2021年7月10日土曜日

Rainbow (2021-06-06)

「最終面接でその会社の社長が言ってたんですけどね。人が年齢を重ねて変わっていくのと同じように、会社も変わっていく。法人と言うように、会社も人であって、人格があると。それが今でも頭に残っていて。本当にそうだよな、と。僕が会社に入って最初の何年か、それなりに仕事が充実していると思えていましたけど、それってそのときの上司とか、先輩とか、仕事を始めたばかりという自分の状況とか、色んな要素が組み合わさってそうなっていたんですよね。月日が流れていけば、そうじゃなくなっていくわけで。仮に同じ環境にずっといたとしても、同じ状態がずっと続いていくわけじゃないんですよね」
「あのときA社を去ったのは本当によかったのかなって、今でもたまに思うんだよね。A社の後にB社に行って、それで今の所に転職したわけだけど。B社にいたときはA社に戻りたいって思っていたし」
さんがよかったと思っているA社は、もうないんですよ。もう同じ会社じゃないです」
「ちょっと昔の恋愛の話をしていい? こういう話をするのは久し振りなんだけど」
「はい」
「中学校に入ったばかりの頃、大好きな女の子がいたの。ちゃんっていうんだけど。こいつと結婚したいとまで思っていた」
「中学生で」
「そう。中一だよ。それで何回かデートに行ったんだけど、周りの友達はさ、いやあ、そこまでの女じゃないよって言ってくるんだ。兄なんてお前と会う前の日には別の男とヤッてるとまで言ってきた。でまあ、結局長く続かなかったんだけど、同窓会で久し振りに見たら、もう別人なんだよ。あの頃の清楚さがなくて。あの頃、俺が好きだったちゃんではなくなっていたんだ。それでさっきのさんの話を聞いて思ったのが、俺にとってのA社は、ちゃんみたいなものだったのかなって。今でもA社が恋しくなることがあるんだ。奥さんに言ったら、あなたそう言うけどね。あのとき月収いくらもらってた? 今の月収と比べてご覧なさいよ。って言ってくるんだ。それがさ、ちゃんなんて大して可愛くないよと言ってきた友達や兄貴と重なるんだ。でも、A社は初めての会社だったし、俺にとってはそこがすべての基準なんだよ」
「初めて入って、それなりの期間を過ごした会社っていうのは、特別ですよね」
「そう。特別」
「思いが強いからこそ、A社がこうだというのを、自分の中で作り上げているんですよね。でも時間が経つとA社は変わっていく。今はもうさんがいた頃とは別の会社です」

「K島さんの前は、別の子を推していたよね。K島さんが歳を取ったら、また別のロー・ティーンに推し変するの?」
「どうでしょうね…。でも人間は二年半も経つと細胞が入れ替わるといいますから。それくらいの周期で推しを変えていくのは自然なんじゃないですかね」
「もう別の人間だから、考えも変わるってことか」
「そうです。だからずっと同じ人を推し続けている人は凄いと思いますね」

三善/善三さんが昔ZEEBRAさんのラジオ番組にゲスト出演したとき、若手のデモ・テープを聴くとみんなうまいんだけどヴァイブスが足りない的なことを言っていたと私は記憶している。一年半振りに生で観た研修生発表会には全体的にそういう印象を受けた。ただ、私はその感想を自分で信用できない。抑鬱的な症状が出ている中でコンサートを観ていたからだ。それでも江端妃咲さんのヴァイブスはビンビンに伝わってきた。もうデビューが決まっているかのような自信に満ち溢れていた。(これを書いている時点ではJuice=Juiceさんへの加入が発表されているのだが、この発表会の時点でもう決まっていたんだろうね。)

8列のど真ん中というかなりよい席で90%の時間は双眼鏡を構えていたものだから大迫力の絵を得られた。もしステージにいるのが小野瑞歩さんだったらこんな近距離で双眼鏡を使うのは躊躇していた。研修生の皆さんにキモがられようがどう思われようが一向に構わない。遠慮なく双眼鏡で舐め回させてもらった。衣装のスカートの中がハーフ・パンツというよりはブルマに近く、よかった。

人間が最も分かりやすく変化するのが成長期。一気に物理的に成長するから。ちょっと目を離しただけで大きくなる。子供から大人へと成長する過程を見守るのは、アイドルさんを追いかける醍醐味の一つだ。よく疑似恋愛なんていう言葉が使われるが、アイドルさんを長期間に渡って追いかけるのは子育ての疑似体験でもある。アイドル産業の主な顧客層である人々は『闘争領域の拡大』の割を食って恋愛とセックスの不足した生活を送ってきた。当然ながら子供の成長を見守る経験も奪われてきた。人々がアイドルさんを好きになる理由は恋愛感情や性欲の発露だけでは説明できない。特に(女性アイドルさんを応援する)女性オタクさんの存在については、彼女たちが子育ての代替としての娯楽を欲しているという説明がしっくり来る。そうやって、オタクさんたちは人生で自分が果たせなかったことや不足している要素を、アイドルさんを追いかけることで埋めているのだ。応援する研修生さんの配属先に文句を垂れたくなるのは、あなたがその少女の人生に自分の願望や希望を押しつけ、自分の人生から逃げているからだ。

「中山夏月姫さんは身体が成長してエロくなってきましたよね」と、譜久村聖さんを支持する自称四十代の某紳士から言われ、私は返答に窮したことがある。私は氏と違ってロリコンではないため、そういう視点で中山さんを見たことがなかったからだ。それがたしか前回(2019年12月)研修生発表会を観に来たときだったと思う。一年半経った今日、中山さんの身体の虜になったと白状せざるを得ない。抑鬱状態であまり頭が回らず、グルグルとネガティヴな考えが頭によぎる中、ほぼずっと彼女のことを双眼鏡越しにストークしていた。研修生ナンバー・ワンの身体。ソロ・パフォーマンスのため白いドレスを着て左から出てきたとき、鈴木愛理さんのような雰囲気があった。次点で広本瑠璃さん。

Hello! Projectが好きという気持ちが、研修生さんやメンバーさんが活動を続ける支えになっている場合が多いように思う。好きではないとやっていけない世界。事務所側もそこに甘えているように見える。ただ、そのHello! Projectも変わっていく。かつて(モーニング娘。のいわゆる黄金期と呼ばれる時期)はビッグになれる、有名になれる、普通じゃなかなか稼げないキャッシュをゲトれる場所だったかもしれない。2021年のHello! Projectにそんな夢はない。デビューしたら報われるかというと、それは微妙なところだ。研修生さんには冠のテレビ番組があり、四半期毎に東名阪のZeppツアーがある。デビュー組のグループさんにはそれらがない。ファン・クラブ会員を相手にしたクローズドな商売であるため、主な顧客層である中高年男性を個別イベントで喜ばせなければ人気が出ない。となると、研修生としての活動歴でつけた箔を利用して、次の活動なり就職活動なりをする。そうやって経歴を作り上げていく狡猾さも必要なのかも知れない。まだ若いうちに。それはそれで難しい。もっともらしいキレイな理由を述べて集団を去った人々の迷走ぶり。労せずチヤホヤされてお金を得たいという意思が残った、アイドルさんの残骸。

2021年7月3日土曜日

SAVE LIVE MUSIC Ⅲ~Ballads2~ (2021-05-31)

病気でもあるんですか? ―業務の引き継ぎを受けている相手に、この日は早く上がりたいと私が言うと、彼は聞いてきた。悪意がないのは分かる。彼はいい人だ。多少の好奇心が混じっているにしても、純粋に心配してくれている。しかし私はその発言にカルチャー・ショックを受けた。労働と私生活を捉える枠組みが違うからだ。平日に会社を早めに退勤するということが、通院のためでもないかぎり基本的にはあり得ない。想定できない。そういう常識、価値観を彼は刷り込まれ、習得し、自明のものとしている。だから悪気もなく上述のような疑問を投げかけることが出来る。私生活を楽しむための必要悪として労働が存在し、自分の好きなことのために労働の時間を調整する。それが出来なければ働く意味がない。そう考える私。認識している世界が違う。大袈裟ではなく、世界観が異なるというのはこういうことを言うのだろう。

彼からの引き継ぎで知る、業務の詳細。さながら奴隷の生活体験ツアー。信じがたい業務量を、信じがたい緻密さと真面目さで、有給もまともに使わず、文句の一つも垂れず、こなし続けている。それでいて、その自己犠牲に見合った待遇や役職を手に入れている訳でもない。正確な歳は知らないけど、三十代後半。ずっと平社員。将来、昇進していく具体的なビジョンはおそらくない。どうやら本人はそれを望んですらいない。おそらく末端の奴隷たち数名の取りまとめ役くらいで終わる可能性が高いが、それでも彼はその役割に感謝して人生のほぼすべてを捧げるだろう。

彼は例外ではない。むしろこれが普通の、一人前とされるジャップの労働者だ。高度成長期のように企業の羽振りがよく、自分の賃金や地位が上がっていく絵が見えているのならまだ理解は出来る。とっくの昔にその前提条件は崩れている。飴と鞭の飴が消えている。それでも鞭だけを喜んで打たれ続けるマゾヒストども。休日出勤をさせてから後付けでその分の時間はお金で受け取るな、必ず代休を取得しろ、コスト削減のためだと中途で紛れ込んできた気狂い上司が言ってきても(会社の制度上、お金で受け取るか代休を取るかは従業員が自由に選べるにもかかわらず)疑問の一つも呈さずはいッ承知しましたッという感じで粛々と代休手続きを進めるような奴ら。くそバカども。私は絶望した。異常人格者の上司に金銭のため面従腹背していたのではなく、金銭を受け取る権利すら平気で手放そうとする。こいつらが奴隷じゃなかったら何なんだ。

