2025年7月19日土曜日

@ LIVE 1.99 (2025-07-05)

19時キック・オフの横浜ダービーのチケット争奪戦には参加しなかった。特別な試合とはいえマリノスが年間で戦う数十試合のうちのひとつ。それもアウェイ(横浜だから俺たちのホームだという言い分は横に置いておく)。一方、あまりに稀少な #KTCHAN を生で観られる機会。今回を逃すと次がいつになるのか不明である。予定が発表されていない。(音楽活動に専念するために春で大学を中退したというのに増えない現場。このままではただ大学を辞めた人になってしまう。)それに私がどちらに必要とされているかで考えると間違いなく #KTCHAN である。横浜ダービーのチケット、特にアウェイ側(マリノスを応援する席)となるとチケットの発売開始と同時に叩かないと席の確保はおぼつかない。試合前にニッパツ球技場の全席が完売していた。 #KTCHAN の現場でチケットの争奪戦は存在しない。 #KTCHAN がtikotok、Instagram、Twitterで配信をして必死に来場を呼び掛けるさまは涙ぐましいほどだが、その努力は思うような成果に結びついているとは言いがたい。動員の厳しさについては渋谷eggmanのときにも書いた。先日、青山ブックセンターで行われたトーク・イヴェントでも、 #KTCHAN の本を買うだけでトークを聴けて直接サインを入れてもらえるという大盤振る舞いにも関わらず数十人分の座席が埋まらなかった。そして、今日。入場列の先頭に見覚えのあるお二人。LiVSで培った社交性を存分に発揮しサツアイをしに行く。彼らが整理番号一番と二番。体調不良で欠席した紳士(青山ブックセンターで席が隣になって帰りに焼き鳥をご一緒した)が七番。私は八番。この四人が何となく #KTCHAN 現場の最前おまいつコミュニティのような感じになりつつある。特定少数による「大体 毎回 いつも同じメンバーと再会」(RIZE, “Why I'm Me”)状態。ここに割って入る勢力が今のところ存在しない。現場に来るファンの数では現状の #KTCHAN は完全に地下アイドルである。おまいつの数は私が通っているLiVSよりもずっと少ない。け、 #KTCHAN はボクたちが支えないと…。入場時間は「最終調整」と称する遅れで15分以上遅れた。暑すぎる野外で待たされる。「上がっていく一方の不快指数 だからきたねえ言葉使いディス」(ラッパ我リヤ feat. K DUB SHINE、『大東京』)。フロアに入ると空調が効いて非常に快適だった(寒いくらいだった)。私の前の番号では前述の七番を含め三人が不在で、私は入場列の五番目だった。そして私の前にいた一人が間抜けなことに(ありがたいが)飲み物をもらうために寄り道をしてくれたことで私はフロアに入る四人目となった。最前中央を一番、二番、そして八番の私という三人で固めることが出来た。

ほとんど何も与えられていない事前情報。ただ #KTCHAN に言われるがまま購入したチケット。どういうイヴェントなのか分からずにここまで来ている我々。入場前に歓談しながら聞いてみても、首を傾げるばかりの整理番号一番、二番所持者。あるのは出演者の一覧のみ。タイム・テーブルはなし。小生たちのオキニである #KTCHAN がどれくらい出演するのかも分からない。最悪の場合、計二時間くらいの対バンのようなイベントで #KTCHAN の出番は20分くらいなんじゃないか。というかその可能性が高いんじゃないか。何も分からない状態で強いられる炎天下の移動と待機。なんか、後から考えると下手くそだよね。売り方が。こういうイヴェントで、私はこういうことをする、それ以外にもこういう見所があるから来て、大体何時間くらいで終わるよというくらいのことは言わないと判断するための情報が不足している。今回のように謎に包まれていると、ただ #KTCHAN が来いというなら何でも行きますという養分的な人たち(私たちみたいな奴ら)しか来ない。実際、イヴェントの長さは想定外だった。16時に始まって、終わったのがなんと20時過ぎ。まさか四時間以上もあるとは思わなんだ。終わる時間が読めないとその後の予定を立てづらい。横浜ダービーをほぼリアル・タイムで観られなかったのは誤算だった。立ちっぱなしの四時間以上。 #KTCHAN の出番は正味約35分ほどだったか。なかなかに試される現場。これが事前に分かっていたら #KTCHAN 目当てでここに来たヘッズが果たして全員この公演に申し込んでいたか。私も迷ったと思う。チケットはファスト・パス(優先入場)でJPY5,000。

