2026年8月29日土曜日

にかいめのキラミナ (2026-07-01)

『にかいめのキラミナ』。主催の単独公演として二回目という意味だが、私にとっては文字通り二回目のキラミナである。前回が1月21日(水)に行われた『はじめてのキラミナ』。そのときと同じ紳士から招待券をいただき、下北沢シャングリラに足を運んだ。前に観たときは好印象を受けていたKIRA:MINAだが、今回はしっくり来なかった。あまり心に響かなかった。会場の規模は関係していたかもしれない。Google検索によると前の高円寺HIGHは収容人数が250-300人。今回の下北沢シャングリラが500-600人。キレイに倍。この5ヶ月半で会場の大きさを倍にするだけの積み上げがKIRA:MINAにあったのかというと、あるようには思えなかった。むしろフロアを含め全体としての熱量や勢いは落ちているように感じられた。二回だけ観て適当なことを抜かすなと言われればそれまでだし、チケットを無償で譲っていただいておきながらこんなことを言うのは失礼ではあるのだが。下北沢シャングリラをロックするほどの実力は、現時点のKIRA:MINAにはないように見えた。メンバーの5人中3人が2週間後に抜けるらしい。脱退するうちの一人であるShimizさんが新曲の歌い出しを担っていた。それでいいのか?

曲もストリーミングに公開していない集団が大きな箱でやろうとするのは無謀。順序がおかしい。普段は下北沢MOSAiCで対バンをやっている活動規模。外部の対バンに出向くファンは毎回数名だと聞く。そこに来ている特定少数の人たちしか曲を知らないわけだ。知る手段、聴く手段、好きになる手段を自ら閉ざしている。現場でしか曲を聴けない稀少性によってカルト的な支持を獲得し人気を得ていくなんていう魔法のようなことは起きない。チェキの価格がJPY2,000というのも足元が見えていない。この活動規模と人気でJPY2,000というのは特定少数の既存客から搾り取るための価格設定。LiVSと同じ。自分たちの位置を客観的に見えていない。このレベルのこの感じの集団がこの箱でこういう売り方をしてこれくらいの埋まり方なんだなというひとつの指標としては参考になった。フロア前方では少数のコアな紳士たちがめちゃくちゃ頑張って盛り上げようとしている。演者側が主導権を握れていないのを必死で補うかのように。(W杯開催期間中にW杯ミックスを耳にするという人生初の経験をした。)まあ、LiVSのフロアも対バンではこう見えていることが多いのかもしれないな、と思った。実のところ、冷静な第三者が醒めた目で見れば、KIRA:MINAもLiVSも色んな意味で大差はないのかもしれない。

目撃者の知りいが多数いた。同窓会のようで楽しかった。6月27日(土)の新体制お披露目公演を自分が楽しめなかったことを他の人に話したら少し楽になった。今は現場に来ていない古参の紳士に今のLiVSに対するモヤモヤをぶつけたら以前にあったことを色々教えてくれた。苦しいので、こうやって話せて良かった。神様がこの紳士を私に会わせるために送り込んでくれたのかという感覚になった。

2026年8月27日木曜日

NEW/two days to face (2026-06-26/27)

