2015年10月31日土曜日

℃an't STOP! (2015-10-25)

orSlow(オアスロウ)のdenim jacketを買った。それからというもの街でdenim jacketを着ている人ばかりを目にするようになった。こんなにdenim jacketを着ている人たちが世の中にいるのか、と驚くほどに。カラーバス効果。7-8年前に読んだ『考具』というビジネス書にはそう書いてあったと記憶している。ある色(であったり車であったりブランドであったり)を意識することで、生活している中でその色(であったり車であったりブランドであったり)ばかりが目に付くようになるということだ。私は今まで街行く人々がどういうdenim jacketを身に付けているかなどほとんど気にしていなかった。自分がdenim jacketに興味を持ち、実際に手に入れ、脳内の一定割合をdenim jacketが占めている今では、すれ違う人々が着るdenim jacketの色の落ち具合や安物加減、他の服との合わせ方等々、細かいところが気になるようになったのである。

一週間前のコンサートで初めて導入した双眼鏡に関しても同じことが言える。それまでは周りの客がどれだけ双眼鏡を使っているかなど意識になかった。自分が双眼鏡を使い始めてその有効性に気付いてからは、あそこにいる人も双眼鏡を使っているな、と視界に入る双眼鏡使いをいちいち自然と把握するようになったのだ。把握しようと意識しているのではなく、嫌でも自ずと意識に入るようになった。何を認識し何を捨て去るのか、頭が勝手に選んでいるのだ。同じ一人の人間でも、そのときの知識や意識の状態によって目に入ってくる情報は変わる。ましてや百人や千人単位となると、同じ場所で同じコンサートを観ていたとしてもそれぞれの客に見える景色は異なっている訳だし、そこから何を感じ何を考えるかも人によって違うのが当然だ。自分の記事を読み返すと、誰がこういうことを言ったという記述が多いが、おそらく私は誰が何を言ったか、誰が何を考えているのかに興味があるのだろう。だからその人の考え方が伺いしれる発言は頭に残るし、記録したくなるのだろう。

先週に引き続き、℃-uteさんのコンサートを観る。川口総合文化センターリリア、メインホール。川口駅のすぐ目の前にあるので便利だ。今日は昼公演と夜公演の両方だ。

昼公演。15時開演。1F28列39番。一番後ろから2番目だが、双眼鏡のおかげで℃-uteさんがくっきりはっきり大きく見えた。

℃-uteコンサートツアー℃an't STOP!、始まりです(もしくは始まります?)と序盤にバシッと決めようとした中島が「始まりだす」と言い間違えて空気が緩む。噛みキャラかい!と自分に突っ込みを入れる中島。
岡井も噛む。「今日℃-uteみんな噛みまくっている。地元だからふわふわしているのかな?」
「気を抜いちゃダメ」と岡井を諫める萩原。
中島「℃-uteは5人中4人が埼玉出身で、愛理はお母さんが埼玉だからハーフなんです」
鈴木「(おどけて変な動きをしながら)ハーフです」

メキシコ出張の話。同部屋だったという中島と鈴木が二人で話し始めて、その間に他のメンバーは着替え。
中島「メキシコに滞在中、愛理の眠気が増していた」
鈴木「着いた日、19時半くらいに寝たもんね」
中島「寝相がやばい。ベッドの隅っこでこんな感じで(座って片脚を伸ばし片脚を折り曲げて片方の肘を折り曲げた方の膝に乗せて手で頭を支える)寝ていたり、こんな感じで膝を抱えたまま寝ていたり」
最初に着替えを済ませて話に合流した萩原。「早いね」とびっくりする中島に答える途中、間違って「ぜんぶ脱いだ」と言ってしまい会場は大いに沸き、メンバーもそれに乗って「さすがだね、私はぜんぶ脱いではいなかったわー」等といじる。萩原、隣にいた鈴木を叩く。
鈴木の寝相の悪さについては「お見せ出来るレベルではない」とニコニコ顔で太鼓判を押す矢島。
メキシコに着いたら矢島以外の全員が体調を崩していた。着いた当日みんなで夕飯を食べる予定だったが、様子を見て無理しなくていい、自由でいいよと言ってくれた。矢島のみが食べに行った。
萩原と岡井(この二人が同部屋)、部屋に入るや否やそのまま投げ捨てるようにカバンを置き、ベッドに倒れ込み、寝た。その様子を再現。

長旅で体調を崩したという彼女たちの話を聞き、私は安心した。あれだけ体力があって若さと元気の塊である℃-uteさんでも海外出張で調子が悪くなるのであれば、私が海外出張で長時間の移動に疲れて時差ボケに苦しむのは無理もないことである。私の勤める会社のあるじっちゃん部長がアメリカに2週間行ったら帰国後に体調を崩して、今日は自宅での勤務とさせてくれと言っていたことがあったのだが実際には寝ていたようだ。電話会議で声を聞く限りではあからさまに不機嫌そうで発言も支離滅裂になってボケ老人のようになっていた。海外出張は負担がかかるというのを理解した上で、自分の体力と年齢をわきまえて、しっかりと休養を取らないといけない。

とはいえ、℃-uteとボケ老人を一緒くたにするのは無理がある。萩原と岡井がベッドに倒れ込んだのは19時頃だったが、24時くらいに起きてそこから活動が始まったらしい。
萩原「なっきぃに電話をかけてエクステを取ってもらった」
中島「そう!(迷惑そうに)夜中に何させんだよって」
萩原「ノリノリだったじゃん」
中島「すみません話を盛りました」
同時にバタンキューした岡井と萩原だったが、起きたタイミングも同じだったらしい。
岡井「起きて横を見ると舞ちゃんがこっちを見て目を合わせてニヤッと笑ってきた」
なお、コンサートでは矢島以外の体調が回復し、矢島の体調が思わしくなかったとのことだ。
言及がなかったが矢島は一人部屋?

