2023年12月30日土曜日

上原ひろみ ソロピアノ公演 “BALLADS” (2023-12-28)

休みを取って一日早く仕事を納めた。慣例上は納めたという言葉になるが、実際には中断したに過ぎない。いくつかの懸案事項が残っている。頭が痛い。比喩ではなく文字通りに。26日(火)は問題に気を揉んでいるうちに頭痛がしてきた。夜に銭湯から帰ってきて横になったときが痛みのピークで、バファリンを飲み無理やり眠りの世界に逃げ込んだ。年が明けたらすぐにストレスフルな状況になるのが見えている。年末年始というのは完全に気分の問題であって、2024年になったら2023年の問題がリセットされるわけではない。そして連休といってもそんな大層なものではない。私の勤め先ではデフォルトで6日間、私は1日を追加してやっと7日間。そのうちの貴重な一日は親の家に赴いて家族の集まりに顔を出すという義務で潰れる。仕事に戻る1月4日(木)はその日に必ずやらないといけない業務がある(上記の懸案事項とは無関係である)。今日の休みを取ったことで12月中にやらないといけないことの密度が高くなりストレスは却って強くなった。かといって12月28日(木)も働いていればよかったというわけにはいかない。休みを取る必要があった。まあ18時半開演だから、午後半休とか15時に上がるとかでも間に合ったが。12月28日に仕事上がりでせかせかとコンサートに出かけたくないという意地があった。休みを取った意味を持たせるために14時から美容室の予約も入れた。前日になってもう一つ意味が生まれた。F君と昼メシをご一緒することになった。新大久保のサルシーナ・ハラル・フーズ。バングラデシュ料理店。最近ハマっている。昨日も行った。昨日は骨一緒チキンのドピアザJPY1,500。今日はアヒル肉とじゃが芋のジョルJPY1,800。バングラデシュ式フライドチキンJPY1,200をF君とシェアした。F君はマトンカラブナJPY1,500を召し上がっていた。アヒル肉とじゃが芋のジョルはこれまでこのお店で食べた料理で一番。ゴロッと入った大きなアヒル肉の塊が骨付きかと思いきやすべてが可食部で食べ応えがあった。牛肉のような豚肉のような。フライドチキンは中学生くらいのときに母親が作ってくれていた弁当を思い出した。こういう冷凍食品が入っていた。ただJPY1,200はちょっと高い。JPY700くらいが納得感ある。サルシーナ・ハラル・フーズはスペシャルな店だ。12月28日から1月3日まで日替わりで年末年始スペシャル料理を出している。足を運んでみることをお勧めする。

紀尾井ホール。初めて行く。最寄り駅が四つ。四ツ谷、麹町、赤坂見附、永田町。永田町の7番出口から歩く。駅と会場の間にめぼしい飲食店がゼロ。セブン・イレブンでホット・コーヒー(R)。セブン以外だと会場から道路を挟んだ向かいに巨大ホテルがあってそこのレストラン街はあるにはあったがもちろん高いし一人でサクッと食うタイプの店はなかった。開場前の会場前。若さがない。薄暗い。夕方だからといううだけでなく集まっている人々に光がない。高い年齢層。色褪せつつある。消えつつある。透明になりつつある。ブルーノートに行ったときにも思ったが、ジャズ・シーンを支えている中心層が高齢者なのは紛れもない事実であろう。中でも今日のように騒がしくない土地の、かしこまった会場で、全席着席で、しかもバラード公演となると客層がそっちに偏るのは当然だ。(そもそもが年齢中央値48.6歳という恐ろしい国。恐ろしい状況。何をもって高齢者と括ればいいのかもよく分からない。)バラード曲だけをソロ・ピアノで演奏するという、上原ひろみさん曰くマニアックなコンサート。Sonicwonderlandツアーとは打って変わって、静寂、沈黙が相応しい、ある程度の厳かさが求められる公演だった。完全に別競技。上原ひろみさん曰く、自身がテレヴィジョンで数秒だけ紹介されるときはすごい顔でピアノとファイトしているような映像が使われがち。(前にブルーノート東京でバラード公演を観たときにも同じことを言っていた。)ピアニッシモの小さな音もパンチと同じくらい、もしくはそれ以上に好き。彼女はステージに現れた時点から21日(木)に国際フォーラムで観たのとは別人のようだった。落ち着きのある服、上げていない髪。Sonicwonderの激しいダンス・ミュージックとは完全に異なることをやるんだというのが一目瞭然だった。どれくらい静かだったかというと、私の一つ後ろの列にいた誰かの、鼻くそによって笛となった鼻のピーピー鳴る呼吸音が気になったくらいである。それはまだいいとして、さすがにそれはないだろうというレヴェルで咳き込み続ける紳士がいた。しかもそういう奴に限って前の方のいい席にいやがる。聴いている私の集中でさえ途切れかけたので、演奏に影響が出たとしても文句は言えなかった。百歩譲って咳は生理現象だから仕方がないかもしれない。もっと酷かったのはバターン!って大きな音を立てて何かを床に落とす奴。同一人物かは分からないが何度も。今日の公演を鑑賞するのに適していない人々が一部にいた。キース・ジャレットさんのコンサートじゃなくてよかったな。キース・ジャレットさんだったらプッツンして演奏を中断していたであろう場面が何度かあった。上原ひろみさんは優しいから不機嫌になることも苦言を呈することもなく、むしろトーク中にクシャミをした人に対して「大丈夫ですか?」といつもの温和な調子で尋ねて会場の空気を和ませていた。毒がまったくない。このお方は菩薩か? 私はこの類のことに神経質なほうではないつもりだ。むしろ開演してしばらくは、観客が多少の物音を出すのはしょうがないじゃないか。そりゃ人間を何百人も集めたらこうなるよ。コレがイヤなら無観客でやれっていう話やでと寛容な気持ちでいた。だが、時間が経つにつれお前らもうちょっと我慢できねえのかよ、そんなに体調が悪いなら来るなよという呆れが生まれてきた。最終的には許した。おそらく彼らは身体中の筋肉が弱くなって色んなものが外に出るのを抑えられず垂れ流しになってしまうのだろう。本人としてはどうしようもないのだろう。上記の物音はSonicwonderのツアーであればまったく気にならないどころか聞こえさえしなかっただろう。それくらい違った。ただ、バラードであってもそこにグルーヴはあった。演奏している上原さんと同じように、私も頭を揺らしながら聴いた。即興演奏の興奮もあった。サブ・ジャンルは違えど、それはたしかに上原ひろみさんの音楽であって、ジャズであった。今ココでしか逢えない音を皆さんと探しに行きたいと思います、というコンサートの度に上原さんが発する常套句は今日も健在だった。“Nostalgia”→“Blue Giant”→“Place to Be”がシームレスに繋がるM.6には唸らされた。新曲“Pendulum”の初披露に居合わせることが出来たのは嬉しかった。アンコールを受けてその新曲を演奏し、それで終わりかと思いきや始まる次の曲。何かと思ったら『蛍の光』(セットリスト上は“Auld Lang Syne”)。茶目っ気たっぷりで贅沢極まりなかった。この公演だけでなく、2023年を気持ちよく締めくくってくれる印象深い演奏だった。終わると見せかけておきながら続けたり、テクニカルな連打をしてみたり、こちらの反応を楽しむように緩急をつけたり遊びを入れてきたりするのが、さながら凄腕の手コキだった。

