2020年12月31日木曜日

fox capture plan - request night - (2020-12-27)

お皿、ナイフ、フォークの衝突が生んでいるとおぼしき音が聞こえてくるライヴ盤は聴いたことがあった。たとえばKenny BarronさんとCharlie Hadenさんの“Night and the City”。私がジャズを聴き始めて間もない2011年に出会い、虜になったアルバムの一つ(ストリーミングにあるから聴いてみて)。要所で聴衆の拍手があるのは当然として、カチャという小さな音も断続的に入っているのがイヤフォンで聴くと分かる。ピアノとベースだけのしっとりした作風だから、音の隙間にそういう会場の音が入る。食器の音が聞こえるということは食事が提供される場所なんだろうけど、具体的にどういう会場なのかは分からなかった。コンサートと食事というのが自分の中で結びつかなくてね。類似する経験も不足しているものだから、空想するしかなかった。

それから約9年が経過し、実際にそういう場所に足を踏み入れる機会を得た。ブルーノート東京。この会場の存在は知っていたが、敷居の高さを感じていた。名だたる有名アーティストさんたちが演奏してきた名門ジャズ・クラブ。ホームページの興行スケジュールを見れば分かるが本当にジャズだけ。アイドルさんのイヴェントをやるような場所ではない。私にとっては気後れしてしまいそうなアウェイ環境。憧れはあったが、どう振る舞えばいいのか、そもそも一人で行くような場所なのか、何も分からなかった。「週の半分以上、一日のすべての食事を一人で食べている」のを孤食というらしいが、その条件を余裕で満たし、食事以外でもほぼ一人で行動する私でさえ、いきなりジャズ・クラブに飛び込むのには若干の躊躇があった。その殻を破るきっかけとなったのがfox capture planさん。彼らのコンサートは何度か観たことがあるので、まあ勝手は分かる。現地で分からないことが多少あったとしても何とかなるだろう。

事前にブルーノート東京について少し予習した。ドレス・コードはない。最低1ドリンク注文必須。メニューを見たらまあまあいいお値段。いちばん安いのでも千円くらい。料理は単品でも色々あるし、コースも頼める。洋食系。検索で引っかかった潜入記も読んだ。

立地からして青山だし、これまでの歴史がそうさせるのか、外観に何か凄みがあった。入る前からヴァイブスがある。ここにたどり着く時点である程度、選別されている感がある。ドレス・コードがないとは言ってもイトーヨーカドー的な施設で購めた安いスポーティーな服やアイドルさんの缶バッヂを所狭しとつけたバックパックを身に付けブヒブヒ言っているオタクが近寄っていい場所ではない。私の場合は、青山のアラン・ミクリ路面店で購めたメガネを掛けているし、過去には青山のヨウジ・ヤマモト、コム・デ・ギャルソンの路面店に通っていたハイ・ソサエティな一面がある。門番に至近距離で銃を撃たれ頭の半分を吹き飛ばされることも、別室に連行されカミソリで喉元を掻っ切られ一生分の血を流すことも、後ろから不意打ちで首に柔道パンチを入れられ即死することもなく(参照:Donald Goines, "Death List")、入場させてもらうことが出来た。

ライブハウス(和製英語)って必ずドリンク代として500円もしくは600円を徴収されるじゃんか。よく知らんけど建前上、飲食店という体でやっているから、飲食物を買わないといけないとかで。その割にゆっくり飲める空間があるわけでもなく、ただコンサート鑑賞の邪魔になるだけのペット・ボトルを掴まされて。ただ数十円で仕入れた飲料を来場者に500-600円で売りつけてテーブルもないフロアに密集させてどこが飲食店やねんという話なんだけど。ブルーノート東京は全然違った。本当に着座して飲食が出来る空間。スーツを着た紳士淑女による、まともに訓練された接客。ライブハウス(和製英語)が飲食店だというのは本来こういうことを指しているのかと、初めて身を持って理解した。たしかに、事前に調べていた通りお安くはない。ただ雰囲気も接客も出てくるモノも高級感があった。私が注文したのはビール(SESSION。ブルーノート東京オリジナル。JPY1,400)とビーフ・ジャーキー(JPY750)。奉仕料10%がしっかり加算されてJPY2,601也。絶賛収入削減され中の私がポンと出していい金額ではない。

