2016年7月13日水曜日

MISSION 220 (2016-06-26)

目が覚めたときの感触で、前泊することを決めた。というのも明日からドイツに出張なんだ。9日前までのアメリカ出張の時差ぼけがまだ完全には解消していなくて、早起きするのがつらい。金曜日に帰国して、月曜日には寝坊して午前休を使った。夜中まで眠れない。明日は10時半の飛行機なので成田空港に8時半に着く必要がある。となるとまあ6時には起きないといけない。ただでさえ時差ぼけでその時間に起きるのはきつい。もっと言うと時差ぼけがなくても十分に注意しなければ寝過ごしかねない。時差ぼけに2日で4回のコンサートを鑑賞した疲労を足すと、目が覚めて時間を見て青ざめる可能性は十分にある。2日4公演のうち半分を終えて目が覚めたときの疲労から数学的に考えて、明朝の目覚めは成田で迎えた方が賢明であるという結論に至った。起きて間もなくコンピュータを起動し、楽天トラベルを開いた。成田空港に近くて、禁煙室で、大浴場があって、安いホテルを探した。京成成田駅前のアパホテル5,500円を予約した。これで今日は明日の心配なく存分に楽しめる。

2日連続で横浜モアーズのハングリー・タイガーに入った。昨日は11時半くらいに来て40-50分待った。今日は開店の11時ちょうどくらいに行ったら数分で入れた。起床が遅かったのとホテルの予約や荷造りでバタバタしていたので朝飯は食っていなかった。腹が減っていたし、疲れていたのでダブルハンバーグステーキのレギュラーセット2,470円を頼んだ。ダブルだとハンバーグが440gもある。至高の一皿である。昨日は時間がギリギリだったので駆け足になった食後のコーヒーを今日はゆっくり(といっても中東のサッカーチームの遅延行為のような見苦しさはなく普通に飲む程度のスピードで)いただいた。横浜駅の東横線乗り場の近くにあるコインロッカーに車輪付きのカバンを預けて身軽になった。

無事にホテルを押さえ明日は(派手に寝坊しないかぎり)寝過ごす心配がない。ハングリー・タイガーでハンパないハンバーグを半分かける4つまり2個もいただいてニコニコ。でかい荷物はコインロッカーに預けた。開場前に会場に着いた。すべては順調で気分上々だった。しかし…いつものようにグッズ売り場に日替わり写真を買いに行ったところ宮崎由加さんの写真だけが売り切れていてパニックになった。今まで宮崎さんというかJuice=Juiceの日替わり写真の売り切れに遭遇したことがなかったので、にわかに信じられなかった。だってまだ今日の1公演目が始まる前だし、そもそもグッズ列には誰も並んでいなかったので購入希望者が殺到したというのが想像しにくい。「宮崎さんのは売り切れてるんですよね?」と販売者に念のため確認したところ、売り切れているという血も涙もない回答だった。よりによって一番欠かしたくない宮崎さんの写真だけが売り切れているとは…精神的ダメージを受けた私は、日替わりの宮本さんと、コレクション生写真を2枚買って引き下がった。

昨日は昼公演でも夜公演でも聞こえなかった整理番号の呼び出しが、今日はちゃんと聞こえた(夜公演のときにはまた聞こえなくなっていた)。マイクを良品に変えたようだ。私の整理番号は250番台だった。200番以降は10番ごとのざっくりした呼び出しになったことから分かるように、終盤の雑魚番号だった。昨日の夜公演のときと同様、一番後ろのやや左寄りという、バスでいうと三浦知良さんの定位置(三浦さんほど左ではなかった)に行った。普通のライブハウス(和製英語)だと前か後ろかなんだけど、この会場は段差が三つもあるので前方に行けなくても位置の狙いどころがいくつもある。だから私はこの会場が好きだ。

影アナは金澤さんの当番かと思いきやそこからKICK THE CAN CREWばりのマイクリレーが繰り広げられた。ウグイス嬢口調の宮崎さん。携帯をマナーモードにしてくれというくだりを歌う高木さん。変な声で読み上げる宮本さん。植村さんは割と普通だった気がする。最後にまた金澤さんに戻った。注意事項を読み上げるというルーティン業務をここまで楽しそうにやって我々のことも楽しませてくれるJuice=Juiceの皆さん。

高木紗友希さん・植村あかりさん・宮崎由加さんのおしゃべり。「何かいっぱいいるね」とフロアの埋まり具合にゴキゲンな宮崎さん。小学生の頃のエピソードを話そうということに。話し始める植村さんに「そのときから生意気な子だった?」と茶々を入れる高木さん。「どこから見たらそうなるんだ」と抗議する植村さんに「どの角度から見てもそう見えるけど?」とのけぞって別の角度から見る仕草をしながらおどける高木さん。子供の頃は「奥ゆかしかった」という植村さん。クラスに嫌いなガキ大将がいて、その子がいる間は特にそうだった。ガキ大将が転校してからは…と言ったところで「うえむーがガキ大将になった?」と高木さん。「何でやねん」という植村さんの返答が笑い声にかき消され気味だったのを見て「いま盛り上がりすぎて聞こえなかったかもしれませんが、何でやねんって言いました」と高木さん。

ソロ歌唱は、金澤さんがあぁ!の『正夢』。宮本さんが昨日の昼公演に続いてモーニング娘。の『Memory 青春の光』半音上げバージョン。私はあぁ!をちゃんと聴いたことがない。『正夢』はいま検索してみたところ2003年に出た“FIRST KISS”というシングルのカップリングだったらしい。あぁ!名義でのアルバムは出ていないらしく、このシングルの他にはハロプロの総集編的なアルバムに何曲か収録されているだけのようだ。2008年頃から追いかけている新参としてはこういった曲のひとつひとつまで押さえるのは難しい。

