2021年4月4日日曜日

イン・ザ・ハイツ (2021-03-27)

ファンの皆さんはもう気付いてくれているだろうが、私は糖質制限から足を洗った。今は糖質を敵対視していないし、この食事は糖質何グラムだとかいちいち気にしていない。思想転向(conversion)はうやむやにせず文にして残すべしという副島隆彦さんの教えに従い、ここに経緯を記す。元をたどると2018年のゴールデン・ウィーク頃。体調を崩した。毎日ずーっとだるい。どうやっても抜けない疲労感。日々をやり過ごすだけで精一杯。週末のコンサートも楽しめない。本を読み漁って、色々なことを試した。食生活の面で行き着いた答えの一つが糖質制限。試行錯誤の末、何が決定打だったのかは分からないが、とりあえず当初のしんどさからは抜け出すことが出来た。が、なかなかその先に進めなかった。よく糖質制限で痩せましたという体験談がある(身近でも聞く)けど、私の場合は明確に痩せるということはなかった。太りもしなかったけど。私がはっきり体感した利点は頭がスッキリすること。昼食の後に頭にモヤがかかったり眠くなったりするということがなくなった。血糖値の乱高下がなくなったことの効用だろう。その後、糖質制限を緩めに続けながら、軸を間欠的ファスティング(intermittent fasting)に移した。間欠的ファスティングには色んなやり方がある。私がやったのは朝食を抜く16:8ダイエット(一日の中で食事を摂る時間を8時間の枠内に限定する)。一日二食は慣れたら平気になったが、食費が削れるという以外には目立った効果を感じられなかった。

生化学や栄養学の素養がない私がつまみ食いした知識で試行錯誤することに限界を感じた。近所にあったオーソモレキュラー(栄養療法)・クリニックの門を叩いたのが2020年6月。血液検査で脂肪肝という結果が出た(ネットで検索した限り予備軍くらいの数字だったが)。炭水化物の摂り過ぎではないか、と先生。あり得ないと私は思った。たしかに以前ほど厳格に制限はしていない。それでも一般的な水準に比べると少ないはず。これで多すぎるなら断糖でもしないと適正量にならない。何かがおかしい。Twitterを見ていたら糖質制限が原因で脂肪肝になる場合があるというtweetが目に飛び込んできた。それからはお菓子や砂糖は引き続き避け、小麦は程々にしつつ、米、芋、果物を気にせず食べるようにした。四ヶ月後の血液検査では数値が正常値だった。もちろん糖質の摂取量と関係ない要因で改善した可能性もある。しかしこの一件で私は糖質制限という基本原則を見直す必要性を感じた。洗脳が解け始めた。それから9ヶ月くらい糖質を気にせず摂っているが、太っていない。むしろ身体のバランスはよくなってきているように感じる。これまでは運動をしてもつかなかった筋肉が、糖質制限をやめてからは少しついてきた気がする。あと糖質制限をしたことで、どうやら前髪の生え際の後退が加速していたようだ。これ以上、悪化しないことを祈る。

今の私が大事にしているのは、身体によいものを食べること(最近は堀江俊之さんのTwitterを参考にしている)、運動をすること(週に二回のトレーニング)、乳・卵を出来るだけ避けること(遅延型アレルギー検査でカゼインと卵白がクロだった。他にもエンドウ豆、鯛等)。遅延型アレルギー検査についてはメイン・ストリームの医学界から批判があるのは知っている。盲信するつもりはない。(同検査についてはこのフォーラム?を見てみるとよい。)しかし病気を見つけて薬で治すという主流派の医療に頼るだけでは健康を手に入れられない。たとえば花粉症ひとつ取ってみても耳鼻科でやってもらえるのは薬を処方してもらうことだけ。それが一生続く。根本的な治療は望めない。私は乳と卵を避けるようになってからお腹の不調(もたれ等)がほぼゼロになった。とはいえ私のような外食フリークが特定の原材料を100%避けるのは無理。乳や卵が含まれると知りながら食べることもたまにある。ちょっと食べただけでGAME OVERではない。ゼロか百ではない。

Naomi Kleinさんは名著“The Shock Doctrine”で新自由主義がいかにしてさまざまな国の貧富の差を広げ経済を壊してきたかを暴露している。シカゴ学派が導入する極端な資本主義は、政府とズブズブの関係にある企業を豊かにする一方、庶民の生活を苦しくさせる。それを見てシカゴ学派の信徒たちが出す処方箋とは、自由競争のさらなる推進である。なぜなら自由競争が悪いから失敗したのではなく、自由競争が足りないから失敗しているのだ。人は理論の信者になると、失敗した場合でも悪いのは理論ではなく理論通りに行かない現実であるという認識に陥る。新自由主義に通ずる危うさが、糖質制限にはある。糖質制限の信者にとって、糖質制限が誰かに合わないということはあり得ない。成果が出ない場合はやり方が間違っている、もしくは徹底し切れていないのいずれかなのだ。糖質はすべて悪なのだから。端的に言うと自分が信じる宗教の世界観に酔っている。

