2020年12月19日土曜日

POLYPLUS Live at Zepp Tokyo (2020-12-15)

終わりよければすべてよしという言葉はウィリアム・シェイクスピアさんの戯曲“All's Well That Ends Well”から来ているらしい。Google検索で一番上に出てきた。シェイクスピアさんといえば西洋人が教養を見せびらかすために引用する作家の代表格だが、見るからに英語が古めかしく、私には理解が出来ない。買っても読む可能性が0%だから積ん読の対象にさえならない。日本でいう古文のようなもの。令和に生きるナウなヤングである私にはお手上げである。そんな私が終わりよければすべてよしという言葉を気軽に使っていいものか、若干の逡巡はある。元の“All's Well That Ends Well”を読んだ教養人と私とでは言葉のウェイトに差がありすぎる(©呂布カルマさん)。それでも便宜上、この言葉を使わせてもらいたい。コロナ・バカ騒ぎに犯され続けクソまみれだった2020年の記憶を大きく塗り替えるほどの体験を、私は得たからである。2020年12月15日(火)、Zepp Tokyo。間違いなく2020年で一番楽しい約2時間だった。これまでの人生でも最高のコンサートの一つだった。

クラブ名にFがついていない頃から、私は横浜F・マリノスを応援している。横浜駅西口の交番付近で横浜フリューゲルスさんの解散反対署名に協力したのを覚えている。正直に言うと、フリューゲルスさんの消滅よりもマリノスのクラブ名にFが入るのがイヤだった。敵であるフリューゲルスさんを吸収してクラブ名に組み込むというのがどうしても飲み込めなかった。それくらい横浜マリノスに入れ込んでいた。中学生の頃はファン・クラブに入っていた。まだJリーグが地上波で放送されていたからテレビで観るのが主だったが、稀にスタジアムに観に行くこともあった。働き始めてからは労働や新しい趣味(洋服、Hello! Project等々)に関心が移り、マリノスを気にかけることが減った。サッカー番組やYouTubeのダイジェストを観る程度になっていった。

十年以上も遠ざかっていたスタジアムに再び足を運んだのが2018年シーズン。そこから見る見るのめり込んでいった。2019年にはリーグ優勝という美酒を味わわせてもらった。2020年シーズンはファンクラブに再加入。シーズン・チケットを購入し(コロナ騒ぎによるリーグ戦の中断で払い戻されたが)、どうしても労働で行けなかったACLのシドニーFC戦を除くすべてのホーム試合を生で観戦した。私をスタジアムに引き戻したのが、2018年に就任したアンジェ・ポステコグルー監督。彼が面白いフットボールをやっているという評判をTwitterで目にし、2018年3月10日(土)のサガン鳥栖さんとの試合を観に行った。噂のフットボールは、鮮烈だった。とにかく短いパスをつないでいく。どんな場面でも大きく蹴り出さない。ゴール・キックから全部つないでいく。観たことのないフットボールだった。当然、相手はそこを突いてくる。何度も最終ラインのパスを奪われ、失点待ったなしの場面を連発した。負けた。もっと普通にやれば勝てたのではないか? そう思った。が、よく分からないがまた観に来たいと思った。うまくいってないのは明らかだったが、何か凄いことをやろうとしているのは伝わってきたからだ。

『モダンサッカーの教科書』(レナート・バルディ with 片野道郎)という本を読んで、その凄いことの正体が少しつかめた。ポジショナル・プレー。相手に合わせず主導権を握る戦い方。数的優位、位置的優位、質的優位。この本を読んでいると、三ツ沢球技場で目にした場面が何度も頭に浮かんできた。マリノスが本来やりたいのはこういうことなのかと。あのとき試合には負けたのに観客席からの野次やブーイングは皆無で、スタジアムが温かい拍手と声援に包まれた。新しいフットボール・スタイルへの転換というマリノスのビジョンに賛同し、そこに向かっていくクラブをみんなで応援しているのだ。

戦術がどうこうの以前に、哲学。それをクラブぐるみで信じ抜く。アタッキング・フットボール。勇猛果敢。ひたすら攻め続け、シュートをたくさん撃ち、点をたくさん決める。相手がどのクラブであろうと自分たちのフットボール(our football)を表現する。選手たちがフットボールを楽しんで、お客さんを楽しませる。負けることもあるが、自分たちのフットボールを実現した結果なら仕方がない。普通なら相手があってのフットボールと考える。敵の長所を消し弱点を突くのが勝つための定石。大事なのは結果。勝ったら成功。負けたら失敗。やりたいフットボールだなんて本末転倒。私は2018年になるまでそう思っていた。アンジェ・ポステコグルー監督が私のフットボール観を大きく変えるまでは。

Zepp Tokyoでの公演を控えたPOLYPLUSさんのTwitterには度々、攻めという言葉が使われていた。攻めの姿勢。攻めの美学。何を大袈裟な、と私は思っていた。たしかにコロナ・バカ騒ぎ以降、ライブハウス(和製英語)が槍玉に上げられたこともあった。しかし、現在では生の公演を行うこと自体はそこまで珍しいことではなくなっている。さすがにキチガイの地元住民が嫌がらせの怪文書を貼ってくることはもうないだろう。東京では。業界で制定したコロナ感染拡大防止ガイドラインに沿った形であれば、問題なく遂行できるはずだ。半年前なら分かるが、12月にもなってコンサートをやるだけで攻めというのは言い過ぎなんじゃないか。

