2016年7月3日日曜日

℃ONCERTO (2016-06-20)

℃-uteさんのコンサート・ツアー“℃ONCERTO”の千秋楽を観に行かせてもらいました。日本武道館という特別な会場でのコンサートでしたが、開演前の私には高揚感がありませんでした。なぜなら特別なコンサートだとは考えられなかったからです。というのも、彼女たちにとって武道館は何度も踏んできた舞台です。それどころか、去年にはもっと大きな会場でコンサートをやっています。もちろん武道館でコンサートを出来ることの偉大さには変わりはありませんし、ツアーの千秋楽というのはそれ自体が特別ではあります。しかしながら、今までの流れを踏まえると、2016年の春ツアーが武道館どまりなのはよくて足踏み、場合によっては一種の後退にすら思えました。

2013年は℃-uteさんにとって飛躍の年でした。4月3日(水)に、池袋サンシャイン・シティでのイベントにて、9月10日(火)に単独での武道館公演を行うことが発表されました。イベントで披露する最後の曲『Crazy完全な大人』が始まると見せかけて、つんくさんが音声のみで登場しました。メンバーさんたちも知らず、劇的でした。当時、ゴミのような会社に属していた私は仕事の後にTwitterを開いて知りました。発表の模様は当日中にYouTubeに公開されました。私は繰り返し再生しました。涙腺が緩みました。つんくさんからは同時に6月30日(日)のパシフィコ横浜での公演がファンクラブの先行受付の時点でキャパを超えている、7月5日(金)にはフランスでの公演が決まったという発表がありました。

パシフィコ横浜でのコンサートを観させてもらったときには、私はゴミのような会社を辞めて、無職で金髪になっていました。それまでは収容人数2,200人の中野サンプラザが埋まるかどうかも怪しかった℃-uteさんは5,000人の観客で満員になったパシフィコ横浜のステイジに立ち感激していました。ファンクラブ会員向けに販売されたソロ・アングルDVDでは、コンサートの始めに出てきた中島早貴さんの目が潤んでいるのを確認できます。パシフィコ横浜では9月9日(月)に武道館での追加公演が行われることが発表されました。あと、くだらないことですが9月10日が℃-uteの日として日本記念日評議会という謎の組織から認定されたという発表もありましたね。

引き続き無職だったので、9月9日(月)と10日(火)は両日とも日本武道館に行くことが出来ました。10日(火)はファンクラブ先行で落選したのですが、娯楽道でチケットを買いました。9日(月)に一曲目の『Kiss Me愛してる』が始まった瞬間のあの感覚は、今でも思い出すことが出来ます。℃-uteさんがあれだけ口にし続けていた武道館でのコンサートが今、こうやって現実になったんだという興奮。子供の頃にヴィデオ・ゲイムをやって最後のボスにたどり着いたような、達成感と恐さが入り交じったような気持ちでした。とにかく、この年はめでたいことばかりが続いて、押せ押せ、イケイケの空気でした。

2014年は、その余熱が残っていました。11月11日(火)の日本武道館でのコンサートで℃-uteさんは、前年よりも成熟したパフォーマンスを見せてくれました。二年連続で武道館でのコンサートを成功させたことで、彼女たちは一発屋ではないことを証明しました。この日には、2015年6月11日(木)に横浜アリーナでコンサートを行うことが矢島舞美さんの口から知らされました。このときに武道館のアリーナ席にいた私は無職でも金髪でもなく、今でも勤めているまともな会社で働いていました。激動の2013年に比べると℃-uteさんの動きは控えめでしたが、翌年の横浜アリーナ公演の発表があったことで、拡大路線を進んでいるという喜びをみんなで共有することが出来ました。みんなというのはメンバー・裏方とファンが一体となったTeam ℃-uteのことです。

