2017年10月23日月曜日

夢見るテレビジョン (2017-10-14)

西新宿は眠らず働くターミナル
My city 歌舞伎町 眠らずクリミナル
職安通り 893 闇上がり
荒稼ぎ路地裏に 大久保通り
(MSC, 『新宿 U.G.A Remix 03'』)

MSCの名盤“MATADOR”に出てくる大久保通りがどこなのかふと気になって検索してみたところ、私がよく行く場所だった。週末に新大久保駅を出てお気に入りのネパール料理店「ナングロ・ガル」に向かう道がまさに大久保通りだったのである。一時は収まっていた私のサマエボウジへの欲求が再燃している。サマエボウジとホッピー(黒)というのが最近の定番である。昨年の12月、宮本佳林さんのバースデー・イベントの帰りにふらっと入って以来、この店に通うのをやめられなくなっている。普段は新大久保で降りて、これをいただいたら電車で池袋に戻るのだが、今日は隣駅の新宿に用事がある。新宿は私にとって、好んで訪れる場所ではない。ここに来る数少ない理由の一つが、演劇女子部である。新宿駅南口を出て5分ほど歩いた場所にあるスペース・ゼロ。アンジュルム主演の『夢見るテレビジョン』。15時開演の公演を観させてもらった。

12時半頃に会場に着いた。公演の最中ということもあって物販には誰も並んでいなかった。日替わり写真は誰のも売り切れていなかった。室田瑞希さんの日替わり写真と、コレクション生写真を1枚買った。コレ生が1枚だけなのは私がアンジュルムをグループとして推しているわけではないからである。まあ運試しに1枚買っておくかという感じ。出てきたのは勝田里奈さんで、私にとってはおみくじでいうと凶くらいの結果だった。これだったら上國料萌衣さんの日替わり写真でも買っておけばよかった(値段も同じ500円だし)という思いが頭をよぎったが、これ(コレクションのコレと音を合わせている)ばかりは事前に何が当たるか分からないから仕方がない。伊東屋で来年の手帳を物色した。私は2015年から三年連続でタワレコ手帳を愛用してきたんだが、迷惑なことに2018年版は発売をしないという。ちなみにこの手帳、2016年までは道重さゆみさんのお誕生日が載っていたのに2017年には削除されていた。発売しない旨を告げる事務的な通知文といい、タワーレコード日本法人は信頼できない企業と言わざるを得ない。ポイント10倍とクーポンを併用すればAmazonより安いしセブン・イレブンで受け取れるのが便利だからオンライン・ショップは使うけど。

伊東屋ではDrawing Diary 2018 <Light>というのを買った。来年はこれでいく。ついでにAcroballのボール・ポイント・ペンとブログ執筆に使うための情報カードを書った。スペース・ゼロに着く頃にちょうど前の公演が終わったらしく、たくさんのオタクさんが駅の方向に向かっていた。会場前で時間を潰す。アンジュルムの現場に私は滅多に来ないから、誰がおまいつかを認識できないから精神衛生上、よい。

ありがたいことに今日は2列目という絶好の席をいただいた。実際に椅子に座るとステージの近さにワクワクが止まらない。すると前にハンプティー・ダンプティーのような見た目であられる紳士がお座りになった。ややユニークな出で立ちであられたのでつい注目してしまったのだがTシャツに「俺は腹ぺこだ」的なことが印字されていて、いやいやお前は食い過ぎやねんと私の中のリトル大阪人が突っ込みを入れた。しかもその隣にさらにもう一人のハンプティー・ダンプティーが現れた。兄弟かよ。よりによって二人連続かよ。二人ともサイズが大きめだったので視界は悪くなりそうだった。彼らは何も悪くない。ただ、最高だと思っていた状況が立て続けに不利になるのがコメディ的であり、物語の定石のようで、可笑しかった。

