2023年2月23日木曜日

ミーンガールズ (2023-02-05)

ブロードウェイ・ミュージカルの翻訳版にめいめいが出演するとなったらSpotifyで本国のサウンド・トラックを聴くようにしている。この『ミーンガールズ』もそうした。最初は予習として、ちょっと義務的な感覚もあったんだけど、それ抜きで本当に面白いアルバムでさ。去年の10月から聴いていたんだけど、3-4ヶ月経った今でもたまに聴くくらい気に入った。Spotifyを開けば無数のアルバムや曲が流れては去っていく中でこんな何ヶ月もひとつのアルバムを聴くってそうないわけ。音楽がこれだけよければミュージカルとしても当然いいに決まっている。だからファンクラブ先行では3公演申し込んだ。当選したのは今日の1公演のみ。当落をメールで知った瞬間は意外さが3割、悔しさが4割、出費が抑えられて助かったという気持ちが3割。なにせ1回入るのにJPY15,000かかるので、ひとつ当たるか外れるかの経済的インパクトが大きい。まあ1回は入れるわけだから、その1回を存分に楽しむ。そのためにサウンド・トラックを聴き込んだ。特に“Sexy”と“Revenge Party”が好き。YouTubeで本家の動画もいくつか観た。

そういえば前にYouTubeの配信だったと思うけど、ファンクラブの先行で申し込むのが大事とめいめいが言っていた。理由についてはぼやかしていたけど、おそらく作品のオーディションを受ける際に、この人は何人くらい集客出来るかというのが判断材料のひとつになっているんじゃないだろうか。ファンクラブ先行の申し込み数はそれを分かりやすく示す指標になる。だからファンクラブの会員が増えて、先行受付の申し込み数が増えていけば、めいめいがビッグな作品に今よりも出演しやすくなっていくっていう、そういう寸法なんじゃない? ファンクラブ先行でも落選するのは主催者がめいめいFCに与えた枠よりも応募が多いということだから、めいめいサイドにとってはいいことなのだろう。応募数が枠に対して不足したら示しがつかなさそう。

サウンド・トラックを聴き込むと自分の中で公演の着目点が明確になった。この英語リリックをどうやって日本語にするのか。文章を訳すのと違ってリリックには音の数に制約がある。音の数を合わせつつ英語から日本語にそっくりそのまま訳すことは不可能。何かを削るか足すか変えるかしないといけない。なおかつ元の歌にあるグルーヴをなるべく消さないようにする必要がある。音楽なんだから。そしてめいめいをはじめとする日本版の出演者さんたちがあの面白い曲たちをどうやって歌いこなすんだろうか。ワクワクしていた。
元のリリックが結構頭に入っていたので、なるほどそこはそう訳したんだとか、ここは原曲の韻を残すように工夫したのかなとか、翻訳者の意図を想像しながら観劇した。冒頭でめいめい演じるジャニスと相棒が歌う“A Cautionary Tale”のフックでThis is a cautionary taleという箇所は、ひとつ教えよう〜になっていた。意図してなのか偶然なのかは分からないが、cautionary taleと教えようって音が似ている。甘く踏んでいる。“Where Do You Belong?”のMy mama used to tell meはママが言ってた、“Stupid With Love”は恋が下手、“Whose House Is This?”は誰の家?、などと、元のリリックを極力忠実に文字通り訳している印象を受けた。日本向けのローカル化や大幅な意訳はまったくなかった。細かいディテールが省かれていることはあった。たとえば“Stop”で私(女)が13歳のときに男に送った裸の写真がamateur tweensというポルノ・サイトに載っていたというくだりがあるのだが、amateur tweensというサイト名は省かれて単にポルノ・サイトに載っていたという感じになっていた。こういうリリックで省かれた部分もそうだけど、やっぱり英米のノリとか文化的背景を共有していないと伝わりきらない部分はどうしてもあると思った。本当はもっと笑うところでもこっちはややポカンとしている感じ。輸入モノ、翻訳モノの難しさ。