『Danceでバコーン!』のintroで中島が「みんなー、ダンスで、バ…?」とアドリブの煽りを挟んで、ファンが咄嗟に「コーン!」と返せるか試して楽しんでいた。

アンコール明け。

中島「渋谷の街をうろちょろしても誰にも気付かれないのに、こうやってステージに立つと私を応援してくれる人がいるのは不思議。普通の女の子だと思うけど、応援してくれる人がいるのであれば頑張っていきたい」

岡井「(本来のメンバーカラーとは違う色の衣装を全員が着る場面で、自身がピンクを着ていることについて)ピンク似合わないねって色んな人に言われている。誰とは言いませんが愛理のファンが私を見て『あ、ちげ、ちげえ』ってすぐに愛理の方を向き直していた。一瞬くらい見てくれてもいいじゃん! このツアーで愛理のファンを一人は私のファンにしたいな、と思います(笑う鈴木)」

矢島「普段は働いていたり学校に行っていたりすると思うんですけど、私たちのために働いてくれてるんだな、と思うと…」とまで言って、あれ何か私おかしなことを言っているなという感じで苦笑する。何を言っているんだという感じで他メンバーが突っ込みを入れる。「そういうこと言っちゃダメだよ」と矢島を注意する萩原。客席もざわつき始めるが数秒後には「そうだよ、℃-uteのために働いているんだ!」という空気に変わり歓声が上がる。

どうやらこの昼公演に萩原の親が来ているらしい。「親が来ると緊張する」と言い、なっきぃはどう?と中島に振る。最初は緊張するが途中から気にならなくなるというようなことを中島は言っていた(たしか)。

鈴木「目を合わせようとすると目を逸らしてくるファンの方がいる。油断させておいてから不意に見ると、また目を逸らして見ていないふりをしてくる。くそー!と思う。出来るだけ多くの方と目を合わせるようにしたい」

先週の座間公演では矢島さんと萩原さんのおへそしか見えなかったが、注意して観察したところ今日は鈴木さんと中島さんのおへそも途中から辛うじて姿を現すときがあった。

このツアーは初めから最後まで立ちっぱなし。以前のツアーだとゆっくりした曲や喋りのセグメントではここは皆さんも座ってくださいと℃-uteさんが促してくることもあった。今回はそれがない。じっくり聴くのではなくガンガン乗っていく曲ばかりだ。悪く言えば一本調子。ずっと80点くらいの盛り上がりで、100点にはならない。昼公演の帰りに4人組くらいの若いナオン集団の一人が「可愛い曲があって盛り上がる曲があるから盛り上がるのであって、盛り上がる曲だけを集めるのは何か違う」という説を展開していて、「分かる」と内心うなづいた。このセットリストには勢いはあるけどメリハリ、落差、緩急が不足している。盛り上がる曲が最高潮に盛り上がるにはそこまでの流れが必要なんだ。座間公演のときから何となくそう思っていたがたまたま聞こえてきた(これもカラーバス効果?)ナオンの発言で強化された。

夜公演。18時半開演。1F17列37番。昼よりはだいぶマシな席だった。双眼鏡に映る℃-uteさんは昼公演のときよりも大きかった。とは言ってもずっと双眼鏡で観察を続けるという無粋なことはしない。ちゃんと声を出して身体を動かした。右の紳士(岡井オタ)がガンガン声を出す人だったのでそれに釣られて私も力が入った。身体が熱くなった。

夜公演の前に萩原が残る4人の顔にラメを付けてくれたからみんなキラキラだという。
岡井「きょう花粉症きつくないですか?」
微妙な反応の会場に「あれ? 何か平気そう」と矢島。
これが萩原にとっての10代最後のツアー。
岡井「10代と20代ではだいぶ気持ちも違うと思う」
「早くこっちへおいで」と手招きする鈴木、岡井、中島。萩原を挟んで逆側にいたので少し遅れて入って「こっちへおいで」をやる矢島に、舞美ちゃんは20代になってからだいぶ経つというようなことを言って中島に遮られていた(ような気がした)。

岡井と萩原の二人が、仕事で集合場所を間違えたときのことを喋った。
岡井「集合場所が多摩川駅だと思って、駅に着いた。『(待ち合わせ場所の)東口がない。出口は一つだけ』とマネージャーにLINEで連絡したところ『そんなはずはないんだけどな…』という返事が来てからしばらくして『あ、もしかして岡井、多摩川にいる?』と聞いてきた。はい。多摩川ですと答えたら、集合場所は京王多摩川駅という、多摩川駅とはまったく別の駅であることを知らされた。私と同じ間違いをしている子はいないかな…と考えたところ、こんな間違いをするとしたら私以外では舞ちゃんくらいしかいないと思って、『舞ちゃん今どこ?』と連絡したら『あと一駅で多摩川』と返事が来たので『じゃあ一緒に京王多摩川に行こうね』と送ったら『え、どういうこと?』と舞ちゃんから電話がかかってきた」
萩原「多摩川から京王多摩川が遠くて、45分くらいかかった」
岡井「なっきぃ、よく行けたね?」
中島「私、バカから脱したから」
岡井「5×6=?」
中島「36。(客が笑っているのを見て)あ、いや、5の段だから5か0なんだよね。1の位が。だから…」
鈴木「7×7=?」(Twitterを見ていると7x4=?に聞こえた人もいるようだ)
中島「42」
矢島「じゃあ6÷2=?」
中島、答えられない。(Twitterを見ていると問いが6÷3=?で答えが3だったという情報もあった。そっちが正しいのかもしれない。)
鈴木「なっきぃは九九の問題に36と42しか答えない」
中島「でも世の中には電卓というものがあるからね」

