新体制お披露目公演の終盤だったと思う。このあと14時にクラブ・クアトロ公演のチケットの販売が始まるとメンバーの口から発表された。モノを売るタイミングとしてはこの上なく正しい。新メンバー二人のLiVSデビューを目撃することが出来た喜び。お祝いの気持ち。これからのLiVSへの期待と希望。LiVSの音楽とフロアで得た興奮。その状態で完全に冷静な判断をするのは難しい。財布の紐もゆるむ。気が大きくなって高額チケットに手を出す人がいたとしても不思議ではない。これが一晩置くと話は違ってくる。だからあれは商機を逃さない賢明な打ち手だったと思う。ただ私には効かなかった。あの公演をまったく楽しめなかったからだ。よし、チケットを買うぞとはならなかった。このLiVSをこれまでのLiVSと同じように熱量を維持して追い続ける自信がなくなってしまった。(これを書いている今でもない。)これまでならJPY31,500の超最高チケットを申し込むことに何の迷いもなかった。今回は逡巡が生まれた。単にお金がないという問題ではない。このクラブ・クアトロ公演の価値、もっと言うとこの6人体制のLiVSの価値に対する疑いが、自分の中に生まれ始めたのかもしれない。単純にマルコが四分の一から六分の一になったからというのが分かりやすい説明だが、実際にはそれ以上のことが起きている。四人体制時のマルコは単に四人のうちの一人ではなかった。主役だった。スタアだった。今回の増員によって私は“ミニ・マルコのLiVS”という時代を終わらせるという意図を感じ取っている。新メンバー二人に無理やり脚光を浴びせて、強引に“新しいLiVS”を演出しようとしているように、私には見えている。私はLiVSよりもマルコを愛している。もちろん新メンバーがマルコよりも明らかにスタア性があって歌やダンスが上手ければ私は降参します。でもそんなことはまったくないというのが現実。
色々と考えるにつれ、私はこのクラブ・クアトロ公演というプロジェクトから少し距離を取りたい、深く関わりたくないと思うようになった。何だかイヤな感じがするんだ。チケットの販売サイトに書いてあった注意書きのお粗末さ。いちいちカチンとくる文章。まともな就労経験のない女が書いたであろう文章(誰が書いたかは知らない。女というのは文を見れば分かる)。子供じみた稚拙で失礼な言葉遣い。(たとえば「変な写真は投稿しないようお願いいたします」。)読むとイライラする。注意書きには当初、写真と動画の撮影が可能です、写真のみ可能ですという矛盾する二つの文章があった。それが気付いたら写真と動画の撮影が可能ですという文がシレッと消されていた。普通に考えて、シレッと消すだけで済むはずがない。事務能力の以前に人としての誠実さの問題でもある。(ちなみに動画撮影が禁止されていた理由はこの公演を終えた今でも不明瞭である。)そして、高額チケットの特典が微妙すぎる。付加価値の付け方が完全にずれている。公演そのものへの熱が醒めるレヴェル。アイドル・オタクの心理とツボが分かっていなさすぎる。あの特典を他人が受けたとして、一ミリも羨ましくない。へえ、その特典にその金額を払うんだ。物好きだね(笑)くらいにしか思わない。マルコのことが好きだというだけで何でも買うわけじゃないよ。
迷走期という言葉を使う人がいる。もしこれが迷走期なのであれば私は生暖かく見守りつつ、やり過ごしたい。近づき過ぎて消耗したくない。そもそもの話をすると私はLiVSの大箱チャレンジの意味がよく分からなくなってきている。代官山UNITのときにも感じたことではあるけど、このプロジェクトの意味は何なのか。何のために、なぜこの会場でやって、それがLiVSの未来にとってどう重要なのか、そういったことがまったく伝わってこない。それぞれのチケットや特典にどういう思いを込めているのかも不明。高額チケットの特典の詳細すら販売開始時点で明らかにされていなかった。販売すれば価格と内容に関係なく買ってくれると思っているのかもしれないし、実際それは当たっている。特定少数の限られた常連相手の商売。まともに前の方で観ようと思ったらJPY3,1500の超最高チケットにしないといけないだろう。でも優先エリアに行ける以外の特典が微妙すぎる。前に行くためだけにその値段は出したくない。なぜならLiVSは普段からもっと安い金額で前で観ることが出来るからだ。そして6月27日(土)の話を聞く限り集合チェキは流れ作業(交流時間ゼロ)の可能性大。流れ作業の集合チェキ+中途半端に前の方に行くためにJPY10,000のチケットを買うのも微妙。もちろんJPY100,000のVIPチケットは論外。だから、JPY3,000の人間チケットをロー・チケの先行で申し込んだ。そうしたら手売りチケットを販売することと、手売りチケットには最低でも写メ券が当たる抽選券がついてくるというのが後から発表された。ロー・チケで買うと意味不明な手数料が付加され約JPY4,000を払う羽目になった。手売りだとJPY3,000で済む上に最低でも写メ券が付いてくる。つまりチケットは実質JPY2,000となる。先に申し込んだ人が馬鹿を見る。ナメやがって。ある紳士はロー・チケで買う人間チケットを「敗北者チケット」と呼んでいた(自身もロー・チケで購入)。