2023年12月29日金曜日

赤と黒 (2023-12-24)

朝から眠い。頭が回らない。タカセで“Hidden Valley Road” (Robert Kolker) を開くもほとんど読み進めることが出来ず。心当たりはある。ザック・ニキことZachariah Bealesanさんのゲーム実況動画を観ていた昨日の寝る前。『誘拐事件』。このゲーム、激しく面白い。チラズ・アート社の最高傑作ではないか。(同社の『閉店事件』も印象的だった。ザック・ニキの実況プレイ動画はコチラ。)とにかくクリエイティヴ。ホラー・ゲームなのだが遊び心たっぷりで。ゲームの中でゲームが始まるのが好き。小説の中で実在する本が出てきて登場人物がそれを読んだり、物語の中に筆者が割り込んできたりするのも大好物。よくないとは分かりつつも途中でやめることが出来なかった。最後までハラハラ・ドキドキしていた。その後にタッピング瞑想をして興奮を鎮め、すぐに寝付くことは出来た。耳栓もつけた。問題なく熟睡できたつもりだった。でも影響はあったのだろう。

めいめいが出演する終演後のトーク・ショウがあるので今日の公演に申し込んだ。そういえばファンクラブ先行で当たったものの振り込みを失念していた。振り込み期限の翌日にファンクラブの担当者からキツめなメールが来た。すぐにりそな銀行のアプリから振り込んで平謝りの返事を入れたが、それに対する返事もややキツかった。でもさ。私は2017年5月からめいめいのファンクラブに入会していて、振り込み忘れなんて6年半で初めてだよ? 当選したらいちいち手で振り込まないといけない以上、ミスを100%なくすことは出来ないよ。こういうことを繰り返しているとか、メールを送っても返事がないとか、そういうときに強く出るのは分かるけど、初手であの書き方はちょっとないんじゃないかと思った。でも理解は出来る。若い人なんだと思う。労働の経験が浅い人ならではの一本槍なスタンス。強い立場にいるからすぐに強く出ればいいと思っている。機微が分かっていない。私も通ってきた道。(でもその割にそっちもちょくちょく細かいミスがあるよね? 同じ担当者か分からないけど。)私も若い頃だったら、こういうとき相手にちょっとキレ返していたかもしれない。そもそも毎回手数料払わせて振り込ませてんじゃねえよ。いい加減クレジット・カードに対応くらいしろやくらいのことをオブラートに包んで。もうそんなことはしない。感情の無駄遣いはしない。すみませんでした。ご対応いただきありがとうございます。今後は気をつけます。という感じで収めた。そういうことはあったけど結果としては無事にチケットを手に入れた。

12時半開演。微妙な時間。昼ご飯を急いで食べて会場入りする必要がある。東京芸術劇場。池袋。あのグローバル・リングがある所。そこの二階。近くの楊2号店で汁なし担々麺。JPY900。カウンター。右にいた紳士が麻婆豆腐、ご飯、水餃子、汁なし担々麺、焼き餃子をお一人で召し上がっていた。久々に観るミュージカル。10月にめいめいの一人芝居コンサートを観ているけど、それを除くと6月25日(日)のダ・ポンテ以来だ。入場した瞬間から、ああなんか久しぶりだな、この感じと思った。それは私にとって居心地の悪さを伴うものだった。変に厳粛で物々しい。陰気で抑圧的。撮影禁止と書かれたボードを掲げる、こういう会場特有の、マスクで顔を覆った女係員たち。アクション・ゲームで特定のステージに無数に配置されるモブ・キャラのようだ。どこからどうやってリクルートされるのだろうか? 公演中は私語をやめろ、撮影するな、などと念を押す場内放送。別に言っている内容が間違っていると言いたいわけではない。私語や撮影を自由化しろと言いたいわけではない。この世界ではそれが正しい。ミュージカルって観客が積極的に参加して作り上げるではないものね。観客の反応を見ながら即興で内容を変えるものでもないし。観客が変に声をあげたらステージ上の世界をぶち壊してしまう。だから向こうにとって大切なのはいかに我々を最後までおとなしくさせるか。いかに我々を押さえつけるか。いかにつつがなく最後まで無事故で公演を終わらせるか。それがココでは正義。そういうもの。繰り返す。それを否定するつもりは一切ない。ただ、久しぶりに来て気が付いた。私がライヴ・エンターテインメントに求めているのはコレではない。私がライヴ・エンターテインメントを必要としている理由。それは労働生活で自由に表すことが出来ない喜怒哀楽を解放する場所が必要だから。なんでわざわざ自由なはずの時間に、仕事で得たお金を使ってまたコントロールされないといけないんだ。私は出来上がった作品を映画を観るようにただおとなしく受け取るためにライヴ・エンターテインメントに足を運んでいるのではない。私はそのとき限りの奇跡を味わいたい。その一部になりたい。私が欲しているのは熱狂なんだ。めいめいがミュージカル女優を続ける限り、これからも氏が出演するミュージカルを観に行くことはやめるつもりはない。だが、氏を度外視してこの世界に深入りすることはないだろう。