九九の文化がないアメリカでは数学者でも九九が出来ないことがあると何かで読んだ記憶があるので、なっきぃの言うこともあながち的外れではないかもしれない。

『Danceでバコーン!』の前奏で中島が我々に与えてきたチャレンジは、「チーム℃-uteのみんなー、はーじける?」と言って「ぞい!」と言わせるという、即座に対応するには難易度の高い振りであった。

アンコール明け。

岡井「今日、家を出る前にパパが『千聖、今日のライブに来てくれる人に感謝しろよ』と言ってきた。『感謝してるよ。何で?』と聞いたら『今日は菊花賞なんだよ。菊花賞に人が集まる中で℃-uteのコンサートを選んでくれる人には感謝しないといけない』とのことだった」
菊花賞の単語に大いに沸く会場、ポカンとする岡井以外の℃-uteメンバーズ。誰かが教えて「あ、競馬!」と理解していたが「伝わりづらいよ」と萩原が岡井に文句。「(客席を指し示し)伝わってるじゃん。(菊花賞を)知らない方がやばいよ。うちらより全然CM多いよ」と岡井。納得しきっていない表情の萩原。

ダンバコ(『Danceでバコーン!』)で自らが振った「はじけるー?」からの「ぞい!」が返ってくる率の高さに中島が感心していたが、曲が始まった時点から我々はオイ!オイ!と声を出していたので、中島が「ぞい!」だと思ったうちの一定の割合は実はオイ!なんじゃないだろうか?

萩原が、「○○のファンの人ー?」と一通り自分以外のメンバーのファンに声を出させて、最後に「舞のファンの人ー?」と聞いて客席全体が黄色い棒を光らせて大歓声を上げて沸き上がるという、たまにやってめちゃくちゃ盛り上がるやつをやって、案の定めちゃくちゃ盛り上がった。前の列にいた男性二人組はこの一連のお約束を知らなかったらしく何これ面白いという感じで笑っていた。
萩原「名古屋公演に来る人、どれくらいいますか?」ちらほらと手が挙がる。こんなにいるのかと私は驚いたのだが、℃-uteさんはむしろ少なさに驚いていた。
「名古屋に観に来てくれるのって、いま手を挙げてくれた人たちだけじゃないよね? もしそうだとするとこれから言うことがスゴく言いづらいんだけど…」と前置いてから「次の名古屋のライブはハロウィンなので、私たちも少し仮装するから、皆さんもやってください」と客席に呼びかける萩原。一部でエーイングがあったようで他のメンバーがそれに触れると「えーって言った人はやらなくていい! 嫌ならやらなくていいんだから! …嘘です、お願い、やって! ここにいる人で名古屋に来る人は少ないけど、今はインターネットがあって、色んなことを広められるじゃないですか。無駄なことも広めるじゃん? だからこのお願いを広めてください」

昼公演後には今回のセットリストにやや否定的な評価を下していたが、夜公演の途中からちょっと考えが変わってきた。たしかに現時点では一本調子さが目立つが、℃-uteさんと客の双方が適応と改善を重ねて行けば、11月21日のパシフィコ横浜や、千秋楽(11月28日)の中野サンプラザでは今日よりも素晴らしいコンサートになっている可能性が十分にあるのではないかと思えてきた。たぶん昼公演後に苦言を呈していたナオンも千秋楽に近い公演に入り直すことが出来れば、そのときにはまた違った感想を抱くと思う。℃-uteさんたちはそれくらいの変貌は見せてくれる。まだツアーの序盤に過ぎないのだ。

2015年10月24日土曜日

℃an't STOP! (2015-10-18)

世の中には二種類のコンビニがある。濃密ギリシャヨーグルトを置いているコンビニと、置いていないコンビニだ。残念なことに、私の近所のセブンイレブンは後者に当てはまる。それに限らず品揃えが私の感性に響かない。何か飲み物が欲しいなとか、何か軽いデザート的な物が欲しいなとか、そういうぼんやりした思いで店に入っても、ピンと来るものがなくて何も買わずに出て来ることがよくある。最近になって扱い始めた横浜乳業「これでフルーツ10種類ヨーグルト フルーツミックス」は悪くない。210gの大容量で、果物がどっさり入っている。横浜乳業をウェブで検索したら森永のグループ会社で、濃密ギリシャヨーグルトの製造元でもあるようだ。濃密ギリシャヨーグルト(略して濃ギリ)とおにぎりを買うと「濃ギリ」と「おにぎり」で韻を踏んだ朝食を摂れるのだが、それが叶わないため「これでフルーツ10種類ヨーグルト フルーツミックス」とサンドウィッチという語呂の悪い組み合わせの商品を購入し、家で摂取した。

