2017年5月28日日曜日

つばきファクトリー ミニライブ&握手会イベント (2017-05-21)

新三郷駅で電車を降りて階段を上がっていると、前方に見覚えのある顔がいくつかあった。コンパクト・ディスクの予約販売が10時からだったので私は9時半に駅に着くようにしていた。彼らも同じ考えだったのだろう。そのうちの一人の青年は先日2ちゃんねるで「おまいつのゲス」とディスられていた。私の知るかぎり彼は何も悪いことをしていない。見た目、服装、態度がイキり立っているのであれば面白く思わない人がいるのも理解できる。彼にはそういうピンチケ感がない、ように見える。ただおまいつというだけである。私はつばきファクトリーの全現場に足を運んでいるわけではないので彼がどれくらいおまいつなのかは知りようがない。ただ、たしかに私が顔を出したつばきファクトリーの現場では彼を見なかったことはないので、おそらくおまいつなのだろう。ファンの母数がもっと多ければおまいつでも埋もれて目立たない。今のつばきファクトリーの活動規模だと現場に来る面子がある程度は固定されている。だから覚えられやすいのだろう。いつもいるというだけで2ちゃんねるでディスられる。つばきファクトリーを応援するというのは、そういうリスクを伴う行為なのである。私はおまいつではないのだが、参加者に覚えられて2ちゃんねるでディスられるのをなるべく避けるために、小野(瑞)と印字されたTシャツばかりを着るのではなく、服装に変化を付けることにした。今日はラッパーのハハノシキュウさんから購入した「8x8=49」と印字されたTシャツを着ていった。小野(瑞)Tシャツは一応カバンには入れてきたが、着用はしなかった。周りを見ると名前入りのTシャツを着ている人よりも普通の服装をしている人の方が多かった。目立ちたくなかった。

会場のららぽーとは駅に直結していたので、迷うことはなかった。イベントが開催される空間に、コンパクト・ディスクの予約購入希望者たちが並ばされていた。その時点で列に並んでいたのはざっと70-80人くらいだったかな。日差しがモロに降り注いでいて、きつかった。5月にしてはやたらと暑い。このタイプのイベントは昨年末に池袋で参加していたので、勝手は分かっていた。並んでいる間に、予約購入の用紙を渡される。通常盤A、B、Cのそれぞれを何枚買うのかを事前に記入し、販売の窓口で渡す。配送を希望する場合は佐川の伝票にも記入する。送料は600円かかる。新三郷に来る用事はなさそうだし、600円を節約するために数百円の切符代と片道数十分をかけてここまで来るのは割に合わないので、配送伝票にも記入した。コンパクト・ディスク3枚で3,240円、配送料600円で、計3,840円。同じコンパクト・ディスクを3枚も要らないのは言うまでもないが、この金額でイベントに三回も参加できて丸一日たのしめると考えると悪くない。コンパクト・ディスクはおまけだ。販売開始の10時から30分ほどたったところで、無事にディスクの予約を済ませて整理券を手にすることができた。整理番号は1回目が81番、2回目が51番、3回目が125番だった。1時間くらい浴び続けた夏の日差しが、元々あった疲労感とだるさを加速させた。ららぽーとのベンチに座って休息を取っていたら会場の方から音が聞こえてきた。初めは気にしていなかったし気にする気力もなかったが、よく耳を澄ますとつばきファクトリーの曲やんけ。公開リハーサルやっとうやん。10時43分頃。慌てて駆けつけると、つばきファクトリーがステージで歌って踊っていた。全員が可愛すぎて疲れが消し飛んだ。ニヤニヤが止まらなかった。私が到着したときは『気高く咲き誇れ!』だったか『青春まんまんなか!』だったか…そのどっちかだったと思うが、その曲の後半だった。衣装ではない。レッスン服?というのかな。眼福(ふくとぷくで韻を踏んでいる)。裏方を交えて打ち合わせをしてから次に『初恋サンライズ』をやって、彼女たちは捌けていった。小野瑞歩さんがしきりに目を気にして、今にも泣きそうな表情を何度もしていた。眩しそうにも見えたし、目に何かが入ったようにも見えた。谷本安美さんが歩み寄って小野さんの目元を少し触っていた。

1回目。開始11時30分。集合11時10分。優先エリアの右前方は親子連れや女性のためにブロックされていた。その条件に当てはまる人はそんなに来ないんじゃないかと思うほどにその区画が大きかった。つばきファクトリーの現場ではお馴染みの「前説のお兄さん」が現れた。彼はいつもサッカーのユニフォームを着用している。今日は赤のバイエルン・ミュンヘンだった。彼は「つばきファクトリーの新曲は『就活センセーション』。みなさんも今『推し事』をされている。今日は℃-uteが千葉でコンサートを行う。今日、途中で抜けて℃-uteに行くのは『転職』です。転職先でつばきファクトリーの販促をお願いします。普段は℃-uteを観ているが今日、つばきファクトリーを観に来てくださっている方は『出向』をされている。℃-uteの日替わり写真を諦めてくださってありがとうございます。欲しければ現地にいる人に電話をかけて頼んでください」という旨の、いつものようにユーモラスな演説で我々の心をつかんだ。その上で過剰な声援が禁じられている、いつものライブの感じだと過剰になる、普段の8割くらいに抑えてほしいと言って我々の笑いを誘った。連続ジャンプは禁止だがサンライズジャンプはOKとの言葉に、我々は拍手。Berryz工房の“CLAP!”を歌いながら登場するつばきファクトリー。そこから『気高く咲き誇れ!』、『初恋サンライズ』。日焼け止めを二重塗りしてきたという小片リサさん。私は四重塗りしてきたと対抗する岸本ゆめのさん。今日は「初恋サンライズ大喜利」という企画があった。初恋サンライズ大喜利というのは元々、『初恋サンライズ』のセリフ部分を別の動画に差し替えておもしろくするという、インターネット空間で行われた遊びである。私もTwitterでいくつか見たことがある。ファンたちによるアンダーグラウンドの遊びを公式が採用したということだ。たしか「前説のお兄さん」が初恋サンライズ大喜利を見ていると発言していたというのをTwitterで見た記憶があるので、おそらく氏の発案なのだろう。今日のイベントで使うためのネタを各メンバーがブログのコメント欄で募っていた。そこから採用されたセリフもあったし、各メンバーが自分で考えたセリフもあった。1回目では小片さんの「ご飯ばっか食べてる人、誰? 本当に」と山岸さんの「こんな水着、初めて」が面白かった。大喜利の後は『青春まんまんなか!』、『泡沫サタデーナイト』。『泡沫』のセリフは小野瑞歩さんが担当した。『就活センセーション』の衣装がどうのと言っていたが、聞き取れなかった。小野さんは少しとちって焦っていた。握手は、右から岸本ゆめのさん、谷本安美さん、小野瑞歩さん、小野田紗栞さん、山岸理子さん、小片リサさん、新沼希空さん、浅倉樹々さんという順番で我々が流れていく(秋山眞緒さんがメモから抜けている。どの順番だったか覚えていない)。基本的にお疲れさまでしたで通した。一人目の岸本さんは時間が余ったので「暑いね」と言ったら「暑いですね」と返してくれた。小野さんは「あ!ありがとう」という感じで先手を打ってくださった。「目、大丈夫?」と聞いたら「汗が入ったの」とのことだった。小片さんは私のTシャツを見て「8x8。えっと…」、私が次に流れてから「64!」と言ってくださった。2回目の前に私はららぽーとのしょうもないフードコートで丸亀製麺のとろろしょうゆうどん、とり天、アジフライを食した。650円。

2回目。開始13時45分。集合13時25分。4列目、どまんなか。真正面に、ステージに貼ってある0の番号が見えた。バイエルン氏の前説。「思ったより『転職』する人が少ないですね。1回目をららぽーとの方に見ていただいて、どうですかと確認したら、大丈夫ですと。ジャンプも統率が取れていて問題がなかったとのことで」。ドッと笑いに包まれる優先エリア。「今日は暑い。気象庁ホームページを見ましたけど、最高で32℃までいくそうで。急に暑くなって、うちらはまだ身体が出来ていない。水分補給、体調管理をしっかりしてください。せっかくの楽しいイベントで体調を崩してしまっては意味がないですから」。2回目はセット・リストが『青春まんまんなか!』の代わりに“Just Try!”だった。『泡沫サタデーナイト』のセリフはまた小野さんが担当した。今回はリクルート・スーツが198(いちきゅっぱ)だの言っていた気がするが私は聞き取れなかった。2回目では『就活センセーション』が中島卓偉さんによるダンス&ファンク・ナンバーで、振り付けに就活を意識した礼儀正しいお辞儀が入っているということが明かされた。大喜利では浅倉樹々さんが「樹々、食べてないもんそんなに!」と1回目の小片さんへのアンサーを返したのが小粋だった。これはDVD MAGAZINEで小片リサちゃんと口論になったときの…と説明する浅倉さん。なってないなってないと笑いながら手を振る小片さん。小野瑞歩さんは、このイベントを3部まで観ても℃-uteの夜公演には間に合うという旨のことを言っていた。それには無理があるらしく、私の近くにいた紳士はいや間に合わないだろ的なことをお連れさんに言っていた。風が吹いてきた。最後の方は日陰になった。一部よりだいぶ楽だった。握手は、浅倉樹々さん、新沼希空さん、小片リサさん、山岸理子さん、秋山眞緒さん、小野田紗栞さん、小野瑞歩さん、谷本安美さん、岸本ゆめのさんの順。浅倉さんに「ダンス格好いい」と言ったら「ありがとう。嬉しい」と言ってくださった。小片さんには自分のTシャツを指さして「さっきありがとう、答え言ってくれて」と言ったら「うん。64」と言ってくださった。次の山岸さんが私のTシャツを指さしてきた。秋山さんもその流れで私のTシャツに気付き「8x8」と少し悩んでから「64」と言っていた。谷本さんが何か話しかけてきたような気がしたが分からなかった。小野さんが最後まで目線を外してこなかった。『泡沫サタデーナイト』のセリフで何と言っているのか聞こうとしていたが、忘れた。2回目は途中から日陰になったとはいえ私は暑さで消耗していたので、室内で休みたかった。ららぽーと内の丸福珈琲店。アイス・コーヒー560円。当店のコーヒーは濃いですが大丈夫ですか? 大丈夫です。加糖と無糖どちらにしますか? 無糖で、シロップを自分で調整したいです。アイス・コーヒーが届いてから、先ほどの握手の順番を記録していなかったことに気が付いた。一瞬、外に出ますと店員さんに断って握手現場が見渡せる場所に移って、握手の順番をiPhoneのメモに記録した。アイス・コーヒーは本当に濃かった。しばらく休んで外に出たら明らかに気力と体力が回復していた。これで3回目を乗り切れる。

