2017年2月25日土曜日

つばきファクトリー メジャーデビューシングル発売記念イベント (2017-02-22)

1.

「幸福度が高そうですね」―東京都に住むギャンブル依存症の無職・中島(仮名)は周りを見渡してつぶやいた。目の前にはディファ有明。有明テニスの森駅から徒歩で3分のところにある、多目的施設である。中島は自分がここに来ることをほんの2時間前まで分かっていなかった。TwitterのDMでC(仮名)から2月22日(水)の昼から夜にかけて会えないかと打診され、受諾したはいいものの、よく考えてみると目的を知らされていなかった。新大久保の駅前で待ち合わせたCは、中島と出会うや否や、まずは昼飯を食おうとお気に入りのネパール料理店の方向に足を進めた。今日の用件が何なのかますます分からなくなった中島は、思わず聞いた。「今日は、何を…?」。答えは「分かっていると思っていたけど」だった。そんな無茶な、と思いながら平静を装う中島が「いや、全然わからないです」と返すと、Cは(理不尽にも)少しがっかりしたような様子でため息をつき、ようやく説明してくれた。何でも今日はつばきファクトリーというグループがメジャー・デビューする日で、そのイベントを観に行くのだという。中島は心配していた。呼び出されたのは何かの陰謀で、翌日には東南アジアで臓器を抜かれているのではないか…。無職特有の将来への漠然とした不安と、十分な食事を摂れていないことによるさまざまな栄養素の不足から、被害妄想じみた考えが頭に浮かんでしまうのである。つばきファクトリーというのが何なのかはいまいち把握していないのだが、今日の目的が分かり、ホッとした。サマエボウジという一風変わった料理をいただいてお腹も満たせたことで、不安は解消し精神的な余裕が生まれた。その証拠が冒頭の発言である。ディファ有明に集まったつばきファクトリーのファンを観察して論評を加えるだけのゆとりが生まれたのである。

Cによると今日のイベントは18時半から始まるが、参加するには会場に行ってあらかじめCDを買う必要がある。CDを買うと整理券が配られるという。販売が14時から始まる。ディファ有明に着いたのが13時なので、だいぶ時間がある。それでも既に人だかりが出来ている。ざっと300人近くはいそうだ。
「中島さんが普段行くSKEの現場と比べて、だいぶ来ている人の感じは違うの? 例えば年齢層とかさ」
「年齢は…同じくらいかもしれませんね」
「いつも気になるんだよね。こういうところに集まっているのはどういう人たちなんだって。職業とか、年収とかさ。すげえ知りたい。こんな平日の昼間にさ、普通は来られないよ」
あなたも会社を休んでここに来ているでしょうが、と言いたくなるのを中島はギリギリで抑えて頷いた。
「年収は、高くはないでしょうね。僕が平日のSKEの現場で隣の人と話すと、サービス業で働いていることが多いですね。仕事上、土日はどうしても来られないということで」

近くで並んでいた青年が読んでいるアイドル雑誌を見て、中島がCに言った。
「『○○(雑誌名)』ですね。過去に何度か買ったことあります」
「うん。つばきファクトリーの特集があるんだよ、たしか。でも『○○(雑誌名)』って文章がクソじゃない? インタビューは別にしてもさ。インタビュー以外の文章が。アイドルという対象を客観的に書いてもつまらないということだろうね」
「それもあるかもしれませんけど、それ以前に誤植が多すぎます。どうやったらこんな誤植になるんだというような、本当にひどいレベルで。たとえばですけど、記事の題名が乃木坂で、サブタイトルが違うグループだったりとか、そんな感じなんですよ」
「そんなことがあるんだ」
「アイドルのことをよく分かっていない人が介在している可能性があります。たぶん3人くらいで作っているんじゃないですかね。文章にしてもクソさの傾向が雑誌全体を通して似ているので、おそらく一人が大量に書いていると思うんですよね」
「文面から知性というか教養をあまり感じないんだよね。何かの分野について少し難しい本を読んだ経験を持つ人が書いた文章には、その分野とは関係のない文章であったとしても、それがにじみ出るんだ。『○○(雑誌名)』の文章はそういう感じがしない。あまり本を読んだりはしていない人の文章に見える」
「分かります」
「あと、あれだよ。言葉をよく理解しないで使っている。例えばアカデミックな背景があるようなカタカナの単語を、何となく用いている。今はウェブで検索すれば簡単に言葉の定義や背景が分かるのに、そんなこともしていないというか、気にならないんだろうね」
「『エモい』みたいな感じで適当に使っているんでしょうね」

2.