キッズ・ダンサーが何組か出ていた。彼女たちのパフォーマンスを否定するつもりはまったくないが #KTCHAN をダシに身内の発表会を見せられている気分になったのは否定できない。私は体調が非常によく、長時間立っていたも疲れなかった。それもあってキッズ・ダンサーたちを含めたすべての出演者たちのパフォーマンスを最後まで楽しむことが出来た。ラッキーだった。ただ、もし調子がいまいちだったとしたら。もし後ろの方で観ていたら(そもそも後ろまで埋まってはいなかったが。代官山UNIT。収容人数は600-700人。今日来ていたのはおそらく100人以下。)気持ちがくじかれていても無理はなかったと思う。今日の客層としては我々のようなダイ・ハードな #KTCHAN 支持者の他に、キッズ・ダンサーの保護者や友達と思しき人たちが多くいた。開演前のDJタイムでDJ YANATAKEさんがフロアを温めようと手を上げるよう要求するも保護者たちはほとんど誰も手を上げない。くじけずに何度も何度も再トライしていたが最後まで挙手率はほとんど変わらず、さすがの名手も苦戦していた。(ただ保護者たちに悪意はないのはよく分かった。別に無視しているわけではなく、単にシャイだったりノリに慣れていないだけだったと思う。) #KTCHAN のライブ中、どうやらキッズ・ダンサーたちは曲に合わせて踊っていたようである(私は最前だったので分からない)。 #KTCHAN はそれを見て喜んでいたが、残念ながらこのフロアのノリに再現性はない。今日、たまたまキッズ・ダンサーとその友達が来ていたからそういうノリが生まれたというだけの話。それが #KTCHAN の現場のノリとして定着することはあり得ない。お金を払って #KTCHAN を観るために現場に足を運ぶ人たちをどうやって増やして、彼ら、彼女らがフロアでどういうノリを作るのか。その問いにはまだ正面から向き合っていないように思える。

#KTCHAN を観るためにお金を払って最前にいた私たちが何をやっているかというと、動画を撮っている。情けない。だって、私たちって #KTCHAN のファンなんだよね。『飛んできたナイフは、プレゼントで返したい。』は読んだよね。読んだら分かるよね。この記事でも引用したけど。私たちがこうやってステージの彼女にスマ・フォのレンズを向けている光景。彼女はきっと喜ばないはずだ。そうやって撮るんじゃなくて、その目で、その耳で、目の前の味わってほしい。彼女はそう思っているに違いない。それを分かった上で、私も #KTCHAN がステージにいる間はほぼずっと動画を撮っていた。ずっと葛藤があった。ずっと申し訳なさがあった。彼女が本に書いたメッセージが何も伝わっていないじゃん。何も響いていないじゃん。いちばん伝わっていないといけない、いちばん響いていないといけないのは私たちなんじゃないか? 彼女の意を汲んで、真っ先にフロアでの立ち振る舞いに変換していくべきなのは私たちなんじゃないか? そうやって #KTCHAN 現場における文化が少しずつ出来上がっていくんじゃないか?

#KTCHAN が本に書いていた切なる願いを黙殺してまで我々がステージの彼女をスマ・フォで撮影してしまうのはなぜなのか。病的だとか民度が低いだとかでは説明しきれない何かがあるはずだ。おそらく何かしらの本能に紐づいているんだと思う。ライブに限らず我々が日常生活でパシャ・パシャと色々なものを撮影するのは、それを誰かに見せたいからだ。人類の歴史を遡れば、俺はこんな獲物を仕留めたぞとか、こんな果実や木の実をこれだけ採集したぞとか、そういうのを見せつけて属するコミュニティにおける自分のプロップスを高めたいという、根源的な欲求。実際、私は #KTCHAN でもLiVSでも撮影するならソーシャル・メディアに載せないと意味がないと思っている。あるいは人によっては個人的に誰かにLINEで送っているかもしれない。 #KTCHAN も終演後の物販で何かを買うとツー・ショット撮影をさせてくれるし、むしろ撮るのを奨励している。これは本当に嬉しいこと。それこそ #KTCHAN と一緒に写真を撮ったんだよって他人に自慢することができる。だが彼女が言っていることを原理主義的に突き詰めると、そこにはやや矛盾がある。