奴隷でいることは罪だ。どんな労働観を持とうが、どう働こうがその人の勝手であり自由? それは違う。奴隷が増えれば増えるほど、奴隷使いがのさばる。奴隷でないと雇用された生活を続けられなくなる。現代では雇用されないと生活していくのは現実的に難しい。好むと好まざるとにかかわらず、奴隷にならざるを得なくなる。奴隷制度は階級の全員に適用されるのであって、奴隷になるかならないかの自由は存在し得ない。よって、自ら進んで奴隷になることは労働者全体に不利益をもたらす。こうやって使用人同士がお互いに首を絞め合っているのが労働経済。しかし奴隷、奴隷と言ったところでどうせあいつらは奴隷の歴史なんて殆ど知りやしない。だから自分や賃金労働者全般の境遇を奴隷に重ね合わせることなんて想像もつかない。ブルシット・ジョブという言葉も知らないまま死んでいく。(仮に知ったところで自分のやっていることがそれだと気付くことはない。)

8時に出社して17時に上がったので、定時分は働いている。それでも事前に断っておく必要があった。彼は表向きには快く了解しつつ、どこか物足りなさそうな顔をしていた。仮に評価が下がるとしても、そんなことはどうでもいい。なぜなら私にとって働くことは生きる手段であり、生きる目的は自分の好きなことをやることだからだ。好きなこととの筆頭が、コンサートやフットボールを観ること。もちろんゼロか百かではない。個別のケースでは労働を選ばざるを得ない時もあるかもしれない。しかし自分の好きなことを犠牲にしなければならないのであれば、働いている意味がない。

好きなことを仕事に出来ればよかったのかもしれない。とは言え私の好きなこと、望む生活といえば、本を読んで音楽を聴いてフットボールを観て文を書いて優雅に暮らしたい、という感じであって、賃金労働とはつながらない。一年と少し無職をやったことがあるが、こういう仕事がしたいなんていう前向きな希望は何も浮かばなかった。労働とは他人の要求に応えるために自らを商品として売ることであって、生まれながらの召使いでもないかぎり、自分の好きなこととは基本的につながらない。労働に心からやり甲斐と充実を感じ、現状の待遇にも満足し、将来の希望を持てている状態というのは一時的な幻想に過ぎない。私はお金さえ続けばずっと無職でもいい。だから私は、税金のかからない十億円が今すぐに欲しい。それさえ手に入れば会社なんてすぐに辞める。残念ながら十数年も労働者の端くれをやってたどり着いた結論がこれである。学生の頃と大して変わらない。

個人として独立してもやっていけるような職に就ければよかったのかもしれない。私が労働で受けるストレスの大半は職務そのものではなく組織がもたらしている。私がこれまで経験してきた業務は組織の中で他部門との関係においてしか成立しない。そういう環境で働くことで人間としての最低限の社交性を身につけることは出来た。だが根っこの部分では色んな人と関わり合いながら何かをやるのが向いている人間ではない。そうは言っても個人として食っていくなんてのはかなり難しい。凡人は組織に雇ってもらい何とか立ち振る舞っていくしかない。学生の頃から計画的に行動を起こせていれば、もうちょっと個人寄りの労働が出来た気もする。しかし当時の私にはそんな行動力はなかったし、労働生活が未知すぎて先を見越すなんてことは出来なかった。お前はこういう道に進むのがいい、そのためにこういうことをしなさいと導いてくれる人はいなかった。そういう助言を得られる人間関係も作れなかった。あまりに内向的すぎた。

上原ひろみさん42歳、私38歳。自分と同年代や年下がさまざまな世界の第一線で活躍するのを目の当たりにするのには慣れた。自分と年齢の近い人の才能を目の当たりにして焦るなんてことはない。自分と違う世界にいるトップ・レヴェルの人たちと自分を同じ土俵で比べるのは不毛もいいところ。頭では分かりながらも、ある時期までどこかで自分と比較していた。その過剰な自意識はだいぶ前に捨てた。今では年齢に関係なく、凄い人のことは純粋に尊敬する。この歳まで自分の稼いだ(といっても売上を自分で作り出しているわけではない)給料で何とか生活が出来ている。学生の頃の私からすれば、それだけで奇跡だと言っても過言ではない。それはよーく分かっている。分かっているが、上原ひろみさんのピアノ演奏を聴いた上で、私は私で身の程をわきまえてキチガイ上司と奴隷同僚に囲まれてクソ労働を我慢する日々に戻ろう、とは思えなかった。コンサートの非日常によって明日からの労働を乗り切る元気をもらったと思えることがある。今日はそれとはまた異なる感覚を覚えた。

私は労働者になって三、四年くらいの頃、大量の自己啓発本を読んで自らを鼓舞し、つらさを乗り切っていた。クリエイティヴな仕事なんてない。クリエイティヴに仕事をするのが大事なんだ。ある本にはそう書いてあった。20代半ばの私はその言葉を信じ、目の前の業務に向き合いやり方を自分なりに改善することに注力した。やっている業務が何であれ、自分はクリエイティヴなことをやっているんだと自負すればクリエイティヴになる。何をやるかではなく、どうやるか。まったくの嘘っぱちとまでは言わないが、今の私は素直に首を縦に振ることが出来ない。ゴミのような労働で生計を立てている労働者にいつまでもゴミのような労働を続けさせるための方便じゃないか。ピアノと向き合う上原ひろみさんの佇まいを見てみろ。表情を見てみろ。一つ一つの所作が、まさに自己表現というに相応しい。朝から晩まで次から次へとしょうもないメールを送受信し何千行もあるエクセル・ファイルをせこせこといじり続けている自分と何かを重ね合わせられるとしたら、頭が狂っている。

私が会社でやっているのはクリエイティヴな仕事ではないし、実際にはホワイト・カラーですらない。出来る会社員になるための自己啓発。小さく見れば正しいが、大きく見れば間違っている。よき使用人、よき奴隷、お得な価格で手に入る商品になるための努力。労働者が搾取され、お互いに競わされる構図。それを防ぐには労働者がそのゲームに乗らないのが必須。この間のつばきファクトリーさんのリリース・パーティで参加券購入の列に並んでいた、横山玲奈さん風な喋り方のナオンのように。本当はみんなが結託しなければならない。

クソな労働生活を、素晴らしいコンサートでもらった元気で乗り切る。その公式だけでずっとやっていくのに無理が出てきたと私は感じている。クソ労働をかなりやらないとそのサイクルを回せないからだ。労働生活がクソなのは変えられないにしても、もうちょっとよくするためにもがいていいんじゃないか。溺れないように。現状を変えるための行動を起こさず、ひたすら受け身に、ただ我慢して、自分の将来を運に委ねる。そう割り切るには残された刑期が長すぎる。もちろんあてもなく退職して、これからは好きなことだけをして自由に生きていきますなんて血迷うほどガキではない。

いつからだろうか、月曜日に決まって頭痛と日中のひどい眠気に襲われる。会社を出た途端に治ったこともある。最近はたまらずバファリンを昼過ぎに飲んでいる。月曜日に限らないが、月曜日に発症する確率は明らかに高い。ほぼ毎週。整体の先生と医師に頭痛のことを言うと、気温の変化による自律神経の失調、首の骨が詰まっている、といった答えが返ってくる。本当の原因は労働のストレスなのではないか。業務量とはまた別の話。多くの人が同じ問題を抱えているらしく、ブルー・マンデイ症候群という名称があるようだ。上原ひろみさんはきっとこんな経験はしたことがないだろう。仕事のことを労働とは言わないだろうし、仕事と休みという区別さえしていないだろう。人生が、存在がピアニストであり、音楽家なのだろう。

バラードだけを演奏する、マニアックなコンサート。よくテレビで5秒や10秒くらいで紹介をされるときはピアノを殴っているような場面を切り取られますが、バラードも昔から大事にしています。緊急事態宣言の延長でお酒を飲めない。開演時間も調整された。そんな状況を乗り越えて観に来た皆さんはマニアの中のマニア。お酒は飲めないけど、ピアノの音に酔っていただこうと思います。いつものほんわかした調子で上原ひろみさんは観客に語りかけ、場を柔らかい雰囲気で包んだ。メロディは聞き覚えはあるが曲名が出てこないいくつものスタンダード曲、あと“Reminisce”という新曲も披露された。上原ひろみさんの生演奏を、ブルーノート東京で聴ける稀有な機会。先行販売で買うためにブルーノート東京メンバーズ・クラブに加入し、発売開始時刻になった瞬間に購入ページに急ぎ、それでもギリギリで手に入れたチケット。楽しみにしてきた時間。しかし公演の最中ずっと思考がグルグル廻り、音楽に集中出来ない精神状態だった。

2021年5月29日土曜日

つばきファクトリー 2ndアルバム発売記念 ミニライブイベント (2021-05-27)

食とは何か? 働くためです。
食の必要を突き進めれば、労働に結びつきます。
人間を働かせるために、食は発展したのです。
食が消えれば、強制労働は消えるのは必然な流れです。
(山田鷹夫[編著]、『不食実践ノート』)

労働と消費は同じコインの裏表。誰かの消費は誰かの労働。それでも我々は労働を憎み、消費を愛する。消費者は比較をして商品やサービスを選ぶ。競争が激しければ激しいほどその商品やサービスの提供元は二つの相反する要求に応え続けることを強いられる。もっと安く、もっと質を高く。それは回り回って誰かの労働をもっと安く、もっときつくさせる。自分の労働を厭々やっている人でも、消費者としてふてくされた接客や対応を受けようものなら当然のように怒る。自分のことは棚に上げ、他人にはプロであることを要求する。自分は大して給料がよくないからこの程度でいいんだと(口に出すかは別にして)開き直るのに、他人に要求するときには相手の待遇のことなぞ殆ど考慮に入れない。

