2022年3月19日土曜日

薔薇と海賊 (2022-03-05)

G君との待ち合わせが13時になったのでその前に身体を焼こうとブラッキーPersonal池袋店に電話を入れたが午前中は既に予約で埋まっていると店員さん(ギャル)に言われた。あーそうですか。じゃあまた改めます。失礼します。と私は爽やかに答え、電話を切った。タリーズ・コーヒーでホット・コーヒーを頼むと、新しいものを抽出しておりますのでお時間5分ほどいただきますと言われ、承諾した。iPhoneのストップ・ウォッチで計ったら実際の待ち時間は9分を超えていた。私は2015-2016年頃によく朝のロッテリアでエビ・バーガーを注文していたが、そのときも5分かかると毎回言われ、計っていた。ロッテリアの場合は本当に4-5分で提供していた。もっとも、どの時点からその5分が始まるのかは明確に示されていない。厨房にオーダーが伝わった瞬間なのか、5分かかりますと店員さんが言った瞬間なのか、支払いを済ませ番号札を渡された瞬間なのか。ハングリー・タイガーで店員さんがハンバーグ・ステイクを切ってソースをかけた後、余熱で最終調理を行いますので60秒ほどお待ちくださいと言うときもそうだ。いつから60秒? 私はいつもストップ・ウォッチで計っているが、ハンバーグ・ステイクがテイブルに到着してから店員さんが前述の言葉を発し、一礼して去るまでがいつも約40秒。60秒のカウントはその40秒のどこかで既に始まっているのだろうか? 私はいつも疑問に思っている。

G君は前の用事(スーツを買っていた)が少し長引いたらしく、神保町駅のA3出口で私と合流したのは13時半くらいになった。私が着ている上下ターコイズ色のジャージを見て、派手ですね的なことをG君が言ったので、あやぱんジャージです(※元こぶしファクトリー広瀬彩海さんのメンバー・カラーがターコイズだった)と私は自虐的なジョークで返した。あやぱんでは着られなさそうなサイズ感ですね。そうかもしれませんね。私は笑った。その後、いくつか古本屋を回った。おそらく収集目的で買う人がいるのだろう、年代物の本がぎっしり棚に並べられたお店に入ると、図書館あるいは博物館にいる感覚。そんなに売れないだろうに、これらのお店の人々の生活が成り立っているのが不思議だった。記憶にあるかぎり私が神保町を訪れるのはこれが二度目だ。前回は10年以上前。2011年3月のトルコ旅行に向けてTHE NORTH FACEのシェルを買った。有名な店でカレーを食った。Kと二人で。Kは新卒で入った会社の同期で、公私ともに親友と呼べる仲だった。一緒にインドとトルコを旅した。寮では隣部屋で、毎晩のように会社の愚痴を言い合い、議論を交わしていた。毎週末のように一緒に出かけていた。Kが結婚してからは嘘のように疎遠になった。このあいだM君も横浜のドロップ・コーヒーで言っていたが、結婚した人たち(特に子どもが出来てから)と私たちは別の世界を生きている。彼らが子どもの学資保険をどうしようか悩んでいる間、我々はツアーどこ入ります? なぞとサテンで話し合っているのである。あのときに買った中国製のゴア・テックスを私はその後も愛用したが、2018年11月30日に新幹線の乗り場で走ってこけた際に生地が破れた。そのときにイヤフォンから流れていたのがつばきファクトリーの『初恋サンライズ』だった。