LiVSはある時期から活動が対バン中心になり、他の集団との交流が増えた。“界隈”に組み込まれ、他の集団のファンにも認知されるようになった。そういう人たちの一部が今日のような大箱公演に来てくれる。それは良かったが、その分、主催の単独公演が主だった頃に比べると宗教的な訴求力が落ちた。対バンやフェスに出てくる集団の中のひとつ。色々と似たような集団がある中の、比較対象のひとつ。よくある所謂ライブアイドルのひとつになった。普通になった。主催と企画公演が減って、観る・追う対象としての面白みは減った。私がLiVSに出会った頃にあった秘密クラブ感はだいぶ影を潜めたように感じる。まあ私が慣れたのも大きいかもしれないけど。よくある売れない、売れる見込みもないロック系アイドル。雑に言ってしまうとそうなる。いや、音楽は素晴らしい。メンバーがステージで見せるパフォーマンスも素晴らしい。でも私がLiVSを大好きだというのを抜きにして客観的、冷徹に立ち位置を見ると、上に書いた通りだと言わざるを得ない。出演者に関係なく地下アイドルという娯楽そのものをDD的に楽しめるならいいかもしれないけど、そうではない私にとっては対バン中心の活動形態はあまり嬉しくない。これまではミニ・マルコへの愛で乗り切ってきたが、だんだん苦しくなってくる。
最前列確約のVIPチケット(JPY100,000)は完売。十数名。超最高チケット(JPY31,500)は28番くらいまで出ていたようだ。フロアに入ると思っていたよりもこじんまりしている。柵でフロアが三つに区切られている。VIP、超最高、その他(最高と人間)。人間チケットでも思っていたほど後ろのほうという感じがしなかった。これがJPY100,000、JPY31,500、JPY10,000とJPY3,000の差か…と後ろから愕然とした。それで高額チケットはあの特典でしょ。全然いいよ、JPY3,000で。実際、予想していた通りで終演後の全員チェキは交流時間ゼロの流れ作業だった。JPY10,000以上のチケットで流れ作業だった。他人事ながら高いお金を出して流れ作業で捌かれるのは不憫だった。JPY10,000でもなくJPY3,000のチケットにして本当によかった。このプロジェクトからなんとなく嗅ぎ取っていたイヤな感じ、悪い予感は的中した。後ろからチケット種別ごとの立ち位置を冷静にみて、終演後の全チェキの様子も見て、これってもう高額チケットを買ってるのはスポンサー、パトロン、悪く言えばカモじゃんと思った。
良いコンサートだったと思う。少なくとも観に来るという判断をして良かったと思う程度には。マルコの髪型が可愛い。オレンジの髪色もこの長さとアレンジならとても合う。新衣装はスカートが3人。ヒイナマツり、バンビバンビ、スズ・カステラ。マルコを含む他の三人はパンツ。全員お腹を出している。鍛えているのがよく分かる。アスリート的な肉体美。“Shall Weeeee Dance???”のイントロでかかってどよめくフロア。ついにこのメンバーで初披露かと思ったが最初のラインをマルコが歌っただけでメドレー的に次の曲に移る。曲名がパッと出てこないけどバンビバンビとマルコ→マルコとランルウとアカペラで繋いでいく箇所が良かった。マルコの声が魅力的。新しい試み、すごく良い。ただ冷静に考えてこれ(アカペラの上手さ)を売りにするのは厳しいかも知れない。何も知らない人が聞いたら感心はするかもしれないけど感動はしない。やるのはいいと思う。キレイに見せる、聴かせるという表現の幅を会得するのもいいことだと思う。ただ、あくまで手札のひとつにしないと。うちらはアイドルじゃなくアーティストですからみたいな方向に行ってしまうと、もう終わりは近いかもしれない。メンバーがそういうことを言ってしまうのは本当に良くないことだと思う。古くからある所謂アーティスト病。アーティストならいくらでも上がいるし、LiVSが強みを発揮できるフィールドではない。(あの松浦亜弥でさえアーティスト路線への転身は成功したとは言いがたい。)アイドルじゃないのであればまずは特典会を廃止すべき。話はそこからだ。私はアカペラやハモリやフェイクを℃-uteやJuice=Juiceが当たり前のように数段上のクオリティでやるのを見てきた。うまい歌を歌える人は世の中にゴマンといる。そのフィールドでLiVSが対等に渡り合うことはできない。今のLiVSはパッションや精神性というよりもキレイに魅せる方向にシフトしようとしている感じがする。