一般社会から隔絶された独り身生活をおくっているので巷でインフルエンザが流行っているのをアイドルさんの罹患情報によってしか知る機会がない。季節柄、Twitterでちょくちょく見るようになった。それを受けてきな臭い動きがあるのは分かっていた。客にマスクを着けさせるインディー・アイドル集団がぽつぽつと出始めている。LiVSはそういうことはしないだろうなと何となく思っていた(去年もなかったはずなので)が昨日の夜に突如としてマスク着用を“推奨”する旨の文章が公式ホームページに掲載された。多くの集団(たとえばyumegiwa last girl)がマスク着用を求める場面は特典会のみであるのに対しLiVSは公演中も。非常に重い内容だというのが率直な印象だった。LiVSを含むインディー・アイドルのファンダムが特定少数から成る村である以上、“推奨”というのは事実上の強制だと言っても過言ではない。従わない人は白眼視され得る。追放されるかもしれない。それが村というものだ。マスク着用の“推奨”、“お願い”が外界から閉ざされた、ファンダムの小規模なインディー・アイドル界で発生しているというのが肝。一般社会ではそんな“推奨”、“お願い”は既に通用しないからだ。今たとえばスーパー・マーケットの入り口にマスク着用のお願いを貼り出したとしてそれを見てマスクを着けてくれる人はごく少数だろう。というかそもそも他人にマスク着用の“お願い”をするすること自体をもうやめましょう(個人の判断に任せる)ということになっている。唯一と言っていい例外が病院。その病院にしても骨のある人がマスク着用を巡って揉めるくらい、極めてセンシティヴなトピックである。2025年11月時点で私が生活をしていてマスクの着用を求められる場所は病院以外にはない。病院にはほとんど行かない。
あの文に目を通しただけで私はあの苦しくて苦しくてたまらなかった日々がフラッシュ・バックする。頭の後ろが重くなる。胃がキリキリする。胸が締め付けられる。身体が震える。誇張ではない。鬱に苛まれていたときと同じような身体症状。また振り出しに戻るのかという絶望感。感染源としてスケープゴートにされ、見下され、肩身の狭い思いをし続けてきたはずのエンタメ界が、今度はマスクの着用判断は個人の自由という社会の流れに反してまで自主的に客にマスクを着けさせる。演者たちはステージで密接して唾を飛ばし合い、観客だけがあの布切れで口と鼻を覆う義務を課される。フロアで客同士で密接してコールやミックスを叫び合うのはOKで特典会のときだけはマスクをしなければならない(LiVS以外の某集団)のも意味不明だし、客がマスクを着けさせられるのにメンバーはしなくていいのも意味不明。そう、お待ちかね。これはcovid theater。再上映。ほとんどの人たちはこの茶番に気付く頭すら持っていない。あの数年間からさすがに何かを学んだと思っていたが、無理だったか。また振り出しに戻るのか。やっぱりお前らは救いようのない馬鹿だったのか。この絶望感がお前に分かるか? 分からないだろうな。
いわゆる“新しい生活様式”の狂気を体現したコンサートのやり方はHello! Projectがコロナ騒ぎの初期に答えを出して実行している。あの悪夢の“The Ballad”公演。ステージで歌うメンバーは一人。客が盛り上がらない(発声しない)ようにバラード。メンバーが複数人ステージに上がるときは所定(1.5メートルだっけ?)の距離を取る。もちろん客はマスク着用。所定の距離をとるために席は間隔を空ける。公演中は声を出すのはもちろんのこと立ち上がるのも禁止。終演後に付近に溜まるのも禁止。そこまで徹底したら一応、筋は通っている。正否は別としてひとつの論理体系は成立している(本当は歌唱中のメンバーにもマスクをさせないと一貫性がないが)。マスクという布切れへの信仰だけを中途半端に残して、それ以外の要素をすっ飛ばして、やれ特典会のときはマスクをしてねだの、公演中もマスクはしてねだの、ちゃんちゃらおかしい。
