2021年1月5日火曜日

HIROMI PIANO QUINTET (2021-01-03)

ヘヴィー・ユーザーの清水國明です。っていうくらい日高屋に行ってるのよ最近。学生の頃に一回だけ行って、そのときにまずいと思ってね。ラーメンと餃子だったかな。もう二十年近く行っていなかったんだ。二度と入ることはないと思っていた熱烈中華食堂を、ひょんなことからまた利用してみた。何でって、察してくれよ。ほら、収入が。アレだから。削れるところは削る必要があって。平日の食事代。朝は果物とプロテイン・バー、夜は米を炊いて適当に何かを作る。で、昼だけ外食するんだけど、ちゃんとした店の昼定食は900円か1,000円くらいする。日高屋だと700円くらいで米、野菜、肉、スープ、漬け物が食えるの。お店のショウ・ウィンドウに飾られたバクダン炒めというのが気になって、食ってみようと。そしたら案外いいんだ、これが。近くで中国系の人がやっている中華料理店よりおいしい。野菜と豚肉とキムチの炒め物なんだけど味にパンチがあってね。口の中が妙にビリビリすることもあるんだけど、何なんだろう。化学調味料? 日高屋のホーム・ページには「何よりも素材の旨みにこだわり、化学調味料の使用はできるだけ控えています」と書いてある。

ガラガラなのに私のすぐ隣に座ってくる老人。おそらく毎日のように来ていて座る席が決まっているのだろう。状況に応じたポジションを取ることが出来ない。空間認知能力の低下。外国人の店員さんにめんどくせえこと(メニューにない生卵が出せないかとか)を聞いて理解してもらえず、勝手に苛ついている老紳士。すぐ近くにこういう手合いがいるときつい。黙っとけやジジイと思わず私からお声掛けしそうになったことがある。二人でウーロン杯二杯と3個餃子だけで昼に居座る老紳士たち。外を通り過ぎるだけで店内から睨みつけるような視線を送ってくる老紳士。昼定食900円や1,000円のお店では目にすることのない客層。場外馬券場にいる類の、リアルな奴ら。まともな和食店で焼き魚、米、味噌汁、野菜を食べる老人と、日高屋の中華そば390円だけで昼を済ませる(本物は定食を頼まない)老人とでは心身の健康に大きな差がつくのは想像に難くない。

休業、残業禁止、賞与削減の合わせ技で、私の2020年の年収は2019年と比べ約二百万円減った。収入に見合わない家賃。引っ越しが頭をよぎり始めている。SUUMOで検索するところまでは行った。ただ引っ越すにもお金はかかる。仮に二十万円かかるとして(実際にはもっとかかる)、家賃が月一万円下がってもブレイク・イーヴンするだけで二年近くかかる。生活の質が落ちるだけ。無意味。二万下げると居住空間は半分以下。三万下げるとゲットー的な物件しかない。何をするにもお金のことが気になる。貧すれば鈍するとは蓋し名言。Rutger Bregman, “Utopia For Realists”に書いてあった。貧しいと今日の夕食をどうしよう等の直近の問題で頭がいっぱいになり、愚かな判断をするようになる。Eldar Shafirによると貧困はIQを13-14下げる。一晩の徹夜かアルコール中毒の影響に相当する。変な雑貨の販売、ステ・マ、YouTubeといった手段でクイック・キャッシュをゲトろうとする元ハロプロ・メンバーさんたちを見よ。

家からいちばん近い(徒歩30分)イタリアン・トマトで253円のアイス・コーヒーを飲んでチケットを購入したのが2020年12月10日(木)。アリーナ席。JPY12,100。誇張ではなく心臓がバクバクし、手が震えた。しばらく収まらなかった。でも、この判断は正しいと私は分かっていた。上原ひろみさんの演奏を小さい箱で聴ける機会なんて一生にそう何度もないだろう。ましてやステージに近いアリーナ席。もっと安い席も残っていたが、安いとは言ってもJPY9,800。ここで二千数百円をケチるべきではない。もちろん家計のことは無視できない。でもこの場面でお金のことを最優先にしているようでは、何のために生きているのか分からなくなる。

私が観るのは16時開場、17時開演の1st set。fox capture planさんを観に行った2020年12月27日(日)で、会場への行き方や入ってからの勝手は分かっていた。席に着いたら注文を求められる。(同行者がいるならともかく)あまり早く入っても手持ち無沙汰になる。公演が始まった時点で飲み物を半分以上残した状態にしたかった。カフェ・ベローチェ渋谷二丁目店でルイボス・ミント・ティーJPY302を飲み、Douglas Murray, “Madness of Crowds”を読み、時間を潰す。16時半すぎに入場。いらっしゃいませ、明けましておめでとうございます、と頭を下げる係員。恭しい。音楽の現場でお客様として扱われ上品に接客されるというのは私には衝撃的な経験。今日の限定カクテル、HARMONYを注文。JPY1,800+JPY180(奉仕料)+JPY198(消費税)=JPY2,178(終演後に支払う)。日高屋でバクダン炒め定食が三回食える。前回で分かっていたので金額にショックはない。何てことはない、清涼飲料水のような代物だった。

私の席はE5-1。3列目。ほぼ中央。やや左寄り。近い! 目と鼻の先に鎮座する、YAMAHAのピアノ。そこに上原ひろみさんが来て演奏をするのか! 何たる贅沢。始まる前から笑えてきた。

fox capture planさんのときにはなかった(私が気付かなかっただけかな?)、ノーモア映画泥棒をオマージュした映像で録画禁止が周知される。私の後ろにいた紳士が、これが著作権法違反なんじゃないか? とお連れの方におどけていた。これも前回はなかったはずなんだけど、公演中はマスクをなるべく着けてくれというメッセージも流れた。12月26日(水)にブルーノート東京からこういうメールが来ていた:

