2020年4月29日水曜日

イタリアン・トマトでマスクを着けて書いた文

自由な時間がどれだけあるかと、その中で何を生産できるかはまったく別の問題だ。むしろ時間が限られていた方がやりやすい。このブログの話だ。誰かの発注を受けて書いているわけではない。締め切りはない。でも放置していたら書かないといけない現場は溜まっていく一方。時間が経てば経つほど書くのが大変になるのは経験済み。未来の自分が苦しむのが目に見える。だから何とか時間を工面してやらないと…そう駆り立てられる。私は四月から在宅勤務になった。その上、月の半分が休業になった。COVID-19の流行に伴う業績悪化を受けて(+見越して)の会社による措置である。たとえば月曜と火曜は8時間、木曜は4時間、というような働き方をしている。いつ終わるかは分からない。とりあえず6月末までは続くのが決まっている。通勤の時間がなくなったし、半分は休みになった。だいぶ暇。となれば週に一本くらい数千文字の文章を書いて投稿するのは造作がなさそうなものだ。実際には二ヶ月前を最後に、ブログの更新は途絶えている。今こうやってイタリアン・トマトの机でポメラを取り出すまで、私はブログ用の文章を一文字もタイプすることはなかった。

もちろん最大の理由は、主な題材としてきたHello! Projectの現場がなくなってしまったことだ。コンサート、ミュージカル、リリース・パーティ等に行ったら何かしらの記録をここに認(したた)めるという習慣は私の身体に染みついている。ライフ・ワークだ。伊達にこのブログを五年も続けていない。現場はしばらくなくなっているが、何かしらを書いて残したいとは思っていた。でもさ。完全な休みの日だったとしても洗濯、掃除、食事、風呂といった雑事をこなして音楽を聴いてYouTubeでも観ていれば一日というのは何となく終わってしまうものなんだ。明日も休みだしその先も時間に余裕がある。そのうちやればいいや。そういう感じで三週間以上が経過した。こうも休みが多くなると、フル・タイムで働いていた頃とは時間の感覚が変わってくるんだ。以前は9時から6時まで働いて20時からジムで運動をするという風に朝から晩まで活動的なのが普通だった。今は15時頃には一日が終わったような感覚。

生活にメリハリを出すのが非常に難しい状況。通勤がなくなった分、早起きのプレッシャーから解放された。それはありがたいけど、オンとオフの境界は不明瞭になった。Hello! Projectの現場だけじゃなく明治安田生命Jリーグも止まっている。ジムは閉まっている。外出をなるべく控えるよう政府は全国的に要請している。ストリートに出たところで多くの店は政府の意向を汲み閉まっている。平坦な日々。労働の負荷は軽減されたが収入は減ることが決まり、娯楽も大幅に減った。底抜けに楽しいことがない。たしかにHello! Projectのメンバーさんは今でもブログを毎日のように更新してくれるし、家にこもらざるを得ない我々に向けてTwitter, YouTube, Instagramにいつも以上にさまざまな動画や写真を投稿してくださる。だが、それはコンサート、リリース・パーティ、ミュージカル、握手会の代わりにはならない。Hello! Projectを通して知り合ったリアルなホーミーたちとTwitterで会話をしても、それは実際にお会いして食事を共にする楽しさには代えられない。フットボールに関して言えば、いくら名試合であったとしてもDAZNで過去の試合を観るのと、スタジアムに赴いて目の前で行われている試合を観る喜びとでは比較することさえ無意味だ。

つばきファクトリーさん、田村芽実さん、横浜F・マリノスを支えに生きる日常が早く戻ってきてほしい。私は強く願っている。でも一方で、もし政府が5月6日をもって緊急事態は終了したと宣言し世の中が経済活動の完全再開に急旋回したら(それはなさそうだが)それはそれで味気ないという思いもある。たしかに私の給料は減る。ボーナスもほとんどもらえなさそうだ。それは痛い。ただ労働者生活は長い。下手すりゃ死ぬまで働かないといけない。たまにはクッションの時期がないと息が詰まる。このまま会社の業績が悪化していけば、そんな呑気なことも言っていられなくなるかもしれない。状況によって私は失業する可能性もある。そうなったら、そうなったときに考える。それでいい。一寸先は誰にも分からない。失敗小僧さんもそう言っていた。

