2016年9月17日土曜日

℃-Fes!Part1 9月5日も℃-uteの日 at日本武道館(2016-09-05)

最近どうも体調が悪くてだるくて疲れが取れない。本を読んでも長く集中できず寝てしまう。夜中によく目が覚める。休日の外出を押さえて家で横になっていたらますますヘロヘロになって弱っていく。マッサージを受けても効果は薄かった。喉まで痛くなってきたときには風邪薬を飲んだら症状は和らいだ。だが、根底にある疲労感は風邪薬では治らなかった。ジムで走ったら幾分か楽になった。フットサルに参加して友人と絶品のインド料理をいただいたらもっとよくなった。心地よい筋肉痛が不調を忘れさせてくれている感覚がある。「売上はすべてを癒す」ならぬ「筋肉痛はすべてを癒す」である。今でもなるべく週に一度はジムで走っているが、筋肉痛がするくらいの運動も定期的にやっていかないといけないなと痛感している。

『筋トレが最強のソリューションである:マッチョ社長が教える究極の悩み解決法』という本がある。私は読んでいないのだが、著者のTwitter accountは前からフォローして見ている。本の題名と同様、とにかく筋トレをしろ、そうすればすべての問題は解決するというのを手を変え品を変え面白おかしく書いている。筋トレを「筋肉痛がするくらいの運動」と置き換えれば、あながち極論やジョークではないのかもしれない。ここ数年の私はあらゆる自己啓発書から距離を置いているので『筋トレが…』にも手は出していないのだが、読んでみようかな。

ブログの執筆が現場の2週間くらい後になることは今までもあったのだが、それは週末に現場が立て続いたため書く時間が捻出できなかったのが主な理由だった。今回の場合は、月曜の9月5日に現場があって、週末に予定はなかった。一度ベローチェに入ってまとまった時間を取ったのにあまり筆が進まなかった。書くということに入り込めなかった。乗ってこなかった。スウィングしなかった。自己満足の零細ブログとはいえ、一つ一つの記事には産みの苦しみがある。一定の時間、喫茶店にいれば最初はうまく書けないが途中からスイスイ進むいうのは過去に何度もあった。降りてくる瞬間というのがある。先週末は最後までその瞬間が訪れなかった。

執筆だけではなく、コンサートを観てそれをどう消化できるかも心身の調子にかかっている。コンサートは目で観るだけではない。耳で聴くだけでもない。身体全体で感じるものなんだ。それを実感した。コンサートやイベントやミュージカルや舞台を観てそれについてブログやTwitterに書くという行為は、その公演に関する感想や報告であると同時に、自分の心身が置かれている状態の告白でもある。同じ公演を同じ会場のほぼ同じ位置から観ていても、心身ともに良好な状態な人はさまざまな楽しさ、美しさ、愛しさを見出すことが出来る一方、激しい頭痛、腹痛と下痢に襲われている人にはそういったことはぼんやりとしか感じられないだろう。それどころかいつ抜け出してトイレに行こうかとか、早く終わってしまえというような考えで頭がいっぱいになっているかもしれない。9月5日(月)には有休を取っていた。土日と合わせると3連休だったので放っておいても元気満タンになっているだろうと、楽観的でいた。しかし前日からうっすらと頭が痛かった。

以下に記す内容は、先週末にベローチェで書いていたものの最後まで乗ってこなかった作りかけの文章をもう一度ひっぱり出して調理し直したものである。ジムでのジョグとフットサルを経ていない、今(9月17日)よりも弱っていて刺々しい状態の私が考えた、機嫌の悪い文章である。しかしながら、私の人生における9月5日の思考記録としては今の状態で書くよりもずっとリアルなのである。私はこのブログでなるべくそのときの主観的な気持ちや考えを残したいと思っているから、後知恵による大幅な修正は加えない。

2016年8月20日に解散を発表した℃-uteは、9月3日に広島で同グループとしては最後となるハロコンへの出演を果たした。現場で観ていた方々の声をTwitterで見るかぎりでは、感動的なコンサートだったようだ。開演前には℃-uteの『忘れたくない夏』が(℃-uteにも秘密で)流れ、本編の最後には通常のセットリストに含まれていない『がんばっちゃえ!』がハロプロメンバー全員で披露され、数多くのハロプロ構成員やハロプロ研修生たちは泣いていたらしい。終演後にモーニング娘。の工藤遥から手紙、アンジュルムからは写真アルバムが贈られたことが、℃-uteメンバーのブログには記されていた。私は現場にいた訳ではない。そんな人間の戯言であるのを承知の上で正直に言わせてもらえば、最後のハロコンの様子を知った私の胸には違和感が残った。もっとはっきり言えば、スポーツ新聞を通して解散を世の中に発表してからの℃-uteには少し白けている。解散という決断そのものについては、℃-uteとアップフロントの意向を尊重したいとしか思わない。こちらには知り得ない事情も多々あることだろう。それに関して外野から野次を飛ばすつもりはない。では、腕を組んで首を傾げたくなるこの感じの正体は何なのか?