Team ℃-uteという言葉は、℃-uteさんの拡大路線と切り離すことが出来ません。日本武道館を目指すとなったときからメンバーさんたちが急に多用するようになりました。日常業務のような場面でこの言葉が持ち出されることはあまりなくて、大きな会場や外国でコンサートをやるというときに主に使われます。『ザ・チーム 日本の一番大きな問題を解く』(齋藤ウィリアム浩幸)という本によると、多様な人々が課題を解決するために集まったのがチームです。つまり、年齢や性別その他の属性に関係なく同じことを成し遂げたい人たちの総称です。今までよりも大きな会場や未踏の土地でコンサートを実現させたいという夢をメンバー・裏方・ファンが一緒になって追い続けてきたのが、Team ℃-uteです。

Team ℃-uteのプロジェクトは、2015年6月11日(木)の横浜アリーナで頂点を迎えました。2013年に勢いに乗る前には2,000人級の会場が満足に埋まらないどころか、単独でのコンサート・ツアーの継続的な開催さえ危うい時期がありました。そこから一気にプロップスを得て、平日に17,000人の観客を熱狂させたのです。2015年3月3日(火)には℃-uteさんと同時期にハロプロに加入したBerryz工房さんが解散(活動停止)しました。℃-uteも近いうちに解散してしまうのではないかという憶測を打ち消すかのように矢島舞美さんは「℃-uteにはまだまだ夢がある」「まだまだ突っ走っていく」と力強く言い切りました。℃-uteはこれからも活動を続け、ファンはついて行く。2015年6月11日(木)はその熱い契りが交わされた日でした。

そのときには私はそう受け止めました。しかしあれから一年がたっても、矢島さんがそのときに宣言された夢が何だったのか、どこに向かって突っ走っているのか、分からないというのが正直なところです。私は℃-uteさんが発信する情報のすべてを観たり聴いたり読んだりしている訳ではないので、もしかすると重要な何かを見落としているのかもしれません。しかし、Team ℃-uteが武道館を目指していた頃のような明確なゴールが現在では存在していないように私には見えます。『ザ・チーム 日本の一番大きな問題を解く』にはチームの特徴として、目的を達成したら解散するということが書いてありました。パシフィコ横浜、日本武道館、フランス、台湾、横浜アリーナ。Team ℃-uteはこれまでに数々の目標を達成してきました。次のゴールを更新できなければ、チームという言葉の定義上、Team ℃-uteは有名無実化してしまうし、実際にしつつあると言っていいでしょう。

一ファンとしての個人的な意見を言わせてもらえば、これ以上の規模の拡大は単純に喜ぶことは出来ません。会場が大きくなって純粋に喜ぶことが出来るのは日本武道館までです。会場は大きければ大きいほど客席とステイジが遠くなり、見にくくなります。一方、小さなライブハウス(和製英語)だと距離は近いけど整理番号に恵まれないかぎりステイジは見にくい。しかも座席がなくて立ちっぱなしだから鑑賞環境としてはよくない。損益分岐点のグラフのように会場の大きさと見やすさ・鑑賞環境のよさを二つの線で表したときに、線が交わるのが日本武道館なのです。もちろん横浜アリーナでのコンサートは武道館では味わえない感情的な高ぶりがありましたが、℃-uteの皆さんのお姿は小さかったですし、あの遠さが普通になってしまうと私の足は現場から遠ざかりそうです。

あのまま拡大路線が続いて、もっと大きな会場、例えば日産スタジアムでやりますと、仮に発表されていたとします。私は祝福はしていたでしょうが、ぜひ行きたいとは思えなかったかもしれません。そこまで大きくなってしまうと、後でBlu-rayを買って観た方がよさそうです。もちろんそれは想像にすぎず、もしかしたら実際に体験したら違うのかもしれません。ただ、サッカーを観ていても遠いと感じるスタジアムで、サッカーよりも細部を見たいアイドルのコンサートを観て、満足できるとは到底おもえません。

もちろん、観客動員が足りなくてグループの存続に関わるようだとファンも困ります。ですので、ある規模までの拡大路線は、メンバーさんたちとファンの利害が一致しています。でも、ある閾値を超えた拡大については、ファンの側にそれほど利点があるようには考えられないのです。ですので、私は一ファンとして、日産スタジアムを目指しますとか、東京ドームを目指しますというのを大々的に掲げて一致団結を求められていたとしても、乗り気にはなれなかったと思います。

