2016年10月9日日曜日

モード (2016-10-06)

上國料萌衣さんのくちびるの上と下が離れる音が聞こえました。上國料萌衣さんが口を開けて息を吸い込んで台詞を発する場面がありました(劇なので当然です)。人間が何かを言うには口を開ける必要があります。口を開くのはくちびるを上下に開放することでもあります。その音が私には聞こえたのです。どういう音だったのかを擬音でここに書くことはあえてしません。今ご自身のお口でお試しになってみてください。大体そんな感じですよ。ただし、あなたや私では上國料萌衣さんのお口元から出るのと同じ音は出すことが出来ません。一緒にしないでくださいね。汚らわしい。「大体そんな感じ」と書いたのは上國料萌衣さんと我々が同じ人間という種に属するから身体の構造が大枠では同じであるという事実のみに依拠しているのであって、それ以上の意味はありません。なぜ私にその音が聞こえたのでしょうか? それは第一に、上國料萌衣さんのくちびるが潤っていたからです。カサカサに乾いたくちびるではこうはいきません。第二に、私が1列目にいたからです。大枚(15,000円)をはたいて原宿の娯楽道でチケットを買いました。上國料萌衣さんがすぐ目の前にいたのです。私と上國料萌衣さんを隔てる人間は一人もいませんでした。会場にいた観客で、この音に気付いた人は相当に少ないはずです。なぜなら、あの音はスピーカーでは拾えていないはずだからです。つまり、生音として聞こえる距離でないと気付けないのです。私のように最前列にいてなおかつ上國料萌衣さんが目の前に来たときくらいではないと、聞き取るのは非常に難しかったと思います。地獄耳の持ち主であれば別かも知れませんが。第三に、今日の公演はミュージカルだったので芝居のときには台詞以外の音はステージからもスピーカーからも出ない公演でした。観客も笑うときを除けば黙って観ていました。コンサートのようにスピーカーから爆音が鳴り響き客席もワーワー声を出す公演でこのような細かい音には気付くのは不可能です。この事象はさまざまな条件が重なったことで起きた僥倖でした。私は2013年に『さくらの花束』という舞台を一番前で観させてもらったことがありました。中島早貴さんがすぐ近くで舞台の上を走ったときに起きた風を身体で感じました。中島早貴さんが動いたことで発生した風を感じたことで、私と中島早貴さんが同じ空気の中で生きていることを実感しました。今日はそのとき以来の衝撃を受けました。自分の中で新たな地平が開かれました。他にも、和田彩花さんがお召しになっているシャツのテカテカ感がよく分かったり、勝田里奈さんの手が他のメンバーさんに比べて血管が分かりやすく浮き出ていることに気付いたり、メンバーさん全員の歯が真っ白なのがよく見えたりと、3列目の端っこから二番目で観させてもらった4日前には見えなかったものが見えました。いや、もっと普通にね、話の内容とか、各メンバーの演技とか、印象に残った場面とか、推す等という軽い言葉よりは拝むとか尊敬するといった言葉が似合う和田さんの神々しさとか、色々書こうと思えば書けますよ。でも、上國料萌衣さんの瑞々しいくちびるが開く音が聞こえたという衝撃を前にすると、それ以外のことはほとんど書くに値しないんですよ。