2023年7月23日日曜日

田中れいなライブ2023 しっとりれーな☆ ~復活の『R』改~ (2023-07-11)

オジサンの半ズボン姿は見ていてきつい。いくら暑いから、本人が楽だからといってイメージ・ビデオのように肌面積を広くすればいいというものではない。近所に散歩やちょっとした買い物をしに行くくらいならいい。リゾート地ならいい。年中暑い土地ならいい。だが東京駅付近にその格好は馴染まない。コットン・クラブには馴染まない。もちろんそういう紳士を目にすると安心感はある。来る会場を間違っていなかったと確信できるから。ベランダにたばこを吸いに行ったお父さんのような半ズボン、半袖Tシャツで、建物の入口にある本日の演目が記された掲示をカシャッと撮影する頭髪の薄い中年紳士。私もオジサンなので広義ではそっち側だが、狭義ではそっち側にいかないようにしたい。他山の石とせねばならない。

Hello! Projectのゴールド・カード会員特典として、貯めたポイントで公演に入ることが出来る。50,000pt超を持て余していた。50,000ptあればメンバーさんからのメッセージDVDをゲトることが出来る。何年か前におのみずさんにやって貰ったやつ。しかしコヴィッド騒ぎ以降、私から氏への興味はじわじわと削り取られ、先日のゲイ・バー事件によって氏にお金、時間、カードのポイントを使う理由が完全に消失した。かといって他のメンバーさんにいわゆる推し変をするわけでもなく。もうHello! Project自体に対するスタンスが『マジ興味ねぇ』(DJ OASIS feat. K DUB SHINE)になっている。メッセージDVDを貰いたいメンバーさんはいない。他の特典といえば額縁入りのサイン入り写真とか、ツーショットを誰かと撮れる権利とかだが、それらも要らない。そんな中、Twitterだったかな? ふと目にした。田中れいなさんのコットン・クラブ公演をポイントとの交換で観られるという情報を。17,600pt。公演の価格によって使用するポイントが異なるが、3-4回入れば今のポイント(+これから貯まる分)はほぼ消化できる。それでポイントを使い切ってファンクラブを退会すればちょうどいいじゃん。

コットン・クラブには前にサユミンランドールで来て好印象。内装やサーヴィスがブルーノート東京の下位互換のようだなと思っていたが、実際にブルーノートの系列店らしい。映画『Blue Giant』(上原ひろみさんが作曲、演奏で参加したアニメーション映画。ジャズのショウとして圧巻。拍手、歓声を浴びせたくなった)で知った。映画の中では店名を文字ってあるが、明らかにそれと分かる形でブルーノート東京とコットン・クラブが姉妹店として出てきて、後で調べたら実世界でもそうだった。何が下位互換かというと、コットン・クラブは雰囲気がもっと軽いというか、敷居の低さがある。(これは客にとってだけではなく出演者にとってもそう。田中れいなさんや道重さゆみさんがブルーノートで公演をしているのは想像できない。)あと席の間隔が狭い。窮屈。その割に飲み物の値段やサーヴィス料だけはいっちょ前にブルーノート東京と同等。サユミンランドールのときはオーダーが必須ではなかったから頼まなかったけど、今日は席に案内されたときにメニューを渡された。この公演限定のコラボレーション・カクテルを注文。JPY1,320。ココに来る前に食べてきたキッチンABCのオムライス・セット(オムライス+ハンバーグ+キャベツ+味噌汁)がJPY1,050だったよな……と思いながらストローを吸う。一口で後悔。甘すぎる。異常。桃味のシロップをそのまま飲んでいる感じ。氷で薄まるのを待ってなんとか片づける。田中さんが開発にかかわっている可能性がある(大雑把なコンセプト出しと試飲くらいはしているかもしれない)のであまり悪くは言えないが赤ワインにすればよかった。終演後の会計でJPY1,320にさらに10%を乗せられたのでJPY1,320の内訳が本体JPY1,200+消費税JPY120と見せかけて実は本体JPY1,320でした〜という罠かと思ったら、加算されていた10%はサーヴィス料だった。あんだけ終演後に会計待ちで並ばせておいて何がサーヴィス料10%じゃコラ。せめて本家ブルーノート東京くらい支払いの窓口数を用意しとけよ。ちなみに隣にいたおまいつっぽい多動な紳士はオーダーを聞かれ、とりあえず氷を入れた水と言ってそのまま何も頼まずにやり過ごしていた。メニュウをぱらぱらめくりながら「高いな〜」とぼやいていた。帰るときにテーブルにタオルを忘れていた。

