2019年11月21日木曜日

つばきファクトリー 谷本安美バースデーイベント2019 (2019-11-18)

どこまでが子供で どこからが大人か 成人になってもそのラインは曖昧だ(つばきファクトリー『就活センセーション』)

何をもって大人とするかは簡単に定義できない。年齢だけでは区切れない。十九歳まで子供、二十歳になったら大人というほど単純ではない。成人という言葉には、そこで人として完成した、裏を返せばそれまでは未熟だったという含意がある。しかし現実には成熟した中高生もいれば、幼稚な中高年もいる。特に私や当ブログの読者は九割以上が後者に属する。岡田斗司夫さんが『オタクはすでに死んでいる』で論じたところによると、日本でオタク文化が生まれたのには二つの理由がある。第一に大人になってやめる必要がないほど子供向け文化の内容が濃く表現が過激である。第二に、お小遣いという世界的には稀な(東アジアの一部だけに見られるという)制度により子供の頃から趣味への自己決定権が与えられる。これらが原因となって、大人になっても子供の頃の趣味を続ける人としてのオタクが育ったのだ。趣味だけならまだいい。結婚や子育てという人生のフェーズに進まず(進めず)、魂をセルアウトすることで得た賃金と引き換えにアイドルさんに癒されて生き延びる我々は、人生そのものが子供や学生の頃から発展していない。年齢以外に成人と呼べる要素がほとんどない。

私は成人式には二度、行った。自分の年と、その翌年。二回目は悪ふざけが好きな友人の誘いだった。入口で案内状(ハガキ)を係員に渡さないといけないのだが、どさくさに紛れてそこを突破し中に入ることが出来た。その頃は成人式の参加者たちの態度の悪さが社会問題になっていた。実際にざわざわしていて誰も話を聞こうとしない。おしゃべりがしたいならこんなワックな式典にはなから参加せず、飲食店やカラオケでワイワイやっていればいいじゃないか。そうせずに大人が用意した儀式には顔を出す。義務でもないのに。馬鹿。何のために来たんだこいつらは(そういうお前は何のために来たんだ)。無意味で無駄な時間だった。私は途中で抜けた。一緒に二度目の成人式に行ったその友人は新卒で入社した企業を辞めてからしばらく無職生活を続けていたものの三十歳(地方公務員で新しく採用される限界とされる年齢)間際になって滑り込みで地方公務員の職を得、配偶者を見つけて安定した人生を手に入れた。元々はオタクで、声優の宮村優子さんのファンクラブ会員だった。今では川崎フロンターレの応援とお洒落カフェ巡りという一般向けに公言できる趣味に鞍替えをしている。

自分が二十歳のとき、まさか四十近くにもなって二十歳のアイドルさんのお誕生日をお祝いするために早めに退勤する労働者になっているとは思いもよらなかった。三十くらいになったら自分は結婚しているんじゃないかと、何となく思っていたからだ。小学校、中学校、高校、大学と進んできたように、人生の自然なステップとして勝手にそうなるもんだと思っていた節がある。それは大きな間違いだった。たしかに何となく思い描いたような人生にはならなかった。しかし、非常に内向的で、人間が嫌いで、働きたくなくて、一人で静かに本でも読む生活を望んでいた私が、ある程度の社会性を身に着け、自分で得た賃金で生活できるようになった。大きな怪我や病気もせず、自殺もしていない。むしろ日々を楽しんでいる。昔の私からすると上出来じゃないか。数年前まで、結婚相手を見つけろというのが両親と会うと振られるお決まりの要求だった。今では健康でいてくれに要求の難易度が下がっている。それでいいんだ。私に多くを求めすぎないでくれ。

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私からすると二十歳は過ぎ去ったただの過去だ。もっと言うと年齢という概念が自分について回ることがもはや邪魔くさい。三十歳を超えたら数えるのをやめてほしいくらいだ。しかしHello! Projectのアイドルさんのような若者たちにとっては、年齢を示す数字の一つ一つのが固有の瑞々しい意味を持っているに違いない。その感覚を私は忘れかけているが彼女たちのバースデー・イベントを観覧することでおぼろげながら思い出すことが出来る。谷本安美さんが二十歳になったのは、厳密には二日前の11月16日(土)だ。つばきファクトリーはその日、山口県でコンサートをしていた。当日ではないにしても、今日TOKYO FM HALLの席に着くことを許された我々は、彼女の特別な日を祝う特別な場所に居合わせてもらっているのに違いはない。

