2020年8月16日日曜日

つばきファクトリー ミニライブ&お見送り会イベント「再会」(2020-08-10)

完全に自由なセックスシステムになると、何割かの人間は変化に富んだ刺激的な性生活を送り、何割かの人間はマスターベーションと孤独だけの毎日を送る。経済の自由化とは、すなわち闘争領域が拡大することである(ミシェル・ウエルベック、『闘争領域の拡大』)
ミシェル・ウエルベックさんは、個人の自由と快楽がキリスト教や家族といった伝統的な規範を押しのけた現代のヨーロッパ社会を、小説の形で鮮やかに描いた。恋愛とセックスが自由競争に組み込まれ、二極化した勝者と敗者。一部の人間が富(若くて生物的に魅力的な異性)の大部分を占有し、残りの人々はわずかしか手に入れられない。もしくはまったく手に入れられない。自由競争の論理的な帰結は、寡占である。他人と競わないと手に入れられないものが増えていくことをウエルベックさんは『闘争領域の拡大』と呼んだ。彼のヨーロッパへの洞察は、日本社会にも大いに当てはまる。この状況に対する日本からの回答が、アイドル文化だ。

現代日本ではアイドルが職業として認知されるようになった。これは倒錯している。Idolの語義を考えてみてほしい。憧れや崇拝の対象という意味だ。あなたが誰かに強い憧れを抱いているのであれば、その人はあなたのidolだ。たとえば子供の頃のあなたにとって強くて頼りになる父親がidolだったかもしれない。いずれにせよ、idolは他称(あの人は私にとってのidol)であって、自称(私はidol)するものではない。Idolという単語に、歌って踊って恋人を(表向きには)作らない、若くて容姿の整った人たちという意味は一切ない。プロ意識の高いアイドルとは何だろうか? 歌や踊りの技能を磨くのに熱心で、恋人を作らない(存在を表に出さない)? 否、プロ意識の高いアイドルという言い方はおかしい。Idolは職業ではないからだ。
…男性においては、ホルモンの分泌、勃起、そしてそれに伴うあらゆる現象が消えても、若い女性の肉体への関心は減少しない。尚悪いことに、それはやがて、真に精神の産物、欲望を欲する欲望になる(ミシェル・ウエルベック、『ある島の可能性』)
アイドルが生業になり、産業になった。それは恋愛とセックスの競争で負けた人たちへの救済のシステム化を意味する。ウエルベックさんが言うところの“欲望を欲する欲望”、それを効率的に満たすためのフォーマットがアイドル。もちろん性風俗とは違い、直に肉体的なサービスは提供してくれない(少なくとも私が知っているアイドルさんは)。アイドルさんは我々の精神に働きかける、薬物のような存在である。だが、彼女たちに“欲望を欲する欲望”を満たしてもらうことで、どうやら肉体的な欲求も解消するようだ。当ブログに幾度となく登場している東海地方のホーミーは、コロナ・ヴァイラスの影響でアイドル現場がなくなったのをきっかけに五年振りに風俗店を利用したとブログで明らかにした。言い換えると、アイドル現場が継続的にあった時期に、彼は性風俗を必要としなかった。これが示唆するのは、人間のあらゆる欲望は結局のところ精神的であるということだ。

森永卓郎さんがこれに近いことを言っていた。鈴木愛理さんとの対談。何年も前。森永さん曰く、日本では労働者の収入が減少傾向にあり、それが原因で結婚できない男性が増えている。アイドルはそんな男性たちに希望と活力を与える存在。だから君(鈴木さん)のようなアイドルは日本経済に貢献している。という感じだったと思う。(今YouTubeで検索したらそれらしき動画があった。本当は記憶で書くんじゃなくてそれをちゃんと観た方がいいんだけど、面倒くさいからいいや。興味があればチェックしてみてくれ。)彼は鋭いことを言っていた。ただ、結婚できない男性が増えている真の原因は給料が安いことではない。恋愛とセックスが競争で手に入れるもので、それらと結婚が不可分だからである。ウエルベックさんの言う闘争領域の拡大である。