12月21日(木)の上原ひろみさんのコンサートでは眠気がいい方向に作用したが、今日はそういうわけにはいかなかった。ちょっと眠すぎた。20分の休憩時間には歩いたりストレッチをしたりしたが、それでも眠気が抜けなかった。話の内容にもそこまで興味を持てなかった。音楽も特にはまらなかった。予習としてSpotifyで本家のサウンド・トラックを一度だけ聴いた。二度目は聴いていない。舞台は19世紀のフランス。分からない。20世紀後半以降のアメリカ合衆国のことなら多少かじっているので、この頃はこういう時代だったよなという自分の知識と照らし合わせながら観ることが出来るが、フランスに興味を持ったことがない。私の隣で観劇していた淑女が、どうやら感激して泣いていたようだ。単に鼻をすすっていただけの可能性もある。根が紳士に出来ている私はジロジロ見なかったので確認できていない。泣いていたと仮定しよう。私の感覚ではアレで泣くのはちょっと分からない。でもそれは私がまだそのレヴェルに達していないからだ。おそらく彼女にはこのミュージカルに感情的に入り込めるだけの素養が備わっているのだ。たとえば原作の小説を読んでいるのかもしれない。何も知らずにただめいめい目当てで観に来た私とは魂のステージが違うのだ。一方で彼女は、私が6月10日(日)の明治安田生命J1リーグ第17節、横浜F・マリノス対柏レイソルで後半52分に宮市亮さんが劇的な逆転ゴールを決めた後に狂喜乱舞し涙を流したことを理解できないだろう。なぜあのとき私が泣いたのか。それはあのゴールを点ではなく線で見ていたからである。再三の負傷離脱に苦しめられ、引退する意思を撤回し復帰したばかりの宮市さん。小暮トレーナーに支えられながら続けてきた苦しいリハビリ。後半45分の時点で2-3で負けている苦しい試合展開。リーグの優勝争いにおけるこの勝利の重要性。そういったさまざまな点が線となって私の中で繋がったからこそ、私は泣いたのである。『赤と黒』で泣ける人にも、おそらくその人なりのストーリーがあるのだ。

めいめいが登場したのは休憩明けの第二幕(後半)からだった。氏だけを目当てにJPY13,500のチケットを買っている身としては苦しかったが、かなりいい役ではあった。めいめい独特の華があった。第二幕が始まった途端に空気が変わる感じはあった。ちょっと前の横浜F・マリノスで後半から仲川輝人さん、マルコス・ジュニオールさん、オナイウ阿道さん、エリキさんらが出てくるような凄みとワクワク感があった。主演の紳士(三浦宏規さん)はどこか扇原貴宏さん感があるなと思いながら観ていたら終演後のトーク・ショウでは扇原さん同様に関西弁だった。関西のイケメンの系統。めいめいは家のテレビが映らないらしい。屋根裏にはネズミがいる。最近はネズミの消毒業者とテレビのアンテナ業者がよく家に来るという話でステージ上と客席から受けを取っていた。

2023年12月27日水曜日

上原ひろみ Hiromi’s Sonicwonder JAPAN TOUR 2023 “Sonicwonderland” (2023-12-21)

毎朝モーター・サイクルのエンジンを爆音で入念にふかしてから出かける近隣住民。家のすぐ前にあるゴミ捨て場にゴミを捨てる音。特に火曜日、ビン・缶の日。時間を問わず常に行き交う人々と自動車。ときおり発生する異常者のわめき声。通報を受けて車と自転車で駆けつけるポーの物音と話し声。深夜早朝にその辺でえずく紳士。この町に越してきて一年半。知らず知らず妨害されてきた睡眠。だましだましやり過ごすのはやめるべきだと考えるようになった。耳栓をつけて寝るようにしたら上記の音がどれも気にならなくなった。最初に使った耳栓は何時間もつけると痛みやかゆみが出てきた。MOLDEXのメテオというモデルに変えてみたところ、その問題がなくなった。12時間くらいつけても違和感はない。ひょうたんのようにくぼんだ形なので、耳への負担が少ない。MOLDEXの他のモデルに比べると遮音性は低いものの、睡眠中に上述の騒音から逃れるには十分である。200ペアをアマゾンの定期便に追加した。難点はアラームもほとんど聞こえなくなることであるが、私がアラームをかけることは稀なため問題はない。私にとって耳栓をするのと音楽を聴くのはある意味で同じ行為である。世の中の聞きたくない音を遮断しているのだ。

仕事の状況が落ち着いている。16時半に在宅業務を切り上げて有楽町に向かう。公演の前に軽く一杯ひっかけた方がいいのではないかと思っていた。理由は前回の記事を読んでもらえれば察してもらえるはずだ。客席のヴァイブスがあのときの再現になるならアルコールでも入れておかないと飲まれてしまうだろう。しかし考えた結果、お酒は我慢した。お酒は昨日飲んだし、明日も飲むからだ。昨日は会社の忘年会。生ビールをグラス2杯、赤ワインを3杯くらい。明日は前の会社で仲がよかった同期二人と忘年会。(池袋ナンバー・ワンの中国料理店、太陽城。)いわゆる町中華と呼ばれる日式の中華料理店に入った。多くを期待できないのは承知の上。有楽町駅のすぐ近く。JPY850だかJPY880だかで定食を出している。周囲を散策してもめぼしい店もない。中途半端にJPY2,000だのJPY3,000だの払うよりはココでおとなしく定食を頼んだほうがいいだろう。卵とキクラゲ炒め。見事なまでに期待を寸分も上回らず、下回りもしない。コレはコレでひとつの芸当と言える。

思い返す、2週間前。同じ会場。国際フォーラム Aホール。来場者の大多数を占める、羊のような客たち。それが今日は一転して大熱狂するとは考えにくい。その羊たちの群れから脱することが出来ない自分のふがいなさ。また同じ悔しさを繰り返すことになるのだろうか。そもそも水曜、金曜と忘年会があって、日曜日にはめいめいのミュージカルを観に行く。そして上原ひろみさんに関してはまた28日にコンサートを観に行く。このツアーとは別の公演だが。今日の自分がそこまでコンサートを欲しているわけではない。チケットを誰かが買い取ってくれるなら売ってもいいくらいのモチベーション。若干ダルいなと思いながら会場に向かい、席に着いた。今日は12列目の右側。19列目だった前回よりはステージに近づいた。距離としては渋谷のときと同じくらいだろうか。今回も左が男女カップルだ。開演し、ステージに現れる上原ひろみさん、アドリアン・フェローさん(ベース)、ジーン・コイさん(ドラムス)、アダム・オファリル(トランペット)さん。感情のこもらない拍手で迎える私。始まる一曲目。はいはい“Wanted”ね。とそこまでは気分の高揚がなく、醒めていた。