マルコのソロ・パートがこれでもかというくらい削られていた。それが本当に悔しくて、頭がほんのり痛くなって、つらくなって、楽しめなくなった。目の前の現実を受け止めることが出来なかった。徹夜明けのような、ぼーっとしたような頭になった。身体が硬直してフロアの後方から動けなくなった。声も出せなくなった。早く終わってくれ。そう願いながら、茫然と立ち尽くしていた。私がLiVSに出会ったときメンバーは6人いた。それが5人になって、4人になった。メンバーが抜ける度にマルコの歌割は増えていった。全体としての出力が落ちてもこの集団の歌唱パフォーマンスが説得力を持ち続けてきたのは、紛れもなく彼女がいたからだ。4人体制のLiVSにおいて、マルコこそがスタアだった。2月5日(木)の代官山UNITでそれを感じた。あの日にお披露目された新衣装を纏うマルコが放っていた輝きは特別だった。もはや神々しかった。LiVSの中心はマルコである。マルコのためにLiVSは存在している。そう思った。そして今日、4人だったLiVSがまた6人になった。メンバーが脱退していった時期とは逆のことが起きた。マルコが勝ち取っていたソロ・パートの多くは彼女から取り上げられ(あえてのの言い方させてもらう)新メンバーに割り振られていた。(もちろんマルコだけではない。他の既存メンバーが手にしていたソロ・パートの多くもバンビバンビとヒイナマツリの二人に割り振られていた。)新メンバーのパフォーマンスがマルコを明確に凌駕していたら私も認めるしかない。脱帽するしかない。しかし、そんなことはまったくなかった。思わず何度も首を傾げた。ガッカリした。これは違う。本物を返してくれ。マルコが歌った方が絶対にいい。私はそう感じざるを得なかった。現状の力量に多少の不足があったとしても下駄を履かせて新メンバーの二人を前に押し出すという運営側の意図が感じられた。これが新しいLiVSだというメッセージは強く伝わってきた。フロアにいた私を除く全員は新しいLiVSを心から祝福しているように感じられた。「みんな最高な顔してたね」。公演後、マルコはTwitterにそう書いた。私は戦力外通告を受けたような気がした。その「みんな」は私を含まないからだ。新しいLiVSを目撃する者として、構想外。/増員すれば(少なくとも一時的に)集団としてのパフォーマンスのクオリティが落ちるのは分かり切っていたことだ。マルコの歌割が減るのも予想の出来ることだった。むしろ短期間で新メンバーの二人がここまでLiVSに馴染んで、ここまで仕上げてきたのを褒めるべきなのだろう。もちろん理屈としては分かる。でも、心がついていかない。いちばん悔しいのはマルコをはじめとしてソロ・パートを減らされた本人たちだろうと思う。彼女たちはそれを呑み込んで、態度には表さず、新メンバーを歓迎して、健気に歌い、踊っている。それでも心の奥底ではどこまで納得しているんだろうか。そう思うと、つらくなる。/私はLiVSよりもマルコが好きなんだ。改めて。LiVS全体の発展のためにマルコの見せ場を減らすのを受け入れられない。(もちろんLiVSがなければミニ・マルコというアイドルは存在しないわけだが。)2月5日(木)に(実質的に)打ち出されたマルコが(実質的な)センターのLiVS、マルコのためのLiVSは、終演を迎えた。私は今日、それを悟った。今日の公演では曲と曲の間がシームレスどころかオケが終わり切らないうちにDJ MIXのように切り替わっていった。私が頭を整理する暇を与えないかのように。私はフロアのほぼ一番後ろにいたけど一度だけがっつりマルコから目線をもらった気がする。そのときの私はおそらく大便を我慢し続けて漏れる寸前のような顔をしていたと思う。/別に公正である必要はないのだが公正を期するために言うと新メンバー二人の加入によってビジュアル的には強くなったと思う。前述のように彼女たちを押し出しているのも相まって、初めてLiVSを観た人が好きになるメンバーはこれまでよりも分散するだろう(これまではほぼマルコとランルウに偏っていた)。そしてバンビバンビは歌声でインパクトを出せそうな存在である。今日の公演では曲によってフェイクが付け加えられたりと、歌のアレンジが変わっていた。これも歌唱に強みを持つバンビバンビの加入あってこそなのだろう。これから既存メンバーの歌声とどういう相乗効果が生まれるのか、楽しみである。/私以外の来場者たちのほとんどは新しいLiVSを素晴らしいと思ったに違いない。盛り上がったと思うし、人もたくさん入っていた。渋谷サイクロンがほぼ満員になった。幸先の良い新体制お披露目公演になったことだろう。ただ、今日の盛り上がりはご祝儀的なブーストによるものであって、これが続くわけではない。もっと大きいところ(会場)に行きたいとメンバーの誰かが言っていたが、別に今日の集客も“たどり着いた”訳ではない。新メンバーを加えての一発目だから色んな人が顔を出してくれただけだ。近いうちに同じ会場で普通の主催公演をやってもこうはならない。(結局のところ、観る側としては、数ヶ月に一度の節目だけ顔を出して、“推し”と認知が続く程度の関係を続けて、チェキを一、二枚撮って帰る。それくらいが一番、支出と快楽のバランスが良い。大事な点を押さえることで点と点が繋がって線に繋がる=継続的に見ている感覚も味わえるし。