夏といえば祭りで、かき氷だという宮本さん。味なしのかき氷(つまり氷だけ)が好きだという宮本さんに「それ嘘だと思う」と高木さん。何の味が好きかという話に。前の方の客がぼけて答えようとしたら「そっち(客側)? けっこう時間かかるよ」とJuice=Juiceの誰か。「(コンサートの時間が)終わっちゃいそう」と宮崎さん。桃味が好きだと答えた高木さんは、でもかき氷はシロップが違っても実は味が一緒だと言った。そうだと認める宮本さんに「じゃあ聴かないで」と高木さんが抗議すると、「それオチにしようと思ったの。オチ先に言ったから後でフルボッコだからね」と宮本さん。やってしまったーという感じの顔をする高木さん。金澤さんがいちご味が好きだと言うと「いちご似合わない朋子。朋子がいちご練乳ですよ? さっき足音を立ててた怪獣が(ステイジに登場する前に袖で歩く金澤さんの足音がうるさかったらしい)」と高木さん。「祭りでみんなにおごりますよ」という宮本さんに、太っ腹!的な反応を見せるメンバーたちと客。「100円くらいだよね?」もっと高いというメンバーや客の反応を見て「じゃやっぱやめた」と宮本さん。
「今日は前半も後半も自分たちのやろうとしているサッカーが試合を通して表現出来なかった。この敗戦は、負けたという事実も悔しいですが、それ以上に自分たちが自分たちのサッカーを表現出来なかったことが一番悔しい」
長谷部はそう振り返り、肩を落とした。
(フットボールチャンネル編集部、『Football Channel vol. 3 代表23人が語る 敗北の真実』、2014、p.34)
「自分たちのサッカー」という言葉は、日本のサッカーファンの脳裏に2014年W杯の苦い記憶を呼び覚ます。あのときのサッカー日本代表チームは「自分たちのサッカー」さえ出来ればどんな相手にでも勝てるという過信に満ちていた。大会前には優勝すると豪語した選手もいた。結果は、3試合を戦って1分け2敗。優勝どころか1勝すら出来ずにブラジルを去った。「守備にしても攻撃にしても、全く同じやり方であらゆる相手をねじ伏せられるほど、W杯は甘くない(中略)相手との駆け引きに勝たなければならない。キャッチフレーズにはしていなくても、対戦相手にも“自分たちのサッカー”がある」(前掲書、p.11)。

対戦相手を無視した「自分たちのサッカー」が自分たちよりも強いチーム相手では破綻するのと同様、会場・他の観客・演者・催し事の趣旨・自分の位置を無視して「自分たちのコンサート鑑賞スタイル」を貫こうとするのも間違っている。昨日と今日の4公演で、1公演目は整理番号が8番。2-4公演目は200番前後。前には前の楽しみ方があって、後ろには後ろの楽しみ方がある。というより、その席なり位置なりで出来る限りの楽しみ方をしなければ損なのだ。ということで、私はある実験を行った。普段は忌み嫌ういわゆるマサイ(公演中に飛びまくる観客のこと。部族の名前から取っている。秀逸な名付けではあるがマサイ族の人たちに失礼な気がして私はあまり積極的には使いたくはない用語ではある)に、自分がなってみた。宮崎由加さんが歌う度に、私はメガネがずれる本気のジャンプを繰り返した。一番うしろなので、後ろの人の迷惑になるのを気にする必要はない。最近はハロプロ現場でマサイに対する風当たりが強い。ジャンプそのものが完全に禁止されるまでは行かないまでも、過剰なジャンプや連続ジャンプは規制される流れになりつつある。私は基本的にその流れを歓迎している。前方でピョンピョン跳ねられるとステイジが見えづらくなって本当に邪魔で仕方がないからだ。だが本来は、ちゃんと観たい人と飛び跳ねたい人が共存するのが望ましい。さいきん嗣永桃子さんが飛びたい人は後ろで飛べとコンサート中に言ったらしい。実際、後方にジャンプ自由のエリアを決めてそれ以外の場所では基本的に禁止するというのも解決策としては有効かもしれない。まあ、何でもルールにするのが好ましいわけではないが。

最後のコメントで、高木さんが『如雨露』のときに自分以外がお立ち台に乗らなかったと抗議すると他のメンバーたちから一斉に逆襲を食らった。彼女たちが指摘するには、今日はハロステの収録があったので『如雨露』のときにはお立ち台に乗らないという約束だったということだ。

金澤さんは、もうこのツアーは170回以上もやっている。その度に最後のコメントをしている。次第に言うことがなくなる。でもいつも同じことを言うわけにはいかないし…と素直な心情を吐露した。

トークのセグメントで話しそびれたので、ということで最後のコメントがてら宮崎さんが小学校一年生のときの思い出を開陳した。ある子といつも給食の早食い競争をしていた。勝つために少なめによそってもらっていた。

今日はピンクの宮崎Tシャツを洗濯中のためBattenwearの普通にファッショナブルなTシャツで来たのだが、終演後の高速握手会では高木さんが私のTシャツを見て「名無し」、二人くらい先に進んでから「昨日はピンク?」と声をかけてくださった。私がびっくりして振り返ると彼女は私の二人くらい後の客と握手しながらこちらをちらっと見て笑った。何という記憶力と情報処理能力。

横浜Bay Hallと元町・中華街駅の中間にあるコンビニに入って、スミノフアイスを買って、店の外で飲んだ。弱すぎる。大人は上がらねえ(参照:UMB2014のR-指定対呂布カルマ)。学生の練習用だ。酔いの入り口にすら到達していない。こんなのは酒じゃない。というわけでもう一回店に入って角ハイボール。身体に回ったアルコール。コレクション生写真を開けたら金澤さんと宮崎さんが当たった。大抵の奴は持ってない。でも2枚だけ買って宮崎さんが当たる私は、持ってる(参照:中島卓偉、『おまえは持ってる』、アルバム『煉瓦の家』)。

この土日の4連戦の締めは16時45分開場、17時半開演。開場直後にグッズ売り場を覗いてみたら全員の日替わり写真が売り切れていた。お気に入りの一番うしろに行った。近くから「昨日から同じ人間しかいない」という声が聞こえた。
『奇跡の香りダンス』でキックする振り付けがある。近くの紳士たちがメンバーの脚の上がり具合に付いて論評を交わしていた。
「金澤、脚あがんないの?」
「上がんない。上がんないというか、遠慮している」
分かる。

さっきよりも酒が回ってきた。セブン-イレブン、いい気分(酒を買ったのはファミリーマート)。一番後ろの壁にもたれて座り込んで、Twitterを眺めた。開演の直前まで私は立ち上がらなかった。「みんな元気ですか?」という高木さんの第一声から始まる影アナを聞きながら、私は禁止事項を二つ破ってるなと思って、可笑しかった。まず、飲酒してのご観覧。次に、過剰なジャンプ(これから思う存分やる)。もちろん、飲酒については泥酔していたわけではなく、あくまでほどよいほろ酔い程度だ。ジャンプについても後ろに人がいないから誰の視界も遮らない。空いているから誰にもぶつからない。飲酒に関してもジャンプに関してもルールの趣旨には反していない。つまり私は紳士なのである。影アナ中の、「握手会に関してお知らせです」→「なになに?」(宮崎さん)、「握手会は、終演後に行います」→「なんで?」(宮崎さん)という茶々には笑った。

