2015年6月17日水曜日

Future Departure (2015-06-11)

昼食を摂るために横浜駅近くにあるお気に入りの店に入った。いつも混んでいる人気店。平日なのに入るまで40分ほど待たされた。案内された席に腰掛けて注文を済ませると、近くの席にいた男女の会話が嫌でも耳に入ってきた。男が女の恋愛遍歴について詳しく聞き出していた。女曰く前の彼氏は某有名企業に勤める30代の男だったが、社員かと思っていたらアルバイトであることが付き合い始めてから半年で発覚し、それが別れる一つのきっかけとなった。何か夢があってアルバイトをしているなら許せる。例えば芸人を目指しているけど今はそれだけでは食えないからバイトをしているということであれば問題ない。でも彼にはそういう目標がなかった。バイトをやめて正社員の働き口を探すからそれが決まったら結婚しようと言ってきたが、アタシには結婚願望がないので乗り気にならなかった。しかも就活がうまく行かなかったらしく、一ヶ月後にはまた週6でバイトをやり始めた。は? あり得ない。就活するって決めたんならちゃんとやれよって思った。そういったいくつかのすれ違いが重なって別れた。というところで電話が鳴って女は席を立った。男はその間に会計を済ませた。食事を平らげてホットコーヒーを優雅に飲み干した私は、店を出て新横浜に向かった。今日、私が有休を取得したことで自分を含めて8人の出張日程が変更になった。そこまでしてでも絶対に行かなければならない現場がそこにはあったのである。℃-uteにとって初めての横浜アリーナ公演だ。

この横浜アリーナ公演はツアーの千秋楽だったが、私が観に行った川口公演と比べるとセットリストが大幅に変更されていた。開演するとモニターに最新シングルから新しい順に今までのシングルのビデオクリップが数秒ずつ流れて、インディーズの2nd(『即 抱きしめて』)...と来たところで℃-uteが登場し、最初のシングル『まっさらブルージーンズ』を歌い出すという始まり方が、熱すぎた。涙が出てきた。何かのアニメのキャプチャ画像で緑のサイリウムを持って泣いているおっさんの画像を見たことがあるが、私がまさにあんな感じだった。入場前に喫茶店を探して新横浜の町を歩いていたときに、一曲目が『まっさらブルージーンズ』だったらいいなという考えが唐突に頭に浮かんでいた。Twitterにもそう書いていた。それが現実になったときの感情の高ぶりといったら、もう。そのままMCを挟まず、リリース順に、メジャーデビュー曲の『桜チラリ』までの5曲が披露された。曲が切り替わる度に会場はどよめきと高揚感に包まれた。おー、そう来るかって感じだった。

The Future Departureという、過去との決別を思わせるツアー名でありながら、その千秋楽にて冒頭から昔の曲をこれでもかと畳み掛けてきた。しかも2012年にセルフカバーしたときの新しい編曲ではなく、元の編曲だったんだ。10年やってきたけど私たちは変わらないんだという力強さを感じた。2015年6月11日は℃-ute結成10周年の日なんだ。普段はそこまでセットリストのことを気にしないのだが、今日に関しては選曲にあたってメンバーたちやスタッフが込めたであろう思いについて考えざるを得なかった。変わり種としては“Flash Dance”のカバーが面白かった。彼女たちは英語がしゃべれる訳ではないのでつぶさに聴けばpronunciationは危なっかしそうだが、日本語で歌うときと同じように堂々としていた。What a feeling...のユニゾンがとてもきれいで、たまらなかった。私はこの歌をニュージーランドに住んでいた頃に音楽の授業で歌っていたので、懐かしく、嬉しくなった。

これまでの彼女たちの人生で一番の晴れ舞台だったが、℃-uteさんは落ち着いているように見えた。実際には普段以上に緊張していたのだろうが目に見えてパフォーマンスが乱れることはなかった。横浜アリーナが初めてとはいえ、武道館を何度も経験しているのである。何かの曲で歌のタイミングを外した萩原舞の後に完璧にテンポを取り戻す鈴木愛理の技術と落ち着きに感嘆。本編最後の『たどりついた女戦士』では中島早貴を筆頭にみんな完全に泣いていた。その光景はただ美しかった。極めつけは最後に全員が泣きじゃくりながら肩を組んで歌い上げた『我武者LIFE』。「もう誰一人も欠けないで」と岡井千聖が心の叫びをあげたところは名場面として語り継がれるであろう。何列か前にいた女オタクも号泣していた。