たとえば私がきゃらめるもんすたーずでやっているのがそれに近い。)/今日、フロアの後方から全体を眺めていて思ったことがある。私は、みんながわーって盛り上がっていると醒めてしまう部分がある。逆に冷静になってしまう。そもそも私は日陰者のマイノリティ、ミスフィットだからオタクになっている。にもかかわらずオタクでワイワイやるということに馴染みきれない。逆説的だが他のオタクがワイワイしているのが見えないくらい前に行くのが私にとっては集団的な騒ぎからのひとつの回避手段となる。つまり私は盛り上がるためというよりは盛り上がりから逃れるために前に行くのである。ステージから捌ける前にマルコが肉声で最後に何かを言っていた。なにひとつ聞き取れない。空しい。前方左側にいた人の一部だけに届いたことだろう。そういえば捌ける前によくメンバーが口にする台詞、私たちと遊んでくれてありがとう。風俗っぽいなと思って、私は前から引っかかっている。プレイじゃん。代官山UNITに向けてのチケット販売会では配信でオタクの名前を出さないようにするため我々をお兄さんと呼んでいた。それも引っかかった。仲良しのお兄様。写メ日記。/私はLiVSを観始めた当初、この集団にはもっと人気があっていいと思っていた。その思い自体は変わらない。それだけの魅力はある。ただ、事はそう単純ではないことも分かってきた。アイドルの圧倒的な供給過多。想像を超える飽和状態。“主現場”という壁、村。うまいこと波に乗れれば一気に売れるわけでもない。早い段階でぶち当たる壁。BLUEGOATSも苦しんで炎上させてまで知名度を上げようともがいている。正攻法では難しく、かと言って炎上させても成功する保証はもちろんない。今日は事前の予想として公演がちょっと長引いて80-90分、特典会の準備が20分、最高チケットが60-70はいそう(実際にはたぶん57番が最後だった)なので彼らの全チェキだけで1時間以上。会場を支えるのが15時までらしい。と考えるとサイクロンで個別が始まらない可能性もありそうだった。だからはじめから特典会をパスするのを決めていた。次の予定もあったので最高チケット(JPY10,000)にせず、人間チケット(JPY3,000)にしていた。あのまま囲みチェキを撮っても顔に出ていただろう。これからのLiVSが楽しみというよりは、怖い。これからも同じ熱量で応援すると言い切る自信がない。どっと疲れた。14時からクラブ・クアトロのチケットが発売されたが、気持ちが盛り上がらない。どうしようかな……。行くこと自体を躊躇するくらいに気持ちが萎えた。/ #KTCHAN を二日連続で観られるという滅多にない機会。EP “two days to face”リリース記念。6月26日(金)のDJ partyに関しては多くの時間を某紳士とバー・カウンターで歓談していたのでさほど書くことも書きたいこともない。LiVS現場でたまに会う青年を(前にハハノシキュウの現場に行っていたので趣味が合うかなと思い)誘ってみたらたまたま彼が好きなアーティストがゲストでDJをやっていた。あまり目にする機会のないアーティストらしく、彼は幸せそうに噛み締めていた。6月27日(土)がある意味、本番。入場時間の時点で私の前に3-4人がいたが、フロアに入ったのは私が一人目。最前の、ちょっとあり得ないくらいの近距離で #KTCHAN の音楽を、 #KTCHAN という存在を堪能した。彼女がお立ち台に乗ったときはあまりに近くてこちらが怯むほどだった。あまり撮りすぎるのもどうかと思うほどの近さだったので、今日は二曲だけiPhoneに収めさせてもらった。(スマホではなく心のシャッターを切ってほしい的なことを彼女が本に書いていたので、内心複雑な思いで撮っていた。)昼間にLiVSで(私にとっては)地獄のような時間を過ごした私にとっては #KTCHAN の音楽がこの上ない救いとなった。今日初めて心から楽しくて笑顔になった。幸せそのものだった。LiVSのモヤモヤが晴れ、心底スッキリした。私はヒップホップ育ちなので、この音がしっくりくる。フロアの主導権が演者側にある。 #KTCHAN の要求に合わせて手拍子をしたり声を出したり手を上下させたり。客が自分たちのサッカーをやるわけではない。フロアに背を向けない。それが自分の嗜好には合う。フロアに何かをしに行くのではなく、酒を飲んで騒ぎに行くのでもなく、音楽を聴きに行く。そのシンプルな軸がしっかりと存在していた。そしてLiVSとの大きな違い。ソロ・アーティストだからメンバーや歌割りの増減がない。その安心感。曲も彼女自身が作っているので演者と音楽が一体となっている。 #KTCHAN が歌うからこそ意味を持つ、入れ替え可能ではない音楽。恵比寿BATICAが小箱とはいえパンパンになっていたのは喜ばしい。今回の主催公演が次へのステップになっていれば良いのだが。最前付近に行ければ最高だけど今日のようにパンパンだと後ろからは顔しか見えなかったようだ。もっと大きい箱だともっと多くの人にとって見やすくなる。そもそもBATICAはパンパンにするように作られた会場ではないのかもしれない。 #KTCHAN は本物のスタア。現場に観に行くことはもうないかもしれないけど、心から応援しています。