高木紗友希さん・金澤朋子さん・宮本佳林さんによるおしゃべり。高木さん、咳き込む。水を飲む。
宮本さん「横浜やでー」
高木さん「しゃべってもいい? コブクロさんのインスタにコメントをするといいねをしてくれるんだけど、紗友希できないじゃん。ファンの人が紗友希の画像を載せて、この子は高木紗友希です。コブクロのファンなんですという説明をしてくれたの。そうしたら黒田さんがいいねしてくれたの! 嬉しい。だってあんな大きい人にいいねされたことある? 握手会で大きい人に身長を聞くと183センチくらい。黒田さんは193センチくらい」
宮本さん「紗友希は黒田さんにいいねと言われた女だから」
高木さん「いい女ということだから」
「いい女ということで」と話を締める金澤さん。「皆さん苦笑いですけど」

ソロ歌唱は、植村あかりさんが『満月』(昨日の昼公演と同じ)、宮崎さんが『赤い日記帳』(昨日の夜公演と同じ)。宮崎さんの歌唱中(そもそも飛ぶような曲ではない)で前の方で飛び続ける金澤オタ。キチガイか。

「Tシャツにはまっている。ユニクロさんのサンリオキャラクターもの。着ていると中学生みたいと言われる。最近もマネージャーさんから赤ちゃんみたいと言われた」と宮本さん。
「だって赤ちゃんなんだもん」と金澤さん。「触ったことないから分かんないか」と、羨ましいでしょとでも言わんばかりにフロアに目を向ける。
宮本さんは赤ちゃんみたいに頭が熱い、と宮崎さん。
「赤ちゃんの匂いがする」という金澤さんに「そう、汗かいたときが一番あかちゃんの匂いがする」と同調する宮崎さん。
「どうしても佳林ちゃんの匂いが嗅ぎたい人はベビーパウダーで代用して。間違っても握手会で本人の匂いは嗅がないで」と金澤さん。
「逮捕だから。もう来れなくなっちゃうから」とメンバーの誰かが言うと「そうしたら私がひっぱたくから」と金澤さん。大喜びで歓声を上げる観客。

「アイコンタクトを由加とばっかりやっていると握手会で指摘された」という植村さん。そんなことはないという顔と仕草の宮崎さん。ファンは嫉妬しているようだがシンメになるから(ダンスで向き合うから)仕方なくやっているだけだと説明する植村さんに、そうそうという感じで頷く宮崎さん。今日はファンを見るようにしたら、色んな人が来ていることを改めて認識できたという植村さん。

宮本さんは、回数を重ねるにつれてコンサートが進化してきて、一年前にはなかった“GIRLS BE AMBITIOUS”の乗り方が出てきている。なかなか大人の色気は私では出ないみたい。マライヤ・キャリー、ビヨンセとかを見てセクシー!と思うだけじゃなくて、佳林の色気を出したいけど、とうぶん時間がかかります、と言った。

「本当に楽しい。ライブ中みんな私たちのことを見てくれて」と言った高木さんは「大人の色気は19歳だから出てるので佳林は見習ってほしい」と先ほどの宮本さんのコメントにアンサーを返した。
「紗友希は見習いたくない。ともなら分かるけど」と宮本さん。
「なんで私のところなのにともの名前を出すの」と高木さん。
「でも紗友希の歌は見習いたい」と宮本さんがほめ出すと、急に照れ出す高木さん。

金澤さん「Juice=Juiceはそれぞれみんなバラバラの個性がある。ファンも同様。由加ちゃんのファンは優しそう(得意げな宮崎さん)。紗友希のファンは微笑ましい笑顔で紗友希を見てる。赤ちゃんを見つめるような、動物を見るような。佳林ちゃんのファンはサイリウムを静かに持っている。暴れない。私のファンは騒がしい(金澤さんのファンが喝采)。うえむーのファンはスタイリッシュ。色んなサイリウムがあって、それぞれで面白い」

宮崎さんは横浜での2日間が本当に一瞬に感じるほど楽しかった(同じことをコンサート中に何度も何度も言っていた)、コードスリーが終わるのが残念だと言っていた。

このコンサートで私は今までで一番たくさん飛んで、一番たくさん声を出した。ふくらはぎが張っているのを感じていた。心地よい疲労感だった。連戦の締めに相応しく、思う存分、好きなように楽しませてもらった。すべてを出し切った。成田のアパホテルに着くと、空き部屋の関係で予約していたのよりもいい部屋にしたというようなことを受付の紳士は言った。部屋に入るとベッドにマッサージ機能が付いていた。

2016年7月10日日曜日

MISSION 220 (2016-06-25)

テレビ朝日のサッカー中継における「絶対に負けられない戦いが、そこにはある」には何の真実味もない。その試合に負けても日本代表チームの選手は変わらず高給を得続けているしサッカー関係者やわれわれ視聴者の生活は普通に続いているからだ。負けたら選手たちが鞭打ちの刑に処されるなら分かる。そこまで行かなくとも、せめて負けたら監督が即クビになるくらいの状況でもないかぎり、絶対に負けられないという煽り文句は空虚に響く。今日、明日と、私は横浜Bay HallでJuice=Juiceのコンサートを計4公演観させていただく。4回のうちの1回目である今日の13時45分開場・14時半開演の部は、私にとって紛れもなく「絶対に開場時間に遅れてはいけない公演」だ。ここにテレビ朝日的な誇張はいっさい含まれていない。なぜなら私の整理番号は8番だからだ。最前列(と言っても席がないので厳密には列はないが)に行けることが確実。宝くじに当選したようなものだ。ライブハウス(和製英語)の一番前でJuice=Juiceのコンサートを鑑賞させていただくというプライスレスな経験が出来る千載一遇の好機だ。

