2016年6月12日日曜日

九位一体 (2016-05-30)

1.

ゴキブリの一匹一匹に名前を付けないのと同じように、あいつらを固有の名前で認識したくない。たった一ヶ月しかいなかったのに、三ヶ月以上前のことなのに、今でもあのときの記憶が頭から消えない。呆れるほど蒸し暑い朝、外を歩いていると、脳の中であの頃の映像がふいに脳内で再生される。
その度に考えるんだ。もし法律がなければ、不意打ちで後ろからあいつの頭をバットで思い切り殴打して、倒れたままの姿で道端に放置したい。あいつの顔面を、何度も思いっきり殴り続けたい。顔面がなくなるまで。
俺がいっさい関わらないであいつらが勝手にやられるのが一番いい。中国の路地裏あたりで勝手に襲われて大怪我でもしてくれないだろうか。そうなったら、俺はガッツポーズを決めて叫んでやる。ざまあみろ、と。もし何かの間違いで、俺が今後働く会社にあいつが入社してきたら、どうやって潰してやろうか。もし俺があいつらの採用試験の面接官だったらどんな質問をしてやろうか。顔面に蹴りを入れてやりたい。妄想を止めることが出来ない。幼稚な感情だが、沸いてくるのを無理に押さえつけるつもりはない。飛行機がハイジャックされてあいつらがいるビルに突っ込んでくれたら、どれだけ痛快なことか。

「勤続何年か知らねえが金属バットで脳天をかち割ってやる」。もし俺がMC漢だったらそうラップしていただろう(この韻は引用ではなく私のオリジナルである)。

2.

いつもながら、挨拶をしても、○○は返事をしてくれない。これは地味にこたえる。本人に悪意はないと思いたい。そのくせ、社長や役員が出社したときだけは人が変わったように笑顔を作って声を出してやがる。
普段は、彼女は異常なくらい忙しそうにしていて、話しかけるのは容易ではない。たまにゆっくり話せたかと思うと、一方的に批判される。○○と話すのは、完全に苦痛になっている。単にあの人は苦手という幼稚な好き嫌いを超えて、何かがおかしくなっているのに、薄々気付いている。最近、彼女に話しかけるとき、手が震える。声が震えて、ちゃんとしゃべれない。喉が異常に乾く。○○は「は?」と小馬鹿にしたように聞き返してくる。
「出張精算をしてください。やっといてください。これ、私がやったときのサンプルです」、○○は精算書類の束を渡してきた。やり方をまったく説明せず、忙しそうに業務に戻った。これには、本当にしびれた。毎日毎日、こんなことばかりだ。ある仕事をやるのに10の情報が必要だとしたら、3くらいを与えて、質問を考えるスキもへったくれも与えないまま、○○はそそくさと消える。それで「仕事が遅い」と責めてくる。途中までは、俺に考えさせるためにわざとやっているのだろうと思っていたが、どうやら違うらしい。どうも、単純に、教え方が下手なようだ。

ここ最近、○○に話しかけるのが怖くて、彼女への接触が減っている。週一の「ミーティング」でその点を突かれた。
「ホウレンソウが出来ていませんね。社会人として基本的なことだと思うんですけど?」
俺はあなたと話すのが、嫌で嫌で仕方がないんだ。憂鬱で憂鬱で、仕方がないんだ。
「何か仕事を振ったら、いつまでに出来るってすぐに宣言してくれないと、困るんですけど。私は今までの会社ではそうしてきました。そうやっていかないと信頼を積み重ねていくことは出来ません。それが普通じゃないんですか?」

3.

