2023年4月30日日曜日

Hello! Project ひなフェス 2023 つばきファクトリープレミアム ~浅倉樹々卒業スペシャル~ (2023-04-02)

浅倉樹々さんの最終出勤だろうがもはや『マジ興味ねえ』(DJ OASIS feat. K DUB SHINE)のでファンクラブ先行には申し込まなかった。私はもっとも熱心にHello! Projectを追っていた時期でさえひなフェスに対する関心は低かった。つばきファクトリーとHello! Projectへの熱が冷めた今は言わずもがなである。浅倉さんの最後くらいは観に行くかという考えもない。最後だから何なんだ。最後だから急に観たくなるのか。それは在庫が残りわずかですとか10分以内に購入すれば割引ですといった販促に釣られて大して欲しくもない商品をインターネットで注文してしまうのと何が違うのか。大事なのは最後になるまでの過程ではないのか。

たとえば音楽を聴くにしても好きなアーティストの活動を最初から最後まで追う方が珍しいだろう。人生のある時期において、あるアーティストのある曲やアルバムにはまる。月日が経つとまた別の音楽を聴いている。巡り会い、すれ違っていく。アイドルさんとオタクの関係もそういうもの。浅倉さんにしてもずっと同じ人たちが支持してきたわけではない。初期の現場には必ずいた某有名オタクは地下系の別の子に推し変した。途中から浅倉さんを好きになって既に離れた人もいるだろう。最近好きになってまだ好きな人もいるだろう。誰かがアイドルでいる限り最後まで追い続ける。ずっと応援する。口で言うのは簡単だが、義務感を伴わずに実現するのは難しい。そして実現する必要もない。なぜなら彼ら・彼女らと我々は他人であり、お互いの人生に責任を負えないからだ。

当面つばきファクトリーは観ない。2月23日(木・祝)の公演後、そう決めた。実際には舌の根も乾かぬうち(一週間後)にちょっと見た。鑑賞する方の観たではなく、視界に入れる方の見た。3月2日(木)池袋サンシャイン噴水広場でのrelease party。近所だし、仕事も終わったので、夕食の前にちょっと寄ってみるかという感じで。もちろんパー券やお見送り券には手を出さずに。過去に何度かココの優先エリアでおみずチャンに性的な視線を送るために早朝から並んでいた頃の熱はもう消え去っていた。つばきファクトリーという集団にもう心は躍らなかった。

そしてそのわずか一ヶ月後、再びつばきファクトリーを観た。わざわざ千葉まで行って。なんでやねん。チケットを余らせた某氏から頼まれ、仕方なく買い取ることにした。まったく気乗りしなかった。何かの先約を理由に断りたかったが、残念ながら4月2日(日)は何も予定がなかった。譲り先を見つけられずチケット獲得に要した金銭をドブに捨てる状況から氏を救うという人道的な理由で買い取ることを承諾した。行きたくはないため、本音を言うと割り引いてもらいたいくらいだった。あまり興味のない集団のコンサート(それもマスク着用必須+発声禁止+終始着席の刑務所慰問仕様)を千葉まで観に行くためにJPY10,000近くを払わないといけない状況は愉快ではなかった。

前座のような扱いで各集団が2曲ずつパフォームした。BEYOOOOONDSの山﨑夢羽さんがチラチラ見せるスカートの中身が卑猥だった。モーニング娘。の野中美希さんがポルノだった。脚ほぼ丸出しで左ふとももにフリル。前のサブ・ステージに来た氏を双眼鏡で観察するとまんこの温もりが伝わってくるようだった。ただ、彼女らの出番は少なかったし、遠くから双眼鏡で観るためにJPY10,000近くのチケットを買って千葉まで来るのは割に合わない。つばきファクトリーの本編では『17歳』と『私がオバさんになっても』の両方がセットリストに組み込まれていたのが最大のハイライトだった。この2曲には私にとって一番楽しかった頃のつばきファクトリーの思い出が凝縮されている。『今夜だけ浮かれたかった』で岸本ゆめのさん、浅倉樹々さん、小野瑞歩さん、小野田紗栞さんがサイファーになってのマイク・ラリーは熱かった。ただ、ギッチギチに敷き詰められたパイプ椅子にずっと座らされているとケツが痛くなる。窮屈すぎた。終盤になると、そろそろ終わってくれ、話が長いよ、なぞと思いながらステージを観ていた。谷本安美さんが涙ながらに浅倉樹々さんへの最後の言葉を絞り出しているとき、私の中で感動よりも面白さが勝ち、ゲラゲラ笑った。終演後にそれを知った某氏(チケットの譲り手)からサイコ野郎となじられた。


