2016年2月15日月曜日

中島早貴バースデーイベント2016 (2016-02-05)

来週の月曜日からのドイツ出張がなければ、おそらく今日のイベントには応募していなかった。ある日『℃-ute Cutie Circuit 2015~9月10日は℃-uteの日』Blu-rayを観ていたところ、中島早貴さんによる演歌歌手・中禅寺ナキ子の演技が面白く、そういえばいま彼女のバースデーイベントの申し込み期間だったなと思い出し、開催される2公演ともに申し込んだ。両方に当選した。山野ホールという大きめの会場だったので当たりやすかったのかもしれない。今回の出張は7週間という長期なので、行く前に現場に行きたいなという気持ちが前からあった。

今日は金曜日だが休みを取っている。昼に池袋へ。「楊」で麻婆豆腐定食880円。昨日の夜も来ていたので、店に入ってこんにちはと言うといつもの料理人(接客もする)がまた来たかという感じで笑っていた。ここの麻婆豆腐はリアルすぎて過去に何度かお腹を壊しているが、最悪また壊したとしても明日もあさっても休みだから何とかなる。店を出て駅に向かう途中のマンホールに猫が鎮座していた。近づいても逃げない。しゃがんで撫でても逃げない。かと言ってなついてくるわけでもない。「いつもそこにいるのよね」と老婆が声をかけてきた。「ぜんぜん逃げないんですね」「そう、おとなしいのよ」「そうなんですか」「きっとこの辺の誰かが飼っているのよ」「そうなんですか。でも首輪は付いていないですよね」という猫と老婆との同時接触イベントを経て、パルコのFREAK'S STOREへと向かった。

仕事に使えるシャツが不足している。普段は会社に着いてから作業着を羽織ればいいので、フリースジャケットやマウンテンパーカの中にTシャツという格好で通勤することが多い。ドイツのオフィスはもうちょっとオフィスっぽくて、ネクタイをする必要はないけれども襟の付いた普通のシャツがあった方がいい感じなのだが、荷造りをしていてそういうのを持っていなさすぎて困っていた。店内をうろうろしていると顔なじみになりつつある店員さんがINDIVIDUALIZED SHIRTSの新作を薦めてきた。値段を見ると2万6千円だった。「長袖のシャツでいいのがあればと思っているんですが。仕事で普段使いするのが欲しくて。それだとこれ(INDIVIDUALIZED SHIRTS)は高すぎるんです」と言うとFREAK'S STOREの日本製シャツを薦めてくれた。作りがしっかりしていて、店員氏も4年くらい使っているのだがへたれていないそうだ。台湾の業者が買い付けに来て、向こうのECサイトでは3万円くらいの値段が付けられているらしい。物を見ると悪くなさそうだし、値段も7千円くらいと手が出しやすいので試してみた。青の無地と、紺のチェック柄の2枚を買うことにした。Brook's BrothersのMADE IN USAのシャツが3割引になっていて、計2点以上の買い物で4割引になるとのことだったのでそれも試着して買うことにした。14と1/2というサイズだった。「この後はどこかに行かれるんですか?」と聞かれたので「いや、特に…」と歯切れの悪い返事をした。サンシャインのKFC付近のハンバーグ屋さんと文芸坐の近くにある韓国料理店がおいしいというおすすめ情報を教えてくれた。駅のこっち側の飲食店にはそれほど詳しくないのでありがたい。日本に帰ってきてから行ってみよう。

長旅の前に体調を万全にしておくため、タイ古式マッサージを受けた。痛かった。今日やってくれた人は以前にも何回か当たったが、他の人に比べて飛び抜けて痛いが揉み返しは来ないので、おそらく上手なんだろう。マッサージが終わったらその足で池袋から代々木へ。今日は1回目が17時開場、17時45分開演。2回目が19時半開場、20時15分開演。17時ちょい過ぎに山野ホールの前に着いた。会場の前は思ったよりも人がまばらだった。過去にイベントでここに来たときは地上でグッズを売っていたが、今日はそこではなくて会場に入る階段を降りた先で売っていた。ほとんど並んでいなかった。何も買わなかった。緩い荷物検査を通過し、FC会員証、免許証、当選メールの三点を見せて先に進むと、会場に入る前に紙と鉛筆が用意されていて、質問を書いて箱に入れられるようになっていた。「中島早貴が疑問・質問・お悩み…何でも答えます!『何でもアンサー』大募集!」という題で、ペンネームと本文を書く欄があった。そんなに聞きたいことはなかったが無視するのも無粋なので「貯金のコツを教えてください」と書いて箱に入れた。1回目の席、22列は、ほぼ最後列だった。席じたいはあと4列くらいあったが、実際に人が入っていたのはあと2列くらいで、しかも人がいた最後の列には数人しかいなかった。でも2回目の席が3列なので何の文句もない。2回とも中途半端に真ん中くらいの席が来るよりはこうやってメリハリがある方が嬉しい。惜しかったのは双眼鏡を忘れたことだ。家を出てから気付いて、まだ引き返すことも出来たが、まあ2回目が近いからいいかということで1回目は我慢することにした。でもやっぱり双眼鏡はあった方がよかった。