最低限の衣食住にかかる費用は別として、我々は労働の痛みを癒すために消費をしている。労働は鬱病と強く結びついている。労働で鬱病になるのは言うまでもないとして、労働をしていなければしていないで自己肯定感や社会との結びつきを失い(デュルケームさんの言うところのアノミー)鬱病になる。場合によっては自殺する。現代日本では大人になって労働経済に参加していなければ社会の一員として認められない。だから我々は就労していようがしていまいが、消費を通じて得られる快楽なしで生きていくのが難しい。労働あるいはそれがない苦しみを、他人の労働で和らげてやり過ごしている。もちろん労働が楽しくて仕方がないとか、生き甲斐だという人(そういう人は労働という言葉は使わない)も一部にはいる。食えている芸術家や、心からやりたいことがあって起業して成功している人はそうなのだろう。ただの会社員がそう思っていたら一種の洗脳(やりがい搾取)を受けている。そうじゃなかったら相対的に楽で高給な職にありついている。運良くババを引かなくて済んだだけの話。雇用市場や社内での立ち回りが器用なだけ。くだらない。どこかの誰かがそのしわ寄せを受けている。

労働と消費のスパイラル。就労第一という価値観。適応出来ない者に渡される鬱病と自殺への切符。大学を出て企業に就職した瞬間から私は罠にかかっている。いや、その前から消費者として手懐けられ、この構造に組み込まれてきた。私はここから一生、抜け出せる気がしない。本当は労働を憎むのなら消費も憎まないといけない。Juliet B. Schorさんが“The Overspent American”で書いていたように、消費によって何らかのステイタスを得られるという幻想を捨て、不要な消費と過剰な労働というサイクルから抜け出すのが、労働を愛せない人の目指すべき道だ。消費をすればするほど労働への依存が高まる。もし仮に人生で支出をゼロに出来るなら労働はしなくていい。それを突き詰めたのが山田鷹夫さん。食べないで生活する(不食)という境地を切り開いた。無人島に移住して不食を実践すれば働かなくて住む(『無人島、不食130日』)。

私が何とか精神を病み過ぎずに(軽度に病むことはたまにある)労働経済に踏みとどまっていられているのは、横浜F・マリノス、田村芽実さん、Hello! Projectさんといった存在のおかげだ。私が生きる目的といっていい。しかし彼らとて慈善事業ではなく商売。お金がなければ活動を続けられない。お金を払わなければ試合や舞台、コンサートを観ることは出来ない。お金を得るためには労働を続けないといけない。

私は基本的に平穏で恵まれた環境にいるが、楽しい、ワクワクする、面白いといったポジティヴな感情を労働から得ることは皆無と言っていい。特に最近はそうだ。我慢するのが職務のようなものだ。何日か前にストレスで胃腸に異変をきたし、食欲が減退し、下痢になった。検索すると過敏性腸症候群というやつっぽい。私は元々ストレスにはさほど強くない。最近はそれを発散させるのも難しくなった。コロナ対策禍(コロナそのものよりむしろ行政によるコロナ対策が民衆を苦しめること。金井利之さんの『コロナ対策禍の国と自治体』参照)による興行への制限で、フットボールでもコンサートでも声を出すことが許されない。(ちなみに明治安田生命Jリーグではゴールが決まったときに観客が大声を出しているのは暗黙の了解である。これで1,000試合以上やっていわゆるクラスターの発生がゼロというのは皆さんにも知ってほしい。)マスクを着けて、座ったまま、黙って観ていなければならない。かつてのように感情を爆発させることが出来なくなった。人生そのものにおいて、である。

いいこと教えてあげよっか。黒い半袖Tシャツからムキムキの腕を覗かせる小麦色の男性が対面に座る女性に言っていた。話の断片によるとどうやらジムの店長らしい。ジャガイモは食物繊維だから、ベジ・ファースト。血糖値の上昇を防いでくれるよ。へえ、そうなんだあ、と女性は答える。食物繊維を最初に食べることで糖質の吸収が穏やかになり、血糖値の乱高下を防げる。よく知られた話。だけど、ジャガイモでそれが出来るのか? 食物繊維なんか入ってたっけ? 糖質制限系の本ではむしろ血糖値を急上昇させる悪役のような扱いを受けている。後で調べてみたらジャガイモに多くの食物繊維が入っているのは事実だった。驚いた。しかしベジ・ファーストのベジにジャガイモをカウントしてよいのか? 実際のところどうなんだろう。ある程度の食事が摂れるまでには胃腸が回復していたので、横浜のハングリー・タイガーさんで昼食を摂った。ダブルは無理。シングルでお腹いっぱい。

コンパクト・ディスク販売開始時刻の12時半ちょうどくらいにクラブ・チッタに到着。土砂降りの雨の中、信じ難い長さの列が出来ていた。全員が傘を差していた分、人と人との距離があった。それを差し引いても、つばきファクトリーさんが平時にリリース・パーティをやっていたときの二倍から三倍はいるのではないだろうか。周囲から漏れ聞こえてくる会話によると、10時頃からちらほら並んでいたらしい。もちろん早くから並ぶ人はいるにせよ、ここまでの規模になるとは予想していなかった。それに、事前に会場周辺に溜まらないでくれというアップフロントさんからのお願いに馬鹿正直に従いすぎた。マリーシアが不足していた。一度の会計で買えるのは一人一枚。つまり二回行われるリリース・パーティの両方に入るためには二度並ぶ必要がある。列の最後尾に着いた時点で分かったのは、二回分の入場券を手にするのは不可能だろう。一回分も手に出来ないという最悪の事態も想定しないといけない。その場合はお見送り会だけに参加しようか? それとも帰ろうか? “Your Money of Your Life” (Vicki Robin and Joe Dominguez)を読む。ページがびしょびしょに濡れていく。

この列は何なの? これみんな密になっちゃうんじゃねえの? なぞと笑いながらエスタシオン係員に聞く、通りすがりの小汚い老紳士。テレビで仕入れた密とかマスクとかワクチンとかのクソ情報で頭をいっぱいにしたまま死んでいくと思うと憐れだ。私がこのコロナ騒ぎで学んだことの一つが、人は老人になったら賢くなるわけではないということ。いや、それは何とか…とエスタシオンははぐらかすように答えていた。きちんと対策をしていますので密にはなりませんと自信を持って言えばいいのに…と思いながら、私は本に意識を戻した。

後ろに並んでいた若いナオン二人組の片方が、この瞬間もテレ・ワーク中ということになっていることを明かしていた。ちょっと横山玲奈さん的な喋り方。今日は朝8時に起きて、餃子を作って…それでここに来た、と労働に関する言葉が何も出てこなかった。バレないの? と聞くお友達。バレない。列は最後の方になると会場内に入る。フロアの後ろで、つばきファクトリーさんのリハーサルが聞こえてくる。『三回目のデート神話』。ちょっと得した気分。さっきのナオンが、これから会議が始まる。今当てられたら(リハーサルの音が入るので)困る。何かやたら当てられるんだよね。あんまり悪いことしてないのに。なぞと明るく話していた。私は感心した。労働というのは、労働者というのは、こうあるべきだ(有給休暇を取れなかったのかという疑問は残る)。売り場まであと20-30人というところで、参加券が残り少なくなっております、只今お並びのお客様でもご希望の参加券をお買い上げになれない可能性があります、と案内を繰り返す。緊張が走る。その少し後に、1回目の参加券が完売したという案内が来た(つまり販売開始時刻に少なくとも300人以上が並んでいたということ)。焦ったが、何とか2回目の参加券を確保することが出来た。1時間40分くらい並んだことになる。185番。うーん、決してよくはないが、パーティに参加する権利を有しただけでよしとしなければならない。箱に手を入れた感触ではまだ数十枚はありそうだった。箱はもう一つあった。用意されていた参加券は300枚ずつ(計600枚)らしい。何で1回目だけがこんなに先に枯渇する? 普通に考えたら19時開演の2回目の方が労働者は参加しやすいのでは? 首を傾げる。後から理由を考えたが、松永里愛さんと工藤由愛さんのFCイヴェントが夕方にあったので、それと回したい人が多かったのだろう。

星乃珈琲店で、オキニのノートブック(マルマンノート ニーモシネ A5 無地 N183A)にオキニのペン(パイロット アクロボール 0.5)で頭の中の考えを書き記す。数日前に比べるとよくなってきているが、まだ胸が苦しい。胸の内を言葉にして自分で向き合うことで少しでもこのつらさを鎮められるのではないか。そう思って書いた言葉の一部が、この記事の前半部分(最初の◆をつけるまで)の土台である。

商店街にある焼き肉店の夜定食に惹かれた。肉200gで、約2千円。この鬱状態から脱するために赤身肉を食ってタンパク質や鉄分をたっぷり補充した方がいい。迷ったが、もっと安く済ませたいという考えが勝った。観行雲さんで鶏肉とカシュー・ナッツ炒めの定食。700円。

10月18日(月)につばきファクトリーさんが日本武道館でコンサートを行うことが、5月26日(水)にYouTubeで発表された。いい知らせなのは間違いないが、私としては素直に喜びきれない部分があるのも否定できない。本来なら2020年の5月にいわゆるホール会場でのコンサート・ツアーをやるはずだった。コロナ騒ぎで頓挫したその計画から再開するべきなのではないか? 過程を踏まずにいきなり日本武道館というのは思い出づくりの印象が強く、白けてしまう部分がある。研修生ではなくつばきファクトリーさんとBEYOOOOONDSさんがホールでの単独公演をやるべきだった。もっとも一番大事なのはメンバーさんのモチベーション。武道館に立てるのを励みに彼女たちが前向きに活動を続けていけるのなら、それが正解なのだとは思う。