コロナ騒ぎでしばらくの間、Hello! Projectから一切の現場が消えた。コンサートも、舞台も、握手会も。リリース・パーティも。何もかも。それを補うかのように連続投下されるYouTube動画。次々に開設されるメンバーさんのInstagramアカウント。前と変わらず毎日更新され続けるブログ。メンバーさんの努力は痛いほど伝わってきた。頭が下がる。でも、日を追うごとにHello! Projectに対する私の熱は冷めていった。小野瑞歩さんがブログでお菓子禁止を宣言なさってから毎日コメントするようにしていたがそれもきつくなって、80日くらいで止めた。彼女のブログを毎日開くのも楽しみというよりは義務になってきた。ハロ・コンが開催されたが、数十年前の歌謡曲をメンバーさんが一人ずつカヴァーするという、観客の年齢層に合わせた接待カラオケのような趣向は私の興味を惹かなかった。営業再開したジムで運動して、大浴場でリラックスし、本を読み、『太田上田』を観て、『爆笑問題カーボーイ』を聴き、横浜F・マリノスの試合を観に行く(7月12日から厳しい条件付きながらもスタジアムでの観戦が可能になった)。仕事は在宅勤務中心で、たまに出社する。まあまあ満ち足りた生活が送れている気がした。もちろん、小野瑞歩さんのことだけは、最後まで見届けたい。でもアイドルがなくなっても私の生活は成り立つんじゃないか。少しずつ、そう思い始めていた。

気が乗らないので、8月9日(日)の盛りだくさん会では小野瑞歩さんのチェキを一枚だけ買った。買わなくてもいいけど、まあ久しぶりの開催だし、行っとくか…という程度の考えだった。そのたった一枚のチェキが命取りだった。渋谷ベルサール・ガーデン。208日ぶりに1メートル以内の至近距離で、お互いマスク未着用で対面した小野瑞歩さん(マスク着用のお見送り会を数えると170日ぶり)。あのわずかな時間で、引き戻された。あー、ありがとう! 私を見るなり、小野さんはそう発声なさった。その瞬間、2月22日(土)を最後に止まっていた時計が再び動き始めた。午前中に撮ったチェキを、私は夜まで何度も何度も見返した。iPhoneの壁紙に設定した。小野瑞歩さん、なんて可愛いんだ…。そしてめっちゃ優しかった…。私は痛感した。人は“欲望を欲する欲望”を一時的に忘れることは出きるが、葬ることは出来ない。『消せやしないキモチ』。消せやしないキモ・オタ。

前日に小野さんと対面して心に火が灯っていた私には、この異常な蒸し暑さ(摂氏35度は優に超えていたはず)も、6時という起床時間も、炎天下のとしまえんで並び続けるという異常行動も、苦ではなかった。7時45分から入場列を作るという事前の通知。最初は少し混乱があったようだ。某有名おまいつさんが、汚い身なりの禿げデブ中高年男性たちがとしまえんの入り口に群がる写真をTwitterに投稿した。たしかにあの写真は本物だろう。Twitter映えしすぎる。揶揄したくなるのはよく分かる。でも現地にいた身として、あの写真から受ける印象ほどには実際の客層は醜悪ではないというのは言っておきたい。アレに写っているのはいわば(ある意味の)上澄みであって、サンプリングとしては偏っている。写真はいつも公平だとは限らない。どこを切り取るかによって受け手の印象はいくらでも操作出来るということは念頭に置いてほしい。メディア・リテラシー、ナーミン?

Estacion
since 2009
http://estacion.asia

7時59分、列に並ぶ。Dr. Josh Axeさんの“eat dirt”を読む。8時41分、アルビ兄さんがいつものように険しい顔で列の横を通り過ぎる。髪の色は黒に近い。白地で胸にAIAと印字された、イングランド・プレミア・リーグ、トッテナム・ホットスパーFCさんのユニフォーム。下はハーフ・パンツにスパッツ。8時47分、一度の購入制限は2枚までという聞き覚えのない紳士の声が聞こえてくる。おそらく列の先にあるステージから誰かがマイカフォンでしゃべっている。姿は見えないがアルビ兄さんとは別人。9時7分、頭にタオルを巻いたクラシカルなオタクのような見た目の男性によるマイカフォン・チェック。ハッ、ハッ、ハッ、ハ…ハッ、ハッ、ツッ、フッ、ハッハッハー、フー、ツツ…。9時9分、音楽が流れる。iPhoneのShazamによるとIncognitoさんの“Too Far Gone”。9時13分、Incognitoさんの“After the Fall (Instrumental Version)”。リリース・パーティの音声確認で流れる音楽は決まってフュージョン。9時25分、杖をつきながらぎこちなく歩く、I Love it!と印字された半袖Tシャツを身につけた腹の出た紳士。連れのナオンと談笑しつつはしゃいで踊る、若い頃の大津祐樹さんから筋肉を削ぎ取ったようなナリの中性的な男性。9時44分、コンパクト・ディスク1枚を予約し、着席観覧券(82番)とお見送り会参加券(65番)を獲得。割といい番号なんじゃないかな。10時12分、もう間もなく、着席券の配布が終了します。10時14分、ただいまをもちまして着席券の配布が終了しました。その頃には列は殆どなくなっていた。