3回目。開始16時。集合15時40分。汗をかいたのかユニフォームを別のに着替えた前説のお兄さん。「だいぶ『転職』した人が多いですね」と優先エリアを見渡して述べる。人が減ったぶん、これまでは8割に抑えていた声援を全力にしていいという許可を我々に出す。6月11日に新潟でリリース・イベントを行います。大きな会場で、ステージが高い。ヒルクライムさんがイベントを行って2,000人を動員した場所です。そこで新曲を初披露する予定です。音楽はナマモノなので分かりませんけど、披露する方向で動いている。新潟はここから200-300キロと大した距離ではないので来てください。野外なので、てるてる坊主を作っていただいて」。ここで伏線が回収された。彼が着ているのはアルビレックス新潟のユニフォームだったのである。しかしご本人はそこにはいっさい触れない。分かる奴だけ分かれという、細かい芸。開演の数分前、競馬新聞を持ちスマートフォンで競馬中継を観ながら「そのまま行け!」なぞと叫んでいる紳士が前方にいて、周囲にややピリッとした空気が走った。隣のご友人たしなめられていた。私が引いた整理番号は、三回の中で一番悪かった。だいぶ後方になってしまうのではないかと思ったが、実際には悪くない位置に付けた。4列目の、左寄り。距離でいうと51番を引いた2回目とほとんど変わらない。3回とも割とよく見えた。数メートル先でつばきファクトリーが歌い踊る姿を目に焼き付けるという幸運に恵まれ興奮を味わった(幸運と興奮で韻を踏んでいる)。整理番号は3部とも600番くらいまで呼び出していたけど、優先エリアにいたのはせいぜい100人くらいだったと思う。600人はそもそもあそこに収まらない。回がわりの曲は『うるわしのカメリア』と私は予想していた(最新シングルで唯一披露されていなかったので)が、『独り占め』だった。大喜利では小野さんがリクルート・スーツにまつわるネタを発表し、「新曲の中にリクルート・スーツ…」と言いかけたところで口を押さえた。まだ言ってはいけないことを言いそうになったようだ。「最近、世の中に(リクルート・スーツを着ている人が)多いからね」と取り繕うメンバーたち。握手は、小片リサさん、岸本ゆめのさん、秋山眞緒さん、谷本安美さん、山岸理子さん、小野瑞歩さん、新沼希空さん、小野田紗栞さん、浅倉樹々さんの順。小片さんが「ありがとう」と先制攻撃を仕掛けてくださった。ドイツ語でTschüssと申し上げたところTschüssと返してくださった。たしか小片さんが以前にブログの結びにTschüssと書いているのを見たことがあったから、この言葉が彼女に通じるであろうことは分かっていた。秋山さんがあー!って感じでTシャツを指さしてくださった。というわけで今日は、どんな曲なのか分からないシングル・コンパクト・ディスクを3枚予約し、そのディスクに収録される3曲のどれも披露されないミニ・コンサートに3回参加し、予約したディスクに入っている曲に接することなく家に帰った。数メートルという距離で歌って踊るつばきファクトリーを堪能できる喜び。これはまだ彼女たちがリリース・イベント中心の活動を行っている今だからこそ味わえるのである。

2017年5月25日木曜日

minako-太陽になった歌姫- (2017-05-19)

二つの戦争を同時に戦うと失敗する。これはアメリカ軍が残した教訓である。2001年のいわゆる同時多発テロを契機にテロリズムとの戦争を宣言したアメリカはイラクとアフガニスタンに兵を投入した。彼らの駐在が長期化するにつれその費用はアメリカの財政に大きな負担となり、兵士たち自身も疲弊していった。疲弊で済めばよいがアメリカ軍の死傷者数は同時多発テロによる被害者の数を超えた。数字には表れにくいが、生存していても心身に取り返しのつかない傷を負って(例えば四肢のいずれかを失う等)余生を送らざるを得なくなった者も多くいる。映画『アメリカン・スナイパー』にもそういう描写があった。私は大学生の頃は“Newsweek”や“The American Conservative”を購読し、Rush Limbaughの政治トーク・ショーをAFNで視聴し、アメリカ政治に関する本も読んでいた。だからこうやってインテリ感を匂わせながら記事を始めることも出来る。なめんなよ。とはいえ何せタンスの奥から引っ張り出してきた知識だし、これ以上くわしく書くとボロが出る。この文章を書くために今から書籍や記事を掘り起こして勉強し直す気はないので、深入りするのはよしておこう。もっと卑近な例でいうと、服オタクだったころの私は、コム・デ・ギャルソンとヨウジ・ヤマモトを並行して買っていた。依存症と言ってよかった。異常な出費。両ブランドの価格帯は似通っていて、ジャケットが安くて7万円、高くて15万円くらいした。2万円のTシャツというのも珍しくなかったし、店員は3万円のジーンズをお手頃ですと勧めてくる。私もそれに慣れて服に関する金銭感覚がおかしくなっていた。そんなブランドを普通の会社員でしかない私が掛け持ちで見るなんてのは正気の沙汰ではなかった。アメリカがイラクとアフガニスタンに同時に駐留したのと同様に、私が並行してコム・デ・ギャルソンとヨウジ・ヤマモトの顧客であったのも自己破壊的な行為であった。虻蜂取らずとは違う。虻も蜂も取ることは可能だ。その代わりに経済的に破綻する。

「一人の表現者として今までとは異なる舞台に立つ田村芽実さんを、またいつか観に行きたい」。2016年5月30日に日本武道館で行われたアンジュルムのコンサートを鑑賞した私は、そう書いた。このコンサートを最後に田村芽実さんはアンジュルムとハロー!プロジェクトを退団した。ミュージカル女優になるためである。田村さんの歌唱、ダンス、演技に魅了されていた私は、彼女が新しい道に進んでも変わらずに見届けていきたいと思っていた。それは偽らざる本心だった。一方で、疑念もあった。ハロー!プロジェクトから離れても、私は本当にお金と時間を使って田村芽実さんを観に行くのだろうか? ハロー!プロジェクトだけでも、追いきれない数と量の現場、YouTube番組、ブログ、ラジオ番組、曲がある。私はYouTube番組に関してはハロ!ステは何とか毎回チェックしているがそれ以外はたまに観る程度だ。私は主にJuice=Juiceとつばきファクトリーに絞って観ているにも関わらず、その2グループのブログでさえ読めていない記事の方が多い。そんな状態で、ミュージカル女優としての田村芽実さんも追うことが出来るのか? 二つの戦争を同時に戦えるのか? そもそも、戦争は一つに絞るべきではないか? 私にはそういう葛藤があった。『minako-太陽になった歌姫-』に田村芽実さんが主演されると知ったときは嬉しかった。minakoシートという特等席に応募した。三口応募して幸運にも5月19日(金)の夜公演が当選した。田村芽実さんが目標であったミュージカル女優として踏み出す第一歩を、私はこの目で観たかった。とりあえず一度は観てみたいという気持ちが強かった。7月に『グランギニョル』という舞台に田村さんが出演されることが、4月に発表された。私はチケットの先行受付に応募し、当選した。5月の『minako-太陽になった歌姫-』に、7月の『グランギニョル』を一度ずつ観させてもらうことは決まったけど、その先のことは分からなかった。5月17日には、田村芽実オフィシャルファンクラブ《Thanks!!》の開設が彼女の公式LINEアカウントから発表された。私はその時点では入らないつもりだった。ハロー!プロジェクトのファンクラブ会員という本業があるので。