あと、私の言い分としては #KTCHAN 現場があまりに少なすぎる。供給不足。生で観るだけでは摂取量が足りない。自分で撮った映像を何度も観返す必要がある。LiVSのように月に十何回も公演があれば、今日はこの曲だけはフルで撮ろうとか、公演を通してなるべく撮るのをやめておこうというように、日毎にテーマを設けることが可能になる。もちろん #KTCHAN に同じ頻度でライブをやってくれと言っているわけではない(やるべきでもないだろう)が、たとえば月に一度でも定期的にライブを観られるのであれば、撮影する行為にもいずれ飽きてくると思う。今はとにかく彼女を観られる稀少な機会なので撮っているといのも私に関しては大いにある。でも、本当にごめんねと #KTCHAN には言いたい。私がこうやって複雑な思いを抱えていることだけは理解してほしい。

#KTCHAN がステージに現れた瞬間、息を吞んだ。か、可愛い…。青山ブックセンターのときにも思ったけど、今の彼女はビジュが完全に仕上がっている。見た目で判断されるのを本人が望んでいないのを私は知っている。本に書いてあったし、たしか以前のYouTube動画でも自分はアイドルではないし、カワウソだから可愛いとか可愛くないとかの枠組みの外にいる的なことを言っていた。彼女はあくまでラッパー。アーティスト。だからご本人に面と向かって容姿を褒めたりはしない。まあ、それでも可愛いものは可愛いし、私を含め彼女の支持層は彼女にアイドル的な要素を見出しているのは確かだろう。
見た目とか側のことが先走って、一番大事な中身を見てもらえないのは嫌だ。それなら、見た目っていう要素、なくなっちゃばいい、って何度思ったことか( #KTCHAN 、『飛んできたナイフは、プレゼントで返したい。』)

前述のキッズ・ダンサーに限らず、四時間強のうち #KTCHAN がステージにいた時間を除く約三時間半は、彼女を人質に取られて無理やり見せられていた感があるのは否めない。ただ、総じてパフォーマンスのクオリティは高く、観ていて楽しかった。特に私の印象に残ったのがDDJ葵さん。ドラムとDJを組み合わせたDDJという表現方法。新鮮な驚きと喜びを与えてくれた。氏の現場があればまた観に行ってみたいと思ったくらい。BOXERという紳士(+仲間の男女ダンサー数名)の独特なダンス。あとテークエムさんの何を言っているかは分からないけど素晴らしくグルーヴのあるラップ。氏は #KTCHAN の客を見くびっていた、どうせ俺ではノッてくれへんやろと思っていた、でもノッてくれて嬉しい的なことを言っていた。 #KTCHAN は冒頭でイントロダクション的にちょこっと、ベーシスト女性とDDJ葵との貴重なフリースタイル・セッション(予定外だった模様)、ソロのライブ(トリ)という三回に分けてステージに登場。ライブの後は出演者たちをステージに呼び集めて最後の締めのサツアイ的な時間があったのだが、そのときに音に乗って軽やかに舞う #KTCHAN がやけに色っぽかった。

私はスマ・フォで撮影はしつつも、目の前のライブは全力で味わいつくすように心がけた。撮っている自分と、観ている自分。二体に分離したかった。なるべく分離状態に近づけるように努力した。私はSpotifyで #KTCHAN の全曲(ルイとKTの一曲は除く)を入れたプレイ・リストを作って、だいたい毎日一周は聴いている。彼女が表現する唯一無二の音楽世界が、私は本当に大好きだ。その曲たちを #KTCHAN が目の前でパフォームしている。夢のような時間。魅了される。何という幸せ。

物販。今日 #KTCHAN が好きなりんごを着てきたよ(りんごが大きく印刷されたteeシャツを見せながら)と言うと、あ、りんごだ! 私、今朝も食べてきたよと #KTCHAN 。私の眼鏡、teeシャツ、ベルトの色の合わせ方を褒めてくれる。このteeシャツの、Mをください。4,000円です。千円札を四枚渡す。写真撮影。縦でお願いしますという私の依頼にやや戸惑う係員さん。撮りながら、好きな品種とかあるの? と聞く私。えー、品種? なんでも好き。曰く、それよりもサイズが重要で大きいのが好きなのだという。でもふじは好き、と付け足す #KTCHAN 。今日、新曲やったよね。凄くメロディアスで…。そうなの。まだリリースしてないの。楽しみにしててね。 #KTCHAN の音楽も、 #KTCHAN 自身も独創的で、魅力的。もちろん彼女はアイドルではないから完全な互換性はないが、LiVSとミニ・マルコchanへの忠誠心がちょっと揺らぎそうになってしまうくらい、惹かれる。もうちょっと定期的にライブを観て、会えるサイクルを作ってほしい。グッズももっと新しくてイケてるのを作ってほしい。もう少し喜んでお金を落とせるようにしてほしい。そのためにファンがいるのだから。