10時19分、1番から170番までは10時25分から、171番から340番は10時35分から事前に列を作るとエスタシオンさんが説明。つまり着席は340番までなのかな?(後に分かったが500番くらいまであったようだ。)10時23分、番号の仮呼び出し開始。11番から20番の方。10時25分、60番までの方。10時26分、100番までの方。10時28分、ここでアナウンスメント担当がアルビ兄さんに変わる(今日はアルビ兄さんじゃない紳士が主に取り仕切っていた)。ベンチ椅子の両脇に一人ずつ座ってくれ、各ベンチに二人ずつ。一度座ったらずーっと座っていてください。そこで友達と喋ったりすると密になりますから。10時30分、呼び出し始まる。10時32分、20番。10時33分、40番。10時34分、50-55番。80-85番で入場する私(82番)。思ったよりも席は空いている。三列目、右寄りを確保。一つ前も空いていたが、その前の人たちが日傘を差していたのでイヤな予感がしたのと(アルビ兄さんじゃない紳士の事前お願いもあって開演までには仕舞っていた)、ステージとの角度を考えてココにした。すぐ右の紳士が、スピーカーから流れるつばきファクトリーさんの曲をずっとぶつぶつ歌っていて気味が悪かった。10時39分、180番まで呼び出し。10時43分、300番。10時49分、400番。10時50分、470番。10時54分、アルビ兄さんではない明るい茶髪の中年男性が、熱中症になったら言葉を発さずに倒れる人がほとんどなので、前後左右を見回して顔色が悪い人がいないか、息をしていない人がいないか確認してほしいと言う。

公開リハーサル。『ナインティーンの蜃気楼』。私の認識が正しければ、つばきファクトリーさんが最後に全員揃って同じステージで歌って踊ったのは、2月22日(土)の新宿ReNYである(間違っていたら後で直す)。メンバーさんの表情には照れ臭さとか、喜びとか、さまざまな感情が入り交じっているように私は感じた。我々もどれだけ待ち詫びたことか。としまえんのそれいゆステージには特別な雰囲気が漂っていた。この瞬間に立ち会えたことが、一ファンとしてどれだけ感慨深かったことか! 11時4分、終了。

我々の熱中症対策のため、客席右側前方に、ホースの水を出しっぱなしにしてくれている。11時7分、オタクさんの頭にホースで水をかけてあげるアルビ兄さんではない紳士。11時8分、アルビ兄さんの前説。密を避けるために立ち見でのご観覧はご遠慮いただいております。もしご気分が悪くなったら周りのスタッフに声をかけてください。ここは無理をする場所ではない。一切の発声は禁止。いま日本全国を見渡しても数百人規模でリリ・イベが出来るのはここだけ(拍手)。としまえんのスタッフさんのおかげ(拍手)。あとこの方(アルビ兄さんではない紳士)がいなければできなかった(拍手)。これまでつばきファクトリーの全シングルでリリ・イベをやってきた。その流れを止めたくなかった。

キモすぎる“自粛”の同調圧力に支配されたこの国民的(世界的)狂騒状態で、ハロ・コンもソロ歌唱に切り替えている中、つばきファクトリーさんだけが集団的なパフォーマンスを大勢のヘッズに見せるというのが簡単ではなかったであろうことは想像に難くない。今日のリリース・パーティを実現させてくれたアップフロントさんととしまえんの関係者の皆さんに、私は本当に感謝をしている。反対勢力や慎重派がいたとしても不思議ではない。としまえんは今月いっぱいでの閉園が決まっている。万一何かがあってもどうせ潰れるから思い切ったことができたのだろうか? いずれにしても勇気がある。心から、ありがとうございます。
もしアイドルにクソ曲を歌わせたかったら すぐ俺に言え
SHOCK EYEさんはかつてそう歌ったことで有名だが(嘘)、彼の名前はHello! Projectを愛好するリアルな奴らの間で確かなブランドを築き上げている。作詞作曲の欄に輝くSHOCK EYEさんの名前、それはクソ曲界のNON-GMO、100%オーガニック認証、モンド・セレクション金賞受賞。常にクソであることが保証されている。人間は定期的にクソ(大便)を排泄しないと生きることが出来ないが、SHOCK EYEさんがHello! Projectに提供する楽曲もどきも、氏の排泄物と考えて差し支えない。あらゆるメロディとリリックが陳腐でワック。例外なし。音楽産業廃棄物。(もっとも、彼からすれば発注された仕事をこなしているだけであって、本当に悪いのは何度も懲りずにSHOCK EYEさんを起用してHello! Projectのヘリテージに泥を塗るフェイク野郎、橋本慎さんである。)

