2020年11月29日日曜日

Discovery Release Live (2020-11-19)

アイドルさんと面会できる機会が劇的に減少し、握手会が禁じられた遊びとなってから、爪を切る契機がなくなった。とはいえ、伸び放題だな、六月のつくしんぼうか(Ⓒ上田晋也さん)というほどではない。こまめにパチパチやっている。ただ、この日にはキッチリ短くしないとあかんという自分の中のデッドラインがなくなった。アイドルさんの尊いおててを万が一にでも傷つけてはいけない。爪が当たってイヤな思いをさせてはいけない。そういった配慮をする場面がなくなった。触らせてもらえないので。爪の長さに神経を尖らせる理由がほとんどなくなった(強いて言えばiPhoneでマリオ・カートをやるとき右手親指の爪でタッチがずれることがある)。

爪だけでなく、身だしなみ全般に気を遣う必然性がどんどん薄れている。在宅勤務が主になったので、平日の生活は家から徒歩20分圏内で完結する。ヒゲを剃らなかったとしても支障はない(習慣で毎朝欠かさず剃っているが)。飲食店、ジム、スーパー・マーケットの店員さん、宅急便の配達員さん以外と顔を合わせることはまずない。熱烈中華食堂に行くのに全身のコーディネートを考えてどうする。部屋に転がっている適当な服で十分。もちろん根がファッショニスタに出来てる私は洋服を買い続けている。クローゼットはイケてる服で充実していく一方だが、どこに着て行くのかという問題がある。

私は髪にパーマネントをかけているのだが、誰に見せるわけでもないんだし、一旦やめてもいいんじゃないかという考えが頭によぎり始めていた(パーマネントといえば、戦時中に日本でパーマネントが奢侈、アメリカ的と非難・弾圧され、「不要不急」だからと「自粛」を求められる様を描いた飯田未希さんの『非国民な女たち』がとても面白かった。オススメ)。収入も減っていることだし、無駄な出費は見直したい。でも今朝、美容院でパーマネントをかけてもらった。2月から延期されていたつばきファクトリーさんの特典会の開催日が迫っているからだ。11月21日(土)と23日(月・祝)。小野瑞歩chanと間近で対面できる貴重な機会を控えてパーマネント代の数千円をケチりたくない。フットボールにおける戦術的ピリオダイゼーション(試合から逆算してトレーニング内容や休息を計画する)のように、私は小野瑞歩chanと会う日に最高の自分になれるように調整するのである。

ヴェルナー・ゾンバルトさんの『恋愛と贅沢と資本主義』によると、恋愛の自由化や娼婦の存在が資本主義を発展させたらしい。らしいと書いたのは、私は同書を読んでおらず、少なくとも十五年以上は積ん読し熟成させているからだ。その代わりに『まんが講談社学術文庫 恋愛と贅沢と資本主義』を読んだ。

中世の恋愛観では宗教が重要視され結婚を髪が望み髪が祝福する制度とし制度上結ばれていない恋愛は罪とされていましたからね

十一世紀以降のドイツの吟遊詩人らによるミンネザンク……つまり叙情詩と恋愛歌曲……これらが人々に広まることで恋愛が世俗化していった(ゾンバルト原作、『まんが講談社学術文庫 恋愛と贅沢と資本主義』)

女をゲトるために男が贅沢品を買い与え、それが関連産業を潤わせ、経済を豊かにしていったという(まんがをざっと読んでの粗雑な理解。そのうちちゃんと『恋愛と贅沢と資本主義』を読む)。私にとってアイドルさんの存在もこれに通ずるところがある。もちろん私はアイドルさんを一生ゲトることは出来ない。物理的に接触すらさせてもらえない。それでも、たとえ収入が減っていてもパーマネントをかけお洒落をして会いに行きたいと思わせ、そのための消費を喚起する力がアイドルさんにはある。『闘争領域の拡大』(ミシェル・ウエルベックさん)で恋愛市場から取り残された我々は、恋人や妻子の代わりにアイドルさんに金銭を落とすのだ。

パーマネントをかけた私がその足で会いに行ったのはアイドルさんではなく、読者諸兄もお馴染みであろう多重債務者の競馬ライター、中島さん(仮名)。久々に会う。『ルポ新大久保』(室橋裕和)でネパール人いち押しの店として紹介されていたラト・バレで昼食。ダル・バト(Aセット)550円。最近は専らココ。ダル・バトに関してはソル・マリよりも上。派手さはないんだけど、飽きの来ない味。この近辺に住んでみたい。毎日ダル・バトを食って、新宿の紀ノ国屋書店に本を見に行く。やろうと思えば引っ越せないことはない。でも今の家も周辺環境を含め非常に気に入っている。それにこのエリアは家賃が高い(その理由で、日本に来る留学生たちにとって新大久保は遊びに来るもしくは働く町で、住む町ではないんだとか。『ルポ新大久保』参照)。

西大久保公園で数時間、中島さんと駄弁った。サテンに入ってもよかったが、気持ちのよい天候。外の空気を吸いたかった。年間を通してもそうたくさんはない、ちょうどよい気温。若い女はたくさんいますけど、男は若いのがいなくて中高年のやばそうなのしかいませんね、と中島さんは言った。まあ平日の昼間だから若い男は働いているんだろうなあ、と私はさほど考えずに答えた。コレを書きながら思い出した。私は労働の研修でフィリピンに一ヶ月滞在したことがあるが、日中のストリートにはたくさんの男がウロウロしていた。女はあまり見なかった。何でもかの国では女性が働いて男がプー太郎なのが普通だそうだ。十五年くらい前の話だし、本当かどうかも分からないけどね。その後モンゴモロで夕食。私はこのジャワ料理店を数ヶ月に一度は利用するのだが、来る度にそれ以上の頻度では利用しない理由を再認識する。思いのほか主菜の可食部が少ない。私が選んだヤギの煮込みはほぼ骨だった。物足りない。