家を出るときにスーファミ版の『スーパーマリオワールド』のハナちゃんのような虫がコンクリートを這っていた。1-2分ほど観察した。そのままの軌道で進み続ければ私が住む部屋のベランダに到達してきそうだったので心配だったが、仮にここで殺した場合とてもgrotesqueなことになりそうなのでやめておいた。部屋に戻ってから洗濯物は中に入れておいた。Grotesqueと言えばけいさんという実況主によるホラーゲーム“OUTLAST”のYouTube動画に最近どはまりした。20分前後の動画が20本以上あるのだが全部観たし二周目も観ている。『やべっちFC』等を消化しながら、洗濯と掃除を済ませた。週末のこの時間が大好きだ。落ち着く。無になれる。11時過ぎにジムに行って時速8.5kmで30分走った。焼き肉屋でハラミ定食(肉150g)と梅酒サワーをいただいた。1,598円。酒を飲んだのは夜の℃-uteコンサートの準備として気持ちを高めておきたかったからだ。もう一度家に戻ってから15時に座間に向けて出発した。つまり朝食を買うため、ジムで走って昼食を食べるため、℃-uteさんを観に行くため、と家を3回出た。

相武台前駅に17時ちょい前に着いた。17時開場、18時開演。昨日と今日の昼夜計4公演に申し込んで今日の夜公演のみが当選した。今日が日曜日でなければ、そして家からもっと近い会場であれば、終演後に飯を食ってもよかった。20時に終演するとしてそこから飯を食って移動するとなると明日早起きするのがきつくなる。だから入場前にささっと食っちまおう。吉野家も魅力的だったが、面白そうなハンバーガー屋があったのでそこにした。ダブルハンバーガー500円とバドワイザー480円。店の内装が醸し出すアメリカンな雰囲気に反してハンバーガーは思ったより小さかったが500円だからこんなもんか。味は可もなく不可もなく。店主が一人で切り盛りしていた。愛想がなく不機嫌そうだった。正直なところ、何かおっかない人だな…という否定的な印象を抱いていた。店を出た後、私が椅子に置き忘れたペットボトルをわざわざ外まで持って来て渡してくれる親切さを見せてくれた。一時の印象で人を判断するもんじゃないなと反省した。

17時35分にハーモニーホール座間に着いた。ちょうどいい時間だ。グッズは今日は買わないつもりだったがいっさい並んでいなかったのでDVD MAGAZINE VOL. 57(2,600円)を買った。私の席は1FのO列5番。真ん中よりやや後ろ。良くもなく悪くもない。大体この辺の席がよく当たる。もっといい席の割り当てを望むのならファンクラブのエグゼ会員とやらにならないといけないのだろうか。前の列には鈴木と矢島のTシャツを着たナオン二人組。左には萩原Tシャツ、右には矢島Tシャツをお召しになった紳士。

萩原「℃-uteの中で誰の楽屋が一番汚いかというのを決めるためにブログに写真を載せてファンの皆さんに決めてもらうというのを以前にやった。舞の画像に対して『アイドルなんだからきれいにしないといけないよ』とcommentで叱ってくる人がいた。それは違うと思った。アイドルだからきれいにしないといけないなんて、そんなルールはないし。℃-uteのファンは8割から9割が優しくて、残りの1割が厳しいことを言ってくると思うんです。舞のことを好きな人は優しくしてくれる。舞以外を好きな人は舞にもっと優しくして欲しい」

楽屋の話は聞き覚えがあった。記憶が正しければ、私が初めて観に行った℃-uteのコンサートツアー『美しくってごめんね』の中野サンプラザ昼公演(2012年5月4日)で、誰の楽屋が一番汚いかをファンの歓声の大きさで決めるというのをやっていたのだ。萩原さんが自分のファンの相対的な少なさをネタにしていた頃なのでファンに対して「ちょっと待って、(誰に歓声を上げるかに)推しとか関係ないからね?」と言って笑いを誘ったのを覚えている。もしそのときの話だとすると、なぜ今になって蒸し返す? 最近も同じ事をまたやったのだろうか? 私はアイドルオタクではないため彼女らのブログをたまにしか見ておらず、その辺の事情に疎い。

話の終盤にステージに戻ってきた中島に萩原が「アイドルだから部屋をきれいにしないといけないとか言われたら嫌だよね?」と振ると中島は強く同調した。「そういうこと言われるとストレス溜まる」と言ってから、はっきり言い過ぎたかな、という感じで苦笑いしていた。千聖がきれい好きなんだよと他メンバーに振られた岡井は「私、意外ときれい好きなんですよ」と自慢げに言った。
鈴木「楽屋で舞ちゃんの物を片付けるのが千聖」
岡井「千聖の領域までせんりゃくしてくるから…こう寄せて寄せて(客席から突っ込みが入る)」
中島「占領?」
岡井「侵略だ!」
「千聖はお掃除おばさんみたい」という中島に、ちょい待て、おばさんはないやろ的ないい反応を見せた岡井。以前はそうでもなかったが、今では廊下の細かい溝を爪楊枝できれいにするほどの掃除好きになった。掃除に一度はまると気になるようになったという。

初めてコンサートで双眼鏡を使った。前から興味はあったのだが、以前2ちゃんねるのハロプロ関連の板でお勧め双眼鏡のスレを見た際、2万円は出さないとまともな双眼鏡は買えないと書いてあって尻込みしていた。一度、家電店でいくつか見てみたことがあったのだが、眼鏡をかけた状態だと見づらそうだった。しばらく双眼鏡のことは頭になかった。数日前にある友人のTwitter accountのふぁぼ欄を見ていたところ、プラネタリウム関連のお仕事をされている方(ご本人のホームページにあるbioを見ても一言で何という職業なのか分からなかった)が、夜空の星を見るのにお勧めの双眼鏡をいくつか紹介している投稿を見つけた。1万円以下の商品も二つあった。その一つである「Vixenアトレックライト BR 6 X 30 WP」9,499円が、Amazonのcustomer's reviewで評判が高く、眼鏡をかけている人でも使いやすいという言及もあったったので、買うことにした。