非常に良い席だった。左右に配置されたお立ち台の右(演者側からは左)のすぐ横。真横から観る感じ。ステージとの間に席がない。田中れいなさんが目の前のお立ち台に乗ったときはやばかった。距離にして2メートルくらい? 会場によっては最前でもこんなに近くない。ちょっと悔やんだ。ゲスト出演する田村芽実さん目当てで、私は9月17日(日)に行われる西川大貴さんのコンサートを昼夜ともチケットを押さえてある。両方とも一番安い席を取ったのだが、片方だけでも今日の席種にしておけばよかった。

田中れいなさんはこちら側から登場。すぐ近くを通ってステージ中央へ。出てきた瞬間からヴァイブスが違う。たたずまいからしてモノが違う。本物の芸能人だ! 本物のハロプロだ! Max Fisher, “The Chaos Machine”によるとソーシャル・メディアは利用者をどれだけ没頭させ長時間利用させるかというゴールに向けて機能が設計されている。そのためにアルゴリズムが道徳感情を刺激する言葉、極端な内容と誤情報を多くの人々に広めている。ソーシャル・メディア同様、田中れいなさんにも我々を没頭させ長時間夢中にさせる悪魔的、中毒的な魅力が備わっている。それを引き立てるのがコットン・クラブという小箱、バンドの生演奏、脚とワキを惜しみなく見せてくださるえちな衣装、余計な司会者を呼ばず余計なゲームなどもせず田中さんの歌を堪能できるシンプルな構成。それらが田中れいなさんの魅力を会場中に拡散し、来場者全員を虜にさせた。当ブログのコアな読者でも殆どご存じないとは思うが(このブログを始める前の話なので)私は彼女たちが現役の娘。だった時代は断然さゆチャン派だった。『ラフ・アンド・ピース』のリリース・パーティに行ってからは私の中で田中さんの地位が急上昇している。Hello! Project本体はもういいとして、さゆチャンや田中さんがいるうちはM-Lineは細々と観なあかん。

田中さん曰く今日の衣装はコヴィッドで中止になったコンサートで着るはずだった。三年越しのお披露目。サイズは大丈夫だったけど、少しアレンジしてもらった。猫をイメージ。本当は耳もあった。立体感をつけるために衣装さんが苦心して作ってくれたけど、今日はつけるのをやめた。ヘッズからエーイング。明日つけてという声を受け、映像収録があるからイヤだと拒否する田中さん。イヤがる素振りを見せつつも、アンコールではしっかりと耳をつけてくれる。サーヴィス精神。(普通、しっとりれーなという演目名からこの露出度の高い衣装は想像しない。こういうところも田中さんは最高。)セットリストに『大人ブルー』(新しい学校のリーダーズ)があったのが今っぽい。Tiktok経由で生まれるトレンド。Tiktok経由で曲を知るという流れ。田中さん曰く多くの曲はサビさえうまく歌えばうまく聞こえるけど、『大人ブルー』はAメロがポイント。私はドラゴン・ボール・メドレーの『CHA-LA HEAD-CHA-LA』に高揚した。この曲と共に過ごした私の少年期。Juice=Juiceのひとイキ。田中さん曰く、もはや私の曲のようになっている。今度かりんチャンに会ったときにこの曲を私にちょうだいって言っておく。終盤の『夢見る15歳』は熱かった。現役かそうでないかという枠を超えて、Hello! Projectという概念の放ち得る輝きがこの数分間に凝縮されていた。トークの中で、この美貌を35歳になっても、40歳になっても維持すればみんなは推しとして見てくれるっちゃろ? 頑張らんとね。的なことを言っていた。田中れいなさんのような、並外れた、奇跡のような存在だけに許される発想。

2023年7月17日月曜日

ダ・ポンテ〜モーツァルトの影に隠れたもう一人の天才〜 (2023-06-25)

