2021年7月10日土曜日

Rainbow (2021-06-06)

「最終面接でその会社の社長が言ってたんですけどね。人が年齢を重ねて変わっていくのと同じように、会社も変わっていく。法人と言うように、会社も人であって、人格があると。それが今でも頭に残っていて。本当にそうだよな、と。僕が会社に入って最初の何年か、それなりに仕事が充実していると思えていましたけど、それってそのときの上司とか、先輩とか、仕事を始めたばかりという自分の状況とか、色んな要素が組み合わさってそうなっていたんですよね。月日が流れていけば、そうじゃなくなっていくわけで。仮に同じ環境にずっといたとしても、同じ状態がずっと続いていくわけじゃないんですよね」
「あのときA社を去ったのは本当によかったのかなって、今でもたまに思うんだよね。A社の後にB社に行って、それで今の所に転職したわけだけど。B社にいたときはA社に戻りたいって思っていたし」
さんがよかったと思っているA社は、もうないんですよ。もう同じ会社じゃないです」
「ちょっと昔の恋愛の話をしていい? こういう話をするのは久し振りなんだけど」
「はい」
「中学校に入ったばかりの頃、大好きな女の子がいたの。ちゃんっていうんだけど。こいつと結婚したいとまで思っていた」
「中学生で」
「そう。中一だよ。それで何回かデートに行ったんだけど、周りの友達はさ、いやあ、そこまでの女じゃないよって言ってくるんだ。兄なんてお前と会う前の日には別の男とヤッてるとまで言ってきた。でまあ、結局長く続かなかったんだけど、同窓会で久し振りに見たら、もう別人なんだよ。あの頃の清楚さがなくて。あの頃、俺が好きだったちゃんではなくなっていたんだ。それでさっきのさんの話を聞いて思ったのが、俺にとってのA社は、ちゃんみたいなものだったのかなって。今でもA社が恋しくなることがあるんだ。奥さんに言ったら、あなたそう言うけどね。あのとき月収いくらもらってた? 今の月収と比べてご覧なさいよ。って言ってくるんだ。それがさ、ちゃんなんて大して可愛くないよと言ってきた友達や兄貴と重なるんだ。でも、A社は初めての会社だったし、俺にとってはそこがすべての基準なんだよ」
「初めて入って、それなりの期間を過ごした会社っていうのは、特別ですよね」
「そう。特別」
「思いが強いからこそ、A社がこうだというのを、自分の中で作り上げているんですよね。でも時間が経つとA社は変わっていく。今はもうさんがいた頃とは別の会社です」

「K島さんの前は、別の子を推していたよね。K島さんが歳を取ったら、また別のロー・ティーンに推し変するの?」
「どうでしょうね…。でも人間は二年半も経つと細胞が入れ替わるといいますから。それくらいの周期で推しを変えていくのは自然なんじゃないですかね」
「もう別の人間だから、考えも変わるってことか」
「そうです。だからずっと同じ人を推し続けている人は凄いと思いますね」

三善/善三さんが昔ZEEBRAさんのラジオ番組にゲスト出演したとき、若手のデモ・テープを聴くとみんなうまいんだけどヴァイブスが足りない的なことを言っていたと私は記憶している。一年半振りに生で観た研修生発表会には全体的にそういう印象を受けた。ただ、私はその感想を自分で信用できない。抑鬱的な症状が出ている中でコンサートを観ていたからだ。それでも江端妃咲さんのヴァイブスはビンビンに伝わってきた。もうデビューが決まっているかのような自信に満ち溢れていた。(これを書いている時点ではJuice=Juiceさんへの加入が発表されているのだが、この発表会の時点でもう決まっていたんだろうね。)

8列のど真ん中というかなりよい席で90%の時間は双眼鏡を構えていたものだから大迫力の絵を得られた。もしステージにいるのが小野瑞歩さんだったらこんな近距離で双眼鏡を使うのは躊躇していた。研修生の皆さんにキモがられようがどう思われようが一向に構わない。遠慮なく双眼鏡で舐め回させてもらった。衣装のスカートの中がハーフ・パンツというよりはブルマに近く、よかった。

人間が最も分かりやすく変化するのが成長期。一気に物理的に成長するから。ちょっと目を離しただけで大きくなる。子供から大人へと成長する過程を見守るのは、アイドルさんを追いかける醍醐味の一つだ。よく疑似恋愛なんていう言葉が使われるが、アイドルさんを長期間に渡って追いかけるのは子育ての疑似体験でもある。アイドル産業の主な顧客層である人々は『闘争領域の拡大』の割を食って恋愛とセックスの不足した生活を送ってきた。当然ながら子供の成長を見守る経験も奪われてきた。人々がアイドルさんを好きになる理由は恋愛感情や性欲の発露だけでは説明できない。特に(女性アイドルさんを応援する)女性オタクさんの存在については、彼女たちが子育ての代替としての娯楽を欲しているという説明がしっくり来る。そうやって、オタクさんたちは人生で自分が果たせなかったことや不足している要素を、アイドルさんを追いかけることで埋めているのだ。応援する研修生さんの配属先に文句を垂れたくなるのは、あなたがその少女の人生に自分の願望や希望を押しつけ、自分の人生から逃げているからだ。