何度も書いているが、基本的に私はライブハウス(和製英語)がそんなに好きではない。前の方に行けないかぎり、ステイジ上の演者が見えづらいからだ。もちろん音楽や催し事の種類によっては演者があまり見えなくとも支障はないかもしれないが、ハロプロのコンサートを観に来てメンバーたちが見えなくてもいいという訳にはいかないんだ。さすがに。西川口Heartsでは後方からJuice=Juiceの皆さんがほとんど見えなかった。もちろん、良席でないとイヤだという寝言を言うつもりはない。恵まれない状況でもコンサートを楽しめるかどうかは自分次第だ。ただ、それもある程度は演者が見えるのが前提だ。ライブハウス(和製英語)のコンサートは整理番号が運に左右されるので、積極的には申し込まない。ただ横浜Bay Hallは3月に来て、後ろの方でもステイジがよく見える珍しいライブハウス(和製英語)であることを知っていた。つまり整理番号に関わらずコンサートを楽しめるということだ。なので6月25日(土)と26日(日)の4公演すべてに申し込んで、すべてに当選した。この週末がすべてJuice=Juiceに割かれることとなった。で、1回目が8番というとんでもない番号だったんだ。残りの3回はいずれも200番前後だった。

横浜モアーズのハングリー・タイガーでオリジナルハンバーグと野菜のブロシェットのレギュラーセット2,240円をいただいてから元町・中華街駅へ。会場に着くと、見覚えのある職員がいた。3月に整理番号が121番だったのに400番くらいになるまで会場に入れなかった原因の、あの小僧だ。まあ、結果として後方で楽しい思いが出来たので、別に根に持っているわけではない。誰も並んでいないグッズ売場で日替わり写真の宮崎さん、宮本さん、高木さん各500円を買った。駅のロッカーに空きがなくて少し焦っていたが、開場前に会場のクロークに預けることが出来て(500円)、ホッとした。近くのおめかししたオタクお嬢さんがオトモダチのオタクおじさんに「私の凱旋だからチケットを交換して」とおねだりしているのが聞こえてきた。おじさんが持っている整理番号がどうやら一桁らしい。私も横浜育ちなので凱旋だ。開場を待つファンの中にラッパーの崇勲を思わせる風貌の紳士がいて二度見した。あの髪型にすると誰しも崇勲に見えるのかなとはじめは思ったが、頭の形も似ているように見えた。

ボーッとしていたら整理番号の呼び出しが始まっているっぽいことに気付いた。拡声器が壊れているのか担当者の声が小さいのか分からないが、耳を澄ませば何かを言っているのが認識できる程度だった。5メートルくらいしか離れていなかったのに内容は聞こえてこなかった。慌てて入り口に行くと6番が呼び出されていたのでギリギリ間に合った。iPhoneを見たら13時44分。危なかった。開場はもっと大々的にやれ。地味に始めすぎだ。

階段を上り、チケットをもぎられて、500円のドリンクチケットを購入。係員に導かれてゆっくりと開場の中へ。この会場は気が利いていて、我々の進路にペットボトルを持った女性が何人か待ちかまえていて、カウンターに行かなくてもドリンクチケットを水と交換させてくれた。まだ先頭には係員がいる。フロアに目をやると、誰も人がいない。もうすぐであそこにたどり着ける。絶好の位置につけるのが保証されていた。誰にも遮られず、あり得ない近さでコンサートが観られる。人生でそう何度もあるものではない。手が震えた。おそらく私の前にいた7人も、後ろにいた人たちも、同じ心境だったはずだ。みんなこれから手に入る悦楽を想像し興奮しながらも平静を装い、あそこにたどり着くのをおとなしく待っている。つまり、これは風俗店の待合室なのである。

最前ほぼ真ん中のやや左寄りに立つことに成功した。右寄りと左寄りではどちらかというと左寄りの方が好ましかった。なぜなら宮崎由加さんはこちら側に来ることが多いからだ。理想と言っていい場所だった。ついにここに来た。6月20日(月)の℃-ute日本武道館公演でも最前列で観させてもらったが、ステイジとの距離は今日の方が圧倒的に近い。いま思えば2010年3月20日(土)に初めてハロプロのコンサート(モーニング娘。)を観たときには、最前や良席はおろか1Fでコンサートを観るのも想像がしづらかった。13時50分頃には最前付近の入場は完了していた。残りの40分は会場内に流れる“Walk this Way”や、有名だけど曲名を克明に分からないロックや、知らない曲に、適当に身体を揺らしながらやり過ごした。

開演前のいわゆる影アナは植村あかりさんが担当した。お断りを「おとこわり」と言い間違えていた。お酒のようだな。男割り。男梅。『フリースタイルダンジョン』のT-PABLOW戦で足下に男梅サワーを置いていた黄猿。「お前が飲んでる男梅 居場所見つけました音の上」と当意即妙にいじったT-PABLOW。それはともかく、植村あかりさんは急性扁桃炎のため先週末に行われた盛岡と秋田でのコンサートを休んでいたので、心配するファンに復帰を知らせる意味も込めて影アナ担当を彼女にしたのだろう。

金澤朋子さん・宮崎由加さん・高木紗友希さんの3人によるおしゃべりのセグメントでは、宮崎さんがGirls Night OutというYouTube番組の収録時の裏話を披露した。番組では3回に渡って料理をしていた。観てくれた人?と宮崎さんが問いかけると当然ながら大半の客がはーいと手を挙げるのだが、私は3回のうち1回しか観ていないので後ろめたかった。(YouTubeの無料番組が多すぎて、手が回らない。ハロステを追うので精一杯だ。私は無職だった頃にはハロプロメンバーが出演するラジオ・テレビ・YouTube番組をほぼすべて視聴していたが、無職にとっても楽でなかった。ハロプロの映像・音源・番組をすべて消化するという作業の負荷はフルタイムの仕事に近いと当時、思った。)収録中に、宮崎さんは油の匂いで酔う体質だったことが発覚した。レンコンのはさみ揚げから気持ち悪かった。大学芋のときには限界だった。台に手を置いて何とか立っていた。少し休んだら楽になった。大学芋を食べて「目が覚めました」と言ったところ視聴者からは体調が悪かったのではなくて眠かったのだと誤解された。まあいいかと思っていたが、番組を観ていた母から「フラフラして具合悪そうだった」と心配するメールが来た。見抜いてくれた母は凄いと思ったという宮崎さんに、ファンは拍手。「これからあぶらとり紙用意する」という高木さん。いやいや大丈夫というジェスチャーの宮崎さん。握手会のときにファンのあぶらはどうなのかという問いかけに大丈夫だという宮崎さん。「皆さんのあぶらは大丈夫ですよ」と金澤さんがニコニコしながら言ったのが面白くて私は思いっきり笑った。高木さんが「皆さんのあぶらは神秘的な…」と何かうまいことを言おうとしたが「いややめておこう」と諦めた。