いくらブルーノート東京の特別な雰囲気を加味したとしてもビール1杯とビーフ・ジャーキー少々にJPY2,601出したと考えると苦い(ビールだけに)気持ちになる。ただ、この出費にはまた別の価値があった。このコンサートは飲み食いをしながら楽しむことが許されていた。つまり、マスクを着けずに生の音楽を聴くことが出来たのだ(実際には大半の観客が自主的に着けていた)! 発声についても会場側の要望としては控えめにしてくださいという程度で、禁止されてはいなかった。中には歓声を上げる人もいた。何ヶ月も前から永江一石さんが予測していたように季節的な理由(気温低下と乾燥)でコロナ陽性者数が増加している。大規模音楽フェスが中止になっている。その状況下で日和らず、コロナ・バカ騒ぎ前とほぼ変わらないやり方でコンサートを開催してくれたブルーノート東京さんには敬意と感謝を表したい。来場者も民度が高かった。楽しみつつも変に羽目を外す人がおらず、一線を超えない節度があった。公演の内容よりもまずブルーノート東京という一流の会場を体験できたこと。それが今日の収穫だった。ジャズ好きとして、音楽好きとして、経験値が増えた。

コンサートそのものについては、鮮烈な印象は受けなかったというのが正直なところだ。最大の理由として、単純に短すぎた。アンコールの後も含めて約72分(ブルーノート東京の公公演は基本この尺なのだろうか?)。数字だけでなく体感的にも、もう終わるのかという物足りなさが残った。この公演も終盤ですが…とメルテンさんが言ったとき、私はその言葉をすぐに飲み込めなかった。まだまだ聴いていたかったのに、あっけなく終わってしまった。次の理由として、12日前に観たあのPOLYPLUSさんのコンサートの衝撃がまだ身体から抜けきっていなかった。今日、何を観ていたとしてもあの生涯最良級のコンサートの記憶を上書きするのは不可能だった。とはいえ、来てよかったと思ったのには違いない。

本日の公演はrequest nightの名の通り、事前にインターネットで受け付けられた投票を元にセット・リストが組まれた。私がリクエストしたのは一位から順番に“3rd Down (Alternate Take)”、“Attack on Fox”、“Real, Fake”。その中からは“Attack on Fox”のみがプレイされた。まあこの曲は言わずもがなの人気曲なので、選ばれるのは当然。私としてはそれ以外の二曲のどちらかに滑り込んで欲しかった。今日は叶わなかったが、いつか生で聴いてみたい! とはいえ、ファン投票だけあって間違いのないセット・リストだった。不満はない。(最新アルバムからは一曲も上位に入らなかったというのが示唆的である。)コンサートを通して最も盛り上がったのが“Attack on Fox”。会場全体が一つになる感覚があった。一曲目が“capture the initial "F"”だったのは熱かった。(うーん、最近は減ってしまったけどfox capture planさんはこういう攻撃的な曲がいいよなあ。)他にも『疾走する閃光』とか、“Butterfly Effect”とか。極めつけは最後の『エイジアン・ダンサー』。定番どころを押さえた、順当なセット・リスト。this is fox capture planというプレイ・リストをもし作るならこういう感じになるだろう。今回はファン投票をメルテンさんが自ら集計したとのこと。3位は2点、2位は3点、1位は4点。(集計はエクセルでやったのか、原始的に手で数えたのか、ちょっと気になる。)投票結果はいずれどこかに公開するとメルテンさんは言っていた。これを執筆している時点(12月31日)ではまだ公開されていない。

私の席はサイド・エリアL。ピアノが左側に来るので左側を選んだ。目論見通り、メルテンさんの手と鍵盤がよく見える位置だった。私はピアノ好きで、ジャズはピアニストを中心に観たいので、この席が取れたのは幸運だった。

終演後、中島さん(サイド・エリアRで観ていた)と合流し、サイゼリヤ渋谷東急ハンズ前店で夕食。公演が思ったより短かったから(今日は二回公演で、私が観たのは17時開演の一回目)ゆっくり歓談することが出来た。二人でデカンタ二本を飲み色々と食った合計額が、私がブルーノート東京でいただいたビールとビーフ・ジャーキーとほぼ同額だった。