家から徒歩圏内の池袋、東京建物ブリリア・ホールでの公演に入りたかったが、日程が合わなかった。池袋での公演期間は7月9日(日)〜16日(日)。週末でいうと三日間。9日(日)に関しては、前日の夜に名古屋でフットボールを観ている。いつ東京に帰るかは未定。ひょっとすると休みを繋げて月曜まで名古屋にいる可能性もあった。15日(土)は日産スタジアムで横浜F・マリノス対川崎フロンターレ。となると残るのが16日(日)だがこの日は一公演のみ。東京公演の千秋楽だけ行くってのもね。いや別に千秋楽だけ行ったら悪いわけではないけど、自分的にあまり気が乗らない。ということで6月25日(日)のプレビュー公演を観るために北千住くんだりまで来ることになった。池袋のスギ薬局でスト・ツーとコラボしたロート・ジーを見つけ、思わず購入。エーラージでAセットのマトン。JPY1,000。

シアター1010。前にも来たことがある。めいめい関係だったはず。駅前のマルイの中。11階。入場口。係員たちは全員マスク。壁にマスクのロゴが貼ってあるのが見える。この私でもちょっと日和りかけたが、素顔での通過を決行。何も言われなかった。場内のアナウンスメントではマスクの着用を推奨しますと言っていて、前から微妙に変わっていた。「お願い」という名の強制はなくなって、実際には自由になっているのだ。にもかかわらず「推奨」という言葉で煙に巻き、どさくさに紛れてマスクを続けさせようとしてくる。カス連中。もはやどの立場から何のためにどういう根拠でその「推奨」とやらをしているのかが完全に不明。演劇業界は頭が悪い人たちに牛耳られた後ろ向きな業界。そしてジャップという民族は本当にどこまでも陰湿で卑怯。リメンバー・パール・ハーバー。行動経済学の本に書いてあった。クレジット・カードのロゴを表示するだけで(クレジット・カードを使わなくても)客が払う金額は増える(Dan Ariely and Jeff Kreisler, “The Dollar Effect”)。目の絵を貼り出しておくと犯罪が減るという話も聞いたことがある。同様にマスクのロゴを掲示するだけで、明示的にお願いや強制をしなくても、それはマスクを着けろという無言の圧力として機能する。この数年間マスクが持ってきた社会的な意味を考えればそうなるのも当然だ。客席を見てみろよ。9割の奴らがマスクをしてやがる。ストリートの着用率よりも高い。前に元浦和レッドダイヤモンズの福田正博さんが浦研プラスの配信で興味深いことを言っていた。曰く、日本人選手は何々をやるなと言われると萎縮して何もやらなくなってしまう。そして何々をやれと言われるとそればかりをやってしまう。例として、今シーズンから就任した浦和のマチェイ・スコルジャ監督が練習開始の5分前にはグラウンドに来るようにと選手たちに指示をしたところ、異常に早く集まるようになった(それを受けてスコルジャ氏は5分前集合の指示を撤回した)。要は上の立場の人から何かを言われると、よかれと思って求められている以上のことを勝手にやってしまう。ここ数年の日本社会におけるマスクの扱いを見ても分かるように、その過程で赤の他人に対し実質的な強制を行うことへの疑問すら抱くことが出来ない。個人や自由といった西洋近代の根幹にある概念を習得できないまま奇跡的に経済発展だけしてしまった歪さ。ともあれ、マスクをしていなくても咎められることはなかったし、来場者の9割がしていようがそれはその人たちの勝手。私の知ったことではない。