2026年8月16日日曜日

LiVS LOG #03 (2026-06-24)

メンバー四人の現体制が今日で最後ということで、多くの紳士たちが駆けつけた。遠征民も多かった。最高チケットは昨日買って10番、人間チケットは昨日買って30番だったという話を聞いた。それ以外に女性チケットもあるので40数枚は売れていたことになる。今日はコンニチハクリニックさんのフィーチャー回。マルコchan回とランルウさん回は各々の支持者たちが最高チケットを買ったが、今日に関してはコンニチハクリニックさん支持者というわけではない紳士たちが最高チケット購入者の大半を占めた。定期公演は普段の入場者が25人前後なので、今日は大入りである。

最後となる今の四人のLiVSを噛みしめようという我々の気持ち、最後となるこのメンバーでのパフォーマンスを噛みしめようというメンバーの気持ち、シンプルに来場者がいつもより多いことから生まれる熱気。それらがあわさってひとつになった。マルコchanがとにかく楽しそうで、幸せそうで。彼女のことを最後まで見届けたいと思った。こんなに幸せそうなマルコchanを見られるのが私の幸せだと、心から思った。(特典会でそれを伝えたら墓まで見届けてと言われたが、よく考えたら先に墓に入るのは私である。同じ墓に入ろう。)私は人間チケットで二列目の真ん中やや右寄り(ど真ん中は空けてある)。とても良かった。ここがいちばん居心地よく楽しめる。最前と違ってほとんど気を遣う必要がない。二列目でもマルコの匂いをほのかに感じた。LiVSの楽しさ、素晴らしさが詰まった熱い公演だった。LiVSの掲げる人間最高が何なのか、私はいまだに分かっていないが、もしそれがあるとするならば今日ここにはあった。そう思えた。

開演前のツイ・キャス配信でひとつ大事な話があった。コンニチハクリニックさんがハウス・ダスト・アレルギーを発症してしまうため“not yet, but more”ではタオルを回さないでほしいとのこと。ライブハウス(和製英語)の室内環境だと全員がタオルを回すと症状が出てしまうそうだ。代わりに拳を回してほしいと。そもそもこの曲はみんなでタオルを振って盛り上がろうという曲だったのだが、最近は肝心のメンバーがタオルを持っていなかった。私は不思議に思っていたのだが、謎が解けた。私がフロアで何人もの紳士たちに周知した。前方にいた方々は入場前に揃って飲みに行っていたためツイ・キャスを誰も視聴していなかった。発信方法はもうちょっと考えた方がよかったのでは。

その配信でメンバーがteeシャツ6月27日(土)から売り出す新商品らしい。(あくまで私の偏った個人的な趣味からすると)率直に言うとダサいと思った。私は買わない。もちろん“4ever Young”のときの最高チケット特典のteeシャツのような絶望感はないが。忌憚なく言わせてもらえば今のLiVS運営はオタクにダサいことをやめろなんて言える立場ではないかもしれません。

6月27日(土)からメンバーへのプレゼントと購入金額に応じた特典が廃止される。今日が最後。プレゼントはまあいいとして地味に大きいのはJPY6,000毎に貰えていた写メ券、JPY10,000毎に貰えていたラン・チェキがなくなること。値付けと売り方は買い手へのメッセージ。JPY6,000とJPY10,000毎に特典をつけるのはそれらの金額を使うように我々を誘導しているということ。何も考えなければJPY4,000かJPY5,000分の特典券を買っていたかもしれないところ写メ券がつくからとJPY6,000分買う。実際、それで私は基本的に毎回JPY6,000分の特典券を買うのが習慣になった。これからはJPY6,000を使うインセンティヴがなくなる。どうせJPY4,000-5,000分買うならJPY6,000分買おうというこれまでの購買心理が働かなくなる。これまでと同じ特典券の枚数を確保するためにJPY7,000出そうということには絶対にならない。今後、私が特典会に払うお金は基本的に減るだろう。全体で見てもきっと売上は減るに違いない。ただ、よくよく考えてみればコンパクト・ディスクを買わないと特典券(当時はLiVS券という名称)を貰えなかった頃はJPY2,200のコンパクト・ディスクを3枚、つまりJPY6,600でチェキ3枚と写メ1枚だった。今はチェキ券がJPY2,000、写メ券がJPY1,000なので、それとの比較であればJPY400分高くなっただけという見方もできる。ただ直近の方式からすると我々にとって不利益変更であることに変わりはない。

シガレット・ケースとして販売しているものを(メンバーの手書きデコレーションを加えて)デコ・チェキ・ケースと称して特典にする。細かいところだがちょっとした不誠実さを感じる。元がシガレット・ケースであるなら堂々と書けばいい。悪いことをしているわけではないのだから。邪推だが商品名を出すと金額に換算されて(万チケ分の価値がないなぞと)ケチをつけられるのを恐れたのだろうか。すぐに露呈するのに。

2026年8月14日金曜日

Road to the Festival In the Rain 2026 #03 (2026-06-21)