ソロのセグメントでは宮本佳林さんがモーニング娘。の『Memory 青春の光』(ご本人曰く半音上げバージョン)、植村あかりさんが藤本美貴の『満月』を歌った。『Memory 青春の光』は当然として、『満月』も同曲が収録されている藤本美貴さん唯一のソロ・アルバム『MIKI 1』を好んで聴いていたことがあるので、私は知っていた。Juice=Juice全体では松浦亜弥の『奇跡の香りダンス』をカバーしていた。私にとってコールとは誰か一人のメンバーの名前を呼ぶものだったので、この曲で全員が歌うときに「ジュース!」というコールが起きているのが自分にとっては新しかった。

私はライブハウス(和製英語)の前方とそれ以外でいちばん違うのは迫力だと思っていたが、より正確には生々しさなのだと、気付いた。1-2メートルの距離からじっくり見ると、宮本さんの脚にあざのようなものがあるなとか、金澤さんの左膝付近に虫に刺されたような湿疹がいくつかあるなとか、普通はまず見ない・見えないようなところばかりが目に飛び込んできた。見てはいけないものを見ているような気がした。5人の中で、肌の質感という点に絞れば脚が一番きれいなのは宮崎さんだった。傷とかあざとか湿疹とかそういうのがいっさい見当たらなかった。手元の記録には3位まで順位が書いてあるのだが、甲乙つけがたいので2位以下の順位は省略する。私はケミカル・ライトを高く掲げず、飛ばず、何なら少し身を屈めるくらいの姿勢で後ろの方々の視界を妨害しないように気を付けながら、夢のような近さを堪能した。

Juice=Juiceの皆さんは、声がよく聞こえてきたと我々をほめてくださった。「『スクランブル』のときは強烈だった」、「会場のつくりだけじゃないと思うんですけど、皆さんとても盛り上がっていて、今日のために一週間がんばってくれたんだなと感じました」と高木さん。「皆さん熱くて、水がぬるくてホットドリンクかと思うほどだった」と宮崎さん。

終演後の高速握手会は、超高速というほどでもなく、意志を持てば一言のやり取りは出来るくらいの速さだったので、かえって困った。有無をいわさず剥がしてくる、速すぎて会話ができない握手会の方が(腹は立つが)楽なのだ。金澤さんが「見えました」と言ってくださった。「僕も(金澤さんのことが)見えてました」とでも言えればよかったのだが、何も言えなかった。コンサートを鑑賞して、数日後に数千文字の文章で語ることは出来るのだが、終演直後に演者の方々を目の前にして一瞬で感想を言うのが難しすぎる。

会場を出ると16時半だった。次の公演が17時半開場なのでどこかの店でゆっくりするほどの時間はない。ファミリーマートに入ってビールと辛口チキンを買った。これが夕食だ。握手会でうまく立ち回れないな。必要なのはアドバイザー。ファミマで買ったバドワイザー。商品名を出したけど別にアドバタイザーじゃない。このまま進歩がなければ後がないな。350mlを飲み干してもほとんど酔えなかった。この容量では物足りない。でも500mlにすると太るのが心配だという乙女心。結果、飲んだ意味がないような中途半端な仕上がりのまま、夜公演に臨んだ。

横浜Bay Hallはフロアに段差が三つ設けられている。私は一番後ろの段の一番前に立った。3月に来て気に入った場所。影アナは宮崎さんだった。素のしゃべり方から始まり、ウグイス嬢、早口と転調していった。短期間で数多くの公演をこなし、客もリピーターが多いのでこういう遊びが生まれる。注意事項の台本があるとはいえ担当者が毎回ちがう上にアドリブがあるので、聞き流してしまうのはもったいない。

開演の直前によく言えば元気の良さそうな、悪く言えば厄介そうな二人組の青年が目の前に来て、マジかよと思った。私の横にいた紳士は彼らを避けて前に移った。それで空いた空間に二人組の片方が入ってきた。私との段差なしでダンサーのように彼は飛び跳ねた。ステイジが見づらくなった。Juice=Juiceの姿をよく見るために一番上の段に来た私の目論見は外れた。しかし、ここでへこたれて後から文句を言って終わりではない。伊達じゃないようちの現場経験は。下記のステップを踏むことで私はこの困難を乗り越えた。

ステップ1:彼らを「ぎょうざの満州」の店員だと思う
私は昨日、「ぎょうざの満州」で豪遊した。メンマ、紹興酒(熱燗)、焼きそば、焼き餃子をいただいて、1,133円だった。こんなに安いのに接客には適当さがなかった。店員たちに気を抜く暇はなさそうだった。一部の社員を除けば最低賃金に毛の生えた時給で働くアルバイトだろう。この店に来る客層は必ずしもお上品とは言えない。数年前、ある店舗で飯を食っていたらおばさんが小さな子供と一緒にテーブルに座っていた。何か異常な空気を感じたので目をやると、子供がゲロを吐いていた。おばさんは店員に謝る様子はなくただ子供を叱りつけていた。後始末をするのは店員だ。そんなことが毎日あるとは思わないが、こんな仕事をしていたらたまの休日には羽目を外したくなるのは当然だ。ガス抜きは必要だ。彼らを責めることは出来ない。

ステップ2:彼らのスタイルから学ぶ
すぐ近くにいると視界がふさがれて邪魔になることもあるが、彼らがとびきり楽しんでいるように見えるのもたしかだ。つまり彼らのスタイルにはコンサートを楽しむための秘訣が隠されているかもしれない。そう思った私は彼らのやり方を真似してみた。彼らの一人が金澤朋子さんの歌割で飛んだのと同様に、私も宮崎由加さんの歌割で飛んだ(私の後ろには誰もいないことを確認の上)。自分がじっくり見ようとしているのに目の前で飛ばれるとうっとうしいが、いっそのこと自分も彼らと同じように飛ぶと楽しくなってきた。途中から2人の青年たちが盟友のように思えてきた。