家に着く間際。目の前に若いナオンがワーと大きな出しながら飛び出てきて立ち塞がってきた。満面の笑みを浮かべている。狂っているのか? 恐くなった。私は戸惑い、反応に窮した。彼女はハッとして、すみませんと謝ってきた。どうやら人違いだったらしい。私が家のドアに到着するあたりで、シン君かと思って脅かそうとしたら違った…とスマ・フォに向けて彼女が話しているのが聞こえてきた。シン君、幸せそうだな。

2020年12月19日土曜日

POLYPLUS Live at Zepp Tokyo (2020-12-15)

終わりよければすべてよしという言葉はウィリアム・シェイクスピアさんの戯曲“All's Well That Ends Well”から来ているらしい。Google検索で一番上に出てきた。シェイクスピアさんといえば西洋人が教養を見せびらかすために引用する作家の代表格だが、見るからに英語が古めかしく、私には理解が出来ない。買っても読む可能性が0%だから積ん読の対象にさえならない。日本でいう古文のようなもの。令和に生きるナウなヤングである私にはお手上げである。そんな私が終わりよければすべてよしという言葉を気軽に使っていいものか、若干の逡巡はある。元の“All's Well That Ends Well”を読んだ教養人と私とでは言葉のウェイトに差がありすぎる(©呂布カルマさん)。それでも便宜上、この言葉を使わせてもらいたい。コロナ・バカ騒ぎに犯され続けクソまみれだった2020年の記憶を大きく塗り替えるほどの体験を、私は得たからである。2020年12月15日(火)、Zepp Tokyo。間違いなく2020年で一番楽しい約2時間だった。これまでの人生でも最高のコンサートの一つだった。

クラブ名にFがついていない頃から、私は横浜F・マリノスを応援している。横浜駅西口の交番付近で横浜フリューゲルスさんの解散反対署名に協力したのを覚えている。正直に言うと、フリューゲルスさんの消滅よりもマリノスのクラブ名にFが入るのがイヤだった。敵であるフリューゲルスさんを吸収してクラブ名に組み込むというのがどうしても飲み込めなかった。それくらい横浜マリノスに入れ込んでいた。中学生の頃はファン・クラブに入っていた。まだJリーグが地上波で放送されていたからテレビで観るのが主だったが、稀にスタジアムに観に行くこともあった。働き始めてからは労働や新しい趣味(洋服、Hello! Project等々)に関心が移り、マリノスを気にかけることが減った。サッカー番組やYouTubeのダイジェストを観る程度になっていった。

十年以上も遠ざかっていたスタジアムに再び足を運んだのが2018年シーズン。そこから見る見るのめり込んでいった。2019年にはリーグ優勝という美酒を味わわせてもらった。2020年シーズンはファンクラブに再加入。シーズン・チケットを購入し(コロナ騒ぎによるリーグ戦の中断で払い戻されたが)、どうしても労働で行けなかったACLのシドニーFC戦を除くすべてのホーム試合を生で観戦した。私をスタジアムに引き戻したのが、2018年に就任したアンジェ・ポステコグルー監督。彼が面白いフットボールをやっているという評判をTwitterで目にし、2018年3月10日(土)のサガン鳥栖さんとの試合を観に行った。噂のフットボールは、鮮烈だった。とにかく短いパスをつないでいく。どんな場面でも大きく蹴り出さない。ゴール・キックから全部つないでいく。観たことのないフットボールだった。当然、相手はそこを突いてくる。何度も最終ラインのパスを奪われ、失点待ったなしの場面を連発した。負けた。もっと普通にやれば勝てたのではないか? そう思った。が、よく分からないがまた観に来たいと思った。うまくいってないのは明らかだったが、何か凄いことをやろうとしているのは伝わってきたからだ。

『モダンサッカーの教科書』(レナート・バルディ with 片野道郎)という本を読んで、その凄いことの正体が少しつかめた。ポジショナル・プレー。相手に合わせず主導権を握る戦い方。数的優位、位置的優位、質的優位。この本を読んでいると、三ツ沢球技場で目にした場面が何度も頭に浮かんできた。マリノスが本来やりたいのはこういうことなのかと。あのとき試合には負けたのに観客席からの野次やブーイングは皆無で、スタジアムが温かい拍手と声援に包まれた。新しいフットボール・スタイルへの転換というマリノスのビジョンに賛同し、そこに向かっていくクラブをみんなで応援しているのだ。

