もうやめにしませんか。お年玉っていう、この因習。子どもからすりゃ、正月の集まりで会う大人なんて誰が誰だか分からないわけじゃん。大きくなったねえなんて言われてもさ。というかお前、誰ってのが子どもの本音。数千円なり一万円なりをくれたところでその相手をまともに認識していない。誰かからお年玉をもらったという漠然とした記憶は残ったとしても、特定個人への恩は残らない。普段から何かしらの交流があるならまだ分かるよ。それが皆無なのにただ親戚だというだけで、なんで金銭の授与が発生しなきゃいけないんだろう。私に関して言えば、最もバブリーな年だとJPY50,000くらいもらったことがある気がする。金銭を受け取ることについてラッキーとは思っても相手に感謝の気持ちは特になかった。金額が少ないときは何だこいつ少ねえなと思っていた。イヤなガキだったな。JPY5,000でも少ないと思っていた。なんでお金をもらってもありがたく思うことが出来なかったのか。それは働いたことがなかったからだ。お金を稼ぐ苦しさを知らなかったからだ。衣食住を親に保証され、最低限の生活をするためのお金を銀行口座に継続的に入れることでさえ楽ではないことを知らなかったからだ。お金の価値を知らないのに、誰かが次々に封筒に入れたお札を渡してくれる。教育にいいはずがない。
悪い報せは、私がお年玉をあげる側になったこと。よい報せは、その相手がまだ二人しかいないこと。JPY1,000ずつしか渡していない親に歩調を合わせ、私も同じ金額でお茶を濁している。コレが通用するのも今だけだ。そのうち(働いてもいないのに)金銭感覚だけいっちょ前になってくるとJPY1,000なんて彼らに鼻で笑われるだろう。数年後にはJPY10,000は渡さないと舌打ちでもされかねない。その金額でも学校で同級生に愚痴るかもしれない。想像するだけで頭が痛くなる。私は別にお金を余らせているわけではない。なんで正月にしか会わない、働いてもいないガキに私がお金を払わないといけないんだ。本来ならJPY1も渡す義理はない。
お金にはもっと有意義な使い方がある。就業経験のない子どもには分かるはずがない。平日の朝から夜まで拘束され、常に上司から周囲から値踏みされ、心身のストレスに耐えながら手に入れた貴重な賃金。正しい使い方を俺が見せてやるよ。ということで、開演前の物販で特典おみくじを10回引きました(10回分の購入特典で1回おまけがつく。計11回)。JPY10,000。いや、コレくらいポンと出すだろ的な感じで書いてますけど、高すぎます。私の感覚では一日の特典会で使う金額ではない。まあ、正月だし、特典の内容も特別だしってことで自分を納得させる。不思議なもので、あの列に並んでいざ自分の番が来ると、3-4枚に抑えておこうなぞという理性的な考えをもつのが難しい。10枚としか言えない。他に選択肢がないような気がする。なんとなくそういう空気がある。分かる? なんか飲み会でジョッキを手にイッキ、イッキって言われてるような。そこでちびちび飲まないでしょっていう。粋じゃない、男じゃないみたいな。同調圧力があるわけではないけど、なんか勝手にその気になってしまうというか。で、11回引いて、当たったのが写メ券3枚、没チェキだかランダム・チェキだかを計7枚、そしてデス・ソース券1枚。来たね。デス・ソース。これは引きたかった。メンバーさんの前でからいものを平気で食べてイキってみたかった。しかもコレってたぶん指定したメンバーさんに食べさせてもらえるんでしょ。最高じゃん。プライスレスな体験じゃん。分かったか、キッズよ。お金の価値ってのはこういうことなんだよ。え、何? 親が泣くぞって? 親が泣くだの親の顔が見てみたいだの親孝行だの、私たちは儒教に毒されすぎだ。親は関係ない。自分の人生を生きろ。
オーディション動画を観た後なので認識できたのだが、物販で対応してくれたのはSuzuki女史だった。思い返すと11月30日(土)に新規無料写メ券を物販で受け取ったのもSuzuki女史からだった。氏はLiVSのプロデューサーであられるはず。一昔前のHello! Projectでいえばつんくさん、AKBであれば秋元氏が物販で注文を受けて商品やお釣りのやり取りをしているようなもんでしょ。役職的には。コレが大企業と中小企業の違い。小さな会社だと一人一人の業務範囲が広くなる。組織がどうのというよりは個人の馬力が肝心になる。ササガワさんの多岐に渡る奮闘ぶりを見てもそれは顕著。氏はマネージャーということになっているが、おそらく同業大手における同職種では考えられないくらいに色んなことをやられている。『僕の声、跳ね返る』(超ドープな曲)のヴィデオ・クリップでは監督を務めている。餅つきLiVEと銘打った今日の一部公演では曲を演りながらステージ上でメンバーさんが餅をつく。その餅つきの補助をしていたのがササガワさん。餅や道具の準備などもほぼ一手に担っていたようである。そしてメンバーさんがついた餅は、スタッフさんたちによって切り分けられ、振舞われる。しかも単に切り分けるだけでなくきなこ餅と海苔+醤油の二種類の味付けまで施される。この作業もおそらくササガワさんを筆頭にスタッフ総出でやっていたのだろう。