金澤朋子さん・宮本佳林さん・植村あかりさんの三人によるおしゃべり。アンジュルム(5月30日)、モーニング娘。(5月31日)、℃-ute(6月20日)の日本武道館公演を観に行ったときの話。「アンジュルムさんとモーニング娘。さんは人数が多いけど℃-uteさんは私たちと同じ5人。5人だとこんなに少なく見えるのかと思った」と宮本さん。「℃-uteさんは人数が少ないけどステージを広く使っていた」と言う植村さんにそうそう、という感じで同調する宮本さんは、℃-uteの圧倒的なパフォーマンスを目にしてから食欲がなくなって、その日は家に帰っても夜ご飯が食べられなかったそうだ。℃-uteの階段の下り方が格好よかったと金澤さん。こんな感じと実演する。客はフーと冷やかす。ホールコンサート中の私たちの階段の上り方はダサくて、後半から会場のモニターに映らなくなったと明かす宮本さん。℃-uteさんはこういう感じと植村さんが真似。客、フー。

ソロ歌唱。宮崎由加さん、『赤い日記帳』(あか組4)。高木紗友希さん、『Forever あなたに会いたい』(つんく)。2曲ともワーワー合いの手を入れるというよりは、じっくり聴く感じの曲だった。私はどっちの曲もちゃんと聴いたことはなかった。

高木さんは「普通に暮らしていたら皆さんみたいな年代のお友達はたくさん出来ないじゃないですか。だからこの仕事をやってきてよかったな、と。これからももっと若い人やおじいちゃんおばあちゃんにまで応援してもらえるように頑張る」というユーモアと真面目さの混じった高木さんらしいコメントを残した。

「今日は外が暖かくて…暑いか。今日も半袖で来たんですけど…(客、フー)見えてるの二の腕だけだよ?(客、フー)」という宮本さんのコメントは、内容といい間合いといい、我々の「フー」を誘いに来ており、それに全力で釣られるのが非常に楽しかったし、我々の「フー」の後の表情がアイドルアイドルしていて素晴らしかった。

終演後の高速握手会では、以前にTwitterで誰かが「お疲れさまでした」で通しているのを見たことがあったので、それを試してみた。するとかなり楽だった。高速握手会を無難に乗り切る有用な技を一つ手に入れた。
私「お疲れさまでした」
宮本「ありがとう」
私「お疲れさまでした」
高木「ありがとう」
私「お疲れさまでした」
植村「ありがとう」
私「お疲れさまでした」
金澤「ありがとう」
最後の宮崎さんにだけは「影アナ面白かった」と申し上げたところ、口を丸くして驚いた顔を作ってから目を見て「ありがとう!」と言ってくださって、私はブータン国民並に幸福になった。よく思うのだが、宮崎さんの表情はコロコロ変わって、分かりやすくて、絵文字のようだ。会場を出ると、20時2分だった。

2016年7月3日日曜日

℃ONCERTO (2016-06-20)

℃-uteさんのコンサート・ツアー“℃ONCERTO”の千秋楽を観に行かせてもらいました。日本武道館という特別な会場でのコンサートでしたが、開演前の私には高揚感がありませんでした。なぜなら特別なコンサートだとは考えられなかったからです。というのも、彼女たちにとって武道館は何度も踏んできた舞台です。それどころか、去年にはもっと大きな会場でコンサートをやっています。もちろん武道館でコンサートを出来ることの偉大さには変わりはありませんし、ツアーの千秋楽というのはそれ自体が特別ではあります。しかしながら、今までの流れを踏まえると、2016年の春ツアーが武道館どまりなのはよくて足踏み、場合によっては一種の後退にすら思えました。

2013年は℃-uteさんにとって飛躍の年でした。4月3日(水)に、池袋サンシャイン・シティでのイベントにて、9月10日(火)に単独での武道館公演を行うことが発表されました。イベントで披露する最後の曲『Crazy完全な大人』が始まると見せかけて、つんくさんが音声のみで登場しました。メンバーさんたちも知らず、劇的でした。当時、ゴミのような会社に属していた私は仕事の後にTwitterを開いて知りました。発表の模様は当日中にYouTubeに公開されました。私は繰り返し再生しました。涙腺が緩みました。つんくさんからは同時に6月30日(日)のパシフィコ横浜での公演がファンクラブの先行受付の時点でキャパを超えている、7月5日(金)にはフランスでの公演が決まったという発表がありました。

パシフィコ横浜でのコンサートを観させてもらったときには、私はゴミのような会社を辞めて、無職で金髪になっていました。それまでは収容人数2,200人の中野サンプラザが埋まるかどうかも怪しかった℃-uteさんは5,000人の観客で満員になったパシフィコ横浜のステイジに立ち感激していました。ファンクラブ会員向けに販売されたソロ・アングルDVDでは、コンサートの始めに出てきた中島早貴さんの目が潤んでいるのを確認できます。パシフィコ横浜では9月9日(月)に武道館での追加公演が行われることが発表されました。あと、くだらないことですが9月10日が℃-uteの日として日本記念日評議会という謎の組織から認定されたという発表もありましたね。

引き続き無職だったので、9月9日(月)と10日(火)は両日とも日本武道館に行くことが出来ました。10日(火)はファンクラブ先行で落選したのですが、娯楽道でチケットを買いました。9日(月)に一曲目の『Kiss Me愛してる』が始まった瞬間のあの感覚は、今でも思い出すことが出来ます。℃-uteさんがあれだけ口にし続けていた武道館でのコンサートが今、こうやって現実になったんだという興奮。子供の頃にヴィデオ・ゲイムをやって最後のボスにたどり着いたような、達成感と恐さが入り交じったような気持ちでした。とにかく、この年はめでたいことばかりが続いて、押せ押せ、イケイケの空気でした。

2014年は、その余熱が残っていました。11月11日(火)の日本武道館でのコンサートで℃-uteさんは、前年よりも成熟したパフォーマンスを見せてくれました。二年連続で武道館でのコンサートを成功させたことで、彼女たちは一発屋ではないことを証明しました。この日には、2015年6月11日(木)に横浜アリーナでコンサートを行うことが矢島舞美さんの口から知らされました。このときに武道館のアリーナ席にいた私は無職でも金髪でもなく、今でも勤めているまともな会社で働いていました。激動の2013年に比べると℃-uteさんの動きは控えめでしたが、翌年の横浜アリーナ公演の発表があったことで、拡大路線を進んでいるという喜びをみんなで共有することが出来ました。みんなというのはメンバー・裏方とファンが一体となったTeam ℃-uteのことです。