それに、世の中がいい方向に変わるきっかけになるのではないかと期待している。たとえばさ。在宅勤務が広く一般的になるとか。事務所の座席配置に社会的距離が考慮される(席と席を離すとか、パーティションを付けるとか)ようになるとか。人々が電車に乗るとき特定の車両に密集するのではなく分散するようになるとか。飲食店やサテンで空いているのになぜかすぐ隣のテーブルに座ってくる奴がいなくなるとか。まあ、喉元過ぎれば熱さを忘れるで、何事もなかったかのように元に戻るかもしれないけど。もちろん人々がそこまで気にするようになった社会では、コンサートやサッカーの試合で歓声をあげて飛沫を飛ばすのはいいのかとか、アイドルさんをたくさんの人々に接触させる握手会はいいのかといった問いからも逃げられないんだけどね。

今だからこそ出来ることをやろう的な薄ら寒い意識高い系の言説から、私はソーシャル・ディスタンスを取りたい。とはいえ私も今こそやるべきだと思って実践していることはいくつかある。たとえば、感染症に関する本を読むこと。何年も積ん読していたカミュさんの『ペスト』を読む気になったのはCOVID-19のおかげだ。いま読まなきゃ一生読むことはなかっただろう。同書を皮切りに、三冊を読んで、いま四冊目。今のところ手元にあるのはこの五冊。四冊中で一番のオススメは『感染地図』。まだ読んでいる途中だけど言い切れる。

  • カミュ、『ペスト』★★★★☆(現代のCOVID-19をめぐる人々の反応をそのまま記したかのような場面もある。人間の普遍的な感情を描いたクラシックだと感じさせる)
  • 村上陽一郎、『ペスト大流行』★★☆☆☆(さまざまな文献のコピー&ペースト集。大学の授業を聞いているような感覚。読ませる文章ではない。いかにも岩波新書)
  • 小松左京、『復活の日』★★☆☆☆(私の好みではなかった)
  • スティーヴン・ジョンソン、『感染地図』(読んでいる途中)★★★★★(これぞプロの文章。『ペスト大流行』のような日本国内でしか通用しなさそうな拙い文と比べ構成力にプロとアマの差がある)
  • Richard Preston, “The Hot Zone”(未読だけど期待している)

(★の数はオススメ度)

近所に詳しくなること。今の家に引っ越して約三年経つんだけど、これまではほとんど家と駅の往復だった。徒歩圏内に自然のあるちょっとした散歩コースがあるのを初めて知った。隣駅まで歩くと知らなかったサテンとかスーパーマーケットがいくつもある。遠出の機会を減らす代わりに、徒歩の行動範囲を広げる。

太陽の光を浴びること。身体にビタミンDを生成させる。家にこもりがちなこの時期は特に気を付ける必要がある。
また最近ビタミンDが心や神経のバランスを整える脳内物質セロトニンを調節することがわかり、うつなどのメンタル症状に効果的であることがわかってきました。例えば北欧諸国は自殺率が比較的高いとされていますが、日照時間の短さからくるビタミンD合成不足が一因ではないかとされています。(ビタミンDの効用 - 新百合ヶ丘総合病院
私は真冬のドイツに一ヶ月半ほど滞在したことがあるんだけど、終盤はだいぶ精神的に参ってしまった。いま思えば日照が少ないことによるビタミンDの不足が一因だったのではないか。COVID-19が問題になってからの生活で気分が落ち込んでいる人は楽しみにしていた何かが中止になったとか色々あるかもしれないけどもっと生理的な原因として日光を浴びる機会の減少でビタミンDが不足している可能性がある。日が出ている時間帯は一定時間、外に出よう。それか窓を開けて日差しを肌に浴びよう。この肌に浴びるというのが大切らしくて、長袖長ズボンでは効果が低いようだ。

さいきん読んだ山田鷹夫さんの本(『無人島、不食130日』)に、人間は太陽から力をもらって生きていると書いてあった。だから人間は太陽を凝視することで生命力を得ることが出来、食べなくても生きられるというのが筆者の主張。そこまで行くとさすがにぶっ飛んでいる。私はその境地には至れないと思うけど、人間が太陽に生かされているというのは一つの真実な気がしているんだよね。最近の私は信仰に近い気持ちで太陽に感謝し、日光を身体に取り込んでいる。

そういえば、マスク。いいのを見つけた。編み目が荒いが飛沫の拡散防止には十分。呼吸がしやすい。生地の肌触りがよく、着用のストレスがない。そしてメガネが曇らない。とても気に入った。諏訪繭マスク 普通サイズ シルクふぁみりぃ