2015年10月3日土曜日

428+448

夏と入れ替わるように花粉症がやってきた。さっきも駅まで歩いている途中くしゃみが5連発くらいで出てきた。クスリを飲む必要があったが、飲み物を持っていなかった。昨晩500mlのペットボトルにジャスミン茶を入れて冷蔵庫に入れるまではよかったが、今朝それをカバンに入れてくるのを忘れていたのだ。自販機の品揃えを一瞥し、110円の水を買おうかと思ったが、考えを変えて「加賀棒ほうじ茶」150円にした。石川県の金沢発祥ということで、同県出身の宮崎由加さんのルーツに触れてみたかったのだ。自分のしょうもない購買動機に呆れながらほうじ茶を取り出し、クスリを服用した。

天気予報には昼間は28℃まで上がると書いてあった。でも夏の不快さはもうない。涼しくはないが暑くもない。心地よい陽気だ。今日は午後から別の事業所で打ち合わせがあるので、昼から移動している。Juice=Juiceリーダーの出身県とゆかりのあるほうじ茶を飲みながら、駅のplatformに立ち、ぼんやりと周りの景色を見ていた。次の電車まであと15分以上ある。

今の自分は幸せである、という考えが頭に浮かんできた。それは今日たまたま天気がいいからそう思っているのではなく(まったく無関係ではないだろうが)、何となくだが最近は常に考えていることだ。仮に今仕事がなければ同じ考えを持てただろうか? 断言できないが、おそらく出来なかったであろう。仕事をしていなかった頃に、私は幸せであると感じることはなかった。任意の日付を二つ入力するとその間の日数を計算できるサイトによると、私が無職だった期間は428日だった。職に復帰してからは448日たっているが、428日の記憶が上塗りされて消えることはない。“あの期間”に味わってきた感情や考えは今の自分が物事を認識するときのと礎となっている。何かにつけて、もし私に職がなければこう思っただろうかと考えを巡らせることから逃れられない。

無職の頃と今の私の大きな違いは、社会の中で自分の居場所があるかないかである。会社に属し、役割を与えられている。解決すべき問題がある。頼まれていることがある。期限がある。同僚、上司、部下、他部署、取引先の人々とのやり取りがある。責任がある。仕事があれば、「私はこういう仕事をやっています」と言うだけで曲がりなりにも社会の中で一員として認められる。無職の男というのはバグやエラーのような存在であって、社会の正式な一員ではないのである。仕事を辞めたばかりの頃は「お仕事は何をされているんですか?」という以前は何でもなかった質問が刺すような鋭さを帯びてきた。テレビから無職という言葉を耳にするだけでドキッとした。外を歩いているだけで「こいつは何をやっているんだ」という無言の視線を感じるような気がして落ち着かなかった。それは職に就いていた頃の私が無職に向けていた視線なのである。当時の日記から引用する。
足腰の疲れが無視できなくなってきていたので(中略)60分のマッサージを受けた。どうやらこっちでは60分4,000円くらいが相場のようだが、それよりも何百円か安かった。スタッフは二人いてともに女性だった。
やってくれた人は長崎で生まれ育ったという。マッサージの序盤に「お仕事は何をされているんですか?」と聞かれ、ドキッとした。「会社をやめて、今は充電してるんですよ」と答えた。俺の無言の圧力を感じ取ったのか、それ以上は掘り下げてこなかった。(2013年6月7日、長崎旅行中の日記より)
テレビから何かの事件の報道が流れてきた。犯人は無職。犯人は無職。犯人は、無職! 自分が共犯者のような気がして、決まりが悪かった。次のニューズに移ってくれ、早く。なぜ赤の他人なのに、無職が何かをやらかしただけで自分が責められたような決まりの悪さを感じるのか。それは、俺がこれまでの人生で、心の奥底で無職を馬鹿にしてきたからだと思う。(2013年6月15日の日記より)
葬式が終わってから、火葬場に移って遺体を燃やすまでの待ち時間が最上級の拷問だった。よく知らないけど無視できない人たちと強制的に対面させられた状態で、時が早く過ぎるのをひたすら願っていた。アイス・カフェ・オレは飲み始めたらすぐになくなった。トイレに逃げると、一時的に解放感を味わうことができた。待合室の近くの小さな図書コーナー(といっても小さな本棚に本が数十冊程度)に行くと、火葬施設なのに何とか殺人事件という題名の小説が何冊も置いてあった。知らないおばさんから「お仕事は何をされているのですか?」というあの悪魔の質問が来た。「今はやっていないです」と平静を装って答えた。「勉強中なのよね」と、隣に座った叔母が助け舟を出してくれた。(2013年7月29日、祖母の葬式出席時の日記より)
仕事を再びやるようになって、正式な社会の一員に復帰した。しかもその負荷は自分の私生活を蝕むほどではなく、好ましいバランスを取っている。それが私の精神の安定に寄与しているのは間違いない。

無職の生活を通して気付いたことは、自分は社会に必要とされていない、そして自分がいなくても社会は何の問題もなく回っていくということだった。実のところ、その認識はいまでも大して変わっていない。再び有職者になったことで自分が社会に必要であるという実感が持てるようになった訳ではない。しかし上記の前提は、無職時代の私にとっては絶望を意味し、現在の私にとっては希望を意味している。自分が社会に必要とされていない、自分がいなくても世の中は回っていくというのは、無職の頃の私にとっては、自分がこの世にいる意味がないという意味であった。今の私はこう考えている。つまり、自分がいようがいまいが社会が回っていくのであれば、自分が絶対に達成しなくてはならない使命は、この世にない。自分はこうあるべきだとか、こうならなくてはいけない、といったものは存在しない。他人が決めた“成功”を追い求める必要はない。自分は自分でしかいられない。だから力まずに生きていけばいい。そう思えるようになってから、生きるのが一気に楽になったのである。

無職の頃はいつでもぼんやりとした将来への不安に苛まれていた。職に戻ってからはそれはほとんどなくなった。そういう話をある人としていたら、「(今は)将来が見えているからですかね」と相手は言った。それは正しいようで、実は正解ではない。なぜなら私に将来など見えていないからだ。幸いにも今の仕事は上手くいっているし会社では高く評価されているが、5年後にも同じ状況が続く保証はない。人生そのものの計画となるとまったくないに等しい。それでもなぜ将来への不安に襲われなくて済むのかというと、確固たる現在があって、日々の生活の中に楽しみを見出せているからだ。今振り返ると無職の頃には現在がうまく行っていなかったのでそこから目を逸らすために将来のことに思いを馳せていたのだ。

「子供の頃から将来のためにと言われて色んなことをやってきたけどさ、その将来っていつ来るのよ? 将来のために今を犠牲にしてその先に何があるんだ? 今を楽しむことを最優先にしてもいいと思うんだよね」
ある友人と5年前に飲んだとき、別れ際に彼が言った言葉である。やけに頭に残っているのだが、当時はピンと来ていなかった。今では彼の言っていたことが少し理解できてきた気がする。