2026年8月27日木曜日
NEW/two days to face (2026-06-26/27)
マルコのソロ・パートがこれでもかというくらい削られていた。それが本当に悔しくて、頭がほんのり痛くなって、つらくなって、楽しめなくなった。目の前の現実を受け止めることが出来なかった。徹夜明けのような、ぼーっとしたような頭になった。身体が硬直してフロアの後方から動けなくなった。声も出せなくなった。早く終わってくれ。そう願いながら、茫然と立ち尽くしていた。私がLiVSに出会ったときメンバーは6人いた。それが5人になって、4人になった。メンバーが抜ける度にマルコの歌割は増えていった。全体としての出力が落ちてもこの集団の歌唱パフォーマンスが説得力を持ち続けてきたのは、紛れもなく彼女がいたからだ。4人体制のLiVSにおいて、マルコこそがスタアだった。2月5日(木)の代官山UNITでそれを感じた。あの日にお披露目された新衣装を纏うマルコが放っていた輝きは特別だった。もはや神々しかった。LiVSの中心はマルコである。マルコのためにLiVSは存在している。そう思った。そして今日、4人だったLiVSがまた6人になった。メンバーが脱退していった時期とは逆のことが起きた。マルコが勝ち取っていたソロ・パートの多くは彼女から取り上げられ(あえてのの言い方させてもらう)新メンバーに割り振られていた。(もちろんマルコだけではない。他の既存メンバーが手にしていたソロ・パートの多くもバンビバンビとヒイナマツリの二人に割り振られていた。)新メンバーのパフォーマンスがマルコを明確に凌駕していたら私も認めるしかない。脱帽するしかない。しかし、そんなことはまったくなかった。思わず何度も首を傾げた。ガッカリした。これは違う。本物を返してくれ。マルコが歌った方が絶対にいい。私はそう感じざるを得なかった。現状の力量に多少の不足があったとしても下駄を履かせて新メンバーの二人を前に押し出すという運営側の意図が感じられた。これが新しいLiVSだというメッセージは強く伝わってきた。フロアにいた私を除く全員は新しいLiVSを心から祝福しているように感じられた。「みんな最高な顔してたね」。公演後、マルコはTwitterにそう書いた。私は戦力外通告を受けたような気がした。その「みんな」は私を含まないからだ。新しいLiVSを目撃する者として、構想外。/増員すれば(少なくとも一時的に)集団としてのパフォーマンスのクオリティが落ちるのは分かり切っていたことだ。マルコの歌割が減るのも予想の出来ることだった。むしろ短期間で新メンバーの二人がここまでLiVSに馴染んで、ここまで仕上げてきたのを褒めるべきなのだろう。もちろん理屈としては分かる。でも、心がついていかない。いちばん悔しいのはマルコをはじめとしてソロ・パートを減らされた本人たちだろうと思う。彼女たちはそれを呑み込んで、態度には表さず、新メンバーを歓迎して、健気に歌い、踊っている。それでも心の奥底ではどこまで納得しているんだろうか。そう思うと、つらくなる。/私はLiVSよりもマルコが好きなんだ。改めて。LiVS全体の発展のためにマルコの見せ場を減らすのを受け入れられない。(もちろんLiVSがなければミニ・マルコというアイドルは存在しないわけだが。)2月5日(木)に(実質的に)打ち出されたマルコが(実質的な)センターのLiVS、マルコのためのLiVSは、終演を迎えた。私は今日、それを悟った。今日の公演では曲と曲の間がシームレスどころかオケが終わり切らないうちにDJ MIXのように切り替わっていった。私が頭を整理する暇を与えないかのように。私はフロアのほぼ一番後ろにいたけど一度だけがっつりマルコから目線をもらった気がする。そのときの私はおそらく大便を我慢し続けて漏れる寸前のような顔をしていたと思う。/別に公正である必要はないのだが公正を期するために言うと新メンバー二人の加入によってビジュアル的には強くなったと思う。前述のように彼女たちを押し出しているのも相まって、初めてLiVSを観た人が好きになるメンバーはこれまでよりも分散するだろう(これまではほぼマルコとランルウに偏っていた)。そしてバンビバンビは歌声でインパクトを出せそうな存在である。今日の公演では曲によってフェイクが付け加えられたりと、歌のアレンジが変わっていた。これも歌唱に強みを持つバンビバンビの加入あってこそなのだろう。これから既存メンバーの歌声とどういう相乗効果が生まれるのか、楽しみである。/私以外の来場者たちのほとんどは新しいLiVSを素晴らしいと思ったに違いない。盛り上がったと思うし、人もたくさん入っていた。渋谷サイクロンがほぼ満員になった。幸先の良い新体制お披露目公演になったことだろう。ただ、今日の盛り上がりはご祝儀的なブーストによるものであって、これが続くわけではない。もっと大きいところ(会場)に行きたいとメンバーの誰かが言っていたが、別に今日の集客も“たどり着いた”訳ではない。新メンバーを加えての一発目だから色んな人が顔を出してくれただけだ。近いうちに同じ会場で普通の主催公演をやってもこうはならない。(結局のところ、観る側としては、数ヶ月に一度の節目だけ顔を出して、“推し”と認知が続く程度の関係を続けて、チェキを一、二枚撮って帰る。それくらいが一番、支出と快楽のバランスが良い。