℃-uteさんの素晴らしさはもうみんなが十分に分かっているというのが実際のところです。ファンからも、ハロプロ内の他グループからも、ハロプロ外の同業者からも、既に十分なプロップスを得ています。何万人も入る会場でコンサートを開催するという形を取らなくても、実力は証明済みなのです。ハングリータイガーのハンバーグが、全国展開しているファミレスのハンバーグと比較するのがおこがましいほどおいしいのと同じです。

2002年のサッカーW杯は、多くの日本代表選手たちにとって人生をかけた戦いでした。何年も前に読んだある本で、ある選手がこんなことを言っていました(たぶんこの本で、この選手だろうというのは頭にあるのですが、現物を確認できないのでぼかします)。曰く、W杯が終わってから、燃え尽きて抜け殻のようになった。サッカーに身が入らなくなった。人間というのはどうも、これが手に入れば死んでもいいという夢を持ってそれを叶えてしまうと、それ以降の人生に意味を見いだせなくなって苦しむようです(残念ながら私はそんな夢を叶えたことがないので経験からは語れないのですが…)。それがそのまま℃-uteさんに当てはまるというのは完全に言い過ぎですが、もしかすると武道館にたどり着いて以来、ちょっと近いことが起きているんじゃないかな、と思うことはあります。もちろん彼女たちは私のようなしょうもない会社員とは次元の異なるプロ中のプロですから、目に見えてパフォーマンスの質が落ちるということはありません。それどころか歌もダンスも質は向上する一方です。しかしながら、萩原舞さんが文春のウェブ版に彼氏とデートしている姿を掲載されたのは、ちょっとした緩みの表れのような気がします。こじつけかもしれませんが。

岡井千聖さんが喉を手術するため、翌日のバースデー・イベントを最後にしばらく休養することが決まっていました。その間は℃-ute全体での活動は出来なくなります。岡井さんは2016年6月14日放送のテレビ番組『人気者から学べ そこホメ!?』で℃-uteの活動期間についてあと2-3年と発言しました。このように、数年単位で見るとゴールの不明確さ、数ヶ月単位で見ると萩原さんの文春砲と岡井さんの手術・休養決定、岡井さんによるグループ解散時期に関する発言があって、℃-uteを取り巻く直近の状況はそれほど明るいとは言えませんでした。夢が次々続々トントン拍子で決まっていった2013年とは違い倦怠感すら漂います。それらに加えて、私は今回の℃ONCERTOツアーを思うように楽しめていません。6回観させてもらっていますが、どうもよく分からない違和感が残っていました。楽しくて仕方がない、という感じではなかったのです。6回目には何かが変わって、見違えるように楽しむことが出来ましたが、そのドンデンガエシを除けば、今回のツアーにはあまりいい印象がありませんでした。そういう訳で、会場に入るまではワクワクしていなかったのです。会場に入る18時手前まではそうでした。

3時間後には、楽しすぎて泣きそうでした。それが最後の曲『JUMP!』で飛びまくって、恒例の「℃-ute最高!」チャントにちゃんと参加してから出口に向かう私に浮かんできた、嘘偽りのない気持ちでした。冒頭に述べたように、今日は特別なコンサートではないはずでした。誰かが卒業するわけでもありませんでした。6回も参加してそれほど好きではないツアーの千秋楽に過ぎないはずでした。でも、あまりにも楽しかった。本当に涙が出てきてもおかしくないほどでした。今日のコンサートを総括すると、楽しすぎて泣きそう、それに尽きると言っていいほどです。とはいえ「楽しすぎて泣きそう」だけでブログの記事を終わらせるわけにはいきません。どう書けばよいのか分かりませんでしたし、今でもよく分かっていません。