「中山夏月姫さんは身体が成長してエロくなってきましたよね」と、譜久村聖さんを支持する自称四十代の某紳士から言われ、私は返答に窮したことがある。私は氏と違ってロリコンではないため、そういう視点で中山さんを見たことがなかったからだ。それがたしか前回(2019年12月)研修生発表会を観に来たときだったと思う。一年半経った今日、中山さんの身体の虜になったと白状せざるを得ない。抑鬱状態であまり頭が回らず、グルグルとネガティヴな考えが頭によぎる中、ほぼずっと彼女のことを双眼鏡越しにストークしていた。研修生ナンバー・ワンの身体。ソロ・パフォーマンスのため白いドレスを着て左から出てきたとき、鈴木愛理さんのような雰囲気があった。次点で広本瑠璃さん。

Hello! Projectが好きという気持ちが、研修生さんやメンバーさんが活動を続ける支えになっている場合が多いように思う。好きではないとやっていけない世界。事務所側もそこに甘えているように見える。ただ、そのHello! Projectも変わっていく。かつて(モーニング娘。のいわゆる黄金期と呼ばれる時期)はビッグになれる、有名になれる、普通じゃなかなか稼げないキャッシュをゲトれる場所だったかもしれない。2021年のHello! Projectにそんな夢はない。デビューしたら報われるかというと、それは微妙なところだ。研修生さんには冠のテレビ番組があり、四半期毎に東名阪のZeppツアーがある。デビュー組のグループさんにはそれらがない。ファン・クラブ会員を相手にしたクローズドな商売であるため、主な顧客層である中高年男性を個別イベントで喜ばせなければ人気が出ない。となると、研修生としての活動歴でつけた箔を利用して、次の活動なり就職活動なりをする。そうやって経歴を作り上げていく狡猾さも必要なのかも知れない。まだ若いうちに。それはそれで難しい。もっともらしいキレイな理由を述べて集団を去った人々の迷走ぶり。労せずチヤホヤされてお金を得たいという意思が残った、アイドルさんの残骸。

2021年7月3日土曜日

SAVE LIVE MUSIC Ⅲ~Ballads2~ (2021-05-31)

病気でもあるんですか? ―業務の引き継ぎを受けている相手に、この日は早く上がりたいと私が言うと、彼は聞いてきた。悪意がないのは分かる。彼はいい人だ。多少の好奇心が混じっているにしても、純粋に心配してくれている。しかし私はその発言にカルチャー・ショックを受けた。労働と私生活を捉える枠組みが違うからだ。平日に会社を早めに退勤するということが、通院のためでもないかぎり基本的にはあり得ない。想定できない。そういう常識、価値観を彼は刷り込まれ、習得し、自明のものとしている。だから悪気もなく上述のような疑問を投げかけることが出来る。私生活を楽しむための必要悪として労働が存在し、自分の好きなことのために労働の時間を調整する。それが出来なければ働く意味がない。そう考える私。認識している世界が違う。大袈裟ではなく、世界観が異なるというのはこういうことを言うのだろう。

彼からの引き継ぎで知る、業務の詳細。さながら奴隷の生活体験ツアー。信じがたい業務量を、信じがたい緻密さと真面目さで、有給もまともに使わず、文句の一つも垂れず、こなし続けている。それでいて、その自己犠牲に見合った待遇や役職を手に入れている訳でもない。正確な歳は知らないけど、三十代後半。ずっと平社員。将来、昇進していく具体的なビジョンはおそらくない。どうやら本人はそれを望んですらいない。おそらく末端の奴隷たち数名の取りまとめ役くらいで終わる可能性が高いが、それでも彼はその役割に感謝して人生のほぼすべてを捧げるだろう。