戦術がどうこうの以前に、哲学。それをクラブぐるみで信じ抜く。アタッキング・フットボール。勇猛果敢。ひたすら攻め続け、シュートをたくさん撃ち、点をたくさん決める。相手がどのクラブであろうと自分たちのフットボール(our football)を表現する。選手たちがフットボールを楽しんで、お客さんを楽しませる。負けることもあるが、自分たちのフットボールを実現した結果なら仕方がない。普通なら相手があってのフットボールと考える。敵の長所を消し弱点を突くのが勝つための定石。大事なのは結果。勝ったら成功。負けたら失敗。やりたいフットボールだなんて本末転倒。私は2018年になるまでそう思っていた。アンジェ・ポステコグルー監督が私のフットボール観を大きく変えるまでは。

Zepp Tokyoでの公演を控えたPOLYPLUSさんのTwitterには度々、攻めという言葉が使われていた。攻めの姿勢。攻めの美学。何を大袈裟な、と私は思っていた。たしかにコロナ・バカ騒ぎ以降、ライブハウス(和製英語)が槍玉に上げられたこともあった。しかし、現在では生の公演を行うこと自体はそこまで珍しいことではなくなっている。さすがにキチガイの地元住民が嫌がらせの怪文書を貼ってくることはもうないだろう。東京では。業界で制定したコロナ感染拡大防止ガイドラインに沿った形であれば、問題なく遂行できるはずだ。半年前なら分かるが、12月にもなってコンサートをやるだけで攻めというのは言い過ぎなんじゃないか。

住民税の滞納で、納付期限が昨日(12月14日)の最終催告書を市役所から受け取っていた多重債務ボーイの中島さん(仮名)と、サイゼリヤ台場フロンティアビル店さんで赤ワインのデカンタを二本開けた。辛味チキン、イタリア風もつ煮込み、アロスティチーニ、熟成ミラノ・サラミ×2、シーフード・パエリア。二人で約3,700円。サイゼリヤさんに来たのはたぶん学生のとき以来だけど、今後もたまに利用したい。この値段でこの食事が出来るんならね、ありだと思う。サイゼリヤさんと日高屋さんは食のユニクロ。中途半端なクオリティと値段でやっている店の存在意義を問う存在。住民税の件について中島さんに聞いてみたところ、彼は市役所と交渉し、とりあえず払える分だけ払うということで手打ちになったようだ。それにしてもデカンタ一つという酒量がちょうどよかった。ほどよく上機嫌な感じに仕上がった。

アレを着けろ。コレも着けろ。アレはやるな。コレもやるな。コロナ・バカ騒ぎ以降のコンサートや舞台はそんなのばっかり。おっかなびっくり。どこか物々しい雰囲気。今の世の中で求められているのは、一にも二にもコロナ対策。その興行を通して感染を広げないこと。それを重視するあまり、エンターテインメントよりもコロナ対策が上に来ている感すらある。コロナ感染を広げる原因にならないことが成功の証。その考えを突き詰めると、生の興行なんてやらない方がいい。やっていたとしても我々は観に行かない方がいい。だってそれが最大のコロナ対策じゃないか。

たしかにこの状況ではどんな形であれコンサートを開催してくれることがありがたい。でも“この状況”ってのも煎じ詰めるとフィクションなんだけどね。別に新型コロナ・ヴァイラスは存在しないと言っているわけではない。国民国家が『想像の共同体』であるのと同じ意味で、コロナ・バカ騒ぎもフィクションなんだ。“この状況”が早く終わらないかな、と思っている我々もマスクを着けて三密を避けようとか他人と距離を取らなくちゃとかとにかく感染拡大は悪だと思っている時点で“この状況”を作り上げている一員なんだ。

コンサートが始まると、目前に信じられないような光景が広がった。前の列にいるヘッズが一斉に立ち上がったんだ。そう、この公演は立って観ることが許されている。この数ヶ月というもの、じっと座って黙って観とけやというスタンスの興行ばかり観ていた私にとって、立っていいというだけで衝撃的だった。え、いいのか? みんな立っているだけではない。思い思いに頭を振り、身体を揺らしている。音に合わせて手を振っている。あまつさえ小刻みにジャンプまでしているではないか! みんなが自由に音楽を楽しんでいる。我々の姿を見ながら、呼応するように演奏のギアを上げていくPOLYPLUSのメンバーさんたち。私が忘れかけていた光景が、そこにはあった。マスク着用と発声禁止という制約があってなお、ここまで自由に音楽を楽しめる場が“この状況”において存在するのが奇跡のようだった。四曲目の“we gotta luv”で抑圧されてきた感情が溢れ、涙が出てきて、次の曲が終わるくらいまで止まらなかった。

