2018年10月15日月曜日

MC松島のワンマンライブ (2018-09-29)

何も書き残していないんでね、フリースタイルで、トップ・オブ・ザ・ヘッドで、ちゃちゃっと書きたいと思うんですけれども。行ってきたわけですよMC松島さんのワンマン。ワンマンというのは完全な和製英語なんでね、言葉にこだわる私としては使う奴に残飯食わせつつワンパン入れたい気分ですけど。いやワンマン(one man)という言葉はありますけど、一人の男という意味ですからね。ワンマンライブなんて一人の男、生身くらいの意味になるでしょう。前も書いた記憶がありますけどね。私がMC松島さんを知ったのはMCバトルがきっかけでした。ネタ仕込んでめかしこむっていうのはMCバトルではダサいとされるわけです。もちろんネタっぽく聞こえなければいいわけですが、価値観としては根強いわけじゃないですか。即興性の美学っていうか。ご本人はフリースタイルは別に得意じゃないと前におっしゃってましたけど、MC松島さんの現場を思い付くままに綴るっていうのは、何か合ってると思ったんですね。ヒップホップな気がするし、ジャズな気がする。というのは建前で、実のところは、手抜きです。どういう文にしようかなっていう構想から始めたくねえなって。面倒くさい。気が進まない。書かなきゃいけない現場が溜まっているし、時間が余っているわけでもないのでこの記事にそこまで構っている暇がない。MC松島さんだって、歌詞書くのはマジでめんどくさい 誰かに頼めるなら頼みたいって歌ってはりましたね。Major Cleanup 2015の“Jump Man”。Major Cleanupの三部作は、いいですよ。無料で落とせるんで、是非お勧めしたい。(と思っていたんですがもうアップローダーからファイルがなくなっているようです。)MC松島さんというのは好みが分かれるラッパーさんです。私が思うに彼はヒップホップとは何ぞやという一般(?)通念にとらわれずにやっている部分があって。ヒップホップであろうという以前に、面白い音楽、面白いラップを作ろうというのが第一にある人なんですね。それはKRSワンだとか2パックだとかの思想を守り続けるのがヒップホップだという向きからすると、けしからんわけですよ。Twitterでは某重鎮から目を付けられてね、お前はヒップホップを名乗るな的なことを言われて。MC松島さんは初めはヘラヘラしてましたけど、最近では明確に対立姿勢を打ち出しています。

実をいうと私もね、考えとしては重鎮さん側だったんです。数年前までは。彼は私にとって青春時代のヒーローでした。彼は私の人生に最も影響を与えた人物の一人です。自分を肯定すること、自分を強く持つこと、他人に簡単に左右されないリアルとフェイクの判断基準を持つこと、そういった信念を私に植え付けてくれたのが彼の音楽でした。彼の音楽に、彼の考え方に、私は救われてきた。すべてのアルバムをどれだけ聴き込んだことか。私のような人間が、リスナーにもプレイヤーにもたくさんいるはずです。それに比べたらMC松島さんが音楽の歴史や私という個人に与えてきた影響はまだちっぽけなものです。ただ、実績を抜きにしてね、今日時点でどっちがワクワクすることをやっているか、どっちが格好いいかというと、MC松島さんだと私は思うんですね。私がMC松島さんのファンになるというのはあり得なかったです。ごく最近までは。何があったんでしょうね。思い当たるのが、2013年5月に転職に失敗し、無職になったことです。それまでは自分を鼓舞してくれていたヒップホップがしっくり来なくなって、聴けなくなったんです。しばらくの間、ほとんどジャズだけを毎日聴き続けました。それまでは何かしらのヒップホップを毎日一時間は聴いていたはずなのに、受け付けなくなってしまいました。私にとってヒップホップは、失業生活の孤独や悲しみ、漠然とした不安に寄り添ってくれる音楽ではありませんでした。ジャズは私の苦しみを分かってくれました。ともあれ、しばらくヒップホップから離れていたんです。バトルにはまったのを契機に再び聴くようになるのですが、以前と比べてラップ音楽をフラットな目で見られるようになりました。ヒップホップであるかどうかよりもよい音楽かどうかを重視するようになりました。出来の悪いヒップホップよりも出来のよい他ジャンルの音楽に価値があると思うようになりました。