結果からいうと、『minako-太陽になった歌姫-』を観終えた私は、これからも継続的に田村芽実さんを一人のファンとして観ていくことを心に決めた。その日の夜にファンクラブへの入会を申し込んだ。薄々、思ってはいた。実際に観劇したら感激してファンクラブに入ってしまうのではないかと。それは予想でもあり、新しい田村芽実さんへの期待でもあった。その期待にまったく劣らないものを見せてもらった。会場のCBGKシブゲキ!!は、1月29日につばきファクトリーのFCイベントを観に来たMt.Rainier Hallと同じ建物内だったので、場所は把握していた。私が購入したminakoシートは、通常の席よりも値段が高いかわりにセンター・ブロックの5列目以内が保証されるというディールだった。私に割り当てられたのはB列。2列目。しかも前が空席(もったいない!)。絶好の位置だった。開演前に舞台に衣装がたしか5点、飾られていた。モノホンなのかレプリカなのか知らないが本田美奈子さんが着用してきた衣装らしい。それぞれの衣装に関して解説の音声と映像が流れていた。開演しても田村さんはすぐには登場しなかった。彼女が舞台に出てくるまでに7-8人が出てきて、じらされた。一年ぶりにお姿を拝見した田村芽実さんは一層おきれいになられていて、名古屋風にいうとデラべっぴん(英知出版)だった。私は本田美奈子さんのことは知らなかったし、下調べもしなかった。私にとっては普通のことだ。映画も事前に予習しないで観る。せいぜい観るかどうかを決めるにあたってあらすじを読む程度だ。もちろんネットに公開された『minako-太陽になった歌姫-』に関する田村芽実さんのインタビューは読んだが、本田美奈子さんご自身に関しては何も知らない状態で臨んだ。なぜ本田美奈子さんの名前の後にドット(.)が付いているのか、今でも知らない。しかしこの劇を観て、田村芽実さんに本田美奈子さんが乗り移っていると感じた。本田美奈子さんのことを知らない私のような人間にもそう思わせてくれるだけの演技を、田村さんは見せていた。本田美奈子さんがどういう人間でどういう歌手であったかが、田村芽実さんの演技を通して存分に伝わってきた。無邪気さ、芯の強さ、自己プロデュース力、素直さ、歌へのこだわり、優しさ。本田美奈子さんの時代を追体験した気持ちになれた。本田さんは18歳でデビューし、38歳で亡くなったのだが、そのときどきの年齢の雰囲気を田村さんは演じ分けていて(もちろんメイクや衣装等の効果もあったとは思うが)、違和感がなかった。田村芽実さんには舞台やミュージカルの役者として、歌手として、息の長い活動をしてほしい。そのために私としては、彼女が出演する公演に足を運ぶファンの一人でありたい。本業のハロー!プロジェクトがあるので、同じ舞台を何度も観に行くというような関わり方は難しいかもしれない。それでも、ほんの微力でも(例えばチケットに限らず今日も販売されていた一枚500円のボッタクリ写真をちゃんと買うというような形で)彼女の活動の原資を提供できるようにしたい。

2017年5月21日日曜日

NEXT ONE SPECIAL (2017-05-13)

名古屋いうたらモーニングですやん。早朝に着いて喫茶店に入るのも名古屋を満喫している感じがしてええんちゃうかと思ってな。夜行バスを選んだんや。ただのバスちゃうで。コクーンいうて、ウィラーという会社がやっとる富裕層向けのバスや。8,900円もしたんやで。ネットで画像やら口コミやら見るかぎり快適そうやったし、自分がそれに乗って移動するのを想像したら何かワクワクしたんや。一度どんなもんか経験してみたくてな。新幹線は旅情もクソもあらへんし値段の割に乗客の民度も高うないからよう好かんねん。初めて行きましたわ、バスタ新宿。そうそうボロネーゼ、ナポリタン、イカスミ…って何でやねん。パスタちゃうわ。バス・ターミナル略してバスタや。バスタ・ライムスちゃうで。何となく噂には聞いててんけど、実際に行ってみるとほんまワックな空間やった。小さなファミマが一つあるだけで、ベンチも足りてへん。その辺の壁沿いに座ってる人がぎょうさんおった。バスの乗り場案内も、いちおう電光掲示板はあんねんけどのべつ幕なしにお兄ちゃんが声で案内し続けとる。もう八百屋かっちゅうくらいやかましいねん。最近できた施設の割にテクノロジーを感じさせへん。全然くつろげんしリラックスも出来ひんわ。バスタ新宿を利用するときは近くのマクドあたりで時間を潰すのが正解やで。コクーンは乗車してみると思ったより狭かった。自分の席に荷物はほぼ置けへん。足下がすぼまってて、完全には伸ばせへん。ただ席を倒すとそれなりに広くはなって、まあ寝るのに必要最低限の空間はあったわ。困ったのは冷気や。何であんなに寒かったんやろ。長袖のシャツでも肌寒くて、まともに寝られへんかった。ちょっと喉が痛くなった。寒い場合は毛布で調整してください的なアナウンスが出発直後に流れてんけど、俺の席には毛布なんか置いてなかった。

新宿を出たのが24時5分で、朝の6時40分くらいに名古屋に着いた。バスを降りたら雨が本降りでげんなりした(本降りとげんなりで韻を踏んでんねん)。この俺様がわざわざ名古屋くんだりまで来てやってんのにこの仕打ちはないやろ。バス乗り場の近くにはコンビニがなくて、しばらく雨に打たれながら歩いたわ。念願のモーニング。名古屋駅の近くにある「Nick Stock」。NICKバーガーとアイス・コーヒー。518円。今は暖かくなってきたけど、俺は真冬でもアイス・コーヒーを飲むで。年中、飲むで。寒くなったらアイス・コーヒーを飲まなくなる奴はフェイクや。NICKバーガーの注文を店員さんが厨房に伝えるときにニックビーいうててな、チックビー(乳首)、Lick-Gと俺の頭の中で韻がつながっていったわ。NICKバーガー、ジューシーでおいしい(語尾をしいで揃えてんねんで。ドヤ?)。この店には名古屋らしからぬ落ち着く雰囲気があってまた来たいと思った。検索してみたら京都発の店なんやってな。そっから「炭の湯」という銭湯に行った。6時半からやってるらしい。夜行バスやと風呂に入られへんし、ヒゲも剃られへんからな。びっくりしたのが若えので賑わっていることやった。全員旅行者なんやろか? 地元民でも朝から銭湯に入るのが根付いてんねやろか? 家に風呂がないねんやろか? と不思議に思った。「炭の湯」には結局1時間弱、滞在した。バス(bus)で冷えた身体をバス(bath)で温めた。ヒゲを剃って、髪を整えた。入浴420円。タオル160円。9時頃。

今日の会場は日本特殊陶業市民会館ビレッジ・ホール。去年の6月にもJuice=Juiceのコンサートで名古屋に来たことがあってな、そのときは同じ場所にあるフォレスト・ホールやってん。フォレスト・ホールの収容人数が2,291人、ビレッジ・ホールは1,146人。つまり約半分やねん。約というか、フォレスト・ホールの収容があと一人多ければほんまにぴったり半分やな。会場は格下げや。たしかに去年は客入りが悪かったから仕方ないのかもな。(格下げで思い出してんけど、会議中に日本語で「格下げだ」とある人が言ったところ同席していたアメリカ人が“cock sucker?”と聞き返したという笑い話を聞いたことがある。)ただ箱が小さいぶん、公演数は去年が1回だったのに対し今回は2回やからまあトントンやな。観客の述べ人数でいうとむしろ上回っていたかもしれへん。2公演とも入る輩がおるからな。俺みたいな。グッズ販売が11時半で時間があったから、会場と同じ金山駅の前にあるボストン美術館に入った。「歌川広重 東海道五拾三次」の展示やった。絵で描写されている店が興味深かった。町の感じがファミリー・コンピュータの『がんばれ五右衛門』を思い出した。モデルになっとる時代がかぶっとんやろな。11時15分頃にビレッジ・ホールのグッズ列に加わった。そんなに並んどらんかった。30人くらいやったかな? 11時50分頃に購入完了。全員の日替わり写真を買うた。俺が買い終えた時点でほとんど列はなくなっていた。5月3日に中野サンプラザで見て印象に残っていた、宮崎さんのタオルに書いてある文をiPhoneのメモに書き起こした。
ホールコンサートの楽しみ方はたくさんあります(笑顔の顔文字と小さなハートマーク2つ)
じっとみるのも良し。
リズムに合わせてサイリウムをふるのも良し。
みんなが楽しい空間になりますように…(ハート絵文字)
改めてじっくり読むと、素敵やん。

会場の規模が小さくなったのはJuice=Juiceのことを考えると気の毒やけど、いち観客としてはむしろウェルカムや。俺にとって究極の理想は、観客は自分一人だけで、すぐ目の前にJuice=Juiceがいる。もちろんそんなことは絶対にあり得へんし、そんな状況が訪れたら気まずすぎてお互いによう耐えられへんと思うよ。それは極端にしてもな、近くて見やすいというのが日頃から私が望んでることなんや。それは会場が大きくなればなるほど難しくなる。箱が小じんまりしている方が近さと見やすさを手に入れるチャンスが大きいねん(もちろん、会場が小さいほど入れる客は少ないわけやから、チケットが当たらない確率も高くなる)。ライブハウス(和製英語)やと物理的には近くてもいい番号を引かない限り見えづらいという問題がある。せやからいわゆるホールと呼ばれとる、座席と段差が付いている会場で、収容人数が小さめというのがいい塩梅やねん。ビレッジ・ホールくらいがちょうどええねん。入場した際に1階のいちばん後ろから全体を眺めてみてんけど、割と近かった。最後列でも戦意を完全に喪失することはなさそうな距離やった。三郷市文化会館もこんな感じやった。そうは言ってもな、まあ俺くらいのVIPになるとアップフロントもそれなりの席を割り振ってくれるわけで。昼公演(15時開演)はお列(5列目)、夜公演(18時半開演)はき列(7列目)やった。あ列はカメラが通るために潰してあったから、い列が最前やった。