松浦亜弥さんの“I Know”を歌いながら登場した中島早貴さん。私はこの曲に聴き覚えはあったし、hookのOh Yeahというところで両手を使ってOとYの形を作るのも分かっていた。その割に誰の曲かを中盤まで思い出せなかった。私がハロプロを聴き始めたのは松浦亜弥さんの1st albumがきっかけで、最初は松浦さんだけをディグっていた。彼女のコンサートを収めたDVDを何度も観て覚えていた。最近の記憶とリンクしていなかったから記憶を引き出すのに時間がかかった。松浦さんの現場には一度も行ったことはない。田村芽実さんがバースデーイベントで『私のすごい方法』を歌ったときもそうだったが、個人的によく聴いていた松浦亜弥さんの曲をこの時代に改めて歌ってくれるのは嬉しい。

「22歳になりました、ぞろ目の女、中島早貴です」と挨拶をした中島さんは、マイクを持っていない手でピースを90°回転させて指を目の上と下に合わせていた。司会進行を上々軍団の鈴木啓太が勤めた。浦和レッズを去ると同時に現役を引退した元サッカー選手と同姓同名だ。サッカー選手の方はオシム監督に重用されていたのが印象的だが、それはともかく、ハロプロメンバーさんのこういうイベントにたくさん出ているだけあり進行が手慣れていて、安定感があった。中島早貴さん曰く、日付が誕生日の5日に切り替わる前に萩原舞さんがメールを送ってきた、しかも24時になったらもう一度おなじ文章を送ってきたとのこと。宮崎由加さんから映像によるコメントが流された。宮崎さんの音頭で(と言っても向こうは事前に撮っているわけだが)happy birthdayの歌を会場で歌った。私の本来の推しは宮崎由加さんなのだが、この宮崎さんの映像は(後で販売されるDVDで観られるとは言え)この中島早貴さんのイベントに来ていなければ観ることが出来なかったし、宮崎さんの映像が流れるのは事前に知るすべがなかったので、好運な出来事だった。℃-uteの矢島舞美さんを憧れの先輩として公言していることで知られる宮崎さんは「あまり言ってこなかったが中島さんのことが好きで憧れている。後輩が苦手とおっしゃっているのであまりお話をしに行けていないが…」というようなことを言っていた。宮崎さんとしゃべったことがあるのかと鈴木さんに聴かれた中島さんは、まったくしゃべったことがないと答えた。

萩原舞さんが現れた。中島さんはたいそう驚いていた。直前まで予定になかったらしい。「暇だったから来た」とおどける萩原さんはやたらと上機嫌そうだった。ここでさきほど中島さんが話した、萩原さんがフライングでメールを送ってきた話になった。
萩原「20分前にメールを送ってしまって…」
中島「もっと前じゃなかったっけ?」
萩原「23時45分くらい」
と、メールの時間については中島・萩原両氏で食い違いがあった。なぜ24時にまた同じメールを送ったのかという問いに対しては萩原さん曰く誤字脱字を修正したのと、動画を添付したということだった。「22歳になった中島さんに何かコメントはありますか」と鈴木さんが振ったが黙り込む萩原さん。「ないんかい!」と中島さんが突っ込むと「ない」と笑った萩原さんは「これから(会場の)後ろで観るから」と言ってステージを去った。