BLUEGOATSは前に(2024年だったか)風邪かインフルエンザが流行したとき、体調が悪い場合は来ないでくれとファンに呼びかけていた。マスクをしろとは言わなかった。それが現実的で理にかなった対応だろう。LiVSがやるべきだったのもそれだろう。同じようにメンバーにも無理をさせない。メンバーが十分な休養をとれるように活動強度を落とす(公演数を減らす)ことも一考だっただろう。あのコロナ騒ぎによって多くの人々の頭に、誰かが風邪などをひくのは他の誰かのせいだという思考が染み付いている。そうではなくて風邪は疲れているから、弱っているからひきやすくなるのである。(もっと言うと野口晴哉、『風邪の効用』に書いてあるようにそもそも定期的に小さな風邪をひくことは悪いことではない。風邪は治すものではなく経過するもの。つかえずに経過していくように身体の交通整理をする。上手にひくことで身体の状態がよくなり病気も治る。)
あの文章を読んでから私は一晩中考えた。これで一区切りなのかもしれないな、と思った。別れは突然にやってくる。突然のことだから今日は行く。来週の定期公演には知人に来てもらうことになっている。彼をアテンドしないといけない。私が行かないというわけにはいかない。その後は分からない。いくつか既にチケットを買ってあるから、それだけは行くかもしれない。あの文章が出てから発売されたチケットは買うのをやめている。LiVSのフロアとマスク。相性が悪すぎる。百歩譲って席に座っておとなしく観る・聴くタイプの興行なら、一定期間だけマスクをするのは(屈辱とはいえ)我慢できるかもしれない。しかしLiVSのガンガン声を出してケチャで入り乱れるあのフロアがマスクありで成り立つとは思えない。そして、マスクを着けての特典会なんて想像するだけで醒めてしまう。(もしLiVSを初めて観たあの日にマスクをつけろと言われていたらマルコと新規写メを撮りに行っていなかった。二度とLiVSを観に来ることもなかった。)イヤな思いをするくらいならしばらく行くのをやめたい。でも、そのしばらくっていつまでだろうか? もう私にはLiVSを月に1-2回だけ観に行くというような中間の道は残されていない。ゴリゴリに通い詰めるか、まったく行かなくなるか、そのどちらかだ。そしてゴリゴリに通い詰めるための熱量は、いちど現場通いが途切れてしまうと取り戻せない気がするのだ。狂っていなければオタクは続けられない。一度ぱたりと行くのをやめると正気に戻ってしまうかもしれない。
もしかするとこれが最後になるかもしれない。今日を最後にマルコに会うこともないのかもしれない。お別れの言葉を用意しておいた方がいいのだろうか。それくらいに思い詰めて、緊張しながら渋谷CLUB CRAWLに向かった。会場前の待機空間につくと、いつもの面子が揃っていた。昨日の文章を受けて皆さんマスクを装着済みあるいは準備している。どこか重苦しい雰囲気が漂っていた。でも入場前に皆さんと接していると、イヤだけどとりあえず仕方なく従うかという気分で通じ合っているように感じられた。それでちょっと気持ちが楽になった。
案の定、マスクを着けながらLiVSのフロアを実現するのは無理があった。口周りが汗でびっちょびちょになった。複数枚持って来たけど公演中に新しいのに替えるのも難しい。濡れたマスク。手で位置を調整したり、呼吸のために手で浮かせたり。意味がないのは間違いなかった。ただこのマスクという縛りが生まれたことで変な高揚感があった。声が出しにくい、届きにくいのを逆手にとって普段よりも声を出してやるくらいの気持ちが生まれた。このやりづらい状況をむしろ楽しんでやるくらいの盛り上がりがフロアにはあった。最高の人たちだよ。しばらくの間マスクをしなくてはいけないとしても私はこの人たち(目撃者)とならやっていけると確信した。
特典会でマルコに、私のマスクに対する嫌悪、昨日の文章を読んでしばらく行くのをやめようかと思っていたこと、でも今日こうやって公演を観てまた来ようと思ったというようなことを素直に伝えた。マルコは私がマスクを着けていることに対して、でも私のことを思って着けてくれたんだね。優しいね。体調悪くないんでしょ? だったらしなくていいよ。大丈夫。というようなことを言ってくれた。その優しさに胸を打たれた。
自分ひとりで、頭だけで考えて、性急な答えを出そうとしていたことを反省した。鋭利になっていた思考が、人と接することで柔らかくなった。目撃者とマルコに救われた。私はまだここに居たいと思った。
したきゃどうぞ すればいい symbol of slavery
(韻暴論者、“Kids Mask Off”)