葛根湯がなければ今日、ここにはたどり着けていなかったかもしれない。2月22日のイベントは、Cにとって絶対に外せなかった。元々、つばきファクトリーの熱心な支持者ではなかった。小野瑞歩が昨年の夏に加入するまでは、このグループにはそれほど興味がなかった。CDを買って曲に親しみ、DVD MAGAZINEなどを通して各メンバーの個性を知るようにはなったが、メジャー・デビューの日に現場に居合わせたいと思うようになったのはごく最近のことだ。2016年12月と2017年1月のファンクラブ限定イベントに足を運び、彼女たちのメジャー・デビューに対する思いを知っていくにつれ、徐々に情がわいてきたのである。1月29日のイベント『キャメリア ファイッ! Vol.5』1回目で、2月22日のリリース・イベントがディファ有明で行われることが、「前説のお兄さん」(つばきファクトリーのイベントでよく前説を勤めるアップフロント社員とおぼしき紳士)から発表された。仕事の早いCは翌日に有給を申請した。1月30日から2月21日は、参加する現場が一つもなかった。その渇望感も相まって、この日を本当に心待ちにしていた。2月20日(月)、急に体調を崩し、会社を休んだ。頭が痛くて、全身がだるい。布団から起き上がることすら難しかった。この日はほぼ完全に寝込んだ。夕方に何とか家を出て近くのセブン−イレブンで食料を調達するのが精一杯だった。iPhoneの歩数計には2月20日は708歩と記録されている。思い返すと、土日から調子はおかしかった。花粉症だと思い込んでやり過ごしていた。葛根湯を飲んで寝ると、その花粉症だと思っていた症状が一気によくなった。翌日も会社を休んだ。何はともあれ、集中的な休息と葛根湯のおかげで、2月22日には外出できる目処が立った。一時はどうなることかと思った。もし体調を崩すのがあと一日後ろにずれていたら、諦めざるを得なかっただろう。

「あと4時間あるのか」と苦笑を浮かべながらCが言うと、中島も笑った。Cたちの前には200-300人もの購入希望者たちがいたにも関わらず、列はサクサク進み、14時の販売開始から30分足らずでCD、イベント参加券、握手券の入手が完了したのである。こんなに早く済んだのは、窓口が4つあったのと、HMVの出張販売だったので販売員たちが手慣れていたのと、商品が3種類(通常磐A・B・C)しかなかったという三つの理由だろう。「どこか行きたいところある?」とCが聞くと、中島は特にないというので、ディファ有明から歩いて5分ほどで着くテニス場のクラブハウス2階にあるカフェに入った。

3.

イベントの観覧と終演後の握手を終えて会場を出た中島は、一連の時間を「異文化体験」と称した。彼の宗教であるSKE48の現場とはだいぶ雰囲気が違った。今日のイベントでは開演前にスタッフ(Cによると有名な人らしい)がステージに現れた。彼が連続ジャンプが禁止である旨を告げた後に、それ以外に禁止事項がないと明言したときは恐ろしかった。今はまだおとなしいこの観客たちが、イベントが始まるとどう豹変するのか、不安で仕方がなかった。しかしふたを開けてみると連続ジャンプどころかみんな決まった曲の決まったタイミングでしか飛ばないし、曲中でもそれ以外でもメンバーの名前をそんなに叫んでいない。

開演前、中島の左にいた青年が、Cに話しかけていた。
「すみません、小野瑞歩さんのファンでいらっしゃいますか?」
「はい」と答えたCに、紙切れを見せながら「定価で買いませんか?」
それを一瞥したCは小さく頷くとおもむろにカバンから財布を取り出し、お金を手渡した。青年は握手券をCに渡して、「ありがとうございます」と言った。さっきCにハロプロの個別握手会の仕組みを聞いて、驚いた。何でも、誰の握手券が当たるかはランダムだそうだ。より正確には、つばきファクトリーは9人いて、Aチーム(4人)とBチーム(5人)に分かれる。購入者はチームを指定するが、メンバーは指定できない。Cの場合はお目当ての小野瑞歩がいるBチームを12枚買ったら5人の内訳が4枚、4枚、2枚、2枚、0枚で、小野瑞歩は2枚だったそうだ。2枚でも少ないし、仮に12枚も買ってお目当てのメンバーが0枚だったらやっていられないだろうな。SKE48の個別握手会は、まず買う時点でメンバーを指定する。その上、本人確認がある。だから望まないメンバーの券が手元に来るということはないし、仮に交換や売買をしたくなったとしても本人確認の関門を越えられない。こうやって自由に売買と交換が出来る(というか交換しないと成り立たない)仕組みなのは面白い、というかちょっと不憫である。今日の開演前にCはTwitterを検索し、小野瑞歩の握手券を持っている見ず知らずの人にリプライで交換を持ちかけていた。