2曲目のモーニング娘。『男友達』から、私は耳栓を付けた。この方が快適で、落ち着く。音がmildになって歌声が聞き取りやすくなる気がする。最近はTHUNDERPLUGS PROを愛用していたが、PROじゃない通常版を買い足して、普段から使っている。ゲーセンでも、電車でも、ときには仕事中にも。耳栓をするようになってから音に敏感になった。今までイヤフォンで音楽を聴いていたのは、音楽を楽しむためだけではなく、不快な音を遮断するためでもあったということに気が付いた。後者の目的であれば、イヤフォンではなく耳栓が正解なのだ。なぜならイヤフォンで音楽を聴きすぎると耳が悪くなる。イヤフォンで音楽を聴くのは1日1時間以内が適切だというガイドラインもあると知ってから、イヤフォン使用のリスクを気にするようになった。最近では余計な音を緩和して集中したいときには耳栓を付けるという生活に変えている。コンサートのグッズで耳栓を出せばいいのに、と思う。ただ金を出させるだけではなく、ファンに難聴リスクを周知させ、そのリスクを低減させる、本当に意味のあるグッズだ。

3曲目は聞き覚えがなく分からなかったがおそらくハロプロ外の曲で、aikoかな?とぼんやり推測した。「Berryz工房x℃-ute超HAPPYコラボ2012~スッペシャルでバコーン!」というイベントを観に行ったとき、中島さんがaikoの曲を歌っていて、選曲の理由を説明する中でaikoさんが好きでカラオケでもよく歌う的なことを言っていた記憶がある。同イベントは回ごとに内容も参加メンバーも違っていて、私が行ったのは2012年11月1日の赤坂ブリッツ、7日の渋谷AXだった。検索して出てきたファンのブログを見るかぎり中島さんがaikoを歌ったのは赤坂ブリッツの方だ。

写真をスクリーンに写して中島さんの幼少期を振り返るセグメントがあった。学芸会でたぬき役をやった。脇役を生き生きとやる子だった。配役を決める際に最後まで手を挙げなかったら、出し物が始まる前に「これから…組の劇を始めます」的な宣言をする係に先生から指名された。基地ごっこをしているという写真は、よく見たら他の人は別の遊びをしていて中島さんの一人だけが段ボールの「基地」に入って基地ごっこをしていた…といった解説を、はじめは微笑ましいなと思いながら聞いていた私であったが、自分の親もこうやって私のことを育ててきてくれたということにふと思い至った。自分が育てる側になる見通しがまったくない33歳の男性になったという現実。来場者の中には中島さんの親でもおかしくない年齢で、ずっと独り身の人もいるだろう。そういう人たちはどういう気持ちで見ているのだろうか? 私もこのままだとそうなる。

事前に箱に投函された紙からは「あした会社に行きたくないから、お仕事がんばってねと可愛く言ってください」という要望や「握手会でなっきぃに認知されるにはどうしたらいいですか?」という質問などが選ばれた。後者に対しては、頻繁に通って、自分の名前を言えばよいという旨の回答が中島さんよりなされた。鈴木さんが、中島さんの回答をちゃんと質問への答えになるように収束させるいい仕事をしていた。

その後に中島さんが歌ったのは真野恵里菜の『黄昏交差点』や後藤真希の『スクランブル』。他にもあったかもしれないけど、覚えていない。『スクランブル』はJuice=Juiceによるカバーしか聴いたことがなかったので、後藤真希の曲だと知って驚いた。後藤さんのオリジナルも聴いてみたい。私は後藤真希さんのアルバムもまともに聴いていない程度の新参者なのである。ハロプロは常に発表されていく新曲を追いかけるだけでも楽ではない上に当然ながら私はハロプロ以外の音楽もたくさん聴くので、過去まで遡ってディグるのは難しい。

最後のお見送りでは中島さんの横に萩原さんもいた。萩原さんがやたらと楽しそうだった。私の前の人が「舞ちゃん!」と呼びかけるとそっちに食い付いて、私にはほぼ視線も来なかった。19時すぎに地上に出た。次の2回目が終わるのは21時半すぎになるので、2回目が始まるまでの間に飯を食うことにした。山野ホールと代々木駅の間にある「張家」という前から少し気になっていた中華料理店に入った。飲み物(生ビールか紹興酒かサワーから選択可能)+棒々鶏or煮落花生orニンニク胡瓜(三つから一つを選ぶ)+五目チャーハンor担々麺or焼き餃子(三つから一つを選ぶ)で1,080円という驚くべきofferingがあったので、紹興酒と棒々鶏と担々麺を頼んだ。1,080円だからちょびっとしか出てこないのかと思っていたら、ちゃんとした量が出てきた。担々麺(刀削麺だった)は麺が半分でもいいくらいだった。棒々鶏は塩味が強すぎて、担々麺はスープが味気なかったが、それでもこの値段なら十分に満足できた。私が店に入ってからは店内の音楽が松浦亜弥→アンジュルム→モーニング娘。、一旦ジャニーズとおぼしき男性グループの曲を挟んでまたモーニング娘。(最後のはグルグルJUMP)だったので食事にgrooveが生まれた。