彼は例外ではない。むしろこれが普通の、一人前とされるジャップの労働者だ。高度成長期のように企業の羽振りがよく、自分の賃金や地位が上がっていく絵が見えているのならまだ理解は出来る。とっくの昔にその前提条件は崩れている。飴と鞭の飴が消えている。それでも鞭だけを喜んで打たれ続けるマゾヒストども。休日出勤をさせてから後付けでその分の時間はお金で受け取るな、必ず代休を取得しろ、コスト削減のためだと中途で紛れ込んできた気狂い上司が言ってきても(会社の制度上、お金で受け取るか代休を取るかは従業員が自由に選べるにもかかわらず)疑問の一つも呈さずはいッ承知しましたッという感じで粛々と代休手続きを進めるような奴ら。くそバカども。私は絶望した。異常人格者の上司に金銭のため面従腹背していたのではなく、金銭を受け取る権利すら平気で手放そうとする。こいつらが奴隷じゃなかったら何なんだ。

奴隷でいることは罪だ。どんな労働観を持とうが、どう働こうがその人の勝手であり自由? それは違う。奴隷が増えれば増えるほど、奴隷使いがのさばる。奴隷でないと雇用された生活を続けられなくなる。現代では雇用されないと生活していくのは現実的に難しい。好むと好まざるとにかかわらず、奴隷にならざるを得なくなる。奴隷制度は階級の全員に適用されるのであって、奴隷になるかならないかの自由は存在し得ない。よって、自ら進んで奴隷になることは労働者全体に不利益をもたらす。こうやって使用人同士がお互いに首を絞め合っているのが労働経済。しかし奴隷、奴隷と言ったところでどうせあいつらは奴隷の歴史なんて殆ど知りやしない。だから自分や賃金労働者全般の境遇を奴隷に重ね合わせることなんて想像もつかない。ブルシット・ジョブという言葉も知らないまま死んでいく。(仮に知ったところで自分のやっていることがそれだと気付くことはない。)

8時に出社して17時に上がったので、定時分は働いている。それでも事前に断っておく必要があった。彼は表向きには快く了解しつつ、どこか物足りなさそうな顔をしていた。仮に評価が下がるとしても、そんなことはどうでもいい。なぜなら私にとって働くことは生きる手段であり、生きる目的は自分の好きなことをやることだからだ。好きなこととの筆頭が、コンサートやフットボールを観ること。もちろんゼロか百かではない。個別のケースでは労働を選ばざるを得ない時もあるかもしれない。しかし自分の好きなことを犠牲にしなければならないのであれば、働いている意味がない。

好きなことを仕事に出来ればよかったのかもしれない。とは言え私の好きなこと、望む生活といえば、本を読んで音楽を聴いてフットボールを観て文を書いて優雅に暮らしたい、という感じであって、賃金労働とはつながらない。一年と少し無職をやったことがあるが、こういう仕事がしたいなんていう前向きな希望は何も浮かばなかった。労働とは他人の要求に応えるために自らを商品として売ることであって、生まれながらの召使いでもないかぎり、自分の好きなこととは基本的につながらない。労働に心からやり甲斐と充実を感じ、現状の待遇にも満足し、将来の希望を持てている状態というのは一時的な幻想に過ぎない。私はお金さえ続けばずっと無職でもいい。だから私は、税金のかからない十億円が今すぐに欲しい。それさえ手に入れば会社なんてすぐに辞める。残念ながら十数年も労働者の端くれをやってたどり着いた結論がこれである。学生の頃と大して変わらない。

個人として独立してもやっていけるような職に就ければよかったのかもしれない。私が労働で受けるストレスの大半は職務そのものではなく組織がもたらしている。私がこれまで経験してきた業務は組織の中で他部門との関係においてしか成立しない。そういう環境で働くことで人間としての最低限の社交性を身につけることは出来た。だが根っこの部分では色んな人と関わり合いながら何かをやるのが向いている人間ではない。そうは言っても個人として食っていくなんてのはかなり難しい。凡人は組織に雇ってもらい何とか立ち振る舞っていくしかない。学生の頃から計画的に行動を起こせていれば、もうちょっと個人寄りの労働が出来た気もする。しかし当時の私にはそんな行動力はなかったし、労働生活が未知すぎて先を見越すなんてことは出来なかった。お前はこういう道に進むのがいい、そのためにこういうことをしなさいと導いてくれる人はいなかった。そういう助言を得られる人間関係も作れなかった。あまりに内向的すぎた。

上原ひろみさん42歳、私38歳。自分と同年代や年下がさまざまな世界の第一線で活躍するのを目の当たりにするのには慣れた。自分と年齢の近い人の才能を目の当たりにして焦るなんてことはない。自分と違う世界にいるトップ・レヴェルの人たちと自分を同じ土俵で比べるのは不毛もいいところ。頭では分かりながらも、ある時期までどこかで自分と比較していた。その過剰な自意識はだいぶ前に捨てた。今では年齢に関係なく、凄い人のことは純粋に尊敬する。この歳まで自分の稼いだ(といっても売上を自分で作り出しているわけではない)給料で何とか生活が出来ている。学生の頃の私からすれば、それだけで奇跡だと言っても過言ではない。それはよーく分かっている。分かっているが、上原ひろみさんのピアノ演奏を聴いた上で、私は私で身の程をわきまえてキチガイ上司と奴隷同僚に囲まれてクソ労働を我慢する日々に戻ろう、とは思えなかった。コンサートの非日常によって明日からの労働を乗り切る元気をもらったと思えることがある。今日はそれとはまた異なる感覚を覚えた。