私の席は、アリーナA7ブロックの一桁でした。この番号を見て、ブロックの中で一列目であることは予想が出来ました。ブロックの配置は当日その場に行くまで分かりません。会場で確認したところ、A1からA8ブロックがメイン・ステイジの前に配置されていました。そして10番までが一列目でした。つまり、私の席は日本武道館の客席全部の中で、最前列だったのです。前方の席にいさせてもらうからには、先陣を切ってコンサートを盛り上げるというノブレス・オブリージュを果たさないといけません。今日の公演はBlu-rayにもなるでしょうから、なおさら盛り上げないといけません。今までの6回でセットリストは身体に染みついているので、迷いなく、精一杯、声を出し身体を動かしました。最前線にいすぎて、当事者でありすぎて、会場全体がどれだけ盛り上がっているのかを気にする余裕がありませんでした。今までの6回を観ていなければここまで存分にコンサートに入り込めなかったと思います。つまり、人生に無駄な経験はないんです。

メイン・ステイジの他に、アリーナの真ん中にステイジが設けられていました。今までに観た武道館公演ではメイン・ステイジと通路でつながっていたのですが、今回は通路が見当たりませんでした。どうやってステイジ間を移動するのだろうと思いましたが、メンバーさんたちはアリーナのブロック間の隙間を縫うように電動トロッコで移動していました。これは喜びに満ち溢れた演出でした。移動する際にメンバーさんたちが非常に近くて、私も周りの観客も笑顔になりました。

人生はSTEP!』のイントロで℃-uteさんが身体を重ねて動くのですが、そのときの中島早貴さんのふとももが私の眼球と脳に激しい衝撃を与えました。私のいた右寄りの最前線はイントロの中島さんのふとももの躍動が一番よく見える場所だったので、無理がないというか、私は完全に被害者としか言いようがないのですが、しばらく頭がクラクラしました。私は℃-uteさんの中では岡井さんが一番好きなはずなのですが、推し変しそうになりました。これはあくまで音楽的な観点から論じているのであって、中島さんをいやらしい目で見ていたわけではありません。

特に後半はみんな盛り上がってガンガン飛び跳ねていたのですが、隣の少女が私の領域にはみ出してきて私とくっつきそうになりました。コンサートの途中で逮捕されるのは勘弁願いたかったので、加齢臭を発して追い払おうとしましたが、どうも私はいい匂いしか発することが出来ない紳士らしく、失敗しました。

6月20日は、岡井さんが22歳になる前日でした。ハロプロ研修生が着替え中の岡井さんに内緒でケーキを運んできて、岡井さんが登場すると同時に会場全体で祝いました。みんなでハッピーバースデイを歌いました。打ち合わせがゼロだったので、名前のところがちっさーなのか千聖なのか確信が持てませんでした。鈴木愛理さんの提案で、岡井さんがカメラに向かって「ニャンニャン」とやることになりました。岡井さんが本気で嫌がっていて本当に笑いました。やる前に観客がフー!と冷やかしたところ「千聖のファンは一人もフー!って言ってないじゃん」と言っていました。今日はアンコールが「千聖!千聖!」でしたが、単に次の日が誕生日ということだけではなく、無事に手術を終えて復帰してほしいというファンの気持ちも込められていたと思います。

「毎年、武道館でやれるグループになりたい」、岡井さんはそう言いました。これは立派なビジョンだと思いました。メンバー全員の意志がそれで統一できているのであれば、ひとまずゴール問題は解決したと思います。ただ直線的に規模を大きくするだけが成功ではないので、これは一つの答えとして賛同できます。また、一回達成したら終わりのゴールだと2002年W杯の後の某選手のような燃え尽きた状態になってしまいますから、一度達成してもなくならないゴールを設けることは賢明です。ただ、毎年、武道館でやると聞いたときに、そもそも℃-uteさん自体はあと何年やるのか? という疑問・心配が私の頭には浮かんできます。解散するまでのグループとしてのビジョン、解散した後の個々のビジョンが見えてこないというのが、何となくファン全体にモヤモヤが残っている部分かもしれません。

ただ、これから℃-uteさんが活動を続けるのがあと何年にせよ、毎年こんなに楽しくて完璧なコンサートを体験させてくれるのであれば、私はそれ以上は望みません。℃-uteっていつまで続けるの? そんな疑問を、圧倒的な質で黙らせる。問答無用で楽しませる。満足させる。それも℃-uteさんらしいと思います。とにかく今日は、何と言えばいいのか分からないくらいに楽しかったです。℃-uteの皆さんには、これまで活動を続けてくれてありがとうと言いたいです。