大事な点を押さえることで点と点が繋がって線に繋がる=継続的に見ている感覚も味わえるし。たとえば私がきゃらめるもんすたーずでやっているのがそれに近い。)/今日、フロアの後方から全体を眺めていて思ったことがある。私は、みんながわーって盛り上がっていると醒めてしまう部分がある。逆に冷静になってしまう。そもそも私は日陰者のマイノリティ、ミスフィットだからオタクになっている。にもかかわらずオタクでワイワイやるということに馴染みきれない。逆説的だが他のオタクがワイワイしているのが見えないくらい前に行くのが私にとっては集団的な騒ぎからのひとつの回避手段となる。つまり私は盛り上がるためというよりは盛り上がりから逃れるために前に行くのである。ステージから捌ける前にマルコが肉声で最後に何かを言っていた。なにひとつ聞き取れない。空しい。前方左側にいた人の一部だけに届いたことだろう。そういえば捌ける前によくメンバーが口にする台詞、私たちと遊んでくれてありがとう。風俗っぽいなと思って、私は前から引っかかっている。プレイじゃん。代官山UNITに向けてのチケット販売会では配信でオタクの名前を出さないようにするため我々をお兄さんと呼んでいた。それも引っかかった。仲良しのお兄様。写メ日記。/私はLiVSを観始めた当初、この集団にはもっと人気があっていいと思っていた。その思い自体は変わらない。それだけの魅力はある。ただ、事はそう単純ではないことも分かってきた。アイドルの圧倒的な供給過多。想像を超える飽和状態。“主現場”という壁、村。うまいこと波に乗れれば一気に売れるわけでもない。早い段階でぶち当たる壁。BLUEGOATSも苦しんで炎上させてまで知名度を上げようともがいている。正攻法では難しく、かと言って炎上させても成功する保証はもちろんない。今日は事前の予想として公演がちょっと長引いて80-90分、特典会の準備が20分、最高チケットが60-70はいそう(実際にはたぶん57番が最後だった)なので彼らの全チェキだけで1時間以上。会場を支えるのが15時までらしい。と考えるとサイクロンで個別が始まらない可能性もありそうだった。だからはじめから特典会をパスするのを決めていた。次の予定もあったので最高チケット(JPY10,000)にせず、人間チケット(JPY3,000)にしていた。あのまま囲みチェキを撮っても顔に出ていただろう。これからのLiVSが楽しみというよりは、怖い。これからも同じ熱量で応援すると言い切る自信がない。どっと疲れた。14時からクラブ・クアトロのチケットが発売されたが、気持ちが盛り上がらない。どうしようかな……。行くこと自体を躊躇するくらいに気持ちが萎えた。/ #KTCHAN を二日連続で観られるという滅多にない機会。EP “two days to face”リリース記念。6月26日(金)のDJ partyに関しては多くの時間を某紳士とバー・カウンターで歓談していたのでさほど書くことも書きたいこともない。LiVS現場でたまに会う青年を(前にハハノシキュウの現場に行っていたので趣味が合うかなと思い)誘ってみたらたまたま彼が好きなアーティストがゲストでDJをやっていた。あまり目にする機会のないアーティストらしく、彼は幸せそうに噛み締めていた。6月27日(土)がある意味、本番。入場時間の時点で私の前に3-4人がいたが、フロアに入ったのは私が一人目。最前の、ちょっとあり得ないくらいの近距離で #KTCHAN の音楽を、 #KTCHAN という存在を堪能した。彼女がお立ち台に乗ったときはあまりに近くてこちらが怯むほどだった。あまり撮りすぎるのもどうかと思うほどの近さだったので、今日は二曲だけiPhoneに収めさせてもらった。(スマホではなく心のシャッターを切ってほしい的なことを彼女が本に書いていたので、内心複雑な思いで撮っていた。)昼間にLiVSで(私にとっては)地獄のような時間を過ごした私にとっては #KTCHAN の音楽がこの上ない救いとなった。今日初めて心から楽しくて笑顔になった。幸せそのものだった。LiVSのモヤモヤが晴れ、心底スッキリした。私はヒップホップ育ちなので、この音がしっくりくる。フロアの主導権が演者側にある。 #KTCHAN の要求に合わせて手拍子をしたり声を出したり手を上下させたり。客が自分たちのサッカーをやるわけではない。フロアに背を向けない。それが自分の嗜好には合う。フロアに何かをしに行くのではなく、酒を飲んで騒ぎに行くのでもなく、音楽を聴きに行く。そのシンプルな軸がしっかりと存在していた。そしてLiVSとの大きな違い。ソロ・アーティストだからメンバーや歌割りの増減がない。その安心感。曲も彼女自身が作っているので演者と音楽が一体となっている。 #KTCHAN が歌うからこそ意味を持つ、入れ替え可能ではない音楽。恵比寿BATICAが小箱とはいえパンパンになっていたのは喜ばしい。今回の主催公演が次へのステップになっていれば良いのだが。最前付近に行ければ最高だけど今日のようにパンパンだと後ろからは顔しか見えなかったようだ。もっと大きい箱だともっと多くの人にとって見やすくなる。そもそもBATICAはパンパンにするように作られた会場ではないのかもしれない。 #KTCHAN は本物のスタア。現場に観に行くことはもうないかもしれないけど、心から応援しています。