軍事における革命(RMA=revolution in military affairs)ならぬアイドル鑑賞における革命(RIV=revolution in idol viewing)であった。メンバー同士が曲中にすれ違ったときに目配せをして笑うときの表情など、普通だと見逃してしまう、もしくは気付くことの出来ない細部を極めて鮮明な画質で目にすることが出来た。いわゆる良席に行かないと味わうことが許されない細部を、凡席から観察することが出来た。ファンクラブ限定で販売したりしなかったりのソロアングルDVDに足りないものがそこにはあった。過去に何回かハロコンや娘。のコンサートであった映画館でのライブヴューイングよりもずっとよかった。何せ、双眼鏡から見る映像はDVDよりもずっと高画質で、ライブヴューイングと違って自分が見たい場所を選べるのだ。評判通り眼鏡をかけていても煩わしさを感じずに使えた。あまり声を出したり手を動かしたりする必要がないときにはなるべく双眼鏡を使って℃-uteさんを見ていた。左の萩原ファンも双眼鏡使いだったのでやり易かった。複数人が一箇所に固まったときに双眼鏡越しに一望できる情報の密度と景色の美しさには感激した。お腹を出す衣装のときには矢島さんと萩原さんのへそが見えた。他の3人はパンツがへその上まであった。矢島さんに関してはもちろん腹筋も見えた。萩原さんは相変わらず細くて軟体動物のような胴体だ。(つんくがプロデューサーの座を退いてからハロプロ全体としてへそ出し衣装が減ったような気がする。悪しき風潮だ。)自分が払った定価(ファンクラブ価格)に1万円上乗せした金額で手に入れられる(娯楽道などで)席にいたくらいの景色を見ることが出来たので、今日の公演だけで9,499円の元が取れたと言っても過言ではない。いい道具を手に入れた。今後もよっぽどの前方席が当たるかライブハウス(和製英語)での公演ではない限り必ず持って来よう。夜の星を見るためにお勧めされていた双眼鏡だったが、確かに私は夜(公演)の星(℃-ute)を見ていた。

常に終盤戦のような勢いのあるセットリストだった。この公演は二日連続の計4公演の最後だったので、℃-uteさんはきつかっただろう。なっきぃはアンコール明けにはだいぶへばっていた様子で、喋っている最終、放心したように一瞬の間があった。リハーサルではこのセグメントでは腰に手を当てないとまともに立てないくらいに疲れていたが、今日はファンの皆さんがいてくれたのでアドレナリンが出たから乗り切れたと言っていた。私の体力的には意外と大丈夫だった。あと3-4曲来ても平気だった。よくも悪くもいつもの℃-uteだった。常に90点くらいの安定感がある。下方にも上方にも振り切れることはない。アイドルとしてそういうphaseだ。

岡井「さっき踊りながら考えていた。10年前にオーディションを受けていなかったら今ここにいない。℃-uteになっていなかったし、ファンの皆さんとも出会っていなかった。すべてが奇跡。モーニング娘。の妹分オーディションが開催されたのも奇跡。もっと色んな人に知ってもらえるように頑張りたい」

矢島「(汗をかいて)お風呂上がりみたいになってますけど(客『フー』)。私がお風呂上がりと言っても色気がありませんけど(客『フー』)」

『嵐を起こすんだ Exciting Fight!』ではビデオクリップと衣装が少し違った。例えば矢島さんはクリップでは長いパンツをお召しになっていたが今日は短パンだった。岡井さんは今日はクリップで鈴木さんがお召しになっていたのに近い衣装だった。

2年振りにアルバムが出るとの発表。喜ばしい。そのアルバムから職安のような名前の紳士が提供した曲が披露された。既視感のある前向きな歌詞だった。実のところ氏が関わった曲は『我武者LIFE』の時点から私にはそれほどはまっていない。「良い曲」なのはよく分かるし、実際にコンサートで歌われたら斜に構えずにちゃんと声を出してタオルを回す。だが、私は普通の「良い曲」にはあまり興味がない。感動させようという意図や、売れたらいいなという下心が見え見えで、興ざめしてしまう。中島卓偉やCMJKが関わっている路線の方が好きだ。とは言っても、ハロプロに複数グループがある中でそれぞれが同じ事をやっても意味がない。湘南乃風経由で℃-uteを好きな人が少しでも増えるならこの方向も歓迎する。販促の作戦としてであって、音楽として、ではない。

2015年10月11日日曜日

Special Code (2015-10-10)

今日から三連休だが気分は晴れない。今週は平日の後味が悪かった。色んな事が重なって部署にかかる負荷が重く、所属員たちのストレス、疲労、不満が募っている。一人は休日出勤をしている。彼は残業と休日出勤が増えて、情緒不安定になっている。壁にぶち当たっている。彼のことを思うと無邪気に休みを満喫する気にもなれない。電話をかけて労いの言葉でもかけようかと思ったが、少し迷って、やめた。仕事で使っているbackpackには会社のiPhoneが入っている。嫌なメールが入っている可能性が高い。開くのはやめて、家を出た。

フリースタイルMCバトルで一世を風靡した元KICK THE CAN CREWのラッパーKREVAの地元、江戸川区。新小岩駅から15分ほど歩いたところにある江戸川区総合文化センター大ホールにJuice=Juiceさんのコンサートを観に行く。