当然だけど生で聴くのはSpotifyをイヤフォンで聴くのと迫力が段違いで、特にサクソフォンの音色には圧倒された。POLYPLUSさんの音楽で明らかにサクソフォンが中心で、実際サクソフォン担当者がリーダーを務めている。辻本美博さん。この紳士はヤバい。私は元々fox capture planさんのピアノ担当者メルテンさん(岸本亮さん)が好きで同氏目当てでPOLYPLUSを聴いていた。POLYPLUSさんにおけるメルテンさんはリーダーではない分、却って生き生きしているように見えた。POLYPLUSは自分がやっているバンドの中でいちばん制約が少なく、自分を解放できる。この感覚をfox capture planとJABBERLOOPに持ち帰れると思う。という旨のことを彼は言っていた。POLYPLUSさんの場合、五人構成でサクソフォン担当者とギター担当者もいるのでピアノが多少遊んでも曲を壊さないということなのかもしれない。

激しすぎてジャズなのかロックなのかヘヴィ・メタルなのか何なのか分からなくなるが笑ってしまうほどにイカした音楽だった。辻本美博さんが最後の“wake me up (cover of Avicii)”を始める前に、僕らの音楽にはEDMの要素も取り入れていると言っていた。メンバーさんの感情が音楽に乗って会場が一つになる感覚がたまらなかった。私の席は前に通路がある9列目ど真ん中だった。ステージが偏りなく見えたし、観客の盛り上がりもよく分かる絶好の位置だった。もしかすると一番いい席だったかもしれない。アイドルさんと違って必ずしも最前が最良の席とは限らない。音響的にはむしろ真ん中くらいの方がいいはず。

POLYPLUSさんのTwitterに書いてあった攻めの姿勢、攻めの美学といった言葉はこういうことだったのか、と氷解した。世の中の空気を読みながら安パイを選ぶのではなく、業界のガイドラインを守った上で、それに過剰に寄り添わず、可能な限り最高のエンターテインメントを届ける。いや、届けるのではなく、観客と一緒に作り上げる。自分たちの音楽、自分たちのコンサートがまずあって、“この状況”下でいかにして実現させるか。決してガイドラインに合わせてエンターテインメントの内容を決めるのではなく! Zepp Tokyoという大きめの箱を選んだのもそれが理由だと辻本美博さんは説明していた。自分たちが音楽を楽しむ。観客を楽しませる。観客とプレイヤーが一体となってライヴ・エンターテインメントを作り上げる。そのPOLYPLUSさんの姿勢が、私の中で横浜F・マリノスと重なったんだ。

POLYPLUS at ZEPP TOKYO 20201215 - playlist by diskunion | Spotify

2020年12月13日日曜日

キャメリア ファイッ! Vol.11 キャメリアXmas2020 (2020-12-12)

目の部分だけを覆うフェイス・ガードという何のために開発されたのか皆目検討もつかない奇怪な物体が入場者全員に配布され、装着しないと入場させてもらえない。マジで何が目的なんだ? 目からコロナ光線でも出るのか? アップフロントさんよ、変な業者に騙されていないか? 開演前の前方スクリーンにデカデカと映し出される「必ずマスクとフェイスガードのご着用をお願いします」という文字。上々軍団の野郎どもによる前座。出さなくてもいいのに曲を出して、歌わなくていいのに歌っている。なぜかサンタ衣装。今日のつばきファクトリーさんは我々の大好物である布の少ないサンタ衣装を纏ってくれないことが事前のグッズ写真で分かっている。多くのヘッズが脳内で悪態をついたに違いない。お前らじゃねえよって。マスクとフェイスガードを「か・な・ら・ず」着けろと何度も高圧的に念を押してくるアップフロントさん職員とおぼしき中年男性のキモい陰気な声。ワクワクを殺すワックネス。最後だけちょっと声を上擦らせて、拍手で盛り上げてくれ的なことを言っていた。取って付けたように。同じことを伝えるにしてももう少し聞き手をポジティヴな気持ちにさせるやり方があるはずだ。アルビ兄さんから学べ。意味不明で邪魔なプラスチックの着用強要、しょうもない前座、観客を犯罪者予備軍かのように扱う場内アナウンスメント。とてもじゃないがこれから楽しい時間が始まるというヴァイブスではない。