そのSHOCK EYEさんがこさえた新曲『断捨ISM』が、今日のパーティでは二回も披露された。コロナ騒ぎの前だったら私は苦々しい気持ちで観ていただろう。今日はそんな贅沢は言っていられない。つばきファクトリーさんの9人が同じステージに立ち、ワキや脚を出した衣装で(そう、曲が酷い代わりに衣装は良い。全員がワキを見せてくださっている。結局のところ、露出度の高さが衣装を評価する最重要の指標である)、曲をパフォームしている。それを、恵まれた位置から鑑賞させてもらっている。2020年8月10日(日)に全人類で許される最大の幸せを噛みしめるべきだ。今日は来たくても入園チケットが買えなかったヘッズもいるんだ。

いよいよ本編。いつもの入場曲。オイオイ出来ない代わりに手拍子の我々。ステージにメンバーさんが再登場して並ぶや否や、右端(客席から見て)の秋山眞緒さんが靴紐を結ぶためにしゃがんだ。無防備なショート・パンツの股間。私はSCARSさんになった。BLOODSとつるみCRACKを作りBLOCKを仕切りGLOCKを握り(…CROTCHをガン見)。初っぱなから生の醍醐味。リリース・パーティの醍醐味。曲を何百回聴いても分からない。現場でしか感じられないリアル。
ヒップホップのどこがリアル? それは現場つまりここにある(RHYMESTER feat. KING GIDDRA & SOUL SCREAM、『口からでまかせ』)
1. 『断捨ISM』
(各メンバーさんが手短に意気込みを語る)
2. 『明日はデートなのに、今すぐ声が聞きたい』(スマイレージ)(山岸理子さん、小野田紗栞さん、谷本安美さん)
3. 『最高ミュージック』(℃-ute)(小片リサさん、新沼希空さん、秋山眞緒さん)
4. 『夕暮れ 恋の時間』(スマイレージ)(岸本ゆめのさん、浅倉樹々、小野瑞歩さん)
(各メンバーさんが手短に感想を語る)
5. 『ナインティーンの蜃気楼』
6. 『断捨ISM』

『断捨ISM』は、音楽以外は非常によい。前述したように肌を多く出す衣装。身体を見せることを重視した、動きの多い振り付け。特にフックで腰を落とすムーヴで、小片リサさんの脚の付け根付近に私の目が釘付けになった。小野瑞歩さんだけを観るつもりだったが、この曲では後列にいることが多く、位置的にも見づらいことが多かった。フォーメーション的に、浅倉樹々さんと小野田紗栞さんをフィーチャーしているように見えた。この組み合わせは、天使と悪魔という感じでコントラストが効いている。純粋な正当派センターの浅倉さんと、江ノ島の件で邪悪な魅力を身につけた小野田さん。

意気込みと感想は、各メンバーさんが数秒ずつ程度。まとまったトークやゲームのセグメントは設けられていなかった。熱中症対策だろう。セットリストにおいても、三人ユニットで一曲ずつパフォームするセグメントが設けられており、メンバーさんが休息できる時間を設けていた。理にかなった采配である。どうやらこの三曲は四年前のファンクラブ・イヴェントの再現らしい。その小ユニットで、新沼希空さんが存分にワキを見せてくださった。頭上で手を叩いて我々に手拍子を促しながら。

殺人的な太陽光線と湿気の中、マスクを着用していると、ただ座っているだけなのに汗が止まらない。何度も眼鏡を外してタオルで拭いたが、汗が入って左目が開けられない。それでも何とかステージのつばきファクトリーさんを目に焼き付けようと、私は必死だった。

序盤の意気込みで小野瑞歩さんは、としまえんは子供の頃から何回も遊びに来ている、ここでライブが出来るのが本当に嬉しい、というようなことをおっしゃった。岸本ゆめのさんは、私は初としまえん。最初で最後になるとおっしゃった。終盤の感想で秋山眞緒さんが発した、今日は皆さんマスクをしている人が多いと思うんですけど、マスクの下の笑顔が見えました! というステキなコメントに私はほっこりした。