ランダムといえば、CDを買ったときの入場整理券の番号もそうだった。何でも何時間も並んで1,000番台を当てた人がいたらしく、笑った(ディファ有明の収容人数は1,129人)。中島とCは342番と500番だったが、500番が呼ばれるタイミングで一緒に入った。中途半端に前に行くよりは段差のある後方が見やすいというCの判断で、左寄りの後ろから5列目くらいのところに座った。あの人は有名なオタクなんだとCに教えてもらった人(白髪交じりの髪を後ろに結んでいる)が、近くにいた。たしかにCが言うとおり見晴らしがよく、ステージに立つメンバーの全身が見えたが、メンバーの顔まではよく見えなかった。ただでさえつばきファクトリーの顔と名前が一致しないどころか顔も名前もほとんど知らない状態だ。さっきカフェで公式ブログを斜め読みした程度である。文字情報としては唯一、小野瑞歩を認識していた。Cのブログによく出てくるからだ。個別メンバーを認識していなかったし、距離もあったので、このメンバーがよかったというような感想を言うことは出来ない。しかし生歌のパフォーマンスは見応えがあった。どちらかというとダンスよりは歌に比重を置いたパフォーマンスだと感じた。SKE48の場合は基本的に全部口パクなので、そこが大きな違いだった。

終演後の握手会では、カレーにナスを入れるかどうかを聞くつもりだった。これは中島が得意とする握手会のプレイ・スタイルである。出来れば全員に聞きたかった。せめて小野瑞歩だけにでも聞いてCに報告するつもりだった。結果は、一人にも聞けなかった。原宿のポスターを見て、小野瑞歩は入れそう、山岸理子は入れなさそうという予想を立てていた。大人っぽい顔立ちの子はナスを入れて、子供っぽい子は入れない傾向があるからだ。実際に握手をしてみると、とてもではないがそんなことを聞ける雰囲気ではなかった。何とか最後の子(山岸理子)だけにでも聞こうかと思ったが、号泣してこの世の終わりのような顔をしている彼女に投げる質問としては難易度が高すぎて、断念した。

4.

「見えてたよ」―Cにとって今日のイベントの記録として書き残しておくべきはこの5文字に尽きると言っても過言ではない。終演後の握手会。シンデレラ・タイム(労働基準法により18歳未満の子を21時以降は働かせてはいけない)という制約のため、普段よりも高速であると「前説のお兄さん」が説明した。それもあったし、今日つばきファクトリーにかけるべき言葉はこれ以外にないだろうと考え、Cは「おめでとう」と言って左に流れる機械と化した。たしか小野瑞歩は3人目だったと思う。前の二人のときと同じように「おめでとう」と言って次に流れようとすると、思いがけず向こうから話しかけてくれた。それが「見えてたよ」だった。以前Juice=Juiceのライブハウス(和製英語)公演を最前で観させてもらったときに金澤朋子から「見えてましたよ」と言ってもらったことがある。もちろんありがたかったし、びっくりもしたが、意外ではなかった。何せ最前だったので。イヤでも視界には入るだろうから。でも今日に関して言えば、Cがいたのはだいぶ後ろの方で、何ならCが小野瑞歩をちゃんと見えていたかが怪しいくらいの距離だったのだ。開演前にCは「双眼鏡を持ってくればよかった」と中島にこぼしていた。

「小野瑞歩から『見えてたよ』って言われた」
握手を終え、ビニール袋を破いてカバンを取り出しながら笑うCの顔は上気していた。
「本当ですかね? とりあえず言ってみたんじゃ」
「いや、本当に見えたんだよ」
「僕だったらそんなことを言われたら疑っちゃいますね」
中島の冷静なコメントは、Cにはまったく響いていなかった。

2013年12月23日。池袋サンシャインシティ噴水広場。スマイレージの発売記念イベントが行われた。無職だったCはCDを一枚も買わずに無料エリアからイベントを観覧した。たまたま母親と買い物に来ていた少女がそのステージを目にし、自分もあんなアイドルになりたいと思うようになった。その時点で彼女はモーニング娘。を知ってはいたが、ハロプロ全体に興味を持って目指すきっかけになったのが、そのイベントだった。2015年の4月に、彼女はハロプロ研修生に加入した。2016年12月29日に、彼女はハロプロの研修生内ユニット、つばきファクトリーの一員として噴水広場に立った。このときには有職者CはCDを3枚購入し、優先エリアから観覧した。2017年2月22日、彼女の所属するつばきファクトリーはメジャー・デビューを果たした。その彼女とは、小野瑞歩である。

たかだか数年かもしれないけど、皆さん(ファン)と出会えたのは奇跡。メンバーと出会えたのも奇跡。山岸理子が今日のイベントで、そんなことを言っていた。私と小野瑞歩が同じイベントを観ていたのも奇跡だし、そのイベントをきっかけに小野瑞歩がハロプロを目指したのも奇跡だし、彼女がハロプロ研修生に入ったのも、つばきファクトリーに選ばれたのも、今こうやってハロプロのメンバーとファンという関係でいられるのも、すべてが奇跡だ。小野さん、これまでつらいこともたくさんあっただろうけど、諦めないで続けてくれて、ありがとう。ひとまず、メジャー・デビューという形で報われたね。これからも小野さんが一生忘れられない経験をもっともっと積めるように、一ファンとしてこれからも出来るかぎり応援します。