これまで三郷で1公演中野で2公演観させてもうたけど、その3公演よりも今日の2公演の席が近かった。逆説的(高校の現代文でよく出てきた重要語句)やけど、近い距離からコンサートを観ることで、コンサート全体がよく見えた。いや、当たり前といえば当たり前なんやけど、一見、後方から観た方が全体を俯瞰しやすそうに思えますやん。それがそうでもないねんな。それほど近くない席やと、肉眼(メガネ)で観た場合は解像度が落ちる。詳細が分からない。そこで双眼鏡を使うわけやけど、そうすると今度は視野が狭まる。同時に複数人の動向を把握するのは難しくなる。双眼鏡で宮崎由加さんの表情を追いかけると、他のメンバーがどこにいて何をしているのかを把握するのが難しくなる。近い位置だと宮崎由加さんの細かい動きをとらえつつ、他のメンバーさんの様子も同じ解像度で同時並行で分かる。近い方がステージ上で起きていることの全体がよく見えるというのは、今さらやし、当たりまえだのクラッカーかもしれへんけど、自分の中で発見やった。

こうやって名古屋の良席体験を新鮮に思えたのも、5月3日の中野サンプラザがあったからやと思う。あの日の夜公演(体調不良+後方の席+ツーブロックアナル野郎)でげんなりしたのがいいクッションになった。あれがあったおかげで、良席と平和な鑑賞環境のありがたみがいつも以上に沁みた。ありがとう、イキリツーブロックチンポ。今日のビレッジ・ホールは周りに変な奴が一人もおらんくて快適やった。これまでの俺の経験やと東京よりも地方の方が変な奴がおらんくて観やすいわ。あまり動かない人が多かった。でも前の方はそれくらいがちょうどええねん。開演してJuice=Juiceが出てくると同時に物凄い笑顔に自分がなっていくのが分かった。最前でこっちを向いてひざまずいている警備の兄ちゃんに満面の笑みを見られるのがはじめは恥ずかしかったんやけど、途中から気にならなくなった。さっきまで眠気があって少しだるかったので本気で楽しめるか少し不安やってんけど、開演と同時にだるさが完全に吹き飛んだ。Juice=Juiceが素敵すぎる。まぶしすぎる。彼女たちの表情の変化やふとももの揺れだけでなく、まばたきまではっきり分かる距離というのは、もう特別。これを味わうために生きてるって感じがする。

ごっつおもろかった場面があってな。『ロマンスの途中』あるやん。終盤で宮本佳林さんの左の髪が口の中に入ってな。汗で顔に引っ付いとったんやろけど、なかなか取れへんねん。どうしはるんかなってずっと見ててんけど、無理に吐き出したり振り払ったりせえへん。不自然な動きをいっさいせえへん。顔にも出さへん。本人は絶対に気付いとるはずなんやけど、平然とパフォーマンスを続けとるんや。さすがに次の『愛のダイビング』の序盤でご自身のパートを歌いきった直後に、左手でさっと払うように髪を口から出してはった。この20秒やそこらの宮本さんの対応は見応えがあった。いいものを見させてもらった。おそらく会場におった人で気付いた人はほとんどおらへんかったと思うよ。俺も仮に同じお列でも違う位置だったら気付かれへんかったと思うわ。

宮本佳林さんは真正面を見据えたまま、つまり目線を下げずにステージの階段を降りていた。いつだったか℃-uteのコンサートを観たJuice=Juiceが、階段を降りるときの℃-uteの動作の格好良さに感銘を受け、自分たちも同じように出来るようになりたいと言うてはっていたのを覚えている(このブログのどこかに残っているはず)。以前にハロー!プロジェクト・メンバーの誰かが高橋愛さんを同じ理由でほめているのを聞いた記憶がある。コンサートで階段を下りるときに下を見ないというのはとても難しいことらしいねん。まあ素人から見ても危ないよな。転んで落ちて怪我してまうかもしれへんもんな。宮本さん以外やと植村あかりさんも出来ているように見えた。他のメンバーさんは足下を確認しながら降りていた気がする。

金澤朋子さんが怖い話をすると切り出す。「まだ夏じゃないよ」と宮本佳林さん。話が始まる前から怖がる宮崎由加さん。金澤さんはこういう話をしとったわ:オフの日に昼までゆっくり寝ていた。昨日の疲れを取ろうと。すると電話がかかってきた。知らない番号。普段は知らない番号にはあまり出ないが寝ぼけていたのもあって出た。相手が言うには、お電話をいただいたのでかけましたとのこと。寝ていたから電話はかけていない。いたずら電話にしてもそんな言いがかりはないじゃないですか。心当たりがないのでお名前を教えてくださいと言うと電話の向こうから「金澤です」。「私も金澤です」となってお互い「?」となった。確認して折り返しますと言って切った。私は親族以外で金澤を知らない。LINEの家族グループに連絡。「私も来た」。いつ?「さっき」。母「お前か!」。いたずら電話だと思っていた着信はお母様からだった。金澤朋子さんは寝ぼけてお母様に電話をかけてから間違えてお母様の番号をアドレス帳から消した模様。21年間育ててくれた母親の声が分からへんかった。お母様も金澤朋子さんの電話番号を登録していない。えー?という客とメンバーの反応。最近、お母様が機種を変えたから的な弁解をしはる金澤さん。もうすぐ母の日なのでみなさんお母さんの声を聞いてあげてください、と話をまとめる金澤さんに「お前が言うな」と高木紗友希さんが突っ込んできれいにオチが付きましたわ。そっから話が展開して、昔、電話をかけると宇宙人につながるのが流行ったと回顧する宮本佳林さん。「佳林ちゃんにとっての昔っていつ?」と聞く金澤さん。「小学5年生か6年生くらい」と宮本さん。「それみんな(観客)にとっては昨日のことだから」という高木紗友希さんの当意即妙な発言。あったあったと盛り上がるJuice=Juice。ぽかーんとする我々を見て「みんな置いてけぼりだよ」と指摘する高木さん。「何で分からないの? 後でググって」と宮本さん。

最後のトークで宮崎由加さん曰く、名古屋でコンサートをやるときの楽しみはケータリングのグラタン(去年も同じことをおっしゃっていた)。℃-uteの矢島舞美さんに教えてもらってそこから好きになった。今日も食べた。今日は早めに衣装に着替えた。本番の直前にお腹が空いた。そういうときは本番中もお腹が空くので本番直前にもグラタンを食べた。そのおかげか客がよく見えた。目がよくなった?と思うくらい。宮本佳林さん曰く、名古屋の皆さんは顔が優しい。それを聞いた私は、『実話BUNKA超タブー』vol.20の「名古屋人が超絶ウザいことは、もはや日本国民の相違と言っても過言ではありません。ケチでワガママ、利己的で、自分が正しいと信じて疑いません。初対面の人に出身地を聞いて名古屋だったら、絶対に距離を取ることをおすすめします」という記述を思い出し、そのギャップが可笑しくなった。

私は最近マインドフルネス瞑想というものを始めた。『世界のエリートがやっている 最高の休息法』(久賀谷亮)という本を読んだのがきっかけだ。iPhoneに瞑想のアプリを入れて、毎日10分から20分の瞑想を行っている。今は“Search Inside Yourself” (Chade-Meng Tan)という本を読んで、理解を深めようとしている最中だ。『世界のエリートがやっている 最高の休息法』によると、脳を休めないと真の休息は得られない。脳の疲れは過去と未来について気を病むことで生まれる。意識を現在に集中するのがマインドフルネスの要点である。それが出来るように精神を鍛える方法が瞑想なのである。私はコンサートに熱中すると、今この瞬間、それが人生のすべてだというような感覚になることがある。他のことがいっさい頭から消えるというか。fox capture planのときにもそういうことを最後に一言だけ書いたけど、コンサートを本当に楽しめているときはそういう精神状態になる。今日のJuice=Juiceでもその境地に至った。マインドフルネスに到達したと言っていいのではないだろうか。ところで、エセ関西弁的な文体で書くのはしんどくなった。もうやめた。何なんだよあれは。

本編が終わると、アンコールは即座に始まった。ビレッジ・ホールに集結したヘッズは、はじめは少し温度が低いかもと思ったが、最後にはすっかりみんな熱くなっていた。本当に名古屋まで来てよかった。Juice=Juiceは遠征してまで観に来る価値がある。私は喜びをしみじみ噛みしめた。

昼公演の終盤にサイリウムが折れた。光る部分の根本がぐらついてきて、取れた。2014年10月11日(土)から使っていた。夜公演の開演前に公式ペンライトを買った。3,500円もしやがる。その割にいちばん肝心な宮崎由加さんのピンクがいまいちピンクに光らない。紫っぽい。間違って宮本さんの色を光らせているのではないかと何度も不安になったが、色を切り替えていくともっとはっきり紫の色もあったので、私は間違っていなかった。公式のペンライトを売り出すんだったらこれがこの子のメンバー・カラーですという色をちゃんと再現しなきゃダメでしょ。喝だ(『サンデー・モーニング』風)。

夜公演は、前の若者が左と右で赤と緑のパッチワークになったTシャツをお召しになって、赤と緑のサイリウムを両手に2本ずつ携えていてイヤな予感がした。視界を妨害されてイヤな思い出になるのを覚悟した。ところがその若僧、開演すると動きは控えめでおとなしく、サイリウムを高く掲げることすらほとんどしなかった。過剰なほどの配慮がある鑑賞態度だった。ありがとう。