私は労働者になって三、四年くらいの頃、大量の自己啓発本を読んで自らを鼓舞し、つらさを乗り切っていた。クリエイティヴな仕事なんてない。クリエイティヴに仕事をするのが大事なんだ。ある本にはそう書いてあった。20代半ばの私はその言葉を信じ、目の前の業務に向き合いやり方を自分なりに改善することに注力した。やっている業務が何であれ、自分はクリエイティヴなことをやっているんだと自負すればクリエイティヴになる。何をやるかではなく、どうやるか。まったくの嘘っぱちとまでは言わないが、今の私は素直に首を縦に振ることが出来ない。ゴミのような労働で生計を立てている労働者にいつまでもゴミのような労働を続けさせるための方便じゃないか。ピアノと向き合う上原ひろみさんの佇まいを見てみろ。表情を見てみろ。一つ一つの所作が、まさに自己表現というに相応しい。朝から晩まで次から次へとしょうもないメールを送受信し何千行もあるエクセル・ファイルをせこせこといじり続けている自分と何かを重ね合わせられるとしたら、頭が狂っている。

私が会社でやっているのはクリエイティヴな仕事ではないし、実際にはホワイト・カラーですらない。出来る会社員になるための自己啓発。小さく見れば正しいが、大きく見れば間違っている。よき使用人、よき奴隷、お得な価格で手に入る商品になるための努力。労働者が搾取され、お互いに競わされる構図。それを防ぐには労働者がそのゲームに乗らないのが必須。この間のつばきファクトリーさんのリリース・パーティで参加券購入の列に並んでいた、横山玲奈さん風な喋り方のナオンのように。本当はみんなが結託しなければならない。

クソな労働生活を、素晴らしいコンサートでもらった元気で乗り切る。その公式だけでずっとやっていくのに無理が出てきたと私は感じている。クソ労働をかなりやらないとそのサイクルを回せないからだ。労働生活がクソなのは変えられないにしても、もうちょっとよくするためにもがいていいんじゃないか。溺れないように。現状を変えるための行動を起こさず、ひたすら受け身に、ただ我慢して、自分の将来を運に委ねる。そう割り切るには残された刑期が長すぎる。もちろんあてもなく退職して、これからは好きなことだけをして自由に生きていきますなんて血迷うほどガキではない。

いつからだろうか、月曜日に決まって頭痛と日中のひどい眠気に襲われる。会社を出た途端に治ったこともある。最近はたまらずバファリンを昼過ぎに飲んでいる。月曜日に限らないが、月曜日に発症する確率は明らかに高い。ほぼ毎週。整体の先生と医師に頭痛のことを言うと、気温の変化による自律神経の失調、首の骨が詰まっている、といった答えが返ってくる。本当の原因は労働のストレスなのではないか。業務量とはまた別の話。多くの人が同じ問題を抱えているらしく、ブルー・マンデイ症候群という名称があるようだ。上原ひろみさんはきっとこんな経験はしたことがないだろう。仕事のことを労働とは言わないだろうし、仕事と休みという区別さえしていないだろう。人生が、存在がピアニストであり、音楽家なのだろう。

バラードだけを演奏する、マニアックなコンサート。よくテレビで5秒や10秒くらいで紹介をされるときはピアノを殴っているような場面を切り取られますが、バラードも昔から大事にしています。緊急事態宣言の延長でお酒を飲めない。開演時間も調整された。そんな状況を乗り越えて観に来た皆さんはマニアの中のマニア。お酒は飲めないけど、ピアノの音に酔っていただこうと思います。いつものほんわかした調子で上原ひろみさんは観客に語りかけ、場を柔らかい雰囲気で包んだ。メロディは聞き覚えはあるが曲名が出てこないいくつものスタンダード曲、あと“Reminisce”という新曲も披露された。上原ひろみさんの生演奏を、ブルーノート東京で聴ける稀有な機会。先行販売で買うためにブルーノート東京メンバーズ・クラブに加入し、発売開始時刻になった瞬間に購入ページに急ぎ、それでもギリギリで手に入れたチケット。楽しみにしてきた時間。しかし公演の最中ずっと思考がグルグル廻り、音楽に集中出来ない精神状態だった。