11時から歯医者で検診を受けた。前回行ったのが1月っぽい。9ヶ月振りにも関わらず虫歯は一つも出来ていなかった。それまではいくら丁寧に磨いても虫歯がよく出来ていたのに、2012年に電動歯ブラシに切り替えてから一度も虫歯が出来ていない。(記憶にないだけで一度くらいは出来ているかもしれない。)池袋の楊で汁なし坦々麺と、カシスウーロンを頼んだ。憂鬱さを吹き飛ばす景気づけとしては酒の量が足りなかったが、何度食べても相変わらずパンチのある坦々麺の辛さに、カシスウーロンの甘さがよく合っていた。坦々麺はおまけで大盛りにしてくれた。行く途中の電車で気が付いたが今日は10月10日、つまりJuice=Juiceの日だ。こういう特別な意味のある日に現場に行けるのは喜ばしい。子供の頃に10月10日と言えばJOMO CUPの日だった。今ではサッカーの試合を観てもあの頃のように心が躍ることはない。今の私が心躍るのはハロプロとMCバトルだ。

13時開場、14時開演。13時過ぎに会場に着いた。公式homepageの地図が分かりやすかった。今日発売のDVD MAGAZINE VOL. 4(2600円)と、日替わり写真の宮崎さんと宮本さん(各500円)を買った。3,600円。13列の14番。通路を挟んで二列目だった。結構近かった。左の席に白髪の紳士が座っていた。席に着いて、MADE IN USAのMELOのbackpackからアルバムを取り出し、日替わり写真を折れ曲がらないよう慎重に収めた。左の席に目をやると老紳士はタブレットで2chを開いて「一人で行くJuice=Juiceライブツアー 『Juice=Juice LIVE MISSION 220』」というスレッドを見ていた。見てはいけないものを見たような気がした。開演した時点で私の右隣とその右も席が空いていた。今日の公演はチケットが売り切れて当日券も出ていない。数少ないホール公演なので夜公演も入りたかったが、娯楽道に出ているチケットは随分と高かったし、数日前に洗濯機が壊れて買い替えるという急な出費があったから購入は自重した。11月28日の℃-uteの追加公演に申し込むのも自重した。

「新宿スタイルはリアルな歌しか歌わねえ」(MSC, “新宿U.G.A Remix 03'”)

MC漢のスタイルは一貫している。彼はリアルにこだわる。それはラップの言葉通りに生きること。実生活でやっていることをラップすること。著書『ヒップホップ・ドリーム』で彼が挙げたフェイクの例としては、ビデオクリップで車を運転している場面があるのに実は免許を持っていない。銃社会ではない日本でCDのジャケットでモデルガンを構える。ビデオクリップで乗り回す高級車や着用するアクササリーが借り物。ただし無茶なことを言っても一週間以内に実行できればリアル。仲間がバトルで興奮して「今度お前を見かけたら刺すからな!」と口走ってしまった落とし前を付けるために実際に集団で相手を襲撃して刺した。『ヒップホップ・ドリーム』は一読をお勧めする。最近始まったTV番組『フリースタイルダンジョン』でも自身のラップ・スタイルについて「ファンタジーはない」「現実主義」と言っていた。尚、英語のfantasyは最後のsが濁らないのでカタカナにするならファンタスィーの方が近い(これは高校時代の英語教師も知らず、授業中に指摘したら教室がざわついた)のだが、便宜上ファンタジーと表記する。

私にとってハロプロの世界はまったく逆だ。新垣里沙はディズニーランドに通い「自分の仕事はこういうことなんだ」と気付いたとかつて言っていた(多分何かのラジオ番組だったかな)。ステージと客席という非日常の空間で、現実離れした輝きを放つ演者たちが、普段の生活では想像できないくらいの楽しさを味わわせてくれる。最近では個別握手会が高頻度で開催されている。ハロプロの所属員たちと直に言葉を交わすことや、自分のことを認知してもらうことに至上の喜びを覚える人も大勢いる。そういった喜びも理解はする。だが私にとってハロプロの人員はファンタジーの世界の住人であり、同じ人間として言葉を交わすのは恐れ多い。私にとっての現場とは誰かに会いに行くというよりは映画を観に行く感覚に近い。

今日のSpecial Juiceは、今までに観てきたJuice=Juiceのコンサートの中で最も強くファンタジーを感じられた。前日のブログで高木メンバーが予告していたように、ハロプロのコンサートで見ないような演出がふんだんに盛り込まれていた。導入部では「武道館に潜入せよ」というこのコンサートツアーのコンセプトであるmissionの出し手からのmessageが映し出された。Code 1の諸公演を駆け抜けたメンバーたちを労い、ご褒美に休暇を与えるという趣旨だった。それが今日のSpecial Code公演の設定らしい。仕事のご褒美に仕事とは、会社員から見ると冗談がきつい、それはともかく、のっけから豪華できらびやかな演出に驚いたし、すぐにコンサートの世界に入り込むことが出来た。音量さえまともに管理できない周南チキータのような会場とは隔世の感があった。

疾走感が強かった。一度走り始めたら最後まで立ち止まらない。一度作った流れを止めない。そういうコンサートだった。通常だと曲と曲の間に行う各メンバーの挨拶も今日は曲の間奏で簡潔に済ませていた。流れ(フロー)のよいコンサートだった。