ゲイ・バーという言葉のインパクトが強いから忘れがちだけど、要はオタクの男と繋がっていた、おそらく常習的に。ということでしょ? 地下でも辞めさせられるんじゃないの? もちろん私の想像・憶測も入っている。でもさ。あのブログ記事を読まされて、これが真実ですなんて言われても。オタクを心底ナメていることと、メンバーさんも事務所の人もかなり頭が悪いことしか真実として伝わってこない。二十歳過ぎの女がゲイ・バーに行こうが男と密着しようが何の問題もない。一般的には。彼女たちの場合、やっている商売との整合が取れない。オタクにはオッサンの監視付きで数メートルの距離でパーティション(3月から撤去されたらしいが)越しに、お互いマスクをして対面するだけで数秒JPY1,300を取っている。握手もさせてもらえない。その商売がなぜ成り立つのか? アイドルという存在がオタクにとって普通の人間ではない、崇高な存在だと思えるから。幻想であったとしても、錯覚だったとしても、それを信じられるから。だからアイドルさんの言動を一般的な人間の基準で判断することは出来ない。

私はあの2枚の画像を見てショックは受けなかった。当事者たちに対し、やっちゃったね、バカだね、残念だねくらいには思う。それ以上の糾弾をする気持ちはない。楽になった感覚さえある。もうつばきファクトリーを追わなくていいんだ、離れていいんだ、という安心を得た。もう義理で観る必要も完全になくなった。憎しみはゼロだ。最後に捨て台詞を投げつけるつもりは一切ない。何より私は小野瑞歩さんのおかげで、つばきファクトリーのおかげで、本当に楽しい思いをたくさんさせてもらった。楽しかった日々もコヴィッドのバカ騒ぎで一時停止した。結局、再生ボタンが押されることはなく終わってしまった。一時停止する前の楽しさに比べればその後はあとがき、付け足し、おまけのようなものだった。

つばきファクトリーの増員(リル・キャメと称される4名の加入)は、先発メンバーさんたちの職業人生を無駄に……と言ったら語弊があるが、適正な長さ以上に延命させてしまったと私は思う。それがアイドルとしてではなく一人の人間として、彼女たちにとって本当によかったのだろうか? その疑問を私は前から抱いていた。今の日本社会に巣喰う医療支配と同じで、ただ(アイドルとして)生きているということが過剰に重視されている。職業としてのアイドルは非常に特殊。ずっと続けられるものではない。いつどうやって抜け出すかを常に考えなければならない。25歳定年説という言葉には、アイドルが概ね25歳までに辞めざるを得ないのは早すぎるというコノテーションがあるが、むしろ25歳まで続けるべきなのは道重さゆみさん、田中れいなさん、宮本佳林さんのような一部の異常者だけだと思う。基本的には少女期の限られた数年間だけで成り立つ存在。アップフロントはメンバーさんに優しいとよく言われるが、ずるずると続けさせることが長い目で見て本当の優しさとは限らない。アイドル産業というカタギではない世界から足を洗うのが20歳と25歳とではその後の選択肢も違ってくる。Hello! Projectに入団出来た。老舗の大手有名企業に入れた。長く勤めたい。それ以上のビジョンや目標が、メンバーさんたちにも事務所側にもないのではないか? 導ける人もいないのだろう。アイドルという状態・職業が何者かになるための手段ではなく、しがみつきたい肩書き、アクセサリーになっているのではないか?

Hello! Projectというけど、プロジェクトには目標があって、時間制限もある。達成したら解散する。今はどの集団も終着点がよく分からないまま、メンバーさんを継ぎ足して集団を更新し続けている。個別商売が売上の軸となった今の産業構造で集金を安定させるためには、たしかに既存の固定客をなるべく離さない方法が正しいに違いない。しかし本来、やりきったから解散するという美しさもあったはずだ。せっかくリル・キャメの加入で上向きになってきたのに足を引っ張る不人気の年長組。リル・キャメ以降につばきファクトリーを好きになった人々は、ゲイ・バーで男と密着する写真がリークされた彼女たちをそう非難する。リル・キャメから興味を持った人(先発メンバーに対しては無関心がベース)と、初期から見ていた人(むしろリル・キャメに対して無関心がベース)とでは、該当メンバーさんへの見方が変わってしまうのは仕方がない。だが、私からするとそれは大きなお世話。むしろ8人(9人)のまま増員せずに最後まで続けてほしかった。それで限界が訪れたら解散してほしかった。(コヴィッドのバカ騒ぎで東名阪のホール・ツアーがキャンセルになったのが痛恨だった。あれで集団が成仏しきれなくなかった。)つばきファクトリーの発展を邪魔する罪人? 違う。私に言わせれば彼女たちこそがつばきファクトリーなのだ。少なくとも、私を熱中させ、狂わせたつばきファクトリーは彼女たちなのだ。つばきファクトリーという名称は残っても、私にとってのつばきファクトリーは終わった。浅倉樹々さんが去った途端、ボロボロと砕け散るように瓦解していくのがつばきファクトリーらしくていい。皮肉ではなく、私はそう思う。