めいめいは主役ではなかったけど、彼女目当てで一度は観に来る価値があるくらいの見せ場はあった。二度目、三度目と観たかったかというとそれはなかった。めいめいが中心にはいないのもあるが、それ以上にこの劇自体が私にとっては特段おもしろくはなかった。たとえば『ジェイミー』のようにめいめいがそこまで目立たなくてもミュージカルとして感銘を受ける場合は、もう一度観たかったなという余韻が残る。実のところこの『ダ・ポンテ』は凡庸だった。めいめいの支持者として一回観たからそれでよし。それ以上ではなかった。めいめいは、ダ・ポンテの母親、ロンドンで困窮したダ・ポンテを拾う若い女、その若い女の老後(ダ・ポンテの妻)という三役を演じていた。私の席は8列9番。センターブロック左端の通路席。序盤にめいめいがソロ歌唱をするときは真正面だった。劇を通してめいめいが左寄りに来ることが多く、事実上のセンター席と言ってもいいくらいの好位置だった。私は出演者の誰に対してもケチをつける気は一切ない。スタイル、技量、カリスマ性、人気などさまざまな面でトップ級の方々だからこの舞台に立てているのだろうと思う。だから誰が悪かったということではない。それを前置きした上で言わせてもらうと、モーツァルトと言われましても。どう見てもカツラをかぶった純日本人ですやん。というひねくれた考えを、どうしても頭から消し去ることが出来なかった。日本人が西洋人を演じるときに避けられない問題。単に見た目の話だけじゃなくてさ。たとえばダ・ポンテがゲットー出身のユダヤ人であるということで差別的なことを言われたりするんだけど、それがこのシアター1010の中にいる人たちにどこまでリアリティを伴うのか。正味な話、演じている当人たちだって大して知らないでしょ?(失礼。)そりゃこの劇のため、もしくは前に別の作品に出る際に多少の勉強はしたかもしれないけど。たとえばの話、ユダヤ人ではなく朝鮮人、ゲットーではなく部落だったら感じ方が全然違ってくる。その辺の肌感覚だよね。そういったことがどうしても気になってしまい、最後まで頭のどこかに違和感があった。そういうのを抜きにして観れば、面白いは面白いんだけどね。モーツァルトと二人三脚で音楽を作っていたダ・ポンテという人物がいたんだっていうのを知れたのも単純に興味深かったし。めいめいがステージで歌っているのを近距離で聴かせてもらえれば、それだけで私の口角は上がる。私の生活ではめいめいを観ているときにしか使わない顔の筋肉がある。

ハハノシキュウ独演会〜完全1人会〜<立会い出産第十子> (2023-06-11)

ハハノシキュウさん? いや、なんか違うな。ハハノさん? これも違う。そもそもハハノが苗字でシキュウが下の名前なのか? ハハノさんなんて呼んでいる人を見たことがない。というコンマ数秒の思考を経て、私の口から出た呼び名はシキュウさんだった。ハハノさんを却下した理屈だとシキュウさんもダメなはずだ。だが思考をもう一巡させる時間はなかった。今まさに彼は私の目の前にいて、会話をしている最中なのだから。シキュウさんとかシキュウ君と誰かが呼んでいるのは聞いたことがある。だから変ではないだろう。終演後の物販に小説があれば買おうかと思ったが、なさそうだった。Tシャツも持っているし。ということでチェキだけ撮ることにした。チェキでお願いします。二枚で千円です。はい。(千円札を渡す。)久しぶりに来ました。三年ぶりくらいです。一人MCバトルとか行ってました。僕、変わらないですよねよくも悪くも。そうっすよね。最近はバンドセットばっかだったんですよ。でも今日みたいなの(独演会)にしか興味がない人もいるんだろうなって。あー、僕はどっちかというとそっちっすね。シキュウさんの世界に浸れる感じが。(チェキ一枚目)チェケラッチョみたいな感じで……。おー、それはなかなかやらない。一番レアかも。(チェキ二枚目)お任せで……。じゃギャルピで。初めてやります(笑)。ありがとうございました。チェキなんてだいぶ久しぶりに撮った。楽しかったし、撮る人が上手だったようでいい感じに仕上がっている。KissBeeの藤井優衣チャンとギャルピでチェキを撮りたくなった。

