2019年6月18日火曜日

遙かなる時空の中で6 外伝 ~黄昏ノ仮面~ (2019-06-08)

8時くらいまで寝るつもりだったが6時に目が覚めた。そのまま起床。中途覚醒のときは別として、二度寝をしていいことはない。却って調子が狂う。鈴木愛理 LIVE TOUR 2018 “PARALLEL DATE”【Blu-ray】を観る。いわゆる推しジャン的なことをしている紳士が映っていた。ソロのコンサートで推しジャンという概念は成り立つのだろうか。池袋。昼食。A-Raj。しばらく来ていなかった。移転してからは初めてだ。見たことのないインド人(おそらく)の女性が、開店時間の11時半よりも数分前に中に入れてくれる。前に給仕を務めていた日本人の女性は辞めたのかな? インド人(店主)がインド人(給仕)を日本語で詰めている。ごめんなさい。ごめんなさいは要らないよ。前も間違えただろ。お前は使えないよ。いま仕事中だから後にしてください。仕事中分かるけど何回目だよお前。ノンベジタブルミールス1,350円。運んで来てくれた店員さん(さっきまで詰められていた)があまりにつらそう。ため息までついている。大丈夫? と思わず聞いてしまった。大丈夫。いつものことだから。お金のことで間違えた。そんなにきつく叱らなくてもええやんかとさっきは思っていたが、お金をいつも間違えたらちょっとまずいな。キングフィッシャー650円を追加で注文。グラスが冷えていないので瓶から直接飲んでいたが、店員さんがグラスに注いでくれた。過去に来たときはナンとマトン・カレーばかり頼んでいたが、南インド式のミールスも本当においしい。色んな味がちょっとずつ味わえる。会計は店主だった。機嫌が悪そうだった。

A-Rajに来たのはサンシャイン劇場で舞台を観るから。演劇女子部『遙かなる時空の中で6 外伝 ~黄昏ノ仮面~』。池袋で昼食を摂るときは北口で済ませることが多い。サンシャイン付近まで足を伸ばすことは少ない。ちょっと歩くからね。A-Rajに行きたいという思いは常に頭の片隅にあった。今日がいい機会だった。この辺は無職の頃によく来ていた。A-Rajの近くにあるマレーチャンというマレーシア料理店の肉骨茶(バクテー)もおいしかった記憶がある。そうそう。マレーチャンで肉骨茶(バクテー)を食って、店を出たら急に雨が降ってきて。雨宿りのために入った向かいの建物が図書館で。そのまま中で本を一冊、読み終えたことがあったな。植草甚一、『ハーレムの黒人たち』。もう6年前だ。

マチネとソワレの両方を観た。開演時間はマチネが13時、ソワレが18時。12時過ぎに会場入り。ほとんど並ばずに日替わり写真を買えた。グッズ売り場の販売者の紳士(一人だけ男だった)に日替わりの小野さんを注文したところ、まだ業務に習熟していないらしく日替わりが何なのかも小野さんが誰なのかも分かっていなさそうな反応だった。2Lのソロ写真も購入した。

今回の演劇女子部にはそこまで期待をしていなかった。つばきファクトリー主演の舞台だという以外にファンクラブ先行に申し込んだ理由は一つもなかった。興味をそそらないあらすじ、衣装、メイクアップ。出演者の大半が男役というのもそそられなかった。ゲームが原作らしいがもちろん知らない。私が興味を持つ類のゲームでもない。私のゲームに関する知識はファミコン、ゲームボーイ、スーパーファミコン、初期プレステで止まっている。そして、公開の間近になって決まった浅倉樹々さんと新沼希空さんの降板。ネガティブな要素ばかりだった。この土日に関して言えば、明日の19-21時に楽天で注文した冷凍ピザ(薪釜ナポリピザ フォンターナ)が届くことが一番の楽しみだった。

だから、こんなに楽しませてもらえるとは思わなかった。出演者の全員がよかった。つばきファクトリーの全員が、コンサートやFCイベントでは見られない魅力を開花させていた。何といっても小野瑞歩さんの男役がびっくりするくらいにカッコよかった。別人だった。冒頭でステージに現れた小野さんが最初の台詞を発した瞬間。それは私が初めて彼女を見たときに匹敵するような、決定的な瞬間だった。正直、男役とはいっても普段とそこまで変わらないんだろうと高を括っていた。今日の彼女、いや彼は、有馬一だった。最後まで小野瑞歩を感じさせなかった。

こんなこともできるんだ。小野瑞歩さんの支持者として誇らしかった。ここまで来たんだという感慨があった。観客動員とか会場規模とか地位名声ではなく、芸のレベルとしてここまで来たんだ。小野さんをこれまで支持してきてよかった、と心から思った。応援してきたのが報われた。もちろん常に報われているし救われているんだけど、そんな中でも2019年6月8日(土)という一日は一つの記念碑になった。

マチネは4列(2列が最前)、ソワレは11列。迫力と臨場感では当然マチネが勝ったが、ソワレの席もステージの全体像が見えて違う楽しみ方が出来た。マチネの後にサンシャインや西武をぶらぶらした。THE NORTH FACEとWhite Mountaineeringにエメラルド・グリーンのTシャツがあった。小野さんの支持者として彼女のメンバー・カラーを服装に取り入れたいと思っている。今日は何も買わなかった。ソワレの前にマレーチャンで夕食を摂った。ホッピーセット(黒)、サティ2本、肉骨茶(バクテー)。前に来たのはたぶん2013年だ。今後もたまに利用しようかな。肉骨茶(バクテー)は明らかに身体によさそうだ。