『夢見るテレビジョン』を私が観るのはこれが最初で最後である。1公演しか申し込んでいなかった。それは今のアンジュルムにそれほど心が躍らないからである。春ツアー『変わるもの 変わらないもの』を観て、あまりポジティヴな印象を持たなかった。詳しい理由は当時の記事に譲る。7月には船木結さんと川村文乃さんがグループに加入した。私は「新メンバーが必要、というかおそらく近いうちに入るのではないか」とそのときに書いた。予測が的中したと胸を張りたいところだが、この予測には欠陥があった。“Superforecasting”でPhilip Tetlock & Dan Gardnerが書いたように、予測は具体的でないと当たったのか外れたのかが分からない。たとえば「半年以内」と書いていればよかった。「近いうちに」では想定している期間が1ヶ月なのか1年なのか、はたまたもっと長いのかが分からない。アンジュルムはグループの性質上いずれ新メンバーが加入する可能性が高かったので、時期を明示しないと予測として意味がなかったのである。それはともかく、船木さんと川村さんの加わったアンジュルムをハロコンで何度か観たが、私のアンジュルムに対する興味が増すということはなかった。それでもなぜ1公演は申し込んだかというと、演劇女子部が好きだからである。どのグループであろうと一度は観ておきたい。

結果からいうと、『夢見るテレビジョン』はとっても面白かった。もう一度、観たかった。私は11月に行われる研修生主演の演劇女子部公演を3回観るのだが、そっちを一回減らしてでも『夢見るテレビジョン』に最低二回は入るべきだった。今日のアンジュルムはとても輝いていた。『変わるもの 変わらないもの』ツアーの埼玉公演で私が感じた物足りなさは、見る影もなかった。はじめから最後まで引き込まれたし、ニヤニヤが止まらなかった。なぜここまで満足度が違うのか。約半年の間にグループが劇的に変わったとは思えない。人員の歌唱やダンスの技量が急に伸びたとも考えにくい。おそらく、私が三郷市文化会館で観たときから今日に至るまで、アンジュルムは「変わらないもの」の方が大きかったはずだ。コンサートとミュージカルは、リンゴとリンゴの比較ではない。いや、リンゴとリンゴの比較だが、リンゴの調理法が違った。同じリンゴでも、『変わるもの 変わらないもの』と『夢見るテレビジョン』ではアップル・パイとリンゴ・ジャムくらいの違いがあった。この件はあくまでたとえだから、どっちがパイでどっちがジャムとかは別にない。そもそも私はリンゴを使ったレシピをよく知らない。何を言いたいかというと、『夢見るテレビジョン』の方がアンジュルムの素材の味を引き出し、魅力的に仕立てていたのである。

単語ひとつで言うと、プロデュース。その違いが出た。つんくさんはHello! Projectのプロデューサーだった頃、そのときに在籍しているメンバーの特徴や境遇に合わせた曲を書いていた。それがガッチリはまって曲の世界とメンバー・グループが切り離せなくなったとき、それらの曲はクラシックとなった。たとえばプラチナ期と呼ばれる時期の、一連の歌謡曲じみた恋愛ソング。当時のモーニング娘。は高橋愛さんと田中れいなさんを筆頭に歌唱力に秀でたメンバーが揃い、20歳前後のメンバーが中心になっていた。また2ちゃんねるではタカハシステムと揶揄されるほどに事務所として高橋愛さんを前面に押し出していた。当時の楽曲の方向性についてファンがみんな歓迎していたとは言い難い。もっと明るい曲を待ち望む声も多かった。しかしメンバーの技量、年齢構成、中心メンバーの特徴といったさまざまな要素と噛み合った楽曲群なしではあの頃がプラチナ期と語り継がれることはなかったであろう。今のモーニング娘。が同じ曲をパフォームしたとしても、同じようにはいかないのである。現在のHello! Projectからは、今の、こういう個性を持ったこのメンバーがいるからこの曲を作った、というメッセージをあまり感じない。ジェネリックな注文で出来上がった曲を、一貫した信念なしに割り振っているような印象を受ける。コンセプトを創造する人が見えない。決断者が見えない。責任者が見えない。