Team ℃-uteという言葉は、℃-uteさんの拡大路線と切り離すことが出来ません。日本武道館を目指すとなったときからメンバーさんたちが急に多用するようになりました。日常業務のような場面でこの言葉が持ち出されることはあまりなくて、大きな会場や外国でコンサートをやるというときに主に使われます。『ザ・チーム 日本の一番大きな問題を解く』(齋藤ウィリアム浩幸)という本によると、多様な人々が課題を解決するために集まったのがチームです。つまり、年齢や性別その他の属性に関係なく同じことを成し遂げたい人たちの総称です。今までよりも大きな会場や未踏の土地でコンサートを実現させたいという夢をメンバー・裏方・ファンが一緒になって追い続けてきたのが、Team ℃-uteです。

Team ℃-uteのプロジェクトは、2015年6月11日(木)の横浜アリーナで頂点を迎えました。2013年に勢いに乗る前には2,000人級の会場が満足に埋まらないどころか、単独でのコンサート・ツアーの継続的な開催さえ危うい時期がありました。そこから一気にプロップスを得て、平日に17,000人の観客を熱狂させたのです。2015年3月3日(火)には℃-uteさんと同時期にハロプロに加入したBerryz工房さんが解散(活動停止)しました。℃-uteも近いうちに解散してしまうのではないかという憶測を打ち消すかのように矢島舞美さんは「℃-uteにはまだまだ夢がある」「まだまだ突っ走っていく」と力強く言い切りました。℃-uteはこれからも活動を続け、ファンはついて行く。2015年6月11日(木)はその熱い契りが交わされた日でした。

そのときには私はそう受け止めました。しかしあれから一年がたっても、矢島さんがそのときに宣言された夢が何だったのか、どこに向かって突っ走っているのか、分からないというのが正直なところです。私は℃-uteさんが発信する情報のすべてを観たり聴いたり読んだりしている訳ではないので、もしかすると重要な何かを見落としているのかもしれません。しかし、Team ℃-uteが武道館を目指していた頃のような明確なゴールが現在では存在していないように私には見えます。『ザ・チーム 日本の一番大きな問題を解く』にはチームの特徴として、目的を達成したら解散するということが書いてありました。パシフィコ横浜、日本武道館、フランス、台湾、横浜アリーナ。Team ℃-uteはこれまでに数々の目標を達成してきました。次のゴールを更新できなければ、チームという言葉の定義上、Team ℃-uteは有名無実化してしまうし、実際にしつつあると言っていいでしょう。

一ファンとしての個人的な意見を言わせてもらえば、これ以上の規模の拡大は単純に喜ぶことは出来ません。会場が大きくなって純粋に喜ぶことが出来るのは日本武道館までです。会場は大きければ大きいほど客席とステイジが遠くなり、見にくくなります。一方、小さなライブハウス(和製英語)だと距離は近いけど整理番号に恵まれないかぎりステイジは見にくい。しかも座席がなくて立ちっぱなしだから鑑賞環境としてはよくない。損益分岐点のグラフのように会場の大きさと見やすさ・鑑賞環境のよさを二つの線で表したときに、線が交わるのが日本武道館なのです。もちろん横浜アリーナでのコンサートは武道館では味わえない感情的な高ぶりがありましたが、℃-uteの皆さんのお姿は小さかったですし、あの遠さが普通になってしまうと私の足は現場から遠ざかりそうです。

あのまま拡大路線が続いて、もっと大きな会場、例えば日産スタジアムでやりますと、仮に発表されていたとします。私は祝福はしていたでしょうが、ぜひ行きたいとは思えなかったかもしれません。そこまで大きくなってしまうと、後でBlu-rayを買って観た方がよさそうです。もちろんそれは想像にすぎず、もしかしたら実際に体験したら違うのかもしれません。ただ、サッカーを観ていても遠いと感じるスタジアムで、サッカーよりも細部を見たいアイドルのコンサートを観て、満足できるとは到底おもえません。

もちろん、観客動員が足りなくてグループの存続に関わるようだとファンも困ります。ですので、ある規模までの拡大路線は、メンバーさんたちとファンの利害が一致しています。でも、ある閾値を超えた拡大については、ファンの側にそれほど利点があるようには考えられないのです。ですので、私は一ファンとして、日産スタジアムを目指しますとか、東京ドームを目指しますというのを大々的に掲げて一致団結を求められていたとしても、乗り気にはなれなかったと思います。

℃-uteさんの素晴らしさはもうみんなが十分に分かっているというのが実際のところです。ファンからも、ハロプロ内の他グループからも、ハロプロ外の同業者からも、既に十分なプロップスを得ています。何万人も入る会場でコンサートを開催するという形を取らなくても、実力は証明済みなのです。ハングリータイガーのハンバーグが、全国展開しているファミレスのハンバーグと比較するのがおこがましいほどおいしいのと同じです。

2002年のサッカーW杯は、多くの日本代表選手たちにとって人生をかけた戦いでした。何年も前に読んだある本で、ある選手がこんなことを言っていました(たぶんこの本で、この選手だろうというのは頭にあるのですが、現物を確認できないのでぼかします)。曰く、W杯が終わってから、燃え尽きて抜け殻のようになった。サッカーに身が入らなくなった。人間というのはどうも、これが手に入れば死んでもいいという夢を持ってそれを叶えてしまうと、それ以降の人生に意味を見いだせなくなって苦しむようです(残念ながら私はそんな夢を叶えたことがないので経験からは語れないのですが…)。それがそのまま℃-uteさんに当てはまるというのは完全に言い過ぎですが、もしかすると武道館にたどり着いて以来、ちょっと近いことが起きているんじゃないかな、と思うことはあります。もちろん彼女たちは私のようなしょうもない会社員とは次元の異なるプロ中のプロですから、目に見えてパフォーマンスの質が落ちるということはありません。それどころか歌もダンスも質は向上する一方です。しかしながら、萩原舞さんが文春のウェブ版に彼氏とデートしている姿を掲載されたのは、ちょっとした緩みの表れのような気がします。こじつけかもしれませんが。