G君が目星をつけていたいくつかのサテンは入店待ちの行列が出来ていた。14時半くらいだというのにラーメン二郎神田神保町店にも行列が出来ていた。ギャラリー珈琲店瀬戸というところに入った。くそマンボーでアルコールは出せなくなっていたが、アイリッシュ・コーヒー(ウイスキー入りのコーヒー)の注文は受け付けてくれた。私はこのあと田村芽実さんが出演する三島由紀夫さんの戯曲『薔薇と海賊』の舞台を観る。G君から三島由紀夫さんや谷崎潤一郎さんに関するレクチャーを受けた。三島さんに関しては『金閣寺』のような代表作の小説よりは『文章読本』と『不道徳教育講座』から入るのがお勧めだそうだ。私が読んだ三島由紀夫さんの本は『命売ります』の一冊だけだ。『文章読本』は数年前に買って寝かせてある。部屋の大体どこにあるかは把握している。(帰ってから探したら実際にそこにあった。)谷崎潤一郎さんの『春琴抄』における文体実験。昔の作家は文体へのこだわりがあった。今の流行作家は別に本業があってその専門知識を小説に盛り込んでいる場合が多い。文体ではなくまさかの展開に重きを置いている。映像化を前提で書いている。たしかに。小野瑞歩さんの愛読書、『元彼の遺言状』がまさにそれだった。4月からドラマ化が決まっている。私は読んでみたが、文章としてのドープさが皆無。私のブログの方が遙かにドープ。商業的に成功している最近の小説をごくたまに手に取ってみると大体こんなん。「キメえ曲作ってヒット狙う でまた今月も一個セルアウト」(K DUB SHINEさん)の小説版。作者の新川帆立さん、そしてこんなカス文章、カス小説をもてはやす民衆に中指を立てたい。ただ、はっきりさせておきたい。小野瑞歩さんは別である。『元彼の遺言状』を文庫化される前に買い、夢中になって一気に読み、ドラマが始まる前にまた読み直そうとしているみずほちゃんは愛しい。チューしたい。和田彩花さんも読んでいることでお馴染みのという枕詞でG君が解説してくれた『陰翳礼讃』。和田さんが読めるのであれば私も問題なく読めますね。あやちょがちゃんと読めているかは分かりませんが……。でも和田さんは私よりも高学歴ですからね。院卒ですから。苦笑いするG君。

G君と別れ、池袋。東京芸術劇場。地下一階。D列8番。アルファベットをそらんじるほどのインテリゲンツィアである私はD列だから4列目だろうと思っていたが、会場内の座席表を確認すると最前がC列だった。D列8番は2列目の中央ブロック左端通路席という、かなりの良席だった。田村芽実オフィシャルファンクラブさん、いつもありがとうございます。毎度ながら田村さんのソロ活動の追っかけが多すぎないのは本当に助かっている。Twitterで大アンジュルム(退団者を含めた総称らしい)とか言ってワイワイやってらっしゃる紳士淑女たちはたぶん一人も観に来ていないだろうし。そういえばこの間、田村さんがInstagramにドロップした動画で、リニューアル予定のファンクラブについて構想を話していた。曰く、最近YouTubeでキャバクラのドキュメント映像を観るのにはまっている。キャバ嬢の方々が休日にお客さんにラインをしているのを見て、自分もそれをやりたいと思った。ファンの人を10人ずつとかに小分けにしてそれぞれにラインをする案を考えている。私がもっとみんなの手の届かない、雲の上の存在になったら出来なくなるけど〜(大意)。私は一支持者として、田村さんに女優として成功してほしい、報われてほしいという思いは当然持っている。一方でファンクラブで良席を安定して貰える範囲の人気であってほしいという思いもある。

コヴィッド陽性者が何人いるとか増えたとか減ったとか、本当は我々の生活とは関係がなかった。気にしなくても生活に支障はなかった。コヴィッドについては人によってさまざまな意見があるが、カンセンカクダイボーシに協力しなければならない、それこそが我々の社会で最優先すべき課題であるという前提にほとんどの人たちが与してしまっている時点で、立場に関係なくコントロールされている。洗脳されている。マジ興味ねぇ(DJ OASIS feat. K DUB SHINE)、それこそがコヴィッドに関して最も賢い立場だ。出来るものなら私もそうでいたかった。ところが私の生活への直接的な影響があまりに大きく、無視するだけではやり過ごせない。人間が社会的な存在である以上、その社会で重要とされている価値観や議題から完全に自由になるのは不可能だ。