つばきファクトリーさんがドロップした新アルバム“2nd STEP”を、私は発売日前日の5月25日(火)に受け取った。まだ数回しか聴いていないので断定的な評価は下せない。新曲は一人一人の歌声をフィーチャーした曲が多くメンバーさんたちの成長を楽しめる。『断捨ISM』から始まるというハード・コアな構成で出鼻をくじかれるが、そこまで悪くはないのではないか。少なくとも音楽性の停滞したモーニング娘。さんの新アルバム“16th~That's J-POP~”よりは面白い。それが現時点の印象だ(モーニング娘。さんに関してはアップフロントさんが2012年の“One・Two・Three”以来のEDM路線をいつまでも最先端だと思っていそうなのが痛々しいし、この期に及んで例のフォーメイション・ダンスとやらの自己満を得意げに押し出しているのは見ているこっちが恥ずかしくなる)。

このように情報を受け取るだけで、曲を聴いただけで、ゴチャゴチャと意見を言うことは出来る。しかし、大事なのは御託をこねることでもケチをつけることでもない。現場で体感することなのだ。つばきファクトリーさんたちがひなフェス2021で初披露した脚をガッツリ露出したミント色の衣装でステージに現れ、照明を浴びながら『マサユメ』をパフォームするとすぐに余計な考えは頭から消え去った。メンバーさんの熱量、輝きに魅了され、夢中になった。「この現場以外に本場なんてのは存在しない 外野の野次は聞くに殆ど値しない」(ライムスター、『ウワサの真相 feat. F.O.H.』)という宇多丸さんのリリックが頭に浮かんだ。このパーティの前と後では『マサユメ』の鳴りが違うんだよ。明らかに。私の中で特別な曲になった。

私の席は真ん中よりも後ろだったけど、それでも十分に近くて。メンバーさんの表情からは、つばきファクトリーさんという単位でのショウが出来る喜びが伝わってきて。ラモス瑠偉さんみたいなことを言うけど、何をやるにも気持ちって大事だよ。技術があればいいってものではない。気持ちを伴わない表現、活動、労働はどこかで破綻するよ。本当に一人一人が可愛くて。太ももが眩しくて。全力でやってくれるキックではショート・パンツから覗く脚の付け根付近がちょっときわどくて。『恋のUFOキャッチャー』のヒップをふりふりするダンスがコケティッシュで(この箇所については事実上お尻を丸出しにしてくれているに等しいジャージ姿でのダンス動画が至高。同じ意味で『My Darling~Do you love me?~』のダンス動画も宝)。声は出せなくても会場の雰囲気はスゴくよかった。ハロ・コンより何倍も楽しかった。つばきファクトリーさんが出てきたら私はすぐに笑顔になった。音楽に身体を揺らし、エメラルド・グリーンのペンライトを小野さんに向けて振っていると、さっきまで重苦しかった気持ちが、スーッと楽になったんだ。そこでふと思った。もしかして配偶者や子供がいる人は、こんな回復効果を日頃から得ているのだろうか? そういえば前に読んだ本に、子供、孫、恋人、配偶者といった愛する人と過ごすことには大きな疲労回復効果があると書いてあった(渡辺恭良・水野敬、『疲労と回復の科学』)。我々はアイドルさんに依存してでも対抗しないと勝負にならないじゃないか!

不思議なんだけど、画像や映像だけでは、私は小野瑞歩さんが最も魅力的だと常に思うわけではない。でもこうやって現場に来ると、やっぱり彼女が好きだな、私は彼女を応援したいなってその度に思うの。『My Darling~Do you love me?~』のフックでメンバーさんが一列に並ぶとき、左端に来る小野さんがちょうど私の席から見て真正面でね。愛してるって私を見て言ってくれているような感覚を味わえて、好きになってきた。

本編中は一切の発声が禁止だったが、お見送りではなぜかメンバーさんとの会話が許された。メンバーさんの並びは右から左、年上順だった。人の流れをしばらく見たアルビ兄さんが、一回目もそうだったが流れ方が早い。心の中で握手をしているつもりで。次いつやれるかは分からない。とスピードを緩めるよう我々に促した。私は個別お話し会にも申し込んでいないし、たしかに小野さんとお話をする機会は滅多にない。私は殻を破ることにした。手元にある二枚のお見送り参加券。もしこれが小野さんと対面できる最後の機会だとしても悔いがないように、二つだけを伝えるとすると…。

お見送り1回目
小野さん:あ!(指さし)
小生:みずほchan一番かわいい!
小野さん:イェイ! 一番!(指で1を示す)ありがとう!

お見送り2回目
小野さん:みずほが一番!(指で1を示す)
小生:(意表を突かれ、言葉に詰まる)……。好きです
小野さん:あっはっはっは

つばきファクトリーさんに、小野瑞歩さんに、誇張抜きで、文字通り生きるための元気を貰えた。本当に楽しかった。くりぃむしちゅーさんのオールナイト・ニッポンを聴いても素直に笑えないくらい弱っていた精神が、帰りの電車では目の前に上司がいたら殴ってやると思うくらいまでに回復した。マジで殴りてえ。どんな薬でもこんなに効かないだろ。CBDオイルよりもつばきファクトリーさんが効く。ナイアシンよりもつばきファクトリーさんが効く。5-HTPよりもつばきファクトリーさんが効く。セント・ジョーンズ・ワートよりもつばきファクトリーさんが効く。つばきファクトリーさんは私を救った。つばきファクトリーさん、本当にありがとう。コロナ騒ぎで興行がやりづらい中、このパーティを実現にこぎつけたアルビ兄さんをはじめとする裏方の皆さん、本当にありがとう。

2021年5月21日金曜日

花鳥風月 (2021-05-16)

双眼鏡越しなのに小野瑞歩さんからレスをいただけたような感触が何回かあった。もちろん実際にはレスではなかったかもしれない。VAR (video assistant referee)が介入したら、3月17日(水)に徳島ヴォルティスさん戦で前田大然さんが決めたゴールのように取り消しになる可能性が高い。そんなに前の席ではなかったし、そもそも双眼鏡に送られるレスというものが存在するのだろうか? おそらく私が勝手にレスのように感じたに過ぎない。いわば疑似レスである。ところが人間の脳は都合よく出来ていて、疑似フェラを見て興奮するのと同じように、疑似レスでも実際のレスをいただいたような喜びを得てしまう。後から考えると単に双眼鏡で視界を拡大していたから小野さんがこちらの方向を見ただけで私を見てくださったと誤解しやすくなっていただけではないか。しかしそんな理性的思考とは関係なく、私の脳は勝手に幸せ物質を分泌させた。小野瑞歩さんのことがまた好きになってきた。

Hello! Projectへの依存度を下げ、フットボールとジャズを愛好するイケてるインテリ一般男性へのジョブ・チェンジを成功させつつあった私だが、仙台の地で小野瑞歩さんに引き留められた感がある。度々このブログでも書いているように私にとってHello! Projectは生きる目的というよりはいくつかある楽しみの一つになっていた。コロナ騒ぎがそれに追い討ちをかけた。制限下の興行に前のように興味を持てなくなったのもあるし、自分の収入が減って出費を絞らざるを得なくなったのもある。コロナ騒ぎ前に比べて私の心がHello! Projectから離れているのは間違いない。自己分析するに、私がこのブログでアイドルという存在についてメタ的に語ることが増えたのはそれが原因だ。料理があまりに熱いと味が分からないように、アイドルにどっぷり浸かっているよりは熱が少し冷めてきた頃合いの方が冷静に考えられる。その状態で出会ったミシェル・ウエルベックさんの小説。答えが書いてある、と私は思った。

こんにちは
あ、久しぶり! 超可愛いお洋服
あ、ありがとうございます。あの、ちょっと遅いんだけど
うん
お誕生日おめでとう。二十歳
ありがとう
何年もアイドルを続けてくれてありがとう。応援できることが幸せです
ずっと応援してね
はい
え、お洋服超可愛い!
2020年11月21日(土)ベルサール新宿グランド 個別お話し会 二部
(ちなみにこの日の私は上下Needlesだった)

コロナ騒ぎが始まってからのコンサートである『ザ・バラッド』、“STEP BY STEP”、『花鳥風月』に、数回ずつではあるが私は足を運んだ。小野瑞歩さんが出演する公演だけを選んで申し込んだ。実のところ、公演中は小野さんのことばかりを観ていたわけではなかった。彼女が団体から身を引く際には私もHello! Projectオタク活動からの引退を視野に入れている。何事もなかったかのように別のメンバーさんに鞍替えするということはあり得ない。ただそれは義理と意思の領域であって、小野さんへの熱をいつまで保てるかは別の話。一時期に比べれば弱火になっているのは否めない。でも、今日に関しては目が離せなかった。夢中でステージ上の小野さんの一挙一動を目に焼き付けるあの感覚が戻ってくるのを感じた。

照明に反射して光る、小野さんの顔の汗。衣装のラメのように彼女をキラキラさせる。意図された演出と感じられるくらい、コンサートの欠かせない要素だった。井上玲音さんが、今日はリハーサルから暑かった。そしてこの花ティームは残り数公演しかないので一同、気合いが入っていた。それが私たちの発汗につながった、的なことを言っていた。新沼希空さんが一番スゴかった。もう、汗だく。左肩を露出した衣装の譜久村聖さんはデコルテが水浸しになっていた。(公演後にご一緒した譜久村さん支持者の紳士は、譜久村さんの髪型がポニー・テイルだったので衣装と相まって首周りと肩をよく見せてくださっていた点にたいそう欲情なさっていた。)でも誰一人として汗を拭わないのがプロだった。

