2023年5月4日木曜日

未完成のエピローグ/つぼみたちのエピローグ (2023-04-27)

実際にその場に行くまでどういうものなのかよく分からなかった。コンサートやミュージカルなら想像がつくが、インスタレーションがどうのと言われても、どういう場所で何が行われ、観客として自分は何を観に行くのか、頭に絵として浮かんでこない。そういう紳士淑女たちのためにインスタグラムの配信でめいめいが説明していた。それを聞き概念的には理解出来たが、具体的には腑に落ちない。たとえばフットボールを一度も観たことのない人が、11人対11人でボールを蹴って相手のゴールに入れたら1点で、90分の試合で点数の多いチームが勝ちで……と説明を受けているようなもの。私に芸術方面の素養がないからポカンとせざるを得ない。理解するために参照出来る類似の経験がない。配信でめいめいは、土日は埋まっているけど平日の申し込みが少ないから平日も申し込んでほしいと我々に強い圧をかけてきた。開催期間は4月26日(水)〜4月30日(日)。私は元々4月30日(日)だけ申し込んでいた。4月29日(土)はフットボールを観に行くから無理。平日に行く場合は午後休を取らないといけない。まあ日曜だけ入れて、外れたらまあ仕方ないやと思っていた。だがめいめいの熱意に押され、特に申し込みが少ないという4月27日(木)の回を追加した。結果、4月30日(日)は外れ、4月27日(木)だけが当選した。土日なのはもちろんのこと4月30日(日)はミニ・コンサートがついていたので申し込みが集中したのは想像に難くない。(金曜日にトーク・ショウ、土曜と日曜にミニ・コンサートが付加されていた。)

最初にチケットのFC先行に申し込む間際まで、そもそも彼女が出演する公演的な何かがあるということも分かっていなかった。ご友人であられるという芸術家の有村佳奈さんによる作品の展示があって、来場者は会場内で花を買って過去にめいめいが演じてきた役に手向ける。その展示にはチケットがなくても誰でも入場出来て、それとは別にめいめいによる朗読劇がある。作品の展示とインスタレーションが『未完成のエピローグ』で、朗読劇の題名が『つぼみたちのエピローグ』。インスタレーションってさも分かった風に書いたけどこれを書いている今でも私はちゃんとは理解していない。とりあえず今回でいうところのインスタレーションとは、来場した我々が花を手向けていくことによって時間と日を追うごとに豪勢になっていく会場のその一角のことだった。

木場のEARTH+GALLERY。行くのは初めて。木場という駅で降りるのも初めて。新木場かと思ったら違った。横浜と新横浜よりも離れている。午後休を取得し、可食部の少ない麻辣味の魚を太陽城で食べ、会場にたどり着いたのが14時半頃。『未完成のエピローグ』は完全な自主企画で有村さんと半分ずつ自腹で出し合って作り上げたとめいめいは件の配信で言っていたが、まさに手作り感のある作品展示会だった。私が最初に入った会社で写真を撮るのが趣味だった同期のカンちゃんが開いた個展を見に行ったことがある(おそらく2005年か2006年)。それを思い出した。めいめいママがスタッフの一人として働いている。入り口近くのハンガー・ラックにグッズのTシャツがかけてある。めいめいが実際に撮影で着用したTシャツは1枚だけ残っている。ピンクの、おそらくサイズS。私がすこしウロウロしていると女性支持者がそれを手にし、購入していた。グッズのTシャツは値付けがJPY4,000(純粋なホワイトTシャツ)、JPY4,500(君だけのカラーTシャツ)、JPY5,000(幻の推しカラーTシャツ)の三種類。めいめいが着用していたのはJPY4,000かJPY4,500のTシャツだったはずだが、ブルセラ的な付加価値なのかJPY6,000で販売されていた。初日ですぐ売り切れるだろうと諦めていた幻の推しカラーTシャツがまだ2枚残っていた。サイズMとXXL。私がMを購入した。君だけのカラーTシャツのサイズL、ピンクと迷った。幻の推しカラーTシャツは9枚しか販売されていない。Tシャツは全部合わせて50枚だけで、たぶんすべてが一点モノ(デザインがそれぞれ違う)。購入は一人一枚まで。これは熱い。久し振りにグッズでこんなにそわそわ、ワクワクした。Tシャツのほかに、4曲入ってJPY2,500もするコンパクト・ディスクと、アート・ブック(これもJPY2,500)を買い、紙袋JPY30もつけてもらったらJPY10,030になった。アート・ブックは先着30冊のみサインが入っているとのことで、サイン付きに間に合った。グッズを確保してからゆっくりと場内を見るが、そうグルグルと回るような広さがあるわけではないので5分、10分もすると手持ち無沙汰になる。インスタレーション内に書いてあるめいめいが演じてきた役名を眺めていると、テオの名前が目に留まった。“Equal”のテオとニコラ。JPY400とJPY500の花を買い、この二人に想いを馳せて花を手向けた。私がいる間はその場にめいめいは現れず(高頻度で在廊していたらしい)。ホッとした。慣れないことをやって下手に接触を試みると事故るだろうし、かといってすぐ近くにいるのに接触しないのもそれはそれで後悔しそうである。どう転んでも失敗にしかならない。私はステージ上のめいめいを近くで観られれば、それでいい。それが幸せ。めいめいはファンクラブ会員向けの配信をやる度にランダムで会員にLINEで電話をかけるのだが、アレは私にとってはロシアン・ルーレットのようなもの。当たらないでくれと祈っている。かかってきたとして、どう話したらいいのか分からない。