この度、新型コロナウイルス感染防止対策に関する政府の各自粛要請を鑑みて、年末年始にご予約をいただいている“SAVE LIVE MUSIC RETURNS”上原ひろみ ~ピアノ・クインテット~公演に関しましては、店舗でのフード提供を行わないこととなりました。(ドリンクの提供は通常通り行う予定でございます。)

食事をなくしたのとあわせて、マスク着用要請を強めた可能性はある。

17時になる直前くらいに暗転。右から四名のストリングス担当者、次に左から上原ひろみさんが登場。今日はクインテット。ストリングスの内訳はヴァイオリン1、ヴァイオリン2、ヴィオラ、チェロ。皆さんもう見るからに上流階級という感じの紳士淑女(ヴィオラのみ淑女)で。紳士たちは髪をピシッとポマードでとかしつけておでこを出して。いい家で育ち、幼稚園からずっと学費の高い私立に通っていたんだろうなという感じの。各人の経歴を数秒眺めただけで庶民とは別の世界に住んでいるのが分かる。そうでもないとヴァイオリン、ヴィオラ、チェロを習得する人生にはならないわな。

普通コンサートを観たら、セット・リストにあの曲が入っていたのが嬉しかったという感想が浮かぶものだけど、今日に関してはそれが出来ない。どれもリリースされていない曲だった(はずだ)から。私は絶対音感の持ち主ではないから、初めて聴いた曲を後から脳内で反芻することは出来ない。私のような凡人にはライヴ・ミュージックの現場に行く前に音源を聴き込むという準備が大切なんだ。ただでさえ上原ひろみさんの音楽には何十回も聴いて初めて形が見えてくるような複雑さがある。一回だけ聴いて何かを述べるなんていうのは、無理な話。

そんな状態でも二曲目は圧巻だった。これを聴けただけで今日ココに来た価値があるというくらいの。2020年にコロナでミュージシャンとして思うように活動が出来ず、忍耐を強いられた時期。そのときの内面を表現して作ったという。組曲。四部構成。最初は孤独から始まって、最終的にそれに打ち勝っていくという展開。最初は息苦しさがあって、徐々に感情が解放され、雄弁になっていく感じが、聴いていて伝わってきた。ディズニー映画を観ているような。ディズニーのような曲調という意味ではなく、映像があって、物語があって、場面がどんどん変わっていく感じというか。ドラマティックで、喜怒哀楽のすべてが詰め込まれた、世界中で上原ひろみさんにしか作れない曲だった。これは曲と言えるのか? もはやアルバムなのではないか? と思うほどに表現の密度が高かった。(“Spectrum”収録の“Rhapsody in Various Shades of Blue”がそうだったように。)

(コロナで活動が制限され)時間があったもので…と上原さんは笑っていた。(今も終わってはいないが)あの苦しい時期を作品に昇華できるのはただ者ではない。時間があるからといって、何かを作る気力が出てくるとは限らない。あの田村芽実さんでさえ、引退を考えた。凄まじい組曲に度肝を抜かれながら、私は上原さんに畏敬の念を抱いた。

間近で見て、上原さんの前腕の筋肉に目が行った。私なんかよりも筋肉が多い。過酷な公演日程を怪我なくこなせるのもこういうアスリート的な強さがあってこそなんだろう。

アンコールを受け、Tシャツに着替えて再登場する上原さん。お正月三が日限定のプレゼント企画。ひろみお年玉BOXと書かれた箱から上原さんが引いた席番号の一人にサイン入りワインが贈呈される。その一連の説明(上原さんが事前に録音したものが流れた)が面白可笑しい感じで、補助する係員もマスクの下で笑っている。彼女が白い箱の中に手を入れ、一枚の紙を取り出す。読み上げた番号は…E51! 私だ! けど、もし違ったらどうしよう…というジャップ特有のシャイさが露呈し、大きく反応できない。躊躇いがちにステージの係員に向けてE51と書かれたコースターを見せる。ちょっとこの辺の記憶が飛んでいるんだけど、おめでとうございます的なことを上原さんが言ってくださったと思う。ステージにいたのとは別の係員が、左から白い袋を渡してくれる。私は咄嗟に立ち上がり、ワインを掲げて周りにペコペコとお辞儀をした。たぶん皆さんは拍手をしてくれたと思う。はっきり覚えていない。何という幸運。サイン入りのワイン自体はJPY4,620で販売されている。だから当選した景品自体にプレミア価値があるわけではない。一人しか当たらない抽選で、上原さんが私の番号を引いてくれたこと。その経験が感無量だった。(と思ったが、帰宅後に袋を開けて中身を確認したところ、ボトルにはサインだけでなく「祝! 当たり!!」「2021.1.3」と書いてあった。これは嬉しい。販売されているサイン入りワインはこうではないはず。大事にしなくては。)

世界一のピアニスト率いる豪華編成のクインテット。至高の会場。奮発して購入した甲斐があったアリーナ席。当選したサイン入りワイン。さまざまな意味で特別な、忘れられない夜だった。2021年は俺のモンだ、と思えた。公演は約80分だったが、fox capture planさんの72分で感じた物足りなさはなかった。濃密な時間だった。電車で家の最寄り駅へ。サイゼリヤ。赤ワインのデカンタ小、キャベツとアンチョビのソテー、骨付きももの辛味チキン、ペペロンチーノ。JPY1,300。