『相合傘』は一人一人が傘を持って歌っていた。全員が自分の傘を持っていたら相合傘ではないよね、と思いながら見ていた。この曲の前には一度ステージが動いて彼女たちが下に降りて、また上がってくるという演出があった。別の曲では窓越しに彼女たちが踊っている影が見える場面もあった。中野サンプラザで観たときよりもずっと工夫が凝らされていて、面白かった。「お金かかってるな」という下衆な感想が頭に浮かんだが、具体的にどれくらいのお金がかかって、それが相場に比べて高いのかどうかが分からないトーシローがそんなことを考えても意味がない。我ながらしょうもないことを考えてしまった。

喋りのセグメントは、主にドラマ『武道館』の主演が決まったこと、台湾と香港でコンサートをやってきたことの報告だった。ドラマ内の架空アイドルのプロデューサーをつんく氏が勤めると知って、全員でキャーと喜んだ。この決定を受けて宮本佳林は『だから、生きる。』の感想を添えてつんく氏に連絡をした。普段やり取りをしていないので勇気が要った。「音楽は毎日触れていないと、生き物だからなついてくれないよ」という返事をもらった。海外に行ったときのエピソードとしては、宮崎由加曰く空港に着いた瞬間から歓声が凄く、大スターになったと勘違いするほどだった。入国審査時、“Hello? Hello?”と係員に声をかけられ、“Hello…”と言って通り抜けようとしたら(この“Hello…”と言うときのちょっと怯えた表情や声の可愛さとったらなかった)呼び止められ、耳の中に体温計を入れて体温を測られた。36.9℃だった。宮崎としては普段通りの体温。普段から平熱が高い。空港のサーモグラフィで明らかに色が浮いていたらしい。宮本は入国審査でカメラを見るときに間違った場所をずっと見ていて、そこじゃないと指摘された。アイドルだねと茶化す高木。

金澤朋子は喋りのセグメントはほとんど不在で、最後の「海外は楽しかったね」というメンバーのまとめに「楽しかったね」と駆け込みで合流するのみだった。どうも様子がおかしかった。以前から故障している右腕は上がっていたが腕の付け根に肌色のテープが巻いてあるのが場内モニターで分かったが、どうもそれだけではなさそうだった。踊りのステップや動きはすべて小さくなっていて、どこかを故障しているのは明らかだった。後にTwitterやJuice=Juiceのブログで知ったが、足を怪我していたらしい。ただ他のメンバーが金澤が動けない分を十二分に補っていた。特に宮本が相変わらず100%を超えるハツラツさを見せていた。『五月雨美女がさ乱れる』での腰の落とし方が一人だけ違う。慣れて来たことで流している感がまったくない。公演の度に、あたかもこれが最初であり、最後でもあるような新鮮さと気持ちのこもったperformanceを見せてくれる。

メンバーが舞台全体に広がったときに、一番下手がちょうど私がいた14番(左から14番目の席)と対面する位置だった。そこに宮崎由加さんが来ることが何度もあった。対面とは言っても13列分は離れている訳だが、それでも所謂ゼロずれを体感できたのは嬉しかった。Buono!の『恋愛サイダー』という意外な曲が披露された。最初の「ワン・ツー・スリー・フォー!」をちゃんと言えている客が多くて、訓練された奴らばかりだなと感心した(私もBuono!のツアー『R・E・A・L』で習得済みだったので言えた)。宮崎さんが「当たり前すぎるくらい友達の時間が長かったせいで」「時々甘えてみたり拗ねてみたりそんな作戦らしくない」といういい箇所の歌割を獲得していた。堂々たる歌いっぷりであった。ここぞとばかりにゆかにゃ!と私は叫んだ。

“Wonderful World”ではモニターに歌詞が映し出された。これは他の曲ではなかった。ということは、歌全体を一緒に歌って欲しいという意図だと思う。でも最後のラーララーは別にして、歌っている人はほとんどいなかった。私が思うに理由は二つある。第一に、来場者は歌うよりはメンバーの名前を叫びたい。第二に、大音量の音楽が流れる中、音程を取りながら歌うのは普通の人には難易度が高すぎる。

夜公演は入れなかったが、帰途の私は完全に満足していた。後味の悪い平日で頭を支配したnegativeな感情を、生きる喜びで上書きしてくれるコンチェルトであった。私にはリアルだけではなくファンタジーが必要なのだ。

2015年10月3日土曜日

428+448

夏と入れ替わるように花粉症がやってきた。さっきも駅まで歩いている途中くしゃみが5連発くらいで出てきた。クスリを飲む必要があったが、飲み物を持っていなかった。昨晩500mlのペットボトルにジャスミン茶を入れて冷蔵庫に入れるまではよかったが、今朝それをカバンに入れてくるのを忘れていたのだ。自販機の品揃えを一瞥し、110円の水を買おうかと思ったが、考えを変えて「加賀棒ほうじ茶」150円にした。石川県の金沢発祥ということで、同県出身の宮崎由加さんのルーツに触れてみたかったのだ。自分のしょうもない購買動機に呆れながらほうじ茶を取り出し、クスリを服用した。

天気予報には昼間は28℃まで上がると書いてあった。でも夏の不快さはもうない。涼しくはないが暑くもない。心地よい陽気だ。今日は午後から別の事業所で打ち合わせがあるので、昼から移動している。Juice=Juiceリーダーの出身県とゆかりのあるほうじ茶を飲みながら、駅のplatformに立ち、ぼんやりと周りの景色を見ていた。次の電車まであと15分以上ある。