不思議なもので、そこから大きく巻き返した。客席のヴァイブスは2週間前と大きくは変わらなかった(でも声を出している人は前よりも多かったかな?)。良くも悪くもインテンシティの高くない人たちも多く観に来ている。良くも悪くも、と書いたのは良い点もあると気づいたからだ。私と同じ列に、小さな娘さんとその母親らしき淑女の二人組がいた。たしかにこういう層が来やすい場として、着席会場での公演には意味がある。彼女らに渋谷のスタンディングは難しい。客席にいる少年・少女の中に将来の上原ひろみさんがいるかもしれない。視界に入る観衆を見て、おかしいなと思うことはあった。だってこのバンドの音楽は曲によっては本当に激しいダンス・ミュージック。着席とはいえほぼ全員が刑務所の慰問コンサートよろしく微動だにせず聴いているのは不可解。とはいえさほど気にならなかった。周りがどうこうではなく自分が如何に楽しむかに意識を集中できた。要因として第一に、12月7日(木)に同じツアーを同じ会場で観て、雰囲気を掴めていたこと。分かっていたので一から失望することはない。それを踏まえた上で自分がどう振る舞うかに頭を切り替えられた。あの一回目があったからこそ今日の二回目をココまで楽しむことが出来た。12月7日(木)の一回だけなら消化不良で終わっていた。第二に、昨日の飲酒による睡眠の浅さ。耳栓の効果もあってよく眠れたつもりだった。中途覚醒もしなかった。でも睡眠の質は低かったのだろう。この時間に眠気が来ている。ただ、今日に関してはそれがいい方向に作用した。眠いけど居眠りしてしまうほどではない。ほどよいけだるさ。雑念なしに、無駄に考えることなく音の世界に浸ることが出来た。素晴らしいツアー千秋楽を全力で楽しむことが出来た。

同じバンド、同じツアー、同じ会場、同じ開演時間、同じ曲目。なのに2週間前に聴いたのとぜんぜん違う。分かっていたつもりだが、頭のどこかにまた同じコンサートを観に行っているという考えがあった。それは間違っていた。すべてのコンサートが本当に別物。そのときだけの奇跡。二度と再現されることはない。いつ行っても同じ60-70点を提供する町中華とは違って、どの公演でもそのとき限りの100点を叩き出す。それが上原ひろみさんのコンサート。彼女のプレイはいつになく激しかった。前回も素晴らしかったけど、ひときわ情熱的で、幾度となく感情を揺さぶられた。アドリアン・フェローさんによる圧巻のベース・ソロも印象的だった。私は前回より何段階か感情を解放することが出来た。フー!とYeah!を何度もやった。歓声を浴びせる観客には大別してフー!オジサンとYeah!オジサンがいる。フー!オジサンは基本的にフー!しか言わない。Yeah!オジサンは基本的にYeah!しか言わない。私はフー!オジサンとYeah!オジサンを兼ねるポリバレントな選手としてコンサートのヴァイブスを高めた。その貢献度たるや2022年の横浜F・マリノスでセンター・バックとボランチを兼任した岩田智輝さん(現・セルティックFC)の如くであった。もっとも別に歓声がフー!かYeah!である必要はなく、本当はたとえばすげー!とか見事だ!とか何でもその場で思ったことをそれぞれが口に出して拍手すればいいんだろうね。それはジャップが苦手なやつ。

2023年12月23日土曜日

緊急開催‼ 2023年ゆいののラスト主催ライブ (2023-12-10)

Q. 明日のゆいののに友達を誘ったんだけど500円くじの内容に引いて難色を示している……初見の人向けにオススメポイントを教えて!
A. あはは(笑)。そりゃそうだろうな。そんなの…あんなの見たら、まず初見さんは頭がクレイジーな人しかこんやん。あれは。え…オススメポイント? ……ライブ楽しいよ。……可愛いよ。可愛いよって言ってやって。想像し得る5倍は可愛いゾって言っといて。

前日の夜にゆいチャンが17LIVEで始めた配信。初めてコメントを送ったら読んでくれた。以前はTiktokを開けば毎日のようにKissBeeさんの誰かしらが配信をしていたが、今ではプラットフォームが17LIVEに移っている。17LIVEになってからは一度も覗いたことがなかった。あわよくばF君を明日のコンサートに誘う言葉をゆいチャンご本人から取りたかった。F君はゆいチャンのご尊顔にご興味を示されていたことがあるので、一度ナマで見てもらいたかった。なのでお誘いした。最初の反応は悪くなかったが、徐々にF君は尻込んでいった。その原因となった500円くじの中身は以下の通りである:

ゆいののはさみビンタ 3本
ケツバット 15本
しらはどり 10本
顔らくがき 5本
ゴム手ふくろビンタ 6本
ドリアンチョコ(お箸で) 5本
強制私物サイン 5本
強制帰宅 1本

50本限定の500円くじ。上記を見て分かるように当たりしか入っていない。私からすると「こんな機会またとない 全開のサード・アイ 遠慮などない」(たぶん我リヤのQさんのリリックだったと思うけど出典が分からん。検索しても出てこん)のだが、まだインターネット上でゆいチャンの画像を何度か見たことがある程度のF君には重すぎたようである。結局、彼が墨田区のWALLOP 3F STUDIOに姿を見せることはなかった。かくいう私にとっても決して敷居は低くなかった。ゆいチャンと面会したのは一度のみ。覚えられているわけではない。そしてKissBee現場はおまいつの率が高い。私はその誰とも知り合いではない。ゆいチャンにとってはあなた誰? お互いが顔見知りのヘッズたちにとってもあいつ誰? という状態で単騎で乗り込み、ケツバット、しらはどり、ビンタなどが当たるくじを購入するのは勇気がいる。この行為はイル。でも人生は一回。今日と同じような催しが再び開かれる保証もない。こんなくだらないことでいちいち奥手になってどうする。あいにくアイドルさんを観に行く程度のことで臆病になる時間はもう私の人生に残されていない。何とかなる。何となくスゴく楽しい時間になる予感がしていた。