宮本佳林さんが、松本伊代さんと対談したときのことを心底うれしそうに語った。対談中にどこを見ていいか分からなかった。目を合わせられなかった。インタビュアーから「早く目を合わせて」と言われた。というような話を宮本さんがすると、金澤朋子さんが「私はJuice=Juiceの撮影でどこを見ていいかが分からない」と吐露。マイクロ・ファイバー・タオルに使う集合写真の撮影でメンバーと密着するときに気まずいのだという。「(恋愛的な意味でメンバーを)意識してるの?」とメンバーが冗談めかしていうと、フーと冷やかす我々。否定する金澤さん。宮本さん曰く、撮影時に自分から手をつないでも3ショットくらいで金澤さんから手を離してしまう。「紗友希だとどう?」というメンバーからのパスに「あー、紗友希だとそんなことはないかな」と金澤さん。「おい」とひょうきんな動きを付けて高木さんが突っ込む。

昼公演で最も私の目に止まったのは宮本さんだったが、夜公演は不思議と宮崎さんばかりに目がいった。席が違ったこともあるかもしれない。昼公演に比べて2列後ろで、左寄りだった。微妙な位置の違いで、目に入りやすいメンバーというのは変わってくる。でも、それだけじゃなかったと思う。自分の意識が、よりまばゆい光に引き寄せられているような気がした。虫が電灯に群がるように。宮本さんは相変わらず意欲に満ちていてキレキレではあったけど、夜公演はちょっと放心状態というか(注意散漫という意味ではなく)、昼ですべてを出し切った感が出ていた。宮崎さんは圧巻だった。こちらにお顔を向ける度に次々に変わっていく表情。名人芸。多彩な表情が宮崎さんの特徴と前から知っているのに、感嘆した。

金澤さんの最後の挨拶が地に足が付いていて、誠実だった。曰く、お休みの日に家族と昼食に行く。マクドナルドに行っても、くら寿司に行っても、誰にも気付かれない。すき家で隣のサラリーマンが食べるの早いなと思って見ても、向こうは私を見てこない。みなさんのおかげてステージに立っていられる。最近その初心に立ち返った。

昼公演は最高だったが、夜公演はもっと最高だった。というよりは、昼が最高だったから夜がもっと最高に感じられたと言った方が妥当かもしれない。昼公演の前には眠さとだるさがあったが、コンサートの力でそれが吹き飛び、最高に仕上がった精神状態で夜公演を観ることが出来たので。席は昼の方が少しよかったけど、自分の体験としては夜の方がより強いマインドフルネスを得られた。Blu-rayでコンサートを観ると、適宜、カメラが切り替わり、そのときに注目すべき箇所が拡大される。夜公演では、生身のJuice=Juiceのパフォーマンスが、あたかも編集された映像作品のように迫ってくるような錯覚を覚えた。彼女たちには圧があった。飛び出す絵本。飛び出す宮崎由加。飛び出す宮本佳林。飛び出す金澤朋子。飛び出す高木紗友希。飛び出す植村あかり。飛び出すJuice=Juice。もうこれ以上は無理だというほどに声を出した私。出せる力はすべて出した私。日本武道館以来に燃え尽きるほど楽しんだ私。終演後は、Twitterでつながりのあるイルな地元民二人と「伍味酉」というイカした飲み屋でモツ煮を食い、ビールを飲み、フライドポテトを食い、味噌カツを食い、唐揚げを食い、茶豆を食い、日本酒を熱燗で飲み、イナゴを食い、ここでは書けない話をたくさんした。

2017年5月7日日曜日

2013年、夏、無職。

2013年7月某日

祖母が亡くなった。泣きそうな声で、母が電話してきた。先月お見舞いに来てくれたし、葬式はごく限られた身内だけでやるから○○には来なくていいと母は言った。

2013年7月某日

祖母の葬式に出るため、○○に行くことになった。最初は俺は行かないはずだったが、後からやっぱり来て欲しいという話になった。

ただでさえお金がない中、何とか速読スクールに申し込もうとしている矢先、自腹で池袋と○○を往復する交通費に充てられるお金はない。速読スクールに行けなくなるのは、受け入れられない。俺は、自分の人生を前に進めたい。
「行きたいという気持ちはあるんだけど」
「うん。どうしたの?」
「その、速読スクールに通おうとしているから、だから、ちょっとお金が厳しい」
「ああ、それなら出すから」
「そう? だったら行ける」
情けない会話だが、お金がないという現実はどうしようもない。父親から電話が来て、会場と時間を口頭で言おうとしてきたので、メールで送って欲しいと頼んだ。○○日の○○時からお通夜、○○日の○○時から葬式。

2013年7月某日

弁当を買っていたら時間がぎりぎりになった。急いでホームに行こうとしたら、何とか新幹線はこっち、何とか新幹線はこっちと、行く場所が分かれてやがる。知らねえよ。俺は新幹線に乗りたいんだ。朝からやけに腹の虫の居所が悪い。自分でもまずいと思うくらいイライラする。起きていてもロクなことはない。さっき買った総菜を食って、ジャズを聴いて景色を眺めながら、日本酒を一時間くらいかけてちびちび舐めて、寝た。一時間半くらい寝たら、少しは気分が安らいできた。○○で乗り換えて○○へ。

母からホテルにチェック・インしたらすぐに葬儀場に来いというメールが来ていたのでその通りにしたら、まだほとんど人が来ていなくて叔母が「もっと遅くてもよかったのよ」と言ってきた。喪服は現地で借りてもらっていた。手持ちのスーツではない正式な喪服を着るのは初めてだ。着てみると厚手のウールでびっくりしたが、父親によると喪服というのはこういうものらしい。上等なスーツなのは着て分かった。

どうやら俺が小さな子供の頃、会ったことがあるらしいお上品な白髪の男性が「久しぶりですね。覚えていないか」と言ってきたので「ええ、覚えていませんね」と言って愛想笑いをした。覚えていないし、思い出したくもないし、どうでもいい。住んでいる場所なんかを聞いてきた。それとなく俺の仕事を探ろうとしているのを薄々感じた。適当に言葉を濁して最低限のやり取りで会話を打ち切った。参列者たちは、自分の人生からは半分降りたような人たちばかりなので、誰々の子供がどこに勤めているとか結婚したとか、そんな話ばかりをしている。離れた場所でKindleを開いたが、居心地が悪すぎて、気が散って、何も読む気にならなかった。商社のニューヨーク支店に一年半駐在して最近帰国したという従兄弟が、エリート臭を発しながら社交的に振る舞っていた。人生品評会に巻き込まれて怪我をしないように、失業中で金髪の俺はなるべく目立たない場所で静かにしていた。早く時間が過ぎ去ってすべてが終わってくれとだけ願っていた。弟と、1年振りに会った。彼はアメリカ資本のコンサル会社に勤めている。退社するのは午前2時や3時が日常らしい。夜の10時に帰るときは「ちょっと早いですが」と頭を下げて帰ると言っていた。俺には絶対に無理だ。想像しただけでうつになりそうだ。彼は去年、結婚した。最近、35年ローンで家を買ったらしい。でもローンが終わる前に、売るだろうと言っていた。

お通夜でお坊さんがアカペラで意味不明な歌詞のラップをしている最中に誰かの携帯が鳴って、着信音がビートの役目を果たした。そのまま電話に出て、席を離れてひとしきり話した後、戻ってきた。その男には、誰も見覚えがないらしい。後で母と叔母は立腹していた。お通夜の参加者たちと一緒に、無理矢理、食事をさせられた。商社勤めの従兄弟は口角を上げて周りの人たちに飲み物を注いでいた。俺は弟の隣に座って、二人で話した。弟もそんなに社交的な方ではない。午後7時半くらいに解放された。ホテルに戻って、テレビを付けたらサッカーの日本対韓国はもう少しで前半が終わるところだった。日本と韓国が1点ずつ入れている。親戚の群れの中に無職金髪状態で放り込まれた後だと、一人だけの部屋でぼーっとする時間が最高の贅沢に感じられる。あの空間は、仮に有職黒髪でも嫌で嫌で仕方がない。最後の最後にカキタニが決勝点を奪い、日本が2-1で勝った。思わず叫んで喜んだ。

2013年7月某日

拷問の続き。葬式でお坊さんによるお経を聞くのが辛くなってきたら「変な曲 何語だそれ」というケーダブのリリック(『何でそんなに』:アルバム『理由』に収録)を頭に浮かべてやり過ごしていた。参列者たちが、お金を持って記帳するための列に並んでいた。弟もそこに合流して、立派な封筒をジャケットの内ポケットから取り出した。俺はお金なんて、用意していない以前に、そもそも原資がない! ないものはない! その場から離れた。記帳しなかった。シャカイジンじゃねえ。まともな大人じゃねえ。葬式が終わってから、火葬場に移って遺体を燃やすまでの待ち時間が最上級の拷問だった。よく知らないけど無視できない人たちと強制的に対面させられた状態で、時が早く過ぎるのをひたすら願っていた。アイス・カフェ・オレは飲み始めたらすぐになくなった。トイレに逃げると、一時的に解放感を味わうことができた。待合室の近くに小さな図書コーナー(といっても小さな本棚に本が数十冊程度)に行くと、火葬施設なのに何とか殺人事件という題名の小説が何冊も置いてあった。知らないおばさんから「お仕事は何をされているのですか?」というあの悪魔の質問が来た。「今はやっていないです」と平静を装って答えた。「勉強中なのよね」と、隣に座った叔母が助け舟を出してくれた。遺骨を壷に収めていくとき、骨を箸で取ろうとすると、思ったよりも骨がもろくて崩れてしまった。初七日とかいう強制的な食事会に参加をさせられて、最終的に午後2時過ぎまで拘束された。