今の自分は幸せである、という考えが頭に浮かんできた。それは今日たまたま天気がいいからそう思っているのではなく(まったく無関係ではないだろうが)、何となくだが最近は常に考えていることだ。仮に今仕事がなければ同じ考えを持てただろうか? 断言できないが、おそらく出来なかったであろう。仕事をしていなかった頃に、私は幸せであると感じることはなかった。任意の日付を二つ入力するとその間の日数を計算できるサイトによると、私が無職だった期間は428日だった。職に復帰してからは448日たっているが、428日の記憶が上塗りされて消えることはない。“あの期間”に味わってきた感情や考えは今の自分が物事を認識するときのと礎となっている。何かにつけて、もし私に職がなければこう思っただろうかと考えを巡らせることから逃れられない。

無職の頃と今の私の大きな違いは、社会の中で自分の居場所があるかないかである。会社に属し、役割を与えられている。解決すべき問題がある。頼まれていることがある。期限がある。同僚、上司、部下、他部署、取引先の人々とのやり取りがある。責任がある。仕事があれば、「私はこういう仕事をやっています」と言うだけで曲がりなりにも社会の中で一員として認められる。無職の男というのはバグやエラーのような存在であって、社会の正式な一員ではないのである。仕事を辞めたばかりの頃は「お仕事は何をされているんですか?」という以前は何でもなかった質問が刺すような鋭さを帯びてきた。テレビから無職という言葉を耳にするだけでドキッとした。外を歩いているだけで「こいつは何をやっているんだ」という無言の視線を感じるような気がして落ち着かなかった。それは職に就いていた頃の私が無職に向けていた視線なのである。当時の日記から引用する。
足腰の疲れが無視できなくなってきていたので(中略)60分のマッサージを受けた。どうやらこっちでは60分4,000円くらいが相場のようだが、それよりも何百円か安かった。スタッフは二人いてともに女性だった。
やってくれた人は長崎で生まれ育ったという。マッサージの序盤に「お仕事は何をされているんですか?」と聞かれ、ドキッとした。「会社をやめて、今は充電してるんですよ」と答えた。俺の無言の圧力を感じ取ったのか、それ以上は掘り下げてこなかった。(2013年6月7日、長崎旅行中の日記より)
テレビから何かの事件の報道が流れてきた。犯人は無職。犯人は無職。犯人は、無職! 自分が共犯者のような気がして、決まりが悪かった。次のニューズに移ってくれ、早く。なぜ赤の他人なのに、無職が何かをやらかしただけで自分が責められたような決まりの悪さを感じるのか。それは、俺がこれまでの人生で、心の奥底で無職を馬鹿にしてきたからだと思う。(2013年6月15日の日記より)
葬式が終わってから、火葬場に移って遺体を燃やすまでの待ち時間が最上級の拷問だった。よく知らないけど無視できない人たちと強制的に対面させられた状態で、時が早く過ぎるのをひたすら願っていた。アイス・カフェ・オレは飲み始めたらすぐになくなった。トイレに逃げると、一時的に解放感を味わうことができた。待合室の近くの小さな図書コーナー(といっても小さな本棚に本が数十冊程度)に行くと、火葬施設なのに何とか殺人事件という題名の小説が何冊も置いてあった。知らないおばさんから「お仕事は何をされているのですか?」というあの悪魔の質問が来た。「今はやっていないです」と平静を装って答えた。「勉強中なのよね」と、隣に座った叔母が助け舟を出してくれた。(2013年7月29日、祖母の葬式出席時の日記より)
仕事を再びやるようになって、正式な社会の一員に復帰した。しかもその負荷は自分の私生活を蝕むほどではなく、好ましいバランスを取っている。それが私の精神の安定に寄与しているのは間違いない。

無職の生活を通して気付いたことは、自分は社会に必要とされていない、そして自分がいなくても社会は何の問題もなく回っていくということだった。実のところ、その認識はいまでも大して変わっていない。再び有職者になったことで自分が社会に必要であるという実感が持てるようになった訳ではない。しかし上記の前提は、無職時代の私にとっては絶望を意味し、現在の私にとっては希望を意味している。自分が社会に必要とされていない、自分がいなくても世の中は回っていくというのは、無職の頃の私にとっては、自分がこの世にいる意味がないという意味であった。今の私はこう考えている。つまり、自分がいようがいまいが社会が回っていくのであれば、自分が絶対に達成しなくてはならない使命は、この世にない。自分はこうあるべきだとか、こうならなくてはいけない、といったものは存在しない。他人が決めた“成功”を追い求める必要はない。自分は自分でしかいられない。だから力まずに生きていけばいい。そう思えるようになってから、生きるのが一気に楽になったのである。

無職の頃はいつでもぼんやりとした将来への不安に苛まれていた。職に戻ってからはそれはほとんどなくなった。そういう話をある人としていたら、「(今は)将来が見えているからですかね」と相手は言った。それは正しいようで、実は正解ではない。なぜなら私に将来など見えていないからだ。幸いにも今の仕事は上手くいっているし会社では高く評価されているが、5年後にも同じ状況が続く保証はない。人生そのものの計画となるとまったくないに等しい。それでもなぜ将来への不安に襲われなくて済むのかというと、確固たる現在があって、日々の生活の中に楽しみを見出せているからだ。今振り返ると無職の頃には現在がうまく行っていなかったのでそこから目を逸らすために将来のことに思いを馳せていたのだ。

「子供の頃から将来のためにと言われて色んなことをやってきたけどさ、その将来っていつ来るのよ? 将来のために今を犠牲にしてその先に何があるんだ? 今を楽しむことを最優先にしてもいいと思うんだよね」
ある友人と5年前に飲んだとき、別れ際に彼が言った言葉である。やけに頭に残っているのだが、当時はピンと来ていなかった。今では彼の言っていたことが少し理解できてきた気がする。