この数ヶ月のコロナ騒ぎは、日本人、そして人間の醜悪な部分をこれでもかと露呈している。恐怖に支配された人間の恐ろしさ。思考力を持たず、他責的で、排他的で、与えられた情報(それ単独で見てもまったく無意味な感染者数等)に一喜一憂する、牧場で犬に追い回される羊のような大衆。悪い夢でも見ているのではないか、と私は思うときがある。マス・ヒステリア。コロナにさえかからなければ死んでもいいとでも言わんばかりの、バランス感覚のなさ。密集しているわけでも、喋っているわけでもないのに、ストリートではほとんどの歩行者が平然とマスクを着けている。この炎天下で。みんなこんなに頭が悪かったのか。仮にテレヴィジョンでコロナのことを報じていなければ大多数の人たちは普通に生活していたに違いない。それで特に支障はなかっただろう、どうせ。外を歩くときはちんちんを出せって毎日テレヴィジョンが言い続けたら従うんだろ、馬鹿ども。
私ひとり つらいときは みんな同じ つらいんだね (つばきファクトリー、『青春まんまんなか』) 
つらい思いをしていない奴は気に食わない、みんなで叩け。それがジャップの基本的な考え方なので、コロナ対策としての有効性と関係なく、みんなが我慢しているときに我慢しないと非難の対象になる。我慢大会が大好きな民族。もっともマスク警察(マスクを着けていない他人を非難するキチガイ)は西洋でも出現しているらしい。ジャップ特有というよりは、もともと何らかの精神的な問題を抱えた人間がパニックに陥ったときの普遍的な反応のようだ。質的栄養失調、日光不足、テレヴィジョンの見すぎ。

この狂気に満ちた世界で、2020年8月10日(月・祝)としまえんで行われたつばきファクトリーさんのリリース・パーティは一服の清涼剤だった。出口がどこにあるのか分からない洞窟の先から一筋の光を示すような、夢のような時間だった。救いだった。平時においてはリリース・パーティの空間が社会的には異常だが、社会がこれだけ異常になった今、我々が取り戻すべき日常がココにはあった。人によっては死のリスクさえちらつくかもしれない、過酷な天候。コロナと関係なく何らかの疾患を抱えていそうな人は普段から客層の一定割合を占めている。現に件の有名おまいつさんは後日コロナではない何かで入院しているとtweetした。仮に今日のリリース・パーティがきっかけで体調を崩す人がいたとしても、その人は幸せだったと私は思う。生存することや死なないことよりも大事なことが人生にはある。死んだら元も子もない、それは一見ごもっともだが、死ななければ幸せな訳ではない。リスクを承知した上で楽しく生きる。やりたいことをやる。そっちの方が大事に決まっている。

11時42分、本編終わり。お見送りは2メートルどころか、5メートルは離れていた。それが分かるとヘッズがどよめきと変な笑いが起きるくらい遠かった。左からメンバーさんの年齢順。

秋山眞緒さん
小野田紗栞さん
小野瑞歩さん
浅倉樹々さん
岸本ゆめのさん
谷本安美さん
新沼希空さん
小片リサさん
山岸理子さん

どうやらアルビ兄さんたちが許容する以上にヘッズが早く流れているらしい。心の中では握手をしているスピードで。急がなくていいですよ、と彼は笑っていた。それでもみんな飼い慣らされているから早足で通り抜ける感じになった。

小野瑞歩さんが、あ!という感じの表情で気付いてくれて、長く目を合わせてくれた。私はそこですべてがどうでもよくなり、残りのメンバーさんに手を振るのも忘れた。昨日のチェキ撮影時のあー、ありがとうだけじゃ100%の確信は持てなかったが、半年くらい振りでも小野さんはまだ私のことを覚えていてくれた。正直、ホッとした。私は別に大量のチェキ券や握手券を積んできたわけでもないし、名前やハンドル・ネームで彼女に知られているわけでもない。いつ忘れ去られても不思議ではない雑魚に過ぎない。11時54分、お見送りから出た私は、そのままとしまえんの出口へと向かった。二日連続で生の小野さんを観ることが出来て、ますます会いたい気持ちは強くなった。会ったところで文字通り物理的に接触することさえ今では許されない。それでも、会いたい。
一方で欲望を我慢できなくなるまで煽りながら、実現の道をどんどん険しくしていく。西欧社会はこうした特殊な法則の上に立っている(ミシェル・ウエルベック、『ある島の可能性』)