重鎮さんは歴史を学ぶことの大切さを訴えます。それは正論です。たしかに歴史を知ること、ルーツを知ること、クラシックをディグることは重要だし、何より面白い。私もB-BOYを自認するようなその辺の兄ちゃんよりもさまざまなアルバムを聴いてきた自信があります。好きなアーティストの客演等から芋づる式に山ほどの素晴らしい作品に出会いました。ヒップホップを聴いていなければマルコムXの自伝やアメリカの奴隷制度に関する本を読むことはなかっただろうし、ジャズをしっかり聴くこともなかったかもしれない。でも、伝統を守ることがヒップホップにおいていちばん大切であるかのような言説は腑に落ちないんです。映画『アート・オブ・ラップ』の原題に“Something From Nothing”(無から有を作る)という文言があったように、オリジネーターたちにとってはゼロから作るものだったわけです。過去の偉人たちが積み上げてきたものを守るという保守的なものではなかったはずです。無から有を作る音楽であり文化だったからこそ、クリエイティブで新しい表現が生まれたはずです。また、ヒップホップを通してアメリカの人種差別を知るというのにも限界があります。ラップを聴くよりも学者や専門家が書いた本を読んだ方が網羅的で正確な知識を手に入れることが出来ますから。

いかに伝統に立脚しているかよりも、歌詞や音の面白さ、新しさ、自由さ、楽しさを重視するようになった私は、MC松島さんの虜になりました。ヒップホップやラップ音楽に対してそういうスタンスを取るようになった時点で、私もヒップホップではなくなったのかもしれません。そうだったら、仕方ないです。MC松島さんの最近の作品でいうと“BIRTH OF THE HANAMOGERAP”には衝撃を受けました。問題作です。全編を通して日本語でも英語でもない謎のデタラメ言語でラップをし続けるという試みをしていて、単語レベルでさえ内容がまったく分からないという類を見ない作品です。パブリック・エネミーをいくら聴いてもこれを作ろうという発想は生まれないでしょう。“BIRTH OF THE HANAMOGERAP”のような新しい表現を次々に生み出すMC松島さんのようなアーティストこそが、ヒップホップなのかラップ音楽なのか知りませんが、音楽を発展させるのです。伝統の踏襲を最優先事項としたらその音楽ジャンルは終わります。MC松島さんのような人がいなければヒップホップは1,000円の廉価版で名盤が定期的にリイシューされるだけのジャンルになります。
この前のライブはどうだったって聞かれて何人くらい動員したとかって答えるようじゃ それはイベントかコンサートですね 俺たちがやるのはパーティだ まず楽しかったって答えなきゃ(MC松島、『素人主義』)
今日はMC松島さんにとって初めてのソロ・コンサート、もとい、パーティでした。同じ日に同じ下北沢でハハノシキュウさんのパーティもありました。少し迷いましたが、ハハノシキュウさんは今回を逃してもまた近いうちにお目にかかる機会がありそうだったのに対して、MC松島さんは次がいつになるのか分かりませんでした。普段は北海道にお住まいな上に、定期的にソロ公演をやるということをされていないので。なので、MC松島さんの公演を選びました。友人二人と一緒に観るつもりだったのですが、一人がSKE48の森平莉子さんという方の最終出勤を見届けたいということでキャンセルしたので、二人で観ました。私は14時から三ツ沢で横浜F・マリノス対ベガルタ仙台の試合を観ていました。シーズン開幕前には優勝を狙うと鼻息が荒かった新監督のポステコグルーさんでしたが、気付けば一部リーグの残留争いに巻き込まれています。マリノスはこの試合に負けると降格が大きく近づく、まったく気の抜けない試合でした。是非とも勝たねばなりませんでした(私はマリノスのファンです)。結果は5-2でマリノスが勝ちました。どれもこれも印象的なゴールばかりでした。特に仲川輝人選手の自陣から一人でドリブル突破してGKとの一対一を仕留めたスーパーゴール。あんなのは滅多に観られません。現地で目撃できたのは幸せでした。サッカーは結果がすべてのシビアな世界で、ましてやJ1残留がかかっている状況では否が応にも緊張感がありました。しかも雨が降っていまして。会場のニッパツ三ツ沢球技場は屋根がないので、合羽(スタジアムで購入)を羽織っての観戦でした。試合そのものの緊張と劣悪な鑑賞環境が相まって、普通よりも消耗しました。しかも今期のマリノスはハイ・プレス、ハイ・ライン、ハイ・リスク、ハイ・リターンでハチャメチャなフットボールなので、ハラハラドキドキしっぱなしで。気を休める暇がない。試合が終わるとドッと疲れました。