「続いては私、田村です。岐阜県、四番エースさんからです。『後輩が 泣いても とことん 指導する』」
「あ、厳しいのお前?」
「はい」
「どういう風に怒るの? その、歌とか? 踊り…」
「歌とか踊りが出来ないことに関しては全然、怒ったりとかは全然しないですけど、あのー覚えてこなかったりとかすると、怒ります」
「はぇー…、あんたいい加減にしなさいよという感じなの?」
「んー、まぁ冷静に、怒る感じですね」
「うん、例えば? どんな感じ?」
「んー…今からでも間に合うからマネージャーさんに言って辞めてもいいんだよ?とか」
「そんなきついこと言うの?」
「結構ハードなこと言いますね(笑)。ちょっとびっくりした」
「本当にびっくりした(笑)」
「でも今は全然、言わないです。入りたての頃に…。一人、歌もダンスも全然、未経験に近い相川茉穂ちゃんていう子がいるんですけど、その子には結構、初めてだったので、その最初が肝心って言うじゃないですか。それなのでそういうことを言ったりもしました」
「厳しく、心を鬼として」
「はい」
「言いたくないけど、マネージャーさんに言って、辞めてもいいんだよって言うたん?」
「はい」
「はー…そのマネージャーが今お前に『辞めてもいいんだよ』っていう結末を迎えたんやな(笑)」

出典:2016年5月21日(土)放送 MBSラジオ ヤングタウン土曜日

4.

仕事がうまくいかず思い悩む若手会社員だった頃の私には、いわゆるビジネス書に救いを求める時期があった。中でも自己啓発書と呼ばれる本は専門知識がなくても読める上に手軽にやる気を補充することが出来たので、頼っていた。レッドブルを飲む代わりにポジティブな言葉を読んで翼を生やしていた。いま思えばあの頃に読んでいた本のほとんどはゴミだった。レッドブルが健康な身体を作る栄養にならないのと同様に、自己啓発書は仕事の問題に対する根本的な解決にはならなかった。

ゴミではない本も、中にはあった。そのうちの一冊が“The Peter Principle”(『ピーターの法則』)だ(自己啓発書ではない)。階層的な組織において人は無能になるまで昇進を続ける。結果として、まだ無能になる階層まで昇進していない一部の人を除き、無能な人だらけになるというのがこの本に書いてあったことだ。どういうことかというと、平社員として優秀だから係長になる。係長として優秀だから課長になる。というロジックで人は昇進する。もし平社員として凡庸であればずっと平社員のままだ。係長としていまひとつであれば係長であり続ける。課長として無能であれば課長に留まる。つまり、ある人が最終的に落ち着くポジションとは十分に能力を発揮できないポジションなのである。それぞれの階層において、果たさなければならない役割は異なる。プレイヤーとリーダー、マネージャーでは勝手が違うし、リーダー、マネージャーにしても数名を率いる場合と数十人や数百人を率いる場合ではもはや違う職務だ。プレイヤーとしての能力の高さを理由に誰かをマネージャーに昇進させると、優秀なプレイヤーをひとり失い、出来損ないマネージャーをひとり生む危険がある。スポーツの世界で言うところの名選手、名監督ならずである。選手としての活躍が、監督としての活躍を担保しないのだ。

自分がうまく出来るからといって、うまく教えられるとは限らない。自分が伸びたからといって、他人を伸ばせるとは限らない。個人として際立つからといって、集団を束ねられるとは限らない。プレイヤーとしての能力が集団を率いる上での必要条件かどうかすら疑わせる事例も世の中にはある。ジョゼ・モウリーニョにプロ・サッカー選手の経験がないのは有名な話だ。

5.

