2023年3月5日日曜日

つばきファクトリー メジャーデビュー6周年記念ライブ ~Moment~ (2023-02-23)

火が消えてしまったんだな、とつくづく感じた。公演後に開くTwitter。流れてくる感想。同じコンサートを観た私との温度差。きっと楽しくて仕方がない公演だったのだろう。つばきファクトリーに対する愛が燃えさかっている人々にとっては。私はこれである種、諦めがついた。区切りをつけることに決めた。当面のあいだ、つばきファクトリー及び現役Hello! Projectの公演には入らない。例外として小野瑞歩さんのバースデー・イヴェントだけは申し込むつもり。エム・ラインの公演には少しだけ行くかもしれない。構成員が勢揃いした状態のつばきファクトリーを私が生で観ることはもうないかもしれない。今日の公演前にふとそう思った。その時点では未練が少しだけあった。公演後には吹っ切れた。特に思い残すところはない。火が小さくなっているだけならまだ大きくする余地があったかもしれない。もう火は消えた。

つばきファクトリーの曲を生バンドで聴けたのはよかった。小野瑞歩さんは可愛かった。全員が可愛かった。秋山眞緒さんが惜しみなく見せてくださる脚が相変わらず素敵だった。でも公演を通してほぼまったく感情が動かなかった。淡々とコンサートを観て、淡々と帰途についた。椅子に縛り付けられ(常に着席必須)、猿ぐつわをかけられて(マスク着用で発声禁止)観なくてはならないもどかしさも、もはや主な原因ではなかった。この三年間で、じわじわと、着実に、Hello! Projectに対する私の興味は薄れた。それがもう取り返しのつかない段階に来たのだと気付いた。最初は感染対策(笑)を理由とするさまざまな制約に対する不満だった。それも数ヶ月とか、長くても一年の辛抱だったら熱量を維持できたかもしれない。しかし三年以上経ち、仮に今からアップフロントがコンサート鑑賞上の制限を撤廃し、前のように立ち上がって声を出すことが奨励されたとしても、私はもう前のようにのめり込むことは出来ないと思う。

こんなことを三年間も続けていけば、客層が入れ替わるのは自然なこと。コロナ新規と呼ばれる人々はアップフロントが三年かけてじっくりコトコト煮込んで育ててきたファン層。Hello! Projectのコンサートは座って静かに行儀を守って鑑賞するものですよというのもアップフロントが自ら続けてきたこと。植え付けてきた価値観。そういうものとして定着させたい可能性もある。その方が色々と楽だろうしね、運営する方は。チケットが完売するならそれでいいという考え方もあり得る。ただ、着席しておとなしく楽しむ舞台芸術、音楽、エンタメならもっと優れたものはいくらでもあるだろうに、コロナ新規と呼ばれる人々がなんでわざわざ高額なチケットを買いHello! Projectを観に来てそれで満足しているのかは個人的に理解が難しい。

もし今後、Hello! Projectが声出しやスタンディングを解禁していって、コロナ新規的な人々とそれ以前からいた人々の対立やいざこざが起きたら、それはアップフロントが招いた事態。自分たちの興行の価値が何なのか、失ってはならない現場の光景はどういうものなのか、そういった事業の存在意義にかかわる事柄を曖昧にしたまま、ダラダラと感染対策(笑)の名の下に抑圧的で辛気臭い運営を続けた結果。私は最近はもう観ていないけど、まだまだ油断できない日々が続きますが……とハロ!ステでいちいちメンバーさんに言わせたり、感染対策にご理解・ご協力いただきありがとうございますとコンサートでメンバーさんに言わせて頭を下げさせたり(今日はなかった)、いつまでやらせんだよと私は思っていた。Hello! Projectの価値とは何だろうか? それが歌やダンスのスキルではないことは、The Balladで盛大にバレてしまった。スキルがどうのと言ったって、それは所謂アイドルと呼ばれる枠の中での話。本物の歌手の足下にも及ばない。にもかかわらず、ファンは純粋にメンバーさんの歌を聴きに来ているという前提がないと成り立たない形式のコンサートをHello! Projectは続けている。演出までショボくなっているからなおさら。でも何だかんだ言って今Hello! Projectのコンサートに入っている人々はまあまあ満足している。Hello! Projectしか観ていないから、質においても価格においても比較する対象を持っていないのかもしれない。The Balladをやっていた頃は不本意な形式と内容ではあるがなんとかしてコンサートを開催し続けるというアップフロントの意地が感じられたけど、色々と制限をつけても客がついてきたことで味を占めてその後の動きが鈍くなった感はある。

メンバーさんが歓声やコールありの公演を喜んでいる。彼女たちはそれを望んでいる。だからコンサートはスタンディング+声出しが正しい。それがイヤな奴は現場に来るな。という意見がある。私も同意する。だが、この考え方には落とし穴がある。一つのシナリオとして、これから鑑賞方法の規制緩和がされていきヘッズ同士の揉め事(コロナ以前からの支持者 vs. コロナ新規)が起きた場合、メンバーさんからコロナ新規の肩を持つ発言が出てくる可能性があるからだ。動いたり声を出したりせずにおとなしく観てくださいと明確に言わなくても、みんなが楽しく観られるようにしましょうくらいのことは言うかもしれない。そうなると、それは実質的にはコロナ新規の擁護になる。なぜなら彼らはキモいコールや大声、振りコピなどをする人たちから迷惑を被っている被害者という構図になるから。被害者が加害者に対して思いやりを持てということにはならない。メンバーさんは立場上、みんなにいい顔をしないといけない。声を出してみんなで盛り上がる文化なんだからそれがイヤなら来るなとは言えない。だからSNSお気持ち表明の勢力が大きくなると、前のような熱狂のあるコンサートをメンバーが望んでいるという言い分は通じなくなる可能性がある。

自分たちが提供している価値。立ち戻るべき場所。あるべき姿。そういったものをはっきりと定義し、守ろうとする姿勢。精神性。それがHello! Projectには欠けていた。ただ存続できれば、関係者たちが食えればそれでよかったのだろうか。業種が違うとはいえ、明治安田生命Jリーグとは対照的。声出し禁止とは言いつつも、明確に禁止されていたのは継続的にチャントを叫ぶとか歌うとかの行為であって、思わず出てしまう声はガイドライン上でさえ実は許容されていた。声出しが禁止されていても、ゴールやチャンスのときにはみんな普通に叫んでいた。そういうグレー・ゾーンがある。元々ゴール裏以外の観客は歌い続けるような応援はしないので、実はゴール裏を除けばそこまで強い制限ではなかった。もちろん100%前の通りとはいかないが、フットボール観戦の醍醐味は生きていた。明治安田生命Jリーグは感染対策(笑)を行いつつも、スタジアムの熱狂という価値をしたたかに守り抜いたのである。そして3月13日からはマスクなしで100%全席で声出しがOKになる。それで前の質問に戻るけど、Hello! Projectにとって、守り抜くべき価値は何だったのだろうか?