どこから見ても美しい顔。特に横顔に自信がある。公演前に司会の鈴木啓太さんが見所を聞いたところ、それが谷本安美さんの回答だったという。こういうボーストが当たり前のように出来るアイドルさんは素晴らしい。彼女は最近、何かのテレビ番組に出演した際にアイドルとして気を付けていることは何か的な質問を受け、見た目をキレイに保つことと答えていた。曰く、美しくいればそれをきっかけに興味を持ってもらえるから。嗣永桃子さんや道重さゆみさんの場合、ラッパーがオレはリアルだというのに似た一種の自己洗脳(もちろん実際にもお美しいが)という面があったように私は思う(参照:道重さゆみはヒップホップである。)。つばきファクトリーだと小野田紗栞さんがその系譜だ。谷本さんの場合はそのお三方とはちょっと違っていて、ネタやキャッチフレーズ的な要素ゼロで事実を述べるかのように自分は美しいとおっしゃる。そして、周りがはいはいまた始まった(笑)とかそこまででもないだろ(笑)的な突っ込みを入れる余地もなく文句なしに美しい。我々としてはたしかに…とただ素直に受け入れるしかない。

バースデー・イベントとして標準的な、定型的な構成だった。トークがあって、ゲームがあって、多くも少なくもない五曲のミニ・コンサート。チームメイト(新沼希空さん)のゲスト出演。もちろん、普段はグループの一員として活動している谷本さんが一人で歌うのを聴ける貴重な機会であった。集団の9人のうちの1人として配分された短いフレーズを歌うのと、歌を丸ごと歌うのとでは声の聞こえ方が違う。谷本さんはこういう歌声をしているんだなという新しい発見があった。どこか儚げで、味がある。ただイベント自体は正直に言ってしまうとまあよくある感じだなと終盤まで私は思っていた。もちろん面白いし楽しいんだが。谷本安美さんの二十歳をお祝いする場。参加することに意義がある。オリンピック的な感じに自分の中でなりつつあったのは否めない。

お母様からのお手紙を女性スタッフさんが代読した(新沼さんじゃないんかい!と私の後ろにいた有名な新沼さん支持者は残念がっていた。たしかに)。それを(上を向いて。涙がこぼれないように。スキヤキ・ソング)聞いてから谷本安美さんが我々に向けたスピーチに、私は心を打たれた(涙をこらえるのを諦めて泣きながらお話をされていた)。たくさんアイドルがいる中で何で私なんかを応援してくれているんだろう、私は皆さんのことを幸せに出来ているんだろうかといつも考えている。皆さんはいつも可愛かったよとかよかったよとか優しく声をかけてくださる。そういう声を聞くと、これまで活動してきてよかったと思える。(ミニ・コンサートで歌った)『愛はまるで静電気』(℃-ute)の歌詞にあるように、こんな不器用な私を見つけ出してくれてありがとう。彼女の言葉にはこれっぽっちも嘘は感じられなかった。心からの素直な言葉には人を引き付ける力がある。ヘッズたちは儀礼的ではない万雷の拍手でそれに返した。普通イベントでは起きないくらいの大きくて長い拍手だった。最後に谷本さんが涙ながらにお辞儀をした際に二、三度、谷間がちらっと見えた。いくら感動をしてもそういうチャンスは決して逃そうとしないのが、曲がりなりにも男性としてこの世に生を授かった私の悲しい性である。こういった瞬間をみすみす見逃すようでは現場に来ている意味がないんだ。もちろん以前から私は谷本安美さんが美貌と個性を兼ね備えたアイドルさんだというのはよく分かっていたが、このバースデー・イベントを観覧して、筋金入りのリアルなアイドルさんだと確信した。小野瑞歩さんは彼女のような同僚を持てて幸運である。最後のお見送り(谷本安美さんにカードを手渡ししていただける)で別に粘っていた訳でもないのに係員の老紳士がア~~イ~とか言いながら私の肩を押して横に流してきたのはちょっとムカついた。それにしても後味のよい、谷本さんの真摯な人柄がよく表れたイベントだった。