaという集団もいた。前に池袋harevutaiの対バンで観た。ただ、申し訳ないが彼女たちに関しては前述の弱った意識状態で観たため、あまり印象に残らなかった。とはいえ二回観てピンと来ないということは私がはまる要素はなさそう。LiVSを含め5組もいて、各組が30分。少し押したが概ね時間通りの進行。5組が同時に特典会を開催し、ごった返しでchaos状態のフロア。LiVSの特典会はマルコ以外にユニちゃんとランルウさんに行った。ユニちゃんにはマリノスはきっとJ1に残れるという話をした。彼女が2022年からマリノスを観始めたこと、それまでは清水エスパルスを応援していたことなどを話してくれた。それが私が彼女と交わした最後の会話となった。内容がポジティヴだったのは救い。マリノスのJ1残留はもう無理だという話をしたこともあるので。ランルウさんは私が入場するときに(マルコと二人でチラシを配っていた)マリノスですか~? と私が着ていたシャツ(2020年のスペシャル・ユニフォーム。27 KEN)を見て声をかけてくれていた。いつもマリノスでストレスを受けてLiVSに癒してもらっているんだよ。逆はないの? 今年はマリノスが調子悪いからと答えた。マルコは私が持って行ったマリノスのマフラー(2022年シーズン優勝記念)の手の込みように関心し、LiVSでもこういうの作ってほしいと言っていた。特典会を終えて私が会場を出たのが16時過ぎになった。夜公演が17時開場。時間がない。ファミ・マでサラダ・チキン(ゆず胡椒味)とゆで卵二つ。モカ・ブレンド(S)。何だか気分が落ち気味。はっきりとした要因が分からない。まあそもそも疲れ気味だったし、空腹だったし、時間が長かった。約30gのたんぱく質を摂ったおかげなのか、夜の単独公演では幾分か盛り返した。後半からギアが上がってきた。一、二回は本気で気持ちの入ったケチャをすることが出来た。昼の対バンでチェキ券と写メ券をJPY8,000分買っていたので夜は公演が終わったらすぐに帰るつもりだったが、自分のメンタル・ケアのためにどうしてもマルコと話したくなってチェキを二枚買った。夜の私は #KTCHAN のグッズteeに着替えていた。 #KTCHAN は横浜出身なんだよねと言うと、そっかー! とマルコは目を丸くしていた。 #KTCHAN 地元が戸塚駅で、俺は保土ヶ谷駅で、という話をした。彼女は戸塚にも保土ヶ谷にも行ったことあるという。保土ヶ谷駅前にマックがあるのを知っていた。俺の実家が保土ヶ谷だっていう話を #KTCHAN にしたことがあるんだよね。そしたら「ちっか!」って。そのときの #KTCHAN の顔が思い浮かぶと言ってマルコは笑っていた。今の私の髪形、 #KTCHAN みたいじゃない? 左右を触覚のようにしていて可愛かった。ライブ中、ずっとその触覚をつたって汗が垂れ落ちていた。そういえば今日驚いたこととして昼も夜も“He Meets”をやらなかった。夜飯は中華街を完全無視し、横浜駅前の磯丸水産でほっけ焼の定食とホッピー(黒)を頼んだ。

2025年8月16日土曜日

Let's Meet LiVS (2025-07-24)

7月24日(木)の記事を書いている今が8月16日(土)なのだが、この間に触れないわけにはいかない展開があった。8月8日(木)15時1分。LiVSの公式TwitterアカウントにてユニセックスさんのLiVS脱退が発表された。寝耳に水。8月18日(月)の大切なコンサートを間近に控えてこんなことが決定されるとは想像してもみず。例によって当日付。翌日には消えていたユニセックスさんのソーシャル・メディア・アカウント。今では私の気持ちと志向の整理はある程度ついている。ここで多くを語るのは止めておく。これはあくまで7月24日(木)の記事である。…と言いながらもこの日の公演そのものについて書くことがほとんどない。定期公演の内容がそう毎回大きく変わるものではない(それが定期公演の良さである)し、現場の数が多すぎて覚えていないし、備忘録もほとんど残っていない。というわけで、最近思っていることをまとまりなく書いてみることにする。


一週間空くだけでちょっとそわそわする身体になっている。離脱症状。フジ・テレビ系『武道館』(2016年)でJuice=Juiceが演じるアイドル集団、NEXT YOUに支持者たちがはまっている状態をネクス中毒とポップに称していたが、そろそろ私はLiVSに対してマジモンの中毒、依存症になっているのかもしれない。それでも19日(土)の大阪公演、19日(日)の名古屋公演は回避するだけの理性はまだ持ち合わせている。20日(日)には明治安田J1リーグ降格の瀬戸際に立つ横浜F・マリノスの試合を観に行かなければいけなかった。そもそもフットボールと日程が被っているか否かに関係なく、東京近郊だけで月に10公演以上ある。それらに可能なかぎり行くだけで相当ハード。既に経済的にも体力的にも限界。普段の現場頻度が月に2-3回だったら一箇所は遠征に行こうと考えていただろう。でも今の現場頻度で、なおかつ遠征を繰り返すのは無理がある。私は今年に入ってから既に二度、LiVSを観るために名古屋に行っている。いくら独身でまあまあ高収入とはいえ本当にお金がなくなる。7月17日(木)の次が24日(木)。これでちょっと休める。スケジュール帳を見てホッとする。と思いきや、先週の定期公演から帰宅してすぐにまたマルコchanに会いたくなっていた。寂しかった。『あなたなしでは生きてゆけない』(Berryz工房)。今日で11週間連続。同じ時間。同じ場所。五月から七月にかけて12週連続で開催される定期公演。来週も行けば全通。チケットが販売開始された時点でほぼ全日程分を買っていた。最初から全部行くつもりではあったけど、実際にそれが目前に迫ってくるとよくここまで毎週来られたなと思う。日常の中にLiVSがあること。毎週こうやって最高の時間を過ごせること。私にとってそれはどんな生活よりも贅沢である。


