2024年12月31日火曜日

FACE THE SOUNDS (2024-12-23)

11月30日(土)の対バンで初めて観て以来、ほぼLiVSしか聴いていない。Spotifyによると私が2024年に最も長く聴いたアーティストであるBLUEGOATS(8,160分)を、この3週間強というもの殆ど聴いていない。由々しき事態である。生で聴いたときにもなんとなくいいなとは思っていたが、じっくり聴いてみると想像以上。まあ言うてもよくある地下アイドルの範疇やろ、BLUEGOATSのクオリティには及ばんやろ程度に高を括っていた。それが見事なまでにはまってしまった。また来てね! とミニ・マルコさんに手を振られたあの瞬間。それを最後にするという選択肢はもうなかった。(なおミニとマルコの間の点はどうやら幅の狭い点が正式なようである。ご本人のTwitterアカウントでの表記がそうなっている。このラップトップではその点を出せない。当ブログでは便宜上、全角の点「・」で表記する。)LiVSのコンサートには新規無料チケットがある。注意書きを読むと対バンで一度観た人も対象になるという。その制度を利用し、12月23日(月)に渋谷wwwxで行われるコンサートの無料チケットをゲトッた。どうやらツアー・ファイナルか何かで大切なコンサートらしい。Livepocketを見ると翌日12月24日(火)にも公演があるが23日(月)のチケットを提示するとメンバーからクリスマス・プレゼントをもらえるとかで、ちょっと内輪感がある。いきなり行くにはちょっと敷居が高い。大きめの会場での大事なコンサートである23日(月)の方に行き、24日(火)はパスすることにした。この年末の時期に二日連続で平日の夕方を空けるのは厳しいしね。

17時半開場、18時半開演。ちょっと厄介なことに月曜は出社日。一度家に帰って着替えたりしたかった。業務的にも落ち着いてはいたので午後休を取得。神保町のマンダラで平日Aランチ・セット JPY1,680。カレーはヌールジャハニ(鶏肉とレバー)を選択。『美味しんぼ』24巻の表紙に映っているのがこの店らしい。店の入り口付近に単行本を飾ってある。帰宅。ちょこざっぷで30分走る。池袋駅構内の大江戸そばでわかめそばとちくわ天 JPY590(だったかな?)。渋谷。新規無料チケットは入場の順番が最後。並んでもしょうがないので、列が落ち着いているであろう頃を見計らって会場へ。並びゼロで中へ。フロアに入る前に物販がある。チェキ券はいま買うんですか? とお姉さんに聞く。曰く、講演後にも販売するけど混むから今買った方がいい。いくらですか? JPY2,000なんですけど、アルバム(JPY3,300)を買うと特典券が3枚付いてきます。チェキは特典券2枚、1枚で握手が出来ます。あー、チェキ券を一枚とかじゃなくて、内容によって組み合わせて使うんですね。そうです。一度の会計でJPY6,000以上で写メ券が付いてくるので、アルバムを2枚買う人が多いですね。JPY6,000も使う気はない。アルバムはフィジカルで1枚持っていてもいいかな。アルバムを1枚購入。PayPayが使える。フロアに入った時点で18時10分くらいだったかな。その時点で後ろ半分は人がまばらだった。前の方に柵がある。VIPチケットを買った人は柵の前に入れるんだろうな。KissBeeでもそうだった。このシステムに私はあんまりいい印象がない。なぜならフロア内にヒエラルキーを作り出し、可視化し、固定化するからだ。高いチケットを買った人が先に入場できる。そのやり方は否定しない。問題は、この柵があるかどうか。文字通りのゲーテッド・コミュニティをフロア内に作り出すかどうか。それがBLUEGOATSとLiVSとの差だろう。BLUEGOATSのフロアでは前にいようと後ろにいようがヒエラルキーを感じることはほとんどない。なぜならBLUEGOATSのノリの中核を占めるのが一緒に歌うことだからだ。歌うことに関して前だったら偉いとか強いとか、そんなことはない。どこにいようと歌うことでBLUEGOATSの一部になれる。平等である。一緒に歌えば繋がれる。それは会場の大きさにも位置にも制約を受けない。可能性は無限大なのである。終演後に近くにいた紳士たちが、あの柵いらなかったよな。途中から蹴っ飛ばしてたよなぞと歓談していた。彼らの精神性に私は希望を見た。LiVS支持者たちも捨てたもんじゃないなって。

LiVSはコンサート中の撮影が静止画、動画ともに自由で、ソーシャル・メディアへのアップロードも奨励されている。YouTubeには有志の方々が撮影した高画質の動画が出回っている。それもおそらく全公演。最初から最後まで観ることが出来る。私は今日までにそれらをいくつか視聴した。それで知ったのだが、どうやらすべての公演ではじめまして、LiVSです! と言っているようである。今日もそうだった。11月30日(土)は対バンだったからはじめましてなのかと思ったらそうではなかった。いつでも初めてのお客さんに見せるつもりで、初心を忘れず、的なことなんだろうか。だとすると立派な心意気である。

最初にこの集団を観たときはとにかくミニ・マルコさんに目を奪われた。ミニ・マルコさんが可愛すぎるぞ以外のことがほとんど考えられなくなっていた。しかしあれから曲を聴き込み、動画を観て、生で観るのが二回目となる今回。見え方が変わった。見えるものが増えた。何といっても、ユニセックスさんのねっとりした歌声。けだるいフロウ。聴いていて心地よい。癖になる。ミニ・マルコさんのスッキリして清涼感のある歌声と、曲の中で引き立て合っている。もちろん他のメンバーさんの個性とも絡み合っている。現時点で私にとって歌が印象的なのがミニ・マルコさんとユニセックスさんである。

そういえば開演前、右後ろをふと見るとBLUEGOATS運営の某氏がいるではないか。思わず声をおかけする。
〇〇さんですよね?

