2017年5月25日木曜日

minako-太陽になった歌姫- (2017-05-19)

二つの戦争を同時に戦うと失敗する。これはアメリカ軍が残した教訓である。2001年のいわゆる同時多発テロを契機にテロリズムとの戦争を宣言したアメリカはイラクとアフガニスタンに兵を投入した。彼らの駐在が長期化するにつれその費用はアメリカの財政に大きな負担となり、兵士たち自身も疲弊していった。疲弊で済めばよいがアメリカ軍の死傷者数は同時多発テロによる被害者の数を超えた。数字には表れにくいが、生存していても心身に取り返しのつかない傷を負って(例えば四肢のいずれかを失う等)余生を送らざるを得なくなった者も多くいる。映画『アメリカン・スナイパー』にもそういう描写があった。私は大学生の頃は“Newsweek”や“The American Conservative”を購読し、Rush Limbaughの政治トーク・ショーをAFNで視聴し、アメリカ政治に関する本も読んでいた。だからこうやってインテリ感を匂わせながら記事を始めることも出来る。なめんなよ。とはいえ何せタンスの奥から引っ張り出してきた知識だし、これ以上くわしく書くとボロが出る。この文章を書くために今から書籍や記事を掘り起こして勉強し直す気はないので、深入りするのはよしておこう。もっと卑近な例でいうと、服オタクだったころの私は、コム・デ・ギャルソンとヨウジ・ヤマモトを並行して買っていた。依存症と言ってよかった。異常な出費。両ブランドの価格帯は似通っていて、ジャケットが安くて7万円、高くて15万円くらいした。2万円のTシャツというのも珍しくなかったし、店員は3万円のジーンズをお手頃ですと勧めてくる。私もそれに慣れて服に関する金銭感覚がおかしくなっていた。そんなブランドを普通の会社員でしかない私が掛け持ちで見るなんてのは正気の沙汰ではなかった。アメリカがイラクとアフガニスタンに同時に駐留したのと同様に、私が並行してコム・デ・ギャルソンとヨウジ・ヤマモトの顧客であったのも自己破壊的な行為であった。虻蜂取らずとは違う。虻も蜂も取ることは可能だ。その代わりに経済的に破綻する。

「一人の表現者として今までとは異なる舞台に立つ田村芽実さんを、またいつか観に行きたい」。2016年5月30日に日本武道館で行われたアンジュルムのコンサートを鑑賞した私は、そう書いた。このコンサートを最後に田村芽実さんはアンジュルムとハロー!プロジェクトを退団した。ミュージカル女優になるためである。田村さんの歌唱、ダンス、演技に魅了されていた私は、彼女が新しい道に進んでも変わらずに見届けていきたいと思っていた。それは偽らざる本心だった。一方で、疑念もあった。ハロー!プロジェクトから離れても、私は本当にお金と時間を使って田村芽実さんを観に行くのだろうか? ハロー!プロジェクトだけでも、追いきれない数と量の現場、YouTube番組、ブログ、ラジオ番組、曲がある。私はYouTube番組に関してはハロ!ステは何とか毎回チェックしているがそれ以外はたまに観る程度だ。私は主にJuice=Juiceとつばきファクトリーに絞って観ているにも関わらず、その2グループのブログでさえ読めていない記事の方が多い。そんな状態で、ミュージカル女優としての田村芽実さんも追うことが出来るのか? 二つの戦争を同時に戦えるのか? そもそも、戦争は一つに絞るべきではないか? 私にはそういう葛藤があった。『minako-太陽になった歌姫-』に田村芽実さんが主演されると知ったときは嬉しかった。minakoシートという特等席に応募した。三口応募して幸運にも5月19日(金)の夜公演が当選した。田村芽実さんが目標であったミュージカル女優として踏み出す第一歩を、私はこの目で観たかった。とりあえず一度は観てみたいという気持ちが強かった。7月に『グランギニョル』という舞台に田村さんが出演されることが、4月に発表された。私はチケットの先行受付に応募し、当選した。5月の『minako-太陽になった歌姫-』に、7月の『グランギニョル』を一度ずつ観させてもらうことは決まったけど、その先のことは分からなかった。5月17日には、田村芽実オフィシャルファンクラブ《Thanks!!》の開設が彼女の公式LINEアカウントから発表された。私はその時点では入らないつもりだった。ハロー!プロジェクトのファンクラブ会員という本業があるので。

結果からいうと、『minako-太陽になった歌姫-』を観終えた私は、これからも継続的に田村芽実さんを一人のファンとして観ていくことを心に決めた。その日の夜にファンクラブへの入会を申し込んだ。薄々、思ってはいた。実際に観劇したら感激してファンクラブに入ってしまうのではないかと。それは予想でもあり、新しい田村芽実さんへの期待でもあった。その期待にまったく劣らないものを見せてもらった。会場のCBGKシブゲキ!!は、1月29日につばきファクトリーのFCイベントを観に来たMt.Rainier Hallと同じ建物内だったので、場所は把握していた。私が購入したminakoシートは、通常の席よりも値段が高いかわりにセンター・ブロックの5列目以内が保証されるというディールだった。私に割り当てられたのはB列。2列目。しかも前が空席(もったいない!)。絶好の位置だった。開演前に舞台に衣装がたしか5点、飾られていた。モノホンなのかレプリカなのか知らないが本田美奈子さんが着用してきた衣装らしい。それぞれの衣装に関して解説の音声と映像が流れていた。開演しても田村さんはすぐには登場しなかった。彼女が舞台に出てくるまでに7-8人が出てきて、じらされた。一年ぶりにお姿を拝見した田村芽実さんは一層おきれいになられていて、名古屋風にいうとデラべっぴん(英知出版)だった。私は本田美奈子さんのことは知らなかったし、下調べもしなかった。私にとっては普通のことだ。映画も事前に予習しないで観る。せいぜい観るかどうかを決めるにあたってあらすじを読む程度だ。もちろんネットに公開された『minako-太陽になった歌姫-』に関する田村芽実さんのインタビューは読んだが、本田美奈子さんご自身に関しては何も知らない状態で臨んだ。なぜ本田美奈子さんの名前の後にドット(.)が付いているのか、今でも知らない。しかしこの劇を観て、田村芽実さんに本田美奈子さんが乗り移っていると感じた。本田美奈子さんのことを知らない私のような人間にもそう思わせてくれるだけの演技を、田村さんは見せていた。本田美奈子さんがどういう人間でどういう歌手であったかが、田村芽実さんの演技を通して存分に伝わってきた。無邪気さ、芯の強さ、自己プロデュース力、素直さ、歌へのこだわり、優しさ。本田美奈子さんの時代を追体験した気持ちになれた。本田さんは18歳でデビューし、38歳で亡くなったのだが、そのときどきの年齢の雰囲気を田村さんは演じ分けていて(もちろんメイクや衣装等の効果もあったとは思うが)、違和感がなかった。田村芽実さんには舞台やミュージカルの役者として、歌手として、息の長い活動をしてほしい。そのために私としては、彼女が出演する公演に足を運ぶファンの一人でありたい。本業のハロー!プロジェクトがあるので、同じ舞台を何度も観に行くというような関わり方は難しいかもしれない。それでも、ほんの微力でも(例えばチケットに限らず今日も販売されていた一枚500円のボッタクリ写真をちゃんと買うというような形で)彼女の活動の原資を提供できるようにしたい。