飯を食って会場に戻ったら開場時間がちょっと過ぎているくらいのちょうどいい時間だった。平日なので当然この時間の方が来やすい人が多い。地上にたむろする人は1回目より多かった。イベントにヒップホップの要素を入れたかったので紙には「今の気持ちをフリースタイルラップで表現してください!」と書いて入れた(読まれず失敗に終わった)。22列と3列とでは、始まる前の楽しみさ加減がぜんぜん違う。近くの紳士が「申し訳ないくらいの席。舞美ちゃんのイベントでこれくらいの席が欲しかった」と知り合いに話していた。

2回目は、イベントの構成や曲目はほぼ1回目と同じだったが、2回とも観に来る人たちへの配慮だろう、1回目とは違うepisodeを話していた。中島さん曰く「℃-uteの中で(岡井)千聖だけ誕生日おめでとうのメールを送ってこなかった。ブログで私へのメッセージを書いてくれていた。千聖らしいなと思った。最近あそびに行っていないねと書いてあった。たしかにここしばらく千聖とは遊びに行っていない。だから今更どうやって誘えばいいのか分からない。千聖とは一緒にお酒を飲める中だが、いちど感極まって二人でお店で泣いてしまったことがある。お店に迷惑をかけない程度に楽しんでいきたい」

aikoの曲については、最初はaikoの別の曲を歌うつもりだったが、バラードで、トラックも音が少なくてほぼ声だけになる箇所もあったので、これは緊張するなと思ってこの曲にしたけど、これも難しかったと中島さんは話していた。私がさいきん読んだ『1998年の宇多田ヒカル』という本でも、aikoを好きな女性は多いがカラオケでちゃんと歌えている人はほとんどいないであろう的なことが書かれていた。aikoが世の中に大々的に出てきた頃、ラジオでaikoと共演したKinki Kidsの片方が「面白いコード進行をするなあと思っていた」とほめていた記憶がある。つまりaikoの曲は平均的なポップ・ソングよりも歌いこなすのが難しいのだろう。

写真で生い立ちを振り返るセグメントでは1回目と違う写真を使っていたが、2回目の写真の思い出をお母さんに聞いてくるのを忘れたという中島さん。鈴木さんに子供がいるということで、写真を見てだいたい何歳くらいか分かるんじゃないかという無茶振りをしたが、ここで意外と鈴木さんが的確なコメントをして大活躍だった。

「何でもアンサー」では「21歳のなっきぃがした失敗を教えてください」という質問への回答が一番おもしろかった。中島さん曰く「21歳は失敗が多かった。水のペットボトルのふたを開けたままカバンに入れてしまって財布の仲間でビシャビシャになった。コンサート中のトークで「いま音が出るかもしれないよ」と急に言ってスタッフに無茶振りをしてしまった。満員電車で降りるときに入れ違いに入ってくる女の人とぶつかってその人のヒール片足を線路に落としてしまった。ごめんなさいと言ったらああいいんですと許してくれたが困っていてそのまま駅員さんの方に走っていった。自分は付いていかずそのまま電車に乗った」。自分の失敗を素直にさらけ出して話せるのは人として大切だ。そういう話に人は引き込まれる。私もそういう人間になりたいと、私はこの話を聞きながら思った。

21時27分に外に出た。帰り道でももちの旦那さんが前にいたので、声をかけて、駅まで一緒に歩いた。
「なっきぃオタでしたっけ?」、ももちの旦那さんは私に聞いた。
「いや、そうじゃないんですけど℃-uteが箱推しっていうか、℃-uteが好きなんですよ。なっきぃオタというわけではないです」
「そうなんですね」
「今日は1回目だけですか?」
「そうなんですよ、仕事が抜けられなくて…」
「あー、そうですよね、私は休みました」
年間200-300現場に参加される方が普段なにをやっているのかというのは気になっていたので、仕事をされているというのが分かって、何というか、ちょっと安心した。