話の内容はあらすじ程度しか知らずに臨んだので、物語の中でそれぞれの曲が持つ意味が分かった。こういう状況の曲なんだというのが。ミュージカルを観た後だとサウンド・トラックの聞こえ方も今後変わってくると思う。絵が浮かぶようになる。北米のハイ・スクールにアフリカから転校してきたケイディ(生田絵梨花さん。この淑女には本当に華がある! ファンじゃなくても引きつけられる。さすがにあの見た目でケニアからの転校生というのは無理があったけど。でもアフリカから来たというのがリリックでも歌われているから設定を変えるのは難しいもんね。そういえば私の後ろの列に生田さん支持者の女集団がいた。彼女ら曰く、ミュージカルに出ている時期の生田さんは喉をケアするために出演している時間以外は常にマスクをして誰とも話さないらしい)。新しい環境で右も左も分からないケイディにジャニス(めいめい)と相棒のダミアン(内藤大希さん)が声をかけて友達になる。生田さんをプラスティックスというスクール・カースト上位の女集団に入り込ませ、スパイをさせる。学校という閉鎖空間が舞台で、スクール・カーストが描かれ、ジャニスがレズビアン、相棒がホモという設定だが、『ジェイミー』のように胃がキリキリする感じはなく、あくまでコメディ。

私はめいめいがソロ女優になってからの出演舞台は『京の螢火』を除いてすべて1回以上は観てきたけど、普段わたしが抱いているめいめい像と役のキャラクターが最もかけ離れていたのが『ミーンガールズ』のジャニスだった。野太い声、パンキッシュなメイクアップと衣装。思っていた以上に別人感が強かった。歌声と歌い方もいかつい。最後のカーテン・コールのときでも崩れなかった。両手の中指を立てて客席に向けながら捌けていった。ステージにいる間、めいめいという人格が覗く瞬間がなかった。私は本当にめいめいを観ているのだろうかという疑問が浮かぶくらい、見事に役を演じきっていた。ジャニス、ケイディ、ダミアンによる“Revenge Party”が圧巻だった。ステージから溢れんばかりの熱量、情熱。ジャニスのソロ曲“I'd Rather Be Me”も、物語上の文脈を理解した上で、めいめい演じるジャニスの歌声で聴くとメッセージが改めて胸にずっしり来た。

2023年2月4日土曜日

SAYUMINGLANDOLL〜未来〜 (2023-01-28)

朝起きたら本当にすぐ。顔も洗わず近所のちょこざっぷに行き時速8.0kmで30分走る。この五日間(月〜金)それをやった。気分が安定しやすくなったと感じる。目覚めた時点で労働のプレッシャーから来るイヤな感じがあっても走るとある程度スッキリする。日中も持ちこたえることが出来る。私は在宅勤務のときよりも出勤したときの方が労働に正面から立ち向かえている。複数の要因が考えられる(たとえばスーツに着替えたり場所を変えたりすることで労働モードに切り替えられているとか)が、朝の通勤で強制的に身体を動かしているのはその一つだろう。よく朝の散歩が精神にいいと言われている。有酸素運動の精神的な健康への好影響についてはJohn J. Ratey, Eric Hagerman,“Spark: The Revolutionary New Science of Exercise and the Brain”(邦訳:『脳を鍛えるには運動しかない! 最新科学でわかった脳細胞の増やし方』)やアンデシュ・ハンセン、『ストレス脳』で読んで知っていた。朝一というのが大事なのかもしれない。あとは食事。昼をしっかり食べて夜は少なめにしている。鍼の先生曰く、頭を使い集中しストレスがかかっているときは血がみぞおちから上に行く。上がったままだから息苦しくなったり胸が苦しくなったり首や頭が重くなったりする。血を下げる必要がある。そういうときには単に休むのではなく一時間くらい歩いてから休む。そして夕食を少なめにする。腹五分目で十分。