小野さんの表情が味わい深く、ずっと観ていても飽きない。単に笑顔がステキというだけでなく、その時々によって微妙に異なるさまざまな感情がブレンドされている感じがする。楽しいとか嬉しいだけでなく、たとえば照れ臭いとか。そのときのリリックとご自身のお気持ちに合わせて調合しているのだろう。表情のブレンドを変えることで言葉を使わずに我々と会話をしている感じ。

一曲目の『桜ナイトフィーバー』(春というだけで毎年この季節にセットリスト入りする駄曲)で、何度かメンバーさんが屈む場面がある(これってどうなんでしょう? の箇所)。譜久村さんが衣装の下で胸部に巻いているサラシのようなものが見えた。小野さんはどうも衣装の首元を真ん中で止めてあったらしく、衣装の中は見せてくれなかった。島倉りかさんがスカートの中にお召しになっているスパッツ。井上さんと新沼さんが足を高いキックで見せてくれる短パン。フットボールで球際の激しさ、インテンシティが重視されるのと同じように、Hello! Projectのコンサートでも足をしっかり上げる、腰を低く落とすといった動作の一つ一つを本気でやってくれるとメンバーさんの気持ちが伝わってくる。何となく流してやっていると観ている方も分かる。さんが最初にお召しになっていた白いロング・パンツはよく見ると中のが透けていた。それは私を性的に興奮させた。

女性の太ももを感知すること、その交わるところにある性器を頭の中で再構成すること、興奮の程度が直接持ち主の生足の長さに比例するこのプロセスは、ぼくの中では意識されることなく、あまりにも機械的に行われ、ある意味でDNAにすり込まれていた。(ミシェル・ウエルベック、『服従』)

トークネット・ホール仙台。アップフロントさんが私に与えた席は13列だった。中の上くらいの席だが、割と小じんまりした会場だったので、悪くはない位置だった。双眼鏡を使うと動くアンオフィとでも言うべき景色を得られ、満足出来た。盛り上がることが許されず、座って黙って鑑賞しなければならないという制限下では、ステージとの近さが公演への満足度を決める重要な要素である。どの席でも同じやり方でしか鑑賞させてもらえないので、席の悪さを自分の鑑賞方法で取り返すことが出来ないからだ。良席の相対的価値は前よりも更に高まっている。二階席からの観覧だった千葉公演に比べ私が格段に楽しめたのも、席が比較的良かったというのが大きな要因だったと思う。久しぶりにHello! Projectの現場が心から楽しかった。そう思えたのはたぶん去年8月のリリース・パーティ以来だ。

私は双眼鏡に専念するためにペンライトを持ってこなかった。ペンライト利用者への係員の当たりがきつかった。曲と曲の間にしょっちゅうスーツ姿の青年が飛んで来て注意してるの。誰かが『こんなハズジャナカッター』の最後に振りコピで一秒くらい頭上にペンライトを上げただけでも注意の対象になっていた。注意基準の妥当性は別として、禿げ散らかして、もしくは半分くらい白髪になって、ステージの少女に向けるペンライトの高さを執拗に注意される中高年は人生に悲哀があり過ぎる。

コンサートは日曜日だったんだけど、土曜日から仙台に入って精神的にリラックス出来ていたのもよかった。ちょっと危なかった。数週間前に労働でやらかしたエラーの火種が金曜日に燃え始め、不穏な空気が漂っていた。運良く丸く収まった。上司に説明と謝罪を済ませて土日に持ち越さずに済んだ。この旅で読むために部屋の積ん読から拾った『黄泉の犬』(藤原新也さん)が面白かった。独特の文章展開と構成。仙台でコンサートを観る以外にやったことと言えばサテンをハシゴしてひたすらこの本を読んだのと、メシを食ったくらい。土曜日と日曜日に入ったランチ処が両方とも大当たりで。商店街の中にある魚たつさんと、電力ビルの地下にある扶餘さん。おすすめ。公演後に譜久村聖さんを支持する紳士と入った焼き肉屋さんのひがしやまさんもよかった。焼き肉屋さんって簡単に一人五千円、六千円、あるいはもっと行くじゃない。ここは定食があってね。それと一杯ずつ飲んで一人2,300円で済んだ。もちろんもっとおいしい焼き肉屋さんはたくさんあるけど、値段を考えると高く評価できる。半額キャンペインで新幹線を利用できたので移動のストレスも少なかった。日曜の23時頃に帰宅。月曜日はフィジカル出社のつもりだったがちょっとしんどい。在宅勤務に切り替える。

2021年5月2日日曜日

キャメリア ファイッ!vol.12 キャメリア記念日 (2021-04-23)

太陽が毎日昇ることを祝う人間には、明日という未来は確定していない。人間は、地動説を信じることで、明日という未来を確定させた。知識、情報が増えることで、未来は確定していく。(妹尾武治、『未来は決まっており、自分の意思など存在しない』)

つばきファクトリーさんの結成6周年。(結成日は2015年4月29日。厳密にはこのイヴェントの時点でまだ6年は経っていない。)小学校に入って卒業するまでの期間だ、と岸本ゆめのさんはステージでいつもの真っ直ぐな笑みを浮かべ感慨に浸っていた。もうランドセルじゃなくなっちゃうよ、とメンバーさんの誰が言っていた。小学校と違ってアイドルさんの活動には決まった期間があるわけではない。長く続けたとしても二十五歳くらいが限界だという暗黙の了解がある一方、いつ終わっても不思議ではない。直近だと小片リサさんや高木紗友希さんを見よ。その日は突然やってくる。アイドルさんが何かと結成やデビューの日付を大切にし、記念日として毎年祝うのは理に適っている。その日が次に訪れる保証がないからである。(もちろん運営にとっては商業的な理由も多分にあるだろう。)もし余程のことがない限り十年後も二十年後も同じ活動をしている(=未来が確定している)のであれば、経過年数は事実として、単なる数字として通り過ぎるのみである。一般の労働者が入社日を毎年祝わないのは、生きている限りは労働を続けないといけないと分かっているからだ。

普通、アイドル10年やってらんないでしょ?』(Berryz工房)

アイドルさんの選手生命における6年間は、一般の賃金労働者にとっての20年、30年に相当する。終身刑としての労働生活を送る賃金労働者とは時間の重みが違う。じゃあ何で30歳、40歳になって(少なくとも10代のプレイヤーたちと同じ枠組みの中で)アイドルさんを続けるのが難しいのか。それは我々が熱狂するアイドルというフィクションの核を為すのは少女性であり、少女性はどうしても年齢と関係するからだ。年齢に関係なく本人の意思があればアイドルを続けられるべきだという論は、この視点を欠いている。(それにどうせそういうことを言う人は殆どの場合、応援するメンバーさんが40歳、50歳になっても同じようにお金と時間を費やす覚悟などない。)

アイドルさんがいちばん人間離れした輝きを放てる年齢は、思春期や青年期と呼ばれる、人間が最も多感な時期と重なっている。あれだけの美貌と愛嬌を備え人間的にも擦れたところのないハロー・プロジェクト・メンバーさんたちはミシェル・ウエルベックさんの言う『闘争領域の拡大』の恩恵を受ける側。恋愛とセックスを巡る競争で圧倒的な勝ち組になる資格を有している。普通の(普通というのが本当に存在するかはここでは置いておく)学生生活を送っていれば、上位のスクール・カーストに属し、サッカー部員のような男(高校で多少うまい程度ではどうせプロにすらなれないが…)と交際していたはずだ。しかし彼女たちは公然と彼氏を作りファックし放題の充実した学園生活ではなく、恋人が発覚しようものなら裏切り者として魔女狩りに遭う茨の道を選んだ。同年代の同性異性とワイワイする日々を捨て、下位スクール・カーストのなれの果てである中高年男性を主な顧客層とする産業のプレイヤーであることに若さを捧げている。

生涯未婚率という言葉がある。50歳で一度も結婚経験がない人が社会に占める割合のことだ(天野馨南子、『データで読み解く「生涯独身」社会』)。つまり50歳の時点で一度も結婚できていない人は100%に近い確率で独身のまま生涯を終えることが統計的に分かっている。とはいえ50間近になってとつぜん結婚するのは考えにくい。それなりの過程があるはず。30代、40代でアイドルを追いかけている。その時点で実質的には詰んでいる。一生アイドルのオタクでいることが約束されているようなものだ。つまり、ハロー・プロジェクトのメンバーさんが自由な恋愛とセックスを犠牲にしてアイドルとしての活動をしているのと同様、我々(私)もアイドルを応援することで生涯未婚への快速電車に乗っているのだ。もっともアイドル鑑賞をしていなければ結婚して家庭を作って…というような人生になっていたかというと、それは別問題だ。今よりも幸せだったかというと、それはもっと別問題だ。服の通販サイトでかなり値引きされているのに不思議なくらい無視されて売れない服がたまにある。あなたや私は恋愛市場におけるそれである。しかも我々は値引きされていないし、必死に売ろうともしていない。売り場に出ることさえ諦めている。アイドルという救いがなければ生きていられたかどうか分からない。