2013年9月9日(月)

℃-ute、武道館。10時にグッズ列に入って、11時40分頃に購入完了。俺が買う頃には列はほとんど解消していた。神保町「ふじ好」で、鶏もも肉の親子天丼(650円)。からし醤油ダレが絶妙。思わず頷くうまさ。今日が℃-uteの単独公演として初の武道館。冒頭、会場とメンバーの高揚感と興奮に包まれて、泣きそうになった。

・萩原が一人で寝ることも出来なかった頃。
矢島「妹のように世話をした。萩原に頼まれてシャワー中ユニットバスのトイレで待っていた。暇だったのでカーテンを開けて携帯で動画を撮った」
萩原「セクハラ行為だから」
矢島「今思うとすごいものを…動画はすぐに消した」
・鈴木「今日は母が先に出たので家に一人だった。家を出る前、『お母さん、お父さん、ありがとう』と叫んで一人で泣いた」
・岡井「私は他のメンバーと違い、普通の女の子。こんな可愛い子たちと同じグループにいられて幸せ。(歓声に「皆さんは物好きなんですよ」と照れ隠しして)(℃-uteが?応援してくれる人たちが?どちらの意味だったか)私の誇り。℃-uteのおかげで物事を前向きに考えられるようになった」
・矢島「自分たちの力で大きな会場に立ちたいと思ったがなかなかうまくは行かなかった。このまま続けていいのかな、 と不安になることもあった。でも周りの人たちやファンに支えられてここまでやって来られた。11年かかったが武道館に立てた。続けてきてよかった」

2013年9月10日(火)

昨日に続き℃-ute、武道館。

矢島「東京がオリンピックの開催地になる。この日本武道館は柔道の会場。オリンピック主催が決まってから武道館でコンサートをやるのは℃-uteが初めて。アイドル戦国時代と言われているが、℃-uteは他のアイドルを一本背負いしていきたい」

「写真がない」
鈴木「ツアーの度に千秋楽にスタッフやメンバー総出で集合写真を撮るのが通例だが二つ目の単独ツアーだけ撮影しなかった。明確な理由は今でも不明。タイト・ジーンズを履いたお兄さんが油性マッキーで予定表に線を引いた音が今でも忘れられない。ただ、そのツアーでは前髪を全部上げていた上に、ぽっちゃりしていた時期だったので集合写真がないのを内心ラッキーと思っていた。」

「ギリギリ人生」
岡井「体重が49キロの頃、それが標準だと思っていた(メンバー失笑)」
中島「53キロのときもあったじゃん」
岡井「お客さんには知らない人もいるかもしれないのに…」
矢島+中島「ギリギリじゃないね」
岡井「だからあんな風に(デブに)なった」

「辞めたいと思った時」
萩原「『SHOCK』の頃5人になったり歌割がなかったりでひねくれていた。マネージャーにも辞めることを相談した」
岡井「それに関して萩原を恨んでいる。以前、二人で入浴中『誰にも言っていないけど来年の春に℃-uteを辞める』と打ち明けられた。『千聖は辞めて欲しくない』『でももう決まったことなんだ』という会話。それ以降、あらゆる仕事を『これが舞ちゃんと最後』と噛み締めた。しかし、二人だけの秘密と思っていたが実はメンバー全員が知っていたし、いつの間にかその話がなくなって辞めなかった。私の涙を返して欲しい」

・鈴木「℃-uteは頻繁にマネージャーが変わる。今日は歴代のマネージャー達が観に来てくれている。ファンやスタッフに感謝するるのはもちろんだが、元々℃-uteにいた三人にも感謝している。彼女たちあっての今の℃-ute」
・岡井「昨日も感じたが℃-uteのファンがこれだけいれば自分を応援してくれる人も一人はいるはず。フーしか歌割がないときもあった。今は歌割をたくさんもらえている。11年間つらいことの方が多いと思ってきたがこの舞台に立ってつらい思い出がすべて吹き飛んだ、今日は、オーディションを受けるのを勧めてくれた人も観に来てくれている。昔は家族にも『いつも遊べていいな』と言って生意気な態度を取ってきた」

今日はファミリー席だったんだけど、斜め前のお嬢さんが一人だけ立ち上がって踊り始めてびっくりした。前座は多めに見たけど本番でも立ち上がったのですぐに肩を叩いて「ファミリー席だからさ、座ってもらっていい?」と言ったら「はい…」と素直に従ってくれた。

余韻に浸りながら池袋に戻り、キャッチの多い通りを歩いていると、
「僕らはお店の女の子と連絡先交換したら罰金50万取られるし、話すときもタメ語はダメなんすよ」
「へー、厳しいねえ」
「厳しいすよ」
という会話を、客引きと通行人がしていた。お金がないけど、武道館の成功を祝いたくて一人で池袋「成都草堂」に入った。海賊豚レバー炒めのうまさに感激していたら、厨房から「アオイソラ」という単語がはっきり聞こえてきた。

2013年9月11日(水)

今日がJuice=Juiceのメジャー・デビュー日。サンシャイン噴水広場でイベントをやっていたので覗いてみた。宮崎リーダーが「ファンの皆さんのことをファミリーと呼ばせてください」みたいなことを言っていたんだけど、優先エリアに陣取るじっちゃんたちを見たらたしかにチームよりもファミリーの方がしっくり来た。Juice=Juiceはみんなデビューに感極まっていて、特に高木、宮本、金澤は涙、涙。宮崎、踊りの間違いが何回かあった。苦笑する場面も。戸惑っている感じだった。握手会を上の階から見てると、最初は低速だったのが途中から剥がしが強くなってきて、はじめチョロチョロ中パッパみたいな感じになっていた。参加してみると、速すぎて笑えるレベルだった。しゃべろうと思って息を吸った瞬間に引き剥がされる感じだった。



2014年の7月、私は職に復帰した。もし祖母の葬式が開催されたのがそれ以降であれば、あんな思いをすることはなかった。「お仕事は何をされているのですか?」と聞かれたら普通に答えればよいし、遠回しに探られたら自分から言えばいいのだ。別に言いづらい職に就いているわけではないので、はぐらかす必要はどこにもない。もし今、人生品評会に投げ込まれたとしても、あの頃ほどには消耗しないはずだ。だからといって、あれはもうイヤだ。他人の職を詮索したり、子供や親戚の境遇を自慢げに語り合ったり、比較したり。私の趣味ではない。

宮崎由加さんは、Juice=Juiceの中で唯一ハロプロ研修生の経験がなかった。そのため、グループ結成からしばらくは、下積みがある他メンバーとの技量差が明白だった。メジャー・デビュー前の2013年5月5日に行われた「Juice=Juiceお披露目イベント」で彼女はこう宣言した。「Juice=Juiceはみんなそれぞれ他人の何倍も努力しようと考えていると思います。私はメンバーと同じことをしているようでは追いつけません。みんなが他人の2倍がんばるなら、私は6倍がんばります。そしていつかは追い越したいです。コンサート等のときには、前回と何か違うな等、日々新しい成長した自分を出せるように努力していきます」(出典:同イベントを収録したDVD)。その後、彼女は着実に上達した。今では自信に溢れた歌唱とダンスを披露しているし、グループのリーダーという役割がすっかり板についている。宮崎さん率いるJuice=Juiceは、正気を疑う数のコンサートを全国各地および台湾と香港で行い、2016年11月7日には武道館での公演を大成功に終わらせた。今年は海外7ヶ国での公演が予定されている。

℃-uteにとっても、Juice=Juiceにとっても、日本武道館でコンサートを行うのは夢だった。好きな他人が夢や目標を叶える姿は、美しい。その過程を応援するのは、心底たのしい。それがアイドルという存在を追いかける醍醐味だし、私がHello! Projectに魅かれ続ける大きな理由だ。しかし、いくら入れ込んだところでHello! Projectのメンバーたちは他人なのである。武道館での公演を達成したのは彼女たち(+裏方)であって、私たちファンではない。彼女たち(+裏方)が私たちを巻き込むのに成功したのであって、ファン一人一人が人生の成功を手に入れたわけではない。もちろん、自分の人生の現実を忘れられるほどにHello! Projectはキラキラしている。それは救いである。しかし、救われているだけでいいのか?

Top Yell 2017年3月号のインタビューによると、武道館公演で体力面に課題を感じた宮本佳林さんは、オフの日は必ずジムでパーソナル・トレーナーが組んだメニューで鍛えている。ファイドゥという格闘技系フィットネス、マシーンでのラン、筋トレ。彼女は歌やダンスに対する向上心はもちろんのこと、日頃から食事や美容へのこだわりで知られている。数少ないオフの日にまで徹底しているのである。それを知って、凄いなあで終わるのではなく、私は何かを学ぶべきなのではないか? もちろん宮本さんのストイックさはHello! Projectの中でも特異な部類に入るかもしれないが、彼女を日頃から観て感銘を受けるのであれば、彼女の1%でも私が何かの努力をするべきではないのか? そうしないと、彼女に合わせる顔がないのではないか? ただ映画を観賞するかのように優れた他人の才能と努力による成果物と業績を消費し、対象をとっかえひっかえしながら年数を重ねる。自分がやるべきことから目をつむって、他人のやっていることに関しては雄弁になる。自分がする話の中に、自分が登場人物として現れない。それで他人についてああだこうだ言う。それって私があのときに辟易した人生品評会の参加者たちと何も変わらないのではないか? そうならないためには、小さなことでも目標を定め、近づくための努力を続けるべきではないのか? 自分の課題を明確にして、それを乗り越えるために具体的な行動をとるべきではないのか?

