2022年4月29日金曜日

弥生、三月-君を愛した30年- (2022-04-22)

木、金、土、日の四日間しかない東京公演。土曜は宇都宮、日曜は座間につばきファクトリーさんを観に行く。移動時間的に無理なハシゴ。となると木、金のどちらかに行くしかない。気安く休みを取れない労働の状況だが、どちらかというと金曜の方が調整はしやすい。ということで申し込んだ今日の夜公演。ファンクラブ先行申し込み段階では視野にあった午後休。業務的に難しくなった。何とか逃げるように退勤したのが16時。池袋着が17時14分。開演が18時。駅からサンシャイン劇場への道中でケバブ・ラップ(チキン)をゲトる。歩きながら食う。前よりおいしくなっている気がする。サンシャインの成城石井でジン・トニックとグルテン・フリーのマフィンを購入。劇場に上がるエスカレーターの手前にあるバス乗り場の待合い空間で胃に入れる。劇場内でファンクラブの特典写真を受け取る。小便器に陰茎から尿を放つ。入念に絞り出したつもりが陰茎を服に仕舞い込んでからじわっと第二波が来て焦る。泌尿器まわりの加齢。私もボッさんのように夜中に何度も尿意で目が覚めるようになるのだろうか(参照:THA BLUE HERBさんのアルバム“THA BLUE HERB”)。席に着いたのが17時51分。席の間隔はなし。左右が若い女。左は十代に見える。5列22番。右ブロックの4列目。通路席の一つ右。いつも良席をくださる田村芽実オフィシャルファンクラブさん。ありがとうございます。

題名もあやふやなまま劇場まで来た私だが、入り口のポスターと開演前にステージに投影されている文字で『弥生、三月』だと把握した。劇が始まってから田村芽実さんの役名が弥生であることを知った。『弥生、三月』で弥生役ということはめっちゃ主役じゃん。気分が高揚。登場人物が4人しかおらず、内容的にも小難しいところはなかったので、物語は追いやすかった。同じ登場人物の30年間を田村さんが何かで言っているのを覚えていた。物語がカヴァーする期間はもっと長かった。私の記憶が正しければ、1986年3月から始まり、1988年3月、1991年3月、1996年3月、2011年3月と場面が切り替わっていき、最後は2021年3月。だから35年間だね。田村さん演じる弥生が高校生のところから話が始まる。親友のサクラがサッカー部の太郎に好意を寄せている。その恋を応援する弥生。エイズ持ちのサクラは卒業式を迎える前に亡くなる。一旦はサッカーを辞めた太郎だが、サクラとの約束を果たすため大学に進学せずJリーガーを目指す。夢はW杯で得点王。だが一向に受からない入団テスト。26歳から31歳の間のどこかでようやく入れた下位カテゴリーのクラブも怪我で契約解除。副題の『君を愛した30年』は、弥生が親の借金のカタで結婚させられそうになって太郎に救い出される1991年(21歳)から、二人が東京の書店で再会する2021年(51歳)までを指しているようだ。

Jリーグの発足、大震災といった現実の出来事に影響を受ける登場人物たち。仙台(最後の方は東京)という実際の土地。しかし、架空の世界ではなく我々が生きるこの現実世界を舞台としている割に登場人物たちの生活の描き方はちょっと詰めが甘いと感じた。たとえば2021年3月の大震災から連絡が取れなくなった弥生を、太郎が10年がかりで探し出すのだが、その間は少年サッカーのコーチをパート・タイムでやって食っていたのだという。無理がある。たしか『フットボール批評』で読んだ話だが、少年クラブのコーチになりがたる元選手は非常に多く、供給過多。なおかつ採用されても給料が出るとは限らず、出たとしても多くはお駄賃程度。十分な生活費が稼げる職業ではない。それで10年間、太郎はどうやって生きてきたのか? Jリーガー志望の無職時代に太郎は結婚して子供まで作っている。どうやって妻子を養っていたのか?(私の記憶にないだけで妻の収入でやりくり出来ていたという説明があったのかもしれないが。)離婚して(たしかそうだったと思う。もし記憶違いだったらごめん)昼から家でビールを飲んでいた太郎は、どうやって家賃やビール代を払っていたのか?

弥生、サクラ、太郎という三人の人間関係に彼女たち(サクラは亡くなったが)は一生縛られている。51歳になっても。弥生も太郎も、あまりに過去にとらわれすぎている。高校時代から好きな女と41歳で連絡が取れなくなり、お互い51歳になるまで10年間探し続ける太郎。病的なストーカー。異常者。恐ろしい。この物語における社会には他に人間がいないのだろうか? 無垢すぎる。この異常な過去への執着は、何がそうさせたのだろうか? それを正当化する説明が必要ではないだろうか?

出演者同士でサッカー・ボールをパスし合う場面が何度か出てくるのだが、太郎を含め全員がすべてのパスを徹底して足裏で止めていた。これはサッカーにおける通常のトラップの仕方ではない。たしかにフットサルではあえて足裏で止めることがある。サッカーと比べ空間が狭いから足裏でボールを止めてそのままつま先でシュートを打つようなプレイが有効だからだ。しかし舞台上で行われていたあの一連のパスとトラップから、遊びでもボールを蹴ったことがない人のぎこちなさを私は嗅ぎ取った。たしかにサッカー未経験(おそらく)の役者さんたちが短期間の稽古で川崎フロンターレさんの選手たちのような止める・蹴るの技術を身に付けるのは無理だ。ただ、私の中では太郎がサッカーをやっているとかJリーガーだとかの設定の現実味が薄れてしまった。もちろん太郎役の林翔太さんにケチをつけるつもりは毛頭ない。くだらないことにイチャモンをつけるなとあなたは思うかも知れない。でも考えてみてほしいんだが、たとえば登場人物が料理人の設定でフライパンの持ち方がおかしいとか鍋を振れないとかが劇中に露呈すれば観ている人はおいおいホンマに料理人なんかい(笑)ってなると思う。料理人やサッカー選手のところを自分が好きだったり詳しかったりする何かに入れ替えて考えてみてほしい。

つい批判で雄弁になってしまった。だが強調しておきたい。物語を無視すれば、ミュージカルとしてとても満足が出来た。ピアノが生演奏で。田村芽実さんの魂がこもった歌と演技をたっぷりと堪能できて幸せだった。他の演者さんたちもしっかりと歌がうまく、ユニゾンも各人の魅力が掛け合わさって見事だった。私の耳が喜んでいた。労働で荒んだ心身が癒された。だから、歌のショウとして素晴らしかった。弥生の親友サクラを演じた岡田奈々さんという方を私は存じ上げなかったが、宮本佳林さんと川村文乃さんを足して二で割ったような雰囲気。見た目だけじゃなく歌声や息の抜き方(?)が宮本さんを感じさせた。元AKBということで正直、私は若干舐めていたが(物理的に舐めていたわけではない。舐めたいが)べっぴんさんなだけでなく歌も魅力的だった。終演後、私の前にいたヒョロガリの紳士がNO OKADANANA NO LIFEという文字に加え岡田氏のInstagramアカウントのQRコードを印刷した赤いTシャツをお召しになっていた。岡田さんの支持者とおぼしき肥満もしくは頭髪の薄い中年男性が4-5人で群れていた。全体としては客の男女比は半々くらい、もしくは女性が少し多いくらいだったと思う。

41歳の弥生と太郎との不倫ワン・ナイト・ラヴの場面があるのだが、駅弁、正常位、騎乗位、対面座位と次々に体位を変えていく弥生を観ていると、それどこで覚えてきたんだよ芽実……と私は父親の心境にならざるを得なかった。