岡井千聖さんが喉を手術するため、翌日のバースデー・イベントを最後にしばらく休養することが決まっていました。その間は℃-ute全体での活動は出来なくなります。岡井さんは2016年6月14日放送のテレビ番組『人気者から学べ そこホメ!?』で℃-uteの活動期間についてあと2-3年と発言しました。このように、数年単位で見るとゴールの不明確さ、数ヶ月単位で見ると萩原さんの文春砲と岡井さんの手術・休養決定、岡井さんによるグループ解散時期に関する発言があって、℃-uteを取り巻く直近の状況はそれほど明るいとは言えませんでした。夢が次々続々トントン拍子で決まっていった2013年とは違い倦怠感すら漂います。それらに加えて、私は今回の℃ONCERTOツアーを思うように楽しめていません。6回観させてもらっていますが、どうもよく分からない違和感が残っていました。楽しくて仕方がない、という感じではなかったのです。6回目には何かが変わって、見違えるように楽しむことが出来ましたが、そのドンデンガエシを除けば、今回のツアーにはあまりいい印象がありませんでした。そういう訳で、会場に入るまではワクワクしていなかったのです。会場に入る18時手前まではそうでした。

3時間後には、楽しすぎて泣きそうでした。それが最後の曲『JUMP!』で飛びまくって、恒例の「℃-ute最高!」チャントにちゃんと参加してから出口に向かう私に浮かんできた、嘘偽りのない気持ちでした。冒頭に述べたように、今日は特別なコンサートではないはずでした。誰かが卒業するわけでもありませんでした。6回も参加してそれほど好きではないツアーの千秋楽に過ぎないはずでした。でも、あまりにも楽しかった。本当に涙が出てきてもおかしくないほどでした。今日のコンサートを総括すると、楽しすぎて泣きそう、それに尽きると言っていいほどです。とはいえ「楽しすぎて泣きそう」だけでブログの記事を終わらせるわけにはいきません。どう書けばよいのか分かりませんでしたし、今でもよく分かっていません。

私の席は、アリーナA7ブロックの一桁でした。この番号を見て、ブロックの中で一列目であることは予想が出来ました。ブロックの配置は当日その場に行くまで分かりません。会場で確認したところ、A1からA8ブロックがメイン・ステイジの前に配置されていました。そして10番までが一列目でした。つまり、私の席は日本武道館の客席全部の中で、最前列だったのです。前方の席にいさせてもらうからには、先陣を切ってコンサートを盛り上げるというノブレス・オブリージュを果たさないといけません。今日の公演はBlu-rayにもなるでしょうから、なおさら盛り上げないといけません。今までの6回でセットリストは身体に染みついているので、迷いなく、精一杯、声を出し身体を動かしました。最前線にいすぎて、当事者でありすぎて、会場全体がどれだけ盛り上がっているのかを気にする余裕がありませんでした。今までの6回を観ていなければここまで存分にコンサートに入り込めなかったと思います。つまり、人生に無駄な経験はないんです。

メイン・ステイジの他に、アリーナの真ん中にステイジが設けられていました。今までに観た武道館公演ではメイン・ステイジと通路でつながっていたのですが、今回は通路が見当たりませんでした。どうやってステイジ間を移動するのだろうと思いましたが、メンバーさんたちはアリーナのブロック間の隙間を縫うように電動トロッコで移動していました。これは喜びに満ち溢れた演出でした。移動する際にメンバーさんたちが非常に近くて、私も周りの観客も笑顔になりました。

人生はSTEP!』のイントロで℃-uteさんが身体を重ねて動くのですが、そのときの中島早貴さんのふとももが私の眼球と脳に激しい衝撃を与えました。私のいた右寄りの最前線はイントロの中島さんのふとももの躍動が一番よく見える場所だったので、無理がないというか、私は完全に被害者としか言いようがないのですが、しばらく頭がクラクラしました。私は℃-uteさんの中では岡井さんが一番好きなはずなのですが、推し変しそうになりました。これはあくまで音楽的な観点から論じているのであって、中島さんをいやらしい目で見ていたわけではありません。

特に後半はみんな盛り上がってガンガン飛び跳ねていたのですが、隣の少女が私の領域にはみ出してきて私とくっつきそうになりました。コンサートの途中で逮捕されるのは勘弁願いたかったので、加齢臭を発して追い払おうとしましたが、どうも私はいい匂いしか発することが出来ない紳士らしく、失敗しました。

6月20日は、岡井さんが22歳になる前日でした。ハロプロ研修生が着替え中の岡井さんに内緒でケーキを運んできて、岡井さんが登場すると同時に会場全体で祝いました。みんなでハッピーバースデイを歌いました。打ち合わせがゼロだったので、名前のところがちっさーなのか千聖なのか確信が持てませんでした。鈴木愛理さんの提案で、岡井さんがカメラに向かって「ニャンニャン」とやることになりました。岡井さんが本気で嫌がっていて本当に笑いました。やる前に観客がフー!と冷やかしたところ「千聖のファンは一人もフー!って言ってないじゃん」と言っていました。今日はアンコールが「千聖!千聖!」でしたが、単に次の日が誕生日ということだけではなく、無事に手術を終えて復帰してほしいというファンの気持ちも込められていたと思います。

「毎年、武道館でやれるグループになりたい」、岡井さんはそう言いました。これは立派なビジョンだと思いました。メンバー全員の意志がそれで統一できているのであれば、ひとまずゴール問題は解決したと思います。ただ直線的に規模を大きくするだけが成功ではないので、これは一つの答えとして賛同できます。また、一回達成したら終わりのゴールだと2002年W杯の後の某選手のような燃え尽きた状態になってしまいますから、一度達成してもなくならないゴールを設けることは賢明です。ただ、毎年、武道館でやると聞いたときに、そもそも℃-uteさん自体はあと何年やるのか? という疑問・心配が私の頭には浮かんできます。解散するまでのグループとしてのビジョン、解散した後の個々のビジョンが見えてこないというのが、何となくファン全体にモヤモヤが残っている部分かもしれません。

ただ、これから℃-uteさんが活動を続けるのがあと何年にせよ、毎年こんなに楽しくて完璧なコンサートを体験させてくれるのであれば、私はそれ以上は望みません。℃-uteっていつまで続けるの? そんな疑問を、圧倒的な質で黙らせる。問答無用で楽しませる。満足させる。それも℃-uteさんらしいと思います。とにかく今日は、何と言えばいいのか分からないくらいに楽しかったです。℃-uteの皆さんには、これまで活動を続けてくれてありがとうと言いたいです。