上原ひろみさんのコンサートとのハシゴを諦めてブッチした去年に続き、席が全然よくない。27列。ほぼ最後列。関係者がお忍びで観に来るような席。アップフロントさん、何でやねん。ザ・バラッドに4公演しか入らなかったことに対する制裁か? 久しぶりのファンクラブ・イヴェントなのに、とうとう来たなこの時が的な感情の高ぶりはなく、気持ちはニュートラル、いやそれ以下。今日に関してはエッチなOJTしてくださいさん(仮名)と久々に再会することの方が楽しみでね。最後にお会いしたのが去年の9月。田村芽実さんのコンサート。大阪。(最近の氏はブログを文章からトークに切り替えているのだが、これがまた面白い。20分くらいあるのに飽きない。そのまま文字に起こしても読める水準。よくチェックしとけ。)コロナ・バカ騒ぎは現場を通じてイルな同士たちとお会い出来る機会を激減させた。おかげで私は未だにモーニング娘。さんの『KOKORO & KARADA/LOVEペディア/人間関係No wayway』、Juice=Juiceさんの『ポップ・ミュージック/好きって言ってよ』、アンジュルムさんの『限りあるMoment/ミラー・ミラー』を入手できていない。平時ならとっくに誰かから貰えていたはずだ。現代の奴隷船(夜行バス)で新宿に降り立ったエッチなOJTしてくださいさんと東池袋中央公園で合流し、サンシャイン内のタリーズさんで歓談し、エー・ラージさんでノンベジタリアン・ミールスをいただき、代々木に移動してきた。

エッチなOJTしてくださいさんとの再会が本丸で、つばきファクトリーさんのキャメリア ファイッ! Vol.11 キャメリアXmas2020はついでくらいの位置づけだったのね。開演するまでは。正直。でもさ、実際につばきファクトリーさんが笑顔満点でステージに出てきてキャピキャピしてるのを観ていると、口角が上がりっぱなしになっちゃってね。もう、さっきまでのネガティヴィティーはものの数分で吹き飛んでしまった。一時的であってもイヤなことを忘れて無心になれる空間。そう、これが私が好きだったアイドルさんの現場。ホームに帰ってきた感じがある。

各メンバーさんが考えたお題をシャッフルしての自己紹介。たとえば谷本安美さんはラッパー風にというお題(誰が出したお題か失念したが、内容的に岸本ゆめのさんかな?)を引き、韻踏んで!というさわやか五郎の要求に対応できず困った挙げ句、新沼希空さんの助け船をもらい、安美、神~、イェー!とか言って笑っていた。小野田紗栞さんはヴィジュアル・ロック・バンドのヴォーカル担当者風に(浅倉樹々さん考案)。浅倉樹々さんはショップ店員さん風に、のはずがどんな髪型にしますか?なぞと美容師さんに変わっていた。

メンバーさんが二人組になって、与えられた計算式を、袋に入っている道具を使って解くというゲーム。制限時間1分。二個だけ電卓が入っていたのだが、残りはトランプとか、サイコロとか、おはじき(拳銃ではない)とか、ピンポン球といった役に立たないものが入っている。メンバーさんの反応が可笑しかった。すげー面白かったのが、新沼希空さんのときね。袋に紙と鉛筆が入っていたんだけど鉛筆が削られていなくて、一緒に入っていた鉛筆削りで削らないといけなかった場面。「削るところから?」とメンバーさんの誰かが言ったタイミングが絶妙で。新沼さんが急いで削り始める絵も滑稽で。あれには本当に笑った。他にもトランプを引き当てた小野瑞歩さんが、上から5枚の数字が正解です、とマジック風に答えを出そうとするけどキングとかの二桁のカードが連続して出てきて破綻したのも可笑しかった。秋山眞緒さんと浅倉樹々さんが、正確な数字は忘れたけどA+BxCという式を割り当てられたんだけど、先にBxCを計算せずにA+Bを計算していた。たぶん小学校で習うよね、計算の順番は…。しかも答えを出せず、3万という適当な回答をしていたのが可愛かった。