第一に、決断の重さに対する、その後の展望の耐えられない軽さ。「女優」(矢島舞美)、「キャスターとかマルチタレント」(鈴木愛理)、「旅番組を持ちたい」(中島早貴)、「全力でバラエティーで生き残りたい」(岡井千聖)、「アパレル業界にかかわれたら」(萩原舞)というのが8月20日のスポーツ新聞に載った解散後の「夢」である。メンバーによって個人差はあれど、何なんだ、このふわっとした感じは。結成11年のグループの解散という衝撃的な発表と添えて発表するには、あまりにも生煮えで、ぼんやりしてはいないか。一つ一つに突っ込みを入れるのはやめておく。メンバーたちが独力で明確な展望を描けないのは仕方ない。それ以上に、彼女たちに次の具体的なポストを用意できない事務所がふがいない。奇跡のような存在である彼女たちをこれからどう生かしていくか会社としてまともな見識がなさそうだ。未来の展望がこれだけ軽いと、決断まで軽く感じられてしまうのだ(実際には軽い訳がないのだが)。

第二に、解散の宣言から終わりまでの長すぎる期間。最後の℃-uteの日を迎える前にファンに伝えたかったというのは理解できるが、まだ9ヶ月もあるのにもう終わっているような雰囲気を強く感じるのだ。最後のハロコンでの演出や後輩たちの涙、手紙、アルバムも、もう来月くらいに解散するのであればしっくり来る。解散が来年の6月となると、これからが消化試合のように思えてしまうのだ。もちろんご本人たちは私のような泡沫会社員とは違う次元にいるプロなので残りの活動を軽く流すというようなことは一切ないだろう。でも8月20日に℃-uteは解散を発表したのではなく、解散したんだと今の私は受け止めている。もちろんこれからも最後までコンサートを観に行かせてもらうつもりだし諸々のDVDや音源も引き続き買わせてもらう。だが、8月20日の前と後では、同じグループとして℃-uteを見ることは出来ない。

℃-uteの辞め方からは、若手会社員の退職に近いものを感じる。道重さゆみさんのようにアイドル(モーニング娘。)としてやれることをすべてやり切って、もう悔いがないから辞めるというのとは少し違う気がするのだ。もちろん℃-uteがハロプロに人生を捧げてきたことに変わりはないし、彼女たちがさまざまな偉業を成し遂げてきたことは言うまでもない。十分に長い間やってきたとも思う。でも、まだまだ上を目指す(その「上」が何を意味するかは不明瞭にしても)グループだと私は認識していたので、ここで走り終えちゃうんだという拍子抜け感はある。下書きのような軽い未来設計しか言えない状態で、9ヶ月前に解散を発表するという姿勢から強く伝わってくるのは、とにかく辞めたいという固い意志だ。20代後半の会社員が、部署の仕事を一通り覚えて仕事を一人で回せるようになってきたけど、一生この会社で終わりたくないし、この会社で課長や部長になりたいと思わないし、このままでは成長しないし、業界や職種を変えるなら年齢的に今が期限だし、というような理由で会社を辞めるのと雰囲気が似ている。で、そういう奴に何の業界で何の仕事をしたいのかと聞いても明確な回答は持っていないんだ。道重式と℃-ute式の、どちらがいいか悪いかの問題ではない。でも℃-uteの最後のコンサートは道重さゆみさんのときに比べてよくも悪くもあっさりした公演になると予想する。

℃-uteは常に、今まで出来なかったことを達成しようとするグループだった。コンサート・ツアー毎に新しい試みを取り入れてきた。今までに発売した全シングルを歌うという9月5日のセットリストは、それとは真逆を行くコンセプトだった。今まで積み上げてきた資産で、無難なコンサートを作り上げようという意図が感じられた。すべてのシングルを歌えば、大当たりでもなければ大外れでもないコンサートになるのは見えている。もちろん℃-uteの日というのはコンサート・ツアーとは別だから単純に比べることは出来ないが、℃-uteは早くも思い出づくりの段階に入っている、もうこのグループは明確に終わりつつあるんだな、と実感した。終わりつつあるというのは単に時期の問題ではなく、である。序盤にオリンピックのレスリング日本代表の吉田沙保里、伊調馨、登坂絵莉の三選手が登場したのも、(曲順は別として)事前に公表されたセットリストの驚きのなさを補いたいんだなと思った。(驚きと言えば、開演前に関係者席を見ていたらワンピースをお召しになった牧野真莉愛さんが席に向かうのが見えた。隣にいた同行者に伝えるために普段は牧野さんと言うのに不意に「まりあちゃん!」と言ってしまった。)吉田沙保里さんが登場した瞬間、私の頭にはMC松島さんの“I am Yoshida Saori”が流れた。(MC松島さんが吉田沙保里さんについて歌った曲だけを集めたミックステープ『#日本の宝』、無料で落とせるので聴いてみてください。)

以上はコンサートを観させてもらいながら、リアルタイムでは6年くらい前から見ている℃-uteというグループそのものの現状について、すぐれない体調で考えたことである。9月5日の℃-uteのパフォーマンスやコンサートそのものに否定的な見方をしているわけではない。それどころか、彼女たちの体型や容姿の仕上がり具合、歌唱とダンスの水準、過酷なセットリストをものともしない体力とコンサートを通しての安定感は巧の域だった。すべての曲がシングルだったので欠けるメンバーがいない。つまり彼女たちからすると休む暇がない。にも関わらず2時間45分の長丁場を完璧な笑顔で走り抜けた。ステイジ上の全員が本当に楽しそうだった。演出は比較的シンプルだったが、上から落ちてくる大量の風船をバンバン叩いて上に戻すのが童心に戻ったようで心が躍った。中島早貴さんがトークのときに客席に向かって「ちょっとみんな風船で遊ぶのやめて話を聞いて」と言っていたのには笑った。正直なところ序盤は曲がぶつ切れすぎて(『江戸の手毬歌II』の短さには客席がどよめいた程だった)あんまりよくないなと思ったが、中盤からはいつもの℃-uteコンサートらしい熱い空気になってきた。