開催が発表されたのは当日のわずか6日前だった。たしか予定されていたリリース・パーティがなくなって急に空いたとか、そういう感じだったと思う。12月4日(月)に開催することが、12月5日(火)に詳細がそれぞれ発表され、12月6日(水)20時からチケットが発売された。発売開始と同時に同時にtiget.netにアクセスし購入手続きを進めた。A19番だった。ちょうどいい。近距離でゆいチャンとののかチャンを拝める。かといって最前は望めない。仮に私が最前に行った場合、暗黙の指定席を奪われたおまいつと揉める可能性がゼロではないだろう。その心配がないのはいい。イリーガルな世界にも守るべきルールがある(AKB48、『JJに借りたもの』)。いきなりノコノコと余所様のホーム・グラウンドに現れて芝生を踏み荒らすのは得策ではない。

中央付近の三列目(別に列があるわけではないが)を確保できた。皆さん意外と番号を守っていて、マイメンに目配せして最前に割り込むような紳士は一人もいなかった。私が前に観に来たゆいののの公演だったかな、そのときは「当日券だけど気付いたらココにいた(笑)」「お前なんで当日券で最前なんだよ(笑)」という会話が繰り広げられていた。なぜか今日はそれがなかった。こんな近くでゆいののを鑑賞できるなんて楽しみだなあと心を躍らせる。ステージに現れるゆいチャンとののかチャンを視界に捕らえた瞬間、度肝を抜かれた。い、い、衣装が……! 遙かに上回る想像と期待。いいの……?! 往年の℃-uteさんに匹敵する肌面積。近代麻雀水着祭りであれば水着、譜久村聖さんの写真集で言えば部屋着に分類されるくらいの。ゆいちゃんは曲中、おへそが丸出しになっていた。こんなことは知らされていなかった。望外の喜び。棚からぼた餅。生まれて来てよかったわ(℃-ute、『キャンパスライフ〜生まれて来てよかった』)……。めいめいが秘密クラブというイベントをやっていたけど、こっちの方が本当の意味で秘密クラブだ。むやみに外部の一般世界に発信しすぎてはいけない。そもそも日本のアイドル産業自体がそういう性質を持っている。よく若手アイドルさんが世界で有名になりたい的なことを無邪気に言うけど、西洋社会に本格的にバレると業界全体が存続できなくなる可能性がある。あいつらはそれを分かっていない。

刺激的な衣装がヘッズの心に火をつけたのか、フロアの火力は最初から最大出力だった。ゆいチャン! ゆいチャン! おーれーのゆいチャーン! と何度絶叫したことか。(もちろん、ののかチャンにも叫んだ。)一般的な男性が人生でゆいチャンと叫ぶ量をこの60分で軽く凌駕した。周囲の先輩たちが完璧に仕上がりまくっていて本当に気持ちがいい。自分も含め全員が腹の底から大絶叫している。耳には悪い。でも耳栓をするの野暮だ。コレで多少、耳が悪くなっても悔いはない。Hello! Projectに比べてコールは遙かに難しい。Hello! Projectでは基本的にオイオイ言っていれば八割、九割方は問題ない。しかしKissBee現場ではオイは基本4回で終わる。その後に複雑怪奇なサイバーファイバージャージャー的な叫びが入る。曲によってさまざまなパターンがあって、何回か通えば覚えられるという域を超えている。事前に台本を用意してもらわないととてもじゃないが私には参加できない。ただ、声を出せるところは出した。『クック=ドゥードゥル=ドゥー』ではゆいチャンとののかチャンから、「田んぼのたは太鼓のた!」「カレーは飲み物(パンと手を叩く)ではない!」というコールをしてほしいと事前に説明があった。「田んぼのたは太鼓のた」? 違いますよ? と私は思った。意味は不明だがやってみるとバカバカしくて楽しかった。ジャンプもしまくった。どの曲かは忘れたがフロアで発生した、輪を作って真ん中に一人が入る集団的な動きでは、輪の構成要素になった。最初から最後までずっと熱狂、絶叫、yes yes y'all(リアルスタイラ)状態のフロア。ステージ上の二人の歌なんか誰もまともに聴いちゃいねえ。

コンサートが3F、特典会は2Fで行われた。2Fに移動する途中で、入場特典の「ゆいのののありがたいお言葉しおり」が配布される。コピー用紙をしおりサイズに切ったものに「富士山はデカイ。」と書いてあった。衣装を目にした瞬間から、この衣装のゆいチャンと写真を撮らないわけにはいかない。それもチェキじゃなくてiPhoneで。と思っていた。そして例の500円くじはもしおまいつが買い占めていなければ1枚買おうと。500円くじ1枚と、特典券10枚の束(1枚おまけで付いてくる)JPY10,000を購入。くじを開くと「ゴム手袋ビンタ」と書いてあった。ある紳士が近くのお友達に帰りてーなーと言い、自主的に帰ってください。(くじで強制帰宅を引かなくても)そこの出口から帰れますからと突っ込まれていて可笑しかった。(強制帰宅はおまいつらしき方が当選。ビンタを受けてからその場で帰宅させられていた。やましんさんもヘッズたちも盛り上がっていた。氏が当選してよかった。知り合いの居ない私が引いていたら目も当てられない。)ゆいチャンの列に並ぶ。係員の婦人にビンタの様子を動画(特典券2枚で10秒動画というのがある)に出来ますかと聞いたら出来ませんと言われた。くじのビンタと、写メをオーダー。特典券1枚を婦人に渡す。ビンタと写メどちらを先にするかと聞かれ、えーっと…と一瞬迷っているとビンタを先にしましょうと彼女が決めてくれた。ビンタ時にゆいチャンが着けたのはゴム手袋ではなく、透明のプラスティック手袋だった。眼鏡を外し、ゆいチャンのビンタを受ける。大丈夫? 何かスゴい罪悪感が…なぞと気にしていたが、ぜんぜん痛くなかった。もっと強くやってほしかった。でも嬉しかった。ビンタを受けた後に係員に撮ってもらった写メに映る私は、いい笑顔をしていた。