木場駅付近は何もなさそうなので、一旦、日本橋へ。文房具屋、書店、サテンが一体になったビルヂングを発見。地下でお洒落な付箋を購入。上の階にあるサテン。コーヒー・フロートJPY800。ソフト・クリームが多すぎるしミルキーすぎる。ヴェローチェのフェイクなソフト・クリームが乗ったコーヒー・フロートJPY390。私はあれのほうが好きだ。今日はめいめいへのプレゼントを持ってきた。演者さんに何かを差し入れるという行為は私にとって初めてである。赤松利市さんの『ボダ子』と、庭いじりなどに使える手袋(50枚入)。東急ハンズで買ったプレゼントを入れるための小さな袋と、小さなメッセージ・カード。手書きする機会が少なすぎてすぐに手が疲れ、字が乱れた。さっき買った付箋に田村芽実さんへと書いて、袋に貼る。

開演は18時。30分前に開場と振り込み確認メールに書いてあった。入場が落ち着くのを待って、17時40分頃にEARTH+GALLERYに入る。受付にFCスタッフのSさん。名前を言うとSさんが手元の名簿にチェックを入れてチケットを渡してくれる流れ。この場で席が初めて分かる。田村さんにプレゼントをあげたいんですけど。と私が言うと、あ、ありがとうございます! お預かりします! と感じよく対応してくれた。エスタシオンが雇った無敵の人予備軍のような青年や中年たちに家畜のように扱われるHello! Projectの公演と異なり、めいめいの現場ではFC担当のSさんとマネージャーのSさんをはじめとする裏方さんがちゃんと人として扱って案内してくれる。席を確認するために手元のチケットを見る。整理番号:3。え、3! 壁の座席表を見ると最前中央だった。正確には各列が左右に三人ずつだから3番と4番が最前中央。サイズの合ったTシャツを購入出来、プレゼントを預かってもらえ、既にだいぶ満足していたので、席については期待していなかった。望外の喜びだった。

素晴らしい席をいただいておいてこう言うのもなんだが、正直なところ、ずっと座って朗読劇を鑑賞する環境としてはあまりよくなかった。ちゃんとした椅子じゃなくて、何ていうの、スツール? 小さくて本当にクッション・ゼロで背もたれもなくて。開演前から既にケツが痛くなり始めた。こんなに短時間でケツに来る公演はちょっと記憶にない。なんであんなに痛くなったんだろう。私は近所の銭湯を週に4-5回利用しているのだが、後日そこで考えた。ぬるい湯(といっても40度以上ある)の横にベンチがある。そこに全裸で座るとすぐにケツが痛くなる。ただ、座り方を深くして、ふとももの裏で座るようにしてみると痛さは和らぐことに気付いた。私はこう見えて他人に気を遣う部分がちょっとあって。公演を観るときは後ろの人の視界を塞がないように、あんまり姿勢をよくしないように気を付けている。めいめいの客層は女性が多いから、最前の私が邪魔になるのが気になった。身を屈めようとすることでももの裏ではなく直にケツが当たる座り方になったのだと思う。

終始ケツの崩壊と向き合っていたのと、めいめいが本当に1.5メートルくらいの圧倒的近距離にずっといたのとで、あんまり話の内容が頭に入って来なかった。生身のめいめいの迫力。単に美形というだけじゃない独特のヴァイブス。うわ、あのめいめいがすぐそこにいる。すげーってなって。全身全霊で集中しているつもりなんだけど、同時に半分ボーッとなって、夢を見ているような感じだった。あんな目の前にめいめいがいて、冷静に話の内容を追っている場合じゃないって今でも思う。めいめいが動いたときに服の布がこすれる音。めいめいが喉を潤そうと水筒に右手を伸ばすときの所作。お口を開けたら自ずと見えるめいめいの歯並び、口の中。朗読中のひとつひとつの声、表情。理屈じゃなくて、最前にいるということ。この距離でめいめいと同じ空間にいるということ。体験しないと分からない感覚。これを味わえたことが何よりも大切なことだった。なんかよく分からないけど、今この時間、これは私が生きている目的だよなって思えた。もちろん物語がまったく分からなかったわけではない。9歳から17歳だったかな? の少女だけが入れる秘密の花園という外部から遮断された世界。小さな少女と大きな少女がいて、後者が前者のお世話をする。大きな少女はいずれ外の世界へと羽ばたいていく。そこに別れがある。一度出ると戻ってくることは出来ない。出て行った少女たちのことは話さない。めいめいがずっと前から表現のテーマに掲げている少女。アイドルの世界の暗喩でもあるように私は感じた。

ケツの崩壊がなければ、もっと物語に入り込んで内容も理解できただろう。ただ、それを差し引いても私は朗読劇を鑑賞するのに不向きな人間なんだろうなと思った。めいめいの手元にあった台本を自分で読ませてもらった方が何倍も理解できたと思う。前にたしかピーター・ドラッカーさんだったかな?の本を読んでいたときに、人には物事を聞いて理解するタイプと読んで理解するタイプがいると書いてあったんだけど、私は明らかに昔から、読んで理解する人なんだよね。たとえば町内放送が流れてきてもなげえよそれ一つのtweetにしたら数秒で伝わるだろと思うし、啓蒙系のYouTube動画を再生しても、ダラダラと話が長いな、あらかじめ要点を後ろに箇条書きにしてから話してくれと思ってしまう。今回のように一人の演者さんがじっくりと物語を読み上げるという静的な(性的なではなく)形式は、私との相性があまりよくないのかもしれない。