私が会社で受けさせられたコヴィッドに関するオンライン講習では、心肺蘇生を行う際には飛沫からの感染を防ぐためにまず患者にマスクを着けましょうという、コントのようなことを大真面目に言っていた。あと、マスクを会社で捨てるときには必ず紙かビニールの袋に入れてからにしないといけないらしい。じゃあなんで鼻をかんだティッシュはそのまま捨てていいんだよ。本当に頭が痛くなる。今日、東京メトロの駅構内にヘッドフォンからの音漏れに注意を喚起するポスターが貼られていた。音漏れなんかより駅員や乗務員が毎度きったねえ声で読み上げるコクドコーツーショーからのお願いの方がよっぽどイライラする。カンセンカクダイボーシのカンテンからってやつ。観点なんて言葉を人生でロクに使ったこともない頭の空っぽな奴が原稿をただ読まされているのが見え見え。慣れない言葉を使うその間抜けな声から薄ら馬鹿さがにじみ出ている。舞台上の演者さんたちが近距離でマスクなしで唾を飛ばし合い、客席の私たちがマスク着用を義務づけられ黙って観ているという状況。フットボールも同じ。コント。フィクション。コヴィッド劇場。もともと受け身で従順な上、確固たる価値観・理念を持たないジャップどもは他人に設定された世界観をそのまま受け入れやすい素地があるのかもしれない。まあ狂っているのはジャップに限らないが。

『薔薇と海賊』は現実の会話としては台詞がリリカル過ぎるし、登場人物が素直に本心をさらけ出し過ぎている。現実味がない。にもかかわらず、それが気にならないくらい作品の世界が出来上がっていた。ひとつの建築物のようだった。シリアスで哲学的な言葉の城。そんな中にもスパイス的にクスッと笑える台詞が何度か挟まれていて、その匙加減が三島由紀夫さんのプロの技だなと思った。かなりスゴい舞台だった。田村芽実さんが何の違和感もなく溶け込んでいるのが誇らしい。田村さんの支持者でよかった。彼女のぱっつんボブ、クリクリしてぱっちりした目、醸し出す雰囲気。(この舞台では役作りの一環なのか、巨乳にさせられていた。)私は彼女のアンジュルム時代の映像を最近たまに観るのだが、当時よりも格段に魅力的になられていると思う。女性として。表現者として。そしてこれを契機に三島由紀夫さんの本を何冊か読まないといけない。そう思わせてくれる舞台だった。『薔薇と海賊』は全集にしか収録されていないようで、手に取るには敷居が高い。しかし田村さんが稽古中に必死に習得しようとしていた「三島のレトリック」に私も触れてみたい。田村さんといえば、「私と寝たい?」と誘惑をして老紳士を油断させ短剣を取り上げ白痴青年に返す場面がある。「あ!」と叫んで指を指した方向に老紳士が向いた隙に短剣を持って走り去るというベタすぎる手法に客席から笑いが起きた。

実際には30歳だが自分を8歳で童話の主人公だと思い込んでいる白痴青年の役の紳士による、幼児性と純粋さ、危うさの演じ方が見事だった。冒頭に登場してわずかな時間のいくつかの挙動で、そわそわさせるものがあった。田村さんの口から遠慮なく発せられる白痴、キチガイといった単語。それを聞けたのは貴重な経験。今日の客層は分別のある感じ(私の列にいた淑女たちはちゃんとすみませんと言ってから中の席に入っていて礼儀正しかったし、休憩時間中の雰囲気で何となく分かる)の中年女性が多かった。観客の大半が男性陣の支持者だった感じがする。休憩時間には白痴青年役の青年の支持者とおぼしき集団が、あのスーツが……なぞと衣装について盛り上がっていた。

2回の休憩を含め計3時間に及んだ。17時開演だったので外に出た時間にはくそマンボーによってほとんどの飲食店は店内利用を締め切り済みだった。夕食難民としてしばらくストリートをさまよったが、ミトヤが21時まで店内飲食をやっていたので助かった。ジャワ焼き肉定食。安くてしっかりおいしい。テーブルに常備されているごま塩のふりかけ。こういうのでいいんだよ。