比較的小さな活動規模のアイドルさんは地下アイドルと括られている。KissBee(ゆいチャンとののかチャンが属する元集団)は一応、そこに属するのだと思う。(最近ではライヴ・アイドルという言い方もするようだ。)一昔前の地下アイドルというと、プレイヤーたちは基本的に皆メジャー・シーンに成り上がりたがっているという前提があったように思う。そして地下アイドルというのはある種の蔑称でもあったように思う。その根底には芸能活動の規模は大きければ大きいほどいい、有名になればなるほどいいという価値観があったのではないか。まだ日本に「お茶の間」が存在し、国民の娯楽の中心がテレヴィジョンで、金・地位・名声がそこに集約されていた頃。国民の何十パーセントもが同じ番組、同じ音楽、同じ芸能人たちに夢中になっていた頃。その構造が(完全にはではないが)崩れ、ニッチな娯楽が乱立しているのが今。(ちなみに無学な人たちはこういう現象についてさえ今は多様性の時代ですからね〜なぞと流行りの言葉を使って分かったような口を聞くが、関係ないから。Diversityという概念がなぜ西洋社会で重視されるようになったのか、アメリカの人種差別の歴史から勉強しろ。人それぞれとか個人の自由と言えば済む話を、いちいち多様性の時代とか言うんじゃねえ。大体、何とかの時代ですからなんてのは理由の説明にもなってねえんだよ。)

WALLOP 3F STUDIOのキャパシティは98人らしい。フロアは満杯にはならず、後ろの方はほどよい空間があった。この大きさの会場で完売までは行かないけど採算が(おそらく)成り立つくらいにはチケットと特典券が売れる。この規模だからこそ成り立つ自由さ、大らかさ、過激さ、楽しさ、異常さ(異常なオタク、異常なアイドルさんの共犯関係)がある。それは強く実感した。大きければ大きいほど、有名であれば有名であるほど、ファンが多ければ多いほどいいということではない。活動の規模によって出来ること、出来ないことがある。大は小を兼ねるわけではない。Hello! Projectではこんな急にコンサートが決まるフットワークの軽さは望めないし、100人規模の会場でも売り切れの心配なく近距離でメンバーさんを観ることは出来ないし、メンバーさんにビンタをしてもらうことも出来ない。一方で、KissBeeではHello! Projectのように数千人規模の会場である程度のお金をかけた盛大なコンサートは出来ない。コンサートの円盤も発売されない。それぞれの良さがある。一つのモノサシで、どちらがどちらに比べ劣っているという比較は出来ない。

2023年12月17日日曜日

上原ひろみ Hiromi’s Sonicwonder JAPAN TOUR 2023 “Sonicwonderland” (2023-12-07)

Catarrh Nisinと書いてカタル・ナイシン(語る内心)と読ませるアーティスト名からしてイカしてる。宇宙忍者バファリンさん経由で知り、アルバムを聴き、ハマった。私が一番好きなタイプのラッパーと言っていい。ラップを通して業界に属する同業者たちを一網打尽。メタ的な歌詞。素直な表現。たしかな技量。群れない姿勢。時代に受けるものではなく自分が作りたいものを作る職人気質。本来であれば“Sonicwonderland”を聴いて気持ちを高めるべきだが、カタル・ナイシンさんを聴きたい衝動が抑えられない。
フォロー数ゼロとか一桁にしてイケてるアーティスト感出そうとする
注目され出した途端連絡返さなくなったりとかゾッとする
虚栄心モリモリのオードブル
寒すぎエマージェンシー高度ぶる
断捨離判定 損得の有無
切り捨てられるロートルとクズ
(Catarr Nisin, “No Mercy”)

17時半開場、18時半開演。有楽町。『孤独のグルメ』の井之頭五郎さんよろしくどの店に入ろうかなぞとのんびり迷っている時間はない。駅の近くで目に入った看板。ふくてい。ステーキ・カレー。JPY800。ココにする。昔、一度入ったのを覚えている。約何年経ったろう(OZROSAURUS, “AREA AREA”)と思い自分のツイログを遡ると2014年12月6日(土)だった。ちょうど9年前のこの時期。そのときも上原ひろみさんのコンサートだった。アルバム“ALIVE”のツアーね。9年経って同じ場所で同じものを食ってから同じ人のコンサートを観に行くのが可笑しくなった。当時の味なんて覚えちゃいないから比較は出来ないが、9年ぶりに食べたステーキ・カレーはシンプルで何の変哲もなく、量が多いわけでもなく、こんなもんかって感じだった。9年前はJPY600だった。JPY800となると高くも安くもない。コロッケをつけてJPY950。

ソフト・ドリンクでもいいから何かしらを一杯飲んでチルしたかったが時間的に断念。東京国際フォーラム、ホールAへ。この間の渋谷で買ったTシャツを実際に着てみて気に入ったのでオートミール色を追加購入。JPY3,500。今日の席は1F19列。比較的前方の右側ブロック。とはいえ約5,000人を収容する巨大会場。旧SHIBUYA ON AIR EASTのときに比べるとステージは遙か遠く。(その代わり左右に超巨大ヴィジョンがあって、演者さんたちの細かい表情や動きを見ることが出来た。)私の席に先客が。尋ねると席を間違えていたとのことで、何度も謝ってきた。いえいえ、とんでもないです。礼儀正しい方だった。その方はご家族連れのようだった。私の左も男女カップルだった。客席は全体的に上品で分別のありそうな雰囲気が充満していた。いいトコに勤めてそれなりの地位を得ていいお給料をもらっている感じの。私たちは余裕があるんですよという感じの。渋谷とだいぶ客層が違うように感じた。なんだかむずがゆい。何となく居心地の悪さがあった。左の男女は公演中の手拍子をほとんどせず。地蔵。そういう奴ばっかなの。しかも立ち見のライブハウス(和製英語)と違って全席指定の着座だと、ヴァイブスが違う人たちから逃げられないからさ。