2017年5月4日木曜日

NEXT ONE SPECIAL (2017-05-03)

今日じゃなくてもいいな…というのが、家を出る前の正直な気持ちだった。月、火と仕事で、水曜から五連休。ゴールデン・ウィーク。(賢明な読者は気が付いてほしい。五連休を「ごーれん・きゅう」のように読むことで韻を踏んでいることに。)その初日というだけで、普通に考えたら気分が華やぎますやん。そこにJuice=Juiceのコンサートをぶち込まれたら最高の一日になるのは必至ですやん。せやけど、そういう気持ちになれなかってん。楽しむ準備を自分が出来ていなかったというか。ここ何日か妙に疲れていて、熟睡もできていない。4時くらいに目が覚める。二度寝しても疲労感が残っている。リラックスが出来ていない。起きた時点で自分の心身の充電が100%じゃなくて、70%くらいな感覚なんだ。だるい。そうは言っても手元に今日の2公演のチケットが1枚ずつある以上、コンサートを観に行かないという選択肢はない。そんな軽い理由で欠席するわけにはいかない。大学の授業じゃないんだから。学生気分じゃダメなんだよ。プロとしての自覚を持て。

池袋の「成都草堂」だった場所に別の中華料理店が出来ていた。メニューは大きくは変わっていないようだ。麻婆豆腐定食。いい味。アイスコーヒーまで付いて700円。夜は麻婆豆腐が単品で980円。お値打ち度がダンチなランチを知ってしまうと夜に来るのは馬鹿馬鹿しい。中野サンプラザに着いたのが13時。すぐにグッズ列に加わった。早かった。日替わりの宮崎さん、宮本さん、金澤さんを購入すると13時22分だった。窓口を4つくらい設けてくれたのがありがたかった。今日は一回目が14時開場、15時開演。二回目が17時半開場、18時半開演。会場前の階段と時計台の下で日差しを浴びながらしばらくぼんやりして、14時半くらいに中に入った。アップフロントが私に割り当てたのは15時の回が1F18列で、18時半の回が29列。1Fのいちばん後ろが32列なので、まあそういうことだよ。だから席にはまったく期待していなかったけど、実際に来てみると18列はそこまで悪い席ではなかった。双眼鏡を使えばJuice=Juiceの皆さんの表情や細かい動作が分かった。一つ前の記事で双眼鏡越しに見える光景を動くアンオフィ写真と形容したけれども、中野サンプラザの18列からではそこまでの画は得られなかった。三郷市文化会館の最後列くらいの距離があったんじゃないだろうか。でも、利点もあった。自ずと前回よりも引いた画になる分、宮崎由加さん以外のメンバーが目に入りやすかった。4日前の三郷では宮崎由加さんを観て、今日はJuice=Juiceを観たという感じだ。そこで気付いた新たな見所の一つが、宮本佳林さんの右足キック。コンサートを通して4-5回あったと思うけど、脚の上がり方が本当にきれいで、ふとももの躍動感も素晴らしい。一時停止して間近で眺めたい。あのキックを食らいたい。宮本さんは以前から『五月雨美女がさ乱れる』でどすこい的な動きをするときに腰の落とし方がひときわ低くて私の目を引いていたが、身体が柔らかくて、重心が安定しているからこそなせるわざなんだろうね。

最初のトーク・セグメントで宮本佳林さんが首にタオルを巻いていて、このタオルは会場で買えるんですよと言う。えー?とわざとらしく驚く高木紗友希さん。このタオルを持ってる人?と宮本さんが呼びかけると、一部の観客がタオルを上に掲げる。「ちら、ほらですね…」と金澤朋子さん。「前回のツアーの佳林ちゃんのを持ってるからいいやって考えではダメですよ」と我々に購入を促す宮本さん。「タオルはいちど洗濯して糊が取れないと汗をあまり吸わないんですけど、買ったばかりで糊が付いた状態で使って『あぁ汗を吸わないな』ってなるのも醍醐味なんです」というような、謎の売り込み。グッズの話が続く。金澤さん曰く、最近は日替わり写真の書き込みに工夫をしている。その土地に関係のある絵を描いたり。今日は亀を描いた。買ってくれた人?と金澤さんが聞くと、赤いペンライトが上がる。宮崎さん曰く、たしか今日は青いドレスを描いたはず。前の方の観客がその写真をステージに向けて、青いドレスが描いてあることを伝える。何で青いドレスを描いたの?と聞くメンバーに「青いドレスが好きなんだよね」と宮崎さん。他のメンバーも書き込みは工夫しているという流れで「うえむーも工夫してるもんね?」と植村あかりさんに矛先が向かう(※植村さんの日替わり写真への書き込みはいつも名前と日付と会場名だけでシンプルである)。「工夫してますよ」という植村さん。エーイングと笑いが入り交じった観客の反応。「何で笑うの?」と植村さん。「(今日の日替わりに)何描いたの?」と聞くメンバーに「文字」。ドッと起きる笑いに「(文字の)色とかさ」とあくまで工夫をこらしているというスタンスを崩さない植村さん。アンコール後のしゃべりでも宮崎さんがグッズのTシャツを推していて(「胸ポケットにメンバー・カラーでシュン!ってなってて…」と好きなところを妙な擬音で表して変な空気になり他のメンバーも笑っていた)、よほど売れていないんだろうな、と私は思った(日替わり写真は、18時頃に私が会場に入った時点で全員分売り切れていた)。ただ昨今のHello! Projectのグッズは写真とDVD MAGAZINEを除けば購買意欲が沸かないのは当然。何が出てくるか分からないL判の写真1枚に500円を出すような人たちにすら買ってもらえていないTシャツやタオル。よっぽど魅力がないからだ。商品を企画している奴らは、我々に売りたいなら我々が欲しくなる商品を作るべきだ。三郷のときだったかな、グッズ列に並んでいたら近くのファンが「今回のTシャツはクール・ハローですらない。ただの無地T」と言っていた。たしかにそうだ。今のHello! ProjectのTシャツやタオルは単にオタク的な痛さを排するにとどまらず、ただの無と化している。ふだん着たい・使いたいとも思えない。誰にも訴求しないゴミ商品。

初回を観させてもらったときは流れを追いかけるだけで精一杯だったけど、二回目は概要を把握した状態で観ているから、余裕を持って観ることが出来た。『アレコレしたい』の2番での降臨からのダンス・セグメント、そこから立て続けに『ロマンスの途中』、『愛のダイビング』、『生まれたてのBaby Love』に行く流れが、私の中ではこのコンサートのハイライトだ。声を出して身体を動かすと熱くなって、体調が回復する感覚があった。心身の調子的に今日は楽しめるかが心配だったが、ちょっとくらいの不調なら回復させてしまうくらいのエナジーをJuice=Juiceから受け取った。

18時半の回もその調子で突っ走りたかったが、そうはならなかった。29列という位置だったのもあるし、さっき調子がよくなったのは一時的でやっぱりしんどくなってきた。とどめを刺してくれたのが、何列か前にいた、イキッたツーブロックのヘラヘラした勘違いチンポ野郎。イキリツーブロックチンポ。チンポイキリツーブロック。ツーブロックチンポイキリ。イキリチンポツーブロック。チンポツーブロックイキリ。ツーブロックイキリチンポ。ピンクに光らせた三本のペンライトを左上右と広げて同時に持って、宮崎由加さんが歌う度に高々と掲げ、飛び跳ねて、後ろの視界を塞いできた。扇形に改造されたサイリウムの使用は禁じられている。もしそれを指摘されたら改造したのではなく個別のサイリウムを一緒に持っているだけだと得意げに屁理屈で対抗するのだろうが、やっていることは同じ。それが理解できないなら知能と人格に障害がある。ここに来るべきではない。隣の席にいた、サッカー選手にでもなったつもりの髪型をしたお友達と一緒に仲良く北朝鮮に行って余生を強制労働に捧げろ。もしくはチンポを捻挫して激しい痛みが一生取れなくなれ。もしくはその辺の路地裏に引きずり込まれてお前が持ってきたペンライトを三本まとめてケツの穴に突っ込まれた上にその動画をポルノ・サイトに掲載されて色んな言語で絶賛コメントを投稿されろ。それらのコメントを刺青にして全身に刻まれろ。温泉に行けなくなれ。

私はコンサートを普通に楽しむのを諦めた。ほぼ100%の時間、私は双眼鏡でJuice=Juiceを観ていた。誰を観たというよりは、なるべくツーブロックアナル野郎の姿が視界に入らない位置を観るようにした。Juice=Juiceの皆さんが手を挙げてオイ!オイ!と叫ぶように我々を煽っているときでも、従わなかった。ペンライトは電源すら付けなかった。もちろんずっと黙っていたわけではなく、ある程度は声を出したけど、基本的には醒めていたし、会場の盛り上がりにはそんなに貢献は出来なかった。退場時、会場に飾ってある宮崎さんのタオルに書いてある直筆メッセージを見たら「ホールコンサートには色んな楽しみ方があります。じっと見るもよし、音に合わせてサイリウムを振るもよし…」的なことが書いてあった。宮崎さんの優しい言葉に救われた。よくない体調、ほぼ最後列の席、前方には視界を塞ぐイキリチンポ。その条件下では、いつものように熱狂の渦に加われないのも仕方がなかったし、双眼鏡で見続けたのは最適解だったと思っている。今日は熱いコンサートだった。宮本さんも、イヤモニという耳栓のようなものを付けていても皆さんの佳林!という声が聞こえてきて、それに応えるために必死で頑張った的なことを言っていた。彼女がこの2公演を通してのMVP。今日は映像収録があった。私が楽しみきれなかった分は、後からBlu-rayでじっくり補完させてもらうことにする。