2013年11月12日(火)

さいたま新都心HEAVEN'S ROCKで初めてスマイレージのコンサートを鑑賞した。熱かったし、楽しかった。曲によって色んな合いの手が発達している印象で他グループとノリが違って面白かった。このツアーに限っては万人に薦められる鑑賞環境ではないが。
明確な推しを持たずに臨んだがこのグループでは田村メンバーを推すことに決めた。田村メンバーは、一つ一つの曲にどっぷり入り込んで演じている感じがした。歌っているときはもちろん、歌っていないときでも感情を込めているのが伝わってきた。自分の歌割ではないときでも誰よりも表情豊かに口を動かしていた。

「マヨネーズ好きの人をマヨラーというが私はしょゆらー。コロッケにもトンカツにもサラダにも醤油をかける」(田村芽実)

2014年9月21日(日)

山野ホール。スマイレージの『嗚呼 すすき野/地球は今日も愛を育む』シリアルイベント1回目。田村芽実の『もしも…』がドープだった。めいめいは格好いい曲を歌うことが多いが最年少だしファンは可愛い曲も聴きたいんじゃないかと思って、という福田花音の提案で選曲したという。スマイレージの現場に来るのは二度目だったけど、田村芽実のあの常に曲の世界に入り込んでいる感じ、曲の主人公を演じきっている感じ、迷いがなくてキレキレな感じが凄く目を奪われる。高速握手会で「『もしも…』が凄いよかった」と伝えるとニコッとして「ありがとう」。

上記は私が田村芽実さんが属するグループの単独公演を生で見た数少ない機会のうち、一度目と二度目の記録である。私がスマイレージやアンジュルムの現場に足を運んだ回数は限られている。でも初めて生で見たときから、田村芽実さんは私を魅了してやまなかった。彼女が出演したラジオの音源は毎回ワクワクしながら聴いていた。自分の中で決して一推しにはならないけど、上位にい続けるタイプのメンバーだった。彼女を一言で表すと、トリックスター。芸達者。才能の塊。ハロプロでもスマイレージでもアンジュルムでも、類を見ない、異彩を放つ存在だった。

6.

2011年にスマイレージに加入して以来、田村芽実さんはずっとグループの最年少で、末っ子、妹と言われていた。そんな彼女に後輩が出来たのが2014年だった。グループに室田瑞希さん、佐々木莉佳子さん、相川茉穂さんが加入した。この時点で彼女は一人のプレイヤーから、先輩、教育者に昇進した。元から自分に厳しいことで知られていた彼女だが、その厳しさを後輩の指導に適用しているという話を、ちょくちょく耳にするようになった。私の中で田村芽実さんと、○○とが、部分的とはいえ、重なってしまった。

私が彼女の何を知っているのか? 何も知らないに等しい。私は彼女たちと一緒に仕事をしているわけではない。ステイジでのパフォーマンスやラジオでのおしゃべりを聞いている以外には、断片的に聞いたエピソードから勝手な想像を膨らませているに過ぎない。でもそれを承知の上で言わせてもらうと、田村芽実さんはおそらく人の上に立つタイプの人間ではない。人を動かして自分のビジョンを成し遂げるタイプの人間ではない。ステイジの上で自分を表現し光り輝く個人である。今後もそういう職人であり続けるのだろうと思う。彼女が目標として口にする「表現者」という言葉はそういうことなんだろうと思う。もちろん、彼女はまだ若い。今後、新しい能力を開花させていく可能性は十分にある。しかし現時点では、一人の表現者として突っ走っていくのがご本人にとっても周りにとっても幸せな選択であるように見える。その意味では、彼女が誰かの先輩や教育者ではなくなることは望ましいことなのではないか。

田村さんと私とでは、身を置く世界が異なる。年齢も一回り以上ちがう。しかし、仮に生まれ変わるなりして私の人生と彼女の人生がもっと直接的に交差することがあったら、私は彼女のことを憎んでいたかもしれない。○○は田村芽実であったかもしれない。これは完全な想像であり、妄想である。でも私にはそうならずに、演者と観客という関係でいられたことが嬉しく感じられる。アンジュルムそしてハロプロの一員として最後となる今日のコンサート。ダブルアンコールを受けて出てきた田村さんは、17年間生きてきて今日が一番幸せだと言った。そんな大事な公演を観客の一人として見届けられて、私も幸せだった。一人の表現者として今までとは異なる舞台に立つ田村芽実さんを、またいつか観に行きたい。