ただ、キレイにパフォームするアイドルなら世の中にいくらでもいる。最近のLiVSがキレイにやろうとしているのを示すひとつの例として『RとC』でフロアに下りてこない。それ自体はいい。むしろフロアに下りることに頼らないチャレンジを私は肯定的にとらえている。あまりにもフロアに下りすぎてありがたみもなくなっていたし。しかしその一方で、この規模の会場で、ステージとフロアがこの距離感で、この感じのパフォーマンスとなると、普通なんだよね。飛び抜けてクオリティが高いとは言えない。いや、良いんだよ。良いんだけど、“普通に”いいのだ。“普通に”いいというのが、夢中になったり、熱狂したりする理由になるだろうか。正攻法で質の高いコンサートだったと感じた。これまでの大箱公演よりも安心して観られた。キレイで安全で、予測のできるものだった。その分、そこまで感情を突き動かされなかった。良くも悪くも今のLiVSの運営も含めたやり方や考え方の集大成が、コンサートそのものに滲み出ていた気がする。無責任に叫べるのが気持ち良かった。これが大箱のよさ。コールの間違えを気にせず、単騎でもマルコへのコールを叫ぶことが出来る。普段の箱だと自分が間違えると周りの人がそれで調子が狂ったり、引きずられたりしてしまう。
もっと大きな会場に行きたいというメンバーのいつもの談話。それもいいけど、今日の公演がJPY10,000と百歩譲ってJPY31,500も置いておくとしてJPY100,000のチケットを売ってはじめて成立しているという足元の現実を見てほしい。言い方は悪いが特定少数のパトロンによる寄付のような購入で大箱公演が成り立っている。あるVIPチケット購入者は別の某集団は同等の特典をJPY10,000のチケットにつけていると言っていた。それを分かった上でJPY100,000を払っている。愛である。そしてその大箱の規模は大きくなっていない。親和性の高い対バン相手であるBLUEGOATSやFinallyにはファンが流れていくが逆はほぼゼロであるという事実。要は比較して並べられると選ばれない側にいるということ。もし本当にファンを増やして活動規模を大きくしたいのであれば、カッコつけている場合ではない。キレイにやろうとしている場合ではない。
衣装もメンバーも、マイナー・チェンジや継ぎ足しを繰り返してこれからも同じことを続けていくのだろうか。ループしている感がある。もちろんこれだけ供給過多の市場で何年も集団を存続させること自体、凄いことだ。今の活動規模を維持してあと何年か続けるのも大変なことで、尊敬すべきことだ。しかし、それにしてもストーリーが欠けている。大きなストーリーがないから、3周年の公演も局所的、単発的なものに見えてしまう。新曲を出して全国ツアーをやるのはいいことだけど、それを包み込むストーリーというかナラティヴというか、その言葉が合っているのか分からないけど……目的というか。使命というか。絶対にこれだけは手に入れたいんだっていう情熱というか。そもそもLiVSに夢はあるのか。あるならファンとしっかり共有してほしい。どこに向かう過程としてのクラブ・クアトロだったのか。結局また消耗戦の再開か。ついていけなくなった人は静かに脱落する。あるいは他の集団に流れる。ポツポツと増える新規ファンがそれを補う。ファンの総数は増えない。もしくは減っているかもしれない。
先に繋がるライブができたと思う? と特典会でマルコに聞かれた。思うよ。私は咄嗟に答えた。だけど、LiVSの“先”って何だろう? LiVSがどこに向かっているかも分からないので先に繋がるかは分からない。後から考えるとそれが率直な回答だ。そこまで深く考えてマルコは言ったわけではないと思うけど、私は一人であの質問を頭の中で反芻して、深みにはまってしまった。そして今日の公演が先(それが何を指すのであれ)に繋がったとして、その“先”の中に私がいるかは分からない。日中の飲み会で日本酒を飲みすぎ、軽い頭痛を感じながら家でiPhoneに書いている今の本音だ。いや、繰り返すが、いいコンサートだったんだよ。行って良かったと思うよ。でもこれまでの記念公演のように夢中にはなれなかった。単純に私の状態が良くなくて(気力、体力が不足している。なおかつLiVSに通いすぎて認知が歪んでいる)受け止めきれない面もきっとあるのだと思う。あるいは本当に私の求めるものとズレが出ているのかもしれない。Twitterのタイムラインを見ると全員が満足しているようなので私が疲れているのだと思う。少し休んで、ペースをゆるめて、それでどう見えてくるか。またLiVSへの熱を持てるのか。それともやっぱりもう自分の中で何かが違っていて、完全に醒めてしまうのか。次は10月4日(日)まで行かないつもりだ。コンサートの余韻よりも、これで一旦やすんで少し楽になれることへの安堵の方が、強い。