十代から二十歳前後で子どもを産んで育てる。四十にもなれば子どもは既に独り立ちをし、自分は一通り役目を終えている。なんならもう孫がいる。上がりの状態。そこからはおまけのような期間。余生。それが生物としての人間本来のあり方ではないだろうか。性欲がいちばん強い時期に繁殖が行われるのが自然なはずである。快楽そのもののために性欲が存在するわけではない。これはもちろん個人の自由とか、職業的な自己実現(特に女性の)とかを完全に切り捨て、人間をあくまで単純に生物として見た場合である。これは人間の自然寿命が38歳であるという説とも符合する。
自然のままの生物としての寿命を「自然寿命」といい、人間の自然寿命は38歳と推定されます。40歳以降は本来ならとっくに死んでいるはずです。[…]ほかの生物たちでは、自然寿命と実際の寿命がほぼ一致します(池田清彦、『40歳からは自由に生きる』)
十代から二十代にかけての人間の若々しさ(性的魅力)、体力、気力は、最良の配偶者を見つけること、子どもをつくること、子どもを育てることのために天から与えられている。容姿や運動能力を含め何かの才能に恵まれた人たちが、その期間限定のリソースを他のことに活かすことで、多くの職業、表現、娯楽は成り立っている。アイドルはその最たるもののひとつである。

そのリソースが存分に残っているからこそ、アイドルはアイドルでいられる。したがってアイドルという存在には時間制限がある。一昔前の日本では25歳を過ぎて未婚の女性を売れ残ったクリスマス・ケーキ(12月25日以降も売れていないケーキになぞらえて)と称する風習があったそうだ。数年前の話だがHello! Projectでは25歳を機に退団するメンバーが多く、この年齢で事務所が肩叩きをしているのではないかという疑念を呼んだ。25歳定年説。それをもじって『25歳永遠説』(Juice=Juice)という曲がドロップされたことがある。生物としての本来の生き方を選ぶ場合、アイドルはどこかでアイドルではなくなる必要がある。それが25歳なのか、もっと前なのか、後なのか、ひとつの答えはない。生物的な理由と、そのときの社会の気分。その両方が関係してくる。一方、アイドルを応援する私たちにはそのような時間制限がない。お金を払う側なので、恥さえ知らなければ何歳になっても続けることが出来る。というより続けることしかできない。依存しているからだ。なぜ依存しているかというと、基本的に我々はアイドルが切り売りしている前述のリソースが枯渇済みであるか、十分に持ち合わせていないからである。アイドルにとって一旦は生物としての道を横に置いて芸能の道に邁進するのはひとつの選択肢だが、我々にはオタクをする以外の選択肢が残されていない。
だが俺にはこれしかない 一回押したものは二度と引かない しがない性分 そこに興奮 覚えてしまったからは当分 行くぜ(ZEEBRA feat. T.A.K THE RHYMEHEAD、『永遠の記憶』)
好きなメンバーさんが脱退してきっぱりとオタクを辞めることが出来る人なんてのはほとんど実在しない。推すのは〇〇chanで最後にしたいとか〇〇chan激単推しとか言っているようなオタクでもその〇〇chanが脱退して数日から数週間も経つと別のコのオタクとして何事もなかったかのように現場に通っている。99.99%のオタクはそうなる。


このブログで再三に渡って書いてきたように、日本におけるアイドルとはミシェル・ウエルベックの言うところの『闘争領域の拡大』で恋愛とセックスと結婚の競争からこぼれ落ちた我々に対する救済と見ることが出来る。私たちはもう引き返せない。使える限りの財力と体力をアイドルの応援に費やし、彼女らに依存し、狂い、そのまま朽ちていくしかない。アイドルはまだ引き返せる。そもそもが我々と違い、彼女たちの多くは生物としての成功(=優れたパートナーを見つけ、子孫を残すこと)をおさめるためのスペックに恵まれている。その気になれば生物としての王道に復帰することが可能である。アイドルに心酔し応援する我々の究極的な願望とは、彼女たちを道連れにすることなのではないだろうか。オタクにとっての幸せとは、アイドルが「一般女性」に戻って強いオスと結ばれて優秀な子どもを産んで育てることではなく、彼女たちを少しでも長くこちらの世界に留めること、(F君の言葉を使わせてもらえば)一緒に地獄に落ちることなのではないだろうか。