今日に関してはLiVSどうこうよりもワールド・カップの日本代表対チュニジア代表が重要。キック・オフが13時。まあ余計な(?)予定を入れず、試合をじっくり楽しむのが今日の過ごし方としては正解ではあったんだろうと、これを書いている今では思う。ただ私はあくまでマリノスと明治安田J1リーグが好きなのであって、今の日本代表やワールド・カップに関してはそこまで強い関心があるわけではない。にわかである。13時半から美容室を予約していることに後から気付いたくらいだ。予約を変更しようと試みるもいい具合の空き日時がなく。『MAICCA~まいっか』(EAST END×YURI)、と当初の予約をそのまま貫くことに。(日本代表の試合と被る)今日のこの時間に来るとは思いませんでしたと美容師さん(鹿島アントラーズ支持者)に言われる。髪を切ってもらいながらiPhoneで試合を観る。序盤にシャンプー台で髪を洗ってもらっている間に日本代表が2点目を決めたのでその場面を見逃す。2点目が決まってましたと美容師(鹿島アントラーズ支持者)に言うと「綺世ですね」。「情報早いですね」。隣にいた客の婦人もsmartphoneで試合を観ていてそこ経由で伝わっていたらしい。「私も観てます」とその婦人に言われ、美容室にちょっとした一体感が生まれる。

16時開場、16時20分開演という珍しい時程。これによってワールド・カップの試合と回すことが可能になった。雨模様のソラリスという初めて聞く集団主催の対バン。LiVSが最初。そしてMAPA、雨模様のソラリス。今日は目撃者が圧倒的に少なかった。12人くらい。来ないのも分かる。来るうまみがほとんど何もない。たしかにトレーディング・カードはもらえるが、それが理由で対バンに来る目撃者は一人もいない。後押しにもならない。対バンでの動員を本気で増やしたいのであれば、たとえばチェキが主催公演のときより安くなるとか(今もやっているかは不明だけどBLUEGOATSは通常JPY2,500のチェキが対バンだとJPY2,000になっていた。まあそもそもが高いのだが)、写メ券が一枚もらえるとか、それくらいのことはしないといけない。今日にしたって、各集団の持ち時間は30分だけ。そのために安くはないチケット代とドリンク代を払って会場に足を運ぶ。普通に考えたらそんな現場は避けて主催に行った方がいい。もし“そんな現場”に来てもらうことを本当にありがたいと思っているのなら、もし本当に来てもらいたいと思っているのであれば、来てくれる人がもう少し喜ぶような特典があってもいいのでは? その“来てくれる人”側が言うのも図々しいが、そういう普通の視点を持つことが、現場に来てくれるファンを増やすことに繋がるのではないだろうか。

LiVSが一番手。目撃者の少なさもあってこの対バン自体の動員が少ないのではないかと思っていたが、どうやらチケットの売上枚数は100枚を超えていたらしい。二番手だったMAPAの動員が圧倒的。その次に主催の雨模様のソラリス。間違いなくLiVSの客が一番少ない。

コンニチハクリニックさんが復帰。喜ばしい。やっぱり彼女の声とキャラクターとエネルギーはLiVSに必要。ただ、まだ本調子ではなさそう。曲中の移動でミニ・マルコchanとランルウさんとぶつかっていた。今日はコンニチハクリニックさんのお誕生日の前日。6月27日(土)からメンバーへのプレゼントが禁止されることが昨日、発表された。滑り込みで最後のお誕生日プレゼントを(運営さん経由で)渡し、(前日だが)お祝いの言葉を伝えることが出来た。

最近のLiVS(メンバーというよりそれ以外の要素)に対して、私の中にはさまざまなモヤモヤがある。熱心な読者なら察してくれるだろう。だが、今日のLiVSのコンサートは素晴らしかった。LiVSのメンバーと目撃者が織り成すこの時間、この空間。そこに嘘はない。そこだけには嘘がない。そこに嘘があると感じるようになったら、私はLiVSの現場を去るのだろう。

今日の対バンは、雨模様のソラリスが自分たち主催のフェスを開催するためのステップだそうだ。いずれ開催にこぎつけた際にはLiVSもMAPAも呼んでくれるとのこと。メンバーさんがステージでそれを言うのを聞いて、私は感心した。対バンって、観る側からすると何のためにやっているのかがぼやけがちだけど、それをここまで明確に出来るとは。これは応援のしがいがあるだろう。私は個人的にこの集団のメンバーやパフォーマンスや音楽にそこまで魅力は感じなかったけど、活動の仕方としては好感を抱いた。荒唐無稽な夢(たとえばいつも数十人相手にやっている集団が何の脈絡もなく言い出す武道館とかアリーナとか)ではなく、地に足がついた計画。(ちなみにメンバーさんがファンをオタクと言っているのはあまりよく思わなかった。オタク側の言語をアイドル側はあまり使わないでほしい。たとえばアイドルがフロアに下りることを自ら降臨と言うようなもので、私はちょっと醒める。)

特典会。ミニ・マルコchanは日本対チュニジアを父親が観ていたので一緒に観た。彼女にとって生まれて初めて観るW杯の試合だったそうだ。サッカーはもっと点数が入らないイメージがあったという。チュニジアは監督が(W杯期間中に)クビになったみたいだけどよくあることなの? と聞いてくる。よくあることではない。でもサッカーはすぐクビになると私は答える。94年のドーハの悲劇について。なんでドーハなの? ドーハという場所でやったから。(ドーハという)場所なんだ。何で日本は行けなかったの? 勝てば行ける試合で、最後に点を決められて勝てなかった。