8時から13時くらいに駅前のローソン・スリーエフに入店するとほぼ必ずレジにいる異常連勤老婆。平日その時間帯は高い確率で彼女ひとりで店を回している。最初の頃はまたこの人かくらいで気にも止めていなかったが、さすがに半年以上も続くと私はげんなりしてきた。一日に二回、ホットコーヒーのMをこの淑女に注文していると、俺の人生はこれでいいのかと不安になってくる。最近は彼女の姿を見るのがイヤでちょこざっぷ帰りにはセブン・イレブンでコーヒーを買うようになってきた。老婦人に罪はない。ただそこで毎日働いているだけなのだから。だが彼女の境遇や人生を勝手に想像し、私は暗い気持ちになってしまうことがある。あの労働は決して楽ではないだろう(私は長く続けられる自信がない)。ローソン・スリーエフを出たすぐ前の通りで油を売っているシルバー人材たちとは訳が違う。彼女はいつもどこか不機嫌そうに見える。毎日毎日あそこに一人で立たざるを得ない何かがあるのだろうと思いを巡らせてしまう。もし彼女があと20-30年前に生まれていたら、駄菓子屋なり何らかの小規模な店を営んで自分の城を築いていたのかもしれない。今日は土曜だからか珍しく他にも数名の店員がいた。彼女は同世代くらいの同僚婦人と仲良く雑談しながら品出しをしていた。イート・イン・スペースにいつもの二人がいたんだけど、完全にこうやって(突っ伏して)寝てて、それでコーヒーが床までビショビショになってて。えー、最悪! 愚痴をこぼせる仲間の存在。少し安心した。

つくづくHello! Projectの公演は安くない。2月23日(木・祝)のつばきファクトリーのコンサート(結局、申し込んだ。夜公演が当選。個別と春ツアーは申し込まなかった)は1公演で手数料等を含めJPY9,000もした。冷静に考えてかなり高い。今日のサユミンランドールも1公演のチケット代だけでスーパー・ファミコンのソフトと同じJPY9,800する。スーパー・ファミコンのソフトもいま思うと恐ろしいくらい高かった。よく親はあんなのを買ってくれていたな。

初めて行くコットン・クラブ。最寄りは東京駅。新大久保で昼メシを食うつもりだったが、そういえば神田駅って東京駅に近かったなと思い出す。久し振りに江戸牛で焼き肉ランチを食いたい。なかなかこっちに来る機会はなくなったし。一旦乗った電車を目白駅で降りて逆の電車に乗り直す。神田駅を出て、足早に江戸牛に向かう。たどり着いたはずのその場所で私を出迎えたのは建物が取り壊された跡とKOMATSUの重機。新大久保行きを取りやめて神田駅で降りた意味を奪われた私はしばらく昼食を探してストリートをさまよう。選んだのは天津飯店。前から気になっていた。北京海鮮ちゃんぽん定食。JPY880。海鮮のダシが効いていて悪くない。

コットン・クラブは東京駅の丸の内出口から距離は近いが、意外とたどり着くまでが分かりづらかった。建物の二階で。外から見て明らかにこれだと分かるようにはなっていなく。デカい看板があるわけでもなく。(少なくとも私は気付かなかった。)あと一階がだだっ広くて、二階に上がるエスカレーターを見つけるまでにうろうろしてしまった。コットン・クラブの入り口に着いてもコンサート会場のヴァイブスが感じられず、もしかして場所を間違えたか(コットン・クラブという名前の別の場所とか)?と不安になった。が、その奥に進むとグッズを売っていたので安心した。この白いTシャツが欲しいんですけど、サイズのサンプルってありますかと売り場のお姉さんに聞いたら丁寧に対応してくれた。感じのいい接客。まともな就労経験もないエスタシオンのバイトたちとは格が違う。MとLで迷ったがLにした。