メンバーさんが各々で考えた文化祭で憧れの先輩に言うキュンキュン台詞をシャッフルして言うセグメント。ベタなんだけど、メンバーさんが恥じらいながら演じる姿がベタに可愛らしく、私はニヤニヤしっぱなしだった。特に秋山眞緒さんが顔を赤らめんばかりに恥ずかしがっていて。心を洗われた。小野瑞歩さんは、たこ焼き屋の設定で、先輩のだけタコを二つ入れときました、的な台詞を実演していた。二つと言うときに小野さんはニッコリしながら緩めのピース・サイン。

前座は別として、本編における上々軍団は上々だったと言っても過言ではない。彼らに苛つかされる要素がなかった。今日の彼らは右サイド(上手)大外のレーンで幅を取りつばきファクトリーさんのスペースを作り出すポジショナル・プレイに徹していた。横浜F・マリノスだと通常は右ウイングが担う役割。(公演後のInstagram写真でも簡単にトリミングできる両端にポジションを取っていたのは評価できる。)メンバーさんのいるエリアに紛れ込んで来ることはなかった。しかもさわやか五郎と鈴木啓太が同時には出てこなかった。おそらくコロナ対策ということでそうしていたんだろうけど、コロナに関係なく彼らには一生そうしてほしい。特に鈴木啓太には、自分が裏方なんだということに早く気付いてほしい。

ミニ・コンサート中の私は、小野瑞歩さんの熱心な支持者としてぶれることなく彼女の一挙一動を追いかけた…と見せかけて、主に浅倉樹々さんを鑑賞した。もっと正確に言うと、最初は秋山眞緒さん。デコルテとワキを惜しみなく見せてくださっていたし、立ち位置上、小野さんを視界に入れながら観ることが出来たからだ。でも徐々に浅倉樹々さんに目が移っていった。小片リサさんがいなくなった8人のつばきファクトリーさんにおいて彼女が有無を言わせないセンターでありエースなんだと思わせる存在感があった。中田英寿さんがいくら活躍しようともフランチェスコ・トッティさんからASローマさんでポジションを奪えなかったのと同じように、小片リサさんがいくらInstagramの鍵アカウントで浅倉樹々さんの暗部を暴露しようとも彼女に勝つのは無理。そういう存在。浅倉さんは。単に会社のお偉いさんに気に入られているとか贔屓されているとかじゃなく、そういう星の下に生まれてきたお方なんだ。

岸本ゆめのさんと秋山眞緒さん、浅倉樹々さんのお三方がダンスで大きく腕を上下させた後にチラッと目線を下ろして衣装の左パイオツ部分をずり上げていた。最後の『断捨ISM』で岸本ゆめのさんが前に屈むときに胸の谷間というか陰を見せてくださった。こういう映像作品には残らないであろう自分なりの発見、それこそが現場に来る意味であり、醍醐味なんだと私は実感した。この曲で終盤のフック中に誰かが歌詞を飛ばし、誰も代わりに歌わず、メンバーさんが一斉に「え?」「お前だろ?」「いや、お前だろ?」的な表情で周りを見ていたのが可笑しかった。まだ小片リサさんがいた頃の歌割りが身体に滲みついているのだろう。

今日はショック・アイさんの最新シットを聴いてもイヤな気持ちにはならなかった。こうやって平時に近い形のイベントをやってくれるありがたさを前にして、曲が気に入らんなんていう贅沢は言っていられない。それに、長袖・長ズボンのような何も理解(わか)っていない衣装で直立不動、神妙な面持ちでバラードを歌われるよりも、脚、デコルテ、ワキを見せてくれながら笑顔でショック・アイさんのクソ曲を歌って踊ってくれた方が百倍はマシなのである。

最後のコメントで、Saoriの偉大さを改めて感じた的なことを岸本ゆめのさんが言っていた(エッチなOJTしてくださいさんによると、このとき「Saori好きってなった♪」とメンバーさんの誰かがボソッと言ったらしい。本当だとしたら最高だが、私は迂闊にも聞き逃した)。一人のメンバーさんの名前をわざわざ挙げておべっかにも聞こえるようなことを言うのはやや不可解だった。もしかして、岸本さんはSaoriに弱みでも握られているのだろうか? 岸本ゆめのさんに限らず、第二、第三の小片リサさんを生み出し得るネタをSaoriは持っているのだろうか?