山手線、有楽町駅。18時開場、19時開演で、18時33分に東京国際フォーラム、ホールCの入り口に到着。ココに至るまでfox capture planのフォの字も出していなかったけど(フォの字って何だ?)、前置きが長い(というか前置きと本題の境目があるようでない)のが当ブログの持ち味である。今日はfox capture planさんの新アルバム“Discovery”のリリースを記念して行われるコンサート。アルバムを引っ提げて、というHello! Projectでは死滅して久しい様式。古きよき。こうあるべき。アルバムを定期的に発表して、それを軸に活動していく。それが本物の音楽集団。ストリーミングに最適化された単発の曲や短いEPをドロップし、まとまった形で聴きたいならお前さんで勝手にプレイ・リストでも作ってくれやという最近の流れに私は賛同できない。音楽家はアルバムを出してナンボ。物語、コンセプト、世界観を一時間前後で表現してナンボ。

11月4日(水)にドロップされた“Discovery”を、私はもちろんSpotifyで聴いた。いいアルバムなのに異論はないけど、数年前までの作品のような衝撃はもう受けない。何というか、想定内の音しかないというか…。こう来るかッ!ってのがないんだよね。夢中になれない。私のfox capture planさんの音楽への慣れによるものなのか、fox capture planさんの音楽の変容(もしくは変容のなさ)によるものなのか、その両方なのか、現時点でも分からない。いつからこうなったんだろう。ディスコグラフィを見ても、明確にココからと線を引くのは難しい。2015年の“COVERMIND”まではマジで疑う余地ゼロ、もう一生ついていきますくらいの感じで、疑念が浮かび始めたのはその後だけど、かといって“Butterfly”以降のアルバムが駄作というわけでもない。ただ、色んなドラマのサウンド・トラックを手がけるようになってから角が取れていったような気がする。あいつらは売れてポップになった的な見方はあまりに短絡的で失礼なのは承知している(ピアノ担当のメルテンさんも以前そういう声があるのをネタにしていた。たしか2017年4月15日)。ただ多少の真実を含んでいると言わざるを得ない。

それでもfox capture planさんが唯一無二の存在であることに変わりがない。彼らのような音楽は、他にあるようでない。類似する集団がいそうでいない。オリジナル。私が最も好きなバンドの一つ。だから今日の公演情報をTwitterで見て、迷わず申し込んだ。

開演前の気持ちは、良い席(10列左寄り通路席)で久しぶりにfox capture planさんのコンサートを観るのが本当に楽しみだな、が8割。とはいってもこの集団にかつてほどのドープさはないんだよな、が2割。2割の方は、コンサートが始まってものの数分で雲散霧消。すぐさまステージ上の三人組の演奏に圧倒された。前もそうだったけど、生で聴くと聴こえ方が全然違う。Spotifyをイヤフォンで聴くのとは比較にならない。当たり前なんだけど、こんなに違うのかというくらい違う。もう別モンよ。阿藤快と加藤あいくらい違うよ(Ⓒ上田晋也さん)。上等な炊飯器で炊いた米は一粒一粒が立っているとか言うじゃない。それと同じで、一つ一つの音が、鮮明に飛び込んでくる。普段は聞き流しているような音も、何一つ聞き流させてくれない。音響だけじゃなく、メンバーさんが実際にステージにいるというのも大きい。こういう表情で、こういう動きを伴ってこの音を出しているんだというのが分かる臨場感。シェフが目の前で焼いてくれる鉄板焼き(メリケンが好きなやつ)と同じ原理。

セット・リストは前半が主に旧作から、後半が主に新譜“DISCOVERY”からという感じだった(間に15分の休憩があった)。終演後に配布された冊子にセットリストが記載されていた。こういう心遣いはありがたい。

[1st Set]
CROSS VIEW
衝動の粒子
Butterfly Effect
Discovery the New World
Sprinter
夜間航路
エイジアン・ダンサー

[2nd Set]
Into the Spiral
PRDR
Spread Out
Narrow Edge
NEW ERA
Paradigm Shift
Capturism
Supersonic

冊子には書いていなかったが、アンコール明けの最後の曲は“RISING”だった。私は“Butterfly Effect”、『エイジアン・ダンサー』、そして“RISING”が印象に残った。『エイジアン・ダンサー』は私が最も好きなfox capture planさんの曲の一つ。今日のセットリストではダントツに好き。“RISING”もまた好きな曲なので、それらが前半の最後そしてコンサートの最後という要所に配置されたのには気分が高揚した。そうそう、分かってるねっていう。

SpotifyやYouTubeでは逆立ちしたって得られない体験が出来た。こうやって会場に足を運んでよかったと思った。唯一ケチをつけるするならば、ストリングスが生ではなかったこと。もちろんfox capture planさんはピアノ、ベース、ドラムからなるトリオ。3人がいれば成り立つ。でもお三方が呼吸を合わせて演奏する中、ストリングスがオケで聞こえてくるとほんの少しだけ興醒めしてしまう部分があった。ほんの少しね。メンバーさんが呼吸を合わせて作り上げる、この場限りの、二度とまったく同じにはならない音楽空間、という前提がちょっとだけ崩れてしまう。特にジャズは即興の部分がコンサートの醍醐味だから。繰り返すけどほんのちょびっとだけそう思ったという程度だからね。随所に差し込まれるメンバーさんの即興は素晴らしかった。