良いプレイがあったら何かしら反応してほしい、と上原ひろみさんはいつもの嫌みのないにこやかでおっとりした調子で我々に話しかけた。曰く日本に来る前にこのツアーでアメリカやヨーロッパを回っていた。向こうのお客さんはスゴい。空気を読まない。皆さんも空気を読まないでほしい。そう言われても、ははは……(愛想笑い+拍手)というぎこちない反応しか出来ないのが我々ジャップの実情である。その土俵でアメリカやヨーロッパのヘッズと比較されると厳しい。ジャップには勝ち目がない。どうしても他人の視線や空気を気にすることから逃れられない。誰かに導いてもらわないと自分がどうしたらいいのかも分からない。コヴィッド騒ぎが世界一長く続いた国ですよ。それを受け入れ続けた国民ですよ。マスクひとつでさえ国からの号令があってようやく恐る恐る外し始めた国民ですよ。この会場にいる人たちも当事者ですよ。2023年12月になっても感染対策がどうのとか、検査して陽性だったとか陰性だったとか言っている人たちがいるんですよ。
東南アジアでさんざん遊びまわってもっとおっかないエイズに罹ったやつが、「私、コレラ菌は持っていませんよ」といってるんだから大笑いさ。本当ははるかにスゴい病気が蔓延しているのに、みんな衛生局員みたいになってコレラ菌の消毒に精出している(ビートたけし、『だから私は嫌われる』)

先々週の旧SHIBUYA ON AIR EASTが恋しい。あのときの熱狂がココにはない。羊のような客たち。渋谷はスタンディングだから盛り上がったという面もあるかもしれないが、かといって仮に今日の客たちがあの場に行ってもあんなに熱い空間を作り上げたとは思えない。棒立ちの傍観者にしかなれない人たちが大半だろう。歯がゆい。自分も羊の一員なのが何よりも悔しい。雰囲気を打破することが出来ない。何となく合わせてしまう。このツアーは渋谷だけ行けばよかったのではないかという思いが頭の隅にちらつく。ビートたけしさんが前掲書で書いていたように、このジャップの行動倫理は人口密度が異様に高い島国でお互いがストレスを溜めないようにというところから来ている。それを海外と単純に比べて一概によくないとは言えない。これが日本のよさとも繋がっている。それを踏まえた上でも私は、高尚で素晴らしいアートを受け身で鑑賞しに来ているようなこの客席の雰囲気があまり好きではない。なぜなら、それはこの音楽を本当に理解しているとは言えないからだ。礼儀正しく静かに聴いて曲が終わったら拍手をしていればいい、そういう音楽ではない。上原ひろみさんの音楽を本当に好きで聴いていれば、ただ黙って聴いているのが決して礼儀正しくはない、むしろ無礼だと分かるはずだ。良いプレイがあれば即時に惜しみない歓声と拍手を浴びせる。フットボールでもMCバトルでもそうであるように、ライヴ・エンターテインメントでは観客の反応も一部なんだ。映画を観るのとは違うんだ。

そのためには前提として、何が良いプレイなのかを私たちが理解しなければならない。みんなが拍手しているから何となく合わせて拍手しておく、ではない。よそ行きの場ではお行儀よく、かしこまっておとなしくしていれば間違いはないという行動規範を身につけた日本的な優等生。渋谷のラヴ・ホテル街のど真ん中にあるライブハウス(和製英語)と違って、こういうちょっとハイ・ソな場所だとそういう観客が多くなるのだろう。でもそれは必ずしも良き観客ではない。もちろん、それがたまたまハマる場合もある。たとえばクラシック音楽を聴く場合とか、ミュージカルを観る場合はそれでいいのだろう。でもジャズ、特に上原ひろみさんの音楽とその態度の相性はよくない。ジャンルに応じた立ち振る舞い。その前提となるジャンルに対する造詣の深さ、理解。明治安田生命J1リーグを観ていても思う。ゴール裏の人々と地蔵(後方彼氏面)の中間層が薄い。自分の意思で、周りに関係なく、個人として、観ているものに心からの反応をしている人が少ないのだ。ゴール裏の人たちが必ずしもそれをやっているわけではない。彼らは彼らで、リーダーに統率されて決められた歌やチャントを歌っている。DAZNで試合を観ていると、すぐ目の前で自分たちのチームが失点していたり、相手チームの選手が危険なタックルをしたりしているのに、関係なく飛び跳ねて歌い続けているゴール裏の人たちが映ることがある。正直、滑稽である。

Hello! Projectを観ていたときにも思ったけど、会場の規模によって来る人の濃さが変わってくるんだよね。大きくなればなるほど客の強度が低い。大きな会場だと、端的に言うと見物客が一定数出てくる。それは仕方のないこと。旧SHIBUYA ON AIR EASTのときに感じたヘッズの熱量をそのまま東京国際フォーラム ホールAで実現するには無理がある。会場が大きくなればなるほど、普通の人々も来るってこと。おそらく上原ひろみさんの音楽を聴いていない人(誰かに連れられて来た人)もそれなりにいたのだろう。スキモノが集まった異常な空間ではなくなる。異常者濃度が薄まり、全体のヴァイブスが言うなれば平均的なジャップのそれに近くなる。

コンサートの後半になると客席に蔓延るぎこちなさとシャイさはある程度、緩和されてきた。何人かの勇者が度々、大きな声を会場に響かせて盛り上がりを演出していた。私も序盤から何度かフー!と好プレイや曲終わりに声を出したが、周囲に声を出している人がマジで一人もおらず、最後までやりづらかった。振り返ると、2014年の私はおとなしく聴いている側だった。本当はもっと歓声を送りたいのに…本当はもっと会場が熱くなるべき音楽なのに…というむずむずする気持ちもそこまでなかった。この9年の間に、それだけジャズと上原ひろみさんの音楽を聴き込んできたということでしょう。

渋谷のときと違って途中で20分の休憩があった。X(旧Twitter)を開くと、母乳を冷凍販売する27歳女性の愚痴垢(Hello! Projectメンバーさんの悪口を言うアカウント)という新たなスターが登場していた。搾乳動画はJPY10,000で提供するらしい。スタア誕生 無感情な商売繁盛…(キングギドラ、『スタア誕生』)。よくもまあ、次から次へと輩出される逸材。Hello! Project支持者の層の厚さ。私にとってHello! Projectはアイドルさんを鑑賞する趣味から異常オタクを鑑賞する趣味へと変わった。

2023年12月9日土曜日

上原ひろみ Hiromi’s Sonicwonder JAPAN TOUR 2023 “Sonicwonderland” (2023-11-22)

ユートピア的な想像力は、この所与の現実を相対化し、変革するための支点として作用しうる。この閉塞した現実の彼方に措定された非在の未来像が、現実変革の実践のための不可欠の契機となる。ところが、「歴史の終焉」に伴うユートピア的な想像力の退化は、もはや現にあるものの乗り越えを意志せず、規定の現実の単なる惰性的な延長の追認に堕する。(木澤佐登志、『闇の精神史』)