今日は神奈川づくめ。14時からニッパツ三ツ沢球技場で明治安田生命J1リーグ ルヴァン・カップ グループ・ステージ 横浜F・マリノス対サンフレッチェ広島さん。18時半から鎌倉芸術館で田村芽実さんがご出演されるブロードウェイ・ミュージカル、『イン・ザ・ハイツ』。

横浜といえば私の大好物、ハングリー・タイガーさんのハンバーグ・ステーキ。公式サイトのアレルゲン情報によるとソースとミックス・ヴェジタブルズが乳成分(たぶんバター)を含む。遅延型アレルギーの件があるから、最近は横浜に来てもハングリー・タイガーさんに入らないことが多かった。乳と卵を避けようとすると、洋食系はほぼ無理。バターが必ずと言っていいほど使われている。まあ塩コショウで食ってもおいしいけど、あのソースがキモなんだよね。たまには食いたい。子供の頃から愛するハマのソウル・フードから絶縁は出来ない。ということで、ダブル・ハンバーグ・ステーキをいただく。パンも付けちゃう。久々のバターはちょっとくどく感じる。

ニッパツ三ツ沢球技場。快晴。半袖ティー・シャツで寒くも暑くもない。心地よい日差し。これ以上ないフットボール日和。オナイウ阿道さんの2点。仲川輝人さんの今シーズン初得点を含む2点。岩田智輝さんの移籍加入後初得点。最後の最後まで手を緩めない。容赦なきアタッキング・フットボール。5-0の圧倒的勝利。爽快。こんなに楽しいことはない。悪趣味かもしれないが、勝った後は相手クラブのサポーターさんの掲示板を熟読するのが好きだ。

名前からして鎌倉駅だろうと思い込んでいた鎌倉芸術館だが、最寄り駅は大船だった。私は中学生の頃、鎌倉の帰国子女向け英語教室に通っていた。そのときに大船駅を通過していたが、降りるのは初めて(たしかその教室で仲がよかった奴が大船駅付近に住んでいた)。会場近くのファミ・マでりんご、鮭のおにぎり(200円くらいする高級なやつ)、豆乳飲料、ハイボール。昼に440gのハンバーグ・ステーキを胃に入れたから空腹ではない。サーカディアン・リズムを崩さないための軽い夕食。アルコールを入れたのは、強烈に残るフットボールの余韻を少しでも消してミュージカルを楽しみたかったから。

私はこの『イン・ザ・ハイツ』では初演と千秋楽の二公演という品に欠ける申し込み方をしている。普段はこういうことはしない。むしろ最初と最後は外すことが多い。申し込む人が多く良席が来る確率が下がるだろうから。それに千秋楽というのは何度も足を運んだ人が味わうべき果実。ロクに観ていない奴がそこを狙うなんて洗練されていない。一方で私は、最初と最後が特別なのも理解している。限りある人生、限りあるお金。たまには体験してみたい。恥を忍んで申し込んだ。もっとも、厳密には今日の公演は初演にカウントされないかもしれない。というのが、ググったところ、どうやらプレビュー公演の後に行われるのが初演らしい。

マリノスの試合との時間間隔が絶妙で、ファミ・マ前で夕食を終えるとちょうど開場時間の18時過ぎになった。田村芽実オフィシャル・ファンクラブさんが私に割り当てた席は17列の左側。S列、JPY12,000円。良くも悪くもない席。感染症の拡大防止とは無関係だが経済破壊には抜群の効果を示したことでお馴染みの緊急事態宣言という名の営業妨害に伴う会場の収容制限で席が一つ飛ばし。単純に考えて100%収納だったら8列か9列くらいをもらえていたのかもしれない。筋金入りのギャングスタ小池百合子をはじめとする一都三県のろくでなし知事たちが憎らしい。(ちなみに後から収容制限が緩和されチケットが追加販売された。つまり後に買った人が前の席を得た可能性がある。)