好きなこと、心から情熱を注げること、公私を分ける必要がないくらいに自分を表現できることで、そういう働き方を出来れば、それは幸せなことだと思う。目先の高収入や貯金などよりもずっと価値のあることだと思う。最近思うのだが、私の人生における根本的な問題はお金を稼ぐために週七日のうち五日の朝から晩まで、好きでもないことを、好きでもない人たちと一緒に(実際には一緒にというほど助け合っているわけではない。常に個人としての技量を値踏みされている)やっていることによる心身へのストレスを、刺激の強い食べ物と娯楽で散らすというサイクルである。そうではない人生を送っている人たちは眩しく見えるし、憧れるし、尊敬する。コンニチハクリニックさんやミニ・マルコさんのインタビュー記事を読むと、自分の意志で、自分のやりたいことをやっている人たちの魅力に引き込まれる。いわゆる地下アイドルと括られる活動規模の比較的小さい集団を追うことの醍醐味はそこにある気がする。
他の紳士たちを見ていても、おみくじを10回分(11回分)購入するのは標準的な行為だった。前述したようにJPY10,000。チケットが一般(人間チケット)でJPY3,000、優先入場や全員チェキなどの特典がつく最高チケットでJPY10,000。私は一部と二部ともに人間チケットなのでおみくじと合わせてJPY16,000。ドリンク代(JPY600×2公演)も加えるとJPY17,200。特典券は一部と二部で分けて販売され、それぞれで使い切らないといけない。もし両部で特典会に参加するならさらにお金が必要になる。仮に特典会に参加しなかったとしても両部で最高チケットを購入すればJPY20,000。いずれにしてもちょっとした風俗くらいの出費。それを当たり前のように毎回支払う目撃者(LiVS支持者の総称)。おまいつとなるとそれを月に何回もやっているわけでしょ。このお金の使い方。アディクションではないか。精神的には、ストレスを散らすために強いお酒を飲むのと同じではないか。
アディクションとは、それがどういうものであったとしても、当人が最初の生きづらさを緩和しようとして発見した「セルフ緩和ケア」であると思う。[…]世界と折り合うために、セルフ緩和ケアによって「クッション」あるいは「緩衝帯」をつくる(赤坂真理、『安全に狂う方法』)
アディクションとは、アルコールや薬物や大麻などの物質を使用するしないには関係ない。[…]物質や行為へのアディクションの核心は、「その方法を用いなければ楽になれない」などと思いつめる思考である(赤坂、前掲書)
アディクテッドな状態とは、素面の部外者から見れば狂っている。目を覚ませ、と彼ら(我々)は思う。しかし目を覚ませと言われてもアディクションの最中にいる人々には何も響かない。素面の論理で正論を言われたところで、私たちには響かない。なぜならコレは宗教だからだ。Johan Hariに言わせると人が何かの中毒になる真の原因はその物質や行為ではなくストレスと孤独。必要なのは愛。繋がり(“Chasing the Scream”)。アイドル現場は愛と繋がりを提供する宗教である。アディクションは信仰と言い換えることが出来るのかもしれない。宗教を論理的に否定されたところで、信者にとっては意味がない。宗教は外部では通用しない論理(ひとつの例を挙げると恋愛禁止)を内在している。その宗教こそが自分に救いを与えてくれる。そして、産業としてのアイドルは宗教ビジネスである。
一部。『RとC』を演りながらの餅つき。臼の左右からメンバーさんが二人ずつ。交代して六人全員がつく。以前の公演でもフロアに下りてくるときの曲がコレだった。何か特別なことをやるときの定番曲なのだろうか。LiVSについて調べていく中でデビュー公演のセットリストを見たところこの曲を前半と後半でそれぞれ三回連続でやっていた。つまり計六回。あと別の公演では13回連続で演ったらしい。ミニ・マルコさんにとって杵が重かったのかちゃんと持ち上げられておらず、片方の手は先端に近い部分を持っていて可愛かった。餅は、どうせ適当に切り分けただけだろうと舐めていたら前述のように味付けまでされていた。おいしかった。私に回ってきたのは海苔+醤油だった。
入場時間を過ぎてから入った。番号の呼び出しは終わっていた。右端後方。やや見づらかったので序盤に人がグチャっと崩れた頃合いで少し前に進んだ。そうるうといい感じにステージが見えた。混みすぎない程度ではあったが、前回より人が多かったように感じた。一部では最高チケットの購入者が32人いたようだ。(二部では20人程度だった。)私のチケット番号は30番くらいだった。フロアにいたのはおそらく70-80人程度だったろうか。
ミニ・マルコさんの自己紹介は
いつだって忘れない 鏡餅食べ忘れる そんなの常識
だった。
いつだって忘れない 鏡餅食べ忘れる そんなの常識
だった。
特典会
私:コレ(デス・ソース券)っていま出すんですか?