蒲田駅。微妙な場所。東京の端。隣が川崎駅。そういえば明日も横浜(日産スタジアムにマリノス対横浜FCさんを観に行く)だった。こっちに泊まってもよかったかもしれない。羽田空港に行くまでの中継地点として二度くらい来た覚えがある。そうそう。2019年9月。札幌遠征前に泊まったカプセル・ホテル。ダニに刺されてまともに眠れなかった。たしかあの建物がそうだよな、とホテル名の塗装が剥げかけた壁を見ながら私は思った。そこから徒歩数分以内にある今日の会場。大田区民ホール・アプリコ。向かいのカフェ・ド・クリエ。レーコー。石井妙子さんの『女帝 小池百合子』を読む。発売当初(2020年5月)から気になっていた。値段がこなれるのを待ちブック・オフで570円で買った。とてつもなく面白い。筆者に一円も還元されない買い方をしてしまったのが申し訳ないくらいの力作。12回目となったつばきファクトリーさんのキャメリア ファイッ! 1回目が16時半、2回目が18時半。両方とも当選したのは少し驚いた。だって席を間引いているし、久しぶりのファンクラブ・イヴェントだからヘッズは飢えているだろうし。

1回目で登壇したつばきファクトリーさんは客席を見、一様にホッとしたような反応を見せていた。何でも彼女たちが出てくる前にステージでちょっとだけ喋っていたさわやか五郎さんに対する我々の拍手を裏で聞いていて、その音からだいぶ観客が少ないのではないかと恐れていたらしい。「皆さん、優しい拍手だったので…」(岸本ゆめのさん)。私がe-Lineupであまり商品を買わなくなったせいかアップフロントさんの厳しい仕打ちは続いており、席は1回目が1階24列、2回目が2階。いずれも日本野鳥の会ばりに双眼鏡を常用しないと楽しめないのが確定していた。私は若干ふてくされてはいたが、VixenアトレックライトBR 6x30WPを構えて小野瑞歩さんをはじめとするうるわしのカメリアたちを追いかけると、すぐに口角が上がった。

だが、最初のセグメントのつまらなさと言ったらなかった。オタク引退が頭をよぎった。来場者から募っていたらしい(私はまずそれを知らなかった)つばきファクトリーさんのこれまでに関する(もしくはちなんだ)クイズにメンバーさんが答えていく。たとえば、低温火傷になるのは最低何度でしょう。正解は44度。他には、岸本ゆめのさんにゆめぴっぴというニック・ネームが出来たのは何年何月何日のブログでしょう、とか。メンバーさんが当てずっぽうで数字や日付を答える。もっと後、もっと前、と正答に導いていくかさわやか五郎さん。ひたすら数字を刻んで連呼していくメンバーさん。私は平日にわざわざ労働を調整して、コレを観に来たのか? 面白くなるヴィジョンが見えなかった。

次のセグメントはとてもよかった。前にJuice=Juiceさんのファンクラブ・イヴェントで似たのがあった。違法に投稿された動画で観たことがある。“Juice=Juice FCイベント2019~メリクリxJuicexBoxIV~”だ。それを参考にしたのかもしれない。メンバーさんの誰かが誰かを表彰し、賞を貰ったメンバーさんがそれにちなんだ曲を1ヴァースだけキックするという内容。たとえば、岸本ゆめのさんは新沼希空さんを表彰。同じ年代の女の子が集まっているので争いが起きがちだが、いつも仲裁し平和をもたらしてくれるのが新沼さんなのだという。曲が『この地球の平和を本気で願ってるんだよ!』。歌詞カードを見ながらの緩めの歌唱。後ろで自由に踊ったり手拍子を促したりのメンバーさんたち。平時のハロ・コンのひな壇のようで、幸せな光景だった。セグメントを通しテキツーな感じで身体を揺らす左側の年長組(山岸理子さん、新沼希空さん、谷本安美さん)、割とガチめに踊る年少組(特に浅倉樹々さん)のコントラストが可笑しかった。小野瑞歩さんがダンスマシーン的な賞の名前を発表すると「やばい私だ」と谷本安美さんが言っていたが特に誰も突っ込まなかった(言うまでもないが受賞したのは秋山眞緒さん)。

ミニ・コンサート。それまで無邪気にはしゃいでいたメンバーさんが一転、フォーメーションを作ってスッと真顔になる、スイッチが入る感じ。カッコよくて私は好きだ。このために訓練された集団。曲順は正確に覚えていないが、『抱きしめられてみたい』、“My Darling~Do you love me?~”、『低温火傷』、『笑って』、『三回目のデート神話』。あと一曲あったはず。計6曲。小片リサさんの退団から時間が空いたせいか、もう私はこのラインは本来リサchanが歌っていたんだよな…的なことを感じなくなってしまった。私は“My Darling~Do you love me?~”を音源で聴いてそこまで強い印象は受けていなかったんだけど、こうやってステージで歌って踊るつばきファクトリーさんの視覚的な要素と合わさると一気に魅力が増す。17時36分頃に終演。

半休を取得し名古屋方面から蒲田にお越しになったホーミー、森川さん(仮名)と合流。彼は2回目だけに入り、一泊するのだという。18時半の開演まであまり時間はないのだが、周囲の飲食店は軒並み20時に閉店するため、夕食をご一緒するなら今しかない。会場近くのソルマリに入る。新大久保にあるリアルなネパール料理店の支店なので安心していたが、変なローカライゼーションを施していた。許せないことにチリ・モモの中にチーズを入れてやがる。気持ち悪い。正月のハロ・コンで買った為永幸音さんのアンオフィシャル・フォトグラフを進呈。『競艇と暴力団「八百長レーサー」の告白』(西川昌希さん)をいただく。もっとゆっくりしたかったが、致し方なし。

2回目の公演は、のっけから1回目よりもメンバーさんの熱量があった。そんなもん。昼公演よりも夜公演の方が演者も客も乗っているという、よくある現象。公演を通して、小野瑞歩さんのトレードマークである弾けた笑顔を何度も目に焼き付けることが出来た。

最初のつまらないクイズ・セグメントの内容は何も思い出せないが、最も正答数が多かったのはさっきの回も今回も小野瑞歩さんだった(1回目では浅倉樹々さんと同率一位)。セグメントの冒頭で前と同じように一番になると宣言していた小野さん。有言実行の小野ですから、と胸を張った。

表彰からの1ヴァースをキックするセグメントでは、演出上、ちょっとした変化があった。1回目では、賞の名前を言ってから受賞者にスポットライトを当てるという順序だったが、今回は先に受賞者にスポットライトを当てて、後から賞の内容を発表するという順序に変わっていた。フットボールでハーフ・タイム中に戦術的な調整を行うように、1回目と2回目の間に裏方やメンバーさんが話し合ってやり方を変えたのだろうか。と思ったら、3人目くらいからまた1回目のやり方に戻った。あれは何だったのだろう。最後(発表者が誰だったか忘れた)は、あなたは熱い的な賞。受賞者が誰かは二重に自明だった。第一に、1回目の公演から一人ずつ受賞していき、残っているのが岸本ゆめのさんしかいない。第二に、つばきファクトリーさんで熱いと言えば岸本ゆめのさんしかいない。のだが、なぜか浅倉樹々さんに当たるスポットライト。違うでしょ、私ですよ、と照明担当者さんの方向を指さして抗議する岸本ゆめのさん。照明担当者さんの単なるポカなのか、意図的なボケなのか分からないが、笑いが起きて場内は盛り上がった。

セットリストは1回目と比べて2曲が入れ替わっていた。“My Darling~Do you love me?~”→『恋のUFOキャッチャー』。『三回目のデート神話』→『純情cm(センチメートル)』。

このイヴェントで採用された、メンバーさんの身体の大部分を覆うカーテンのような衣装はイケていなかった(新沼希空さんだけはチャイナ・ドレス感があって幾分かマシだった。また浅倉樹々さんのヒップ・ラインは見事だった)。今日の私が席に恵まれなくても悔しくならなかった理由は、衣装にある。どうしてももっと近くで観たいと思うほど肌が出ていなかった。年齢的にも、肌は出し惜しみせず見せていかないと。布面積の少なさで勝負する℃-uteさんの精神をちゃんと受け継いでほしい。江ノ島デートという原罪。小片リサさんがInstagramにドロップしてきた愚痴の数々。もう純真無垢では済まない。女性としての魅力はどんどん増し、いま雑巾掛けレースを収録したら円盤に年齢制限がかかりかねないこの集団が、今更ロング・ドレスを着て私たち清楚ですみたいなのはもう無理なんだから。もし予算の問題でアレになったのであれば、過去のシングルのを使い回してもよかったんじゃないの?

終演後、森川さんと公園でチル。彼は缶コーヒー、私は炭酸水。これ以上飲むとバッド入るんで…とコンビニでアルコールを避ける森川さん。身体に気を付けているんですかと聞いたところ、煙草を吸うことで飲酒欲が低下したとのこと。あまり書くと後にドロップされるかもしれない彼の創作物のネタばれになってしまうが、公演の直後に森川さんが残したフレッシュな感想をいくつか記録しておきたい。

  • 小野さんのおっぱいがよかったですね
  • Saoriが元気なかったですね。生なのカナ?
  • 『恋のUFOキャッチャー』はこの動き(手を上下に動かす)がアレ(手コキっぽい)ですよね

2021年4月25日日曜日

眠れる森のビヨ (2021-04-18)

iPhone SE (2nd generation) からTwitterとマリオ・カートを削除して一週間が経った。よくないことだと前から分かっていた。2010年頃に手にして以来、この文明の利器への依存は進んでいく一方。通信速度の制限なしで利用できるデータ量が引き上げられていく度に歯止めの効かない使い方になっていった。2018年3月に私は“Bored and Brilliant” (Manoush Zomorodi) という本を読んだ。脳は退屈を必要としている。スマ・フォから離れろ。アプリを消せ。頭では理解できたが、行動には移せなかった。Twitterにいつでもアクセス出来ない生活なんて考えられなかった。それに、このブログを見てほしい。私はこうやって一定の分量があるドープな文章を継続的に書いてきた。誰にも真似できねえクラシックを次々にドロップしている。スマート・フォン依存がもたらすとされる創造性や集中力の欠如など微塵も感じさせない。だから大丈夫。自分にそう言い聞かせていた。