事前に見ていた画像ではブルーノート東京を想像していたが、もっとカジュアルで敷居の低い雰囲気だった。たしかにクロークに上着を預けられたし、席によってはテーブルがあったけど、何か地下アイドルか小規模な演劇の劇場に来たような気分というのが席に座っての第一印象だった。私が申し込んだS席は椅子が敷き詰められているだけで飲み物やトレーを置く台すらなかった。にもかかわらず結構な割合のヘッズがプレート・ミールのようなものを買い、膝の上に置いて食していた。食すにしても時間がほとんどない。15時開演で、14時20分から入場開始。公演中は飲み食い出来なさそうだったから、急いで腹に入れないと。ただ、飲食環境が劣悪である反面、飲食物の購入が強制されていないのは助かった。ブルーノート東京では強制なので。

私の席はS席の一番後ろだったが、それでもステージは十分に近く、あの道重さゆみさんが目の前で歌って踊っているという事実にひたすら感激した。田中れいなさんを久し振りに観たときに昔に観たあの田中れいなさんのままだと驚いたが、今日の道重さゆみさんも相変わらず少女さゆみんのままだった。何ひとつぶれていない。さゆみんの世界に引き込まれ、見とれてしまう。ミニ・シアターのような規模感の心地よさがあるコットン・クラブ。公演の内容も映画を観ているような感覚。コンサートよりはミュージカル・舞台寄りだった。煌びやかなグラフィックスと光の演出。途中から数えるのも億劫になるくらいの衣装の数。これぞショー。夢の世界に連れて行ってくれる。公演中はもちろん、開演前の道重さんご自身による影アナ(まもなく開演です。私の可愛い顔を想像してお待ちください、的な)から終演後の影アナ(私の余韻に浸ってお帰りください、的な)まで抜かりなく、ひとつの作品世界を表現していた。帰るときに気付いたが、ゴミ箱にまでサユミンランドールの世界観に沿った装飾が施される徹底ぶり。(余談だが、席を詰め詰めの満員にして公演を開催しておきながら、お客様同士のソーシャル・ディスタンス確保のため、規制退場を……なぞと会場スタッフが抜かしていた。脳みそついてんのかと思った。でも最後の影アナで道重さんは混雑緩和のため規制退場を行うと言っていた。それなら納得できた。実際、一気に人が押し寄せたらクロークがパンクするだろうし。何がソーシャル・ディスタンスだ。意味もよく分かっていないカタカナを振りかざすな。社会的距離と日本語に置き換えても意味を理解したことにはならない。その言葉が西洋で使われる文化的背景から学ぶ必要がある。)

歌を聴かせますとかダンスを見せますという土俵ではなく、道重さゆみさんという素材の魅力が何なのかをご本人はもちろん制作にかかわるすべての人たちが熟知した上で、いかに彼女だけが表現できるショーを作り出し、ヘッズを楽しませるかに特化していると思った。アメリカの音楽史を追う的なテーマは申し訳程度にしか伝わって来なかったけど、そこは別に本筋ではないのでどうでもよかった。とにかく、道重さゆみさんだからこそ表現できる唯一無二の世界。最後に流れるクレジット・ロールを見ていると楽曲の作詞・作曲は大森靖子さんが多かった。Hello! Project支持者の間ではその言動で好き嫌いがだいぶ分かれている印象。だが実際のところ音楽家として今のHello! Projectに楽曲を提供している人たちとは比較にならないくらい才能がある方。サユミンランドールの音楽世界を成り立たせている要素として大森さんの存在は大きい。彼女の楽曲提供といい、あの衣装の数といい、豪華な演出といい、アップフロントの気合いの入れ方が違う。道重さゆみさんは特別待遇と言っていいくらい大事にされているし、それに値する存在。単に功労者というだけでなく、突き抜けた生粋のエンターテイナー。私は、現役Hello! Projectに関しては2月23日(木・祝)のつばきファクトリーを観たら一旦現場に行くのはやめようと思っている。でもサユミンランドールは次回以降も開催されたらまた観に来たい。