彼女が思わず目に留まってしまうのか、それとも自分の贔屓に設定したから重点的に見ているのか。その境界線は常にはっきりしているわけではない。彼女が私のナンバーワンだと決めた当初には、彼女が最も強く光り輝いて見えていたはずだ。いちばん好きだったはずだ。だからこそ、この子を応援すると決めたはずだ。でも、それは永遠の愛ではない。アイドルさんの職業人生がそう長くはないことを差し引いてもだ。何を隠そう、私は彼女の前にも誰かを崇拝していたし、その前にも違う誰かを崇拝していた。私は彼女が好きだ、だから彼女を中心に観る。彼女を中心に観るから、彼女の魅力ばかりが見えて、彼女のことがますます好きになっていく。いつまで彼女を崇拝し続けられるかは、その循環がいつまで続くかにかかっている。そのうち、彼女を観る原動力の中に義務の要素が入り込んでくる。私は彼女を応援するんだと自分に宣言したから、それを守る。義務の割合が大きくなってくると、他のメンバーさんに目移りがしてくる。自分がいちばん好きなのは本当に彼女なのかと疑問に思うようになる。初めは小さな疑問でも、徐々に大きくなって、無視できなくなっていく。我々が気移りするようにアップフロントさんも仕掛けている。次々に新しいメンバーさんを投入し、新しい集団を結成させていく。そうやって私たちをつなぎ止め、事業を維持する。

私の小野瑞歩さんに対する気持ちもいずれはしぼんでいくのだろうと、頭のどこかでは予想している。何事もなかったかのように、他の誰かを応援する日が来るのかもしれない。現につばきファクトリーのコンサートを観に行っても、小野さんよりも他のメンバーさんが目に留まることがたまにある。もし小野さんを知らずにその公演で初めてつばきファクトリーを観ていたら、小野さんの支持者になっていたとは自信を持って断言できない。もちろん崇拝対象を変えるのは悪いことではない。むしろ自分の気持ちに正直に、短期間で推しを変えていくタイプの紳士を私は尊敬している。フットボーラーには同じクラブでプレイし続けてレジェンドになる選手もいれば、移籍を繰り返して結果を出し続ける選手もいる。オタクも一緒だ(フットボーラーとオタクは一緒ではない)。それは生き方の違いであって、善し悪しの問題ではない。

こんなことを考えているのは、私が小野瑞歩さんを初めて観た2016年1月4日からもう少しで三年半になるからだ。あのときから気になって、彼女がつばきファクトリー加入後の同年11月の『ネガポジポジ』から継続的に観るようになった。私は小野さんを観るためにそれまでは避けていたリリース・パーティに通い(一度は新潟まで行った)、自分はそういうのには手を出さない(握手だけに)と決めていた個別握手会にまで行くようになった。小野さんが出現しなければ、私の個別握手経験は今でもゼロだっただろう。小野瑞歩さんは私にとって、アイドルさんという存在との距離の取り方や姿勢を変えてしまうほどの影響力があった。でも、一人の人間に入れ込む熱というのは、いつかは醒めるのは間違いない。二、三年は人の気持ちを変えるのに十分な期間だ。そろそろ小野さんに対する私の興味が薄れてきてもおかしくはないのではないか。

今日、分かった。当分はその日が来そうにない。正直なところ、最近はHello! Projectの現場に来ても、別に入らなくてよかったかなと思うときがある。横浜F・マリノスの試合をスタジアムで観た方が没入できたかもしれない。もしくは家でフットボールをDAZN観戦していた方が安上がりでよかったかもしれない。だが、小野瑞歩さんがいるつばきファクトリーは別だ。

演劇女子部『遙かなる時空の中で6 外伝 ~黄昏ノ仮面~』のチケットを私は三枚、所持している。今日の二公演と、来週金曜日の一公演。一回でよかったとか、フットボールを観ていた方がよかったとか、そういう後悔はいっさい生じなかった。むしろ、四回、五回、六回、時間とお金が許せば何回でも入りたい。ずっと観ていたい。この世界に浸っていたい。有馬一をずっと観ていたい。

思い返すと、私は抱かれたいという気持ちを男に抱いたことが二度ある。これは実際に彼らの陰茎を私の肛門に受け入れたいということではない。そういう具体的で生々しい意味ではなく、それだけカッコいいと思ったということの比喩表現だ。一回目は、会社に入って一、二年の頃、先輩が私の失敗をかばってくれたとき。二回目は、渋谷でK DUB SHINEのソロ・コンサートを観たとき。三回目が、今日だった。有馬一(小野さんの役名)に、抱かれたい。

この演劇を通じて小野瑞歩さんの新たな魅力を知った。彼女を中心に観た理由に、義務はゼロだった。まっさらな状態から小野瑞歩さんを再発見し、目が離せなくなった。もし私が記憶を失って今日はじめてつばきファクトリーを観に来ていたとしても、私は有馬一に引き付けられ、誰が演じていたのかを調べ、小野瑞歩さんを好きになっていただろう。小野瑞歩さんから生まれ、小野瑞歩さんの母乳で育ちたい。