2024年9月29日日曜日

"Challenge" フロアライブ (2024-09-14)

ただでさえ消耗させられるこの蒸し暑さの中、朝っぱらからうるせえ祭りの音。狂気のゾンビ通り(©︎安淳徳さん)。狭い道路を挟んだうちのすぐ目の前に詰め所がある。ここぞとばかりに活き活きしている老人たち。大人の音頭でワッショイを連呼しながら小さな神輿をかつぐ子ども。その喧騒のど真ん中に生卵でも投げつけてみたい欲求が私にはある。遠まきに聞こえてくるならまだしも、さすがに家のすぐ前で滞留して騒ぎ続けられると、やり過ごすのも容易ではない。すぐそこで私は洗濯物を干すんだよ。言うまでもなく、コレは祭りだから許されている。もし祭りに関係なく同じ場所で同じ音量で騒いでいる集団がいれば警官が現れるだろう。祭りだったら話は別。通報するほうが非常識。世の中はこのような二重基準と不公平さで満ちている。たとえば町田ゼルビアの何十秒もかけたロング・スローは当たり前のように許されるのに、他のチームが通常のスロー・インで同じだけの時間をかけたら遅延行為でイエロー・カードの対象になる可能性が高い。それなら勝っているチームは毎回ゆっくりとタオルでボールを拭き拭きしてロング・スローをやっていればイエローを貰わずに時間稼ぎが出来るということになる。

いつもの下北沢MOSAiC。11時半開場、12時開演。変な時間。君たちに昼メシを食わせないぞという運営側からの強い意志を感じる。私の場合、これを理由に申し込みを回避しても不思議ではない。私が休日の昼メシをどれだけ重視して生きているかは熱心な読者の皆さんがご存じのはずだ。しばらく迷った挙げ句、入場前に軽めに食べて、夕方に十条で一杯やることにした。男なら二つはイケる(D氏)でお馴染みのThe Pizza。ミックス・ピザ1pcで我慢。ジン・トニック。私の場合は通常なら二つ、お腹が空いていれば(そしてダイエットを無視すれば)三つ、さらに胃もたれを気にしなければ四つはイケると思う。ケバブ・シェフ(6年前にKと行ったトルコ料理店)も11時からランチをやっていた。興味をひかれたが、時間的にも量的にも今日はサッと軽くで済ませたかったので今回は見送った。最後の方に入場。入場後のドリンクはラム・トニックというのを初めて頼んでみた。存外においしい。次もコレにしよう。

チケットを買った後に、今日の公演がフロア・ライブであることが発表された。初めて聞く言葉だった。和製英語であることは間違いない。そのままfloor liveと言っても英語話者には通じないだろう。検索すると、どうやら演者さんたちがステージではなく客のいるフロアでパフォームする形式を指すらしい。どういう感じになるんだろう。いつもと趣向が異なり面白そう。ごちそうさまでした! と元気よくお姉さんにお礼を言ってラム・トニックのグラスをカウンターに戻し、階段を下りる。ここ数回の公演では新規と招待を無料にすることでフロアの人口を嵩増ししていたが、今日はそれがなく、通常運転。自ずとおまいつ率が高めの少数精鋭、「大体 毎回 いつも同じメンバーと再会」(RIZE, “Why I'm Me”)状態に。フロアの真ん中よりはややステージ寄りの位置に、マイク・スタンドが4本。そこを取り囲む形でヘッズが立っている。私は(通常のステージを前とした場合でいう)後ろ側の二列目。通常の感覚だと最前くらいの緊張感があった。全員が最前と言っても過言ではなかった。ヘッズが入りきっても混んでいない。いい具合にスペースがある。最後の方に入った私でも、え、いいんですか? ココにメンバーさんが来ンの? って戸惑うくらい近くていい位置に立つことが出来た。

ステージにいるのと同じフロアにいるのとでメンバーさんの見え方が違った。皆さんこんなに華奢で小さいのかという驚きがあった。ステージの段差があるとそこまで感じなかった。この小さい身体からあの破天荒で過激なYouTube動画群と、熱量に満ちた歌と叫びとダンスが生まれているのか。特にダイナマイト・マリンさんはなぜか裸足だったのでなおさら小ささを感じた。(Hello! Projectにはレコーディングを裸足で行うのを好むメンバーさんがいたけど、マリンさんも似た理由だろうか?)あと、普段はステージにいるメンバーさんと、それを観ている我々という区分けが物理的にも明確にあるけど、フロア・ライブ(和製英語)だとそれがない分、メンバーさんだけでなく我々も含めて一つのBLUEGOATSであるという感覚があった。Hello! Projectで言うといわゆる降臨がずっと続いている感じ。贅沢な時間、特別な体験だった。またやってほしい。今回のチケット代はJPY2,500だったけど、またやってくれるなら2倍、場合によっては3倍でも払う。買います買います。

買います買いますと書いてはみたものの、私は実際には冷静である。何かが発売されたら脊髄反射的に買うということはしない。BLUEGOATSにせよ何にせよ、依存することは避けたい。適度に楽しむという節度は守りたい。結局のところ、労働生活の虚無さと苦痛を、刺激の強い娯楽で散らして誤魔化す生活を長く続けることは出来ない。それは生きるつらさを酒や麻薬で乗り切ろうとするのと同じだ。応急処置としてならともかく、永続的な解決策にはならない。どこかで破綻する。娯楽の刺激に頼らなくても暮らしていけるように、自分の生活そのものを少しでも良くするために行動する必要がある。
長期的かつ大量にドラッグを使用していると、快楽と苦痛のシーソーは最終的に苦痛の側に偏るようになる。快楽を感じる能力が下がり、苦痛の感じやすさが上がるように支点の位置が変化してしまうのだ。
(アンナ・レンブケ、『ドーパミン中毒』)
40代独身で仕事がクソだと分かりつつ、もう出世欲も、俺が会社を変えてやるという気概(思い上がり)もなく、家族や子どものためという理由もなく、かといっておいそれと辞められない、どう身を振って、労働生活と人生をどう着地させればいいのかも分からない、そしてこうやっている間にも確実に老化していき、心身ともに弱っていき、死なない限りはジジイになるという焦燥感。(これはきっと25歳くらいまで無心に勤め上げてはみたものの次の進路のあてがないアイドルさんたちの心境に似ているのではないだろうか?)

チェキ撮影。隣に立つと左のチャンチーさんが私の眼鏡に手をかけてきて不意を突かれる。それをかけたい的なことを言ってきたので外して渡した。彼女は先日の10時間ぶっ続けライブで喉を傷め、本日は歌唱なし。特典会もささやき声。それはそれで色っぽかった。チャンチーさんは私の眼鏡がとても似合っていた。「すごい度入ってる」「近視と乱視だから」「近視と乱視ってどういう状態?」「遠くが見えなくて、あとこうなる(手振りで乱視の像を示す)」「こうなるんだ(同じ手振りをする)。大変そう」「まあ、眼鏡があれば…」「そっか」「喉、お大事にね」「うん、ありがとう。次は喋れるようにね」的な会話。