私をこの問題に再訪させたのは“The Coddling of the American Mind” (Greg Lukianoff and Jonathan Haidt)。近年の若者(iGeneration、別名Z世代)は鬱や不安障害を抱える率が高く、その主な原因がソーシャル・メディアだというのだ。私はiGenerationには属していないが、他人事と一蹴することは出来ない。近所の書店でたまたま見つけて購入した『デジタル・ミニマリスト』(カル・ニューポート)を読んで、私は決意した。今の私から最も注意と時間を奪っているTwitterとマリオ・カートをiPhoneから消そう。

休みなくデバイスを使っていると、他者と交流しているという錯覚が生まれ、自分は人間関係の維持に充分に力を注いでいる、これ以上何かをする必要はないと勘違いしてしまう(カル・ニューポート、『デジタル・ミニマリスト』)

私は約一年半の無職経験で、自分が働こうが働かまいが世の中は同じように回っていくんだと心の底から理解した。当たり前のことではあるが、大学を出てずっと労働者であり続けた私には気付くことが出来なかった。自分は会社や社会に不可欠なのではないかという驕りがどこかにあった。大きな間違いだった。同じように、私がTwitterに常時張り付いていなくてもタイムラインは回るし、誰も困らない。何事も適正な量や時間がある。それを超えると毒になる。子供の頃にゲームは一日三十分まで、一時間まで、といった制限を課してきた母親は正しかった。

新宿サザン・テラスにあるブール・アンジュさんでレーコーとスコーン。660円くらい。“The Righteous Mind” (Jonathan Haidt) を読みながら約二時間の日光浴。iPhoneにTwitterとマリオ・カートがないだけで読書が各段に捗る。最後の方はカップ底に残ったレーコーがお湯になった。ちょくちょく通行人の英語が耳に入ってくる。中国語率の高い池袋とは雰囲気が異なる。最近はだいぶ行く町もサテンも固定化されていたが、普段とは違う場所に来るのも気分転換になっていいものだ。

新宿にいるということは? そう、私のコアなファンはご察しの通り(記事の題名で分かるが)、演劇女子部を観に来た。BEYOOOOONDSさんの『眠れる森のビヨ』。会場のすぐ近くにある慎といううどん屋さんがリアルだと聞いていたので昼はそこにするつもりだったが列の長さを見て断念。食いモン(それもうどん)に並ぶのは私の趣味ではない。人間は元気に活動をするために食べるわけで、食べる行為のために多くの時間を費やすのは、給油のために長々と自動車を走らせるようなものだ。本末転倒。トンカツ弁当(戦慄MC BATTLE、晋平太さん戦でのチプルソさん)。それにたしか『太田上田』で太田光さんか上田晋也さんのいずれか(上田さんかな?)がおっしゃっていたのだが、飲食店に並ぶという行為には、自分の欲を丸出しにしているという点で風俗店に並ぶような恥ずかしさがある。近辺を歩き回ってよさげなお店を探す。元祖麻婆豆腐さんに入る。豚肉の四川風煮込み定食。950円。極論を言うと飲食店というのは中国人がやっている中華料理店しか信用できない。

スペース・ゼロの舞台空間が持つヴァイブス。何なんだろうね、あれは。アンビエントな音楽が流れる中、この会場の席で開演を待つ時間。数あるHello! Project現場でも最上級の心地よさ。何回も書いているが、私はあの空間が好きだ。今日は席の間引きがなかった。チケット発売時点での開催制限に準拠しているらしい。それでいいんだよ。必要以上にビビるな、権力の意向を汲むな。そもそも黙って観る舞台で席の間隔を空けることに意味はない。私に与えられた席は9列のど真ん中。次々とガタイのいい紳士たちが着席していくのを見て心配したが、運良く私の前は小柄な女性だった。おかげで見晴らしがよく、ストレスなく観劇できた。(余談だが、例のまん防とかいうのを理由にあるヒップホップ行事がキャンセルされたのをTwitterで見て滑稽に感じた。麻薬を取り締まる法律に従わないような界隈なのにまん防とかいう名称からして人を馬鹿にした要請?には従うんだ。コンサートやイベントを強気に開催し続けるアップ・フロントさんの方がよっぽどヒップホップなんじゃないか?)

事前にインターネットに公開された衣装からは多くを期待出来なかった。『アラビヨーンズナイト』から肌の露出を減らした感じだったからだ。ところが実際には劇の大半でメンバーさんたちは学校の制服風の衣装を纏っていた。演劇部の高校生たちが繰り広げる物語。男役はパンツ(下着ではない)、女役はスカート。まず話がどうとか演技がどうとかの前に、これだけ見た目の麗しい少女たちの制服姿を気の向くまま鑑賞できるありがたさ。会場の外で制服少女を双眼鏡で観たら通報されるか、当人たちに撮影されソーシャル・メディアに晒される可能性が高い。出色だったのが岡村美波さん。女役。上着なし。タック・インされたピンクのブラウス。上目の位置で履いているスカート。否が応にも強調される膨らみ。清野桃々姫さんも同じ衣装。この二人は演劇部の一年生の役で、基本的に常に対になっていた。岡村さんの胸部はさておき彼女らは物語の中では周辺的で、さほど見せ場はなかった。

平井美葉さん、島倉りかさん、前田こころさんの三人が物語の軸で、その他のメンバーさんの役柄の重要性は一段、二段下だった。全員の役に確固たる存在理由があるというよりは、先述の岡村・清野ペアのように何人か毎に一つにまとめられていた。平井さん、島倉さん、前田さん以外から一人、二人が欠けたとしてもまあ話は成り立っただろう。意外だったのは、山﨑夢羽さんが何人かにまとめられる側に入っていたことだ。BEYOOOOONDSさんの結成以来、彼女は暗黙のセンターであったように私は思う。周囲もファンも認めざるを得ないような、持って生まれたセンターのヴァイブスがある。ところがこの劇では高瀬くるみさん、里吉うたのさんとの三人組で主役の周辺に収まっていた。昔2ちゃんねるでタカハシステムと揶揄されたような(もちろんプッシュされるメンバーさんの実力を前提とした)事務所の意向が配役に働くものと私は勝手に思っていたが、必ずしもそうではないようだ。

みんなお願い! ウチらを「その他」と呼ばないで!(平井美葉、小林萌花、里吉うたの、“We Need a Name!”)

主にHello! Project研修生からの昇格者で構成されるBEYOOOOONDSさんにおいて平井さん、小林さん、里吉さんの三人だけが外部からオーディションで選ばれた。他のメンバーさんがCHICA#TETSU、雨ノ森川海という小集団に属しているのに対し、名無しの三人組。どこか外様感があった。最近になってようやく与えられた三人の総称もSeasoningS。主役というよりは食材(他のメンバーさん)ありきの、それを盛り立てるスパイス的な名称である。「その他」だった平井さんがダンスが得意な飛び道具としてではなく、主役に抜擢された。彼女がどういう味を出すかがこの劇の見所だったが、見事に期待に応えていた。あの無理のない少年ぽさは、彼女ならでは。小野瑞歩さんが過去にラジオで盟友の前田こころさんについて、ボーイッシュなキャラをつけられがちだけど本当は誰よりも女の子らしい子なんです的なことをおっしゃっていた。平井さんももちろん内面的には少女性をお持ちなのだろうが、醸し出す雰囲気の少年性が魅力的だった。飄々としつつも要所では主役に相応しい熱の入った演技を見せていた。

エンタメというかコメディに振り切った過去作に比べ、割とシリアスな物語だった。物語の核を為す学園生活は平井さんの夢で、現実生活で彼女(彼)はトラックにひかれ五年間の昏睡状態が続いている。現実世界に引き戻そうとする幼なじみの島倉りかさん、夢の中に止めようとする演劇部員たち。板挟みに頭を割かれるような苦しみを覚える平井さん。楽しい夢の中に生き続けるのが幸せなのか、現実の人生に戻るのが幸せなのか。どちらを選ぶのが正解なのか。そんな問いが通底するこの劇を観て、私は少し胸が苦しくなった。なぜなら、夢の中に生き続けるという生き方を選んでここにいるのがまさに我々オタクだからだ。もちろん実際にそういうメッセージが込められているあるかどうかは知る由もないが、オタクたちよ、お前たちの人生はそれでいいのか? と制作陣やメンバーさんに問いかけられているような気がした。

頭の中はお花畑 私はどこにいるのでしょうか?(田村芽実、『ひめ・ごと』より)

2021年4月15日木曜日

花鳥風月 (2021-04-10)

新八柱駅から徒歩15分またはバスと公式サイトに書いてあったが、服装や雰囲気で分かるいかにも同志という感じのキモい人々が向かう方向から森のホール21の場所は自ずと明らかだった。何かがおかしい。偏った靴の擦り減り方。ずんぐりむっくりの緩くたるんだ身体。運動不足と不摂生が何十年も蓄積したからだ。中高生くらいで止まったファッション。安くて薄汚れた年齢不相応なカジュアル服。よく言えばモノを大事にしているのかもしれない。だが一定年齢を超えてガタが来ているものを外で身に付けるのは美徳と言えるのか疑わしい。かくいう私も背負っているバックパック(フリークス・ストア別注のグレゴリー・デイパック)の、前でカチッて止める部分のプラスティックが破損しているという負い目がある。ワンガリ・マータイさんも唱和したMOTTAINAIの精神で使用を続けているが、この発想は穴の開いた臭そうなカバンで現場に登場する彼らと陸続きである。気を付けないと。後継のバックパックはゲトるつもりだが、すぐに見つかるものではない。カバンは難しい。