ちょっと話がそれたが、『夢見るテレビジョン』は役柄、衣装、台詞、歌を通して、アンジュルム一人一人の魅力を存分に味わわせてくれた。コンサート、イベント、ブログ、ラジオ等々、彼女たちが活躍する媒体は色々あるけれども、本作では舞台でしか見られない彼女たちを引き出していた。それがHello! Projectでミュージカルをやることの最大の意味だと思う。演出とか、脚本とか、舞台を構成する色々と要素はあると思うけど、それらを単体で切り出すのではなく、出演者たちの魅力をどれだけ引き出していたかという見方をするのが重要だと最近、気付いた。

船木結さんがいちばん私の目をひいた。低い身長を逆手に取った、ダボダボなサイジングの衣装。愛くるしい動きと表情。何より、声! カントリー・ガールズとアンジュルムの曲では(船木さんに限らず)ソロ・ラインは限られる。船木さんに与えられたのは若い放送作家の役だった。割と多かった台詞を通じて、彼女の声を存分に楽しむことができた。あの声は本当に最高だよ。私が初めて船木さんの歌を聴いたのは2014年12月6日の生タマゴShow!だった。そのときから印象的だったハスキーでドープなダミ声。声を張ったときにいっそう生きる。Hello! ProjectのTalib Kweli。はじめは室田瑞希さんを中心に見るつもりだった。もちろん室田さんも素晴らしかったが、開演直後からつい船木結さんに目と耳を奪われてしまった。

室田さんは、過剰でひょうきんな動きを付けながら台詞を言う場面が三回くらいあって、笑いを取っていた。あと、劇の中で生放送をやっていたら時間が足りなくなって室田さんが歌い出したらすぐに番組が終わるという場面があったんだけど、イントロの振り付けは毎回、ご自身で考えて変えていたのだという。和田彩花さん、勝田里奈さん、竹内朱莉さん、室田瑞希さんの四人によるポスト・パフォーマンス・トークの中で明らかにされた。誰かがそれを話題に挙げると「振り付け師です」と、室田さんが手を挙げていた。今日はこんな感じだったと室田さんが実践すると、観客から笑いが起きた。いつも鏡の前で真剣に練習しているのが可笑しかったと誰かが言っていた。

話の内容としては『モード』の延長上にあった。なりたい自分になる手段としての労働。その特権を男性が握りしめている。男性中心の労働社会に食い込んで生き延びている、強い女性の和田彩花さん。アルバイトで雇用されて和田さんの下で働くことになった上國料萌衣さん。テレビ局。制作の仕事。最大の違いは、『モード』が男対女という図式だったのに対して、『夢見るテレビジョン』ではその大きな構図は維持しつつも、女対女という視点を取り入れている点であった。男性が支配的なテレビ局で和田さんが地位を築くには、男性化する必要があった。自分を守るには他人を蹴落とすことも厭わない。『モード』のときのようにキラキラしているだけではいられなくなったのだ。そこに入ってきた、純粋でまっすぐな情熱を持った上國料さん。過去の自分を思い出して優しく接するのではなく、必要以上にきつく当たり、上國料さんの手柄を横取りする。女性の地位が無から有になるまでが『モード』で、その先の世界を描いているのが『夢見るテレビジョン』だと私は解釈した。

『モード』だけではなく『気絶するほど愛してる!』とのつながりもあった。同舞台で、船木結さんと梁川奈々美さん(いわゆる「やなふな」)がザ・カシューナッツというユニットを組んでいた。『夢見るテレビジョン』では同ユニットを高瀬くるみさんと石井杏奈さんが組んでいた。テレビの中で高瀬さんと石井さんが歌っているのを見た船木さんが「ザ・カシューナッツってもっと可愛いと思ってたんだけどな…」とぼやいて、画面の中の高瀬さんがムッとして船木さんを睨みつけるという場面があった。ここはとても面白かったが、観客にはそこまで受けていなかった。分からなかった人が多数だったのかもしれない。それも無理はない。『気絶するほど愛してる!』が上演されていたのは一年半前だし、会場も167人しか入れない池袋のシアター・グリーンだったから。こうやって複数の舞台の世界が地続きになっていくのは面白いし、もしあるのであれば『夢見るテレビジョン』の続きが観たい!