BLUEGOATSの…
あー!
この間の対バンで初めて観て…
マジっすか。僕、曲が大好きでずっと聴いてるんですよ
あー、曲いいっすよね。僕もめっちゃ聴いてます
楽しみましょう!
的なやり取りをした。BLUEGOATSの運営さんも曲を気に入って観に来るLiVS。私の感性は間違っていなかったんだなと思った。

それぞれに異なった魅力のある、洗練された楽曲。その多彩さを、やや一辺倒な地下アイドルノリでヘッズがスポイルしている感は否めない。たとえば“MUSiC”の冒頭。ファイヤータイガーサイバーダイバー、ファイヤータイガーサイバーダイバーなぞと早口で捲し立てるヘッズ。音の隙間を全部埋めないと気が済まないかのように。なんでもかんでもマヨネーズをドバドバかけてグッチャグチャにして食ってるみたいな感覚。もちろん、これはLiVS現場が二回目の、ポッと出の傍観者による戯言に過ぎない。何度も観ていけば私の意見は変わるかもしれない。気を悪くしないでほしい。ただ、このときはこう思っていたという記録として残しておきたい。

途中から気持ちよくなってきた。開演前に飲んだお酒の影響だけではないはずだ。本当に心地よい音楽の空間で。ふわっとした気持ちになった。自分が立っているその持ち場にいなくちゃという精神が薄れて、前の空いているスペースにふらふらと進んでいった。左の人と何度も肩を組んだ。これはLiVSのコンサートではお決まりとなっているのだが、最後に近くの人と手をつなぎ、LiVS側が人間、と言い、サイコー! と全員で叫ぶ。サイコーですか? サイコーですというのに似ている。宗教っぽい。宗教という言葉を使ったのはあながち誇張ではない。こういう集まりって、世俗化した現代社会で、激化した資本主義の競争からの救いを提供するのが、究極的には果たすべき役割だと思う。その中で人と人の繋がりや精神的な健康に寄与する。週末の教会、礼拝の代わりにコンサート、特典会。

20時ちょうどくらいに終演。なかなか始まらない特典会。始まらないな…と普段から来ているらしき人々も口々にぼやいている。20時37分にようやくVIPチケット購入者の全員チェキの案内が始まる。VIPの特典や公演の前に済ませておくべきではと思った。20時39分にメンバーさんがステージに現れ、フロアに下りてくる。そこから全員チェキとか、全員握手とかを経て、最終的に私がミニ・マルコさんに対面したのが21時頃。公演時間が90分、チェキまでの待ち時間が90分。
また来てくれてありがとー
BLUEGOATSのときの…
そうだよね
あの対バン以来、ずっとLiVSの曲を聴いてて、はまっちゃった
えー! 嬉しい
今日BLUEGOATSの運営さんが観に来てたんだけど、知ってる?
え? 知らなかった
そうなんだ。後ろの方にいたよ。その運営さんもLiVSの曲が好きでずっと聴いてるって言ってた
また対バンできるといいね! どの曲が好き?
えー全部好きだけど、“Shall Weeeee Dance???”とか。あの、こういう(この曲独特の動きを少し真似する)
これね(笑)今度やろうね。今日(のコンサートでは)やらなかったから。今ちょっと練習しよ(ステップを踏む)
(うまく出来ない)え、出来ない…
出来ない(笑)
的な感じで、最後は私のポンコツすぎる動きで終わった。初めてお会いしてから一ヶ月近く経つのに覚えてくれていたミニ・マルコさん。

前にF君が、オタクを舐め腐った特典会の運営方法などによるストレスもHello! Projectに必要な要素の一つであるという旨のことをおっしゃっていた。実はその考えは理にかなっている。『ドーパミン中毒』(アンナ・レンブケ)によると人間の脳は苦痛と快楽を同じ場所で処理している。片方が増えるともう一方を増やし、シーソーのようにバランスをとるように出来ている。快楽だけを与えられてもいずれ耐性がついて同じ刺激で得られる喜びが減ってしまう(麻薬などがそうであるように)。適度な(あくまでも適度な)苦痛やストレスがあることで、快楽も感じやすくなる。苦痛と快楽は両輪の関係であり、紙一重でもある。適度な苦痛が脳にもたらすよい影響の例は冷水浴だそうだ。これは同書と、『インターネットポルノ中毒』(ゲーリー・ウィルソン)にも書いてあった。チェキまで長時間待たされることで、いざミニ・マルコさんにお会いできたときの喜びが増大する。それはたしかにあったと思う。感情というのは落差なのだ。喜怒哀楽のすべては切り離せない関係にある。それぞれの感情が引き立て合うのである。キレイな、都合のいい感情だけを切り離してそれだけを味わい続けられるように人間は出来ていない。