白熱した試合の余韻が抜けないまま下北沢THREEに入りました。MC松島さんのパーティが始まると、あまりに緩くて呆気に取られてしまいました。サッカーではスキを見せるとすぐに相手にボールを奪われて失点しかねません。身体を鍛えた青年たちがバチバチとぶつかり合い、ときには興奮し言い合いをしています。観ているこちらも感情移入していますから、ゴールが決まると涙が出ることもあります。それに引き換え、ステージに出てきたMC松島さんは飄々としていて、音楽では盛り上がりすぎて人が死ぬこともある、それはよくないから盛り上がりすぎないでくれ、俺も強要するつもりもないというようなことを冒頭におっしゃっていました。何だそれはっていう感じですが、そういう言葉の一つ一つがMC松島さんらしくて、自分を大きく見せようとか、何かを演じようというような意思がまったく感じられませんでした。正直言うと序盤は物足りなさを感じました。観ている方も様子を窺っている感じで、ほとんど盛り上がりませんでしたし。やっぱりこういう一人舞台は経験されていないわけだし、まだ力量が不足しているのではないかと思ってしまいました。ところが時間がたつにつれ、徐々にMC松島さんの世界に引き込まれていきました。驚いたのが、わずか30分程度で10分休憩に入ったことです。戻ってきたMC松島さんによるとこれは昔の長時間映画のインターミッションやジョン・ケージの『4分33秒』の手法を踏襲しているからやばいとのことでした。しかも10分休憩はもう一度あって。もう我々はMC松島さんの掌で踊らされている感じがしました。彼がトークで私たちに訴えかけたことが、お金を使えということでした。今日の物販でもいいし、終わってからどこかで使ってもいい。今ZOZOTOWNで買い物をしてもいい。飲み物もドリンク・チケットの一杯だけじゃなくてもう一杯飲め。彼の言葉に乗せられて、二度目の休憩で私はラムをロックで頼みました。最初の休憩のときは何でこのタイミングで休憩なんだという疑問の方が強かったですが、二回目は楽しくなっていました。むしろ休憩の方がいいんじゃないかっていうくらい。Twitterを眺めながらお酒を飲んでまったりするのが楽しかったです。セットリスト的は“hospes”収録曲が多かったですね。あとは『B.M.K.D.(バトルMCは曲がダサい)』とか。オリジナル曲以外にはキングギドラの『フリースタイル・ダンジョン』をカヴァーされていたのですが、ずっとスマートフォンでリリックを見ていました。会場で先行販売されていた“hospes 2”(“hospes”のリミックス盤)を買って、MC松島さんと2ショットを撮っていただきました。ハハノシキュウさんの公演に行けなかった分、私は8x8=49と印字されたTシャツを着ていました。

21時前には終わったので、終演後に夕食を食べる時間がありました。これはありがたかったです。連れと近くのKebab Chefに入って、認知症、癲癇、頭痛、うつ病、統合失調症、ADHD、性欲減退を引き起こすことが判明している(参照:デイビッド・パールマター/クリスティン・ロバーグ、『「いつものパン」があなたを殺す』)パンを含む料理に舌鼓を打ちました。連れはラク(透明でアルコホール度数の高いお酒です)に初めて挑戦し、気に入っていました。23時半からアフター・パーティが開催されていたようですが、行きませんでした。こっちはジジイだし、その時間には寝ていたいんですよね。