昨日(KissBee→横浜F・マリノス→KissBee)の消耗が激しく、疲れが残るが、行っておきたかった。しばらく足を運んでいなかったハハノシキュウさんのショー。最後に行ったのが2019年でしょう。コヴィッド祭りの最中は一度も行っていない。夜に出かけず休むのが本当は正解。昨日の疲労がある上に、今日は鍼灸の施術を受けたからだ。鍼をやったらその日は入浴してはいけないし、激しい運動をしてはいけないし、お酒も飲んではいけない。せっかく整えた血の巡りが乱れるから、ということらしい。まあハハノシキュウさんの現場に行くのは問題ないだろう。どう転んでもワーワー騒ぐようなことにはならない。安静にしているのと大差ない。昼までゆっくりして、エーラージでサバフィッシュとマンゴカレーとライス(JPY1,980)。広がるトロピカルな風味。ラージさん曰くコヴィッドで何年かマンゴーが入って来なかったが今年から再開した。インドのマンゴーは甘い。インドでは夏は毎日食べる。ヨーグルト・ライスとマンゴーがあればそれだけで十分。抜群の組み合わせ。鍼に行ってから、下北沢へ。ハハノシキュウさんの作風、芸風はもちろんのこと、会場もあのときと変わらない。下北沢Laguna。と言いつつも正確には覚えていない場所。駅の周りに乱立する古着屋が興味深い。雨が降っていなければ覗いていた。そのうちゆっくり見てみたい。お酒を飲めないのはちょっと痛かった。入場時に買わされるJPY600のドリンク・チケットはアイス・コーヒーと引き替える。受付兼バーテンの紳士がペット・ボトルから注いだばかりの超フレッシュな一杯。アルコールを入れたかったなあ。知らない(Shazamでも特定できなかった)けどいい感じのジェイ・ラップが流れる中、アイス・コーヒーをちびちびやってチルする。心地よい空間。18時開演だが、17時42分の時点で客が十人いない。始まってからはさすがに二十人くらいはいたと思うが、ギューギューにはならず、ストレス・フリーだった。前方にかじり付こうとする人はほとんどおらず、後方でひっそりと観る人が多かったのがハハノシキュウさんの客層らしかった。

まったく盛り上がらない。示し合わせたかのように。ドッキリでもやっているかのように。でもテッテレー、ドッキリでしたー! なんてことはないまま最後までそれが続いた。途中ゲストで登壇した紳士が言っていたように、我々の反応が拍手をするか、しないかの二種類しかない。だからどう思っているのかが分からない。一人一人に聞いて回りたいという紳士に、この人たち全員5ちゃんねらーなんで。知らない人に話しかけられたくないと思いますとハハノシキュウさん。じゃあやめます。人が嫌がることはしたくないんで。と紳士。私は途中から耳栓をしていたので正確には分からないが、その紳士とハハノシキュウさんの反応を見るかぎりフロアは相当に静かだったんだと思う。でもハハノシキュウさんは別に我々に盛り上がってほしいわけではない。シーンとしているのはイヤではない、なんならそれを望んでいる。もっと言うと「葬式みたいな」と氏が言うその雰囲気に一種の性的快感に近い何かを味わっている向きさえある。私は前に観に行ったMCバトルのショー・ケースでOMSBさんが「葬式じゃねえんだよ」とフロアに毒づき、後方のDQNが「葬式だよバーカ」と返す現場に居合わせたことがあるが、そういう現場とは根底にある価値観が異なる。他のラッパーでは満たせないニーズを満たしている自負がある、という旨のことをハハノシキュウさんは言っていた。一般的な音楽現場では声を出したり身体を動かしたりして感情を解放することに価値があるが、ハハノシキュウさんの現場はそれとは違う。これはこれで非日常体験。我々が静かなだけでなくハハノシキュウさんもいっさい我々を盛り上げようとはせず、媚びることなく、粛々と、淡々と自分の音楽を開陳していく。序盤は少し気まずさがあったが、時間が経つにつれ私はこの独特の心地よさにどっぷりとはまっていった。なんて素敵な空間なんだろうとまで思った。一見とっつきづらそうな(実際にはとてもいい人だが)見てくれの紳士が、こじんまりした会場で、自身の独特な音楽を一人で披露し、少数の理解者たちが集まって静かに味わっている。お酒を飲んで騒ぐために来たとか、ナンパしに来たとか、そういう何か付随する目的で遊びに来たのではなく、ただただ純粋にハハノシキュウさんというラッパー、音楽家、表現者が好きで、氏が作り上げる音楽を聴くためにこの場に集まっている。奇跡のようなことではないか? 来てる人もスゴく楽しいってわけじゃないんだろうな、とトークの時間にハハノシキュウさんはつぶやいていた。たしかに爆発的な楽しさとは無縁だし、知らない人からすると不気味でさえあるかもしれない。でも優しさに包まれていて、なんだか救われたような気分になれる、そんな空間。