 

「世界を変革せよ」という思想は忘れ去られ、代わりに「意識を変革せよ、人生を変革せよ」という思想が主流となった。仮に制度的な変化が期待できないのであれば、私たちにできることは資本主義とテクノロジーを最大限に利用することだけだ。(木澤、前掲書)

「この景色をずっと夢見ていて……壮観です」。感慨深げに上原ひろみさんはフロアのヘッズに語りかけた。何のことを言っているのだろう。もしかしてアレか、コヴィッド騒ぎのくびきから自由になった日本のヘッズを前に演奏するのはコレが初めてだったか。いや、違うか。ついこの間コットン・クラブでやっていたもんな。公演後の上原さんによるInstagram投稿に答えが書いてあった。彼女が夢見ていたのは、スタンディングの会場でこの音楽を奏でること。たしかに今日の旧SHIBUYA ON AIR EAST(新Spotify O-EAST)は特別だった。立ち見の会場ってのは当たり前だけど2時間、3時間と立ちっぱなしになる。クッションのある椅子に腰掛けるのに比べりゃ疲れるし、ストレスがかかる。それを知った上で、わざわざチケットを買って、平日の18時開場、19時開演に間に合わせて来る人々。決して分かりやすい音楽ではない。ここに集まった時点でスキモノなわけ。収容人数1,300人をフロアをほぼ隙間なく埋め尽くす人々。この音楽の価値が分かる人々がそれだけいる。東京の文化資本の底力を感じた。今日のヘッズは最初から最後まで熱狂的だった。みんなアルバムを聴き込んでいる。ファッションで来ているのではない。そういう人たちが集結した場だからこそ生まれる濃さがあった。この音楽ジャンルやアルバム“Sonicwonderland”を聴いていなければこんなにワーッてなれないし、そもそもなぜここでワーッてなっているかが理解できないだろう。分かる人だけに許される快楽。私も気持ちよく声を出し、手を叩き、身体を揺らすことが出来た。まだこの日本ツアー全18公演中の2公演目だけど、今日の渋谷が一番の一体感だったんじゃないか? この先の16公演でコレを超えることはないんじゃないか? 私はこのツアーは今日と東京国際フォーラムでの二公演の計三公演に入るが、この渋谷の熱狂を体感できただけでも十分と思えるほどだった。上原ひろみさん率いるSonicwonderlandバンドと今日フロアにいた我々は、単に演奏者たちと聞き手たちという関係ではなく、同じ音楽空間を共同で作り上げていた。石丸元章さんが『覚醒剤と妄想 ASKAの見た悪夢』で書いていたが、音楽によって我々は同じ妄想世界を共有することが出来る。音楽がもたらす一体感はプリミティブな感覚であり言語と意味を超越している。その領域に一歩は近づけた感がある。上原さんもsuper energetic audience!とInstagramで褒めてくださった。“Sonicwonderland”のサイケデリックな音。“Trial and Error”の上原さんによるアヴァンギャルドな即興演奏。“Up”における約13分にも及ぶドラム・ソロ。即興からの脱線。時に何の曲を聴いているのか分からなくなるほど。二度と同じ音はない。極上の音楽世界。宇宙に連れて行かれた感覚だった。木澤佐登志さんの『闇の精神史』で読んだサン・ラーさんに関する解説を思い出した。
サン・ラーと彼のアーケストラは、コズミックな演奏とパフォーマンスを通して、抑圧と絶望に満ちた地球、この狭量な世界からのイグジット(exit)を高らかに唱えた[…]彼らが目指した先は、地球の外部に遍在する広大な銀河系、宇宙という無限の空間に他ならない。宇宙、それは未知の領野であるのと同時に、そこにいつか帰らなければならない黒人にとっての真の「故郷=ルーツ」でもあるのだ。(木澤、前掲書)
資本主義とテクノロジーに支配され、逃避できるユートピアが社会から失われた現代。我々はその現実に対し、現実的に対応する必要に迫られている。一方で、合法的にトリップ出来る場は必要だ。それが私にとってはフットボールであったり、ジャズであったり、ミュージカルであったり、小説であったりするわけだ。

私は学生時代には渋谷の街をよく歩いていたが、最近はめっきり足が遠ざかっている。飲食店事情には明るくない。てきぱき動かないと18時の開場に間に合わなくなる。整理番号がカス(727番)なので多少遅れても問題はないだろうが、池袋でサッと食べていくことにした。最近KFCへの内なる欲求があったので久々(8月21日以来)に入ってみた。フィレ・サンド・セット。冷めたフライド・ポテト。ちっちぇーバーガー。クオリティ低い。これでJPY850は決して安くない。同じ鶏肉だったらキッチンABCで若鶏のソテー トマトソース(通称トマト)JPY950が格段に上。KFCがアレでJPY850を基準とするとキッチンABCのトマトは値段が倍以上してもおかしくはない。結果としては、渋谷で食ってもよかった。旧SHIBUYA ON AIR EAST(新Spotify O-EAST)に行くまでに上る道玄坂にちょっとした飲食店はいくらでもあった。開場時間の少し前に旧SHIBUYA ON AIR EAST(新Spotify O-EAST)に到着。定刻の18時で既に130番まで呼び出されている。入場時に周りのヘッズが着ているのを見て本ツアーのTシャツが売られているのを知る。黒とオートミールの二色展開。黒のサイズL。JPY3,500。買います。おそらく後日の公演で買い増す。JPY600と引き換えに渡されたドリンク・チケットを缶入りのハイネケンと交換。奥にもバー・カウンターがあるのを知ったときには引き返せないタイミングだった。本当はジン・ライムなりラム・コークなりを飲みたかった。さすがに727番となると既にめぼしい位置は埋まっている。ピアノの置かれた左側に人が集中している。右端付近ならまだ前方が空いているが、スピーカーに近い。それにアイドルさんを見るのと違ってレスがどうとかメンバーさんの身体を見たいとかではないから中途半端に前に行くこともない。段差のあるところでまだ前に一人しかいない場所を確保。正解だった。ステージ上が見やすかったし、周囲のヘッズも十分に熱があった。声を出しても好きに身体を揺らしても浮かない。人は密集していたけどそれが気にならないくらい自由な雰囲気があって心地よかった。