2022年1月30日日曜日

Equal-イコール- (2022-01-23)

※この舞台はDVDが出るらしいので(会場で先行予約を受け付けていた)、それをゲトる可能性のある紳士淑女は読まない方がいいかもしれない。何も知らずに観た方がいいと思う。

肺の病気を患っているニコラ。彼女と幼なじみの親友で、同居し看病にあたる勤務医のテオ。という始まり方をするのだが、実はニコラは5年前に死んでいる。ニコラであるはずの彼女は、テオ。ニコラを看病している間に同じ病気になってしまった。テオであるはずの彼女は、テオが錬金術と黒魔術を掛け合わせて作った自分の複製(ホムンクルス)。本当はニコラを複製したかったが、間に合わなかった。その代わりに自分の複製を作って、テオとしての人生を生きてもらう。自分はホムンクルスの前ではニコラになりきっている。自分と同じ人間がいることによるホムンクルス版テオの発狂を防ぐため、本物のテオを見たらニコラだと思い込むように記憶を書き換えている。テオが労働から帰宅する度に婦長の様子はどうだったか、何か言っていなかったかとしつこく確認するニコラ。それはテオとして生活するホムンクルスの彼女が周囲から違和感を持たれていないかを確認するため。ところが終盤にはホムンクルスだったはずのテオが、自分こそが本物のテオだと主張し始め、お互いどちらが本物でどちらがホムンクルスなのかが分からなくなる。最終的にはテオ同士で殺し合う。

前の記事で、(物語の中の)曜日ごとに役が入れ替わる意味が昨日は分からなかったと書いた。その疑問を頭に入れながら千秋楽を観ていたら、ちょっとした台詞で気が付いた。この物語におけるニコラとテオは姿形がまったく一緒なのだ。この物語が始まる前、本物のニコラが存命だった頃は別々の人間として同居していたが、今は違う。ホムンクルスのテオの頭の中では相手は自分とは違う見た目のニコラ。しかし実際には二人ともテオなのだ。二人がイコールであるのを表すために、田村芽実さんとめがねさんの役を次々に入れ替えていた。のだと私は解釈した。私は普段、舞台を観て物語や仕掛けについてそこまで考えることはない。この“Equal-イコール-”に関しては珍しく内容にのめり込んだ。自分が出来る範囲内で何とか理解をしないと気が済まなかった。初回で衝撃を受け、2回目で謎解きをしながら観て、3回目はおさらいをしながら残った疑問点を解消していった。毎回異なる見方、楽しみ方が出来た。3公演申し込んでよかった。全7公演を観たとしても楽しめたと思う。その価値はあった。演者さんはもちろん我々も緊張と集中を切らせない、強度の落ちない約2時間。本当に素晴らしいものを見せてもらった。田村芽実さん、めがねさん、末満健一さん、その他関係者の皆さんに大きな拍手を送りたい。というか実際に公演が終わる度に送った。

拍手と言えば、昨日の昼はカーテン・コール(繰り返すがカーテンはない。舞台の袖もなく、演者さんたちはステージ中央の穴から出入りする)が2回、夜が1回。この千秋楽は3回だった。3回ともなると私の二の腕が限界。きつい。筋トレが足りない。今日は2回目のカーテン・コールでめがねさんが田村さんに抱きついていた。お二人が抱擁する姿が、戦友という感じで、美しかった。余計な言葉がなくとも伝わってきた。このお二人は公演の度に燃え尽きるくらいすべてを出し尽くしている。この3公演ともそうだった。千秋楽でもポスト・パフォーマンス・トーク的なものはなかったが、不要だったし、仮に付け加えていたら野暮であっただろう。演技で語る。表現で語る。舞台で示す。このお二人はそれを体現していた。

君、神様なんて信じてるの?! 神様は君になんにもしてくれていないのに?! 的な台詞を田村芽実さんが発する場面がある。昨日はじめて聞いたときからやけに印象に残っている。神様の部分を他の言葉に置き換えてみる。会社、上司、コロナ対策、コロナ専門家、政府……。誰かに決めてもらう。何かを遵守する。信じる。従う。すがる。そんな対象を我々は常に求めている。

劇中でテオが使っているカバンがいいなと思った。つくりが頑丈で、そこそこモノが入って、皮の風合いがあって、手持ちで。ああいうカバンが欲しい。

2022年に入ってから上原ひろみさんをブルーノート東京の良席で2回観た。ハロ・コンを良席で観た。そして田村芽実さんを良席で3回観た。いずれも至高のエンターテインメントだった。去年は大変なことがたくさんあったけど、今年は幸先いい。単純にツイているし、その幸せを受け入れられるだけの精神的余裕が生まれている。この状態まで体調(精神)がよくなったのは喜ばしい。約半年通ったメンタル・クリニックにも行くのをやめた。今月はじめに行ったとき、今日で最後にしたいと私が言うと、先生は快く送り出してくれた。薬に頼らない治療をモットーとするクリニック。頭痛を緩和する漢方薬(五苓散)以外は薬を使わなかった。クリニックから出て外を歩くと、初めてココに来たときの苦しさ、つらさを思いだし、ここまで回復したことへの感慨が溢れ、胸がいっぱいになった。サテンで席に座ると、涙が溢れてきた。泉谷閑示さんの本に、うつの治療とは修理ではなく新しい自分に生まれ直すことだと書いてあった。私はその道をしっかりと踏みしめている。環境に苦しめられたら居場所を変えるのも手だし、実際に私はその機会を伺っている。しかしもっと根本的には自分自身を強くしないといけない。弱音を吐いて被害者で居続けても自分を守ることは出来ない。強く生きていく必要がある。そのために私は文字通り、物理的に強くなる。身体を鍛え、肌を焼く。ここ二ヶ月以上、コア・スクイーズを使った筋トレと、エアロフィットを使った呼吸筋トレーニングを毎日やっている。前に比べ身体は締まってきたし、いい色になってきた。私は外ではマスクを殆ど着けていない。所謂マスク警察に絡まれた経験は一度もないが、仮にそういうキチガイがいても気易く声をかけられない見た目を作り上げていく。