劇中でウスナビという役の紳士(Microさん)が序盤からかましてくるラップ。どこかぎこちない。フロウがない。乗り切れていない。ちょっとあっぷあっぷな感じ。本筋ではないのは重々承知。でもこちとらジェイラップと米ラップを二十年以上前から聴き込んできた身。どうしても気になる。(そう考えるとDOTAMAさんはスゴい。安定した声量と滑舌。しっかり言葉を届ける。それをラップでやるのはプロの仕事。)帰宅してから本家米国のサウンド・トラックを聴いてみた(田村芽実さんが前にインスタ配信で勧めていたのを思い出した。Spotifyにあった)。オリジナル・キャストさんによるラップは、そうそう、これがラップだという納得感があった。もちろん音源と生歌唱なので公平な比較ではないが、滑らかさが段違い。Microさんはデフ・テックという集団の一員らしい。集団名は知っていたが曲は聴いたことがなかった。YouTubeで上位に出てきた動画を適当に再生。歌は流石で、フェイクではなさそうだった。今日のラップに関しては初回の緊張もあったとは思う。千秋楽でどこまでこなれるのか、成長に注目したい。もっとも氏を擁護すると公演の後半には多少マシになっていた。ラップ以外の歌唱や演技が素晴らしかったのは言うまでもない。

ピンクのドレスを纏った田村芽実さんがステージに現れるとパッと場が華やいだ。ヴァイブスが半端ない。役柄とは別の意味で主役感があるというか。私も思わずウレタン製マスク(PITTA)の下で笑みを浮かべた。今さら言うことではないが彼女はもはや元Hello! Projectメンバーではない(もはや戦後ではない的な意味で)。過去の経歴をレバレッジしなくても一人の実力ある女優として成り立っている。何らかの下駄を履いてこのステージに立っているわけではないのは、彼女の歌を聴き、立ち振る舞いを見れば、誰にでも分かることだった。田村さんを知らずに会場に来た紳士淑女たちも、彼女の歌には引き込まれたと思う。それだけの魅力があった。田村さんが演じたのはニーナ。町全体の期待を背負ってスタンフォード大学に進学した、成績優秀な娘さん。両親はタクシー会社を営む。衣装は計三着だったと思うけどいずれもピンクや赤を基調としていた。田村さんの雰囲気と合っていて眼福だった。

20分間の休憩が始まり、ふと右に視線をやると(一つ飛ばして)隣の女性が泣いていた。この話にそこまで感情移入できるのかと驚いた。私は例によって何の予習もせずに観ているが、舞台はおそらく50年くらい前のアメリカ。当時移民たちのこういうコミュニティがあったのだろうな、と想像する材料にはなった。ただそれを日本版キャストで日本語の台詞でやっている時点でどうしてもフェイクな要素があるのは否めない。宿命的に本物を超えることは出来ない。原作の登場人物と人種的、民族的なルーツを共にしていないと劇や映画で演じることも許されないという、西洋で盛り上がっている過激な社会正義(social justice)の運動に私は賛同しない。だが、その考え方も部分的には真実を含んでいるのだろうと思う。本場ブロードウェイの“In the Heights”公演はこの何倍もスゲエんだろうなという思いは拭えない。

観劇中、頭の片隅にマリノスの試合中の情景が頭に浮かぶことが何度かあった。あれはあまりにも楽しかった。もっと平凡な試合を見せてくれたなら気持ちを切り替えられたのに。夢心地から逃れることが出来ない。『イン・ザ・ハイツ』に100%の集中は出来なかった。仕方ない。不可抗力。

持参した双眼鏡は田村芽実さんを観るためだけに使うつもりだったが、思わぬ刺客に妨害された。セクシーなホット・パンツをお召しになっている淑女が一名いらっしゃったのである。石田ニコルさん。流石にモデル業に従事なさっているだけあって抜群のスタイル。見事なおみあし。二着目の衣装があまり身体の線が出ないドレスだったので内心舌打ちをしたが、その後にタイトなジーンズでツーケーを強調してくださったので再び双眼鏡のレンズを向けざるを得なかった。

田村芽実さんが出演する高額な舞台は毎度そうだが、おそらく日本で観られる舞台としてはトップ・クラスなんだろう。出演者は全体的に表現力が高く、言葉だけじゃなく表情、声の調子、動き等々で伝わってくるものがあった。日本語が分からない人が観たとしてもある程度は楽しめるんじゃないかと思う。衣装やステイジ・セッティングも細部に至るまで抜かりがなく、一つ一つに手間とお金がかかっていると感じた。ある場面では壁が上から降りてきた。田村芽実さん目当てで彼女の出演作を観に行く度、本物のミュージカルはこういうものなんだよと田村さんは教えてくれている感覚。劇中の音楽はステージの奥で生演奏だった。豪華。立派なステージで、生の伴奏で熱唱する田村芽実さん。ちょっとしたコンサート気分。早く彼女のソロ・コンサートが観たい。今年中には開催してほしい。『ひめ・ごと』も劇場で観たい。