住民税の滞納で、納付期限が昨日(12月14日)の最終催告書を市役所から受け取っていた多重債務ボーイの中島さん(仮名)と、サイゼリヤ台場フロンティアビル店さんで赤ワインのデカンタを二本開けた。辛味チキン、イタリア風もつ煮込み、アロスティチーニ、熟成ミラノ・サラミ×2、シーフード・パエリア。二人で約3,700円。サイゼリヤさんに来たのはたぶん学生のとき以来だけど、今後もたまに利用したい。この値段でこの食事が出来るんならね、ありだと思う。サイゼリヤさんと日高屋さんは食のユニクロ。中途半端なクオリティと値段でやっている店の存在意義を問う存在。住民税の件について中島さんに聞いてみたところ、彼は市役所と交渉し、とりあえず払える分だけ払うということで手打ちになったようだ。それにしてもデカンタ一つという酒量がちょうどよかった。ほどよく上機嫌な感じに仕上がった。

アレを着けろ。コレも着けろ。アレはやるな。コレもやるな。コロナ・バカ騒ぎ以降のコンサートや舞台はそんなのばっかり。おっかなびっくり。どこか物々しい雰囲気。今の世の中で求められているのは、一にも二にもコロナ対策。その興行を通して感染を広げないこと。それを重視するあまり、エンターテインメントよりもコロナ対策が上に来ている感すらある。コロナ感染を広げる原因にならないことが成功の証。その考えを突き詰めると、生の興行なんてやらない方がいい。やっていたとしても我々は観に行かない方がいい。だってそれが最大のコロナ対策じゃないか。

たしかにこの状況ではどんな形であれコンサートを開催してくれることがありがたい。でも“この状況”ってのも煎じ詰めるとフィクションなんだけどね。別に新型コロナ・ヴァイラスは存在しないと言っているわけではない。国民国家が『想像の共同体』であるのと同じ意味で、コロナ・バカ騒ぎもフィクションなんだ。“この状況”が早く終わらないかな、と思っている我々もマスクを着けて三密を避けようとか他人と距離を取らなくちゃとかとにかく感染拡大は悪だと思っている時点で“この状況”を作り上げている一員なんだ。

コンサートが始まると、目前に信じられないような光景が広がった。前の列にいるヘッズが一斉に立ち上がったんだ。そう、この公演は立って観ることが許されている。この数ヶ月というもの、じっと座って黙って観とけやというスタンスの興行ばかり観ていた私にとって、立っていいというだけで衝撃的だった。え、いいのか? みんな立っているだけではない。思い思いに頭を振り、身体を揺らしている。音に合わせて手を振っている。あまつさえ小刻みにジャンプまでしているではないか! みんなが自由に音楽を楽しんでいる。我々の姿を見ながら、呼応するように演奏のギアを上げていくPOLYPLUSのメンバーさんたち。私が忘れかけていた光景が、そこにはあった。マスク着用と発声禁止という制約があってなお、ここまで自由に音楽を楽しめる場が“この状況”において存在するのが奇跡のようだった。四曲目の“we gotta luv”で抑圧されてきた感情が溢れ、涙が出てきて、次の曲が終わるくらいまで止まらなかった。

当然だけど生で聴くのはSpotifyをイヤフォンで聴くのと迫力が段違いで、特にサクソフォンの音色には圧倒された。POLYPLUSさんの音楽で明らかにサクソフォンが中心で、実際サクソフォン担当者がリーダーを務めている。辻本美博さん。この紳士はヤバい。私は元々fox capture planさんのピアノ担当者メルテンさん(岸本亮さん)が好きで同氏目当てでPOLYPLUSを聴いていた。POLYPLUSさんにおけるメルテンさんはリーダーではない分、却って生き生きしているように見えた。POLYPLUSは自分がやっているバンドの中でいちばん制約が少なく、自分を解放できる。この感覚をfox capture planとJABBERLOOPに持ち帰れると思う。という旨のことを彼は言っていた。POLYPLUSさんの場合、五人構成でサクソフォン担当者とギター担当者もいるのでピアノが多少遊んでも曲を壊さないということなのかもしれない。

激しすぎてジャズなのかロックなのかヘヴィ・メタルなのか何なのか分からなくなるが笑ってしまうほどにイカした音楽だった。辻本美博さんが最後の“wake me up (cover of Avicii)”を始める前に、僕らの音楽にはEDMの要素も取り入れていると言っていた。メンバーさんの感情が音楽に乗って会場が一つになる感覚がたまらなかった。私の席は前に通路がある9列目ど真ん中だった。ステージが偏りなく見えたし、観客の盛り上がりもよく分かる絶好の位置だった。もしかすると一番いい席だったかもしれない。アイドルさんと違って必ずしも最前が最良の席とは限らない。音響的にはむしろ真ん中くらいの方がいいはず。

POLYPLUSさんのTwitterに書いてあった攻めの姿勢、攻めの美学といった言葉はこういうことだったのか、と氷解した。世の中の空気を読みながら安パイを選ぶのではなく、業界のガイドラインを守った上で、それに過剰に寄り添わず、可能な限り最高のエンターテインメントを届ける。いや、届けるのではなく、観客と一緒に作り上げる。自分たちの音楽、自分たちのコンサートがまずあって、“この状況”下でいかにして実現させるか。決してガイドラインに合わせてエンターテインメントの内容を決めるのではなく! Zepp Tokyoという大きめの箱を選んだのもそれが理由だと辻本美博さんは説明していた。自分たちが音楽を楽しむ。観客を楽しませる。観客とプレイヤーが一体となってライヴ・エンターテインメントを作り上げる。そのPOLYPLUSさんの姿勢が、私の中で横浜F・マリノスと重なったんだ。

POLYPLUS at ZEPP TOKYO 20201215 - playlist by diskunion | Spotify