スタッフ氏:はい。写メ券と組み合わせると、デス・ソースをやりながら写メが撮れます
私:それいいっすね(いいのか?)
(デス・ソース券+写メ券二枚を出す)
(前の人が終わって、私の番になるまでのちょっとした待ち時間で、私を見たミニ・マルコさんがあー! ありがとー!って感じで目を合わせて手を振ってくれるという、本接触の前のプレ接触。いい感じに支持者として認識されてきた。)
スタッフ氏に実行内容を告げられるミニ・マルコさん。えー! デス・ソースいくのー?! と大きな反応。大丈夫? と聞いてくる。俺、からいの得意だから。デス・ソースがその場になく、探すミニ・マルコさん。BLUEGOATSはこんなの(デス・ソースの特典会)ないでしょ? と悪戯っぽい笑みを浮かべるミニ・マルコさん。じゃあいっちゃっていいのね? と何度も確認しながら瓶からプラスティックの小さなスプーンにソースを注ぐ。口を開ければいいの? うん。私の口内にスプーンを入れるミニ・マルコさん。私のiPhone SE (2nd generation) で二枚の写真を撮るスタッフ氏。デス・ソースの影響をほとんど感じない私を見て驚くミニ・マルコさん。別に私は強がっているわけではなく、実際にあまりからさを感じない。それよりも酸味が強い。そして後から喉がちょっと熱くなる感じ。これくらいのからさと酸味は(毎食とは言わないが)一回の食事で摂っていると思う。帽子を被っていないのが珍しいね、とミニ・マルコさん。たしかに私がLiVS現場に帽子を被っていないのは初めて。髪型があまり気に入ってなくて、それを隠すために帽子を被っていたんだ。そうなんだ。伸ばしてたんだね。という話の流れで今日髪を切ったんだと言うと、似合ってるよと言いながら私の頭をそっと撫でてくれた。好きになった。今日は他のメンバーさん二名とも写メを撮ったんだけど、やっぱ私にはマルコchanしかいないと確信した。彼女は声優出身だけあって弱者男性の取り扱いには手慣れているのだろう、私みたいなのにも凄く優しくしてくれる。(氏の声優時代の配信アーカイヴをYouTubeで見つけた。今一つずつ視聴しているところだ。)
二部における私の整理番号は一部と同じくらいだったが、私が入った時点では一部よりもフロアがだいぶ空いていた。理由は二つあって、一つが最高チケット購入者が10人くらい少なかったこと。二つ目は入場時間通りに並び、番号通りの順番に会場入りしたこと。何度かLiVS現場に通うことで、フロアの中で私がいるべき場所が分かってきた。基本的には左右いどっちかの端もしくは端から二番目くらいが心地よい。比較的前のほうに行けるに越したことはないが、真ん中は避けたほうがいい。真ん中は流動的に人が入れ替わる。いわゆるケチャと呼ばれる、オキニのメンバーさんがステージ中央でソロ・パートを歌っているときに前方に密集していく動きも頻繁に発生する。(ケチャに関しては私もそのうちやるかも。)二部では一部とは逆の左端を確保。四列目くらい。一部よりもステージとメンバーさんの近さを楽しむことが出来た。
この集団の公演に複数回入ることで、少しずつ現場における立ち回りの要領がつかめてきた。たとえば荷物はフロアの最後方に置いていい。(会場にもよるのだろうが。)
コンニチハクリニックさんのスピーチにジーンと来た。曰く、お母様はデビューしてすぐの定期公演に来てくれた。そのときは目撃者がわずか五人程度。そこから一年以上経ち、最近の公演に来てくれた。公演中にお母様を見ると泣いていた。なぜ泣いていたのかを後から聞いたら、最初のときと違ってたくさんの目撃者に囲まれ、LiVSが笑って踊っている姿を見て、前に観たときと全然違って楽しそうでよかったと思って泣いていたのだという。私(コンニチハクリニックさん)は女優になると言い親の反対を押し切って福岡から上京した。LiVSはまだまだステップ・アップしないといけないが、少しでも親孝行が出来たのかなと思った。
二部ではミニ・マルコさんの自己紹介は
いつだって忘れない お正月だらけすぎた そんなの常識
だった。
私にとって11連休という、ちょっと近年に取得した記憶がないくらいの長期連休、その最終日だった。