2017年5月2日火曜日

NEXT ONE SPECIAL (2017-04-29)

動くアンオフィ写真だ。現場近くのストリートでよく謎の紳士が販売している8枚で1,000円の写真。アップフロントによる公式な商品ではなく、得体の知れない業者が販売する非公式(unofficial)な商品であることからアンオフィ写真と呼ばれている。サイズはL判。コンサート中のHello! Project構成員の誰か一人の全身が映っている。その写真に命が吹き込まれ、目の前で動いている。そういう感覚だった。また良席を引き当てたのかよ? いや、違う。三郷市文化会館の1Fは20列まであって、私の席は13列だった。こじんまりした会場だったから13列でも十分に近かったけど、特別にいい席だったわけではない。双眼鏡のおかげだ。2015年10月に購入したVixenのアトレックライトBR6x30WP。THUNDERPLUGSの耳栓と並んで手放せない現場の相棒。Tシャツとペンライトを忘れても双眼鏡と耳栓を忘れてはいけない。それくらいに重要。双眼鏡は悪い席を普通の席に、平凡な席を良席に変えてくれる。もちろん物理的な近さによる生々しさは実際に前方にいないと味わえないが、視覚的な満足度は完全に良席並だった。当然ながら私は宮崎由加さんを中心に追いかけた。彼女の魅力を再確認、再発見した。曲によって、曲の中でも歌詞によって、次々に移り変わる表情。ご自身が歌っていないときでも歌詞に合わせて口を動かす仕草。歌のないところでリズムを取るためにパッパッという感じで口でリズムを取る仕草。手足が長くすらっとしたスタイルで踊るときの何とも言えない優美さ。『地団駄ダンス』の「楽しくなりたいの」「笑い飛ばしたいの」の箇所でまっすぐな姿勢のまま身体を傾けるときのしなやかさ。Juice=Juiceは全員が素晴らしいのに、大半の時間は一人だけを観てしまうほどに私を釘付けにする宮崎さん。イルネスの権化。

これがJuice=Juice。これがHello! Projectのハイ・クオリティなコンサート。空間を作り上げる当事者の一人として、そう胸を張れる公演だった。NEXT ONE SPECIALと題されたツアーの、今日が初演であった。「初回ならではのぎこちなさ、粗さがあるかもしれないが、そのぶん新鮮さもあるだろう」。このコンサートに招待した友人に、私は開演前にそう言っていた。どうやら私はJuice=Juiceのことを見くびっていたようだ。新鮮さはあったけど、ぎこちなさも粗さもなかった。強いて言えば、『銀色のテレパシー』で宮崎さんが衣装に引っかかってつまずきそうになった場面があった。公演中に宮崎さんが語ったところによるとご本人も焦ったが、気合いの表れだったという。もう一つ挙げるなら、一曲目の『地団駄ダンス』が馴染んでいない。我々が乗り方をつかみきれていない。この曲で上がりたいという意志は充満していたが、やり方が分かっておらず、探り探りだ。4月1日の福岡Drum Be-1では問題なく盛り上がっているように感じたが、あの会場は収容人数が300-400人(ウェブ検索調べ)。三郷市文化会館は1,292席。まだこの大きさの箱でも問答無用で会場がロックするほどのオートマティズムは出来上がっていない。一曲目というのがさらに難しい。もう少し会場が暖まってからのタイミングで投入してもいいのではないかと感じた。でも、セットリストを組んだ側は難しさを承知の上であえて挑戦しているのだろう。10月のびわ湖ホールと川口総合文化センターでのコンサートでは一曲目が『明日やろうはバカやろう』だった。定番曲ではなくその時点のJuice=Juiceの最新曲をはじめに持ってくることで、コンサートのトーンを作るという意図を感じる。私は大学生の頃、佐藤雅彦さんというコピー・ライターの授業を受けたことがある。彼が言っていたのが、作品の冒頭で世界観を提示して受け手を引き込むのが大切だということだ。その世界観のことを彼は「トーン」と呼んでいた。一青窈さんがテレビのインタビューで「このコンサートのトーンは…」と言っていて、おそらく佐藤雅彦の授業を受けて影響されているなと思ったのを覚えている。『地団駄ダンス』は中盤以降に持ってきた方が無難に盛り上がったかもしれないが、現時点でのJuice=Juiceはこれなんだという世界観の提示という意味では、一曲目に選んだのは正しい。

宮崎由加さんが美しかったという以外では、セットリストが極上だった。『地団駄ダンス』、『Feel! 感じるよ』、『銀色のテレパシー』といった新曲、『Goal~明日はあっちだよ』、『KEEP ON 上昇志向!!』といった準新曲、『愛・愛・傘』、『ロマンスの途中』、『選ばれし私達』、“Girls be Ambitious”、“Magic of Love”、『生まれたてのBaby Love』、『愛のダイビング』といった定番曲がいい具合に配合されていて、これまでのJuice=Juiceの集大成だった。過去と現在が無理なく一つの線でつながっている。曲が進んでいくごとに、そう来るかと納得し思わず顔がほころんだ。もちろん、重要な曲がすべてセットリストに入ったわけではない。たとえば『続いていくSTORY』や“Wonderful World”という武道館で数千人単位に涙を流させた曲は披露されなかった。それでもこれだけ重厚なセットリストが組めるほどにJuice=Juiceが楽曲の質と数に恵まれてきたということだ。喜ばしい。私がいちばん胸を打たれたのは『愛のダイビング』。何て言えばいいんだろうこの曲の独特のグルーヴをJuice=Juiceの皆さんが完璧に表現しきっていて、爽快すぎて、格好良すぎた。この日は天気が最高で、気温が最高で、一年でこれ以上ないだろうというくらいに外が気持ちよかった。会場のすぐ向かいにある公園のベンチで、入場前に私は本を読んでいた。途中で居眠りをした。今日の『愛のダイビング』は、そのときに私が感じたのと同じ気持ちよさと浮遊感を与えてくれた。Juice=Juice名物の筆頭と言える高木紗友希さんのフェイクをいちばん分かりやすく堪能できる『生まれたてのBaby Love』と“Magic of Love”が共にセットリストに入っているのもポイントだった。今日の彼女のフェイクは相変わらず容赦がなくて、感動したという表現が相応しかった。私はもう声を出して笑ってしまった。

Juice=Juiceのホール・コンサートでは恒例となっているメンバーの客席への降臨が今回もあった。私の席は左寄りだった。宮崎さんと高木さんが近くのお立ち台にお越しになった。思っていたよりも観客が近くて踊るとぶつかっちゃうんじゃないかと心配だったと宮崎さんが言っていた。お立ち台の上で衣装を脱いで、そこからステージに戻ってダンスだけのセグメントが始まったのだが、衣装の生脱ぎがやけにセクシーだった。下に別の衣装を着ているとはいえ、あんなに近くで衣装を脱ぐのを見させてもらうことはないので、びっくりした。いいものを見させてもらった。衣装を脱ぐときに私の位置から見えるお立ち台にいたのは高木さんだった。高木さんであそこまでセクシーに見えたので、他のメンバーだったらもっとセクシーに見えただろう。降臨があったのは想定内だったが、その場で衣装を脱ぐのは驚きの要素だった。降臨→生脱ぎ→ダンスの流れで私は完全に心をつかまれた。衣装といえば、最後のしゃべりで植村あかりさんがこのツアーの見所の一つとして衣装を挙げていた。たしかにどれも眼福だった。おへそを出しているのは一つもなかったけどね。

埼玉は金澤朋子さんの地元である。おそらくアンコールは「朋子!朋子!」になるだろうと私は予想していて、実際にそうなったのだが、ご本人には予想外だったらしい。最後のしゃべりで、「私の地元とは言っても今日はツアーの初回だし、アンコールは(普段の)『ジュース! もう一杯!』だと思っていた。明日は朋子コールが起きるように頑張りますと言うつもりだった。朋子コールが起きてびっくりした。人は予想と違うことが起きると感動すると言われているが、今日は私が感動させられた」というようなことを言っていた。今日の観客は熱く、ダブル・アンコールまで起きた。すぐに封殺されたが。“Magic of Love”で「どこにいるの」という金澤さんのパートの後に「ここだよ朋子!」と叫べたのはよい思い出である。そのチャントを待ちかまえる金澤さんのおどけた表情。

終演後に私が確信したのは、Juice=Juiceのコンサート中に北朝鮮から発射されたミサイルが落ちて死ぬのであれば、私は本望であるということだ。もちろんJuice=JuiceやHello! Projectの関係者には無事でいてほしい。本当にミサイルが落ちてきたらJuice=JuiceもHello! Projectも存続が難しくなるだろう。そんな状況が訪れるのはご勘弁願いたい。だからあくまで一つのたとえ話だが、私にとってはミサイルから逃げることよりもJuice=Juiceのコンサートに向かうことの方が重要だし、ミサイルを恐れる気持ちよりもJuice=JuiceとHello! Projectの現場を楽しみにする気持ちの方が強いのである。今日のJuice=Juiceを観て、彼女たちを観るために自分が新潟、山口、名古屋、滋賀、福岡まで遠征するのは理にかなっていると客観的に納得した。