2026年8月12日水曜日

LiVS LOG #03 (2026-06-17)

渋谷駅とCLUB CRAWLの間にいくつかあるファミリー・マートのひとつでたんぱく質16.7g グリルチキン ゆず七味とプロテイン・バーを購入。それと昨日、会社で貰った小ぶりのおにぎり二つ。これで夕食。海外から偉い方々が来日するといつも総務担当者がおにぎりやサンドウィッチ等のフィンガー・フードを用意している。余り物はいつも出社している社員にオファーされる。私はそれが下に見られているようでなんとなく気に食わない。自分が選んで好きなものを食べるのが人間としての尊厳と自由に繋がる。望んでいないものを餌付けされるように与えられるのはペットや囚人である。食事というのはそういうものだ。だからこういうときの食べ物を取らないことが多い。と言いつつ、翌日の食事を安く済ませたいという思いが頭をよぎりおにぎりを二つ取ってきた。

昨日は疲労が強く、帰宅後にワールド・カップのイラン対ニュージーランドを観ていたらハーフ・タイムで寝落ちした。その上、今日の定期公演を寝過ごして行きそびれる夢を見た。まあ定期公演は19時半開演なので寝過ごすというのは実際には考えにくいのだが。ファミリー・マート前でおにぎりを頬張っていたら某ランルウさん支持者の紳士が前を横切る。サツアイを交わす。彼が遠征をしてまで今日の定期公演に来場するのには理由がある。ランルウさんのフィーチャー回なのだ。ミニ・マルコchanと並ぶ人気メンバーだけあって今日の最高チケット(JPY10,000)は9番まで出ていた。全体としての入場者はいつもに比べても少なかった。でも高額チケットが9枚売れたから当座の売上的には悪くはないのだろう。LiVSのこれからを考えたときに本当にそれでいいかは別として。某氏によると何かの有力な現場がこれと被っていて、そっちに人を吸われているのではないかとのこと。

『今日好き』(『今日、好きになりました。』という恋愛リアリティ・ショウの通称)にランルウさんは出演したいそうである。その夢を擬似的に叶えるためにLiVS版『今日好き』の寸劇が披露された。なぜか事務所社長の伊藤さんも登場したが、今日欠場していたコンニチハクリニックさんの代打だったのかもしれない。全員学生の設定で、LiVSメンバーはLiVS学園三年。伊藤さんだけ一年。年下。最後に伊藤さんがランルウさんに告白するも振られ、俺が独りよがりだったか…エゴ…という流れから次の曲が“EGO”。

先に書いたが今日はコンニチハクリニックさんが不在だった。彼女のいないLiVSはどこか物足りない。クリティカルなソロ・パートを多く与えられているわけではないけど、いないと集団としてのパワーが不足する。出力が落ちる。誰かが欠場している状態のLiVSを観るのはミニ・マルコchanのいなかった池袋以来。今の四人は一人が欠けるとその存在の大きさを強く感じる。四人でひとつ。それが比較的少人数からなるアイドル集団の良さでもあり、危うさでもある。

想定はしていがが私の気分が上がりきらず。自分のエネルギーが十分にない。こんなときは無理をしない。ほどほどに楽しむ。まったりと。悪く言うとやり過ごすような感覚。ケチャのために移動する気にならず、右端にステイ。ランルウさんの背中の汗に見入る。6月27日(土)の新体制お披露目公演の最高チケットが残り5枚だと告知の時間にメンバーが言っていた。私は通常チケットを購入済み。大事な日だから奮発して高いチケットを買うという気にはなれない。高額チケットに対して醒めてしまっている。

終演後のフロアで某氏が新メンバー二名について、ランルウさん支持者はヒイナマツリさん、ミニ・マルコchan支持者はバンビバンビさんを好むという学説を発表していて興味深かった。たしかに私も現時点ではそのお二人だとバンビバンビさん派である。

特典会。ワールド・カップ中なので特典会で季節性のある写真を撮りたいと思い、アマゾンでJPY500で購入したレッド・カードとイエロー・カードのセットを持参した。それを見るや否やマルコchanが「変態だからレッドカード!」。別れ際に「レッド・カードを貰っちゃったから、もう来ないね」と言うと「えーやだ! じゃあイエローくらいにしとく…」とちょっと切なそうな顔で判定を変更してくれてキュンとした。

2026年8月9日日曜日

4ever Young (2026-06-13)