前日にググって新八柱駅の周辺環境には期待出来なさそうと判断していた。駅の画像を見ただけで何となく分かる。何せ、千葉だし。だから昼は現地で食わず、家の最寄り駅前でシースー(15貫の盛り合わせJPY1,500)を喰らった。14時開場、15時開演。1時間ちょっと余る。駅直結のプロント。レーコー。カル・ニューポートさんの『デジタル・ミニマリスト』を読む。5lackさんの“Title”を聴く。

14時半くらいに着席。二階席ではあるが最前なのでSTEP BY STEP公演の干され席とは気分が違う。小野(瑞)Tシャツを装備する。客席を間引くというどこまで効果があるのかが不明な施策が続いているため前方の席は来づらい。関東の会場ではファンクラブ先行でもチケットの確保がままならない。チケット転売サイトでは平凡な席が高額で売り出されている。一方、地方の公演では一階席も埋まりきらないと聞く。しかし今の私には完全な形ではないハロ・コンのためにわざわざ交通費や宿泊費を割いて地方を訪れるほどの熱意と経済的な余裕がない(まあ5月に仙台には行くんだけど)。つばきファクトリーさんの単独コンサートなら申し込むけど。(そう言えば中止になったつばきファクトリーさんとBEYOOOOONDSさんの中野サンプラザ公演を棚上げして先に研修生でコンサートをやるというアップフロントさんの決断に私は怒りを覚える。研修生の位置づけが揺らぐし、デビューを目指す意味がなくなるのでは? 今ってデビュー組と違って地上波で冠番組もあるし、下手にデビューするより研修生でいた方がよくないですか?)

終わらないコロナ・バカ騒ぎ。「歴史上の戦争や革命の動乱というものは、だいたい3年半から4年続く」と副島隆彦さんが『裏切られたトランプ革命』で書いていた。このコロナ戦争もずるずるとそれくらい続くのかもしれない。たかだかコロナ ガタガタぬかすな。日本ではそう一蹴して差し支えない、世に五万とある病気の一つであることが分かっている。私にとってはコロナで健康を害するよりも家の近くで車にひかれる方が可能性が高く、怖い。この期に及んでそれも分からない大衆が大多数を占めるのだとすると、もうこの国はコロナ以外のすべてを犠牲にして沈んでいくしかない。小池百合子をはじめとする(民衆の知能に見合った)バカな知事たち、腹黒医師会会長、煽るのが商売のメディア、恐怖を煽って小遣いと信者を獲得する専門家たちと心中するしかない。

小野瑞歩さんがステイジで躍動するお姿は、今でも私を笑顔にする。去年からそうなりつつあるが今の私にはHello! Projectよりも明治安田生命J1リーグの方が断然楽しい。2021シーズンも今のところ横浜F・マリノスの全ホーム・ゲームをスタジアムで観ている。Hello! Projectへの依存度がだいぶ落ちている。それでもウレタン・マスク(PITTA)の中で表情が緩んでいくので、私はまだHello! Projectのことが、みーたんのことが好きなんだなと思った。今日のおみずちゃんは終盤の曲で何かを床に落とし、曲中に拾っていた。どうやら右の耳飾りだったようで、最後に全員が並んでコメントを言っているときに付けようとしていたが手こずっていた。あ、そうそう、おみずちゃんと言えば『今夜だけ浮かれたかった』の見せ場「どうしたら輝けるの~?」を久し振りに聴くことが出来たのは嬉しかったな。

悪夢の『ザ・バラッド』、多少はマシになった冬の“STEP BY STEP”と来て、『花鳥風月』はさらに辛気臭さが抜けていた。平時に比べるとショボいがステージには段が設けられている。衣装はきらびやかで、しかも途中で替えている。メンバーさん同士が近距離で密集している。しっかりダンスも見せてくれる。一定以上の強度で運動をすると得られる爽快感をメンバーさんの表情から読みとることが出来たのが先述の二ツアーとの大きな違い。私は家を出る前に某所にイリーガル・アップロードされたひなフェスの動画を途中まで(5本中3本まで)観ていたのだが、そこで見覚えのある衣装が今日のコンサートで採用されていた。(詳述はしないがひなフェスでは川村かわむーさんの衣装が秀逸だった。『花鳥風月』でも着用しているそうだ。それ目当てで彼女の出る回を観に行ってみたいくらいである。)布面積の少ない衣装を纏った何十人もの美女が一斉に歌って踊る。いわゆる同時多発エロ。泣く泣く観る場所を絞る贅沢さ。それこそが本来のハロ・コンの醍醐味だが、その要素を久し振りに感じることが出来た。もっとも本ツアーでもメンバーさんは全員集合しておらず、花、鳥、風、月という四つのティームに分かれている

小野さんが属する花ティームはなかなかイルな面子が揃っている。中でも私の目を引いたのは工藤由愛さん。文句なしに本日の最優秀選手。出発前に観ていたひなフェスの違法動画でも同期の松永成立さんもとい松永里愛さんと共にJuice=Juiceさんの新たな星となっていた。幼さが抜けてきて、でもまだ大人にはなっていない。田村芽実さんもご自身の表現テーマとしてよく言及する、少女という儚い存在。工藤さんは身体が物凄く細く、でも不健康さはない。非現実的なバランスを実現している。立ち振る舞いに内面の純粋さが滲み出ている。これから2-3年がアイドルとして最もキラキラするゴールデン・エイジ。アイドルという名称に相応しい人間離れした存在。この産業のプレイヤーにはどうしても旬の年齢というのはある。(その意味では今日の出演者だと為永幸音さんも非常にいい時期。コンディションも整っていた。)若さの消費と言えるが、あらゆる労働が若さを含めた人間性の消費であることを忘れてはいけない。年齢による選別や差別はフットボールの世界でも残酷なほどにある。アスリートとは程遠い事務職の会社員にさえ、年齢の壁は厳然として存在する。

蛇足:語弊があるかもしれないが今のJuice=Juiceさんは少し人数が多すぎるんじゃないかと思う。別の言い方をすると、多人数を前提とした歌割の細かさが、一人一人の表現力の高さと合っていない。たしかに7人(高木紗友希さんの退団前は8人)という数字だけを見ると他のグループに比べて多くはない。むしろHello! Projectの集団では最少だ。しかし“DOWN TOWN”における山手線ゲームのような歌割では彼女たちの能力を活用しきれていない。歌割を細かく区切るのはメンバーさんの歌の下手さを誤魔化すための手法であって、Juice=Juiceさんでやるのは惜しい。一人一人のスキルを立たせるなら℃-uteさんの最終形態やJuice=Juiceさんが元々そうだったように(なお大塚愛菜さんはいなかったものとする)5人こそがマジック・ナンバーではないだろうか。せめてメンバーさん一人ずつのソロ歌唱ヴァージョンをB面で入れるというやり方が出来なかったのだろうかと“DOWN TOWN”を聴いて私は思った(昔℃-uteさんがそれをやっていた。なおJuice=Juiceさんの最新シングルでは『がんばれないよ』に限って初回生産限定盤SP1という盤のみで各人のソロ版が収録されている)。

トークのセグメントでは北川莉央さんが、会場から10分ほどのところにあるというお店のカレー・パンとデニッシュをレコメンドしていた(聞き手:井上玲音さん)。サクサクを超えてサクサクサク。甘すぎずからすぎない絶妙な味加減。なぞと絶賛していた(井上さんはそれは食べておらずブリオッシュを食べたとたしか言っていた)。このハロ・コンでもトークにローカルネタを盛り込む決まりになっているようだが、千葉では限界があるだろう。北川さんが何とか捻り出した話題がスタッフさんが買ってきてくれたカレー・パンだというのも頷ける。北川さんと言えば私は双眼鏡を使っていない状態で、2、3回、彼女を小野瑞歩さんと見間違えた。何だろう、これまでそう思ったことはなかったんだけど、何か似ていた。

横山玲奈さんは最近の映像で髪の先端付近を金っぽくしている印象があったが、今日は黒髪だった。ちょっとむっちりしていた。肉感的なふともも。『こんなハズジャナカッター!』(完全にBEYOOOOONDSさん用に当て書きされた曲を今日のチームでやるのはちょっと変だった)で小林萌花さんが「うろたえるな玲奈」と言っている(通常は「うろたえるな汐里」)のはシャッフルされた集団ならではのスペシャル感があってよかった。

臥薪嘗胆』の歌い出しを担当した島倉りかさんが派手に歌詞を飛ばしていた。さすがの彼女もしばらくは顔がひきつっていたように見えた。

一岡伶奈さんががしゃがんでいるとき、短パンの奥にある左側のお尻を見せてくれた。立っている状態でいわゆる尻たぶと呼ばれる部分。ひなフェスの映像でも普通に立っているだけでちょっとお尻がはみ出るくらいのキワキワだった。ひなフェスは全体的にメンバーさんがよくお尻を見せてくださっている。ステイジが高いのと、ステイジを取り囲むように客席があるので後ろから映されることも多いのが理由である。

『ザ・バラッド』よりも“STEP BY STEP”が楽しかったし、STEP BY STEPよりも『花鳥風月』は楽しい。でも、このためにバンバン遠征するか、お金をつぎ込むかっていうと、私にとってはそこまでではない。公演時間も85分くらいとちょっと短い。よくなっては来ているけど、まだそこそこという感じ。フットボールのような、感情を入れ込んで夢中になる感じではない。私は横浜F・マリノスの試合を一つ観るとグッタリと疲れるが、今のハロ・コンにはそこまでの強度と密度はない。それでも楽しくはあるので、もう一度、仙台で観るのが楽しみだ。帰りは西川口に寄って、麻辣香鍋とコロナ・ビール。俺コロナ。