岡井千聖はいつもながら具体的な金額や数字を出して言いたいことを伝えるのが面白い。本編中のトーク。

萩原「ハロプロに入った頃アイドルの掟みたいな紙が配られた。例えばタンクトップは着てはいけません(露出が多いので)とか、アクセサリーは高校生になってからとか、MDプレイヤーを買ってくださいとか」
岡井「当時MDプレイヤーは一番安くて1万5千円くらいした。そんな高いものうちでは買えないと思った」
萩原「ビデオテープに名前を書いて『お願いします!』と会社の人に渡していた」
岡井「ビデオテープは1本300円、それを毎日。破産するかと思った。家の水道止まった」
記録媒体の進化でテープ持参が不要になったときは出世したと思ったと岡井。

岡井千聖はアンコール後のトークでも金額を出して話をしていた。「最近妹と弟がバイトを始めた。夜勤とか大変。それでも時給は900円とか800円。℃-uteのチケットは7,000円くらい。皆さんはそんなお金を℃-uteのチケット1枚に使ってくれている。働いている人はもう少し(時給が)高いかもしれないけど。このコンサートに来るために有休を取ってくれたり、無理矢理来てくれたり。℃-uteがそんな存在になれているのが凄い。(もう嫌だ...と言って泣きじゃくる。頑張れとメンバーが励ます)普段泣かないのに。千聖のことを泣かすのはパパと皆さんくらいですよ」

「私たちは℃-uteを好きで、℃-uteを応援してくれる皆さんのことが好きだからここまでやって来られている」という岡井千聖のしみじみとした語り口。一時的な高揚感やアイドルとしての職業意識から生まれる「みんな大好き」とは違う重みがあった。
「私たちは℃-uteのことが好きで、℃-uteのことを応援してくれる人のことも好きだからここまでやって来られている」という彼女の言葉には嘘がないと感じた。

「℃-uteにはまだまだ夢があります。最近、色々なことがあって不安な方もいると思いますが、まだまだ突っ走って行きます。置いて行かれないように付いてきてください」というようなことを、矢島リーダーが言った。色々なことというのは主にBerryz工房の活動停止を念頭に置いているのだろう。ずっしり来る決意表明だった。℃-uteはまだまだ続く。オタクはそれに付いて行く。2015年6月11日は、℃-uteとオタクの間でその契りが交わされた重要な一日であった。

私の席はアリーナのEブロックだったのだが、周りのオタクたちは公演中にほとんど声を出しておらず、調子が狂った。アンコールも声を出していたのは一部だけだった。私は今ではある程度、現場慣れしているのだが、最初の頃は現場でどう振る舞っていいのかがいまいち分からなかったし、声を出すのは恥ずかしかった。たぶんそういう人がたくさん来ていたんだと思う。会場がいつもより大きくなると、普段あまり来ていない人たちが来るんだということに気付いた。今後横浜アリーナで年に数回やるのが当たり前になっていけば、そういう人たちも現場慣れしていって、会場の一体感は確実に増すと思う。ただ、現場慣れしていない人をもっと巻き込んで、横浜アリーナ級の会場を最高潮に盛り上げ続けるには、仕掛けや演出にもう一工夫が必要なのではないかと思った。ラベンダーのギター担当者が二人登場し何曲か演奏していたのだが、曲にいつものオケとは違うgrooveが生まれ、非常によかった。『都会っ子 純情』冒頭の爆発にも興奮した。あともう一つか二つ、分かりやすいスパイスが欲しかった。今後さいたまスーパーアリーナ等のもっと大きい会場でやることを念頭に置くと、常連以外のオタクに現場慣れしてもらうだけでは不十分だ。曲をそれほど聴き込んでおらず、℃-uteのコンサートを初めて観に来た人でも思わずうわっと声を出して、帰り道に凄かったねと感想を言い合えるような工夫がもっとあればいい。℃-uteであればそんなコンサートが出来ると思うし、ハロプロでそれを出来るのは℃-uteしかいない。