LiVS4人体制での日々を刻むワンマンライブの開催決定。--この4人で過ごした熱狂は永遠に刻まれる--
という説明文を読んだら今日をもって現行編成のLiVSは見納めなんだと理解する方が自然だが、そんなことはない。新体制のお披露目が6月27日(土)。そのひとつ前の公演である6月24日(水)の定期公演が4人体制の最後となる。Foreverと数字の4をかけた題名が思わせぶりではあるが、実際にはまだ4人での公演はいくつか残されている。微妙な位置づけの公演。たしかに4人での日々を刻むとは書いてあるが4人での公演がこれで最後とはどこにも書いていない。ただ、まあ、言ったモン勝ちというかなんというか、とにかくそういう意味合いの公演なんだと言い張ることで特別感を醸し出している。JPY15,000の最高チケットが27番まで出ていた。特典の限定teeシャツに魅力を感じた紳士たちが一定数いたようである。通常の人間チケット(JPY3,000)で入場した私がフロアに入ると、既に数名の最高チケット購入者たちがそのteeシャツをお召しになっていた。私はそれをパッと見ただけで(半ば社交辞令的に)良いじゃないですかと言ってしまったが、よくよく見てみると全然よくなかった。前面が完全無地。デカすぎる(XXLのみ。小柄な紳士だとワン・ピースのようになっている)。これがめっちゃイケてるteeだったら自分も最高チケットを買えばよかったと思っていたかもしれないが、実物を見てホッとした。これを書いている8月9日(日)に至るまで、誰かがLiVSの現場でこのteeを着ているのを一度も見たことがない。それが答えだ。活用方法があるとすればせいぜい寝間着だろう。そして今日限定という触れ込みでラン・チェキが一枚JPY2,000で販売された。ラン・チェキというのは要は過去に撮影して没にしたチェキの余り物。それをJPY2,000で販売する。最近のLiVSが得意としている体のよい在庫処分である。1枚買うごとにくじを引けるのが救いではあるが。この売り方について入場前に苦言を呈していた某紳士が5枚(JPY10,000)購入したと人づてに聞いてズッコケた。しかもくじは5回とも外れだったらしい。他の人の話を聞いても当選確率は恐ろしいほどに低かったようである。7枚(JPY14,000)買ってやっと当たりが1枚出たという紳士もいた。(一説によると当たりは7枚に1枚だったらしい。)ニコニコしながら血も涙もない搾り取り方をしてくる。LiVS運営さんの容赦なさを思い知った。(高額チケットやグッズを何も考えずに買うのではなく、通常チケットとの差額や値段分の価値があるのか冷静に考えて買おう。そう改めて心に誓った。)私は一枚だけ買ってスズカス・テラさんのチェキが当たった(当然、くじは外れ)。近くにいたスズカス・テラさん支持者の紳士にJPY1,000で買い取ってもらった。上記のやや誠意に欠ける売り方とはまったく別物で、公演そのものは純粋に素晴らしかった。LiVSメンバーの思いを感じる公演だった。パフォーマンスや途中の各メンバーのコメントもそうだけど、セト・リの序盤に新しい曲を多く入れることで、過去に浸るのではなく今のLiVSを前に進めて行くんだという意思を感じた。特典会でミニ・マルコchanにそれを伝えると、それ正解かも。汲んでくれて嬉しい、と言ってくれた。スズカス・テラさんが組んだセット・リストであるとのこと。“Preserved”で一気にフロアに火がついてワチャワチャになった。厳密には4人体制の最後となる公演ではなかったけど、演る側と観る側の双方が特別な気持ちで臨んだ結果、4人体制の集大成に相応しいほどの公演となった。

2026年8月6日木曜日

LiVS×武蔵野音楽祭 -musashino supreme (2026-06-12)

チケットの販売が武蔵野音楽祭の担当者による(?)何らかのヘマ(誰のかは分からないが明らかにヘマである)で延期され、再設定された販売開始日時がよりによってLiVSの公演の真っ最中という最悪の展開。二重に呆れた。まずヘマそのものに対して。そしておそらく新しい販売開始日時はこれでいいですかと出演者(あるいはその運営)に対して確認をせず担当者の一存で決めたであろうことに対して。目の前の公演を無視してスマ・フォでチケットを買うなんてことが出来るはずがない(するべきでもない)。よってチケットを叩き損ねた。ちなみに何が起きたかと言うと発売開始時刻の前から該当ページが表示されない(この時点で担当者や関係者は異変に気付けたはず)。URLの入力間違いかと思ってLiVSや武蔵野音楽祭でtiget内を検索しても今日の公演は出て来ず。販売開始時刻になってもそれが続く。チケットを買おうにも買えない状態が続いた。無駄な時間を使わされた。出遅れた結果、A11。

弟夫婦に第三子が産まれたのを母親からのLINEで知る。一方、その頃、ミニ・マルコchanのケツを追いかけて吉祥寺のライブ・ハウス(和製英語)に向かう私。人生に落差を感じざるを得ないが、弟が模範的なまでにA面の人生を歩んでくれるからこそ、私はB面の人生に専念できる。そう考えることにする。そう考えるしかない。

10番までは全員が対バン相手のファン(一人くらいは目撃者がいたかも?)。出鼻をくじかれ、最前をすべて埋められ、不利な状況。開演前のフロアで追い打ちをかけるようにLiVS運営のSズキさんが「今日はアウェイですよ!」とニコニコしながら話しかけてきた。たしかに今日は明らかに目撃者が少ない。最前中央付近にいたお兄さんとお姉さんにお願いしてLiVSのターンで最前を譲ってもらうことが出来た。最前も右側は対バン相手側のファンがほとんどで、二列目以降も目撃者は少ない。今日は叶芽フウカさんとだてぃがさんという二人の女性シンガーとの対バン。どうやらその二人のファンを兼任している方が多いようである。LiVSの出番では数の少ない我々が声を出していかないといけない。どういうあれなのか分かっていないのだがこのシリーズではLiVSがフィーチャーされていて、出番が最初(20分)と最後(40分)の二回ある。しょっぱなのLiVSのターンを待つフロアにはこの次の叶芽フウカさんとだてぃがさんを可能なかぎり前で観るぞーという紳士淑女たちが発する殺気があった。数少ない目撃者の我々が声を出してLiVSを盛り上げないといけないという状況に緊張した。私はLiVSの最初のターンではスマ・フォをポケットから出さないようにした。今日に限らず基本的に公演の序盤は撮らないようにしている。メンバーがステージに出てしょっぱなから我々がスマ・フォを構えていたらあまりいい気分はしないのではないかと想像するからだ。(あくまで個人的にそう思うので自分がそうするというだけの話。)今日のフロアの状況(目撃者の割合の少なさ)はメンバーも事前に分かっているような雰囲気はあった。LiVS以外を目当てに来た人々の目と耳と心を掴もうという彼女たちの気合は存分に伝わってきた。『業TO HEAVEN』でフロアに下りてくるというやや意表を突く新しいパターン。

叶芽フウカさんとだてぃがさんはどうやら普段から共演・交友関係にあるようである。だから先ほど書いたようにファン層も被っている。彼女たちが自分たちのターンでLiVSに触れ、友好的に歩み寄る姿勢を示したことで、フロアも今日の対バン全体をみんなで楽しもうという雰囲気になった。LiVSも負けていない。エロく聞こえるので大学で関西弁を使うのにはまっているというだてぃがさんの話を受け、エロさで対抗するLiVS。博多弁の方がエロいと主張するコンニチハクリニックさん。絶妙な間を置いてからの「おっぱい」。熱狂するフロア。それに被せてランルウさん(広島ご出身)が「もみまん、一緒に食べる?」という揉みまんを想起させるなかなか攻めた発言。だが、私は分かっている。一番エロいのはこの一連の流れを上気した顔で見ていたミニ・マルコchanである。
多義性やアンビヴァレンツ、秘密、謎との戯れがエロティックな緊張を高める。透明性あるいは一義性はエロスの終わりであり、それはすなわちポルノグラフィであろう。(ビョンチョル・ハン『透明社会』)
裸性が直接見せびらかされるということはエロティックではない。肉体のエロティックな場所は、ほかならぬ「衣服が口をあけるところ」、肌が「ふたつの縁のあいだで」、たとえば手袋と袖のあいだで「きらめく」ところにある。(ビョンチョル・ハン、前掲書)
エロティックさはあっけらかんにさらけ出すこと(この場面だとおっぱいや揉みまんと堂々と口に出すこと)よりもそういったことに対する躊躇い、恥じらいにこそ存在するのである。

だてぃがさんがとても良かった。身体ごと感情を表現するスタイル。伊達さんなのかな?(某氏がdirty girlであると教えてくれた。)ただ、Spotifyで聴いてみても何かが違う。フロアで聴いたあの感じがない。

LiVSの最後のターンになると当初の(LiVS側にとっての)アウェイ感は薄れた。叶芽フウカさんとだてぃがさんが自分たちのターンでLiVSとの融合を呼び掛けてくれたことで雰囲気はほぐれたと思う。またお二人の出番は終了済みだったので彼女らのファンは下がって見物するようになった。そのため前方で目撃者が固まれるようになった。どの曲かは忘れたけどミニ・マルコchanが歌いながら後ろ手でコンニチハクリニックさんを掴んで(フロアから見て)右から左に引っ張って立ち位置を補正していたのに感心した。

こういう対バンを観ていてふと思うことがある。私は知らない・お目当てではない出演者の音楽はちゃんと聴いて、それに比べるとLiVSの音楽はそこまで聴いていない。皮肉なことに。LiVSに関しては私も演る側という面もあるので、純粋に受け手として第三者的に鑑賞することが出来ない。 声が枯れた。